2007-11-30

ブログ開設1周年に、思う

11月も、今日で終わり。
月日の経過が、年ごとに加速をしていく気がしてならない。

昨年の今頃は、と考えた。
本ブログを立ち上げて、ちょうど1年が経過したことに気づく。

とはいえ、立ち上げの一切は、先輩議員におんぶに抱っこ状態だったし、
4月の統一地方選が終わるまでに書き込んだのは、たった10回程度。

立ち上げから約半年の間、開店休業状態だったわけであって。

本格的に。
というより、今日まで1日も欠かさずブログ更新を続けるようになったそのスタートは、
議員バッジを頂いた5月10日の初登庁の日であった。

他の議員も同じだと思うが、私も又、並々ならぬ決意でその日を迎えた。

そして、毎日、決意をしようと思った。
それを、ブログに綴ろうと思った。

そのきっかけは、あるご婦人の一言であった。

いわく。
毎日、楽しみに見てるのに、たまには更新してね。

楽しみに?私のことを?
胸が、熱くなった。

こんな私に、としか思えない、未熟者の私に対して、
真心から温かい期待を寄せてくださる方が、目の前にいらっしゃる。

ならば。

1人でも2人でも、そうした方々のために、毎日、思いを伝えよう。
議員である限り、この初心を絶対忘れないために、毎日、確認をしていこう。

ご婦人に、心の中で、誓った。
そして、その日から1日も欠かすことなく更新を続けて、半年が経った。

おかげさまで、初心は些かも揺るがない。
有難い、感謝の思いでいっぱいだ。

ブログ1周年を機に、あらためて、頂いた自身の使命を思うとき。

少しの油断も、隙も。
惰性も、慢心も、甘えも。
そして、惰弱も、臆病もあってはならない。

ただただそうした県民の皆様のご期待にお応えすることのみ思いをめぐらせ、
それのみを確信として、勇躍前進していこう。

1年前も、今日も。
皆様に、お誓いしたい。

2007-11-29

12月定例県議会、初日

今日から、12月定例県議会が始まった。
会期は、12月13日までの15日間。

今回、上程された議案は、県職員給与改定に伴う補正予算案など16議案で、
予算総額は10億5,778万円という、超緊縮規模である。

その議案説明に先立ち、加戸知事から中期財政見通しの発表があった。
その厳しさを要約すると。

何の措置も講じなければ、今の行政サービスを維持するのに、
2008年度で287億円、2009年度で338億円もの財源不足が生じる、ということだ。

その主な要因は、2つ。

三位一体改革で地方交付税・国庫支出金が大幅に減少したことと、
公債費という、過去の借金返済費用が増えたこと、である。

この危機を乗り切るためには、更なる思い切った歳出削減が必要だし、
官民上げて、個人も企業も、新たな収入を増やさなければならない。

歳出削減の意味では本日、県議会・会派代表者会議で、今任期中の海外視察の自粛が決定した。
これによって、4年間で4,700万円の歳出減となるが、まだまだ財源不足解消にはほど遠い。

その厳しさに背筋が凍りつく、議会初日となった。

夕方。
雲峰松山市議とともに、市内の支持者宅をお伺いした。

以前お受けした、河川改修に関するご要望に対するご報告だったが、結局のところ、
危険度の高さによる選別を行わざるを得ないといった、財政事情のご説明となった。

心苦しい内容にも関わらず、最後までじっくりと聞いてくださり、又ご理解も頂き、有難くてならない。
こうした痛みを共有してくださる方々のためにも、財政再建を急がねばならない、と決意を新たにする。

今日お伺いしたその方は、御年80歳。
20代の頃から、民生委員を始め、地域のあらゆるお世話役を務められてきたそうだ。

そして、今なお現役で、児童を対象とした食育体験学習の講師やボランティアなど、
地元になくてはならない中心的存在として、ご活躍されているのである。

心から頭が下がるとともに。

その方の、半世紀にわたる地元貢献の歴史と生き様に、大政治家を仰ぎ見る思いがした。
議員こそは、このように生きるべきなのだ、と。

人生の大先輩の生き様に触れ、財政再建にひるんでいる場合ではない、戦え!と、
自身の一念を叱咤し、鼓舞させられた、強く印象に残る1日となった。

��写真は、県庁内の、歴史あふれる公衆電話)

2007-11-28

問題は、あれもこれも

終日、どんよりと半べそをかいたような曇り空。
午後、中村町議とともに砥部町を訪れた。

以前、地域住民の方々から頂いた相談事項に対する措置が決まり、
そのご報告にお伺いさせて頂いたのだが、その生活不安の解消を大いにお喜び頂いた。

本当に、何より、だ。

この短期日の間に、当局との対話と手続きを重ね、それぞれの思いを交わす中で、
行政との心の距離もグッと縮まった皆様のご様子に、思わず安堵と感動を覚えた。

つくづく、対話は解決の母、と思いながら、
夜は、昨日に続き、久万高原町を訪れた。

ある自営業者の方との対話では、主力産業である林業・建設業の窮状に対して、
止め処なく、やり場のない、怒りとご指摘を承った。

裏返せば、それほど政治の力を頼りにされていることの証左である。
しっかりと受け止め、期待にお応えしなければ、と神妙に決意する。

その後、月に1度開催される地元の党員会会場に移動し、
遠路からのご参集に頭が下がる思いで、皆様をお迎えさせて頂いた。

今日は、久万高原町消防署救急救命士の片岡氏を講師にお迎えし、
心肺蘇生法とAEDの講習を受けた。

講師の、身振り手振りを含めた非常に巧みでわかりやすいレクチャに、なるほどの連続、連発。
本当に為になったひと時であった。

考えてみると、いざという、その時は、ある日突然やってくるものだ。
1分1秒を争う、そのいざという時、的確に処置ができるかどうか。

1回講習を受けただけでは万全とはいえないし、その時、動転と動揺が先に立つこともわかる。
が、知らないと知っているでは、救命率に決定的な差が生まれることを理解した。

救急場面において、かけがいのない命は、まさに、0か1か、なのだ。

��EDの設置の広がりとともに、いざという時に備えある地域社会にしていくこと。
貴重な講習を受けながら、また1つ、宿題を頂いた気がした。

講習の後は、過疎をテーマに簡単なアンケートを行い、生活上の諸問題を伺った。
予想通り、あれもこれも、である。

折りしも、公明党は先頃、地域活性化対策本部を立ち上げたところであり、
それは、こうした全国の過疎地域の実情に基づく赤裸々な声を集約し、有効な政策提案を行うためである。

そして、一刻も早い対策を実現、つまり、来年度予算に反映させるべく、今、急ピッチで作業を進めている。

国との更なる連携により、切実なる皆様のご要望に何としてもお応えしてまいりたい、と思うとともに。
地方の自立という観点から、県独自の政策実現に取り組む必要性を痛烈に感じ、そして、決意した。

��写真は、心肺蘇生法・AED講習の風景)

2007-11-27

地方の閉塞の、突破口

走行距離100㎞強。
県下を大きく走る1日となった。

まずは午前、すっかり衣替えした山並みを走って訪れたのは、久万高原町。
県内で最も少子高齢化の進む同町の、厳しい現状とご要望をお伺いするためである。

玉水町長には、お忙しい中を長時間、快くご面談を頂き、有り難く思うとともに、
お話を伺うほどに、何とかお力になりたい、ならねば、という思いを強くしたひと時であった。

