2008-04-30

声を上げること、声を集めること

午前、政務。
午後、山本ひろし参院議員秘書とともに、現場視察・打合せ等。

昨日の今日、しかも国会議員秘書とともに、
という現場視察は、公明党ならでは、か。

ご相談者の驚きは、私たちの喜びであり。

あらためてじっくりとご要望を伺い、
対応について確認させて頂いた。

現場に立ちながら、さあ仕事はここからだ、といつも思う。

これからも、私たちの強みであるネットワークを生かして、
敏感に反応してまいりたい、と思う。

その後、場所を移して、秘書との打合せ。
昨日までに皆様から頂いた、国政に対する要望について、である。

あまりにも多くのご意見であるため、
私の方であらかじめ、ジャンルごとに整理しておいた。

省庁別では、
何といっても、厚労省と国交省に関することがダントツであった。

1つ1つが、生活者ご自身の体験に基づくご指摘だけに、
これほど切実にして説得力を持つものは、ない。

一方、省庁に分けられないものは、政治不信の声。
あまりにも、多い。多すぎる。

どんなに善いことを唱えても、そこに信用があってこそ、である。
信じてもいない人から何を言われても、協力しようとはならないのだ。

不信は、掛け算における“ゼロ”だと痛感する。
それはすべてを、無にするから。

ではどうすれば、政治は信頼を取り戻せるか。
民意の反映しかない。

政治は、圧倒的多数の、庶民の声を聴け、だ。
そして、そのために私にできること。

それは、声を上げること、声を集めること。
具体的に、持続的に。

民意を反映した国政にしていくためには、それしかない、
遠回りに見えて、これが最も着実な道、と私は思う。

そんな思いを秘書と共有しながら、打合せを終了。

道のりは遥かだが、それは、確かに続く一本道。
心して、前身あるのみ、だ。

��写真は、曇天の堀端辺の、野に咲く花。)


2008-04-29

庶民の声、国を動かす、と信じるがゆえに

終日、党務。

そして、夜、
支持者の政治学習会に参加させて頂いた。

お休み、あるいは連休にも関わらず、
お集まり頂いた大勢の皆様に。

集まって来られるそのお気持ちに、
心より感謝を申し上げたい、と思う。


本日のテーマは、いわゆる長寿医療制度、
後期高齢者医療制度であった。

この数ヶ月間、何人の方々と、どのくらい語っただろう。
あるいは、お叱りをお受けしてきただろう。

今日もまた、対話あるのみ、である。

坂口力副代表の解説ビデオを見た後、
配布資料を皆で学び、そして、質疑となる。

私に頂いた90分の内、質疑に60分である。

が、それでも、足りないのである。
それほど、言いたいことがたくさん、あるのである。

細大漏らさず、皆様のお気持ちを受けとめる思いで、
ご意見の1つ1つに、真摯にお答えさせて頂いた。

“県議に言っても仕方ないけれど。”

“お心配り、ありがとうございます。
でも。

仕方ないのではなく、
これが私たち公明党の仕方、だと思います。

私は、○○さんのお気持ちを、必ず、国にお伝えしますし、
公明党地方議員3,000名は、そのためにいるのだ、と思います。

そうして集められた庶民の声は、必ず国を動かす、
ということを、私は信じて疑いません。

そうなのかどうか、ぜひ今後とも、
厳しくも暖かく見守って頂けないでしょうか。”

もちろん、後期高齢者医療制度以外にも質疑は及び、
90分の質疑は、私にとって、あっという間、であった。

いつもながら、余裕など、まったくなく。

目の前のお1人に、真摯に、誠実に。
それだけを自身に問いながら。

終了後、
羨ましきは弁舌巧みなる、を痛感しながらも。

しかし、上手な人は上手な人。
私は私らしさに忠実に、と思い直す。

早速、明日。

今日、皆様から承ったお声を、私の思いに代えて。
庶民の声は必ず国を動かす、と信じるがゆえに。

しっかりと、きっちりと、
国に伝えてまいりたい。


2008-04-28

リラックスのつもりが、宿題また1つ

午前、部局折衝。
午後、県民相談。

そして夜は、小説2冊を一気読み。

「流星の絆」 (東野 圭吾 著)と、
「ジーン・ワルツ」 (海堂 尊 著)。

十分に元は取れ、おつりがくるほどグー、
であった。


前者について。
帯広告を検証すると。

“最後の救いが胸を熱く打った。”(40代男性・会社員)
“圧倒的な爽快感でした。”(30代女性・サービス業)
“期待を裏切られた。いい意味で。”(20代女性・フリーター)

この辺り、わかる、わかる、その気持ち、である。
で、もし、私がコメントを出すなら、たぶん。

“込み上げたい方、ラストページを、待て。”(40代男性・自由業)
というところだろうか。

本体価格1700円のうち、1600円分くらいの価値が、
最後の1ページに集約されているといって過言ではない、

とは、極めて個人的な感想である。

ちなみに。
議員という職業は、自由業にカテゴライズされるらしい。

私も、最初聞かされたときは驚いたが、
今は、いろんな意味で、なるほど、である。

さて、後者について。
こちらは、とにかく、シリアス。

著者が現役勤務医だからこそ、描写可能な世界だろう。

不妊治療、人工授精、代理母出産、
という繊細なモチーフをプロットに散りばめ、

医学と医療の間にある、深くて暗い溝を照らし、
医療崩壊の次にくるものを予感させられる、意欲作と思う。

厚労行政に今ある課題の本質を、見事に突いていて、
政治に携わるものの1人として、静かに、唸らされた。

休日前にリラックス、のつもりが、宿題また1つ、となる。

結局、政治は生活そのもの、と思う。

暮らしの中で、最近、何をしていても、
そこに課題がないか、探してしまう自分がいるのである。


2008-04-27

おじさん、がんばるけん

今日は、

気になる2つの選挙の日、である。
しっかり行方を注視してまいりたい。

もう1つ、息子の9歳の誕生日でもある。
しっかり責任を持って育ててまいりたい。

さて。
先週の日曜日の話。

どうもわが家は、
息子とその友達の、放課後と休日の拠点になっているようで。

家内から、朝、

“用事があるので、夕方、子どもたちを遊びに連れていってほしい”
との、お達しがあった。

有無を言わさぬ響きあり。
昼下がり、いざ、グローブとボールを持って、息子が通う小学校へ向かった。

日曜日って、結構、子供たち、遊びに来ているものだなー、
と思いながら息子を見ると。

同級生やら、先輩やら、気になるのだろう、
こちらが保護者同伴であることが、少し恥ずかしい様子であった。

知らない間に、成長しょーる、しょーる、である。

で、キャッチボールをしようと思っていると、
鉄棒の逆上がりができないので練習したい、という。

おー、やってみ、やってみ。

見ると、最近の小学生は、
補助板のようなありがたい道具まで用意されているらしい。

1回、2回、5回、10回とトライを始めるが、失敗の連続。
それではムリだろう、と私は思わず立ち上がり、お手本を見せた。

軽いめまいがした。

逆上がりついでに、前回り、後ろ回り、膝掛回り、
と回りに回り、目の前を、久々に星が飛びまくるのであった。

さて、自慢ではなくて、ちゃんと教えろ、であった。

自分ができることと、人をできるようにすることは、全く別ものである、
ということが、痛いほど身に沁みた。

鈍くさいながらも、それでも、何回かに1回できるようになった頃、
息子の友達たちがやってきた。

“おまえんとこの母さんが、小学校におるよったけー、来た”、と。

それから、みんなとキャッチボールを楽しむこととなったが、
この子らの辞書には確実に、疲れる、という文字はない。

そう確信した私は、おもむろに、
“おじさん、ちょっと用事があるけん、帰ろーわい”、と。

疲れた、とは決して言わずに、フェイドアウトするのであった。

そして。

キャッキャ言いながら、いつの間にか、
次の遊び場所へ消えていったキミらのために、
おじさん、がんばるけん。

そんな気持ちがみなぎってしかたがない、おじさんなのであった。

��写真は、息子の逆上がり練習風景。)


2008-04-26

皆で考えた結論は、草の根対話

夜、手づくりの資料を携え、
久万高原町に向かった。

今日は、月に1度の党員会である。

お土地柄により農業関係者が多く、
ちょうど日も長くなり始めた今は繁忙期、と伺った。

そうした中を、お集まり頂いた皆様である。
感謝の思いで、与えられた任を精一杯務めさせて頂いた。

今日は、あらあじめのご要望により、国政の行方について。

といっても、実際。
それは、誰にもわからないに違いない。

そういう、予言とか占いの趣旨ではなくて。

現時点における重要な政治課題を真ん中において、
私たちを取り巻く政局が今どのような状況にあって、

今後の政治日程を考えると、
どのような展開が想定されるか。

その中で、
私たち公明党にはどういった戦略と行動が必要か、

ということを、
皆で考えましょう、というものである。

こうしてまとめると整然としているが、要は談義、である。

難しい専門用語は、身の丈言葉に置き換える。
複雑な状況説明は、身近なたとえ話に置き換える。

すると、

“そういうことじゃったん”、
“そりゃあ、何とかせんといけんわい”、

と、自分ごとになる。
自分はこう思う、と意見が出てくる。

賛否も、硬軟も、さまざまな意見が飛び交い、
気づけば終了予定時刻となっていた。

自分を他人に置き換え、当事者に置き換えたとき、初めて。
政治は血が通ったものになるのだ、と思わずにいられない。

こうして、今日も、私は。
皆様から、草の根対話の重要性を、教えて頂いているのだ。

私たち公明党にはどういった戦略と行動が必要か、について。
ここでは、戦略は措くとして。

必要な行動を皆で考えた結論は、まさに、草の根対話、であった。
それは、遠回りのように見えて、最も確かな行動、に違いない。

自ら率先あるのみ、と決意しながら。

すっかり夜の帳も下りて、
ひんやり肌寒い久万高原町を、家路についた。

��写真は、安田 侃 作 「意心帰」 at 東京ミッドタウン。)


