2007-07-31

暑い、熱い、7月の終わりに

今日で7月も終わり。
慌ただしく、暑く、忙しい、1日。

選挙が終わるのを待っていたかのように、
なすべき様々な事柄が押し寄せる。

今日も、いくつかの市民相談を承った。

子育てに関すること、
雇用に関すること、
安全に関すること、
そして、生活上のトラブルに関すること。

県民の皆様の、暮らしの悩みは、後を絶たない。

そのお一人お一人の思いを真摯に受け止めながら、
解決に向けて何をすべきか、何ができるか、どこまでできるか。
皆様の痛みをわが痛みとするとき、私の悩みもまた、後を絶たない。

ない知恵を絞りながら、先輩・識者・職員各位にご指導頂きながら。

目の前の1つの課題解決は、その、お一人とご家族への安心をもたらし、
もたらされた、その1つの安心は、政治への信頼に繋がり、
やがて県下全域に暮らす方々の生活満足へと広がるであろう。

そのことを信じ、そのために。

見て、聞いて、調べて、動くのだ。
考えて、考えて、また考え抜くのだ。

党務と、公務と、個人の政治活動と。
人々の生活をマターとする議員の仕事に、休みはない。

暑さのせいか、いささか書生っぽく、文章まで熱くなってしまったが、
終日、市内を休みなく走りながら、感じた、1日であった。


2007-07-30

10度目の甲子園出場

きわめて個人ごとで恐縮ながら、この話題。

わが母校・今治西高が、3季連続10度目の甲子園出場を決めた。
後輩諸君、本当におめでとう!
また、済美高ナインの健闘に心から拍手を送りたい。

ジリジリと照りつける中、党務の合間を縫って、駆けつけた終盤戦。
ゲームは均衡を保ちながらも、9回裏の時点で、正直、負けを覚悟した。
絶体絶命だと、思った。

しかし、逞しい後輩たちは、鉄壁の守りで、この窮地をしのいでいく。
何たる強靭な精神力。そして、自信。

そして、延長11回、執念の決勝点をもぎ取り、守り抜く。
何たる勝利への気迫。その、粘り。

グランドで、泥まみれでプレーするナインたちも、
スタンドで、汗まみれになって必死に応援する生徒たちも。

その美しい状態をひとことでいうと、togetherである。
共に、という世界だ。

私の大好きなワードである。

昨年まで私が勤めた会社には、その経営理念から6togetherという行動規範があった。

すなわち。
「共に知り、共に語り、共に働き、共に決定し、共に責任を担い、共に感じる。」
これである。

およそ組織であれ、運動であれ、同じ目的をめざして、共に、という作用が働いたとき、
その力は、凡庸な予想は及ばない、巨大なエネルギーと生まれ変わる。

すばらしい後輩たちに感動しながら、ふと、そのフレーズを思い出した。

それにしても、あの強靭な精神力、自信、気迫、粘り。
続いて、別のフレーズが蘇る。

「自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらない。」
これは、広告業界では知る人ぞ知る、電通「鬼十則」の一節である。

愛媛の代表として、甲子園で悔いなく完全燃焼を、と祈りながら。
この後輩たちの激闘に、政治の世界で私は。

今日から明日への、大いなる刺激と気づきを与えられた1日であった。


PS 参院選に関する内容は念のため控えさせて頂きますことをご了承ください。

2007-07-29

民意に思う

参院選きょう投票。
地元紙の見出しを持ち出すまでもなく。

深夜に大勢判明ということで、現在、深夜である。
まさに、大勢は判明した。

今、2つのことを感じている。

何より、民意は、重いということだ。
つけくわえるならば、とてつもなく重い。

政治家は、このことをきちんと理解して、つまり、国民を目的として、
どこまでも真摯に、謙虚に、政治を行っていかねばならない。

この、当たり前のことを、当たり前にしていかなければならない。

もう1つは、支援者に対する感謝、ということだ。
各党・各候補とも、そこには、期待を寄せてくださる方たちがいる。
票ではない、生活を抱えた生身の人間の気持ちがある。