そもそも、中山間地域の経営には、固有の制約条件というものがある。

離島も同様だが、現在の国の政治的統治は、そうした地域への配慮があまりにも不十分だ、
との、叫びにも似た、具体的で切実な、種々のご指摘に、同感を禁じえない。

スタートラインがフェアでなければ、地方の自立に向けたヨーイ、ドンもできないのだ。

さっそく、ネットワーク政党の強みを生かして、町長の思いを国政につなげてまいりたい。
よしっ、と思いながら山から下りると、今度は、海岸を走った。

向かった先は、北条。

県民相談に伺ったのだが、それはそれとして、他の心温まる、いいお話をたくさん伺った。
あべこべにこちらが勇気を頂いた格好で、いささか恐縮である。

そして、県庁へ戻り、部局折衝その他の執務をしている間に、日は暮れて。
今日の、自身の前進は何だったか、と考えると。

玉水町長との対話の中で、又、稚拙を承知でおこがましくも持論をぶつける中で、
昨日から考えている希望の具体化が、ほんの少しだけ見えてきそうな手応えを感じたこと、か。

固有の資源の、価値化と市場化。
地方の閉塞の突破口となるのは、要するに、これに尽きるという漠然たる確信である。

現場に足を運ぶとともに、しっかりと脳みそに汗をかいて。
明日から新たに、チャレンジ開始だ。

��写真は、議事堂前の、スキッと散髪を終えた生け垣)


2007-11-26

タテ割りと財政難、の向こう側

さっそく行動開始、と昨日綴った通り、今日は終日、現場を動いた。
県民相談に関する部局折衝と、当事者へのご報告ということである。

その中で、いろんなことを感じ、考えさせられたのだが、
今日つくづく私の脳裏を支配したのは、この2つの事実。

行政は、タテ割りにできているということ。
県は、財政難であるということ。

いうまでもないし、理屈もわかるが、もう1歩釈然としないモヤモヤが残る。

タテ割りに関して、ふと、民間企業に勤めていた時代を思い出した。

いわゆる、ケーレツとか、護送船団方式という従来の商慣行、あるいはシステムが、
一斉に指弾されるようになったのは、バブル崩壊後だったか。

従来のシステムは、上位にある企業・団体の磐石が前提ではあった。
今、その前提は崩壊または変質し、
ビジネスの世界は、例外なく、完全に、ボーダレス経済へとシフトしてしまった。

財政難に関しては、この人をおいて他あるまい、というほどに上杉鷹山を思い出した。
彼が知事なら、今の愛媛をどうするだろう。

実は彼、一度目の改革で、民衆の支持を失い、失脚したのであった。
そして、隠居を経た二度目の改革で、見事、財政を立て直したのである。

今でいうマーケティングをベースに、
米沢藩というオールド・カンパニーを、ビジョナリー・カンパニーに変えた、といえよう。

タテ割りと、財政難について。

今の時代にふさわしい、道州制を含む新たな国と地方の運営システムは、どうあるべきか。
愛媛をビジョナリー・カンパニー化させる、そのゆらぎは、どうすれば起こせるか。

などと考えながら歩いていると、夕方の庁舎内が、思いのほか暗いことに気づく。
そうだ、廊下の電気を節約しているんだ。

歳出削減への涙ぐましい職員各位の努力に、グッとくるものをこらえながら。

終日、県民相談に動き、感じ、見えてくる現実の、
その向こう側にある希望の具体化こそ、私たち議員に与えられた最も重要な仕事なのだ、
ということを痛感する。

そして。

為せばなる、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。
かの鷹山のメッセージが、あらためて強く、心に沁みた1日となった。

��写真は、電器を節約中の、17:00過ぎの県庁廊下)


2007-11-25

政治は、心理学であればこそ

世の中に、悩まない生活は、ありうるか。
いくつかの県民相談に対応しながら、思った。

およそ社会で生きていく以上、そこには様々なルールがある。
他者と関わりながら暮らす以上、そこには多様な感情が渦巻く。

人がルールを作り、作られたルールは人を従え、
感情もまた、人とともに生じ、人へ生じさせる。

してみると、生活は、矛盾と不思議の異名なのかもしれない。
そして、その生活をマターとする政治は、人の悩みをマターとする心理学ともいえよう。

そんなことを考えながら、「大前流心理経済学」(大前研一/講談社)を読んだ。

いつもながらだが、その仮説設定に、どっきりと、なるほどが、満載だ。
私なりに同著を要約すると。

日本経済が直面している人類史上例のないともいうべき深刻は、
日本人固有の心理に起因しているゆえに、その突破口は心理を動かすことである。

そして、そのためにはどのような経済政策が有効か、具体的に7つの方向性を提示し、
世界を再びリードする生活者大国・日本への可能性と道筋を示した書、といえる。

読み解くカギは、個人金融資産1,500兆円にダイナミズムを与える、ということであるが、
このフレーズだけ一人歩きしてしまうと、同著の意図は理解できず、誤解に終わるであろう。

第6章の集団IQの件は、良薬口に苦しで堪えたが、いずれにしても。
参考で終わらせてはいけない、というのが私の読後の所感であり、決意だ。

正しく、政治は生活者に対して、不安心理を解消するような政策を次々に打ち出すべきであるし、
そのためには、常に世界を視野に入れた大胆な仮説思考の訓練が必要であることを痛感した。

明日から又、新たな1週間が始まる。
29日には、12月議会も開幕する。

政治は、心理学であればこそ。
生活者の中へ、生活現場へ、さっそく行動開始だ。


2007-11-24

青野慶久さんに、学ぶこと

日経ビジネス11/26号で、とある記事に目がとまる。

紹介されているのは、地元今治市出身、青野慶久氏。
皆様ご存知の通り、サイボウズの社長である。

同社は、創業10年にして年間売上100億円突破と東証1部上場を果たし、
今や、国内グループウェア業界におけるトップ企業となったわけである。

記事の見出しは、パソコン少年の夢は世界へ、である。
なるほど、写真の笑顔の眼差しからは、まさに少年のようなピュアマインドを感じる。

記事は、パソコンのプログラミングに熱中した小学生時代から書き起こされ、大学時代の挫折と、
松下電工時代の試行錯誤の末の、仲間とのベンチャー起業への挑戦、と夢の足跡を綴り。

そして、元手は親から借り入れた資金と自分たちの知恵だけ、という草創期の奮闘と、
リーダーが去った後、社長となってからの経営の行き詰まりへと、話は続く。

そして、苦悩の彼に、ある転機が訪れる。
というより、見出したというのが正しいだろう、それは。

「真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。」
という、あの松下幸之助氏の言葉であったという。

その言葉こそが転機であった、と。

経営者としての自省を生み、「グループウェアで世界一になる」という真剣な志を立て、
「自社を世界の公器に」との、世界への貢献という壮大にして明確な夢を描くきっかけとなったのだ。

記事は続くが、ここまでとして。

私は、ハッとするのである。
彼は、今治市の玉川出身である。

地方から世界へ、は可能なのだという希望あふれるエビデンスと、
自社を世界の公器に、グループウェアで世界一に、という経営理念・目標の明確さ。

政治が発信すべき、今、最も重要なメッセージは何かということを、明快に示唆している気がする。
生活者が政治に対して最も知りたいのは、将来の具体であり、求めているのは希望であろう。

記事を読んで、政治は、不信から信頼への転機を自ら見出さねばならないと、痛感した。

ちなみに、僭越ながら。
青野社長は、母校・今治西高の8つ後輩にあたる。

理念通り、ますますのご活躍と、世界へのさらなる雄飛を心から念願するとともに、
一人の先輩として恥ずかしくないよう、愛するわが愛媛に貢献してまいりたい、と思う。


2007-11-23

心と背筋が、ピン

午後、公明党愛媛県本部の議員総会に出席する。
同総会は、月に1度開催される定例会である。

今回は、石田衆議院議員・山本参議院議員も参加され、
今後の活動についての方針説明と意思統一が行われた。

それはまさしく、事実上の次期衆議院選挙への出発であり、
常在戦場の緊迫が全身にみなぎる会合となった。

最も大事なことは、私たち公明党の存在意義である。
票は、その結果である。

生活者に対して。

他党ではない、公明党にしかできないこと、公明党だからできること、
その、公明党らしさ、という価値を実感して頂くこと、である。

そのために今、私たちがなすべきは、地域へ、生活現場へ、
自ら足を運んで行う、1対1の対話である、と石田議員は訴える。

そして。

お伺いした様々なご意見を集約し、公明党議員のネットワークを最大限に機能させ、
行政レベルごとにスピーディに対応し、その結果を、確実にフィードバックしていく。

その結果。

このスピード対応は、公明党にしかできない。
これが実現できたのは、公明党のおかげである。
こんな要望に、ここまで親身になって対応してくれるのは、まさに公明党らしい。