2008-04-25

県民相談は、365日360度対応

終日、県民相談に関する部局折衝に動く。
息つく暇もなくスピーディに、日が暮れた。

今日が週末であることも、
明日から人によっては大型連休に入ることも。

そういえば、と今頃気づく。

気づきついでに、
リフレッシュという単語を何年かぶりに思い出した。


そういえば、結婚以来、ゴールデンウィークに、
家族でのんびりできたためしが、なーい。

今年こそは、とも思うが、この時点でまったくの白紙。

結局。
父親の仕事が疎かになっている、との自省に行き着いた。

さて、本日の部局折衝である。

私たち議員は、日頃、
県民の皆様から様々なご相談ご要望を承る。

ひとくちに県民相談といっても。

都市部に住み、島嶼部にすみ、中山間地域に住み、
あるいは生活者であり、消費者であり、労働者であり、

父親であり、母親であり、子どもであり、患者であり、
と、
老若男女あらゆる方々の、あらゆる側面を持っている。

したがって、県民相談に対する私たちの姿勢は、
“365日360度対応”、でなければならない。

少なくとも、サービス業出身の私は、そう確信している。

おかげさまで。
有難くも、というか、恵まれているというか、最近。

部局担当者との間で、そうした思いを共有して戴けてるな、
と実感することが多々ある。

具体は伏せさせて頂くが、特に某部局は、対応が早い。
早いばかりではない。

対応方針、経過報告、事後報告、という念の入れようと的確さに、
いつも驚かされ、その都度、感謝の気持ちが込み上げるのである。

これこそ、真の行政サービスだな、私もかくあれかし、
といつも学ばせて頂いている。

その一方で、残念としかいいようのない場面もある。
いわゆる、お役所仕事に、出会ったときだ。

全庁意識が、相対的に良い方向へ変化していく中で、
かえって色濃く、際立って映る。

時代の変化に追いついてほしい、と思う。

そして、政でも官でもなく。
すべては県民本位、という信念に立ち。

共に汗をかきながら、
愛媛の新時代を拓いていきたい、と思う。

��写真は、4/23市内党員会でのご挨拶風景。)


2008-04-24

政治は、ねじれるより、走れ

早朝、一路、今治へ。

10:00、今治市役所にて石井市議と合流し、海を渡り。
向かったのは、私の故郷・伯方島である。

手帳を見ると、3ヶ月ぶりであった。

お申し出の方々による県民相談と視察を兼ねてであったが、
それらは当時、私自身、身をもって辛い思いをしたことであれば、
まったく痒い所に手が届くほどに、事情がよく理解できた。

善処を約した、その場所は、伯方中学校。
つまり、私の母校である。

卒業以来、初めて、門をくぐった。
同行の方々には悟られないよう、1人感動に包まれた。

ジーン。

今でもたまに夢に出てくる、
あの、校舎と中庭と校庭のぼんやりが、くっきりに変わった。

ぜんぜん、変わってなーい。
どうぞこのまま、と思いたいが、少子化の波はそれを許してくれない。

今年度からお隣の西伯方中学校と合併がなされ、かつ、
2学期からはいよいよ新校舎へ移転する、というのだ。

これが見納めになるかもしれない、と思うと、無性に寂しくなった。
デリケートな生徒にとってはなおさらであろう、と思うと心も痛む。

しかし、旧両校の生徒には、気持ちを前向きに切り替え、
新時代建設の息吹に燃えて、勉学とスポーツに勤しんで頂きたい、と思う。

まっさらな校舎もグランドも、そして未来も、
間違いなく、キミたちのものなのだから。

さて。

その後、石井市議と今治市内中心部に戻り、数ヶ所の視察を行なった。

なるほど。
当事者でないと、そこで暮らさないと、見えてこないことばかりである。

あらためて私たち公明党は、生活現場主義者でなければならない、と思った。

次いで、企業訪問を行い、役員幹部と地元情報を交換した。
ここでも、原油高騰問題が大きく影を落としているのである。

もはや、グローバリゼーションが影響を与えない企業も個人もない、
と思えるほどに、切実な現実で戦う、民間企業の必死さを痛感する。

面談の佳境にて、景気回復の実現を急がねば、と思う。
ねじれている場合ではないのだ、と怒りが込み上げてきた。

貴重なひとときを謝し、訪問先を辞した後、石井市議と別れ、1人松山へ。
帰り道の北条にて党員さんを訪ね、そのまま夜の支持者会合に駆けつけた。

いかにも、走った1日。

そして、
見て、聴いて、考えて、感じて、対話した、どの場面1つ取っても。

その解決に向けたプロセス全体が、政治そのものなんだ。
政治のパフォーマンスは、十分条件ではあっても必要条件ではないのだ。

そんな気持ちが、心の底から、湧いてくる。

小さな確信が、少しづつ大きなものになっていく。
生きた勉強をさせて頂いていることに感謝したい、と思う。

��写真は、新・伯方中学校の門標。)


2008-04-23

ドイツに学び、スイスに学び、そして

本日も、フル回転の1日。

午前、地域活性化特別委員会。
午後、講演会と県民相談。

そして夜は、
市内の党員会に参加させて頂いた。

盛りだくさんの中で今日は、
㈱内外ニュース主催の講演会について。

タイトルは、
��命の危機管理~ヘリコプター救急の普及を目指して~」。

講師は、認定NPO法人・救急ヘリ病院ネットワークの、
国松孝次理事長である。

国松理事長は知らなくとも、国松元警察庁長官といえば、
ピンと来る方は多いだろう。

そう、今から13年前の、あの、衝撃的な狙撃事件により、
3発の凶弾を受けたご本人であられる。

幸いにして一命を取り留め、健康を回復された国松氏は今、
ドクターヘリの普及にご尽力をされているのであった。

その目指すところは、まさに私たち公明党にとって、
2003年マニフェストに謳って以来の悲願と重なる。

そして、昨年6月の、ドクターヘリ特別措置法成立は。

そうした、関係各位のご努力の賜物以外何物でもないし、
救急医療の前進に、極めて大きな道筋を拓くものであった。

そうした矢先に、明るいニュースも飛び込んだ。

それは、今年1月。

愛知県の山間部で池に溺れ、心肺停止状態になった3歳児が、
ドクターヘリ搬送・治療によって見事に蘇生回復した、というニュース。

国松理事長の講演は、
そうした救急医療に果たすドクターヘリの効用について、

具体的事例を挙げ、データを駆使しながらの、
非常にわかりやすいものであった。

その上で。

ドクターヘリの整備普及を進めるには、
行政課題はまだまだ山積、とし、

地域住民とのコンセンサスの確立から、
総合救急医療という、制度設計上のテクニカルなものまで、

私たちに対して、
極めて大きな宿題を投げかけて終了となった。

かけがいのない命が、1つでも多く助かるように。

世界最先進のドイツに学び、スイスに学び、そして、
愛媛と四国の救急医療改革につなげてまいりたい。

それこそ、
私たち公明党がなさねばならない仕事、と信じて。

��写真は、認定NPO法人・救急ヘリ病院ネットワーク・国松理事長の講演風景。)


2008-04-22

新年度初の、常任委員会

10:00より、
文教警察委員会が開催された。

新年度を迎え、所属委員の顔ぶれを一新しての、初開催。

ちなみに、常任委員会である同委員会は、
教育委員会と警察本部を所管することになっている。

私は、教育行政も、警察行政も、経験値が、ない。
文字通り、ゼロからの出発であるので、大いに。

先輩議員、理事者各位にご指導頂き、学ばせて頂きながら、
県民の皆様にお応えできるよう取り組んでまいりたい、と思う。

さて。

私たち委員と各理事者との初顔合わせの後、
閉会中につき、本日の提出議題は警察本部からのみ、となった。

パワーポイントによるレクチャで、
��最近の治安情勢と県警の取り組み方針」、が示された。

交通事故も、犯罪も、自然災害も。
被害の可能性は、常に私たちの生活に隣り合わせで潜んでいる。

あらためて。

警察活動の守備範囲の広さと深さ、そして、役割の重さを、思う。
とともに、その並々ならぬご苦労に心から敬意を表したい。

そして警察行政が、県民の皆様から更なる信頼と安心を頂けるよう、
微力ながら尽力できれば、と思う。

さて、質疑の際、私からは2点述べさせて頂いた。
1つは、6月から一部施行となる、改正道路交通法について、である。

まだ知らない方も多いと思うが、主な変更点は、例えば。

高齢者運転標識、いわゆる、もみじマークが義務化されること。
後部座席シートベルトの着用が義務化されること。
自転車の歩道通行が可能になること、などである。

施行にあたっては、いずれも。

県民の皆様から十分な理解と協力が得られるよう、
事前の準備を親切丁寧に進めて頂きたいことを要望させて頂いた。

もう1点は、電動車いすについて、である。

高齢者や身体障害者の方々の日常交通手段として、
定着が進むとともに事故が急増している、

そんな実態が県下にも厳然とあるのであって。
高齢化のますますの進展を考えると、対策は急務なのである。

しかも。
電動車いすは、道交法上では、歩行者扱いとなっている。

したがって、事故に際して、警察は介入できない、
そんな自家撞着の現実が、あるのだ。

ここをどう突破するのか、
早急な研究と対策を申し入れさせて頂いた。

考えてみるほどに。

県民の皆様から、日頃承る県民相談のうち、
警察マターの要望と課題は、かなりの比重を占め、多い。

しっかり知見を蓄えながら、この1年。
文教警察委員会の1人として、取り組んでまいりたい。


2008-04-21

視野を、リアルタイムで世界へ

なぬ?
世界は今、石油ショック前夜?