それを託される、お頂かりする、ということの有難さに、
各党・各候補とも、どこまでも感謝をしなければならないだろう。

私たち公明党は、比例区で地元出身の候補を立てて戦わせて頂いた。
ご支援を頂いた皆様に、心より感謝を申し上げたい。

この間、候補に随行し、県下各地を回らせて頂いたが、
いずこの地でも、時間をこじ開け、私心なく、必死で応援をくださる皆様がいた。

こういう名もない庶民の皆様の、必ずお力にならねばならない。
候補の大勝利を確信するとともに、あらためて感謝と決意を深めさせて頂いた。

いずれにしても、今日で選挙は終わった。
明日から、だ。

結果分析も反省も必要だが、より大事なことは、
この結果を国民にプラスになる原因としていくんだ、という強い意志と並々ならぬ決意であろう。

テレビの報道の向こうから、民意がそう呼びかけている。

��写真は7/29付愛媛新聞1面)


2007-07-28

期日前の行列

うだる暑さ。
セミの鳴き声のシャワー。

今日は、友人と参議院選挙の期日前投票に行ってきた。
地元報道によると、今回の期日前投票数は、前回の1.5倍を超える多さだという。

さもありなん、であった。

過去何度も、期日前投票に参加したが、
行列待ちをしなければならないというのは、今回が初めてだ。
投票を終え、帰りがけの際も、人の波が続々と押し寄せていた。

今回の参議院選挙は、それほどまでに有権者の関心が高い、ということの証左であろう。

さあ、いよいよ、明日が、その投票期日。
誰が名づけたか、私たちが投票するその1票は、まさに、審判、である。

民意は、日本の針路をどのように選択するか。
そして、民意を受けた政治は、どのような変化を生成するか。

その変化は、そのまま、わが県政にも変化を与えるであろう。
私も当事者の一人として、しっかりと、その行方を注視してまいりたい。

2007-07-27

自治体間の競争

政策転換と市町村合併で、加速する企業立地。
興味深いタイトルの特集記事(日経ビジネス7/23号)に目が留まる。

今年6月に施行された企業立地促進法を背景に、自治体間の企業誘致競争が本格化している。
それを仕掛ける経産省の解説と、先進的な自治体の取り組み事例にスポットをあてた、特集である。

わが愛媛では、好景気で沸く海運業を中心とした今治市の海事都市構想を、さらに拡充するため、
県が積極的な規制緩和で、制度面から支援する事例が取り上げられている。

企業立地促進法は、簡単にいうと、企業誘致に取り組む自治体を国が応援します、というものだ。

いうまでもなく、自治体にとっては、企業を誘致すれば、長期的・安定的な収入と雇用を得ることができる。
深刻な財政危機を抱える状況の中、どの自治体もノドから手が出るほど、それは魅力的に映るであろう。

一方、企業側からみれば、対象企業をきちんと顧客として捉えることができる経営マインドと、
今回の法施行をビッグチャンスと捉えられる感性と、対応のフレキシビリティのある自治体のみが、
その選択肢に入ってこよう。

まさに、競争である。
そして、その経営判断ができる自治体は極めて健全である、と思う。

記事にも紹介された、18もの造船所が立ち並ぶ今治市の、
歴史を含めた、これほどまでに恵まれた海運ロケーションは、
おそらく全国のどこにも真似ができない固有の強みであろう。

それを最大の経営資産と捉え、さらに磨きながら、海事産業集積地としての圧倒的地歩を固めていくならば、
全国から、あるいは世界から、保険会社・金融機関・海事法律事務所・部品メーカー・技術者養成ビジネス・
情報通信産業・外国人向けビジネスなど、まだまだ、そして様々な、企業を呼び込むことが可能となるはずだ。