そのように言って頂き、感じて頂けること。
つまり、生活者の要望に対して、前進を含めてどれだけ実現させたかという結果。

それこそが、今、私たちが問われる成果であり、次期衆議院選の勝利のホシなのである、と。

その通り、と思うとともに、まだまだの自身を猛省した。

これから皆様に目に見える形での、公明党の新たな活動も始まる予定だ。
その中で、私らしさ、を最大限発揮できるようがんばってまいりたい。

心と背筋がピン、となる議員総会であった。

��写真は、石田祝稔衆議院議員・公明党四国方面議長)


2007-11-22

野口悠紀雄さんを、考えた

昨日から、財政再建というテーマが、頭から離れない。
何からどのように手をつけたらいいのだろう。

一気に、すべて、とはいくまいが、急所の一手というのがどこかにあるはずだ。
というのが、今日の研鑽のテーマとなった。

巷で定評の、「日本の財政」(林信光編著/東洋経済新報社)をひも解く。
豊富な資料と約500Pのボリュームで読み応えがあるし、わかりやすい。

が、テーマがテーマだけに、一気に読破も理解もできるものではなく。
スピード感を持って、じっくりと読み込んで、マスターしてまいりたい。

さて、驚いたのが、この1冊。
「野口悠紀雄の「超」経済脳で考える」(野口悠紀雄著/東洋経済新報社)、である。

同書の主旨は、経済学的なものの考え方を通じて、間違った「通説」を正す、というものだ。
それは、経済学部出身の私としては大いに結構、とばかりページを開いていくと。

「このように、定量的に見ていくと、
財政再建とは、社会保障費をどうコントロールできるかという問題である。」

なるほど、である。
途中までは。

中ほどから、氏の説によるところの「通説」否定の場面が、いくつも出てきた。
そのいくつかを挙げると。

「年金問題解決のために出生率を上げるべきだという議論があるが、それは不可能である。」
「国の借金を家計の借金にたとえて、だから大変だというのは、間違いである。」

「消費税の社会保障目的税化は、原理的に言って不可能と考えられる。」
「人口が少ない社会は豊かな社会であり、むしろ歓迎すべきことなのだ。」(以上、趣旨)

いずれも定量的に根拠を提示しての切り口に、正直、驚いた。

私の視点が第1象限にあるとすると、彼は第3象限ほどに対極の視点を提示し、
おかげで俯瞰するZ軸の存在を教えてもらう格好となった。

つまり、もっと考えろ、である。

彼は、言う。
経済学は、意見が正反対の人がともにノーベル賞受賞者となれる唯一の学問である、と。
それくらい、融通無碍なのだそうだ。

そうしたものの考え方と、定量で本質を掴み取る力の重要性を理解するとともに、
融通無碍なる仮説と検証という思索の連続の中に、財政再建のヒントは必ず見出せる。

そんな、難問に挑戦する勇気とエネルギーを、与えてくれた1冊であった。


2007-11-21

香川大学OB会、初参加

午後、理事者から12月補正予算の説明を受ける。
職員給与改定費、約10億円、の1件のみ。

地方公務員法に基づく人事院勧告を受けての引き上げによるものだが、
一方で、今年度の県独自の職員給与カットは、約45億円だ。
��ちなみに、県議の給与は10%カットを継続中)

ということは、差し引きしても約35億円の給与カットとなり、
まだまだ本来の給与を頂けないという厳しい状況である。
超緊縮財政は、いつまで続くのか。

心までも肌寒く感じながら、夕方から、香川大学OB会に初めて参加させて頂いた。

大学卒業後、転職・転勤などにより、糸が切れた凧のように、
��B会事務局から掌握漏れとなっていた私であったが、

この間、大学OBである地元企業の社長からご案内を頂き、
ようやく母校との糸が繋がったわけである。

ご縁を結んで頂いた山本社長に、心から感謝申し上げたい。

さて、そのOB会。
県内に活躍するOBは、少なく見積もっても100数十名を掌握しているとのこと。

今回は繁忙期も手伝ったのであろう、10数名という少人数であったが、
非常に密度の濃い交流ができ、感激もひとしおであった。

先輩は、どちらに下宿されてましたか?
私は、宮脇町のあの辺。
わしは、屋島寮の1期生よ。

サークルは、どちらに?
ブルーハワイよ。
えー、じゃあ僕の直系の先輩ではありませんか。

話題は止むことなく、当時の風景が次から次へ、ありありと、蘇ってきた。

年齢・肩書きといった裃を脱いで、同じ学舎に学んだもの同士。

そこにあるものは、先輩・後輩という、温かい絆であった。
無条件に受け入れられる、兄弟にも似た親近感であった。

まさに、母校は、母港であり。

帰るべき港が、また1つ。
さればこそ、勇躍さらに、社会へ、明日へ、漕ぎ出す力を得た感あり。

山本社長、そしてご参会の各位にあらためて感謝を申し上げたい。

最後に。
世間は、やはり狭かった話を1つ。

私の2つ後輩にあたる、豊嶋さん。

当時、わが親友の下宿に住んでいた、という。
そして、当時の私を強烈に覚えているという。

いわく、すっかりイメージが変わりましたね、と。
さらに、彼のお兄さんは、私の高校時代の同級生であることも判明。

えー、である。
それって狭くない?である。

そして、豊嶋さんには。
やんちゃだった当時の私のことは、胸の奥にしまっておいて、と願うのみである。


2007-11-20

腑に落ちた、真実

出張続きにて、久しぶりに議会控室に足を運ぶ。
この間の新たな県民相談に動き、いくつかの進展をそれぞれにご報告する。

あっという間に半日は、過ぎ。
夕方、これまた久しぶりに議会図書館を訪れる。

先輩議員が、いた。
12月議会の質問原稿を準備されていた。

いくつかのDVDを借りた後、
がんばってください、失礼します、とその場を辞した。

そこで、今日の本題、というかイチオシのトピックス。

「不都合な真実」(パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン)、
このドキュメンタリーDVDを、ぜひ各位にPRしたいということである。

ご承知の通り、過日、ノーベル平和賞を受賞されたアル・ゴア米元副大統領の、
あの「不都合な真実」の映画版である。

鑑賞の後。

かつて広告業界に在籍した者としては、決して驚くべきことではないけれど、
それでも認識を新たにさせられてしまった。

それは、映像のチカラ、であり、優れたプレゼンテーションの力、に対してである。
強烈なメッセージは、チカラある手段により、ずば抜けて増幅されるのだ。

確かに、同氏の著作はもとより、他の地球温暖化関連本も、何冊か読んだ。
それぞれに挿入された多くの、有名な、真実の、現場写真も見た。

情報としてトレースしていたにも関わらず、この映像のインパクトはどうだろう。
刺さるところが違うというか、まったく質が異なるのである。

腑に落ちる、のだ。
はっきりと。

地球温暖化の進行がいかに危機的かという現実と、
それが不都合であるゆえ決してそれを認めないアメリカ社会の現実と。

そして。
私は信じている。あなたと、あなたの行動を。

主旨だが、その、いかにもアメリカ的なセリフで締める希望あふれるエンディングに、
思わず、しかし気持ちよく、Yes, We Can、と言わされてしまうのである。

このドキュメンタリーDVDは過たず、1つのメッセージを、見る人の、心の奥深くに届けるであろう。
そして、行動を変えるであろう。
もちろん、人種・言語・年齢・性別、その他の属性を問わずに。