衝撃的なタイトルは、日経ビジネス4/21号。
原油価格の行方に関する記事である。

石油経済の世界的権威といわれる、
英王立国際問題研究所、ポール・スティーブンス教授の説だ。


途中を端折ると、
今後5~10年のうちに、原油価格は2倍に急上昇するという。

これは、捨て置けない。

そんなことになれば、日本経済は未曾有の大打撃を受けるし、
そもそも、全国津々浦々の、庶民の生活が成り立たなくなる。

記事によると、
というより、スティーブンス教授によると。

過去2回の石油ショックのメカニズムの前兆と、
現在の状況が酷似している、というのだ。

過去の石油ショックは、
先進国の高度成長に伴う需要増に対して、

中東産油国が禁輸と急激な供給削減に踏み切ったため、
といわれる。

現在の国際情勢を、原油の需要面から見ると。

かつての先進国を、
中国・インドなどの新興国に置き換えればピタリ当てはまるし、

今後、それらの国の経済成長率が急減速することは考えにくい、
とすると、今後も需要は伸び続ける、と。

一方、供給面では。

かつては石油メジャー、あるいはOPECが価格の決定権を握っていた。
が、今は、わかりにくい。

その他の産油国が増え、OPECの地位が相対的に低下したことも、
投機マネーが、低迷する他市場から原油先物市場に流入していることも、ある。

が、一番懸念されるのは、それに加えて、
石油メジャーも産油国も、需要増に見合う増産への動きを十分に進めていないこと、
と教授はいう。

つまり、供給不足に対する懸念である。
価格支配を復活させたいそれぞれの思惑が、はっきり見えてきそうだ。

いずれにしても。
私たちは、国内で政争に明け暮れている場合ではない。

どうすれば、そうした事態に対応できるのか。

化石燃料依存からの脱却を唱えながら、
それに代わる新エネルギー政策は、まだ試行錯誤の域を超えていない。

危機感を強く覚えるのは、私1人ではないだろう。

テロ問題しかり、食糧問題しかり、環境問題しかり、その他にも。
私たちの生活の根幹に関わる国際問題は、多岐にわたり複雑に絡まる。

小なりといえども。
視野を、リアルタイムで世界に広げながら、県政に取り組んでまいりたい。


2008-04-20

遊説を通して、五体を通して、学ぶもの

早朝、自宅を出発。
向かったのは、久万高原町。

お手伝いを頂く地元党員の皆様と、
三坂峠にて合流し、いざ、遊説に出発。

午前9時の久万高原町は。

柔らかな日差しといい、
空気の清清しさといい、

あるいは、鶯のさえずりといい、最高だ。

脳にも、きっと、アルファ波。
この贅沢、都会の皆さんにも、お裾分けしたいものだ。

さて、今日の遊説は町内7箇所を予定している。

最初のポイントは国道沿い。
行き交う車両に手を振りながら、マイクを握る。

いつもこの時間に立っているわけではないので何ともいえないが、
通行量が確実に、この前より多い気がした。

特に、松山から高知方面へ向けて、
バイクのツーリングチームが多いのが印象的だった。

時折頂く、お車からお手を振ってのご声援に、心温まる。

国道・県道沿いを何箇所か移動しながら、
今度は、山間に深く入り込んで、谷間の集落を巡る。

絶好の日和も手伝ってか、
家族総出の畑仕事・山仕事が、あちこちで見られた。

農業という仕事に、日曜日はないことをあらためて思う。
こうした、まじめに働く方々が報われる社会に、と思う。

さて。
昨日も綴ったが、遊説というのは一方通行のメッセージだ。

議員である政治家が、こちらの思いを広く知って頂くための、
基本的で重要な、政治活動の1つである。

質も大切、頻度も大切。
しかしその一方で。

生活者のもとに足を運び、その思いを、
聴いて、知って、感じる、という政治活動のほうは、どうか。

今までのことは問わないが、少なくともこれからは。

こちらの活動こそ、国であれ村であれ、
凡そ議員の根本活動とならなければなるまい、そう思う。

マイクを握りながら、“あなたの思いを、考えを、お聞かせください”と、
お1人お1人に駆け寄りたくなる、そんな衝動に駆られ続けた。

安心・安全・快適という、生活者の願いや思いをカタチにするために。

もっともっと、草の根対話を広げていこう。
そして、もっともっと、国とも市町とも連携を拡げ、深めていこう、と思う。

政治は、どこまでも、生活者から出発し、生活者に帰着するのだ。
ということを、遊説を通して、五体を通して、今日も学ばせて頂いた。

いつも私と同じ思いに立ってご協力を頂く地元党員の皆様に、
心から感謝を申し上げたい、と思う。


2008-04-19

影響は、現在と未来に向かう、について

日中は、明日の街頭遊説の準備。
夕方は、県民相談と党務で市内を回る。

中でも、とりわけ。

今日は、
ご相談者の方に、一歩前進の対策実現をご報告することができた。

そのお喜び頂く姿に接したときは、
こちらまで嬉しさが込み上げ、

各所に足を運び、心を砕いたことが報われる冥利とともに、
ご尽力頂いた関係各位に、心から感謝を思うばかりであった。

これからも、どんな些細なことも見逃さず、油断せず、
県民の皆様からのご相談にお応えしてまいりたい。

さて、明日の遊説のこと。
問題は、原稿作成である。

ひざ詰めと違って、遊説は、一方通行のメッセージだ。

しかも、相手は、一般的に不特定多数であり、
そもそも、最初から最後まで聴いてもらえるものではない。

そこを聴いて頂くためには、途中途中で、
何かしら、心のフックとなるように内容も言葉も吟味しなければ、
と思うと、なかなか筆も進まず。

とはいえ、書き出しは、
“皆様こんにちは、こちらは公明党です”、に違いない。

でもって、
明日の久万高原町は、高齢者比率が県下トップクラスの町。

お訴えするテーマは、1つしかない。
したがって、続くフレーズは。

“本日は、今、最も関心の高い、
後期高齢者医療制度についてご報告にまいりました”、となろう。

さあ、ここからだ。
この間の草の根対話で、私が肌身で感じた率直を、思い切ってぶつけよう。

シンプル イズ ベスト、次のようにつなげてみる。

“ご承知の通り、後期高齢者医療制度は、本年4月から導入されました。

連日、マスコミでは、姥捨て制度とか、高齢者切り捨てとか、
国民の不安をあおる報道を行なっています。

しかし、今、大事なことは、この新たな制度が、
実際、私たちにとって、どのような影響があるのか、

冷静に判断し、具体的に対応をしていくこと、ではないでしょうか?”

本当に心からそう思う、ここが今回の遊説メッセージの核心である。

私たちへの影響というのは、常に現在と未来に向かうものであるし、
その両方を視野に入れた上で。

真に議論すべきは、
この制度は何がどう良くて、何がどう悪いか、という具体であるべきだ。

そうした1つ1つ、思いを確かめながら、今、続きを考えている。
夜は、長い。

ネットによると、明日の天気予報は晴れ。
一点の曇りなく誠実に、そして全力でお訴えしてまいりたい、と思う。

��写真は、ピーター・ツィンマーマン作 「スコープ」 at 東京ミッドタウン。)


2008-04-18

ひざ詰め対話と、誠実の涵養

朝から、トップギアな1日。

市内を県民相談に走りながら、
県庁内の部局をハシゴし、

警察署に向かい、地方局を訪ね、
さらに党務で市内を巡回。

ここまでで、すっかり日も沈み。

おにぎりを頬張りながら向かったのは、
支持者の座談会場。

体の電源と、心の電池の残量は?
ふと浮かんだ心配は、しかし、杞憂だった。

懐かしい皆様の笑顔に触れた途端、元気100倍。

どこかのCMではないが、
うれしさが込み上げて、つい微笑む私、なのである。

が、それはそれとして。
ここでも対話の焦点は、後期高齢者医療制度、となった。

マスコミの影響は、すさまじい。
あらためて、その威力を思い知らされる。

毎日の暮らしの中で、親しい間柄の2人以上が集まれば、
この話題にならない日はないのではないか、と真剣に思う。

私自身、後期高齢者医療制度について、
この3日間の、草の根対話だけで。

7会場のべ200人近い方々に、2時間弱、お話をさせて頂き、
1時間半、お話をお伺いしたことになる。

ブログに何度も綴ってきた通り、
皆様からのお叱りを真正面から、全身で受けとめながら、

ブログに何度も綴ってきた自身の思いを、率直に、
精一杯、お訴えさせて頂いたのであった。

気持ちのよいほど正直で、
緊張するほどに真剣な、ひざ詰め対話であった。

座談会終了の際、ある壮年の方のお顔から、
開始当初の険しさが消えていることに気づく。

有難いと思うし、だからこそ、と、
その方と共に国のほうを向く自分、に気づく。

話せばわかるし、わかれば変わるのが人間だ、と心から思う。

しかし、それは、お互いの誠実があってこそ、であれば、
誠実の涵養こそ、政治家の第一の資質でなければなるまい。

日々怠りなく、磨いてまいりたい、と思う。

��写真は、安田 侃 作「妙夢」 at 東京ミッドタウン。)