そしてそれは、既存企業を呼び込むに止まらず、新規ビジネスの創出にも繋がるに違いない。
また、県内各市町にも、触発と波及効果をもたらすであろう。

同誌記事を読みながら、まだまだ発展途上である、わが愛媛の明るい未来に思いを巡らせた。

2007-07-26

手紙のチカラ

今日1日の戦いをやりきって、ヘトヘトで帰宅すると、
1通の手紙が届いていた。

差出人は、昨年まで勤務していた会社の会長である。

おー!
なんと、うれしき。なんと、ありがたき。
一気に、1日の疲れが吹き飛んだ。

中身を拝見すると。

昔からいささかも変わらない、いかにも会長らしい、
謙虚で、かつ謙虚で、さらに謙虚な、お人柄が、
行間からにじみ出て、とてつもなく、私を励ますのである。

あー、私は、いい会社で育てて頂いた。
日本一の支持者の皆様しかり、この会社の会長他の皆様しかり。

私は、何と得がたく、有難い縁を頂いたものであろう。
身の福運に、心から感謝の思いで一杯になった。

だからこそ、その、お世話になったすべての皆様に、
これからの人生をかけて恩返しをしなければならない。

あせりも気後れも乗り越えて、初心を忘れることなく、
私心なく、謙虚に、地道に、力をつけてまいりたい。

何度も読み返しながら、
ヘトヘトの身に、勇気が注入され、決意があふれてきた。

メールや、ケータイや。
伝えることの技術は、もはや利便の究極かと思える時代にあって。

勇気と、希望と。
手紙という伝達手段の、人を励ますチカラを、あらためて考えさせられた。

心を伝え、また心を感じるには、やはり手紙に如くはなし、である。


2007-07-25

CMソング

空にフワフワ、ひつじ雲。

と、ミユキ野球教室というTV番組のCMソングを思い出した。
なぜならこのCM、延々と羊の群れが登場したからである。

歌詞は、こうだ。

♪紳士だったら知っている~  服地はミユキと知っている~
ミユキ~ ミユキテックス!  ミユキ~ ファンシィテックス!
ミユキ~ ミユキ~ 服地はミユキ~♪

お見事、よい出来だ、と思うこの30秒CMは、
我々から上の世代は、ほぼ全員、懐かしさと心当たりがあるだろう。

何せ、毎週日曜朝のお楽しみ、昭和32年から33年間続いた長寿番組なのである。
家族そろって、朝食をとりながら見ていた方も多いのではないだろうか。

日テレ系で、当時のONを中心に、巨人の選手の出演が多かったが、
プロの野球選手が、子供たちに手取り足取り、野球の技術を教える姿、
それにハニカミながらも感激する、自分と同じ年頃の子供たちの姿、
見ているこちらがワクワクしたものだ。

今では長寿番組も少なくなったし、家族そろって見られる番組も少なくなった。

この先は、というと、2011年7月でアナログ放送が終了し、デジタル放送となる。
そうなると、テレビの見られ方はますます大きく変わるであろう。

情報の受け手であった我々が、情報を選択的に取りに行くという逆転現象とともに、
地方TV局の番組とありようそのものが、おそらく劇的に変わるはずだ。

常に変化する時代に対応する力が、必要だ。

個人にも、組織にも、そして政治にも、そのことが厳しく問われていることを、
気持ちよく浮かぶひつじ雲をながめながら、痛感した。


2007-07-24

26年前の夏

甲子園を目指して、わが母校・今治西が順調に勝ち進んでいる。
わずかに惜敗された宇和島東高校の健闘にも心から拍手を送りたい。

振り返ると。

26年前、当時、高校3年であった私は、在学中、初めての甲子園出場を経験した。
といっても、応援で、であるが。

その年は、井上主将を中心に、藤本投手・武田捕手という大型バッテリーで、見事ベスト8へ進出。
次の準決勝で、優勝校となった金村投手の報徳学園に逆転負けで終わった。

ちなみに秋の国体では、あの荒木投手擁する早実を破って、見事、全国制覇をしたチームであった。

ともあれ、生の甲子園で、母校が勝利して、皆で肩を組み、校歌を大合唱する。
あの感動は、とても表現できないし、今だに忘れられない。
参加校数からいうと、1%の確率でしか味わえない、貴重で、有難い経験をさせて頂いた。

当時、私は柔道部だったが、野球部の主力の何人かと特に仲がよかった。
堅クン、まさクン、元気でやってるか?
一度、柔道着を着たまま、野球部の練習に参加させてもらったことも忘れられない思い出だ。

はたして26年前の私は、今日の母校の生徒たちと同じ気分であったろう。
あのとき、こうして、議員として働かせて頂く自分を想像することなど、全く思いもつかなかった。
私は、確か、美容師になりたかったのである。