ぜひ、一人でも多くの方に見て頂きたいし、
特に、小・中・高校生の若い感性には、ぜひ今の年齢のうちに見させてあげたい。

私と私たちの、次の、なすべき行動に頭を巡らせながら、そう思った。

��写真はDVDパッケージ。ちなみに環境に配慮して、プラではなく、紙。)

2007-11-19

高齢者医療と、これからの地域医療

医療問題の続き、である。

来年4月から、高齢者医療制度がスタートする。
2006年の医療制度改革を受け、高齢者負担の見直しにより医療費の伸びを抑制するためである。

改革をしなければ、と厚労省は、いう。

国民医療費が、2025年度には2006年度の約2倍の65兆円となり、
老人医療費の割合が、その内の実に5割近くまでに膨らむ、と。

その結果、現役世代は負担の限界を超え、制度自体の持続性が危ぶまれる、
というのだ。

しかしながら、この間、医療以外にも、年金・介護保険・税制などの改革を一気に推し進めた結果、
個別では考えられなかった複合的な負担増が高齢者を直撃し、悲鳴を上げている。

それが、先の参院選に示された民意の1つであったろう。
たしかに、医療制度改革の必要性は然りといえども、悲鳴もまた切実なる事実なのだ。

そうした声をもととする公明党の強い主張により、この間、負担増凍結が決定した。
ポイントは、2点ある。

1つは、75歳以上の後期高齢者の一部が新たに負担する予定だった保険料を、半年間
��08年4月から9月の間)免除し、その後の半年間(同10月から09年3月)は9割軽減する、ということ。

もう1つは、70~74歳の窓口負担が2割へ引き上げられる予定だったのを1年間見送り、
現在の1割に据え置く、ということ。

緊急措置とはいえ、かかる財源は1,500億円以上である。
簡単な政治判断ではなかったことを推察すると、ここは一定の評価を頂ければと思う。

とともに、国に対しては、前期高齢者を含めた高齢者医療制度のあり方を、税制を含む
社会保障全体の制度設計という観点から取り組んで欲しいし、私も連携を取ってまいりたい。

そんな中、週刊東洋経済の、とある記事に目がとまる。

患者の中でも特に、後期高齢者をトータルに診る総合科医を中心とした在宅医療という、
これからの地域医療の青写真ともいうべき取り組みが紹介されていた(同誌P100)。

久万高原町を、中島諸島を歩きながら、何となく私がイメージしていたのは、このケースだった。
これにICTが活用できれば、どの中山間地域にも離島地域にも応用が可能だな、と思わず共感する。

今後の議会・委員会活動を通して、積極的にアプローチをしてまいりたい、と思う。

そして。

医療に対する頭のスイッチを切ってはいけないよ、
と、記事の向こうからたくさんの高齢者の声が聞こえてくる、そんな気がした。

2007-11-18

生活者のために、医師を守る

体調を崩したまま、2週連続の上京となり、未だ芳しからず。
ドクターストップを振り切ったツケか。

と、自宅にて少しだけ静養しながら、1冊手に取る。
「貧乏人は医者にかかるな!」(永田宏著/集英社新書)

なんとも過激なタイトルである。

一読したところ、
氏は、現今の医療崩壊の真因は、医師不足であると結論する。

そして、これは地方、あるいは、産科・小児科に限った話ではなく、
2025年までには、全国の、主要な診療科目のほとんどで生じる、
厳しい現実であると、データをひも解きながら指摘する。

では、どのような対策が考えられるか、というと、

医学部の定員を増やすか、
国外から医師を輸入するか、
患者を国外に輸出するか、

という、過去にイギリスで有効とされた3つの例を挙げ、検証を試みるが、
日本においては、いずれも決定打にはなりえない、とし、結局のところ、
4つめとして、患者にならない、という未病・予防の重要性を説いている。

氏の説を、私なりにまとめると。

加速する少子高齢化と、医師不足。
つまり、患者のパイがこのまま増大すると、今後ますます医療資源がシェアできなくなる。

従って、喫緊の課題は、そうした事実を前提とした国民皆保険・健康保険制度の抜本的見直しと、
医療のイノベーションと、健康の自己責任という国民の意識向上である、ということになろう。

医療の現場を知悉する氏の提言は、警鐘を乱打するかのように、心に響いてくる。
重たい読後感は否めないが、大いに、考えさせられた。

生活者を足場としながらも、地元の医療現場をもっともっと歩かねばならない。
そして、政治は、生活者を守るために、何としても医師を守り増やさねばならない。

強く、深く、決意した。


2007-11-17

喧騒から、のどかへ

午前に所用を済ませた後、ここはせっかくとばかり、新橋の「せとうち旬彩館」を訪れた。
ご存知、愛媛・香川のアンテナショップである。

写真の通り、あいにくの外壁工事中であったが、館内は予想以上の客入りであった。

まさに、愛媛特産品の見本市。

特に、日の丸みかんと真穴みかんが並んで売られていたのと、
今治名物・鯛めしのPOPが、私の目を引いた。

中高年のご夫婦が多かったように思うが、その会話から推察するに、
愛媛・香川のご出身、あるいはご縁の深い、都内在住の方々なのであろう。

そして。
彼らにとってここは、ある種、自己確認を行う場所なのかもしれない、と思った。

そして、束の間、銀ぶらの後、一路、松山へ。

喧騒からのどかへ。
帰ってきたその足で、向かったのは、支持者の座談会会場だった。

早速、上京報告をはじめ、1年生議員が見た政治の現場というテーマで、
この半年の活動についてお話をさせて頂いた。

地方はどこも、少子高齢化と格差化によって生じる様々な課題に苦しんでいる。
それに対して、等しく財政難という状況で、有効な解決を見出せずもがいている。

という現実を認識した上で、それでも希望はある、ということをお訴えした。

それは、本当の意味で、私たち庶民が、政治の主役を勝ち取ることだ。
それぞれの社会責任に立った上で、もっと声をあげ、知恵を結集し、強くなることだ。

ということを、事例紹介を通しながら、お話をさせて頂いた。

希望は、ある。
それを1つ1つ、現実にしていく。

その流れを創り拓いていくことが、微力ながらも自身の果たすべき使命に他ならないし、
新人議員としての強みがあるとするならば、この初心のみ、であろう。

皆様とともに、皆様のために、という初心のままに走り続けることを、
温かい支持者の皆様にお誓いし、散会となった。



��写真:左は鯛めしのPOP、右は銀座の歩行者天国)

2007-11-16

道州制をテーマに、集う

東京都内で開催された「第7回都道府県議会議員研究交流会」に、
愛媛県議団11名の一員として参加させて頂く。

600名を一堂に会するコンベンションは、まったくもって壮観、であるが、
その内実は、それぞれに、地方の課題を背負って集う者同志であったろう。

ざわつく中、2部構成の第1部、パネルディスカッションから会は始まる。

道州制をテーマに、中央大学大学院佐々木教授をコーディネーターとして、
政官財民の各界から5名のパネリストによって活発な議論が行われた。

コーディネーターから、道州制論議の背景と理由、
そして制度設計を巡る論点と導入のメリット・デメリットの整理、
及び、今後の課題について、簡単なレクチャがあった。

それを受ける形で、パネリスト各氏の持論が展開されたわけである。

いずれも、それぞれの立場が明瞭に反映されていて興味深かったが、
総論賛成という点において一致していた。

その後、会場との質疑に入るわけだが、ここから一気にヒートアップ。
一言物申す挙手は止むことなく、時間の関係上、6名の質問があった。

道州制推進ありきは茶番だ、とする三重県議の発言が象徴的で、
多くの参加県議の心情は、推進に慎重または懐疑的、であったように感じられた。

そのことよりも、真の地方分権を望む声が圧倒的であったと思う。
つまり、手段である道州制論議を先行させるのは本末転倒である、と。

政府の意向は、2015年頃をメドに道州制を導入したい、とのこと。
あと、8年だ。

しかし、ここは期限提示以上に、それが何のため、誰のためなのかについて、
国民と地方の合意形成をしっかりと行うことが肝要であろう。

私も、このテーマについてこれから更に深く、研究を深めてまいりたい。

さて、第2部は、分科会。
テーマごとに5つのグループに分かれて行われた。

私が参加したのは第5分科会。
テーマは、「議会の政策立案機能の強化について」である。

奇しくも愛媛出身、中央大学磯崎教授のコーディネートにより、最初に、
議員提出条例の立案過程における手法と課題などについてのレクチャがあった。

実務レベルで非常にわかりやすく、トークも巧みで思わず唸った。

そして、わが横田議長が、宮城県議とともにパネリストに挙がり、
それぞれの取り組み事例の紹介を行ったのである。

それを受けての質疑応答では、ここは愛媛が主役とばかり、私も発言をさせて頂いたが、
議会のあり方が今、確実に変革期に入っていることを、あらためて実感した分科会であった。