2008-04-17

講演に思う、師恩のこと

政務と、支持者座談会の1日。
その、相中の夕方。

県議会スポーツ振興議員連盟の一員として、
平成20年度 愛媛県社会人スポーツ推進協議会総会に出席。

出席者を見ても、会員名簿を見ても、錚々たる顔ぶれだ。
県下有力企業・自治体・大学・団体関係者が、ズラリ。

そうした方々のご理解ご協力による
同協議会が発足して、7年。

平成29年開催予定の愛媛国体を視野に入れて取り組む、
本県競技力の育成・強化対策に関する様々な報告がなされた。

その力の入れように、目指すものが何か、ヒシヒシと伝わってくる。

そして、総会は、粛々と進み。
松山大学ラグビー部監督の、山本厳氏による講演が始まった。

山本監督の講演は、年頭の会合でも拝聴させて頂いたが、
その日のブログに私が綴った印象は、彼が発する、凄み、であった。

およそ尋常でない修羅場を。
いくつもいくつも、くぐってきたアスリートしか湛えることのできない、凄み。

そんなオーラを感じたのである。
今日もまた、そうであった。

演題は、「企業・指導者・選手の立場」。
言い換えると、協議会を構成する各位の立場で大事なこと、であろう。

それぞれの立場を経てきた、山本監督の体験談であり、
お話は、事実に基づく確信と情熱にあふれていた。

小学校の恩師からは、長所を引き出し目標を持たせることを教わった。
中学校の恩師からは、スポーツにおける連帯責任を叩き込まれた。

高校の恩師からは、雲に顔出す富士山を通して、頂上の遥かさを教わった。
大学の恩師からは、指導者の必要条件は、選手への愛情であることを学んだ。

やがて、企業人となり、指導者となり。
“このチームを、必ず、日本一にしてみせる。”

そして。
文字通り、ラグビー日本一を達成し、連覇し、あのウェールズにも勝った。

しかし、それには、15年かかった。

私が感じる、山本監督の凄みは、きっと、
この15年の歳月が生み出したものであるに違いない。

そして、簡単ではないその道程を、
蹉跌することなく歩むことができたのは、

山本監督の、かつての恩師の教えのおかげであったろう。

実に、師の恩、量りがたし、である。

あらためて、山本監督始め、本県スポーツ指導者各位の、
日頃、並々ならぬご努力に、心から敬意を表するとともに。

私自身もまた、師恩を思わずにいられないし、何よりも。

山本監督のように、結果で報いなければならない、
その部分の厳しさを、強く、深く、心に刻ませて頂いた。

有意義で貴重なひとときに、
心から感謝を申し上げたい、と思う。

��写真は、松山大学ラグビー部監督・山本厳氏の講演風景。)


2008-04-16

まず隗より始めよ、今から、ここから

午後は、東京・大阪からの来客対応と部局折衝。
夜は、市内2ヶ所の支持者座談会に参加させて頂く。

それぞれ、お久しぶりの、皆様である。
また、邂逅を喜んでくださる、有難い皆様である。

そんな皆様の、
真心からのご支援によって県政に送り出して頂き、1年が経過した。

心から感謝を申し上げるとともに、
この間の自身の取り組みを紹介しながら、

今後とも、どこまでも公明党の議員として戦い、
働き抜く決意を披瀝させて頂いた。

暖かで、力強い激励に、
あらためて感謝の思いが込み上げてきた。

一方で。
草の根の対話においては、当意即妙が試されるものだ。

ある会場で、私が話を始めようとした矢先、
後期高齢者医療制度についてご質問を受けることとなった。

当事者世代の、壮年の方であった。

まなじりを決した、激しく厳しい、お叱りを頂いた。

それに呼応するように、居合わせた壮年の方から、お叱りが相次いだ。
詳細は割愛させて頂くが、まさに激情による訴えであり、叫びであった。

結局、私には、ひと言の釈明の時間すら与えられなかった。
1つ1つの訴えをしっかり受け止め、深々と頭を下げるしかなかった。

それほど、なのである。
こうした当事者の叫び、心の痛みがわからずして、何が政治か、と思う。

制度説明より前に、政府も官僚も肝心なことを忘れている、
と先日綴ったのは、このことである。

当事者である皆様のご理解と納得を頂かない限り、前に進めない、
ということを、私たちは知らなければならない。

どんな制度も法律も、そうした信頼を頂くことが大前提だし、
改革であれば、なおさらである。

その上で、対話拒否があったとしても、それでも対話しかないし、
庶民の思いを、絶えず察知し施策に反映させ改善を惜しまない、

そうした感性と行動力が、政治に携わる者に、強く求められている。
痛感するとともに、まず隗より始めよ、と自らに言い聞かせた。

あらためて。
毎日、生きた勉強をさせて頂いていることに感謝したい、と思う。

��写真は、堂本右美 作「悠々」 at 東京ミッドタウン。)


2008-04-15

ユニバーサルなコミュニケーション、の入口

手話の、おけいこを始めた。
44歳の、手習いである。

この唐突ともいえる展開、
直接のきっかけは、行きつけの散髪屋さん、だった。

そのお店のマスターには日頃から大変お世話になっているが、
親しくさせて頂いているもう1人のスタッフが実は、聾者、であり。

“手話ができると、コミュニケーションの幅が広がりますよね。”
先日、お店で、そんな会話になった。

自身、手話ができるマスターは、
“それなら早速ご紹介しましょう”というや、
散髪中にも関わらず、早速、電話をかけ始めた。

ちょ、ちょっと、いきなり、の展開である。

ほどなく、ご紹介先のサークル会長から、
“ちょうど明日、会があるから見学にいらしては?”ということになった。

せっかくのお話なので、と翌日、お邪魔してみた。

主婦、というかほとんど女性ばかり、ざっと50~60名。

私1人、スーツ姿で場違い甚だしく、皆様からの視線は、ほとんど不審者、であったが、
ご配慮により、自己紹介と見学の経緯をお話させて頂き、こちらもホッとしたのである。