数々の因と縁が織りなして、人生は展開していく。
ひるがえって、母校生徒たちの前途への期待は、限りなく大きく、そして熱く。

さて、わが母校・今治西の次の対戦相手は、松山北高校である。
その松山北高校の監督は、私と同級生であり、当時の野球部主将であった、井上監督だ。
両方応援したい、複雑な気持ちなのである。

��写真は、26年前の夏の私)

2007-07-23

ケータイ個人情報

ケータイは電話にあらず?とのリードに、目を引く。

通話が「ほとんどない」ユーザーが44%とのことだそうだ。
��ご参考URL⇒ http://www.asahi.com/business/update/0721/TKY200707210290.html?ref=goo )

調査サンプルに、少しバイアスがかかっている点を差し引いても、これは一定の事実であろう。
加えて、通信キャリアからすると、とっくの昔の事実である。

言ってみれば、ケータイは、ちなみに電話もついてる、生活インフラだ。
もはや、なくてはならない必需品、か。

PDAであり、音楽プレーヤーであり、テレビであり、ラジオであり、カメラであり、トランシーバーであり、
おサイフであり、クレジットカードであり、カギであり、会員証であり、ポイントカードであり、
まとめると、究極の、ケータイ個人情報ともいえる。

一人当たりの通話料が減少して・・という通信キャリアに対する心配は杞憂だ。
それをいうなら、上記それぞれの競合メーカーの危機感の方がよほど上回ることだろう。

さて、そのケータイ。

今後ますます広がるユビキタス社会を見通したときに、
究極の利便性と、隣り合わせの危険性をにらみながら、
行政としても、その活用を今のうちにしっかり研究しておきたいところだ。

目下の参議院議員選挙も、近い将来、ケータイから、という可能性もなくはないのだから。



2007-07-22

その発言、目が点

目を疑う、今日の出来事である。
地震名称で、上越の県議が失言をしたとのこと。
��ご参考URL⇒ http://news.goo.ne.jp/article/niigata/nation/1-1340-niigata.html?C=S )

ありえない。

としかいいようが、ない。
私が、彼の立場だったら、と、いくらシュミレーションしても、そういうセリフは思いつかない。

同じ議員という立場を頂くものとして、忸怩たる思いでいっぱいである。
被災者の方々の気持ちを考えると、本当にやりきれない。

議員としての発言の重さと、責任の大きさ。
1日の終わりに、いや増して痛感させられた出来事であった。


2007-07-21

怒り心頭

県内の、参院選の期日前投票で、事件が起きた。
愛南町選管で、選挙区と比例区の、投票用紙を取り違えたという事件だ。

最初の4人の方が、投票用紙をテレコでもらって、そのまま、立会人の指示に従い、
選挙区に比例区候補を、比例区に選挙区候補を記入し、投票したらしい。

結果、いずれも無効の可能性が高い、とのこと。

人間だから、ミスはある。
しかし、5人めの有権者の指摘で初めて気づくというのは、立会人も、あまりにもであるが。

それより何より、無効の可能性、というのは何事か。
怒り心頭なのである。
4人の方に、聞いてみるとよい。

有権者側の、例えば記入ミスなら、それは自己責任ということもいえよう。
しかし、有権者は立会人の指示に基づき、正当に、その思いを行使したのである。

責任は100%、行政側にあるのである。

この4人の方の思いを、どうするのだ。
必要なことは、謝罪ではなくて、権利の保障だ。

極論すると。
もし、4票差内で、当落が分かれたらどうする。
もし、5人めではなくて、1,000人めの方が気づいたらどうする。

これは、決して簡単に見過ごすことができる問題ではない。

法整備のことも、選管の管理強化のことも、
有権者側に立って、真剣に、謙虚に、反省を踏まえた対策が必要であろう。

まずは、残りの期間、2度と同じことが起きないことを祈りつつ。

2007-07-20

知事へのプレゼンテーション

ようこそ、知事室へ、というサイトをご存知だろうか。
��ご参考URL ⇒ http://www.pref.ehime.jp/governor/governor.html )
ここに、知事への提言、というコーナーがある。

恥ずかしながら、私は、議員になるまで知らなかったのであるが、
これは、ぜひ皆様に活用して欲しいと思う。

地方自治体における、最も影響力を及ぼす力は“首長”にある。
いうまでもないことであるが、愛媛県においては、愛媛県知事であり、
知事が、やろう!ということになれば、大きく事が動き出すのである。

