2008-12-31

2008年を納めながら

大みそか。

終日、松山市内をご挨拶に回らせて頂く。

最後に伺った、ある大先輩には。

突然の訪問にもかかわらず、
また日中にもかかわらず、

長時間にわたり、
とっても熱いメッセージを頂戴した。

来年に対する心構え、を頂いた。
腹は、決まった。

そして。

これで、今年の仕事は納まった、
と、思った。

今、ブログを綴りながら。

ひたすら、
県民の皆様の手足となって働こう、

と、今年の元旦に綴った誓いは、

どれくらい果たせただろうか、
と振り返っている。

できたこと、できなかったこと。
やりたかったこと、やれなかったこと。

あと数時間だが、
自身の中で、しっかり総括をして。

要は、来年を。

自身の使命と責任に照らして、
どのように飛躍と勝利の年にしていくのか、

その決意を十分に、心に錬りたい、と思う。

そして、明日から。
トップギアで2009年をスタートしてまいりたい。

��写真:2009年は、この手帳で、勝負!)




PS
本年1年、
お世話になった皆様に、

ご縁を頂いたすべての皆様に、
心より感謝を申し上げます。

明年も、
本年以上に皆様にお応えできるよう、
精進してまいります。

本当に、ありがとうございました!


2008-12-30

高松へ、今治へ、晦日も走れ

低く、曇りがちの、朝。
高松へと車を走らせた。

私の元上司であり、仲人であり、

現在に至る私の人生を左右させた人であり、

そのような修飾を並べれば、
いくらでも書けそうなくらい、

私にとっては、恩人、のMさん。
ちょっと、いいすぎかしらん。

そのMさんが、年末で早期退職され、
人生の新たなステージに挑戦される、

ということを、折々の風の噂に聞き、

間に合うか、間に合うか、
年末ぎりぎりセーフ、

と、彼のもとへ馳せ参じたのであった。

お昼前、会社で、再会。

といっても、
いたって、いつも通りの、再会、だ。

近況の交換もほどほどに、
いきなり、企画会議。

お互いのもつ課題と情報に、
仮説とアイデアをぶつけあう。

何か新しいことが
できそうな気がするから、不思議。

その中で。

わが県政にとって、
有意義な研究対象となりそうな、

いくつかのテーマと視察先を
見つけることができた。

移動時間より短い、
2時間ちょっとの滞在だったが、

知見の収支は、大幅な黒字、だったろう。

��さんの前途に、
心よりエールを送らせて頂くとともに、

��さんが新事業でめざすものと、
私たち政治・行政が一体となって、

それぞれの地域と生活者の皆様に、
新たな価値と満足を提供できる、

そんな未来図に、
心底、期待を膨らませるのであった。

あらためて宜しくお願いします、
と、Mさんには。

結局、餞別かどうかあやしいのだが、
感謝の気持ちを込めて、この後も、

つづく、とさせて頂きたい。

その後、今治市にてご挨拶回り。

夜は、毎年晦日恒例の、
母校OB会に、出席。

気の置けない大先輩たちに囲まれ、

楽しいなー、先輩どうぞ、
おいしいなー、先輩どうぞ、

と、抜かりなく、
後輩の務めも果たしながら、わいわいと。

その上、
硬軟、強弱、さまざまにご指導も頂き、

私にとっては、楽しくてタメになる、
気の置けない場所、なのである。

その楽しいひとときも、すでに過ぎ。
心からの感謝と来年の決意を述べながら。

そして元気な再会を約して、
集いは散会となった。

大先輩方を、
お1人お1人お見送りしながら。

そのご期待にお応えできるよう、
さらに精進を、と心に期すのみ、だ。

��写真は、丸亀・坂出にまたがる、讃岐富士。)


2008-12-29

足あと

小雨がぱらつく、曇天。

なかなか前に進まない
幹線道路の渋滞に、年の瀬を感じながら。

終日、
松山市内をご挨拶に回らせて頂く。

あの方にも、この方にも。

おかげさま、という
感謝の気持ちでいっぱい、だ。

ひと段落したのは、夕方。

所用で大街道周辺を歩いたが、

夕食、どこにしようか?

という雰囲気のご家族連れで、
混みあい、賑わっていた。

変、なことの多い、
今年1年ではあったが、

街角にあふれる笑顔を見ていると。
なんだか救われた気持ちに、なる。

どちらさまも、どうぞ、つつがなく。
そして、良いお年を。

と、心に念じながら私もまた、
家族の待つ家路を、急いだ。


2008-12-28

足あと

今年最後の、日曜日。

終日、事務所にてブログ更新作業。

コツコツ、ダァーッと、ここ数日間で、
約80日分を綴ったことになる。

言い方を変えれば、
約80日分の、思い出し作業。

手帳・備忘録・パソコンのほか、

テーブルに積み上げ、棚にしまった
資料・レジメ・パンフ等を、ひっくり返して。

結果的に、頭の整理整頓ができ、
それはそれでよかったが。

まとめ買い、とか、
食いだめ寝だめ、とか、

ここぞ、という時以外はやっぱり、
人間、こまめが一番、と反省しきり。

そして、この、80日を振り返って。

昨日のようでもあり、
ずいぶん昔のようでもあり。

その長さはひとことでは括れないが、

その色彩は、というなら、
とても濃密だった、とまとめたい。

あらためて、こまめの実践と、
濃く、密度の高い日々の実践を、心に。

あと3日、有終の1年を、だ。


2008-12-27

足あと

終日、事務所にて。

いくつかの県民相談を承り、党務に当たり、
年賀状を作成し、ブログ更新、となる。

特に、溜まったブログの更新作業。

手帳と備忘録に目を通しながら、
同時に、

その、都度都度に頂いた資料を
あらためて読み込みながら、の作業。

おかげさまで。

進めるほどに、
頭がクリアになっていった。

やはり、おさらいは、大事である。
自業自得に強いられて、痛感する。

そうこうしている内に、
その知的深堀の必要性を痛感し、

これ、読むこと、
これ、取材すること、

これ、レクを受けること、
これ、まとめること、

と、
新たな宿題が山積、となった。

いわゆる、豆腐のあとに、オカラ、である。

よし。
ブログ更新も、追いついた。

が、年内の仕事は、まだまだたくさん。

あと4日。
きちんと、仕事を納めてまいりたい。


2008-12-26

足あと

朝から、うれしいニュースが、続々。

毎日、皆様から頂くご要望のいくつかが、
立て続けに、解決と前進を見せたのだ。

さっそく、それぞれの方に、
その知らせをお届け、した。

某メーカーのCMではないが、

ありがとうございました、
の、その笑顔のために、

それが、
議員の仕事の醍醐味であることを、
心から実感させて頂いた。

午後、松山市内の企業を訪問。

ある社長の、
不景気をものともしない強気のお話に、

頭が下がるとともに、

国民の皆様の生活を断固守るために、
あらゆる政策を総動員する強気を、

政治は示さなければならない、
と勇気づけられる思いが、した。

夜の会合は、明年の指針を確認。

体当たりで、
はいずりまわって、
必ず勝利の渦を、

と、深く銘記させて頂いた。


2008-12-25

足あと

午前、松山市内を企業訪問。
午後、県民相談。

そして、夜。

大先輩から、厳しいご指導を頂いた。
久しぶりだった。

心の奥まで、ストレートに響いた。

痛さは半端ではなかったけれど、
底流に、愛情があふれていた。

大変に有り難い、と思った。

心の戦闘力の、ネジを巻き直して。

大先輩、必ず、結果を出します。
本当に、ありがとうございました。


2008-12-24

足あと

午前、事務所にて公務。
午後、議会にて部局折衝。

いくつかの場面で。

この間約2年の理事者との関係性において、
これって、ティッピングポイントかも、

と感じる瞬間があり、ふと感慨を覚える。

師から頂いた、誠実、との指針を、
ぶれることなくたもち、常に実践してまいりたい。


2008-12-23

足あと

日中は、事務所にて書類整理。
夜、今治市にて、党務。

2008年も、あと1週間。

ずっと気になっていたことが、ある。

議員の初日から、毎日欠かさず、
決意を綴ってきた本ブログが、
途切れがちになっていたこと。

皆様とのお約束であればこそ。
一気に更新してまいりたい。


2008-12-22

足あと

午前、企業訪問・部局折衝。
夜、今治市にて党務。

先輩議員との語らいの中で、
というか、

8対2の割合で
お話をお伺いする中で、

議員の仕事の大変さを
再認識させられた。

その、覚悟の有無を、
常に自問するのみ、だ。


2008-12-21

その間、にあるもの

午前、砥部町にて。
難病支援に関するご相談を受ける。

詳細は綴れないが、
お話を伺って、心を痛めた。

健常者と障害者を分かつものとして、
現在までの厚労行政があるとすれば、

難病患者の苦悩は、その間に、ある。

難病認定という手続き論だけではなくて、
おそらく、

ユニバーサル社会の実現ということが、
その理想的な、求められる解となるに違いない。

先日の、引きこもり全国大会においても、

その間、に彼らが苦しんでいる実態が、
赤裸々に報告されている。

線引きを解消し、二元論を止揚し、
その間、という概念を乗り越えそして、

多様な個性としての制度設計が
これからの厚労行政には必要だ、

と、思いを巡らせた。

医療や福祉だけではない、
教育も、道路・交通・まちづくりも。

しっかり国と連携し、
到達すべき理想をめざして全力を、

と、思う。


2008-12-20

本日は終日、今治

午前、党幹事会。
午後、党議員総会。

いずれも、今治市内にて開催され、出席。
種々の取り組みについて、確認を行った。

なお、個人ごとで恐縮だが、
今回の人事で、

公明党愛媛県本部青年局長、
の大任を拝することとなった。

もったいなくものご期待に対して、
感謝の思いをもって。

結果を出せるよう、
全身全霊で取り組んでまいりたい。

終了後。

県民相談にて、今治市内を走り、
現場視察など行う。

ある老夫婦は、
突然の私の訪問を感激してくださったが、

人生の貴重なお話をお伺いした私のほうが、
はるかに、感激させられたのであった。

��さん、絶対、がんばるけん。
見とって!

お二人の笑顔に見送られながら。

庶民の皆様とともに、常に生活現場に、

との、自分の心と体の置き場所を、
心に強く、深く、刻ませて頂いた。

感謝が、尽きない。


2008-12-19

足あと

日中、議会にて政務。
教育団体の申請手続きサポートなど。

夜、松山市内にて。
支持者座談会に参加。

まだ駆け出しではあるけれど、

机上ではない、数字ではない、
自身の五感で体験し確信した、

公明党議員としての誇りと価値を、
力まず飾らずそのまま、語らせて頂いた。

本当に、そうなんです。

という思いが持つチカラは、強い。
きっと、話すほうにも、聞くほうにも。

論語に。
六十にして、耳に従う、とある。

60にならずとも。
40半ばであっても。

県民の皆様が、本当に、そう思うこと。

そのことに対して、
耳に従う議員活動を、

とひそかに、心に期すのであった。

寒風に、あるいは風邪をおしてご参集くださった
皆様に、心より感謝を申し上げたい。




2008-12-18

地元活動へ、走れ走れ

昨夜、九州から帰着。

早朝、砥部町にて。

某企業の朝礼に参加させて頂き、
ひとことご挨拶を述べさせて頂く。

貴重なお時間を拝借し、
社員各位に感謝を申し上げたい。

午後、松山市内にて開催された
福山一夫先生講演会に、出席。

日本文理大学の陸上競技部監督を務められる
福山先生は、本県内子町のご出身で、

大卒後は大分県教育界一筋に歩まれ、

本年開催のおおいた国体にて、
同県を総合優勝に導いた立役者の、お1人。

大分が推進した国体成績浮上への歩み、
と題しての、約1時間にわたる講演を拝聴した。

国体開催の目的は、
心をつくり、人をつくること。

その一節が、共感をもって、印象に残った。

その後、松山市内にて。
支持者座談会に参加。

涙が出るほど、感動の連続であった。

自身の使命、といえば硬いけれど、
皆様のご期待あればこその自分だ、

と、あらためて感謝と決意が
込み上げてくるのであった。

明年の飛躍を期して、
お1人お1人をお見送りした後。

事務所に移動し、
出張中、積もりに積もった案件に着手、となる。

��写真は、福山先生の講演風景。)


2008-12-17

九州滞在5日目は、大分

昨夜のうちに、大分へ移動。

��M10:00、
会派の笹岡議員とともに、大分県庁へ。

目的は、
本年9月に開催された「おおいた国体」の、
施設整備概要のヒアリングと、見学。

まず、議会事務局ご挨拶の後、
国体局職員各位からお話を伺った。

当局の、施設整備にあたっての基本方針は
きわめてシンプル、であった。

要約すると、

可能な限り既存施設を活用し、
新設も含めて整備は必要最小限で行う、

と私は理解したのだが、
それは数字に、まさに如実に、表れていた。

おおいた国対の施設整備費は、約52億円。

2003静岡国体610億円、
2004埼玉国体316億円、
2005岡山国体 91億円、
2006兵庫国体183億円、

に比べると、

当局の方針順守のご苦労が痛いほどに、
浮かび上がってくるのである。

中でも、国体の華である、水泳競技。

その舞台となるプールについて、
検討の経緯を詳しくお伺いした。

当初は、
57億円をかけて新設する計画であったが、

最終的に、既存プールの改修によって、
約11億円で整備することができた、という。

その、別府市営青山プールを見学した。
本県に置き換えた場合、という前提で。

現地では、
別府市職員各位にご案内頂いたのだが、

会議などでは出にくいような、
かかわった当事者ならでは、

といったご苦労話の1つ1つが、
とても貴重で、参考になった。

えひめ国体まで、あと9年。

今回の視察を県政に生かしてまいりたい。

大分県庁と別府市職員各位に
満腔の謝意を述べながら。

結局、温泉につかる間もなく。

別府港から八幡浜へ向け、
急ぎ、船上の人となったのであった。

��写真は、別府市営青山プール、の飛込用プール。)


2008-12-16

福岡滞在3日目は、まみずピア

朝、福岡市内のホテルを出発。

同期議員のお二方とともに、一路、
海の中道奈多海水淡水化センターへ。

同センターは、
福岡市の8市9町1企業団が構成する
福岡地区水道企業団により運営される。

愛称は、まみずピア。

視察目的は、
本県、特に中予の水不足問題解消の
糸口を探ること。

同センターに到着すると、
まずそのスケールに、驚いた。

福岡ドームの1.3倍という巨大な施設は、

目の前に広がる玄界灘から引き込んだ海水を
1日50,000立方メートルの淡水に変えるという。

同圏域の水道給水量の10%近くを占める量、だ。

同センター職員の格段の配慮により、
施設内をつぶさに見学させて頂いたが、

3D映像など、趣向を凝らしたPR演出により、
淡水化のプロセスを、平易に学ぶことができた。

恒常的に水不足がつきまとう同地域だが、

1994年から翌年にかけて、実に、
295日間にわたって給水制限が行われたという。

その年、海水淡水化の構想を得てから約10年、
総工費408億円をかけ、供用開始となった、

ということだが、この事例。

本県に対して、
様々なオプションを示唆してくれていまいか。

県市単独にせず、官のみにせず、
民のみにもせず、水のみにせず、

つまり、コラボをキーワードにすることで、
この事業、実現できないか、と思うのである。

さっそく研究を進めてまいりたい。

末尾に、同センター職員の皆様には、
格段の御配慮を頂き誠にありがとうございました。

同行の議員お二方には、
道中の迷子状態は結果オーライ、
ということでご容赦くださいませ。


2008-12-15

引き続きの、福岡にて

終日、福岡市にて。

愛媛県議会観光産業振興議員連盟
一行19名の一員として、

午後、開催された研修会、
「九州の観光戦略について」に参加した。

講師は、九州観光推進機構の高橋氏。

同機構は、九州7県の枠組みを超えて、

130の企業・団体など官民あげた連携で、
24名の常設職員を配し、特に、

国内大都市と東アジアを戦略ターゲットとして、
観光客の呼び込みに取り組まれて、いる。

聞きしに勝る、であった。
ブログに綴るにも、俄かにはまとめきれない。

それほど中身の濃いレクチャ、であった。

道州制がもっとも近いのは九州、

と思わずにいられない先進が、
随所に感じられたのである。

ここでの感触を知見に代えて、
県政に反映を、と強く思った。

夜の交流会では。

諸先輩から様々なアドバイスを頂き、
有難いひとときとなったが、

それにしても、

こと愛媛のことになると、皆様、熱い、
というしかなく。

その熱さに、
ヤケドされそうな某議員を横目に。

総力挙げて議会が団結できたら
どれほど素晴らしい結果が出せるだろう、

と、ふと考えた、そして有意義な
福岡視察初日、であった。


2008-12-14

先輩を訪ねて、福岡へ

午前、長崎原爆資料館へ。

知らなかった悲惨な事実を頭に刻むとともに、
館内にみなぎる不戦の叫びを、心に刻んだ。

広島も含め、1人でも多くの子供たちに、
触れさせ、感じさせる機会を、と強く思った。

午後、福岡市へ移動し、
大学時代の先輩を、訪ねた。


先日、息子さんをお預かりした、
あのTさんご一家である。

昼下がり。

最寄りの駅で再会したTさんは、
お約束の、スウェットパンツ。

大学時代と、いーっしょ。

これも、カッコ苦笑という感じだが、
考えてみると、

ジーンズとか、チノパン穿いたTさん、
というのも、

それはそれでちょっと残念、
だったかもしれないと思うと、妙に納得。

いらっしゃーい、

と奥さまは、息子さんのRクンと瓜ふたつ、
と、
そんな当たり前に、妙に感激しながら、

しかも、あいかわらずの若々しい笑顔で
温かく迎えてくださった。

さて、そこから。
長ーい、会話となった。

何しろ、10数年ぶり。
積もる話は、なんぼでも、あるのだ。

結局、10数時間にわたり、エンドレス。

まごころの手料理で、
これ以上ないおもてなしを頂いた奥さまに、
心より御礼申し上げたいし、

とっても素直なKクンとHちゃんの兄妹には、
その前途にエールを送らせて頂きたいし、

そういう心温まる家庭を築かれたTさんに、
バンザイ、と申し上げよう。

そして。
10数時間の会話の中で。

木村。
ブレーンを、つくれよ。

今日、いちばん、心に残ったひとこと、だ。

昔からさりげなく、
ホシをつかまえ、急所をついてくる。

やっぱりTさんには、かなわない。
それこそ、カッコ苦笑、なのである。

��写真は、孔子廟の中庭に並ぶ高弟像。)