夜は、横田議長の主宰で懇親会が催され、駆けつけられた山本順三参議院議員と、
水口愛媛県東京事務所長を囲んで、こちらも活発に意見交換を行った。

半日強という短時間ではあったが、実に、有意義な知見を得た研究交流会であった。
すべては県民のために、との視点で、これからの県政発展につなげてまいりたい。







��写真:左から、午前中表敬した愛媛県東京事務所、第5分科会風景、横田議長パネリスト発言風景)

2007-11-15

地域活性化を、定義から考えた

10:00より、地域活性化対策特別委員会が開催される。
本日の議題は、「南予地域の活性化について」であった。

まず、今年度から実施されている施策や事業の取組状況について、
各部局からの説明があり、それに対する質疑が行われた。

知事の肝煎りということもあろう、実に、多岐にわたる配慮が行き届いている、
というのが、私が最初に得た所感である。

県は、同地域活性化のために、全部で65の事業について、金額にして約136億円という、
手厚い、又は非常に充実した支援を行っていることがわかった。

早速、委員からは、南予突出ではなく東中予とのバランスに配慮を、という意見も出たが、
その気持ちは実によく理解できても、今日の議題とはまた別の議論であろう。

問題は。

南予活性化諸施策・事業が、所期の目的に対する投資効果、あるいは期待成果として、
どのように総括されるべきか、ということであろう。

私は、人材育成に対する支援の考え方とあり方について、質問した。

地域の活性化をどのように定義するか、と問われると、私は常々、
地域固有の強みを生かした新たなビジネス、又は市場の創出、と回答しているし、確信している。

そのあまりにも有名な成功事例として、
徳島県上勝町の葉っぱビジネスと、高知県馬路村のゆずドリンク通販ビジネスが、ある。

いずれも。

上勝町の葉っぱは、横石さんが現れなければ、今でも葉っぱのままだったろう。
馬路村のゆずは、東谷さんと松崎さんがいなければ、とっくに消滅していただろう。

葉っぱも、ゆずも、それ自体、地域固有の価値である。

それを、片や会席料理の妻ものとして、片や馬路村という田舎そのものを売る道具として捉えたとき、
まったく新たな、顧客すなわち市場の特定と、ビジネスの仮説ができた。

あとは、トライ&エラーの積み重ねという、不屈の信念に基づく実践によって、
全国レベルの成功事例となったわけだが、そのカギは、どの角度から分析しても、「人」なのである。

そういうビジネスマインドを持った人材を、この地域にどのように輩出していくのか。
どうすれば、南予に、第2・第3の横石さんたちを、輩出できるのか。

そうした人材育成こそ、南予に限らず、地域活性化に最も重要な要因であり、
その触発から育成までの機会と環境を提供することこそが、行政が果たすべき最重要の役割ではないか、
ということを申し上げた。

加えて、将来、南予を担うであろう、感受性豊かな若き世代に対して、
成功事例を成し遂げた「人」と、その現場との、交流・視察の機会を与える、いわゆる、戦略派遣事業の新設を、
要望として強く申し入れさせて頂いた。

各委員それぞれの視点に学びながら、有意義な時間は過ぎた。

閉会の一方で。
地域活性化特別委員会の一員として、私の期待成果は何か、ということを考えている。

宿題は、終わらない。

2007-11-14

黒田官兵衛の、時代

久しぶりに、司馬遼太郎の世界に触れた。
播磨灘物語、である。

時代は、戦国時代。
主人公は、秀吉の名参謀、黒田官兵衛である。

彼こそは、政治家である。
戦国の3人の英雄が光であれば、彼は添うがごとき影であった。

タフ・ネゴシエーターであり、名プロデューサーであり、
優秀なマーケターであり、敏腕経営者であった彼がいなければ。

おそらく、戦国時代の風景は違ったものになっていたであろう。

彼は、人間の機微というものを、まるで顕微鏡で拡大するかの如く捉えることができた。
そして、それに対する化学反応シュミレーションを、誰よりも想像することができた。

ゆえに、その力を最も必要とする権力者に、必然的に求められ、同時に恐れられた。

徳川幕府における、息子の長政の成功を持ち出すまでもなく、
この時代を進退鮮やかに生き抜いた稀有なる人物であった。

強く想ったこと。

中世から近世という、時代のコペルニクス的転回を、
最初から直感的に、そして合理的に理解できたのは、信長と官兵衛の2人ではなかったか。

そして。
片や高転びに転ぶものと、近世という新たな時代を悠々と仰いだものに、両者は分かたれた。

今の時代は、どうだろう。
と考えるとき、官兵衛は、優秀な政治家だと思うのである。

司馬遼太郎の点描する官兵衛とその時代に、束の間誘われ、
今の政治家に必要な視点というものを、密着取材させて頂いた気がした。


2007-11-13

少子化、という難問

10:00より、環境保健福祉委員会が開催される。
部局からの報告とレクチャを中心に行われた。

ポイントは、2つ。

乳幼児医療費助成制度の見直し案について、
県と市町との合意内容に関する報告が、1つ。

もう1つは、本県の少子化対策の取組状況についてのレクチャ、であった。

いずれも、少子化対策というテーマに括られるが、
乳幼児医療費助成については、ささやかながら拡大、の方向性が見えた。

現行では、通院は3歳未満まで無料、入院は就学前まで無料となっているが、
この通院に関して助成枠が拡がったのである。

つまり、3歳以上から就学前までについて、
1ヶ月の自己負担上限額を2,000円とすることで、県と市町で合意したのである。

2,000円といえば、薬代を含め、ほぼ1~1.5回分の診察治療費に相当しそうだ。
そうであれば、2回目以降は無料ということになり、
育児にとっても家計にとっても明るい材料といえる。

施行は来年4月1日からの予定である。

また、既に、東温市・八幡浜市の2市は、独自に対象年齢を拡充しているが、
四国中央市・新居浜市・西条市の3市が、来年から新たに拡充する見通しであることも明らかとなった。

次期議会で上程・採決される予定だが、ちなみに、今回の拡大財源額は県・市あわせて、約3億円である。
この厳しい財政事情の中では、健闘に値する判断ではなかったか、と思う。

また、助成費用拡充の一方では、乳幼児を担当する小児科医の拡充という裏づけが必要だ。
このための費用を捻出する意味でも、今回は、完全無料化への一里塚としての前進、と位置づけたい。

もう1つの、本県の少子化対策の取組状況については、
個人的には少し消化不良であった。

国も同じことがいえると思うのだが、少子化対策という場合、最初に必要なのは、
では、どれくらいの人口が適正か、について合意することではなかろうか、と思う。

そこには、人口バランスを含む、社会のグランドデザインをどうするかという哲学が問われる。

ちなみに、これには1つの答えというものはなく、国なら国、県なら県という、
その社会を構成する構成員の選択の問題であろうと、私は考える。

社会の持続ということを考えると、少子化をよしとする理由は何もないが、
子どもを産まない、産めない、産みにくいという約40年にわたる現実は、
ソフト・ハードとも、単なるインセンティブだけではとても解決は困難であろう。