このサイトを活用するということは、
知事への、いわば、プレゼンテーションなのである。

私も、定期的にチェックしているが、生活現場からのご意見とあって、
実に具体性のある提言がズラリだ。
議会での一般質問で取り上げたい課題も、多数みられる。

輝くふるさと愛媛づくり、のためには、より多くの方が、
当事者となって、主体者となって、声を上げることが大切だ。

現代を生きる我々には、このような、ネットという手段が与えられている。
ほんのちょっと前の愛媛では、庶民が知事に提言するなど、
思いもよらなかったことを考えると、ここは積極的に活用してまいりたい。

知事への提言、というサイトを知らない方には、ぜひ知って頂きたいし、
知った方は、ぜひ提言をぶつけてみて欲しい、と思う。


PS.弊ブログをご覧の皆様に
参院選期間中は、念のため選挙関連テーマを自粛させて頂きますことをご了承ください。
大勝利に向けて、最後まで断固戦い抜いてまいります!

2007-07-19

姥捨て事件

老女が、ごみ置き場に捨てられる。

といっても、これはインドでの出来事。
ロイターによると、
「インド南部で病気を患った75歳の女性が、ごみ捨て場に横たわっているのを地元の夫婦が発見した。
介護を嫌がった娘と孫たちによって捨てられたとみられている」ということだそうだ。
��ご参考URL⇒ http://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/JAPAN-269613.html)

目が点になるとともに、決して日本もよそ事ではない、そんな深刻さを予感した。

介護に疲れた果ての心中や、生活苦からの殺人事件、または餓死。
これらは、今年に入ってからも、たびたび耳にする痛ましい現実である。
ほっておけない、今すぐ何とかしなければならない問題だ。

考えてみると、日本の高齢者(65歳以上)人口の割合は、20.7%。
5人に1人が、高齢者なのである。
20年前に比べて倍増という、猛烈なスピードで、高齢化が進んでいるのである。

この水準は、アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、フランス、ロシアの、
いわゆるG8の中でも、NO.1だ。

だからこそ、私たちは、どの国よりも真剣に、そして今こそ、
介護を始め、医療・福祉・年金・保険といった制度設計のあり方を見直しながら、
世界で一番安心の高齢社会の確立をめざさなければならない、と思う。

急速な高齢化は、1人あたりの負担と責任が急速に重くなるという、
現役世代の私たち自身の重大問題だ。

間違っても、自分たちの都合で、物心問わず、お年寄りを捨てることのないように、
政治は、その役割を果たさなければならないし、私たち一人一人も自覚を持ちたい。

昔ばなしに、姥捨て山伝説がある。
大変な食糧難に直面した、今でいう現役世代が、食い扶持を減らすために、
老人を山に捨てて命をつないだ、という悲しい伝説だ。

食糧難を経済苦、あるいは生活苦に置き換えると、現在に当てはまらないとはいえない。
と同じように、インドのニュースも、決して傍観できるものといえないのである。

国も地方も、地方の地方も。
そのネットワークの基点が私の役割であるならば、しっかりとつなぎながら、結びながら。

これからの少子高齢社会が、皆様にとって、少しでも安心して暮らせる社会となるように、
油断なく、全力で働いてまいりたい。知恵と勇気を出して取り組んでまいりたい、と思う。


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2007-07-18

アクセスに感謝

昨日は、132名。
これは、弊ブログをチェックしてくださった方の人数である。

顔も見えず、お声も聞けず、いったいどんな方々なのだろう、
という不安交じりの気持ちと、有難い気持ちと。

皆様に、県政のことをもっと身近に、もっと具体的に感じて頂きたい、
もっとお声を聞かせて頂き、県政に反映させたい、そのきっかけに。

そんな気持ちで立ち上げた弊ブログである。

100名を超える皆様に見て頂けるようになったこと、
ポツリポツリではあるけれど、赤裸々なご意見やお励ましメールを頂けるようになったことを、
本当に有難い、と思う。