2008-12-13

親友を訪ねて、長崎へ

唐突に、
かもしれないが、長崎市へ。

かねてから約束していた、
大学時代の親友Oちんを訪ねた。

同市を訪れるのは、実は私、初めてで、
なるほど、坂の多い町、であった。

ということは、と思わず。


この町のバリアフリー構想について、
理事者のお話を伺ってみたくなったが、
それはまたの機会として。

今や某大企業の支店長となったOちんの、
それ相応の車に乗って、市内を見学。

仕事がら、というと僭越だが、
またとない視察、となった。

その観光資源の豊富さ、力強さといい、
新幹線延伸の呼びこみ熱、といい、

原爆体験を風化させない平和の希求、
といい、

元寇、出島、島原の乱、亀山社中など、
数々の歴史の舞台を街の風景にちりばめて。

訪れる人々へ、
さまざまに薫るメッセージを、発していた。

愛媛県と、ほぼ似た人口規模の長崎県は、
島しょ部数で日本一。

ちなみに、本県は第3位。

きっと同質の行政課題を抱えていようが、
しかし、ならば共有もできるはず、と思った。

いわゆる、離島サミットのような形で、
分野ごとの交流促進が可能、と気づく。

その他の触発、実に多々の、長崎であった。
機会を作って頂いたOちんに、感謝、である。

ちなみに。

20数年ぶりに一献傾けながら、
��ちん、全然変わってへんわ、
カッコ苦笑、という安堵を覚えたが、

それは、きっと彼も同じだったに違いない。

お互いがんばろうぜ、
お互い、ね

と、小雨交じりの中、
相変わらずのエールで散会、となった。

��写真は、長崎市内の、孔子廟。)


2008-12-12

足あと

12月議会、閉会日。

いつもの閉会と異なったのは、今回、

議員発の、
愛媛県食の安全安心推進条例について、
賛成・反対の討論が行われたこと、だ。

結果的に原案可決となったが、
事態の背景やプロセスを含め、

私にとっては貴重な経験となった。

なぜなら、議員提案による政策条例は、
今後ますます推進されるべきで、

そのためには何が必要か、
という現実を目の当たりにしたから。

なるほど、政治は奥が深い。
と余韻を残しながら、午後は県民相談。

夜は、伯方島へ。
昨日と同じく、地域の課題をお伺いする。

お1人お1人、挙手を頂き。
それは。

お約束の時間を過ぎても、
決して止まることはなかった。

散会後、皆様をお見送りしながら。

今日頂いた諸課題は、そのまま、
私たち公明党に対する期待なんだ、

と、感謝の気持ちが込み上げてきた。

励めよ自分、である。


2008-12-11

足あと

日中、企業訪問。
西条市と松前町を、訪ねた。

その会社は、この不景気にあって、
売上拡大の快進撃を続けていた。

結果を出し続けるマネージャの、
戦う前傾姿勢と迫力のお話に、
鳥肌ものの感動、を覚えた。

まさに今、
政治こそ、結果が求められている。

恐縮にもご挨拶の機会を頂いた私は、
社員の皆様を前に、

公明党がこれまでに築いてきた実績と、
これからめざす成果について、お訴えした。

貴重な機会を頂いた関係者に、
心より感謝申し上げたい、と思う。

夜は一転、大三島へ。

支持者の皆様から、
地域課題についてご要望を承った。

県内に厳然とある地域格差について。

9月議会で提起させて頂いたが、
解決への道筋の模索は、今も続く。

とはいえ、ご要望のうち、
すぐできることは今すぐに。

気づき直行、電光石火、で帰り道。
いくつかの連携を取らせて頂いた。

さあ、明日は伯方島、だ。


2008-12-10

足あと

午前、県民相談。
午後、松山市内にて政治学習会。

支持者の皆様と車座になって、
忌憚なく語り合うことができ、

心より、感謝申し上げたい。

その中で、特に痛感させられたのは、
高齢者をとりまく生活環境、について。

ややもすると。
政治は、財政寄りになりがちだが、

それは絶対にダメ!ということを、

生活者寄りでもダメで、
生活者起点でなければダメ!ということを、

あらためて教えて頂いたのであった。

頂いた皆様のお気持ちを。

国にも伝え、県にも共有し、体現できるよう、
自身を戒めてまいりたい、と決意する。


2008-12-09

足あと

午前午後にわたり、文教警察委員会。

さっそく、まず。

学校へのケータイ持ち込みについて、
愛媛県の実態を、質した。

公立校については、
小学校88%、中学校97%、高校71%、

の学校が持ち込みを禁止し、
校内での使用を認めていない、

ということが判明した。

ここから議論が白熱するのだが、
詳細は明日の地元紙に譲るとして。

とある方のとある発言に、
深く期するところを覚えた。

それが、今日の私のエポック、となる。
要は、力をつけろ、である。


2008-12-08

足あと

日中、部局折衝。

県民相談の1つ1つに足を運ばせて頂き、
お伺いした県民の皆様からのご要望を、

最終的にカタチにされるのは、

訪ねたそれぞれの部局の、
それぞれの職員各位、だ。

財政難の中、
あるものは、知恵と体と時間、

だとすれば、

その全部を出し切って、ともに汗をかいて、
県民の皆様にお応えしてまいりましょう、

と、
フロアをまたぎ、折衝を重ねる1日となった。


2008-12-07

足あと

日中、党務にて今治市へ。
夜、政務。

来週の文教警察委員会にむけて、

学校へのケータイ持ち込み問題
について調べていると、

その本質は、

サイバー・ネットワーク社会を前提とした、
私たち大人の情報リテラシーにあり、

との仮説が浮かび上がる。

ちなみに。

あたった文献のほうは約300ページだが、
ネットで検索していくと、まさにエンドレス。

時間ばかりが、過ぎていく。

光陰矢のごとし。
ゆえに、情報海のごとし、の今を。

誤たず価値的に歩んでいける賢さを、
個人も社会も身につけねばならない、と痛感した。


2008-12-06

足あと

午前、高松市へ。

香川県立ミュージアムで開催中の、
大三国志展を、鑑賞。

今から約1800年前、
わが国でいえば、卑弥呼の時代に。

魏・呉・蜀の3国が覇権を争った、

その、まさに足あとが、ずらり、
というより、ずしり、と並んでいた。

中国の国家一級文物53点を含む、
全部で180点の宝物は、

時空を超えて悠久のロマンへと、
私を駆り立てた。

特に、五丈原。

死せる孔明、生ける仲達を走らす、
で有名な、あの戦を、

精緻なジオラマにより再現した、
ナレーションと映像の演出には、

しばし、立ちつくすのみであった。

そのとき、
孔明の胸中に去来したものは、何であったか。

三国志は私の愛読書、であれば、
長くなるのでこの辺で留めるが、

同著の、

明鏡は形を照らす所以、古事は今を知る所以、
という一節を、今の立場でかみしめたい、と思う。

その後、
企業訪問、旧知旧友各位との再会など。

少しづつ、しかし、確実に。

世の中も人も変化していることに、
気づかされながら、一方で。

感傷にひたるべからず、前へススメ、

と戒め、戒めあう、友との語らいに、
時は待たず、夜は更けていった。


2008-12-05

足あと

日中、政務。

来週の、
文教警察委員会に向けての、質問準備。

それにしても、
所管する教育行政、警察行政について。

この数カ月だけで、
記事ファイルの厚さは何センチになるだろう。

話題の大きさは、課題の大きさ。
しっかりと精査してまいりたい。

夜は、党務。
指針を、確認。


2008-12-04

一般質問、最終日

最終日の登壇者は、
住田省三議員(自民)・村上要議員(社民護憲)・渡部浩議員(自民)
の、3氏。

住田議員の、食育に関する質問で、
ニワトリ症候群、という引用箇所があった。

最近の食の乱れを簡潔に言い表し、
なるほど、と綴るのだが。

一人で食べる「孤食」、
朝食を食べない「欠食」、

家族が別々に食べる「個食」、
同じものばかり食べる「固食」。

この4つの頭文字をとって、孤欠個固。
つまり、コケコッコ。

身の回りに照らしドキッとしたのは、
私だけだろうか。

食に関する正しい知識と選択、
そして、習慣化の必要性を、痛感した。

夜、政治学習会にて、伊予市を訪問。

支持者の皆様には。
いつも温かく迎えて頂き、心より感謝、だ。

私たち公明党の取り組みについてお訴えした後、
忌憚のないご意見ご要望を、数々お伺いする。

議員の日常は、
行く先々での宿題探し、と、解決探し。

今日も、仕事はどっさり、となる。

しっかり励まねば、と決意しながら、
皆様お1人お1人をお見送りさせて頂いた。


2008-12-03

一般質問、3日目

本日の登壇者は、
笹岡博之議員(公明新政ク)・豊島美知議員(民主)・菅良二議員(自民)
の、3氏。

会派の笹岡議員は、

定額給付金、ドクターヘリ、がん対策、
若者自立支援、障害者就労、病院看護体制、

について取り上げた。
大半が、厚労行政に関するもの、だ。

次は、私の番。

次回2月議会の登壇に向けて、
県下各地の生活現場にきちんとアンテナを立て、
しっかり準備してまいりたい、と思う。

一方。

今回が最後の登壇となったのは、菅良二議員。

来年の今治市長選挙に出馬表明されたことは、
皆様ご存じの通り、だが、

その最後の質問からは、
菅議員の万感、がひしひしと伝わってきた。

同時に、政治家の決断、
というものについても、深く考えさせられた。

どんな議員活動も、1つ1つ毅然たる決断で。
そんなことを教えて頂いた、気がする。

そして、本会議場には、
きっと、さまざまな感情が交錯していたであろう。

政治の奥深さが印象に残る、1日であった。


2008-12-02

一般質問、2日目

本日の登壇者は、
野口仁議員(社民)・阿部悦子議員(環境市民)・毛利修三議員(自民)
の、3氏。

財政難の中で、
県政は何を優先させるべきか、

について、
それぞれの立場・視点から質された、2日目。

大いに学ばせて頂くとともに、

肝心の、財政難をどうするか、
について、私自身。

国の財政または税制措置による、
以外の解、について

研鑽と研究を深めねば、と、
痛感させられたひとときとなった。


2008-12-01

一般質問、初日

一般質問、初日。

登壇者は、
岡田志朗議員(自民)・菅秀二郎議員(民主)・中田廣議員(自民)
の、3氏。

「寒いね」と話しかければ 
「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 

岡田議員の前口上は、
ご存じ、俵万智さんの短歌から。

そう。

「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日

の、
あの「サラダ記念日」からの、一首。

社会人になりたてのあの頃、

世の中をよくするためにいつの日か
なってみせようコピーライター

と、思っていた。

なぜコピーライターか、という脈絡は措き、
燃え盛るものを持て余していた気がする。

燃える、から、萌える、時代となっても。

世の中をよくするために、を常に持ち、
芽生え続ける自身でありたい、と思う。

カレンダーも、今日から12月。
本年を、きちんと仕上げてまいりたい。


2008-11-30

第4回がん患者大集会

朝、広島市を立ち、一路松山市へ。
向かったのは、四国がんセンター。

午後開催の、
第4回がん患者大集会に駆けつけた。

全国9か所の拠点病院を、
��V会議システムでつなぐ、同時中継。

情報インフラの進化するスピードに、
がん対策の前進も、負けてはならない。

そんな思いで、
夕方終了までの一切を、拝聴させて頂いた。

全国の患者とご家族の皆様の思いが、
ライブスクリーンを通して、ひしひしと伝わってくる。

その中で、
ひときわ印象深く、私の心に刺さったものは。

愛媛がん患者家族会・おれんじの会、の
松本陽子代表の、アピール、であった。

“患者力で変えます。私の町の、がん医療。”

その屹立した、ゆるがぬ決意に、
政治の覚悟が問われている、と痛感した。

がん対策。

の、ひとことでは収まらない、
人間の尊厳、というこの問題に対して。

オール公明党として、超党派として。

全力で取り組み、結果を出さねば。
その1点を、深く心に誓った。


2008-11-29

引きこもり、の全国大会へ

AM10:00。
松山観光港を出発し、一路広島市へ。

午後開催の、第4回全国引きこもり家族会・
支援者代表交流研修会、に参加する。

冒頭、KHJ親の会の奥山理事長より、

「引きこもり問題の総合対策を求めたい」

との明確な問題提起から、
2日間にわたる研修会はスタートした。

公明党からは、
山本ひろし参院議員が来賓挨拶に立ち、

当事者家族支援の根拠法の実現に全力を、
との決意の披瀝があった。

その通り、
と、ここが議会なら呼応する場面であった。

続いての、
厚労省のご担当による来期施策の説明には、
ひと筋の光明を見る思いがした。

内閣府・文科省・法務省・警察庁とともに、
ぜひ、事態の打開と解決に前進を、と願う。

その後、

国立国際医療センターの斉藤万比古部長、
日本福祉大学の竹中哲夫教授、

の各講演と続き、

��HJ親の会顧問の中垣内正和医師、
徳島大学の境泉洋准教授、

のコーディネートによるシンポジウムにて、
初日は終了となった。

夜の懇親会にも参加し、
全国各地の皆様と知己を得ることができたし、

��HJ愛媛こまどりの会の澤田代表とも、
じっくりお話を深めることができたし、

奥山理事長の趣向で、
相部屋・大部屋での宿泊という、

学生時代の合宿のような、
熱気あふれる1日となった。

最後に全員で合唱した、
中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」。

旅はまだ終わらない。
ならば、そのお伴を、と決意する。

末尾に。

わざわざご出張頂いた本県職員の麓様には、
お忙しいところを誠にありがとうございました。


2008-11-28

足あと

午前、
愛媛県議会観光産業振興議連の一員として、

ANAオリジナルラッピングバス、
のお披露目会に出席。

その際、同社グループが企画した
「誘遊四国キャンペーン」の説明、あり。

なるほど。

ANAと各県バス会社のタイアップによる、
ラクしておトクな、おまかせパックツアー、

といったところか。

観光産業のすそ野の広さと、
成長の可能性の大きさを考えると、

ここは、さらなるひとひねりふたひねり。

広告業界の出番、と思うのだが、
むむむ、である。

観光というテーマを、常に頭の片隅に。

そして、忘れないように、
常にアンテナを高く立てておきたい、と思う。


2008-11-27

足あと

日中、部局訪問。

夜、松前町での政治学習会に
お招きを頂き、参加させて頂く。

公明党の政策についてお訴えし、
その後、ご質問ご要望を頂く。


次から次へと出てくるそのほとんどが、
国、に対するものであった。

いずれも貴重なご意見、
であり、

生活実感に裏づけられた真実の声、
であれば、

必ず国政での代弁につながり、
私たちの政策に反映されるよう、

お気持ちをしっかりと咀嚼し、
お預かりさせて頂くことを約し、散会となった。

お見送りの際の、皆様のお励まし1つ1つに、
心より感謝を申し上げたい、と思う。


2008-11-26

12月議会、開会

午前、12月議会、開会。

補正予算案をはじめ、
各種議案審査と論戦が、始まる。

今回、私には、
登壇の機会を与えられていないけれど

緊迫の度を増す世界経済と、
混迷を深める中央政局に対し、

各党各議員が、
どのような形で県政に切り込むか、

その質問戦に注目したい、と思う。

��S
��さんの息子さんのお預かりも、本日で終了。

彼の、可能性あふれる前途に
心からエールを送るとともに、

こうした機会を頂いたTさんに、感謝、である。
がんばれ、がんばれ、Rクン!


2008-11-25

足あと

インターン受入れ、2日目。

午前、議事堂案内と各部局折衝。
午後、県産業廃棄物協会勉強会。

昨日のレクチャに続いて、
今日は議員の現場、のご案内だ。

ここでRクンとは別れて、私は今治に。
行く先々に、宿題あり、である。


2008-11-24

人生初、のインターン受入れ

午前、地元地区の防災訓練に参加。

午後、山本ひろし参院議員による
時局講演会に出席。

休日にもかかわらず、会場は一杯に。
ご参集頂いた皆様に感謝、である。

さて、今日から3日間。
私史上初、のインターン受入れ、である。


それがちょっと大げさなら、

大学時代お世話になったTさんの、
大学2年の息子さんの、お預かり、ということで。

政治に少し興味あり、
というのが嬉しいし、

それを少しでも知っておくのと知らないのとでは、
人生の展開角度も、きっと何センチか違ってこよう。

そんな彼の第一印象は、とっても、お母さん似。
ということは、中身がお父さん似、か。

合流後、さっそく弊事務所にて。
気づいたら約4時間。

私の中に今ある、わずかな知見を。
書いて書いて、しゃべくりまくって。

一気にレクチャさせてもらったのだが、さて。
一番タメになったのは、たぶん、私だろう。

ゼロから説明することで、
頭の中がずいぶん、スッキリ、したから。

そのお礼がてら夕食にと、街に出た。

身の上話からはじまって、話は尽きない。

最近の大学生事情も何となくわかったし、

少なくとも、私の大学時代よりは
はるかに大人、で、とても頼もしく、

その辺もお母さん似とすると、
むむむ、父親譲りはどこだろう?