頂いた資料を何度も読み込みながら、もっと根本的な何か、の必要性を感じた。
スイッチをオンにしたまま、その突破口を見出してまいりたい、と思う。


2007-11-12

健康に、ご用心

2日前から予感を感じていた体調不良が、今朝、ピークとなる。

たまらず、病院で診てもらった。
半年ぶりだ。

点滴を打ってもらって、あとはひたすら床に伏した。
が、電話が絶えない。

内容を伺い、適宜対応をさせて頂くが、
あらためて公人の厳しさというものを実感した。

日頃から、健康には臆病なくらい用心を、ということであろう。
肝に銘じながら、休ませて頂く。


2007-11-11

国立ロシア美術館展、最終日に

10/3から県美術館にて開幕した「国立ロシア美術館展」も、
いよいよ今日が最終日となった。

一昨日、来館者の数が実に、10万人を越えたという。

それほど多くの人を魅了してやまないロシアの至宝を、
心に焼きつけるべく、小2の息子と鑑賞に訪れた。

開始時間早々にも関わらず、会場は観客でごった返していた。

一通りの鑑賞を終え、親子で語り合った。
どれが一番、印象に残ったか、その理由は?

僕は、「月夜」。
お月さまに海がキラキラ光って、本物のようだったから。

息子よ、これを描いたのは、イヴァン・アイヴァゾフスキーという海洋画の巨匠で、
海を描かせたら、この人に勝てる人はいない、というくらいスゴイ人なんだ。

お父さんは、「教室の入口で」。
この女の子、または男の子の後姿から伝わってくる、庶民の偉大さに圧倒されるから。

当時の農奴制と専制政治に虐げられる庶民の暮らしぶり、といっても小2には難しかろう。
翻訳してのやりとりだったが、ふと、何で女の人ばっかりなん?と、息子から逆質問。

そういえば、女性を描いた作品がほとんどではある。

意表をつく子どもの目のつけどころには、ギブアップである。
大きくなったらわかるから、と思わず誤魔化してしまった。

芸術の秋よろしく、少しばかりの子ども孝行ができたかと、会場を後にする。

女性が主役ともいうべき国立ロシア美術館展の残像から、帰宅後、
買っておいた「女子の本懐」(小池百合子著/文春新書)を一気に読む。

小池氏といえば、たしか今から12年前の、1995年の参院選のときだったと思う。
当時、新進党候補を支援していた私たちの前に、颯爽と、応援演説でやってきたのだ。

ドキッとするくらい美しく、ぬけるように弁舌鮮やかだったことを、今でも覚えている。
まだ参議院議員になりたてだったと思うが、計算すると、今の私と同じ年齢であった。

比べるのも失礼だが、同じ年齢でもここまで能力が違うかと思わずにいられないし、
女性であることを、属性に過ぎない、と言い切る彼女に、政治家としての底知れぬ凄みを感じる。

同書は、防衛大臣就任前後の日記風ドキュメンタリーが中心ではあるが、
彼女がめざす、これからの政治のビジョンがわかりやすく描かれている。

そして、マックス・ウェーバーの言葉を借りて、彼女は最後を結ぶ。

「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、
堅い板に力を込めてじわじわと穴をくり貫く作業である」

そして。
私は一兵卒として、その作業を続ける、と。

立場も次元も異なるが、同意、全きを得た思いだ。
すべての政治家から貪欲に学びたい私にとって、貴重な示唆を得た1冊であった。


2007-11-10

甘えてばかりは、いられない

家内の風邪が移ったか、体調芳しからず。
夜、支持者の記念会合に参加しご挨拶させて頂く。

皆様のお元気なお姿に接し、安堵の思いが広がる。

ブログ、見てますよ。公明新聞、見ましたよ。
ご活躍ですね。

ますます議員らしくなってきましたね。
いつも、応援してますよ。

たくさんのご激励を頂き、ありがたくも恐縮しきりであった。

温かく長い目で、皆様に見守られ育ててもらっているのだ、
ということを、心から実感し、感謝するひと時であった。

とともに、甘えてばかりはいられない、一人前を急がねば、
との緊張感も同時に沸き起こるひと時であった。

ふと、先日読んだ月刊誌「潮」12月号が頭をよぎる。
そこには、公明党の設立経緯が特集されていた。

いわゆる55年体制がスタートしたのは昭和30年だが、
その年は又、公明党の前身が、初めて地方議会に進出した年でもある。

以来、52星霜。
公明党は今、衆院31名・参院21名・地方議会3,051名を擁するまでに育てて頂いた。

その歴史の流れの中に、地方議会3,051名の中に、私は、立っているのだ。

その源流を生み出したものは何であったか、
その流れを大河たらしめる必然と急所はどこにあるのか。

常に自問すべきは、私の義務である。

岩盤に爪を立てる思いで草創を築かれ、守り、拓いて来られた、
万を越えるであろう多くの先輩議員の汗と、数千万を越えるであろう多くの支持者のご苦労と。

常に報恩を寄せるのは、私にとって、人間の条件である。

今日お会いしたたくさんの笑顔の支持者の皆様に、そうした思いが重なって見えた。
自身の使命と責任の重さを、心に塗り固めるひと時であった。


2007-11-09

有限、を思う

チュン、チュン。
かわいらしい、すずめのさえずりで目が覚める。

出張帰りの本日は、事務仕事を午前に終え、午後は企業を訪問する。

各社ともそれぞれに多忙な中を、笑顔でご対応頂き、本当にありがたい。
近況を交換しながら、民間企業の厳しさと逞しさを、ともに感じさせられた。

夜は、出張不在中に葬儀が行われた支持者宅を、1軒1軒弔問に伺い、
参列できなかったことのお詫びと、お悔やみを申し上げた。

亡くなられたある老婦人は、私の選挙のときに、
元気なお姿で御粧しをして、杖をつきながらも揚々と、投票に向かったという。
その後、体調を崩され、最後の1票であったと。

ある壮年の方は50代の若さで、持病の治療入院中の突然だったという。
また、70代の壮年の方はガンではあったが、最後は眠るように安らかだったという。

ご遺族の、それぞれの悼みに心を重ねながら。
悲しみを乗り越えて、新たな1歩を力強く踏み出されんことを、心よりご祈念させて頂いた。

誰人たりとも、生老病死を免れない人生にあって。
有限、ということを思う。

それが普通、と感じているすべてのことは、実は限られているのだ。

そう思うとき、それは、有り難いことに違いない。
そこに感謝が生まれるに違いない。

そして、生活者が普通に暮らせることの、有り難さの実現が、政治の使命なのだ。

弔問を通して。
自身の限られた人生の中で、果たすべき使命というものを深く学ばせて頂いた。


2007-11-08

加戸知事と、愛媛みかん

本日は、東京都内で行われた
「平成19年度愛媛みかんトップセールス」に参加した。

えひめ愛フード推進機構主催による、
いわゆる、愛媛みかんのサンプリングキャンペーンである。

今が旬、これからが最需要期の愛媛みかんを、
大消費地である東京で、知事自らPRを行うから、トップセールス。

私も、県議として又、県議会果樹農業振興議員連盟の1人として、
愛媛みかん大使とともに、随行をさせて頂いたわけである。

さて、本日、サンプリングを行ったのは、銀座と新宿の2ヶ所。

場所は、西銀座デパート、新宿髙島屋の2Fエントランス、
B1青果売場特設コーナー、の3ヶ所であった。

ちなみに、西銀座デパートでは、山本参議院議員が駆けつけられ、
お忙しい中を、ともにサンプリングのお手伝いを頂き、感謝感謝である。

そして、私も。

“おいしい、おいしい、愛媛みかんです。
旬のおいしさを、どうぞお召し上がりください。”