ぜひ、今後とも、何でもお気軽にご意見を頂きたいし、
頂いたメールにはお約束の、必ず返信、を実行させて頂きたい。

本当は、皆様に直接お会いして、いろんなお話をお伺できれば一番だし、
様々なテーマで対話ができればどんなに楽しく有意義か、と思う。

そういう機会が持てるように、広がるように、がんばっていきたい。
132名の皆様に感謝の思いを馳せながら、今日は、そんなことを考えた。

PS
参院選公示の日に、選挙関連テーマを自粛すると宣言して以来、
今日は初めて、他に何も書けないくらい、選挙準備でクタクタの1日となりました。
ブログネタ不十分につき、申し訳ありません。。。

2007-07-17

でっかい夢

左の写真は、来島海峡大橋である。

今治と大島を結ぶ、しまなみ海道のいわば始点、もしくは終点。
昨日、久々の伯方島訪問時に撮ったものである。

私には、しまなみ海道を通るたびに必ず浮かぶメロディがある。

♪橋をかけよう かけよう橋を/橋をかけよう でっかい橋を♪
で始まるそれは、フランク永井の“でっかい夢”という歌である。

ご存知の方は、いるだろうか。
昭和42年にリリースの歌である。

初めて私がこの歌を聴いたのは、小学校に上がった頃と記憶している。
夏休みの盆踊りでかかる、定番の1曲であった。

盆踊りの会場であるお寺の境内は、地域内の家族がこぞって集まり、
来る年も来る年も、それはそれは賑やかであった。
そういう時代でもあった。

風呂から上がりたての私は、いつも糊の効いた浴衣を着せられて、
留守番の母と祖父母を家に残し、父と妹と一緒に、踊りの輪に飛び込んだ。
おじちゃんやおばちゃんや、おにいさんおねえさんに混じって。

踊りつかれた帰り道は、妹を背負った父の手に引かれながら、ウトウトと、
夜通し泣き止まないセミの声と、キリギリスの声がいつもの子守唄だった。

幼心に、当時、本州と四国が橋で繋がるなんて、本当は思っていなかった。
そんなにスゴイことは、少なくとも小学生の私が、生きているうちには無理だろうと思っていた。
まさに、でっかい夢、であった。

考えてみると、しまなみ海道は、当時の人たちが描いた、でっかい夢なのである。
今、私たちはこの橋を渡って、あの島へ、この島へ、本州へと、いつでも自由に行くことができる。

ふと、私たちは子どもたちへ、どんな夢を残せるだろう、と思った。
これが父親たちが言っていた“でっかい夢”だったのか、と子や孫たちに言わせしめるものは何だろう、と。

かの歌の最後の歌詞は“男の夢は/虹よりでかい”だが。
そろそろ社会の責任世代に入った者として。

子どもたちに“虹よりでかい”夢を与え、そして自身の為すべきライフワークは何なのか、
この写真から、何だかちょっと真面目に考えさせられた。


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2007-07-16

伯方で、ボズを聴きながら

伯方港、あるいは木浦港。
久しぶりに見渡す、この風景と、潮の香り。

タイムスリップしたかのように。
少年時代と、何も、変わらない。

思えば、中2のとき、父を亡くして移り住んだこの島は、母の里であるとともに、私の故郷となった。

車のエンジンを止めて、BGのボズ・スキャグスを聴きながら。
当時の、往時の、そして30星霜の思い出が、猛烈なスピードで、脳裏にフラッシュバックしてきた。

桟橋に、降りてみた。
あのときと、何も、変わらない。

高校受験の時、不合格なら就職しようと決め、悲壮な決意で渡ったときも。
下宿で過ごした今治西高時代、帰省のたびに、大きな荷物を自転車に積んで下船したときも。

大学時代、3万円の中古車を手にして、意気揚々と凱旋気分で降り立ったときも。
いつしか社会人となり、家庭をもち、父となり、そして、議員としての所用に訪れた本日も。

この桟橋は、ゆるやかに波に揺られながら、
じっと浮かびながら、昔と何も、変わらない。

しかし、時は過ぎ往き。
島に帰る度に、この桟橋で私を迎えてくれたステテコ姿の祖父と、笑顔の祖母は、もういない。

さて。
久しぶりの伯方島は、途中、晴れ間と静けさが一転、突然の豪雨と雷もにぎやかに。
市民相談の後、参院選支援依頼で旧友・親戚を駆け足でまわり、約4時間の滞在となった。