とひそかに詮索しながら、もう1軒。

なるほど。

その、ハートのつかみ方の上手さは、
まさにTさん、とホッとしながら、

彼を見送る、帰り道。

��さん、いい育てられ方をされましたね、
と、心で脱帽するのであった。

私も、と思う。


2008-11-23

足あと

午後、
山本ひろし参院議員と合流。

ひきこもりをはじめとする、
若者の自立支援について、
ご家族の皆様からご要望をお伺いする。

山本議員には、
来週の参院厚労委員会で、
さっそく取り上げて頂く予定だ。

あらためて。

当事者と現場から発せられる切実に、
敏感に反応できる自身に、と思う。


2008-11-22

足あと

終日、県民相談。

支持者のご縁で知り合った、
砥部町の、あるお宅で。

ホットな対話の中で、
さまざまなご要望をお伺いすることができた。

考えてみると、
その方との出会いは、厳しいお叱りから、だった。

そして、今日。

足を運ぶこと、耳を傾けること、
そして、誠実に対話を重ねること。

議員の仕事の方程式、を再認識させて頂いた。

応用問題にぶつかったら立ち返る基本、
を、あらためて教えて頂いた。

��さんに感謝、である。


2008-11-21

足あと

日中、県民相談。
それにしても。

人間模様の、トレードオフ。
悩ましい問題、ではある。

夜、党務にて今治市へ。


2008-11-20

足あと

午後、
公明党・雲峰松山市議とともに、
先日お伺いしたNPO法人を、再訪。

県当局への確認事項をもとに、
種々、協議と懇談をさせて頂く。

ルールの忠実な執行は、
公務員の生命線である、

という事実と、

ルールの無謬性を絶えず疑うのは、
政治家の生命線である、

ということもまた、一方の事実であろう。

生活現場で、学ぶ毎日、である。


2008-11-19

足あと

終日、県民相談。

その内の1つで、

燃油高騰水産業緊急対策について、
各事業の申請状況について部局ヒアリング。

先月末から変化なし、と。

確かにこのところ、
ガソリンの市況価格は低位で安定しているが、

同対策の在り方についても、
この辺で一度検証の必要がありそう、だ。


2008-11-18

足あと

終日、県民相談対応。

部局をはしごし、電話が後を絶たず、
地方局を訪ね、市内を回り。

怒涛、ともいうべき1日であった。

その中で。

公明党・小林松山市議との連携で、
これ以上ないベストプラクティスが、実現。

しかも、この日の内に。

ご相談者の感激に、こちらも感無量、だ。

記事にもニュースにもならないけれど、
確かな、議員の仕事の1つである。

その地道に誇りを持って、
日々取り組んでまいりたい、と思う。


2008-11-17

足あと

午前、部局折衝。

県民の皆様と、
ちゃんと向き合った仕事になっているか、

その仕事は、
提供すべきクオリティに適っているか、

ということを、自身も含めて話し合った。

午後、
平成19年度普通会計決算特別委員会。

15:00、12月度補正予算案のレク。

ということは、
来週から、12月議会が開会、だ。

光陰、以上のスピード感をもって、
ゆるむな、自分、である。


2008-11-16

足あと

午前、県民相談。

午後、雲峰松山市議とともに、
松山市内のNPO法人を訪問。

同NPOが運営される障害者施設の視察と、
県に対するご要望をお伺いした。

施設長の思いは、熱い。

要約すると、

知的障害者の皆様に
生活する力を身につけさせ、

身につけた力を
高齢者介護等に活かし就労につなげたい、

となろうか。

持続可能なウィン×ウィンのしくみを
地域に構築することをめざす、という、

同NPOの取り組みに、
全力で尽力を、と思う。

貴重なお時間を作って頂いての視察に、
心より感謝申し上げたい。


2008-11-15

足あと

午前、党幹事会。
午後、党議員総会。
夜、党務。

いろんなことを同時に推し進める毎日は、
情報収集と研鑽不足の日々。

ブログ更新も、積ん読も、クリアしないと。
と、気が焦るばかり、の1日。

習慣は才能である、
とのフレーズが蘇る。

今日から、リスタート。


2008-11-14

足あと

終日、県民相談。
夜、松山市内の支持者座談会。

戸口で、玄関で。

皆様の激励の一言ひとことが、
心に染みわたる。

有難い。
それが私の原動力、だ。


2008-11-13

足あと

午前、部局折衝。

午後、県民相談にて、
市内と周辺市町を、ぐるっと。

夜、松山市内の支持者座談会へ。
急ぎ足で数会場を回らせて頂く。

混迷する国政にあって、
公明党が今、取り組んでいるもの、
についてお訴えする。

支持者の皆様の、
いつも変わらぬ温かさは、

厳しさと表裏であることを忘れまい、
と、肝に銘じたい。


2008-11-12

足あと

日中、公務。
夜、党務。

お昼、
旧知のSさんから1通のメールが届いた。

“日記から若手議員の謙虚さが伝わってきますが、
若手ゆえの破天荒さも発揮して下さい。”

“これからこれから…ではありません。
今だから出来る若さのパワーを存分に発揮して下さい。”

懐かしい思いと、温かくもその強烈なメッセージに、
思わず電話をかけさせて頂いた。

話が、弾んだ。
そして。

今だからできる破天荒、について。

大事なものを、忘れかけていたとすると、
これ以上貴重な指摘はない、のだ。

実に有難いSさんのご指摘に、
必ずやお応えしてまいりたい、と思う。


2008-11-11

足あと

午前、
山本ひろし参院議員秘書とともに、
松山市内の障害者介護施設を視察。

厚労省に対するブッキング要望を承る。

なるほど。

私が、福祉の現場でいつも感じることは、
法律は現場に即しているか、に尽きるのであり。

そのためにも。

��DCAというフィードバックのしくみを、
ネットワーク政党である公明党が、

きちんと機能させなければならない、
その1人にならなければならない、

ということを、
あらためて自覚させられる視察となった。

午後、県民相談。


2008-11-10

足あと

午前、地域活性化特別委員会。
議題は、南予地域の交流促進について。

第26回地域づくり
全国研修交流会愛媛大会の開催と合わせ、
理事者からレクチャがあり、質疑となった。

午後、県民相談各種。

中小企業の融資ニーズの切実を肌で感じながら、
実体経済の先行き懸念が、募る。

県がすべきことは何か。
県でできることは何か。

その間を埋めるために私がすべきこと、について、
調べて、聞いて、考える1日となった。


2008-11-09

足あと

市議選投票日で、四国中央市へ。

支援候補の勝利の報に、
支持者の皆様と万歳、の1日。

献身的なまごころのご支援に対し、
感謝が尽きない1日であり。

日中お伺いした県民相談では、
教育行政の大きな宿題を頂き、

さらなる国との連携が必要だ、
と次なる課題への出発の1日、となった。


2008-11-08

足あと

終日、党務。

明日は、統一外選挙のいくつかが、
告示と投票日を迎える。

この後の1年間を見渡しても、
県下12市町で、それは続く。

というか、愛媛県では。

統一外選挙がない年はない、のであって、
これはどこかで統一すべき、ではないか、

などと考えながら、党務に勤しむ1日となる。


2008-11-07

足あと

午前、文教警察委員会に出席。

一部の大先輩議員には、
ずいぶん考えさせられる。

午後、消防防災ヘリの視察。
夜、党務。


2008-11-06

100年を超える研究、の視察

平成19年度普通会計決算特別委員会の、
現地視察にて「県水産研究センター」を訪れる。

同センターの前身である水産試験場の創設は、
なんと、明治33年4月にまでさかのぼるという。

その歴史は、実に、100年を超える。
驚きと、深い敬意と。

県水産研究センターの担う役割は、
養殖生産額日本一の本県水産業にとって、

漁場環境を守り、
水産資源を管理し、

養殖技術を開発し、
魚病診断や種苗生産を行い、

漁業後継者を育てる、
など、あまりにも大きい。

そうした中で本日は、
ハタ類の生産施設を視察。

ハタ類とは主に、クエとマハタ、を指し、
鍋ものに絶品、といわれる高級食材、だ。

マダイ・ブリに続く、第3の高級養殖魚として、
海外市場も視野に入れた戦略商品、なのである。

9月議会の一般質問で、

南予は養殖業のシリコンバレーをめざすべき、
と提言させて頂いた私としては、

お客様、つまり、市場から出発する、
同センターの研究開発姿勢に、

大いに意を強くさせられたし、
さらなる成果に期待を寄せたい、と強く思った。

それにしても。
クエという魚の、でかいこと。

成体の全長は、優に、私たち大人以上、だ。

これってひょっとして観光資源になるかも、
と思いつつ、有意義な視察の帰途についた。

��写真は、愛媛県の漁場ジオラマ。)


2008-11-05

足あと

午前、会派の笹岡代表とともに。

10/31にスタートした「緊急保証制度」の、
事務レベルでの円滑な執行を申し入れるべく、

愛媛県信用保証協会と、
県経済労働部を訪れた。

中小企業に対する
金融面での緊急セーフティ機能、

という趣旨に対する
ご理解と答弁を頂き、心強く思うとともに、

引き続き、事態の推移に注視を、と思う。

午後、企業訪問の後、四国中央市へ。
候補支援で深夜まで、となる。

��S
アメリカ大統領選は、
大方の予想通り、オバマ氏の圧勝。

ハロー、シカゴ、
で始まり、

イエス・ウィ・キャン、
で締めくくられた、

彼の、今日の勝利演説は、
間違いなく伝説になる、に違いない。

そして、彼の、
本当の戦いはここから、に違いない。

道のりは険しくとも、可能性に満ちた、
オバマ新大統領の前途に祝福を、と思う。


2008-11-04

足あと

終日、党務。

今日は世界中が注目する、
アメリカ大統領選挙の日。

事前予想のほとんどが、オバマ氏の圧勝。
明日の開票が、待たれる。


2008-11-03

足あと

終日、四国中央市にて。
候補支援のお手伝いをさせて頂く。

あちらにも、こちらにも。

一生懸命応援してくださる、
支持者の皆様が、いる。

候補にあらずとも。

ご期待にお応えしてまいります、
と何度も何度も、心に叫ぶ1日となった。


2008-11-02

足あと

四国中央市議選、告示日。
終日、同市にて活動。

夕方、松山市内にて。

山本ひろし参院議員・藤本公子松山市議に同行し、
障害者支援施設関係者のご要望をお伺いする。

国・県・市のネットワークで、敏感力で。
福祉を取り巻く環境改善に向けて尽力したい、と思う。


2008-11-01

足あと

終日、県民相談。

さまざまな人生に関わる仕事と、
求められるものの大きさについて、

あらためて、思う。


2008-10-31

足あと

普通会計決算特別委員会、2日目。

5,900億円を超える、
皆様の税金をお預かりし執行した、
膨大な事業の監査内容について、

各部局ごとの説明を受け、
質疑を重ねていく。

その資料は、膨大。
自身の知見の足らなさを、痛感。

午後は、党務。
夜は、松山市内の支持者宅訪問。

さまざまな方から、ご激励を頂く。
心から感謝、である。


2008-10-30

足あと

午前、平成19年度の、
普通会計決算特別委員会に、出席。

詳細は、以下に譲らせて頂くとして、
�� http://www.pref.ehime.jp/010soumu/040zaisei/00007457051213/h19/19futuukessan.pdf )