1セールスマンとして、声を限りにお手渡しをさせて頂いたが、
3ヶ所とも、その人だかりといったら、ないのである。

新宿髙島屋では、行列が彼方まででき、先着500名分が数分で終了。
またたくま、というのはこのことである。

地元県議としては、今日ご賞味頂いた方々から口コミが広まり、
ここはぜひとも、他県ではない、愛媛みかんがたくさん売れることを、心から祈りたい。

そして、みかんの生産も販売も日本一奪回、という明るいニュースを、心待ちに待ちたい、と思う。

15:00すぎに全行程を終え、心地よい疲労に包まれながら。
慌ただしい1泊2日の公務を無事務め、爆睡の内に、松山帰着となった。

PS
お導き頂いた清家議連会長・寺井副会長・石川県議をはじめ、
運営頂きましたすべての関係各位に心より御礼申し上げます。



��写真左から:愛媛みかん大使との記念撮影、山本議員とのサンプリング風景)

2007-11-07

初めての、国会議事堂

秋晴れの中、公務と表敬を兼ね、上京する。
実に、約1年ぶりの東京である。

思えば、統一地方選出馬にあたり、
勤めていた会社への退職挨拶に伺って以来だ。

激動にして、あっという間の1年を振り返りながらも、
羽田空港に到着すると、回想から現実に引き戻された。

この街の喧騒ぶりは、相変わらずであった。

巨大なエネルギーのカオスに飲み込まれるようにして、
私が向かったのは、生まれて初めての、国会議事堂である。

山本ひろし参議院議員への表敬と陳情を兼ねてだが、
そこへ足を踏み入れるには、ほんの少しだが勇気が必要だった。

入ってみると、驚いた。

全国から陳情の団体が、まるで押し寄せるかのように、大混雑。
まさしく地方の、叫びにも似た、厳しい現実を見る思いがした。

また、折からの大連立騒動で、議員とメディアの出入りがひっきりなしだ。
私が踏み入れた第1歩は、そんな状況の中であった。

山本議員秘書の梅津氏のご案内で、まずは、国会内を見学した。

奇しくも、今から71年前、昭和11年の今日、この議事堂は完成したという。
その由緒に思いを馳せた。

ふと、中央広間に鎮座する、板垣退助の銅像に、足が止まる。
言わずもがな、自由民権の祖である彼もまた、四国の大先輩であった。

約1時間にわたる見学は、感嘆の連続となった。

引き続き、山本議員の部屋を訪れる。

伺っていた通り、与作の、439号室であった。
部屋は思ったより狭く、つつましやかで、やや意外な感がした。

ちょうど山本議員の奥様が来られており、温かな歓迎を頂き感激する。
そして、調査会を終えて戻られた山本議員と約2週間ぶりに再会。

近況とともに、厚生労働委員会での一般質問に盛り込んで頂く予定の、
離島のこと、社会的引きこもりのこと、障害者就労のことなどをお伺いする。

要望を伺った方々が、どれほど心強く、お喜びになるか。
早速、報告を、と思った矢先、情報が飛び込む。

委員会は明日なのだが、件の大連立騒動でスケジュールが混乱しており、
一般質問は、延期もしくは中止になる可能性が大らしい。

いずれにしても必ず、との山本議員の真心をありがたく感じながらも、
今回の騒動を、恨めしく思った。

そして、あっという間に、約2時間。

来客が後を絶たない山本議員と、丁寧なるご対応を頂いた奥様・梅津秘書に、
恐縮と感謝を述べ、次の表敬先へと向かった。

政治の権謀術数と国民の要望がるつぼと化す、この巨大な建物。
大事なことは、国民を感じる心であってほしい、と祈りながら。

初訪問の国会議事堂を背に、愛媛の、方々の顔を思い浮かべた。





��写真は左から:参議院登院ボタン、山本議員の439号室、談話風景、439号室から見た外の風景)

2007-11-06

父親の、ワークライフバランス

企業会計決算特別委員会、2日目。
今日は、途中まで傍聴参加し、その後、県民相談の来客対応にあたる。

そして、部局打合せ種々、企業・支持者への報告連絡種々、
と動いている内に、すっかり日は暮れ、帰宅後は、主夫仕事となる。

一昨日から風邪でダウン、の家内に代わって3日目。
夜のまかないも少しは慣れて、今日のメニューは、水炊きだ。

気合を入れて、まずは、ごはんからスタート。
シャカシャカと米を研ぎながら、これって何年ぶりだろう、と思う。

そして、具材は、ありったけの冷蔵庫野菜をカットして、剥いて。
肉は豚バラ、魚はタラを用意した。

鍋に出し昆布を入れて、しばらく寝かせた後、軽くひと煮込み。
具材を入れるのは、子どもたちの係。

ポン酢にもみじおろしをポチョンッ、と入れて、七味をササッ。
テーブルへの配膳も、子どもたちの係。

さあ、ごはんもふっくら炊き上がった。
お茶碗によそって、ハイ、お待たせー。

元気のよい、いただきます、とともに、これって一家だんらん?とニンマリ。

ケガの功名というか、なんというか。
子どもたちも、今日の夕食を楽しんでくれたようだ。

そして、あっという間に、完食。
となれば、今度は、得意の洗い物。

昔、食堂でアルバイトしていた杵柄が、今、蘇る。
食器もお皿もキレイになって、所定の位置に、ハイ、おかえりなさい。

そんなこんなで夕食の次は、お風呂なのだが、さて。

いつも母親がしていることを父親がする、というのは、
子どもたちにも興味津々で、生きた学習になるようだ。

つまり、支えることの大切さ、である。

日頃、あれだけ親の言うことを聞かない子どもたちなのに、夕食1つにしても、
自然に、積極的に、しかも競い合うかのように、お手伝いをしてくれるのである。

そして、そのことの気持ちよさを、感じてくれたようで。
手のかかる子どもたちだが、ほんのちょっと頼もしく思えた。

1日の終わりに、ほんわかと疲れを感じながら。
父親としてのワークライフバランスも大事だな、とつくづく思った。

��写真は、作るのに夢中で中身を撮り忘れてしまった、鍋。)


2007-11-05

特別委員会を、傍聴して

10:00より、企業会計決算特別委員会が開催された。
委員ではないけれど、後学のため傍聴参加する。

そもそも、県なのに企業って、どういうこと?
について、簡単に説明すると。

ここでいう企業とは、県が管理する事業、つまり公営企業を指しており、
県庁の部署でいうと、公営企業管理局が所管している事業のことをいう。

具体的には、4つの事業、すなわち、
電気事業・工業用水事業・土地造成事業・病院事業だ。

そして、今日、審査を行ったのは、
平成18年度の4事業の、収支決算の中身について、ということになる。

さて。

各事業の収支は、いずれも黒字だった。
そこには、関係者の涙ぐましい努力があることを、まずはお伝えしたい。

その上で、各委員によるチェックにより種々の課題も浮き彫りとされたが、
私の所感をいくつか述べると。

4事業あわせて約400億円という年間総収益は、大企業サイズであるが、
病院事業の収益が、その内の実に90%以上を占めているのである。
しかも、同事業の累損は約180億円弱。

そういうことを考えると、また昨今の医療崩壊といわれる生活現場を考えても、
4つを一括りとするマネジメントには、正直なところ少し違和感を、感じてしまう。

その決算数字の持つ意味と、県民生活に与えるインパクトを考えると、
ここは、病院事業特別対策本部のようなセクションの設置と、
民間専門家との共同研究が求められるところではないか、と思えてならない。

いずれにしても。

本日の特別委員会を傍聴し、実に多くの学びを得ることができた。

各委員の視点の置きどころが、同じ党派であっても各者各様であること。
テーマのスイートスポットみたいなものが、委員それぞれにあること。

各委員のバックボーンには、選挙区事情という現実があるということ。
そして、自身の知見がいかに乏しいかということ。

さっそく。
明日からの研究課題が明確になったと捉えて、研鑽を積んでまいりたい。

��写真は、本日の資料)