それにしても、皆さん、手話がペラペラ。
レベルがちょっと違いすぎ、そんな見学の印象であった。

結局、サークル会長のアドバイスにより、
松山市で明日から開講される、初心者向け手話講座から始められてはどうか、
ということで、今日の初日、となった。

この間、たった3日。
唐突にして急展開、というべきか。

今日集まったのは約50人。
いずれも、私と同じ、まったくの初心者である。

女性が多いのはあらかた予想できたが、年齢層がかなり若めだったのは意外だった。
また、男性も、学生から社会人まで1割強いたのは心強いが、かなり予想外だった。

その向学心に心から拍手を送るとともに、入門動機を聞いてみたい衝動に駆られた。
私のほうは、といえば。

昨年の選挙期間中から今日まで、聾者の方との出会いが少なくなかったこと、
本会議や委員会で、災害時の要援護者対策の必要性を訴え続けてきたこと、

など、1年を通して様々な場面で。
ユニバーサルなコミュニケーション能力の必要性を痛感してきたのであった。

初日は終日、身ぶりによる表現を学んだ。
目からウロコ、という以外なかった。

表現手段を制約された時、人は。

相手に何かを正確に伝える、ということが、いかに難しいか、
ということを、体と心で、感じさせて頂いた。

聾者の方々のお気持ちに、少し触れさせて頂いた気がした。

しっかりと学んで身につけていきたい、と思うが、この入門講座。
全20回の内、4回以上欠席すると、基礎講座に進めないことになっている。

振り替えは、きかない。
本会議であっても委員会であっても、欠席は欠席、条件はキツイのである。

入門で終わらないようにしたい。
というか、日程が重なりませんように、である。


2008-04-14

時間のマネジメント、ということ

午後、党務。
夜は、支援団体会合に参加させて頂く。

さて。
最近、時間が経つのが、とてつもなく、早く感じる。

自身、年を取ったせいもあるかもしれないが、
時間に対するルーズの裏返し、なのかもしれない。

自戒を込めて、開いてみる。

��プロフェッショナルの原点」。
��.F.ドラッカー著。



やはり、アイタタ、その通りであった。
汝の時間を知れ、である。

同著は、仕事で成果をあげるためには、何をどうすべきか、
という行動論であって、それには5つの習慣が必要と説く。

以下に列挙してみると。

1. 時間をマネジメントする。
2. 貢献に焦点を合わせる。
3. 強みを生かす。
4. 重要なことに集中する。
5. 効果的な意思決定を行う。

時間のマネジメントは、成果を上げる最重要の要素、なのだ。
続けざま、第2章の扉のメッセージが心に突き刺さる。

��時間は有限であって、かけがいのない資源である。
一日、一週、一年のいずれの時間も増やすことはできない。

だが、あらゆることが時間を必要とする。
最も稀少な資源である時間のマネジメントによって、
あらゆる成果が左右される。

時間をマネジメントできなければ、何もマネジメントできない。
時間のマネジメントは成果をあげるための土台である。

うれしいことに、時間をマネジメントすることは可能である。
練習と努力によって上達することができる。」

最後の部分は希望だが、途中の部分は絶句である。
時間をマネジメントできなければ、何もマネジメントできないのだから。

自身のなすべき貢献は何か、上げるべき成果は何か、
そして、そのために時間をどう使うべきか。

今一度検証するとともに、そこへの真剣と真摯が必要であることを痛感した。
議員もまた、ビジネスマンであることを忘れてはならない、と思うのである。


2008-04-13

当たり前は当たり前ではない、ということ

午前、自衛隊関係者の会合に
来賓として参加させて頂いた。

第50回社団法人全国自衛隊父兄会松山支部連合会
定期総会並びに地域啓発座談会、である。

初参加のため、要領を得ず、促されるままに着席したものの、
他の来賓は来られない。

総会がいよいよ始まる段になっても、来られない。
総会は粛々と進むが、来られない。

なるほど。

来賓出席者は総会終了後の式典から参加するんだ、
と気づいたが、後の祭りであった。

1人、場違いを堪えながら、ようやく、第2部の式典に移る。
ぞくぞくと来賓ご入場、でバツの悪い気持ちがようやく落ち着いた。

さて、自衛隊、である。

考えてみると、というほどに、
私にとって考えさせられる貴重な機会となった。

あの、9・11以来。
世界は見えない敵との戦い、といった様相を呈している。

あるいは。

地球温暖化の影響で、昨今、世界を取り巻く、異常気象と自然災害。
その被害規模は、年毎に加速しているといって過言ではなかろう。

日本でも。

観測史上初とか、記録的な猛暑、あるいは寒波、というような報道が、
今までには考えられない異変の進行を、常に私たちに示唆している。

いつ、何が起きるかもしれない。

そういう状況の中で、どのように国民の生命と財産を守るのか、
という命題は、
政治ミッションであるとともに、そのまま防衛省の最重要任務といえる。

また、国内だけではなく。
防衛省に昇格したことにより、国際貢献が、自衛隊の本来任務にもなった。

空気のように当たり前に思っていることが、実は、当たり前ではないこと。

そこに、人知れず献身的にご苦労をされている方々がいらっしゃるからこそ、であり、
そのことを忘れてはならない、ということを感謝とともにあらためて認識させて頂いた。

シビリアンコントロールが大前提であるがゆえに。
宿命的に、厳しい目が向けられる自衛隊、また防衛省ではある。

が、一方で。
そうした温かな感謝の気持ちもまた向けられる私たちでありたい、と思う。

��写真は、四国の自衛隊唯一の音楽隊、第14音楽隊の見事な演奏風景。)


2008-04-12

この国を覆う空気、に対してできること

午後、党議員総会。

その中にも当然出てくるのだが、
今日は、後期高齢者医療制度について触れてみたい。

テレビでも、新聞でも、取り上げない日はないくらい、
国民が今、もっとも気になる話題といってよいだろう。

私自身、この間、どのくらいの方からご意見を承っただろう。
そのほとんどが、怒り、であった。


そこには、当然ながら、不満と不信が含まれるが、
そうした皆様に接して、私たち議員には説明責任がある。

国のことだからといって、お茶をにごすわけにはいかない。

その怒りを真正面から受けとめながら、私が肌身で感じるのは、
まず、一番大事なことは何か、ということだ。

それは、目の前の、例えば、78歳の○○さんのお気持ちである。

松山市であれ、札幌市であれ、そこに厳然と生活を営んでいる、
生身のお1人の、お気持ちである。

当たり前だが、この一番大事な大前提が、政府も官僚も、
まだまだわかっていない、と思えてならない。

今回の新制度は、どう考えても、
高齢者の方々へのお願い、であるからだ。

800兆円を超える借金を抱え、急速な少子高齢化が進展する中で、
国民皆保険による医療制度の安定と持続を展望したとき、

全体としては、高齢者の方々にも一定のご負担を頂かざるを得ない、
ということへの、ご理解とご協力の、お願いである。

現役世代の負担増はもちろん覚悟の上の話だが、そこにも限界があり、
また、これ以上、孫・子の時代に借金を押しつけるわけにもいかない。

という状況のなかでの、止むを得ないお願いである以上、
お願いのしかたがある、と思うのだ。

それには、誠意と真心の対話、以外ない。

もちろん、総じて今より保険料が安くなるという試算や。

低所得世帯を始め、経済的・身体的・社会的に大変な方々に対して、
二重三重のセーフティネットが盛り込まれていることや、その他にも。

ご理解を頂くために、配慮させて頂いた制度設計の側面について、
1人の公明党議員としてもっともっとお訴えしなければ、と思う。

と、思うほどに。
私が肌身で感じるのは。

言い換えると、今、国全体を覆う空気は、対話拒否。
そんな気がしてならない。

そんな中で、今、自身ができることは何か。
なすべきは、何か。

やはり、誠意と真心の対話、しかない。

苦しいほどに、議員という仕事の重さを痛感するけれど。

目の前の、庶民である、お1人お1人のお気持ちを、わが気持ちとして、
しっかり国へつないでいくことに徹してまいりたい、と思う。

そして、全国から集まったそうしたお声は、必ず国を動かせるし、
制度をよりよいものへと動かせるし、
皆様の心を不安から安心に動かすことができる、そう信じて。

お1人のお気持ちを、希望に、未来に、つないでまいりたい、と思う。

��写真は、シラゼー・ハウシャリー&ピップ・ホーン作「ブルーム」at東京ミッドタウン。)


2008-04-11

改革の合言葉は、あるもの探しから始めよう

午後・夜にかけて、
県民相談・党務・支援団体打ち合わせ等。

今日は、日経グローカルNo.97(2008.4.7)から。
自治体維新、という首長インタビューである。

登場されたのは、山形県の斎藤弘知事。

思わず、全国の知事を何名知っているだろう、と考えてみた。
47のうち、確実に半分以上知らない中で、確実に1名、記憶が増えた格好だ。


記事を拝見すると。
民間国際畑を歩んで来られただけあって、着眼も行動もフレキシブルだな、と思う。

なにしろ、全国で一番記者会見の回数の多い知事、である。
ご本人の自負だが、その通りであろう、毎日記者会見なのだから。

情報発信の重要性に着眼されてのことではあるが、
きっかけは、素朴である。

知事のお子さんが、テレビに映った当時の小泉首相を見て、
��あ、小泉さんだ」と認識するのをみて、なるほど、と。

1日に2回記者会見を行い、毎日ニュースに流れる総理のほうが、
地元の知事より、はるかに身近で確かな存在だという、事実。

要は、頻度の問題。
情報発信の前の、認知の問題。

同じメッセージであっても、発信するのが知っている人と知らない人では、
理解も共感も度合いが違ったものになることは、私たちの経験則だ。

斎藤知事による毎日会見の導入は、今や定着し、
直接お伝えするという情報発信スタイルがすっかり定番になったそうだ。

そんな知事の就任当初。

県庁刷新を掲げ改革に取り組もうとする際、最も痛感したのは、
職員の発想の転換、だったという。

それは、コスト意識と、時間軸と、自律の3点。

私なりに解釈すると、成果と、優先順位と、ミッションということになるが、
つまりは、経営という概念である。

就任3年が経過する中、個々人においては発想の転換、
全庁においては財政再建、を基本としながらの、粘り強い取組み。

その成果の1つとして。

東北6県と新潟という大きな生活圏域の中で、
各県が、それぞれの強みを特化し分担しながら発展していこうとする
取組み事例の紹介は、わが愛媛・四国にとっても格好の参考材料だ。