イの一番に感じたことは。

この状況について、

どうすれば、
県民の皆様とファクトベースで理解を共有できるか、

ということ、だ。

政治は、そのコミュニケーション力と、
プレゼン能力を飛躍的に進化させねばならない。

まず、自ら、だろう。

午後は、笹岡代表とともに、
県廃棄物協会を尋ね、ご要望をお伺いする。

夜は、青年グループとの政治懇談会。
予想をはるかに上回る、ご意見とご要望の数々。

終始、熱いものを感じながら、熱く語らい。
あっという間に、夜は更ける。

県政、のみならず。
自身、政治と彼らの橋渡し役に、と誓った。


2008-10-29

足あと

午前、
企業会計決算特別委員会を傍聴。

公営企業管理局が所管する、
電気事業、工水事業、病院事業の、
平成19年度の決算に関する審査。

厳しさを痛感するほどに、頭の中で、
公営の定義について考えをめぐらせた。

さらなる勉強が必要、だ。

午後、県民相談。
夜、党務と動く。


2008-10-28

足あと

県民相談にて、八幡浜市へ。
ご要望を承り、しばし視察を行う。

県下のいずこでも見られる、
風光明媚な光景の中に。

少子高齢化問題も、
ワークライフバランスも、

医療再生も、景気対策も、
経済対策も、その他も。

今、政治が議論している様々な課題が、
横たわっているように、見えた。

承ったご要望の背景にある、
大きな宿題を頂いた思いで、帰途につく。


2008-10-27

足あと

午前、企業訪問。
午後・夜、党務。

合間合間で、県民相談種々。

中小企業を取り巻く深刻が、加速している。
政治の打つ手も、加速が必要だ。

その1つとして10/31からスタートする、
緊急保証制度に期待を寄せたい。


2008-10-26

足あと

第32回全国育樹祭、2日目。

9:30、愛媛県武道館にて、
記念式典が開催され出席。

愛媛らしい趣向を凝らした、数々のアトラクション。
県下各地の育樹活動の紹介。

あの、秋川雅史さんをフューチャーしての、
愛媛の歌の、演奏と合唱。

お見事、という以外、言葉が見当たらない。

そして。

参加者の胸中には、きっと、
�� LOVE 愛媛、が、こだましていたと思うし、

「森林を守り育てる活動の輪が全国に広がり、
 緑あふれる豊かな自然が、
 未来へと引き継がれていくことを願います。」

との、皇太子様のお言葉通り、
凛とし颯爽とした決意があふれていたに違いない。

と、感じさせる会場の空気に感動しながら、
私も、と思う。

末尾に。

2日間の本行事をご準備された
すべての関係者の皆様の並々ならぬご苦労に、
心より敬意と感謝を申し上げたい。

本当にありがとうございました。


2008-10-25

皇太子様、ご来臨

午後、
松山市久谷町久谷ふれあい林にて。

皇太子殿下のご来臨を賜り、
第32回全国育樹祭お手入れ行事が開催された。

愛媛県議会森林・林業・林産業活性化促進議連、
の一員として私も、末席に加わらせて頂いた。

同地にて、昭和41年。


昭和天皇・香淳皇后が臨席されお手植えされたスギが、
40数年を経て大きく育った本日、

皇太子様が肥料を散布しクワでならされる、
そのお手入れのご様子を、間近で拝見させて頂いた。

また、夜には、関係者の皆様とともに、
皇太子様との懇談会にも参加させて頂き、

私にとっては何しろ人生初の、ご皇室経験で、
あまりにも光栄な1日となった。

今回の育樹祭のテーマは、循環。

先人から世代を超えて私たちに、
そして私たちから明日へ。

森林とともに享受するいくつもの恩恵を、
きちんと引き継いでいけるよう、

その責任を感謝をもって自覚せずにはいられない、
また皆で誓い合う、貴重な1日となった。


2008-10-24

足あと

終日、市議選の応援で東温市へ。
県民相談の電話も種々お受けする。

道路交通に関するご要望、多々。


2008-10-23

足あと

終日、県民相談対応に動く中。

15:00、財政課から中期財政見通しと、
来年度当初予算の編成方針について、
レクを受ける。

向こう3年間の財源不足は、959億円、
との見通し。

毎年320億円づつ足りない計算で、
来年度当初予算編成に当たっては、

およそ考えられる収支改善を図ってなお、
100数十億円の財源が不足する状況、
とのこと。

極めて深刻な財政事情を目の当たりに。

現状を打開し突破するヒントは、おそらく、
民間の中に、生活者の中に、地域の中に、ある。

そうした英知を集め、合意形成しながら、
勇気をもって大胆な改革を推し進める、

そのために、
県政はもっと開かれた存在にならねばならないし、

自身に置き換えたとき、
その努力の余地の大きさを痛感するばかり、だ。

腹をきめて、勉強と実践の毎日を、と決意する。


2008-10-22

足あと

午前・午後、市議選の応援で東温市へ。
夜、松山市内の支持者宅訪問、10数軒。

あいにくの雨の中ではあったが、
今日も、かけがえのない出会いの数々。

その中で、
他市から転入された方にお会いした。

行政サービスの種類とレベルの違いをご指摘頂く。

それぞれの自治体の財政事情はあるにせよ、
私の心には、深く刺さるできごとであった。

生活者満足度を目的とした、自治体間の競争。

そういう時代に入ったと思うし、換言すると今は、
そういう政治が選択される時代なのだ、と思う。

支持され選択されるのは、政治の自己責任。

その思いで、県民の皆様のもとへ、生活現場へ、
足を運び、耳を傾け続ける毎日でありたい。


2008-10-21

足あと

日中、企業訪問、病院お見舞いなど。
夜、松山市内の支持者宅訪問、約30軒。

懐かしいお1人お1人との再会に、
元気と勇気を頂く。

行動をもって、感謝に代えさせて頂こう、
と、思う。

ありがたい、
と思うのみである。


2008-10-20

足あと

午前、県民相談各種。
午後・夜、党務。

1年前の、今日。

庶民の皆様との赤裸々な関係、
そして虚心坦懐のひと時を、どれだけ持てるか。

生活課題の、
机上ではない、実像の解決の糸口は、必ずそこにある。

と、ブログに綴っている。

色あせず。

今日もその思いでいられることに、
その思いで動けることに、感謝したいと思う。


2008-10-19

足あと

東温市議選・市長選の、告示日。
早朝より午前いっぱい、候補支援のため東温市へ。

午後、松山市内で開催された
��LSに関する講演会に出席。

��LSとは、
日本語名で「筋委縮性側索硬化症」といい、

全身の運動神経が侵されて
筋肉が委縮していく、進行性の、難病だ。

一般に40~60歳代を中心に、10万人に2~6人の割合で発症し、
全国に約7,000人の患者がいるといわれている。

あの、米大リーグの往年の名プレーヤー、
ルー・ゲーリック選手もこの難病で倒れ、

天才宇宙物理学者ホーキング博士も、
30年以上にわたりこの病と闘っておられるとのこと。

現時点では残念ながら、
原因究明と治療法は確立されていないが、

医療や介護技術や機器などの進歩を、あきらめない。
周囲の理解と適切なサポートの拡大を、あきらめない。

そして、

長期療養と地域生活を、
温かくたくましく支え合う中で、

��LSの原因究明と治療法の開発を待つ、
というより勝ち取るんだ、

という強い意志が、

当事者とご家族お1人お1人のお話に、
ご参加の皆様に、会場全体に、あふれていた。

会合の主催は、
日本ALS協会愛媛県支部設立準備会であった。

その発足を心から祝福するとともに、
��LSを始め、全ての難病患者とご家族に対して、

政治が果たすべき役割の大きさを痛感し、
及ばずともお役に立ってまいりたい、と決意する。


2008-10-18

足あと

日中、支持者訪問へ。
夜、松山市内の座談会へ。

公明党が推進する政策について、
誠実を期し、お訴えさせて頂いた。

マスコミではよく、何のための政策、
ということがいわれるが、

それならもう少しつっこんで、
5W1Hで検証されるべき、だろう。

いわゆる、

誰が、なぜ、何を、いつ、どこで、どのように、
であり、

最近ではこれに加えて、
誰に、いくらで、という6W2Hという説も、ある。

が、いずれにしても。

それに照らした形で、私なりの精一杯の
お訴えをさせて頂いたのだが。

あらためて。

政治の力を信じて、
それを私たち公明党に託して。

いつも温かなご支援を頂く皆様方に、
感謝が尽きない。

励ましの風を送ろうとして、
いつも励まされるのは、私のほうであって。

そんな皆様にお応えできるよう。

あせらずにスピードをもって、
力をつけてまいりたい、と思う。


2008-10-17

足あと

日中、県民相談。
夜、松山市内の支持者座談会へ。

日々の足あとを綴ると、毎日同じような、
と、お感じになられるかもしれないけれど。

1日として同じ日は、なく。

人間に例えると、
今日1日、の姿や顔カタチは毎日、異なる。

そういう意味で、この日は、
私にとってどんな顔だったかというと、

青年力、あるいは、そのプレゼンス、
を見せつけられた1日だったなぁ、と思う。

青年、バンザイ、である。

ベタな表現かもしれないが、兎に角ものすごく、
明るい気持ちにさせられた。

今、目の前にある政治課題を。

彼ら彼女らとともに考え、議論し、
解決へのアプローチができないか。

そこに向けて、
ゆらぎを起こし流れを創り、広げ、

気づけば主役の地位を占める、
といった状況を築けないか。

オバマ氏にあらずとも、答えは、
“できるはず”。

今日の彼ら彼女らと接する中で、
そう思わずにはいられなかった。

それはそのまま、
私への明確な宿題、と受け止めさせて頂き、

そのための準備を、怠らず進めてまいりたい、
と、強く決意させられた1日となった。


2008-10-16

足あと

午前、砥部町と東温市へ。
午後、県庁内で部局折衝。

夜は、松山市内の支持者座談会へ。

懐かしいお顔に囲まれ、
和やかな空気に包まれ、

感謝が込み上げ、恐縮と交錯する。

貴重なお時間を頂いて。

公明党の現在の取り組みについて、
つたなくも精いっぱいお訴えし、

そして、
種々の質疑とご要望を、承った。

しっかりと受け止めて、明日もまた。

その実現に向け、微力ながらも全力で、
前進してまいりたい。


2008-10-15

足あと

日中、党務・県民相談など。
夜、松山市内の支持者訪問。

この日も、約30軒。

お久しぶりです、と、
会話を弾ませながら、ふと。

脳裏に浮かんだのは、
ゆく河の流れはたえずして、である。

1回1回、お1人お1人。

そのどれもが、かけがえのない一瞬、
であることに気づく。

そして。

そうであればこそ、常にそこに、
感謝を感じられる自身であり続けたい、

と、誓うのみ、だ。


2008-10-14

足あと

日中、党務。
夜、松山市内の支持者訪問。

対話を重ねながら、約30軒。

お訪ねした1軒1軒それぞれに、
生活があり、暮らしの息づかい、がある。

机上では決して見ることのできない、
理屈抜き、の、肌で感じる世界がある。


政治は、この生活現場から出発し、
常に、そこを目的としなければならない。

という当たり前を、
あらためて実感するとともに、五体に刻んで。

行く先々で頂いた皆様のご激励に、
お応えしてまいりたい、と思う。


2008-10-13

足あと

早朝より終日、
久万高原町にて街頭遊説。

走っても走っても広い、町内を13か所。

地元党員の皆様とともにお訴えしたのは、
定額減税を柱とする緊急経済対策について。

県民の皆様との日々の対話と、
県下を回りながらの街頭遊説と。

山を越え、坂を上り、
町を縫いながら走るその道は、地道、という道。

迷わず行けよ、だ。
今日も、あしたも。


2008-10-12

体育祭と、党県本部大会の日に

AM9:00。

地元地域の体育祭に初めてお招きを頂き、出席。
お声をかけてくださった皆様に感謝、である。

来賓紹介などの後、老若男女の皆様といっしょに、
元気いっぱい、ラジオ体操を行った。

30数年ぶり、なのに。

体が覚えているとはこういうことだよな、

と、少し得意げに、
跳ねたり曲げたり伸びたりしていると。

父ちゃんは一体いつの間に覚えたんだろ、
と、息子が不思議そうな顔をしていた。

ふふふ、である。

小学生の頃、夏休みに欠かさず運動場に通った成果、
なのである。

そして。

当時、欠かさず通うことができたのは、

ラジオ体操カードの日付欄に、
もれなくハンコを押して欲しいから、

だったことを振り返ると、
要は、ハンコのおかげなのである。

と。
終了後、軽いふらつきを覚えながら、思うのであった。

ともあれ、
地域の老若男女が一堂に会して。

和気あいあいと、ほのぼのと。
スポーツの秋を満喫される皆様の光景に、

現在の政治が忘れかけている大事なものを、
あらためて発見する思いが、した。

それは、つなげる力。

国と地方、都市と農村、学校と家庭、あるいは。
親と子、教師と生徒、仲間と他人、あるいは。

勝ち組と負け組、
正社員と非正規社員もしくはワーキングプア、など。

私たちの周囲を見渡すと、あらゆるものが分断され、
格差のもとに離反し対立されつつある中で、

政治は、それらをつなぐ力、を取り戻さねばならないし、
つなげる力、を今こそ発揮しなければならない、のだ。

その力は心にこそあり、
感性こそその力、といってよい。

目の前のグラウンドで繰り広げられる、
老若男女の笑顔と歓声に、そう思った。

その後、

午後にかけて議員総会、党県本部大会、
と、この日は党務が続いた。

約3,200名のご参集を頂いた大会は、熱気に満ち溢れ、
来る衆院選に向け、最高の出発とさせて頂くことができた。

その有難さとともに、今日からの私のなすべきに全力、
を、深く決意させて頂いた1日となった。

お忙しい中を。

県下から駆けつけてくださった皆様と関係各位に
あらためて、心より感謝申し上げたい。

本日は、誠にありがとうございました。

��写真は、党県本部大会のシュプレヒコール風景。)


2008-10-11

足あと

午前、市内にて支持者訪問。
午後、あさっての遊説原稿作成。

夜、市内にて支持者訪問。

朝は田園、夜は都会。
市内といっても広い、のである。

そして、
それぞれの生活に、それぞれの課題あり、
なのだ。

終日、
皆様からじっくりとお話をお伺いしながら。

県下の隅々まで足を運び、
目の前のお1人に、

耳と心を傾ける自身であり続けたい、
と、深く決意させて頂く。


2008-10-10

足あと

午前、県民相談。
午後・夜と、東温市にて党務。

その後、党県本部にて、
あさって行われる時局講演会の
最終打ち合わせに参加。

深く、考えさせられる。


2008-10-09

足あと

9月議会、閉会日。

それは、提出議案等の採決の日、でもあるが、
いいようのないハプニングがあった。

「過疎地域自立促進特別措置法の失効に伴う
新たな法律の制定を求める意見書」に対して、

賛成・反対の各討論が行われた後、である。

その反対討論を行った議員が、
採決の際、間違って起立してしまい、
結果的に、全会一致で賛成となった、のである。

ふーむ。
自身への戒めとして、深く心に留めておきたい。

午後、企業訪問。
夜は、支持者宅にて政治学習会。

多くの方々にお集まり頂き、感謝、である。

精一杯お訴させて頂いたものの、
知見の浅さと演説の未熟さを、痛感した。

もっと勉強せい、である。
反省、が先に立つ1日となった。


2008-10-08

足あと

午前、西予市にて。
午後、松山市内を。

終日にわたって、企業訪問を行った。

規模もいろいろ、業種もいろいろ。

県下の企業が抱える課題やご要望は、
実際に足を運んで感じなければ、わからない、

ということを、
あらためて学ばせて頂いた1日となった。


2008-10-07

足あと

午前、県民相談。

午後、東温市にて党務のあと、
松山市内に移動し、企業訪問。

夜は、他県市議との情報交換会。


2008-10-06

足あと

午後・午後にわたり、常任委員会。
終了後、企業訪問にて西予市を訪問。
夜、関係者との情報交換会。


2008-10-05

足あと

午前、市内にて
政治学習会に出席。

雨天にもかかわらず、
多くの支持者の皆様にご参集頂く。

精一杯の感謝の思いで、
私たち公明党の政策と決意をお訴えする。

その後、支持者訪問。

午後は、愛媛がん患者・家族会である、
「おれんじの会」の第6回例会に、参加。

島根がんケアサロン代表である、
納賀良一さんの講演に注目した。

タイトルは、
「がん対策先進地・島根県の取り組みに学ぶ」。

目からうろこ、といえばありきたりか。

患者が変われば医療は変わる、
医療が変われば地域が変わる。

この信念を貫いて、島根県を
がん対策先進地に、変えられた方なのである。

ご自身の体験に基づく講演を拝聴しながら。

頂いた宿題は、あまりにも大きくて、重い。

けれど。
島根にできて愛媛にできないはずは、ない。

と、心を強気に切り替えた。

9月議会の一般質問で私は、
本県にもがん対策条例の制定を、と訴えたが、

その実現に向けた取り組みは、
あらためて今日から、なのである。

ご案内を頂いた松本様はじめ、
おれんじの会の皆様に、心より感謝申し上げたい。


2008-10-04

足あと

午前、娘の運動会。

いたいけな園児たちの一挙手一投足を、
目を細めながら、鑑賞。心が洗われる。

とともに。

それぞれのご父兄の若々しさに、脱帽。
明らかに私より1世代、若い。

思わず視察然と、理事長の隣りで、
教育行政についてお話をお伺いする。

まっさらな可能性にあふれた
目の前の園児たちの未来のために、

今なすべきこと、私がなさねばならないこと、
を思う。

午後、衆院対策。
夜、通夜に駆けつけさせて頂く。


2008-10-03

足あと

午前、常任委員会。

国の方針により、本年度から、
すべての教育委員会において、

第三者である学識経験者により、
実施事業の点検・評価を行うこととなったが、


本日の委員会では、
平成19年度分事業の評価報告が行われた。

1つ1つの事業にかなり詳細な総括がなされており、
それ自体は感心するが、

教育委員によるチェックと議会チェックと、
今回の第三者チェックの整合性について、
腑に落ちず、問うてみた。

今年度から始まった取り組みとはいえ、
国に対するエクスキューズで終わらないよう、

��DCサイクルがきちんと回るしくみを、
委員会の一員として構築してまいりたい。

午後、企業訪問。
夜は、地元あいさつ回り。


2008-10-02

足あと

終日、企業訪問。
夜、支持者会合に参加させて頂く。

世間的にも衆議院解散モードが高まる中、
多くの有権者のインサイトは、どうだろう。

ということを深く考えさせられた。

政権選択といわれる次期衆院選は、
まさしく、政権交代を問う選挙、でもある。

ということは。

有権者の皆様にとって、
今までになく、また今まで以上に、
大いに迷う、選挙となるであろう。

そして。

最終的な決め手になるものは、
政策、になってこよう。

生活者を代弁する政党として、
負けられない戦いが、始まろうとしている。

心がピンと張りつめる1日となった。


2008-10-01

足あと

午前、地元あいさつ回り。
午後、部局訪問。

谷口芳史・今治市議とともに、原爆症認定に関する確認を行う。
ご承知のとおり、同認定基準は、本年4月より大幅に緩和されたが、

(ご参照⇒ http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/23.html )

被爆者の方々が、お1人でも多く救済されるには、
周知と運用レベルの積極的な取り組みが重要だ。

地方議員として、隅々までしっかりと、心配りを行ってまいりたい。

その後、県民相談。
夜は、支持者会合にてご挨拶を行う。


2008-09-30

足あと

終日、企業訪問。
夜、青年グループ懇談会に出席。

まっすぐで、ひたむきで。
疑いなく、恐れなく。

ふと。
青年の力によって為された明治維新を、思う。

翻って、維新を必要とする、日本の今。
結集すべきは、青年の力、だ。

自身の中の青年が、猛烈に喚起され、
そして大いなる希望を見出した、ひと時。

青年とともに、青年のために、1日、1日。

私にできることを、全力投球してまいりたい。


2008-09-29

足あと

一般質問、最終日。

午前は、戒能議員(自民)・野口議員(社民)。
午後は、今議会の大トリ、赤松議員(自民)。

夕方から、果樹を語る会に出席。

今回は、県・JA関係者に加えて、
生産者の皆様にご出席を頂いた。

現場からのご要望を生でお伺いする、
きわめて貴重なひと時となった。

まさに、課題は山積、
ということを、具体的に実感する。

果樹農業振興議連の一員として、
今後いっそうの精進を、と決意する。


2008-09-28

足あと

午前、党務。
午後、県民相談。

夜、市内にて支持者宅訪問。
30軒は歩いたか。

小雨降る中、ご同行を頂いた皆様に、
心より感謝申し上げたい。

訪問の先々でご激励を頂いた皆様にも、
心より感謝申し上げたい。

そして。

私は何のために働くか、について、
決意を新たにしたい。


2008-09-27

日本再生のキーワードは、ネットワーク

光陰矢のごとく、怒涛の毎日。
あまりにも、めまぐるしい日々が続く。

10月中旬となった今、活動の足跡だけは、
との思いで振り返り、綴ってまいりたい。

9/27の今日は、午後、
平成20年度えひめ若者サポートフォーラム、に参加した。

テーマは、
「今、若者の自立支援に求められるネットワークとは」。


サブテーマは、
��ニート・引きこもり・発達障がいの若者が社会とつながるために~。

これは、まさに昨日、
私が一般質問で取り上げさせて頂いたテーマに他ならない。

興味津津、だ。

第1部の、基調講演。

講師は、法政大学・樋口明彦准教授。
37歳というから、大きな目で見ると、私と同年代である。

「若者自立支援における社会的ネットワークの役割」
と題したプレゼンテーションは実に、共感大、であった。

最大のポイントは、
わが国の若者に対する社会保障がいかに脆弱か、ということと、

それら多くの若者サポート制度が、若者の実態に即していない、
あるいはニーズに立脚していないため、十分に機能できていない、
ということであったろう。

然り、と思ったし、

同年代だからこそ共感できる、このデリケートで重要な問題を、
私たちの世代が先頭に立って取り組んでいかねばならない、

自立が困難な若者のために、政も学も官も民も分野を超えて、
まさに社会的ネットワークを構築し、機能させなければならない、

と、決意した。

第2部は、シンポジウム。

「協働で拓け!若者自立支援」
��face to faceのさらなるネットワーク構築へ向けて~、
をテーマに、

えひめ若者サポートステーション・加藤敏美氏のコーディネートで、
樋口准教授と6名のパネラーによるディスカッションが行われた。

書ききれないほどの感想の中で、
私が最も印象に残ったのは、若者代表のパネラーKさんであった。

発達障がいを抱えながら生きる立場から、今の社会を見たとき、
個人の努力ではどうしようもない困難がある、とKさんは、いう。

発達障がいの方を支える医療は、ある。
福祉も、ある。就労支援も、ある。

けれど、どれも、つながっていない。

支えるためにあるのに支えられていない現実、のパラドックス。
��さんの体験に基づく一言ひとことに、私は心を揺さぶられた。

今日のフォーラムは、
若者の自立支援がテーマであったが、

そのキーワードとなる“ネットワーク”は、おそらく、
日本再生のキーワードなんだ、と気づかされた。

国家も、地域社会も、家族も。
コミュニティーの喪失と崩壊が指摘される現代にあって、

そこにできてしまった、あらゆる分断をつなげることこそ、
解決の根本であらねばならない、のだ。

そして、その責任と義務が、政治にはある、
と思うと、自身さらなる精進を、と思うばかりである。

貴重で有意義な本フォーラムに、
そして関係者の皆様に、心より感謝したいし、

こうした活動がさらに広がり、高まり、実りをもたらせるよう、
微力ながら尽力してまいりたい、と思う。

��写真は、樋口明彦・法政大学准教授の講演風景。)


2008-09-26

代弁する戦いと、実現する戦いと

一般質問、3日目。
私にとって4回目の登壇、の日。

前回2月議会は高熱をおして、
であったが、

今回は、体調よし、気合いよし。

議長指名を受け、
健康のありがたさをしみじみと噛みしめながら、
登壇席へと向かった。

以前、
今回の質問はすべてブログネタから、と綴った通り、

壇上で一礼の後、

この間の議員活動の集大成として、
30分の真剣勝負に、臨んだ。

質問は、大きく分けて、5つ。

1つ目は、南予地域の水産業について。

8/1( http://homare.i-yoblog.com/e101490.html )と、
8/2( http://homare.i-yoblog.com/e101545.html )の、
本ブログにて綴った思いを、仮説とともに提示させて頂いた。

高浜副知事の答弁に意を強くするとともに、
諸先輩のお力をお借りしながら更なる前進を、と決意する。

2つ目は、若者の自立について。

3/6( http://homare.i-yoblog.com/e72938.html )、
6/29( http://homare.i-yoblog.com/e95208.html )、
7/21( http://homare.i-yoblog.com/e99526.html )、
8/24( http://homare.i-yoblog.com/e106637.html )、
のそれぞれで受け止めた当事者の思いを、代弁させて頂いた。

当事者ご家族と、この国の次世代のために、
事態の前進と解決に向けて、今後もより一層、取り組んでまいりたい。

3つ目は、がん対策について。

7/14( http://homare.i-yoblog.com/e98183.html )の決意を、
“おれんじの会”をはじめ、患者とご家族の皆様に届けと、お訴えする。

愛媛を、がん対策の先進県に。
その戦いは、いよいよこれから、と気が引き締まった。

4つ目は、離島・過疎地域対策について。

4/24( http://homare.i-yoblog.com/e83813.html )、
5/2( http://homare.i-yoblog.com/e85447.html )、
7/26( http://homare.i-yoblog.com/e101075.html )、
8/5( http://homare.i-yoblog.com/e102581.html )、
8/10( http://homare.i-yoblog.com/e105007.html )、
8/20( http://homare.i-yoblog.com/e105951.html )、
と、実に多くの、離島の皆様とお会いさせて頂いた、と思う。