2007-11-04

1日主夫体験

今朝になって突然、家内が、風邪を引いてしまった。
必然的に、今日の私の仕事は、主夫となる。

といっても。

朝は、パンとポンジュース。
昼は、弁当を買ってきて、チン。
そして夜は、子どもを連れて、お好み焼き屋さん。

合間にちょこちょこっと、洗い物とお片づけをして、
まったく絵に描いたような、手抜きパパであった。

一方、子守りのほうは、持久戦。
8歳の息子はともかく、3歳の娘はコントロール不能だ。

ビデオにママゴト、おもちゃにお絵描き、歌とお遊戯、そして抱っこのおねだり。

次から次へクルクルと、蝶々のように、興味が変わり、
片づけても片づけても追いつかないし、ゆっくりしようにも離してくれない。

お風呂に入れて、寝巻きを着させて、おやすみなさい、まで。
こちらのほうは、手を抜く暇はなく。

おかげで家内は、少し楽になったようだが、
明日からは何とか、宜しくお願いしたい、と思う。

1日主夫を体験して、家事と子守りの大変さを少々わからせて頂いた。
いつも、ありがとさんね。

この日ばかりは思わず、家内に感謝して、声をかけた。
少し、とってつけたようだったけれど。

��写真は、自宅近くの、お好み焼き屋さん)

2007-11-03

20周年の県民総合文化祭、始まる

今日は、文化の日。

この日は統計的に、晴れの日が高いとされる特異日だが、
はたして、その通り、秋晴れの1日であった。

さて、今日から、県下各地にて県民総合文化祭が開催される。
今年は、記念すべき20周年だ。
��ご参照URL⇒ http://ehime-c.esnet.ed.jp/bunkashinkou/sougou/h19/19yoryo.htm )

夕刻、私は、その開会式と総合フェスティバルにご招待を受け、参加させて頂く。

愛媛県警察音楽隊による溌剌としたドリル演奏がオープニングを飾り、開会宣言。
そして、プログラムは2部形式で上演され、実に多種多彩であった。

チアリーディング、伊予万歳、歌舞伎舞踊、クラシックバレエ、よさこい、野球拳踊り。

そして、映像で振り返る県民総合文化祭の20周年の歩み、があり、
ゲスト歌手のクミコさんによるシャンソン・コンサートが華を添えた。

どれも本当に、素晴らしかった。
恥ずかしながら、よさこいと野球拳踊り以外は、TVでしか観たことがなかった。

ライブの迫力というか、心に伝わるエネルギーというか。
これが文化の力だ、とあらためて思った。

特に、私が感銘を受けたのは、伊予万歳だ。
郷土に伝わる伝統芸能である。
��ご参照URL⇒http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankotop/miru/kyoudogeino/iyomanzai/index.html )

最初、ちょっと退屈な拍子と単調な動きに物足りなさを感じたが、どっこい、
途中からものすごい強さで心が引きずり込まれた。

釣りに例えると、大物が食らいついた瞬間、竿にかかる、あのグググッ、という感じだ。
扇子が、あるいは松が、まるで生き物に見えるのである。

司会から、海外公演でも喝采との紹介があったが、よくわかる気がした。

約2時間あまり。
多彩な郷土芸能文化を一度に目の当たりにし、心を洗濯されたような気分となる。

県民総合文化祭は、今日から11月25日までの23日間。
関係者の皆様に敬意を表しながら、無事盛況を祈りながら。

そして、1人でも多くの皆様に、各会場にお運び頂き、
わが愛媛の豊かな郷土文化に触れ、心に感動と潤いを感じて頂ければ、と思う。

2007-11-02

山本ひろし議員に、学ぶ

4日ぶりの日常は、朝からフル回転の1日となった。

電話とFAXとメールと郵便が、早う、早う、と
まるで私を急き立てるかのように、どっさりと待っていた。

忙しいということは、つくづく有り難いことだ。
ひとりごちながら、議会控室にて執務を行う。

今日は、国への申し入れ事案がいくつか生じたため、
山本ひろし参議院議員と事務局に対し、密なる連携をとらせて頂いた。

それにしても、山本議員は、庶民の気持ちのわかる方である。
さすが、私たちの代表だ、と心強いし、誇らしい。

というのも、来週、山本議員が所属する参院厚生労働委員会にて質問を行うにあたり、
先日の中島諸島への視察内容も、しっかりと盛り込みたい、といわれるである。

また、以前お願いしていた社会的引きこもり支援の、最新の要望があれば承る、というのだ。
��ご参照URL⇒ http://www.yamamoto-hiroshi.com/archives/diary/2007/11/30_117.html )

早速、当事者団体と連携をとり、お話を伝えた。
大変に、お喜び頂くとともに、あらためて伺ったご要望を整理し、山本議員へ送らせて頂いた。

返す返すも。

へき地で薄氷を踏むような社会保障環境の中、ご苦労をされる、ご老人の痛みや、
障害者を抱えてノーマライゼーションな社会を心から希求する、親御さんの苦しみや。

なかなか政治の光が届かない、あちこちの、名もなき庶民の声を、誰が代弁するのか。
ここにこそ、公明党の原点と本領があろう。

党設立の原点にしっかりと立脚し、庶民が報われる政治を実現していく。

そうしたザ・公明党ともいうべき、1人の声をどこまでも大切にされる、
山本議員の謙虚な姿勢に、深く強く学ばせて頂いた1日であった。

気づくと、夕日が空を赤く染めていた。

日が暮れるのが早くなったと感じるのもそのはず、今年も残すところ、2ヶ月を切った。
政治課題の解決にとっても、光陰が矢であることを忘れまい、と思う。

2007-11-01

県外視察、3日日

視察最終日の本日は、国立宮城病院神経難病センターを訪ねる。

仙台市内から南へ、バスで1時間強。
のどかな丘陵に同センターは、たたずんでいた。

院長・関係者の暖かい歓迎の後、レクチャとセンター見学案内を頂く。
同センターは、文字通り、神経難病患者の治療を専門とする。

ひとくちに神経難病といっても、難病中の難病といわれる、筋萎縮性側策硬化症(ALS)や、
パーキンソン病、脊髄小脳変性症、多発性硬化症など、病種は多岐にわたり、

そうした症病などで人工呼吸器を装着している重症度の高い患者に対して、全館が
車いすでの生活にあわせて設計されるなど、実に様々な対応設備が完備されていた。

センター長のレクチャの中で、印象深い視点があった。

それは、難病患者に、地域社会の中で生きていく“患者力”をつけさせる、
ということを、治療の基本哲学に据えているところである。

患者力とは、難病患者の、難病とともに生きていくんだという、自律力を指している。

ゆえに、患者・ご家族と医療スタッフの最初のカンファレンスは、
将来目標を具体的にコミットすることなのである。

例えば、完治が無理でも、1年後の社会復帰をめざしましょう、
そのために、ここまでの回復に向けお互いに努力しましょう、と。

伺えば、難病は誰しも発症する可能性があり、多くの場合、患者から生きる力とやる気を奪うという。
そうした難病患者の心の部分に注目し、向き合うスタンスは、明らかに従来医療と一線を画している。

その理念は、長期入院の減少と在宅療養の増加という目に見える成果と現れ、
患者の在宅療養を支える地域ボランティアの和が着実に広まっているという。

感銘を、受けた。

症状だけではなく、人間の内発力を引き出すことに焦点を当てた、1つの医療革命が、
着実に、人と地域を変えつつあるのだ。

院長その他のスタッフに見送られ、私たちは松山への帰路についた。
中身の濃い、あっという間の3日間であった。

環境・福祉・医療分野における貴重な見聞は、自身の知見を広げ深めてくれた。
心から感謝の思いでいっぱいである。

必ずや県政へのフィードバックと、県民の皆様へのお役立ちにつなげてまいりたい、と思う。

PS
今回の視察を、準備から随行まで、すべての労をお執り頂いた職員の皆様、
3日間、大変お世話になり心より御礼申し上げます。ありがとうございました。