また、斎藤知事のいわれる、夢3倍の法則、も興味深い。

人が、痛みを感受して自ら自律的に動き出すためには、
痛みの3倍の夢が実現できる、
と本人がわかってはじめて動き出すのだそうだ、と。

思わず、出典を知りたくなるが、いずれにしても。
痛みと悲観に陥りがちな今、だからこそ夢が大事なのだろう。

それは、ないものねだりではなく、あるもの探しから始めよう、と知事はいう。
そして、最終的に。

その夢は、有形も無形も含めて、山形らしさに他ならないのだ、と。
まさに、改革の合言葉、と思う。

こういう発想と取組みが、多くの県と圏域において、澎湃と湧き起こっていく中で、
道州制も、真の地方分権も、ふさわしいカタチが見えてくるような気がした。

結果的に、国の変化が一番あとでした、とならないように。
最も、サイズ的に小回りの利く四国が、改革の先頭を切れるように。

愛媛でがんばるぞ、と思う。


2008-04-10

逆転、もしくは新時代

午後・夜と、政務。
につき、今日は、この1冊。

��ゴールデンスランバー」。
伊坂幸太郎著、について。

ちなみに、2008年の本屋大賞受賞作。

本を読む目の肥えた、全国の書店員さんが選んだ、
今、一番売りたい本、である。

で、ふ~ん、と読んでみたのだが、お見事。
料理にたとえると、これがまた、メチャウマなのであった。



一気に、引きずり込まれた。
そして、あっという間に読了。

伊坂ファンに対しては当たり前かもしれないが、
初めて伊坂ワールドを体験する私にとっては、最高の想定外。
そんな賛辞を送りたいと思う。

プロットのベースにあるのは、J.F.ケネディの暗殺事件だが、
その真相が今もって謎、というところに着眼し構築したストーリー。

ある日、突然、首相暗殺という、濡れ衣を着せられた主人公。

緻密に、周到に準備された、権力による巨大な陰謀に1人立ち向かうが、
もとより戦える相手ではない。だから、逃げる、逃げまくる、逃げ切れるか、

というのが、物語の流れである。

小説だから、所詮、つくり話なのだが、
ひょっとしてありうるかも、と思わせるところが、

時代の空気を見事に読みきった、というか切り取った、
筆者のセンスであり筆力、であろう。

最後の、「たいへんよくできました」のハンコのくだり。

直球勝負というのは、こういうことだろうし、
手元で伸びてくる直球は美しく、心の奥まで届いた気がした。

それにしても、井坂氏。
私より7つくらい年下ということは、団塊ジュニア世代、である。

ふと、広告会社勤務時代、団塊ジュニアをターゲットとした、
新車発売の立ち上がりキャンペーンに携わったことを思い出したが、

何のことはない。
今ではすっかり、私の方が、団塊ジュニアの顧客なのであった。

逆転。
もしくは、新時代。

政治の世界にもそれは必要だし、およそ人ごとでもないぞ。
小説の世界とは関係のないところで、そんな刺激を受けた1冊であった。


2008-04-09

根源的なものへのアプローチ、ということ

昨日来、何人かの方から
節目に際しての、お励ましを頂く。

感謝をもって、行動に変えてまいりたい、
と心新たに決意する。

さて、本日は、
出ずっぱりの1週間で未着手の政務に終始。

ということで、読書ネタを1つ。

��さらば 財務省!」、という本。
著者は、旧大蔵省出身の髙橋洋一氏である。

髙橋氏は、小泉・安倍改革に、官僚の立場で携わった方で、
同著の時代描写は、そのときのものが中心となっている。

で、サブタイトルは、官僚すべてを敵にした男の告白、
と刺激的でもあり。

そういえば、この手の出版物は、最近やたら多い気がする。
元外交官や元検事、元弁護士や元社保庁職員など等。

それだけ見ると、ストレートな内部告発だし、暴露的で、
個人的にはどうもちょっと、と思っていた。

実際、内部告発モノは、意趣返しの読後感が強く、
私の場合、ハズレであることが多かった。

が、今回は、そうした怨嗟をほとんど感じることなく、
むしろ大変勉強になったという意味で、アタリだった。

むろん、すべてを真に受けるわけにもいかないが、

安倍総理辞任の真相には、
そういうことがあったんだ、とか、

あるともいい、ないともいわれる埋蔵金の構造は、
そういうことだったんだ、とか、

政治家VS官僚、財政タカ派VS上げ潮派、
小さな政府軍VS大きな政府軍、というVSは、
衆参のねじれより、はるかに根源的で重要な問題をはらんでいるんだ、とか。

とにかく。

当事者ならではの説得力ということに違いなく、考えてみると。
地方の私たちにとって、霞ヶ関や永田町の実際のところは、知る由もない。

また、彼らの不都合は決して報道されないし、報道されても実に巧妙という他なく。

そのことを前提とした範囲でのみ、私たちは知ることが可能となる。
という当たり前、換言すると、疑い。

それを、常に意識した上で、個々の政治課題の本質に迫らないと、
根源的なものへのアプローチはできないな、と唸らされた。

そのアプローチとは、政治改革、にほかならない。
関係者を問わず、ぜひ皆様にご一読をおススメするとともに。

庶民に光をあてた、県民満足度日本一の愛媛、をめざす自身にあてはめると、
もっともっと知見を蓄えねば、と思うのみである。


2008-04-08

2年目も、感謝を胸に、誓いのままに

今日は、
1年前の、今日のことを書かねばならない、と思う。

その日は、統一地方選の投開票日であり、私にとって、
自身が果たすべき、大きな使命と責任が確定した日、である。

その瞬間、頭の中は真っ白で、体力はからっぽで。

大歓声に包まれながら、
大恩ある支持者の皆様を前に、私は。

ただ、心の底から湧き上がる一念だけで、立っていた。

“名もない庶民の1人として、どこまでも謙虚に、誠実に、そして、
誰よりも、愛媛の、庶民の皆様のために、働き抜いてまいります。”

それしかなかった。
誰かに勝ろうとか周りがどうとか、そんなことは関係なかった。

ご支援くださったすべての皆様と、わが人生の師への、誓い。
そのことを果たす意思があるのかどうか、本当に果たせるのかどうか。

それしかなかった。

あまりにも過分で、あまりにも多くの皆様から頂いたご期待、である。

未熟も、若輩も、不器用も。
もはや言い訳のできない世界に、足を踏み入れたことを、覚悟した。

おそらく、今日からは。

政治を、泣きながら覚え、耐えながら学び、這いずり回りながら掴む、
そういう日々の連続に違いないことを、重々、承知した。

あれから、1年が経った。
というより、気づいたら、1年が経っていた。

振り返ると。

やはり、覚悟した通り、承知した通り、ではあったけれど、
味わった感動は、辛いことを全部かき集めたよりも何倍もの大きさ、だった。

承った県民相談は、400を超えた。
どれだけのお喜びの笑顔に励まされたことだろう。

議員バッジを頂いた日から1日も欠かさず綴った、
弊ブログへのアクセスは、40,000を超えた。

��Cの向こう側の皆様方に、
とっても青臭いかもしれないが、毎日、決意を認めてきた。

その決意を固めさせ、初心を持続させてくださったのは、
まさにPCの向こう側の皆様方に他ならない。

大小、遠近、様々な会合で、
皆様からどれだけ勇気を頂いただろう。

県下各地の遊説で、
立ち止まり、お手を振ってのご声援に、何度、涙をこらえただろう。

たくさんのお心こもるハガキとお手紙は、
今なお、宝物のように大切にしまっている。

行き詰まりそうになったとき、
百万馬力の力を頂けるからだ。

辛いことを大きく上回る、私が味わった感動は、
詰まるところ、皆様への感謝である。

有難い、有難い、と、いつでもどこでも、
常に感じ続けた、そんな1年であった。

今日から、2年目となるが、
決意は変えないし、変わらない。

“名もない庶民の1人として、どこまでも謙虚に、誠実に、そして、
誰よりも、愛媛の、庶民の皆様のために、働き抜いてまいります。”

あの日の誓いのままに、いつも感謝を忘れず、精進してまいりたい、と思う。

��写真:今年も、見事にサクラサク。桜の営みは変わらない。去年も、きっと来年も。)


2008-04-07

大自然の町、コスモポリタンの街、それは同じ国

なんという、五月晴れ。

春本番を感じさせる本日は、
終日、党務にて西予市へ。

どこもかしこも、桜が満開。
五右衛門でなくとも、絶景かな、絶景かな、である。

聞こえてくるのは、小川のせせらぎ、うぐいすの鳴き声、
香ってくるのは、木蓮や水仙や、そして、土の香り。

余分な音、人工的な匂いは、何もない。

あるがままですが何か?
とでも言われそうな、大自然の堂々、を感じる町。

東京と比べると、これが同じ国か、と思う。
そんなわけでついつい、の、上京ネタ第5弾。

最終日の夜、私の古巣である広告会社の先輩方と会食した。
といっても、サラリーマンの町・新橋の小さな居酒屋である。

新年度になって初めての金曜日ということもあったろう、
新入社員の歓迎会ということもあったろう、
とにかく路地という路地は、凄まじい人いきれ、であった。

で、飛び込みでお店に入るのだが、どこも満杯。
10軒近く断られ、ようやく腰を落ち着けることができたのだが。

これがまた、会話が掻き消されるような、店内の騒々しさである。
味付けも、基本的に、濃い。辛い。

さても、この街に限っては。

静けさって、何ですか?
暇って、どうしてですか?ということか。

そんな状況の中、久しぶりの先輩方と、盛り上がった。

近況交換から始まり、最近の業界動向や経済情報、
はたまた下世話な話まで延々と、お店を変えながら転々と。

そして、盛り上がりとは別の感性で、ふと気づいた。
東京は、いつから、コスモポリタンの街になったのだろう、と。

どのお店も、少なく見積もって、1/3は外国人だったし、
六本木では、昼間出会う人の多くが、中国語と韓国語を話していた。

急に、そうなったわけではない、徐々に、あるいは、知らず知らず、
今、気づいたというところに、重要な示唆を、感じてならない。

スケールはまったく異なるが、そういえば、
松山でも今治でも、外国人を見かける頻度が多くなったことに、気づく。

このことは、これからの私たち地方の与件とすべきであろう。

ともあれ、次回を期しながら。
終電タイムに合わせて、先輩方と散会したのが、3日前。

そして、今日。
終日、西予市の広大な大自然を走り、様々な方と対話を交わしながら。

それでも。
ここは同じ国なのだ、と思うし、ここはこれが個性なのだ、と思う。

その個性を輝くものにするために、私たちが今なすべきは何なのか。
どうすれば、この町の将来に、持続可能な発展がもたらされるのか。

風に舞う、桜の花吹雪を目で追いながら、
“昔、ある人が、その昔にもある人が、あなたと同じことを言ってたよ”、

そんな声が聞こえるような気がした。

妄想?ではない、
あまりにも雄大な大自然の前では、わが身の凡夫を受け入れるのみ、なのである。

��写真は、西予市の、収まり切らない大自然の、一部。)