私も、因島生まれ伯方島育ちの、島っ子。

肌身で感じた、県下に広がる地域格差を、何としても克服すべし、
と心の底から、皆様の思いを代弁させて頂いた。

5つめは、公益法人制度改革について。

4/3( http://homare.i-yoblog.com/e80642.html )に綴った、
“これを突破口に、さらなる政治改革と、政治の信頼回復を”、

そして、

“それを皆様から評価頂けるものにできるかどうかは、
私たちの仕事であり、これからだ”、

との決意を込め、お訴えした。

そんな今日の質問の詳細と理事者答弁については、
県議会の会議録がアップ次第、ご案内させて頂きたい。

それにしても30分は、あっという間、である。
登壇を終え、ほっとする間もなく。

県民の皆様からのご期待と、
自身の責任の重さに思いをはせながら、

精一杯、皆様を代弁させて頂く今回の戦いは、終わった。
そして今、この瞬間からは、その思いを実現させる戦い、だ。

と、あらためて、ググッと。
身も心も、引き締まるのであった。


2008-09-25

議会活動と議員活動の、見える化

一般質問、2日目。

今日の登壇者は、
白石議員(自民)、佐々木議員(共産)、福羅議員(自民)、
の、お3方。

大変勉強になった、
と言ってしまえばそれまでだが、

自身の中のどこか議員スキルが開発されるというか、
議員として大事な視点の持ち方を教わるというか、

お3方それぞれから大いなる触発を頂き、感謝したい、
と思う。

と、ふと。

こうした本会議での、議員と理事者との質疑を、

どのくらいの県民の皆様が、
ごらんになられているのだろう、と思った。

ちなみに私に関して言えば、
議員になるまで、見たことがなかったのだが、

あまり興味がなかったから見なかったのか、
見ないからあまり興味がわかなかったのか、

どっちだろう、

たぶん、どっちもだ、

と気づく。

官民問わず、説明責任が重視される時代にあって、
この部分、大事なポイント、だ。

劇的に、これからは。

議会活動も、議員活動も、
皆様に、より見える形に変えていかねばならないし、

生活者からすれば、
見えて初めて気づくこともあるし、関心もそこに生まれ、

すると、

それぞれに賛否や是非など、私はこう思う、こうしたい、
といった意見がより鮮明になるだろうし、

その結果、選挙を始めとした政治参加という行動に、
つながり、広がる、と思うと。

広告会社出身の私としては、
そうした議会活動と議員活動の“見える化”を、

重要なライフワークの1つとして
積極的に取り組んでまいらねば、と思う。

その夜は。

市内の支持者宅を、時間の許す限りお伺いさせて頂き、
さまざまなご意見と、たくさんのお励ましを頂いた。

皆様への感謝の気持ちを込めて、
明日、一般質問に、立ちたい。

��写真は、車のバックミラーに映る、市内の夕暮れ。)


2008-09-24

カベは内側から破れ、ということ

9月議会は、今日から一般質問。

会派を問わず、

すべての登壇者と理事者から、
貪欲に学ばせて頂こう、と思う。

さて、昨日の党大会を受け、さっそく、
歩きに歩き、語りに語った1日となった。


その中で。

とりわけ心に残る出来事となったのは、
砥部町の、とある壮年の方とのエピソード。

支持者から、その方の相談にのってあげて、
とご紹介を頂き、本会議終了後、お伺いした。

個人情報のため、詳細は綴れないけれど。

直接お会いするということが、いかに大事か、
ということと、

カベは常に自身の内側にあるのであり、
だから必ず内側からしか破れない、

ということが、
何だかスーッと腑に落ちた、面談となった。

得難い、貴重な経験。
こうしたご縁に、心より感謝申し上げたい。

もう1つは、夜の久万高原町。
今日は、月に1度の党員会。

思えば、すっかり陽が落ちるのが早くなり、
肌寒ささえ感じるようになったこの頃だが、

ふと、

この町の、四季の移ろいを味わうのも、
もう2度目、ということに、気づく。

同町の四季が織りなす、
景色と、空気と、音色の変化を、

支持者の皆様との
思い出とともに過ごさせて頂いたな、

と、迎える3度目の秋に。

議員として少しでも、
皆様に収穫と実りがもたらせるよう、

さらにさらなる精進を、と心に誓った。

そんな今日の党員会は。

昨日の全国大会の熱気を移した形で、
政策学習に、質疑応答に、盛り上がった。

ご多繁の中を多数ご参集頂いた皆様に、
ともに勝利をめざし戦ってくださる皆様に、

ただただ、感謝が、込み上げてきた。
私がなすべき、自身の戦いを、決意した。

まずは、あさって。

4回目の登壇となる一般質問において、
庶民の皆様を代表する思いで、全力投球、だ。

��写真は、昨日、東京で見た、うろこ雲。)


2008-09-23

持ち帰るべきは、その1点

第7回公明党全国大会が、
本日、都内にて開催された。

僭越ながら、先輩議員諸氏とともに、
愛媛を代表して参加させて頂いたが、

まずは、

このような機会を与えられたことに、
心から感謝したいし、だからこそ、

この、会場全体にみなぎる戦う気概を、
全身で吸い込み、心に染みわたらせるぞ、

との思いで、臨ませて頂いた。

約3時間の大会であったが、
休憩を除けば、あっという間、であり、

時間の経つのを忘れて、私がしびれたのは、

太田代表の、
次期衆院選勝利への執念、であった。

断じて、勝つ!
何が何でも、勝つ!

との、獅子吼に、である。

たとえ負けたとしても、
がんばったんだから、

というのは、
こと選挙においては通用しない、のだ。

それは、

有権者から不要と判断されることであり、
主張する価値が認められない、に等しい。

しかし、そもそも、と太田代表は、いう。

公明党は、何のために、誰のために結成されたのか、
というと、それは、庶民のためであり、

庶民の汗と涙のわかる政党・政治家はいないのか、

との民衆の叫びが湧きあがる中で誕生したのが、
私たち公明党だ、と。

その、立党の原点を全身で訴えられた瞬間、
私の中に、衝撃が走った。

庶民の私たちの声を託せるのは、
あなたたちしかいない。

そう信じて、私たちの勝利を待ってくださる、
たくさんの顔が次々と浮かんできたからだ。

負けられない。

私が今日持ち帰るべきは、その1点、だ。

庶民の皆様の気持ちをつかみ、
それを生活に実現する戦いは、

つまるところ、自分との戦い、と決め、
今日から、勇躍前進してまいりたい。

��S
貴重な機会を頂き、
関係者の皆様に重ねて御礼申し上げます。

��写真は、ご来賓の麻生太郎自民党総裁と太田代表他。)


2008-09-22

私たちの、永遠のレゾンデートル

今日最大の関心事、
かどうかは人によるけれど、

少なくとも、
今日最大の全国ニュースは、

自民党総裁選挙の投開票結果、
であろう。

本会議終了後。
生中継が伝えるテレビでは。

自民党両院議員総会の選挙が、
まさに行われようとするところであった。

結果は、下馬評通り、
麻生氏が351票を集め、圧勝となった。

県議会でも、地元メディアが競うように、
各会派の代表コメントを取材していた。

居場所をなくした私は、ひとり車に避難し、
ワンセグTVで、麻生氏の演説を聞いていた。

冒頭。

全国を遊説する中で最も痛感したのは、
地方の深刻な不景気であり、そうした現状と、

老後を含む将来不安を解消できない政治、
に対する不満である、とし、

それに応えるのが、私の使命、とのこと。

その通り、であろう。
地方票の95%を獲得したことが、その証左、だ。

問題はどう応えるか、であり、
その道筋を示した上で、

本当に応えられるかどうかを判断するのは、
今度は、国民の皆様、である。

つまり、次期衆院選、だ。
そして、ここから本題、だが。

私たち公明党は、
そもそも2大政党の狭間で、生まれた政党である。

古典的表現になるが、
55年体制による片や資本階級と、片や労組階級、

そのどちらにも属さない、無名の、
政治的にほとんど無力ともいうべき庶民の、

声と思いを代弁する政党はないのか、
という叫びの中に、私たちは、生まれた。

ゆえに、大衆とともに、こそ、立党の原点であり、
私たちの、永遠のレゾンデートル、なのだ。

次期衆院選は私たちにとって、
奇しくも現在の2大政党の中で、

そこをこそ皆様に問う戦い、
と私は思っている。

庶民と、庶民の思いがわかる議員による、
庶民のための政治、の実現のために。

断じて、負けるわけにはいかない、
と、たぎる決意を胸に。

明日の公明党全国大会に向けて、
夕方、松山空港を発った。

��写真は、久しぶりの国会議事堂。政局の雲行きをあらわす、曇天。)


2008-09-21

降ったり止んだり、でも遊説中はピタリ止み

目覚めると、
窓の外は、雨。

まずい。
今日は、公明党まちかど遊説の日なのに、

という気持ちと、

いや、渇水懸念を考えると恵みの雨だ、ありがたい、
という気持ちが、


心の中で複雑に絡みあいながらの早朝、
ひとり、遊説カーを走らせた。

遊説の初っ端は、AM10:00、北条だ。

集合予定地で、
公明党・松山市議の丹生谷道孝議員、藤本公子議員、

そして昨日に引き続いて、
石田祝稔衆院議員と合流したものの、横殴りの、雨。

これは中止もやむを得ないか、
との弱気もあったが、

いや、支持者の方が待たれているかもしれません、
ひとまず現地に行ってから判断しましょう、
と、私たちは強気で、車を走らせた。

すると。

雨脚はだんだん弱くなり、遊説を始めると、すっかり雨が止み。
誰の行いがよかったのだろう、と一同、顔を見合わせた。

それは、そんな豪雨の中を駆けつけてお待ちくださった、
支持者の皆様のおかげであって。

二重三重に、感謝が込み上げてくるのであった。

その後、降ったり止んだりの雨模様は、
しかし、不思議と、行く先々の遊説中はピタリ止み。

天にも感謝、の1日となった。

かくして、松山市内を、6か所。

途中、松山市議の豊田議員、雲峰議員とも合流し、
意気も軒昂に、それぞれが、お訴えをさせて頂いたのだが、

その行く先々で、お集まりくださった支持者の皆様に、
また、居合わせ、出会ったすべての皆様にも、感謝したい。

そして、お約束したい。
ここでお訴えしたことは、すべて私たちの覚悟であることを。

夕方、まちかど遊説が無事終了、解散となった私は、
そのまま、県民相談、支持者訪問に市内を走った。

よかった、助かった、ありがとう、がんばれ、
と、それぞれの方から、お声を頂戴した。

なんとも、なんとも、である。
議員として働かせて頂いて、これくらい有難いことは、ない。

私たちの仕事のすべては、その一言を頂くために、である。

21:00、本日の戦い、終了。
昨日にも増して、ハードな1日であった。

さて、明日は、議会代表質問2日目。

登壇者は、社民の村上要議員と、わが会派の豊田康志議員、だ。
しっかり勉強させて頂きたい、と思う。

議会終了後はそのまま、
公明党全国大会出席のため、笹岡議員とともに上京し、

庶民の生活を守る政治の実現に向けて、

戦う息吹を吸い込んで、
勝利への情熱をチャージして、帰ってくる予定、だ。

その内容は、
許せる限り本ブログにて、後日ご報告させて頂きたい。

それにしても、今日の雨。

ダム貯水率を改善させてくれただろうか、
頼むよ、と祈りつつ、

今日もバタンキュー、な1日となった。

��写真左から私、と石田農水副大臣。2日連続同行させて頂き感謝、です。)


2008-09-20

宇和島で、松山で、語りに語った1日

台風13号は、無事通過。

私たち愛媛県民の都合、
というか願望でいえば。

被害を出さない程度の接近で、
各地のダムを少し潤した後、通過してほしかった。

石手川ダムの場合、貯水率40%、
と、通過前に比べて殆ど変化なし、なのだから。

とはいえ、これはこれで、被害なしで結果よし、
というべきなのであろう。

そんな、台風通過により澄み切った午前、
宇和島に向けて、自宅を出発。

それにしても、その約90㎞。

この1年半、何度となく通っていると、
さほどに感じなくなるから、不思議。

ほどなく、市内に入ると。
辻という辻に、目にも賑やかな、各予定候補のポスター群。

しかも、前回訪問した3週間前に比べて、
その枚数が、格段に増えている。

貼り出された方々の必死さが、伝わってくるとともに、
宇和島では、衆院選はすでに始まっている、ことを知る。

13:00、宇和島市役所、着。

ここで、地元松本孔・宇和島市議会議員、
衆議院議員・石田祝稔農林水産副大臣、と合流し、
地元水産業関係者の表敬と視察に向かった。

最初に訪れたのは、JF宇和島漁協様。

平井組合長をはじめ、幹部職員の皆様と面談を行い、
農水行政に関する様々なご要望を頂いた。

石田副大臣と漁協幹部各位との対話をお聞きしながら、
自分なりに様々な所感を持ったのであるが、

その前に、
農水行政に関する自身の知見を蓄えるのが先でしょ、

と、胸の内で、一人つっこみするのが精一杯、であった。

続いて、株式会社ヨンキュウ様を訪ねた。

こちらでも、笠岡会長様はじめボードメンバーの皆様から、
同業界を取り巻く諸課題について、お話をお伺いした。

それらの課題に通底するものは、まさに、
今議会で私が取り上げる質問の1つに、直結していた。

さすが、ジャスダック上場企業だ、な。

南予地域、ひいては愛媛の活性化、の糸口について、
大変意を強く、させて頂いた。

機会があればぜひ、儲ける漁業とは何か、
について対話を重ね、深めさせて頂きたい、と思う。

さて、その後。

私たちは南予文化会館前に移動し、
地元宇和島市議・愛南町議揃い踏みで、街頭遊説を行った。

路上には、すでに、たくさんの人だかり。

私もマイクを握らせて頂き、
この瞬間が真剣勝負、の思いで力いっぱい、

日頃の皆様の、
真心からのご支援に対する感謝と、

この間の、
私たち公明党の取り組みのご報告と、

来たる決戦大勝利に向けた自身の決意を、
お訴えさせて頂いた。

お忙しい中、
しかも日差しの厳しい時間帯にも関わらず、

ご参集頂いた支持者の皆様、
ご通行・お車の皆様ほか、

見守ってくださった全ての皆様に、
感謝を申し上げたい。

街頭遊説後は、急いで松山へ引き返し、
支持者座談会を2会場訪れ、

昼間の遊説さながら、
語りに、語りに、語らせて頂いた。

その終了後は、
座談会の2次会ともいうべき、膝詰対話。

真剣勝負、は延々と、続く。

かくして帰宅後は、文字通り、バタンキュー。

今日は、完全燃焼、
と自分に言ってあげてよいかも、なのであった。

��写真左から、公明党・石田農水副大臣、私、松本孔宇和島市議。)


2008-09-19

議員は、働け、働け、そして、働け

議会では、
今日から、論戦スタート。

代表質問の初日は、
寺井 修議員(自民)・横山博幸議員(民主)の、
お二方。

それぞれの会派を代表して、
の角度は、なるほど、であった。

詳細は、明日の地元紙に譲りたい。

議会終了後は、今週から日課のように、だが、
市内の支持者宅をご訪問させて頂いた。

夜は、同じく市内にて、
支持者座談会に参加させて頂く。

お久しぶりの皆様に、
ありったけの、感謝と御礼を申し上げさせて頂いた。

皆様の、日頃の献身的なご支援を思えば、
議員として、働け、働け、働け、である。

その皆様にお応えせんがための、
この1年半の自身のこと、

目前に迫った衆院選に向け、
公明党が掲げる政策のこと、

拙さは百も承知で、熱さと勢いだけで、
語りに語り、お訴えをさせて頂いた。

その後の質疑というか、まさに座談、の膝詰め対話は、
これが政治のあるべき姿、とあらためて確信させて頂いた。

お忙しい中をお集まり頂いた、
皆様お1人お1人をお見送りしながら、また、玄関先で、
数々のお励ましとご要望を、頂く。

なんと有難いことだろう、
そして、さらに働こう、働かねば、と思った。

そんな充実の思いを胸に、帰宅途中の21:30。

ふと見上げると、おぼろ月夜が浮かんでいた。
月よ、おまえも。

と、瞬間、心に、
昼間のあるシーンが浮かんだ。

そんなときは、木村さん、な。

と、かつて私が大変お世話になった
人生の大先輩、浅見社長その方が、

いつもひきあいに出された一節、を思う。

「 苦しいこともあるだろう。
 云いたいこともあるだろう。

 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。

 泣きたいこともあるだろう。
 これらをじつと、こらえてゆくのが男の修行である。 」

いうまでも、ない。
山本五十六連合艦隊司令長官の、語録である。

それは、温故知新。

まだ新人の域を出ない、駆け出し議員として、
さらには人間として、

まだまだ修行が足りないし、
本当の修行はこれからなのだ、

と、深く心に刻みつけるように、何度も、読む。

さあ、明日は。

宇和島で、取って返して、松山で、
皆様のために、働け、働け、働け、

と、初心にかえって、
議員の修行、に励んでまいりたい。


2008-09-18

その価値、プライスレス、な1日

あれれ。
アクセスカウンタが、400を超えている。

何かきっと、イレギュラーが生じたのだろう。
そんなにアクセスが急増する理由は見当たらないし。

ちなみに、アクセスカウンタというのは、
総PVといって、本ブログが何ページ見られたか、の数。

ちなみに、あの、しょこたんは、1日平均180万アクセス、
といわれ、もうほとんどメディア、といっていい。

たとえば。

四国4県紙(愛媛・高知・四国・徳島新聞)合わせて約100万部だから、
しょこたんの発信するひと言には、決して油断はできないのである。

と、話はそれたが、
私も1日平均200アクセス、を当面の目標にがんばりたい、と思う。

さて、今日の、話。

台風13号が明日、四国最接近という予報通り、
終日、じめ重たい天候であったが、そんな中、

日中は、
衆院選対策、議案調査、県民相談、党務、支持者訪問、

夜は、松山市南部の支持者座談会、
と、市内を走らせて頂いた。

座談会では、貴重なお時間を頂き、
国政から県政までの、私たち公明党の取り組みについて
お話をさせて頂いた。

日本一の支持者、の皆様である。
途中、何度も、抑えきれないほどに、込み上げてきた。

心して、さらに精進を、と思う。
もっともっとご期待にお応えしてまいらねば、と思う。

お1人お1人をお見送りした後、家路につく。

帰宅早々、1本の電話が鳴った。

とあるご婦人からのそれは、善意ではあったが、
良薬口にとっても苦し、というべき内容であった。

世の中には、予想だにしないことが、ある。

どれだけお金を払っても、教えてもらえないであろう、
それくらい貴重で、重要なご指摘であった。

あらためて、政治は、人間学、と思う。
人間は、理屈では決して納まらない。

ゆえに政治は、理屈で納まるはずがなく。

感情だったり、利害だったり、偏見だったり、変節だったり、
という現実の中で、

それでも人間を信じ、愛せる人でないと、
この世界ではきっとやっていけないと思うし、

信じても、愛してもないのに、
そんなふりをしてこの世界を渡り歩く人がいるとすると、
その人は間違いなく、ウソつき、だ。

その意味で、
帰宅後の1本の電話は、今日の私のトピックスであった。

人間学を実践するには、まだまだ未熟。
いまだ千里の1歩、という私の現在地、を確認させて頂き、

どこかのCMではないけれど、
その価値、プライスレス、

と、心より深く、感謝申し上げたい、と思う。

��写真:座談会へ向かう途中、なんだか不気味な、じめ重い日の夕焼け。)


2008-09-17

政治の奥深さと、人のまごころ、に学ぶ

この、どんより。
台風前の静けさ、か。

ぱらつく雨の中、終日、
衆院選対策にて、今治市を訪れる。

様々な関係者と情報交換をしながら、
政治の奥深さを学ぶ格好の機会となった。

夜は、支持者拡大に向けて、東温市へ。
昼間とはまた違った同市の顔、を見る思いがした。

工業団地もあるし、商業施設はますます増え、
ニュータウンとか住宅建設にも勢いを感じるけれど、

灯りの少ない、慣れない道をクネクネ進みながら、
やはり、この町の本質は、田園都市だ、と思う。

そういえば、ロハスタウンをめざす同市について、
以前、ブログに綴ったことがある。

��ご参照⇒ http://homare.i-yoblog.com/d2008-03-10.html )

その、等身大の素晴らしいコンセプトに、今も強く賛同するし、
微力ながら同市の発展に貢献できれば、と思っている。

さて。
そんな環境に住んでいるから、そうなるのか、

はたして、お会いする方、お会いする方、
本当に、

田園、のような雰囲気のお人柄の方ばかり、だ。

そんなお1人お1人との対話の中には、
今の政治に対するお怒りも、お叱りも、あった。

厳しいご指摘も、諦めにも似た嘆きも、あった。

しっかりと受け止めながら。
精一杯お訴えしながら。

ある方にはご納得を頂き、
ある方にはご納得頂けなかったけれど。

別れ際、どなたも一様に、
玄関先にてご丁寧に、見送ってくださったのである。

まごころ。

私が、田園のような、と感じたのは、それであったろう。
若い頃、まごころには、まごころ、と教わった。

お見送り頂きながら、今日お会いした皆様に、
いつか信頼と心からのご納得を頂けるように、

私は私の、結果をもってお応えできるよう、
まごころこめて精進しよう、と思った。

人は、人によって磨かれる、という。

であるがゆえに、明日もまた全力で。
人の中へ、人々の心の中へ、飛び込んでまいりたい。

��写真は、本日の石手川ダム。貯水率は、40.7%。恵みの雨を、祈る。)


2008-09-16

9月議会、初日にあたり

本日より、9月議会、始まる。

会期は、
10/9(木)までの24日間。

昨年度を約3倍近く上回る、
159億2,479万円の補正予算案をはじめ、

県政が直面する諸案件を議題として、
本会議・委員会等で審議されることに、なる。


平たくいうと。

国と県から159億円強という財源を捻出して、
県民の皆様が困っている、生活の各分野に、

これこれの施策を、これこれの予算で実行したい、
という県のプランに対し、

その是非について24日間で議論を行い、
議会として結論する、ということになる。

あまり、平たくなってない、か。

その、補正予算に対する加戸知事の考え方は、
以下をご参照されたい。

��9/9記者発表要旨⇒ http://www.pref.ehime.jp/010soumu/040zaisei/00005373040722/k2009/kaiken2009.htm )

ともかくも。

皆様からお預かりした大事な税金、である。

会派として、個人として。
1人の県民として、納税者の1人として、多面的に。

およそ県民生活の向上と満足に繋がらないものは、すべてムダである、
との視点で、しっかりと審議してまいりたい。

さて、午後からは、衆院選対策。

目から鱗が落ち、心に、火がつく。
ビシッと、気合いが入った。

選挙は、戦い、であり、勝負、なのだ。
ということを、あらためて教えて頂いた。

先日も綴った通り、選挙という戦いは、

庶民の皆様の気持ちをつかむ、戦いであり、
それを生活に実現する、戦いであり、

そのための政治改革を実現する、戦いであり、
そしてどこまでも、自分との勝負、なのだ。

午後の打ち合わせは、
そのことを、がっちり腹入れする貴重な時間となった。

夜は、支持者の皆様から続けざまに、お電話を頂戴した。

“今度、こちらの地域に来てほしいんですけど、
都合がいい日は、いつですか?”

“あの人と一度会って、お話してほしいんだけど?”

ハイっ、喜んで参上いたします。
と、いっぺんに、5つのアポを頂いたのであった。

何度も綴るが、それは議員冥利に尽きるのであって。
感謝の思いで、支持者の皆様のもとへ馳せ参じたい、と思う。

明日は、今治市と、東温市。

とびきりの笑顔で、真剣勝負、
の1日としてまいりたい。


2008-09-15

愛媛も、負けてはいられない

台風の、予感。

そんな朝からの雨と風は、
やはり台風13号の接近によるものであった。

このまま、四国にも接近する恐れがあり、警戒が必要だ。
行政の一員として、万一に備え万全を期してまいりたい。

さて、雨音を聞きながらの本日は。

明日から始まる9月議会の準備と、

個人事務所、というか、部屋、
の開設準備に充てさせて頂いた。

より議員活動の成果を上げるために、狭くて恐縮だが、
自宅近くにスペースをお借りすることにした。

来週からは、電話もつながり稼動できそうで、
皆様にはご案内でき次第ご報告させて頂きたい、と思う。

ところで。
今回の9月議会の質問順位は、以下の通りとなった。

〈代表質問〉
9/19(金)  寺井 修議員(自民)・横山博幸議員(民主)
9/22(月)  村上 要議員(社民・護憲)・豊田康志議員(公明・新政ク)

〈一般質問〉
9/24(水)  森髙康行議員(自民)・豊島美知議員(民主)・徳永繁樹議員(民主)
9/25(木)  白石 徹議員(自民)・佐々木 泉議員(共産)・福羅浩一議員(自民)
9/26(金)  大西 渡議員(自民)・木村 誉(公明・新政ク)・鈴木俊広議員(自民)
9/29(月)  戒能潤之介議員(自民)・野口 仁議員(社民・護憲)・赤松泰伸議員(自民)

こうして見ると16人中8人、と、
やはり、自民党議員の多さが際立つ。

ちなみに、
私を含めて今治西高出身が4名となるが、これは余談。

4回目の登壇となる私の出番は、9/26(金)。

今日も質問原稿の最終チェックを行いながら、
ふと、あるニュースに目がとまった。

��ご参照⇒ http://news.goo.ne.jp/article/nishinippon/business/20080915_news_004-nnp.html )

そのニュースの主役は佐賀県、で、
同県のブランドである「佐賀牛」を中東諸国に輸出する計画、の話。

計画初期に、佐賀県の古川県知事が同職員に与えたミッションは、
「UAEで佐賀牛を扱う5つ星ホテルを、本年度内に2つ以上開拓せよ」。

交渉では、既に好感触を得ているようで、古川知事は、
「条件が整えば、JAや経済団体のトップと使節団を組んで
現地に飛び、トップセールスする」のだそうだ。

拍手、以外ない。

地方の将来は、新たな市場を開拓する以外ない、
ということのお手本、を見る思いがしたし、

この話、私が今回、取り上げる質問の1つで、
まさに、望んでいた回答そのもの、なのであった。

愛媛も、負けてはいられない。
と、明日の開会を前に、がぜん気持が高まるのであった。

にしても。

「佐賀県の取り組みが成功例となって、
後に続く自治体が出てきてほしい」

との農水省のコメントには、がっかり、だ。
逆、でしょう。

それは、あくまでも佐賀県が言うべきコメント、であって。

揺れる政局の向こうに、
真の地方分権の実現を急がねば、と思う。


2008-09-14

その1秒に かける思いは 無限大

夕方まで、降らんといて。

��M8:00。
微妙な曇り空を見上げながら、心でつぶやく。

今日は、
松山市立雄新中学校の第62回体育大会、の日。

この日のために準備頂いた生徒や関係者各位の、
せっかくのご努力を、台無しにしたくなかったし、


順延となると、
もう1回分の労力とモチベーションが必要になるし、

第一、初めてお招きを頂き参加させて頂く私としては、
雨男の不名誉は、できれば避けたかったのである。

微力ながらも一念が届いたか、無事晴天での開催となった。
よかった、ホッ。

予定通り、のAM9:00。
固唾をのむ思いで始まった、開会式。

きびきびと集合・整列し、私語も一切なく。

粛然というか凛然というか、その、爽やかで清々しい、
生徒たちの姿に、思わず胸が熱くなった。

渡部清校長からは、

練習期間から今日まで積み上げてきた、この体育大会を通して、
集団規律の大切さと、全力を尽くすことの大事さを、学んでほしい、

との訓示があった。

その通り、と思うし、深い、話だ。

一番多感で、心も体も柔らかで、大人への端境期。
そんな中学時代だからこそ学べる、大事なポイント、であろう。

さて、演目が始まった。

恐縮にも、渡部校長のとなりで、
解説を頂いての観覧となったが、

おかげさまで、浅学の私にとっては、
様々ご教授を賜り、大変貴重なひとときとなった。

御配慮に心より感謝申し上げたい、と思う。

その雄新中学校は、県下有数のマンモス校で、
全校生徒数763名。

それでも、今から20年くらい前に比べると、
約1,000名も減少した、とのことである。

少子化といわれる中での生徒数の多さに驚くべきか、
この間の生徒数の減少の大きさに驚くべきか。

また、渇水が懸念される松山市の水事情により、
運動場には“にがり”を撒いている、とのこと。

通常は、砂ぼこりが巻きあがらないよう水を撒くものだが、
にがりの保湿効果で代替している、のだ。

また、同校には、
知的・精神・肢体の特別支援学級が3クラスあり、

他の生徒とわけへだてなく一緒に、
また助け合いながら競技参加していることや、

英語の授業では、
外国人指導助手がサポートについているのだが、

市教育委員会派遣のジャマイカ出身の女性ALTも、
生徒たちと一緒になって、汗をかいていたのである。

どの演目も、どの瞬間も、みな一生懸命で。
全力で競い合う、その真剣な表情とまなざしに。

ころんでも、引き離されても、諦めず、
最後まで競技を貫く姿に、私は終始、感激した。

そんな生徒たちに、
忘れかけていた、大事なことを教えて頂いた気がする。

本大会のスローガンは、
“その1秒に かける思いは 無限大”、だが、

私もまた、これから続く1つ1つの活動を、
そうした思いをもって取り組まねば、と強く決意させて頂いた。

ご案内とご対応を頂いた渡部校長、関係者各位と、
何よりも、

多くのことを教えてくれた、元気ハツラツの生徒諸氏に、
心から感謝を申し上げたい。

��写真は、渡部校長のもと、生徒代表による、宣誓のシーン。)


2008-09-13

ともあれ、私は私のすべきこと

おかげさまで、
あわただしい日々が続く。

文法的にはちょっと変かも、だが。

おかげさま、というのは、
最近、皆様からの電話とメールが、とみに増えたこと。

ご相談ごと、ご依頼ごと、ご激励、ご要望、から、
気が置けない方からのご機嫌伺いまで。

とてつもなく、うれしい。
使い勝手の良い、というのは、議員冥利に尽きる、のだ。

また、あわただしい、というのは、
少なくとも今月のスケジュールは完全に埋まっていること。

“木村さんのご都合のいい日はいつですか?”
とのご依頼があると、なんとも心苦しいばかり、だ。

かくして10月の予定も、着実に埋まっていく。
シャンシャンせな追いつかんぞ、がんばれ、オレ!である。

さて、そんな今朝、向かったのは四国中央市。
目的地は、愛媛県紙産業技術研究所紙産業技術センター。

どこで息継ぎしよう、と一瞬迷うほど、の同センターで、
公明党議員総会と視察を兼ね、ほぼ半日、滞在した。

それにしても、立派な建物ではある。
機能も大したものだ、と感心しながら。

あとは、コスト。
県の機関である以上、しっかり目配せしないと、と思った。

ところで、今朝の報道によると、
次期衆議院総選挙は、早ければ10/26とのこと。

流れとして完全に、解散へのスイッチは入った、ようだし、
国民心理としても、そんなモードに入りつつある、ようだ。

そうした政局を受け、私たちの議員総会も、
否が応にも緊迫した内容となった。

いよいよ、戦闘開始、である。
それは!

庶民の皆様の気持ちをつかむ、戦い。
それを生活に実現する、戦い。

そのための政治改革を実現する、戦い。
そしてどこまでも、自分との、戦い。

全議員が、意気も軒昂に、心1つに、誓い合った。

取って返した夜は、松山市内の支持者宅をご訪問。

日頃の真心からのご支援に対する御礼とともに、
来たるべき戦いへの決意を、お訴えさせて頂いた。

帰宅後は、数件の電話相談と、議会質問原稿の推敲。

ひと段落し。

自民党総裁選の今日の動きはどうだったか、と、
しばらくテレビをチェックしていたが、特になし。

なるほど、他党との露出バランスや民意への影響から、
何らかの規制がかかったかな、という感じがしなくもない。

ともあれ、私は私のすべきこと、だ。

明日は、地元中学校の体育大会参加ほか。
1つ1つ、全力投球あるのみ、である。

��写真は、愛媛県紙産業技術研究所紙産業技術センター。)


2008-09-12

質問は全部、ブログネタから

18日ぶりの、ブログ更新。

もしかして、ほまれちゃんダウンか?
あるいは、何か落ち込むことでもあったのでは?

それとも、家庭で何かあったんじゃないか?
いや、単なる油断じゃろう?

と、
最後のご指摘だけは、正解に違いない。


読者の皆様には、大変ご心配をおかけし、
申し訳なく、恐縮至極とはこのこと、だ。

あらためて油断を排し、また今日からコツコツ、
前進の足跡を残せるよう励んでまいりたい。

さて。

この間、北京オリンピックは終わってしまったし、
福田総理は突然辞任してしまったし、

だから、今、総選挙の準備で追われてるし。

で、追われている、といえば、ここ2週間、
私は、9月議会の質問原稿作成に追われていた。

おかげさまで、ようやく今日、目処がついたのだが、
その他にも多くのことに追われた、この間ではあった。

いよいよ来週から、9月議会が始まる。

私は、9/26(金)11:00頃から一般質問に登壇予定だが、
この間、県下を歩きに歩き、お会いしてお会いして、

自身の目と耳と心で感じた皆様方の思いを、
全力で代弁させて頂く所存だ。

どの議員もそうなのだろう、と思うが、
30分という限られた時間の中では、

おのずと質問項目も限られ、
その選択には勇気を伴うし、

結果的に個人、あるいは会派の政治スタンスが、
その人の人間性とともに、如実に反映されることになる。

はて、自身のスタンスは?と問いながら、
今回、気づいたことがある。

というか、

理事者との打ち合わせで指摘されたのだが、
“木村議員の質問、全部、ブログネタからですね!”

はっ、と、した。
そう言われると、そうなのである。

更新ブランクが生じるまで、私は、日々の議員活動の中で、
その日最も強く感じた政治課題を、決意とともに綴ってきた。

それは、言い換えると。

ちょっとした勇気を伴う選択作業の毎日であり、
私の人間性と政治スタンスの披瀝の毎日、に他ならない。

是非とか、巧拙を別にすると。

ブログを通じて私が行っているのは、
議会質問のシュミレーション、であった。

ズバリ。

理事者の指摘通り、今回の質問内容は、
いつもご高覧を頂く皆様にとっては、

“それ、前に読んだぞな”、ばかりではあるが、
全力でがんばってまいりたい、と思う。

��写真:今日訪れた久万高原町の皆様からの、とれたてのお裾分け。いつもありがとうございます。)