2008-04-06

東京ミッドタウンでのユビキタス体験、に思う

午前、支持者会合に参加させて頂く。
午後、自宅にて政務。

につき、上京ネタ第4弾。
今日は、東京ミッドタウン、について。

昨年3月のグランドオープン以来、常にマスコミの注目を浴び、
東京で今、最も勢いのあるスポット、と言っても過言ではなかろう。

その、東京ミッドタウンとは。



防衛庁跡地の再開発計画により誕生した、商業・ビジネス・文化等の大型複合施設であり、
その半径1.6km以内に、大使館がズラリ、インタナショナルスクールがズラリ、

六本木ヒルズ、国立新美術館、赤坂Bizタワーなど挙げるとキリがない、
インターナショナルなエリアなのである。

まさに、世界の交差点。
恐るべし、六本木、なのである。

が、私がここに訪れた目的は、その部分のスゴさ、ではない。
“ユビキタス社会”を体感すること、であった。

ユビキタス社会を、私の理解で、かいつまんでいうと。

いつでも、どこでも、誰でも、
必要なときに、必要な情報やサービスが得られる、
ストレスフリーのコンピュータ情報社会、となる。

で、この東京ミッドタウンに、
ユビキタス・アートツアーという催しがあることを知り、
これはぜひ体験を、と思ったのであった。

このツアー、要は、芸術作品のオリエンテーリング、である。
四国88箇所巡り、ならぬ、六本木アート20箇所巡り、といってもよい。

つまり、ミッドタウン・タワー、イースト、ウエスト、ハイブリッドガーデン、
といった広大なビルと敷地内に点在設置されたアート20作品を、

ユビキタス・コミュニケータという、
携帯端末のナビゲーションにより個人で巡回する、というプログラム。

私は、7つのコースの中から、アート堪能コースを選んだ。
そして、スタッフのレクチャをひと通り受けて、いざ、出発。

全館に張り巡らされたセンサーにより、イヤホンから、
歩くタイミングに合わせて、実に的確な誘導アナウンスが流れる。

ほぉ~、と感心しながら、どんどん作品を巡っていった。

特に、“この作品気に入った”、と思えば、
携帯端末のメニューボタンで様々なコンテンツが楽しめる。

例えば、作家のインタビュー。
作品への思いや、伝えたいメッセージに聞き入る。

あるいは、製作風景。
外国から石を切り出し、磨き、スタッフと議論し、岩石と格闘する風景。

完成したアートが巨大クレーンにより、数十メートルの上空から、
しかもミリ単位の誤差しか許されない、シリアスな搬入設置風景など。

私は、アートには疎いと自覚するが、
これなら容易に情報の深堀りが可能だし、第一、楽しめる。堪能できる。

で、全20作品を1時間強で見終えることができた。
さて、ツアーを体験してつかみたかったのは、この感覚である。

いうまでもなく私は、東京ミッドタウンに、何の土地勘もない。
その私が、である。

少しもうろたえることなく、広大な敷地内を誘導どおり移動できたのだ。
これを、防災に使えないか、である。

いざ地震や火災などの災害が発生したときに、
心理的なパニックとともに必ず起こる、情報伝達の混乱と不能。

ビル全体が、町全体が、ユビキタスであるならば。
避難に必要な情報が、必要な人ごとに、町ごとに届けられるならば。

おそらく被害を、画期的最小限に抑えることができるのではないか。
また。

私は、ほとんど芸術に造詣はない。
放っておいても、この先、近代芸術に入門します、という可能性は極めて低い。

その私が、少しのストレスもなく、アートに触れ、感動したという事実。

これは、観光を始めとしたビジネス全般、あるいは、
情操教育、生涯教育など教育全般に、十分に応用可能、と思うのである。

ユビキタス社会。
それは、わたしたち公明党がめざすユニバーサル社会の、必要条件。

財政難だから、という発想は拭いたい。

県民生活の安心・安全・満足の最大化のために、
そこをゴールとして何ができるか、何をなすべきか、考え続けてまいりたい。

��写真は、東京ミッドタウン・ユビキタス・アートツアーの携帯端末。)


2008-04-05

2人のヒーローとの、再会

午後、帰松し、そのまま党務の1日。
今日も、東京での話題を綴りたい。

一昨日、政所氏と別れて向かったのは、練馬区・東大泉。
母校・今治西高校の同級生、鴨ちゃんを訪ねたのであった。

が、本当は軽々しく、鴨ちゃん、などと言ってはならないのである。
彼は、野球部で甲子園を湧かせたヒーローなのだから。

ともあれ、今年正月の同窓会で。
高校卒業以来の再会で、話が盛り上がったのである。

彼は今、“AVG.363”という、スポーツ・バーを営んでいるのだが、
上京したら、一度お邪魔するね、とその時、約束をしたのである。

当時、全くといってよいほど2人に接点はなかったのだが、
私には、鴨ちゃんに対する強烈な印象と親しみがあったのである。

その理由は、1冊の日記帳。
色あせたが、今も私の手元に、ある。

中学時代、父親の一周忌を機に、から始まる日記だが、
なぜかしら高校3年まで長続きしたものである。

読み返して、あまりにも幼い内容に1人赤面するのだが、
それが、1981年7月28日の日付でピリオドとなっている。

その日の日記に、鴨ちゃんが出てくるのである。

夏の甲子園、県大会準決勝○○高校戦のその日、
彼はホームランを2本放ち、快勝したのであった。

黄ばんだそのページには、躍るような文字で、
“すごいなぁ、鴨ちゃん、2ホーマーおめでとう”、
と、当時の喜びが記されている。

彼に対する強烈な印象と親しみは、いわば、青春日記のピリオドを打った、
その色あせたページとともに、私の中にあったのである。

その後、彼らは県大会決勝を勝ち進み、甲子園ではベスト8、
そして、秋の国体では見事、全国優勝を果たしたのであった。

さて、そんな野球部には、私にとってもう1人のヒーローが、いた。
ケンくん、である。

当時、私は、今治の泉川あたりで下宿をしていたのだが、
ひょんなことからケンくん宅に、しばらく居候をするようになったのである。

思えば、高校3年の2学期。

甲子園も終わり、夏休みも終えて、いよいよ受験一直線という時期に、
私たちは意気投合した。

私は、1学期まで、進路は美容師と決め、一切勉強をしていなかったところを、
恩師の青野先生の下宿訪問による激励により、進学を決意した矢先であり、

ケンくんは野球が終わって、セレクション受験とはいえ猛勉強を開始した時期であり、
いわば、受験合宿のような生活が始まったのであった。

が、実際は、ほぼ毎日、脱線の日々であり、楽しくてたまらない日々であった。

そんな話で盛り上がる中、鴨ちゃんの配慮により、ケンくんと電話がつながった。
“こっち、おいでや” “今から、向かうわ”、と話はまとまり、待つこと小1時間。

ケンくんが、来た。

“おーーーっ!ほまれ!全然、変わってないやん。” 
“ケンくんも一緒や、全然変わってへんでーーー!”

で、そこからは。

20数年の空白をお互い確認するように、
あるいは、20数年前にタイムスリップして。

3人の話は尽きようはずもなく、また、
お店のお客様も、いつしか一体となって。

懐かしくも新しい、楽しいひと時となった。

鴨ちゃんを訪ねてきて、よかった
ケンくんに会えて、よかった。

その後、時間は無常にも過ぎ、
明日の仕事と、終電を考え、名残惜しくも散会、となった。

帰り道。

1人、電車に揺られながら、脳裏に浮かんだのは、
映画「がんばっていきまっしょい」の、ラスト200のシーン。

“スパート!スパート!”

その、スローモーション・シーンに象徴される、青春のときめきと甘酸っぱさが、
同級生の、2人のヒーローとの再会で、1mmも違わずに、蘇ったのであった。

ありがとう、鴨ちゃん、ケンくん!