2008-09-11

足あと

事務所開設のため、
終日、引っ越し作業。

といっても、自宅の部屋の荷物を、
そのまま移動しただけであって。

すっかり空っぽになった自宅部屋をみて、
6畳って広いんだ、としみじみ。

その床面に、パソコンがポツンと1台。

事務所にはまだ電話もパソコンも、
回線未接続のため、である。

そのパソコンに、一般質問原稿も、
あらゆるデータも、あるのであり。

かくしてしばらくは。

デスクトップを見下ろしながら、
地べたのキーボードと格闘することになりそうだ。




2008-09-10

足あと

午前から午後にかけて、部局折衝。
午後の後半は、企業訪問。

とある社長との面談で、
現在の国政の混迷を鋭く批判される。

政局より、生活。
そして、生活とは経済だ、と。

その通り。

地方から、中小企業経営者からみた、
今、必要とされる経済対策について、
長時間にわたり種々、意見交換を行う。

ネットワーク政党として、
必ず国政に反映させてまいりたい。




2008-09-09

足あと

一般質問原稿案、まとまる。
即、事務局との打ち合わせに入る。


2008-09-08

足あと

終日、党務。
夜、会合にて、政策学習を担当。

ひときわ多くの皆様にお集まり頂き、
感謝の思いで精一杯、お訴えする。

来るべき衆院選の、戦闘開始、だ。


2008-09-07

足あと

終日、一般質問の準備に充てる。
項目の絞り込みは、できた。

ともかく書いて、書いて、書きまくっている。
推敲は、まだまだ、先。

文字校正や、文字数調整は、さらに先。
だが、全体イメージは、完全に固まった。

今日中に、一気に、書き上げたい。


2008-09-06

足あと

終日、党務。

たくさんの方々と、
お会いしてお会いして、語りに語った、1日。


2008-09-05

足あと

午前、企業訪問。

午後、議会。
理事者から、補正予算に関する会派説明を受ける。

夜、党務。
9/1の福田総理辞任を受け、事態は風雲急、だ。


2008-09-04

足あと

早朝、因島へ。
親戚の、おじの葬儀にて。

その方は、私が幼い頃から、
いつも、元気であった。

いつも、笑顔だったし、
いつも、夫婦仲良く、

そして、
いつも私のことを誉めて、くれた。

今日は、
私が彼を誉めてさしあげたい。

おじさんの人生は。

男としても、夫としても、父としても。
最高に立派でしたよ、と。

まるで寝顔のように安らかなおじに、
心で語りかけ、そしてお見送りした。

悲しい。

けれど人は、いつか、送られる。
きっと、生きてきたように。

参列者の皆様方の悲しみに。

おじが、いかに皆様から慕われる
人生を生き切ったか、と思う。

ほまクンなら、できらぁ。
そんな励ましが、今にも聞こえてきそうだ。

おじのように、そういうふうに。
自身の人生を生き切りたい、と決意した。

見上げると。
抜けるような青空が広がっていた。


2008-09-03

足あと

終日、県民相談と党務。

県民の皆様から頂く様々なご要望には、
無論、お応えできることとできないこと、がある。

その中で。

お応えできないこと、
に対する説明責任は、特に重要だ。

今日は、そういうケース。

誠意は、尽くせたか。
ご理解は、得られたか。

自問自答は、今も続く。


2008-09-02

足あと

AM9:00。

市内のご婦人グループとともに、
松山西警察署を訪問。

地域の交通危険箇所への
信号設置要望を申し入れる。

約200名の住民署名簿を携え、
雲峰松山市議会議員とともに、
上田署長に提出。

午後、ヒューマンチェーンセンター
戒田理事長と面談。

今回の私の一般質問の1つである、
若者の自立をテーマとした取材、だが、

中身の濃い、そして、熱い、
実に有意義な対話となった。

お話を伺って、もっともっともっと考えろ、
と自身に言い聞かせる。





2008-09-01

足あと

今日は、防災の日。

全国各地で総合防災訓練が行われる中、
本県でも、東温市横河原・重信川河川敷にて、
83機関・約3000名が結集し、開催された。

備えの大切さ、と
絆の重要性、を痛感する。

昼食は、非常食としての、おにぎりとたくあん。
質素にして、食の有難さを再認識させて頂く。

午後、党務。

夜、福田総理、電撃辞任。
防災の日の、激震。

明日からの、政界のさらなる混迷に、
自身、ぶれないよう、揺さぶられないよう、

どこまでも生活者第一、に徹してまいりたい。




2008-08-31

足あと

9月議会・一般質問の締切まで10日あまり。
なのに、何もカタチになっていない。

焦る。

ようやくまとまった時間が確保でき、
終日、質問準備。

まずは拡散。

思いつくだけのテーマを並べながら、
それぞれ資料を収集するが、
部屋の収拾がつかなくなる。

2008-08-30

足あと

午後、宇和島市を訪問。

我妻宇和島市議会議員に同行頂き、
番城放課後児童クラブを視察。

スタッフの皆様から、種々ご要望を承る。
その熱意と真剣に、心打たれる。

追い風となれるよう、
微力ながら尽力を決意。

2008-08-28

足あと

午前、加戸知事・理事者代表と面談。
9月補正予算に対する会派要望を提出。

午後、企業訪問。
夜、弔問出席等。

2008-08-27

2008-08-26

足あと

午前・午後と、県民相談にて市内各所へ。
党務にて松山市役所訪問の後、西条市へ移動。
若者自立塾スタッフの皆様と懇談。

2008-08-25

足あと

午前、会派打ち合わせ。
午後、部局折衝。

夜、党青年局会合に、
山本ひろし参院議員とともに出席。

時代を開くものは、青年力。
心底、確信する。

2008-08-24

若者の自立、のチカラになりたい

今日は終日、新居浜デー。

スケジュールめいっぱいに、
よしっ、と、気合いを入れてAM8:40、

黒島から大島ゆきのフェリーに乗船する。

地元新居浜市の藤原雅彦市議のご案内で、
石田のりとし農林水産副大臣・衆院議員、
山本ひろし参院議員に、随行させて頂いた。

国会・県会・市会の各議員が一堂にそろって、
というのは、

私たちネットワーク政党・公明党にとっては、
しょっちゅう、ではないが、よくあること、だ。

が、訪れた先では、皆様一様に驚かれ、
逆にこちらが驚かされてしまうのである。

私たちは、
いつも、現場を共に感じたい、と思っている。

その上で、課題解決のために、

法改正・整備が必要なら、それは国、
地元マターなら県、あるいは市、というふうに、

それぞれのレベル対応を、
連携も密に実現していくことが、

私たち公明党の、
生活現場主義という実践ルール、といっていい。

すべての政治家が、
それを当り前のように実践できたとき、

日本の政治は劇的に変わる、と思うし、
いつかそれを競う時代へ、と思う。

さて。

大島への訪問目的は、若者自立塾愛媛の、
第3期塾生メンバーの活動状況の視察、兼、地元対話だったが、

��若者自立塾愛媛⇒ http://www.planet2001.com/jiritsu/ )

まず、港務所で切符を買って驚いた。
大人1人60円。

なんで?

その答えは、藤原市議の説明によると、島民の道路だから。

なんと!

市民からお預かりした税金を、こうした形で使われる、
新居浜市政の懐の深さと市民の理解に、感動した。

いきなり、の、なるほど、だ。

フェリーに乗り込み、ほどなく、大島に接岸。
さらに徒歩5分で、大島公民館に到着する。

ちょうど、
1泊2日の小学生交流キャンプの、クライマックス。

飯ごう炊飯やキャンプファイヤーなど、
参加児童による2日間の思い出発表と、

矢野館長の締めくくりの挨拶、
という場面であった。

そういえば、私にも、あった、あった。
小学生の時、それ、やりましたよ、と心の中で。

初めてふれあう他校のお友達にドキドキ、
夜もなかなか寝つけなくて、結局朝起きるのが辛くって。

最初はよそよそしかった友達と、
だけど解散する時には泣きたくなるような、

そんなひと夏の経験の、2つ3つを、思い出した。

話が、それた。
若者自立塾愛媛の3期塾生メンバー、の話であった。

彼らは、いわゆる、ニート・ひきこもりの若者であり、
3か月の合宿生活を通して、経済的・社会的に自立できるよう、
そのきっかけと自信を提供する場、それが若者自立塾、なのだ。

今回は、キャンプが楽しく、無事成功するように、
2日間、裏方として活動されていたのであった。

場所を移し、私たちは、その仕事をやり終えた、
若者自立塾のメンバーと、しばし懇談を行った。

“1年半ほどひきこもってましたが、合宿生活で、
性格が明るく前向きに変わった気がします。”

“資格を取りたいです。”

“人前で発表できるようになり、自信がつきました。”

がんばれ、みんな、と思う。
人には、その人にしかできないことがある、のだから。

石田・山本両国会議員からも、
ざっくばらんにして渾身の、激励が続いた。

別れ際、がっちり握手を交わしながら、
力強く握り返す1人1人のメンバーに、

私もひとことづつ、
心からのエールを送らせて頂いた。

そして、彼らと、
彼らの後ろに続く若者たちのチカラになりたい、

と思うとき、

9月議会にて登壇させて頂く、私の一般質問の1つは、
若者の自立、で決まった。

全力で取り組むことを、この場でお誓いしたい。

��S
その後、数件にわたる本日の視察については、
後日、1項づつ、綴りたいと思います。

��写真:左から、私、石田副大臣、山本参院議員、藤原新居浜市議。)


2008-08-23

足あと

午前、党幹事会。
午後、党議員総会。

夜は、新居浜市へ移動。

2008-08-22

足あと

午前、松前町にて街頭遊説。
同行頂いた松本ひふみ町議に、感謝。

午後、松山市内にて企業訪問。

2008-08-21

足あと

午前、会派打ち合わせ。
午後、県民相談にて市内各所へ。
夜、支持者座談会にお邪魔する。

2008-08-20

離島を結ぶ町、上島町を訪ねて

午後、上島町・弓削に到着。

“今度ゆっくり行かせてもらいましょーわい”、
と、8/5のブログに綴ったが、

そんなゆるーいお約束を交わした時本さんを訪ねて、
の日帰り旅だったが、

全国でも極めて珍しい、離島を結ぶ町、
という、上島町の視察が主題、でもあった。


おとなりの因島で生まれた私にとって、
弓削は同じくらいに、懐かしさと親近感を感じる、島。

よく松原に泳ぎにいったし、
釣り、といえば、
伝馬船で百貫島にいったことも懐かしい。

周辺の島々の多くの方が、因島の造船関連で働き、
ちょっとしたショッピングは因島で、という時代であった。

だから、幼いころは、弓削や生名が、なぜ愛媛県なのか、
実際は広島県じゃのに、と、不思議に思っていたものだ。

そんなことを回想しながら、
因島の家老渡(かろうと)からのフェリーに、車で乗り込んだ。

面白いなぁ、この船、バックで進行しよる。
と、思う間もなく、弓削へ到着。

時本さんは、待ってくれていた。

“ほまれクン、お久しぶり!”

論語ではないが、
父の友あり、というのは、また楽しからずや、だ。

最初に、時本さんのご自宅を訪ね、

昨年お亡くなりになったという奥さまのご仏前に、
お線香を上げ、追善の祈りを捧げさせて頂いた。

そして、時本さんの。

この間のご苦労をつぶさに伺いながら、
心から労う思いで、お話をさせて頂いたのだが、

同時に、政治が解決しなければならない課題を、
自身の宿題として与えて頂いた気が、した。

束の間のお邪魔の後、早速、弓削を1周することに。

まずは、上村町長表敬で庁舎を訪ねたが、
あいにく東京へご出張とのこと。

では、と車を走らせる。
思いのほか、道がよい。護岸も、よく整備されている。

するすると、弓削大橋をわたる。
全長980mだから、あっという間、で、ちなみに無料。

佐島では、同島と生名島を結ぶ生活の足、生名橋を、
2010年完成を目標に、着々と工事が進められていた。

あとは、生名島と岩城島を結ぶ岩城橋が完成すれば、
4島をつなぐ上島架橋事業は完成、

なのだが、
現時点では、岩城橋の着工年は未定である。

引き返しながら、今度は弓削の支持者宅を、訪問。
あるお宅で、奇しくも、その、岩城橋の話となった。

同じ町なのに、車で簡単に行くことができず大変不便、
早く岩城橋を完成させてほしい、とのこと。

ちなみに、彼らが車で行く岩城島へのルートは。

弓削からまず、県境をまたいで因島に船で渡り、
そこから生口橋をわたり、

今度は生口島から船で渡って、県境をまたぎ直し、
ようやく岩城島に到着、という広島県経由ルート、なのだ。

料金も1回3000円強、必要となる。
同じ町内で?である。

周辺の島々を結んでくれていた汽船会社が、
本年6月に運航が休止となり、こういう状況になった。

その他の要望もあるが、一番に望むことはそれじゃけん、
ぜひ県で何とかしてほしい、ということであった。

愕然とした。
実体経済の、囚人のジレンマ、を思った。

さあ、どうする。

約4時間の滞在で、2つの島をぐるり巡る中で。

受け止めた課題を、離島全体に、僻地全域に敷衍したとき、
それはあまりにも難題、といわざるを得ない。

往路のフェリーでは、あれほど盛り上がった気持ちが、
復路では、とてもシビアな心境に変わっていた。

けれど。

私が乗るフェリーを、ずっと見えなくなるまで、
手を振って見送ってくれる時本さんを見ていると、

できるかできんかじゃない、
やるかやらんかじゃ、

とまた、強い気持ちが込み上げてくるのであった。

上島町視察を同行頂いた時本さんに、感謝の気持ちを込め、
私もまた、見えなくなるまで、手を振り続けた。

��写真中央:手を振り続けてくださる時本さん。)


2008-08-19

足あと

午前、特別委員会。

私が所属する地域活性化特別委員会では、
「チャレンジする地域・人・企業に対する支援について」
と題して、所管部局からレクあり。

午後、県民相談を受け、部局折衝。
夜、党務。

2008-08-18

足あと

午前、文教警察委員会。
教育委員会より「教育免許更新制」に関するレクあり。

午後、夜ともに、党務。


2008-08-15

まず隗より、そして、いつも始めよ

63回目の、終戦記念日。

午前、

愛媛県県民文化会館にて開催された
愛媛県戦没者追悼式、に出席した。

白柱を見上げながら。

犠牲となられた戦没者の方々に、
謹んで哀悼の意を表するとともに、

不戦と平和への誓いを、
あらためて深く、心に刻んだ。

かの大戦による犠牲者は、全国では約310万人、
アジア諸国においては約2,000万人ともいわれる。

あれから63年が経ち、今、
不戦は誓いのまま、としても、平和はどうか?

親が子を、子が親を、あるいは無差別にあやめ、
人を人と思わない、悲しい事件の絶えない今を、

戦没者の方々は、なんと見るだろう。
なんと嘆かれ、悲しまれるだろう。

年に1度巡りくるこの日は。

あの日に立ち返り、
私たちの父母や祖父母が、どれほど平和を希求したか、

その思いを継ぐ者として、日本を継いでいく者として、
真剣に考え、行動する日、であらねばならない、のだ。

献花しながら、
まず隗より、そして、いつも始めよ、と心に誓った。

そして、追悼式終了後、さっそく。

公明党・山本ひろし参院議員、笹岡博之県代表とともに、
伊予鉄髙島屋前に移動し、終戦記念街頭遊説を行った。

私も、式典での誓いそのままに、マイクを握らせて頂いた。

大勢の方が、お手を振ってくださり、
あるいは猛暑の中、立ち止まり、見守ってくださり、
心より感謝を申し上げたい。

厳粛な1日を終えて。

お盆のこの日を過ぎると、そろそろ、夏も終わる。
そう思うと、

ジリジリと照りつける太陽さえ愛おしく、
噴き出す汗さえ懐かしく、思えてくるのであった。

��写真左から、福岡松山市議・青野伊予市議・山本参院議員・笹岡県代表・私。)


2008-08-12

ウサギとカメ、と本間さん

懐かしいお二人、遠方より来たる。
本間さんご夫婦、である。

10数年ぶりの再会は、
昼下がりの15:30、JR松山駅にて。

“おぅ、元気そうやん!(ニコッ)”、と、本間さん。
笑うとなくなるくらい目が細くなるのは、昔のまんま。

“めっちゃ、立派になられはってぇ!”
と、持ち上げ上手な奥様も、当時のまんま。

“いやぁ、ぜーんぜん、変わってへんですね~!
お二人とも、めちゃ若っ!”

と、私も、つい、そのまんま、反応してしまった。
だって、本当なんですから。

そんなお二人を。

どうぞどうぞ、と私の車に乗せて、早速、市内をプチ観光。
そして、私が住んでいるマンションへご案内した。

“こんにちわぁ!”、と、お出迎えする家内と子供たち。
ただ、4歳の娘だけ、完全に、よそよそしい。

へぇ、人見知りするんだ、
と、わが娘の性格を、今ごろ認識する私も私、ではある。

ひとしきり、昔話に花が咲き。

洗濯ものをたたみながら、天然ボケの会話をする家内は、
本間さんには結構ウケたみたいで、

“奥さん、オモロイなぁ~。”
なぁ~、の部分に、妙に実感がこもっているのであった。

“いや、オマエ、えー嫁さんもろたわ!”

いえいえ、えー嫁さんは、
お客様の前では、下着とか、たたみませんから。

それから、場所を移動し、
食事をしながらの、第2ラウンド。

思い出のジグソーパズルともいうべき、
お互い忘れかけていたピースをつなげながら、

現在のピースを継ぎ足しながら、そして、
それぞれの未来のイメージを膨らませていった。

と、美しそうな話だが、
終始、ベタな会話ではあった。

あの頃の私は、極貧。
食生活は、ほぼ毎日、納豆と花かつお、だったが、

2日と空けず、3軒隣りの本間さん宅に行くたび、
いつも温かい手料理をごちそうになった。

食の恩とは、深いのである。

また、本間さんとコンビで、物理的にも精神的にも、
プライベートの殆どを費やした、地域の青年部活動では。

そのネットワークが広がれば広がるほど、深まれば深まるほど、
複雑多岐にわたり生じる私の悩みを、

いつもそのまま打ち明けることができ、
その都度、受け止めてくれたのが、本間さんご夫婦であった。

“エーねん、エーねん、木村。
それより、おまえ、知ってるか、ウサギとカメの話?”

なんで、ここで、ウサギとカメ?なのか、

そういう煙の巻き方、というか、
奇想天外の、心理モードの切替力は、彼の18番であった。

“ウサギは何故、あの競争、負けたか。
それは、カメを見ながら走ったからやで。

カメは何故、あの競争、勝ったか。
簡単やん、ゴールだけ見すえて、歩き続けたからや。

なぁ、木村。
目の前のウサギは関係あらへんねん、無視しとったらえーねん、

オマエはオマエのゴールだけ見とったら、えーねん。
大事なんは、そこやで。

今、しんどーても、そこ、忘れんかったら、人生、勝てんねん。”

当時、私は24歳。
本間さんは30歳だったか。

実のところ、
自分のゴールがどの方向にあるのかさえ、よくわからなかった。

けれど、そんなウサギとカメの話や、
勝手に私が名づけているだけだが、

バットの素振り理論や、
タイヤの幅理論、また、

ニワトリが先か卵が先か、よりも、使命が先やで理論、

細工は隆々、あとは仕上げをごろうじろう理論、
などなど、

枚挙にいとまもないくらいの本間ワールドに、私は、
決定的に、インスパイアされたのである。

大阪にいたのは、たった4年弱だったけれど。

その、本間さんご夫婦との4年がなければ、
私は今も、ゴールを探していたような気がする。

おかげさまで、本間さんの3軒隣りの大阪で、
私は私の、進むべきゴールを確信させて頂いた。

この先、所がどこであれ、仕事が何であれ、
環境がどうであれ、こういうふうに生きていこう、

と、決意したその瞬間を、今も忘れない。

その意味で、
本間さんご夫婦は、私の恩人、なのである。

約6時間の、束の間の再会ではあったが、
そのことを確認するには十分、だったろう。

21:30、JR松山駅にてお見送り。

その時も、
笑顔の本間さんの目は、やっぱり細かった。

お二人には、いつまでも、これからも。

宜しくお願いします、
と、心から思うのであった。


2008-08-11

2008-08-10

しまなみ遊説、の1日

議員に、土日なし。
朝、手帳をチェックして、あらためて気づく。

容赦もなく照りつける、灼熱の日曜日。

本日は、
大島・伯方島・大三島、の3島をスラロームする、
しまなみ遊説、の日。

と、何だか胸が高まるのは、私が、伯方島で育ったから。

で、そうした、ちょっぴりセンチな感情は胸にしまって、
��M10:00、今治市役所に到着。

おはようございます!
公明党・今治市議4名の先輩方と合流し、いざ、出発。

最初は、大島。

吉海町と宮窪町でマイクを握り、
その間、支持者宅のご訪問、漁協関係者のヒヤリング、
陳情箇所の視察など、猛スピードで島を1周。

あっちゃん、久保くん、青菜くん、元気やろか?
と、同級生の顔を思い出しながら、2時間弱の滞在。

続いて、伯方島。

マリンオアシスはかたで、伯方の塩ラーメンを頂いた後、
有津と木浦で、マイクを握った。

照れくさいやら、懐かしいやら、で、ちょうどお昼時。
幸か不幸か、友達に出会うこともなく。

その後、支持者宅を数軒ご挨拶にお伺いし、
大三島へと向かった。

宮浦で2か所、マイクを握った後、
支持者宅へのご挨拶を終え、

どうしても訪れたかった場所、がある。
高校時代の下宿の先輩、Aさん宅、だ。

昔の記憶を手繰りながら、
たしか、ここを曲がったあたり・・・。

あった!あった!

しかも、全面リニューアルしていて、
とってもオシャレなお店に大変身、ではないか。

やるではないか、Aさん。

と、お店を覗くと、いた。
まぎれもなく、Aさんだ。

身長も、変わらない。
体型も、変わらない。

ちょっとシニカルな笑顔も、
全然昔と、変わっていない。

“Aさん、お久しぶりです~!”
“お~、久しぶり!俺さぁ、去年の選挙の時、・・・”

と、いきなり、積もる話全開モードのAさん。
あいかわらずだ、な。

こちらとしては、突然の飛び込み訪問だし、
しかもお客様もいらっしゃったため、

極力、短時間で辞そうとしたのだが、
若干、旧交が温まってしまい、恐縮しきりだった。

その、Aさん。
私の1つ先輩で、当時の下宿先が同じ、という間柄であった。

彼は今治北、私は今治西、と、通う高校こそ違ったものの、
学校以外の生活時間のほうが、はるかに長いわけで、

いつも、どちらからともなく部屋を行き来しては、
たわいもないことで盛り上がる毎日だった。

ぬかるみの世界、オールナイトニッポン、歌うヘッドライト、
ガスコンロ、袋入りラーメン、コーヒーにブライト、

オーブントースター、シグマベスト、出る単、トランプ、
極真空手、1・2の三四郎、銭湯、それから・・・。

今の高校生のように、ケータイもメールもなく、テレビもなく、
振り返ると、アナログでモノクロな思い出ばかり、だ。

それがよかったし、それでよかった。

“今度また、ゆっくり来ますね!”

そう言って、
さすがに、お暇をさせて頂いのだが、

帰り道、あの頃とちっとも変らないAさんに、
しばらく、ニヤニヤ笑いが止まらなかった。

灼熱の太陽照りつける、
しまなみ遊説の1日は、

なぞるように、
自身のルーツを再確認した1日、であった。

振り返ったどの瞬間も、感謝でいっぱい、である。

��写真左から、今治市・渡部議員、私、同・石井議員、同・越智議員。撮影は、同・谷口議員。)


2008-08-09

蛍雪、という母校のDNA

党務を終えて、17:00。
今治市内で開催された、蛍雪会総会に駆けつけた。

いささかローカルな話になるが、蛍雪会とは、
わが母校・今治西高校のOB会の名称、だ。

私は、今回が初参加とあって、
内心恐る恐る、会場受付へと向かった。

“お世話になります。33期の木村です。”

受付に思い当たる顔は、ない。
ならば、と、受付名簿を目で追うが、同期はいない。

緊張が、走る。

案の定、会場へ入ると、場内は、大先輩ばかりであった。
その上、気まずい事に、私は来賓席へ誘導されてしまった。

身が縮む思いとは、このことだ。

そんなわけで総会は、
個人的には極めて恐縮、の居心地に始まったのだが、
引き続いて懇親会に入ると、一転。

各テーブルを大いに回らせて頂き、
大先輩の方々との会話が、弾む、弾む。

その、同窓の絆に熱いものを感じながら、
また、敬意と感謝に心も満たされながら、

何ともいえない、
温かな居心地の余韻の内に、終了した。

すべからく、感謝すべきは母校なり、だ。

さて、話は変わるが、
現在、母校は1学年8クラス、在校生徒総数959名、とのこと。

私たちのときの生徒数は、1,350名だったから、ざっと3割減。

むむむ、
と、心に戸惑いと引っ掛かりを覚えたのは、

メディアが伝える少子化と、
母校を通じ肌身で感じる少子化のギャップ、だった。

ましてや。

来る年も来る年も定数に満たず、
母校の廃校を余儀なくされる方々のお気持ちは如何ばかりだろう、

と、現在、県が進める県立学校再編計画に思いを馳せ、
7月初旬の常任委員会での、自身の発言を思い返した。

行政の課題解決は、
常に、当事者から出発しなければならない、

という当たり前を、
母校の現状に鑑み、あらためて意を強くするのであった。

最後に1つ、これまたローカルだが、
��B会の名称である、蛍雪、の由来について。

それは、母校の校章にも校歌にも顕わされる建学精神であり、
107年にわたり伝統脈打つDNAであり、私たち同窓の絆そのもの、だ。

それは、皆様ご承知の、中国の故事に基づいている。

晋の車胤が、貧しくて灯油が買えず、螢を集めてその光で書を読み、
孫康が、雪を積んだその明かりで学問に励んだ、というあの有名な故事、

または、卒業式に歌われる、
♪ほーたーるの・ひーかーり・まーどーのー・ゆーーき、である。

苦労して学問に励んだその2人は、
後に、官僚として大成するのだが、

母校に学ぶ私たちも、将来どの道をゆくにせよ、
この伝統精神を貫いていくならば、きっと行く手は照らされる、

そう確信して、倦まず弛まず精進せよ、
そんなメッセージが、蛍雪の2文字に込められている、のだ。

そのOBの1人としては、未だ、甚だ未熟ではある。

であればこそ、今一度、蛍雪、の精神に立ち返り、
大先輩に恥じないよう、公務を全力で、と心に誓った。

末尾ながら、準備と運営のお世話を頂いた皆様、
素晴らしいひと時を、誠にありがとうございました。


2008-08-08

北京オリンピック、開幕

末広がりの、8並び。
いよいよ本日、北京オリンピックが、

正式には、
第29回夏季五輪・北京大会が、開幕した。

ここに至るまで、
さまざまな物議を醸してきただけに、

予定通り開幕を迎えられたことを、
心から安堵するとともに、

開催期間の無事盛会を祈る思いでいっぱい、だ。

その、開会式。
テレビの前で、釘づけになった。

考えてみると、こうして、ゆっくり開会式を見るのは、
社会人になってからは、初めて、だ。

「鳥の巣」でおなじみの、国家体育場がメインスタジアム。
そこをめざして、郊外から、足跡をかたどった仕掛け花火が上がる。

1歩、2歩、3歩・・・。
足跡は、北京の夜空をまたぎながら、「鳥の巣」に近づいていく。

到着すると、巻物をかたどった舞台が現れた。

歓迎儀式が、始まった。
その最初のメッセージは、

“朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや”。

おー。

孔子の論語、ではないか。
高校時代、漢文で習ったぞ。

この、かなりイケてる、演出センス。
プロデューサーは、誰ぞ?

と思っていたら、
すかさず、アナウンサーから解説があった。

“今回の演出は、中国映画界を代表する、あの、
張芸謀(チャン・イーモウ)監督が担当されました。”

なるほどー。

映画「初恋のきた道」の、大ファンである私としては、
どーりで、なのであった。

巻物はクルクルとほどけ、巨大な舞台となり、
文字を、つまり文明を得て以来の、
中国5000年の歴史絵巻が次々に展開されていった。

1つ1つ綴るとキリもないほどに、
中国の威信をかけた、一世一代のショーを、堪能した。

参加選手は、204カ国・地域から11,193人。
参列の国家元首や首脳は、80カ国以上から。

いずれも、五輪史上最多、だそうだ。

加えて、91,000人!
の、大観衆で埋め尽くされた、この「鳥の巣」から、

超大国・中国が、今、
大きく羽ばたかんとする心象を持った。

眠れる獅子、ついに、立てり。

世界の中国に対する認識は、
今日を境に、一変するのかもしれない。

そんな中、わが日本選手団は。

旗手を務める、卓球女子の福原愛ちゃんを先頭に、
23番目に登場、だ。

すばらしい笑顔、笑顔、笑顔。
そして、明日からは、真剣勝負。

県勢の、7人の侍、もいた。
悔いの残らない大活躍を期待したい、と思う。

今回の、北京五輪のスローガンは、
「一つの世界 一つの夢」。

テレビにかじりつきながら、
どんなに微力であったとしても。

スポーツを超えて、それを国際社会に実現していく、
そんな時代を創り、拓いていかねば、と、決意した。

��写真は、県庁に掲げられた県勢選手の応援懸垂幕。)


2008-08-07

やるべきこと、やっているか、やれているか

終日、県民相談対応。

積ん読、の中から、
日経ビジネス(2008.7.28)を、読んだ。

“消費税の年金財源化に落とし穴”、という、
東洋大学・髙橋洋一教授の、記事である。

私が、髙橋教授を初めて認知したのは、
著作の、「さらば財務省!」によってであった。


なんとユニークな官僚なのだろう、と思ったし、
きわめてロジカルで、腑に落ちる論説の人、と思った。

そのベストセラー上梓後、一躍、時の人となり、
今では、お茶の間で拝見することも多くなった。

ので、世間の認知の仕方は、きっと、
教授、もしくは、コメンテーター、ということなのだろう、

が、私の脳裏では、やっぱり第一印象が支配しており、
私にとっては、だが、今回の記事も、腑に落ちた。

地ならしというか、外堀を埋めるかのように、
じわじわっと巻き起こってきた、消費税増税の議論に対して。

それはそれとして当然ながら、可だが、
それと年金を結びつけるのは、不可だ、と。

つまり、髙橋教授の指摘は、
年金財源としての消費税増税は筋が違う、である。

なぜか。
地方分権に逆行するから、だ。

その仮設立て、に脱帽するし、
腑に落ちるというのは、その、課題の斬り方、である。

中央集権か、地方分権か、
ここが、最初のイシュー。

これについては、
国の運営の方向性に関する結論は、既に出ている。

いうまでもなく、地方分権であり、
この間、法整備も着々と進めてきたし、

先日も綴った通り、政府諮問機関のビジョン懇でも、
2018年に道州制を導入すべく取り組みを加速している。

が、だ。

霞が関の本音は、もちろん、NO、だ。
当事者として何が起きるかを考えれば、容易に想像が、つく。

押し寄せる地方分権の流れには逆らわず、しかも骨を抜き、
結果的に、ちょっとだけ地方分権、で、シャンシャン、

というのが、
権力を手放したくない官僚たちが考えるストーリー、

と、よくいわれるが、その通りであろう。

記事に話を戻すと、髙橋教授の説は、こうだ。

国と地方の役割を明確にした上で、
地方分権が進展・完了したとしても、

年金は、国が運営すべき制度である、
と、ここが、2つめのイシュー。

一方、消費税は、所得税や法人税などの国税の内、
収入安定性の点からも、地域偏在性が少ない点からも、
地方への税源移譲が最も適している、

と、ここが、3つめのイシュー。

イシューをつなぐと、

人材・権限・財源、を地方に移譲する、
地方分権は、喫緊の、実現課題である。

その移譲財源のうち、
消費税は地方に移譲すべき税源であり、

地方分権後も国の運営で行うべき年金の財源は、
国税・保険料という枠組みの中で議論すべきだ、

となる。
賛成、である。

年金ばかりではない、社会保障費の増大もまた、
消費税増税の論拠として高まりつつあるが、

その前に国は、やるべきことがある、のだ。

それについては幾度も綴ってきた通り、
なので触れないが、

年明けから今日まで、
2,000名を超える方々との対話で、

私が感じた、叫びにも似た、庶民の怒り、を、
どうすれば、安心と信頼に変えられるのか、

今、国が最も注力すべきは、その1点であり、
おのずと、消費税増税とは別の議論、となろう。

国は、やるべきことを、やっているのか。
私も、やるべきことを、やれているのか。

自他ともに、常に、問いながら。

記事に触れ、
政治の落とし穴に陥らないよう、研鑽を怠るまい、と思う。


2008-08-06

今治で、無言に教えられた、公僕精神

午前、部局打ち合わせ。
午後、今治市にて視察・企業訪問等。

終日政務の日は、詳細は綴りにくく、
そういうときは読書ネタを綴るようにしているのだが。

あいにく最近は、読書もままならぬ日々が続き、
イカンイカンと思いながら、積ん読、になっている。

加えて、夏バテか年波か、
なんとなく身体が、だるく感じる。

が、そんな自分に、喝、を入れながら、
フル回転の今日1日の中の特筆は。

今治市職員の皆様との現場作業の中で、
その、素晴らしい公僕精神、に心から感動したこと、だった。

どの自治体も財政難であり、
昔は当たり前にできていたことが、今は・・・、という場面は多い。

要するに、お金がないからできない、という現実。
そういった現実があることは事実、だ。

民間ならもっとシビアだろう。

しかし、行政はパブリックをマターとする仕事であり、
民間のできない領域にこそ、その本来任務がある。

そこで、お金がないからできません、
という現実に直面したとき、

安易に思考停止に陥ってしまうのか、それとも、
何とかブレイクスルーしようと粘り強く試みるのか、

そこを分かつものこそ、
真の、公僕精神であろう、と思う。

今日の皆様は、いつも私が実践しようと心掛けてることを、
まさに当たり前のように、自然体で、実践されておられた。

それは、あるもの探し、の実践。

お金はない、

けど、時間は創れる、つまり、ある。
動かせる体も、ある。

1人で100kgの重荷は持てないけれど、
100人寄れば、ラクラク持つことができる。

ならば、100人の賛同を得るために、
語ることが、できる。

前例がないからダメといわれた、なら、

歴史を遡り、世界に目を転じてでも、
前例を探すことができるし、

それをすると悪しき前例になる、なら、

いい前例にできないか、
と知恵を働かせることができる。

そう。
私たちにある、最大の資産は、知恵、なのだ。

それは、お金を、超えて。

私たち1人1人の中に無限に埋蔵され、
絶えず開発可能で、決して枯渇しない。

直面する現実が困難であればあるほど、
その、知恵、をどう引き出し、結集し、活用するか。

その最大のカギは、志、
の1文字であろう。

今治市の職員の皆様のふるまいに瞠目しながら、
その、公僕精神の崇高さに感動しながら、

自分は、何のために、何を、どのように、志すのか。
あらためて自身に問うた、ひと時であった。

その、無言のご教授に、心より感謝申し上げたい。

��写真は、大三島から生口島を臨む、夏の瀬戸内海。)


2008-08-05

弓削からの、1本の電話

午前、県民相談。
午後、企業訪問。

今日は、
夜かかってきた、1本の電話の、話。

“ほまれクン、元気にしよる~?”

声の主は、
上島町弓削の時本さん、であった。

“うわっ、お久しぶりです~!”

10年ぶりか、
いや、思い出せない、ほどであった。

私にとって懐かしい時本さん、というのは。
亡き父の、当時の会社の同僚、である。

当時の2人の年頃でいうと、
ツレ、であり、ダチ、であった。

ちょうど高度成長期にあたる、時代。

私が生まれた因島は、日立造船が全盛を迎え、
関連産業も活況を呈していた。

人口は、5万人を超えて、
因島史上、おそらく最盛期であったその時期、

今思えば、
家族連れの会社行事が、何と多かったことか。

花見や、ボーリング大会や、
秋の運動会や、お祭りや。

本当にあちこちよく連れていかれたし、
家族ぐるみでのわきあいあいは、楽しかった。

いろんなことができて、大人っていいなぁ、
ボクも早く大人になりたい、ナンテ思ったものだ。

その頃、どこにいっても、
私を連れて遊んでくれたのが、時本さん、だった。

小学校の低学年の、ある時、

“ほまれクン、肩車しちゃるけん、
ほれ、おじちゃんの頭を跨いでみ。”

と、言われるまま、担がれると、

びっくりするほどの高さから、風景が、見えた。

一瞬、人だかりの周囲の視線が、集まった。

すっげぇ、というのと、
怖―い、というのと、

それ以上に、恥ずかしーい、

と思ったことを、今でも覚えている。

以来、父が亡くなるまで、そして亡くなった後も。

私が、中学・高校・大学時代、社会人となってからも、
ことあるたびに、駆けつけてお世話をしてくれた、恩人、なのだ。

その時本さんから、私に電話があった理由は。

“実は今日、参議院議員の山本ひろしさんにお会いしたんよ。

山本さん、えらいねぇ、わざわざ、弓削にまで来てくれて、
おじさんみたいなもんにも、気さくに話をしてくれてねぇ、

ほんで、一応、ほまれクンも公明党じゃけん、
知っとるかなぁ?と思おて聞いてみたら、

よぉく知ってますよ、言うけぇ、びっくりするやら、感動するやら、
で、もう思わず、ほまれクンの声が聞きとうなってねぇ。”

と、いうことだったのである。
ありがとう、時本さん。

ちょうど、その日の山本ひろし参院議員のブログに、
弓削での集会の様子が、写真とともにアップされていた。

いた。
時本さん、だ。

その表情は、昔さながらの快活な笑顔だが、
体全体には、幾分の歳月を、感じさせられた。

“おじちゃん、私も、今度ゆっくり、
弓削に行かせてもらいましょうわい。
暑い日が続くけど、それまで、お元気で!”

時本さんのように。

広い広い、この愛媛で。

あちこちにいらっしゃる、私がお世話になった大切な方々を、
命ある限り忘れまい、絶対に忘れまい。

電話を終えて、しみじみと、あらためて決意するのであった。

��写真:右から、若き日の時本さん、と私。)