��写真:左から、鴨ちゃん、私、ケンくん。)


2008-04-04

学びを求めて、谷中へ、上野へ

さて、今回の上京、である。

自分にとって、
予想以上に中身が濃いものとなった。

ということで、
しばらくにわたり綴りたいと思うが、

今日は、
昨日の“谷中”界隈の訪問について。

初めて訪れる台東区・谷中というのは、いわゆる、下町であった。

駅前から少し足を踏み入れると、昭和の時代が匂ってくるどころか、
古い町並みや寺院が、江戸の情緒さえ感じさせる、庶民の町であった。

ここを訪ねたのは、先日、代表質問でも取り上げさせて頂いた、
㈱玄 代表取締役の政所利子氏との再会が目的であった。

��先日の話というのはこちら⇒ http://homare.i-yoblog.com/d2008-01-30.html )

予定の時間より早く到着したため、しばらく、界隈を散策してみた。
心地よい、路地空間。

10数年前、NHK連続テレビ小説“ひまわり”(女優・松嶋菜々子さん主演)
の舞台となった「谷中銀座」を歩く。

平日の夕方とはいえ、お客さんの数はかなり多く、しかも、ずいぶんシニアが多いな、
という印象を持ったが、各店の品揃えを見て納得した。

その通り、メインターゲットは、シニア、なのであった。

従って、視覚的にも機能的にも、
高齢者に優しいバリアフリーが商店街全体に施されているのである。

その一方で。

各店共通の庇(ひさし)や軒先灯と、個性あふれる手彫りの木製看板で調和が図られた、
郷愁あふれるレトロな空間は、私たちの年代までも主要な顧客として誘引するのである。

戦後、数度の整備を重ね、今もなお活性化する商店街。
全国から視察が絶えないということも、頷けたのである。

さて、政所氏である。
時間の関係から、谷中から急ぎ足で2駅ほど移動し、上野界隈での再会となった。

挨拶がわりの近況交換のあと、いきなり、地方分権についての逆質問を頂く。
本当は、地域活性化について先日の話の続きを伺いたかったのだが。

で、地方分権の結論からいうと、是か非かというよりも、
これは必然であり、世界と歴史の流れそのものではないだろうか、ということと、

そのためには価値観の転換が必要で、
経済的、精神的、世代間的にも痛みを伴う、そのプロセスをどのように合意し乗り越えるか、
というのが直面する現実課題だ、というのが私の意見であった。

なるほどそうならば、と政所さんは言われた。

地方分権と、真の政治改革は、地方からその潮流を起こせるし、起こすべきであり、
その情報発信と、潮流の最初の一波は、あなた方、地方の若手政治家がなすべきだ、と。

例えば。

道路特定財源の暫定税率の廃止でそれほどまでに地方が困るなら、
なぜ、地方議員は東京に総結集して、街頭に立ち、訴えなかったか。

世論は、その気になれば、作れるのだ、と。

バシーン、と音が出るほどの衝撃を覚えた。
今まで考えたこともなかった視点を、教えて頂いた。

地域活性化を求めての再会は、期せずして、
自身の活性化への貴重な示唆を得る邂逅、となった。

それは、そうなのであって。

政所氏の知見と影響力は国レベルであり、現在、国交省のY?KOSO! JAPAN 大使として、
観光立国日本の構築にご尽力されている方なのだから。
��ご参照URL⇒ http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha08/01/010117/01.pdf )

1時間強の貴重なお時間を割いて頂き、様々なご教授に感謝しながら、
次回までの自身の成長を心に期して、次の訪問先へと別れた。

先日、綴らせて頂いた通り、私の本年度のテーマは、“拡げる” だ。

若輩と浅学を自覚するがゆえに、貪欲に。
愛媛の生活課題解決のために、県内も県外も。

求めて歩き、動いて学び、
そして、議会活動に、現実の県民生活に、フィードバックしてまいりたい、と思う。

��写真は、谷中銀座の風景。)


2008-04-03

改革の、魂は細部に宿る、について

上京初日、13:00、参議院議員会館にて。

内閣府大臣官房審議官の原山保人氏を講師に、
��公益法人制度改革」についての勉強会が開催され、参加した。

公益法人とは、財団法人と社団法人のことで、全国にその数、25,000。
��2006年10月1日現在)

ちなみに、わが愛媛県の所管する公益法人は、259である。
��2007年10月1日現在)


官僚の天下り問題や、公的機関の支出のムダや不正が指弾される中、
今回の制度改革は、そのカネと人の流れの透明性を増すための改革、
といえそうだ。

新たな公益法人制度は、3つの法律によって構成される。
つまり、「一般社団・財団法人法」、「公益法人認定法」、「整備法」、である。

詳細はともかく、最大の、特筆すべきポイントは、
“公益”を誰がどのように認定するか、というルールが明確になったことだ。

驚くべきことに、これまで、
その手続きを定める明確なルールがなかったのである。

今の今まで、公益法人の認定、あるいは監督は、
主務官庁の裁量権に基づいて行なわれているのである。

主務官庁とは、国であり、都道府県のことであり、
裁量権というのはズバリ、恣意、ということである。

つまり。
例えば、公益法人の認定に関して。

国であり都道府県である私が、ウンといえばOKだし、NOといえば却下、
というような世界だったのであった。

これは、私が言うのではなく、原山審議官の説明である。
驚くほかないのである。

不正や天下りの温床は、その構造自体にあったといえよう。
それが、本年12月より、新たな制度が導入されることになる。

導入される新ルールは、先の3法であり、全国共通の認定・監督新基準。
認定するのは、国では公益認定等委員会、都道府県では合議制の機関。

しかも、資料や議事録は、すべて公開される予定となっている。

ということは。

少なくとも、今までなかった全国共通ルールができ、情報公開も行なわれる、
となれば、カネと人の流れの透明性が増す、ということに他ならない、と思うし、

本制度改革を最初に提起しリードしてきた、私たち公明党としては、
これを突破口に、さらなる政治改革と、政治の信頼回復を実現してまいりたい、
と意を強くするばかりであった。

そして、ふと。

魂は細部に宿る、というフレーズが浮かんだ。
ドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエの至言である。

公益法人制度改革が、わが県民の皆様から評価を頂けるものにできるかどうかは、
私たちの仕事であり、これからだ、と思うと、あらためて身も心も引き締まるのであった。

��写真は、内閣府大臣官房審議官・原山保人氏の講演風景。)


2008-04-02

村上ファンドの村上さんとNPO、の意外

新年度となり、新しく着任された
地元小学校・中学校の校長を表敬訪問する。

私も、本年度から文教警察委員会に配属となり、
そういう意味では新任である。

新人かつ新任ゆえ、万般にわたりご指導ご教授を、
と、心からお願い申し上げるばかりであった。

続いて、㈱フェローシステム(三好社長)様を訪問し、
��PO法人ユニバーサルクリエート(佐伯代表)様の新事業
に関するブレストを行なった。

いつもながらお二人とも熱いし、
佐伯さんは相変わらず行動半径が広い。

感心しながら。
意外というか、興味深い情報に出会った。

あの村上ファンドの、村上世彰(むらかみ よしあき)さんが、
��POを支援する活動を全国展開している、というのである。

その名は、NPO法人チャリティ・プラットフォーム。
��ご参照URL⇒ http://charity-platform.com/index.html )

代表者の佐藤理事長によれば、その活動理念は。

“NPOを支援するNPOとして、日本における寄付文化の創造をめざすこと”
である。

詳細は同HPに譲るが、直感的に、これは面白い、と思った。
あるいは、非常に優れている。

志も高く、社会的課題の解決に燃えるNPOは、
国内に、約4万、あるという。

一方、世の中の何かでお役に立ちたい、と考える人はどうだろう。
おそらく、4万とは桁違いの人数になるのではないか。

その両者を、つなぐ試み。

資金繰りと人材確保・育成という、
ほとんどのNPOが直面する現実課題と、

選択と検証が可能な、
社会的事業への参加・貢献を求める潜在的善意を、つなぐ。

それは、善意を拡げ、新しい文化を創る試みでもあろう。
これから間違いなく脚光を浴びることになることを、予感した。

そして、村上さんと話が盛り上がったという
佐伯さんの話を聞けば聞くほど、

彼らの自由と大胆と先取の取り組みに、
行政は大いに学ばねばならない、と思うし、

事実、私もまた、
いつも今日のお二人に学ばせて頂いている。
佐伯さん、三好さんに感謝、である。

さて、明日から、東京だ。

いくつかのテーマがある中で、
まさに明日は、公益法人制度改革についての勉強会。

公益法人と、NPO。
それは、隣り合わせ、あるいは、完全にリンクした関係。

いうまでもなく、公益にしても、社会的課題の解決にしても、
きちんと生活者視点に立てば、目指すところは同じである。

そこを起点にした改革であるかどうか、
しっかりヒアリングしてまいりたい、と思う。

��週末は、きっと満開。皆様にとって、最高のお花見日和になりますように。)


2008-04-01

新年度のテーマは、拡げる

今日から、いよいよ新年度。
新しいスタートは、気持ちよく切りたいものだ。

と。

昨晩から、机の上の書類整理にとりかかっている。
が、一向に追いつかず、今朝から仕切り直しとなった。

なにせ、積もりに積もったり、約1ヶ月で、1m近く。

1日あたり約3cm、という計算にあまり意味はないが、
年度末はやたらと分厚い書類が多発する、のは確かである。

緩急織り交ぜ、1つ1つ目を通しながら。
不要なものは、シュレッダー、ガーッ。

そして。

ははぁー、これってこういうことだったのか、
と今頃ようやく理解できたり、

これ、あとで精読せねば、はい、付箋をピタッ、とか
これは、保存版だからこちらね、とか、1人ごちながら。

苦闘、何時間だったか、ついに。
職務ごとに、ジャンルごとに、整理が完了し、山が片づいた。

骨が、折れた。

が、それは、あくまで作業の範疇であり、そこから先が仕事である。

その後、あさってからの上京の準備を進めながら、さらに、
新年度の自身のテーマと目標についても思索を進めた。

駆け出し2年目、である。
初心と謙虚はそのままに、今年度は、拡げる、をテーマに取り組みたい。

知見も、行動力も、実現力も。
人脈も、情報収集も、行動半径も。

今持てる、自身のすべてのキャパシティを、拡げたい。
そのために。

1日1日のなすべきを明確に、貪欲にチャレンジしてまいりたい、と思う。

さて、先ほどの、山積した書類。
整理したはよいが、書庫に入りきらない。

自室のキャパシティを広げることが、先決のようだ。

��写真は、キャパオーバーの書庫。結局、書類を移動させたに過ぎないか。)