おじちゃんも、おばちゃんも、友人たちも。
当時と何も、変わらない、その温かな笑顔と人情と。
会話に花が咲き、話の続きが名残惜しくも、次回の楽しみとなり。

久しぶりの故郷で、えもいわれぬ温もりを感じたひと時は、
故郷から私への、贅沢なお土産そのものだったであろう。

と、ともに。
伯方島を移動中、あちこちの辻々で目に飛び込んできた公明党の法定ポスター。
支持者の皆様の献身に、心から合掌する思いでいっぱいになった。
明日から、さらにやらんかな、と勇気がみなぎった。

目の前の戦いを勝ってこそ、次は、できれば、ゆっくりと訪れたい、と思う。


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2007-07-15

レジ袋じゃない

ロンドン、パリ、香港、そして東京と。
ひとつのブランドバッグが、話題を振りまいている。

それは、アニヤハインドマーチのエコバッグ。
��ご参考URL⇒ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070715-00000076-san-soci )

“世の中を少しずつ良くするために、日々できることからはじめよう”とのテーマで、
レジ袋の抑制を目的にプロデュースされた、有名デザイナーズブランドバッグである。
そのフロントにプリントされたロゴは、“私はレジ袋じゃない”と呼びかける。

環境破壊抑制への啓発という企画意図については全く異論はないものの、
残念ながら、環境意識を高める結果には十分に結びついていないように思える。

あの長蛇の列と、ヒステリックな喧騒を見ていると、漠然の危うさを覚えるのは私だけだろうか。
ひとたび生じたあの空気と熱気を、誰であれ、冷静に、理性的に処置することは不可能であろう。
その喧騒が日本だけでないところを見ると、世界的なシンドロームなのだろうか。

同時代を生きる、世界の、ヒトとしての人類が、刺々しく苛立ち、
何だか息苦しくなっているような気がしてならない。

榊原英資氏は「幼児化する日本社会」という著書の中で、昨今の日本人には、
ものを考えずに結論だけを求める、二分割思考、というものが蔓延しており、
このままいくと、大衆によるファシズムのような状態になる危険性を指摘している。
少し表現がデフォルメがかってはいるが、どうだろう。

いずれにしても、ファシズムとは断固戦い、二度といつか来た道は歩まない。
それが、公明党と、日本のどの政党も等しく拠って立つ、共通認識であり使命である。

そのためには、自分の頭で考える、ということの大事さと、かけがえのなさを、
もう一度見つめ直さなくてはならないのではないか、という政治の責任を考えさせられた。

生活とか、人生とか。
地域や社会の中で、絶えず起きてくる様々な問題に対しては。

答えはどこかにあるのではなく自ら創るものであるし、正解は必ずしも1つ、とも限らない。
疑ってみると、目からウロコが落ちることもあるが、疑わなければウロコも落ちようが、ない。

是非につけ画一を押しつけて来た今までの政治の転回を、時代は要請しているのだ。

何気に点けたテレビから流れるニュースに、考えさせられた。
蛇足ながら、ピンボケしたキャスターのコメントにも、かなり考えさせられた。


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2007-07-14

北条港で考える

台風4号が愛媛に最接近。

県災害対策本部の情報をもとに、朝から臨戦態勢の1日となる。
日中は、不気味にも穏やかに経過するも、夜に入って風雨は増して。

22:00、満潮を迎える北条港周辺を、藤本公子松山市議とともに視察。
高潮被害に備える、現地の消防団、自治会、住民の方から、お話を伺う。

過去には、床上浸水はもちろん、
屋根まで、バケツをひっくりかえしたような波をかぶったことも度々という。
それに伴う副次的な被害についても詳しく伺うことができた。

幸いにも、雨は止み、風も凪いで、今回は事なきを得そうだが、
台風のたびにこうした不安を抱える皆さんのお気持ちを考えると、
行政として、何か起こってから、ということであってはいけない、
平時の内の真摯な対応がいかに大事か、という認識を新たにした。

その意味でも、こうした現場を確認し、当事者との直接の対話というものが、
政治の生命線であるということも、深く深く学ばせて頂いた。

生活現場主義を掲げる公明党の議員として、県議として、
いつでも県下の大変な現場に飛び込むフットワーク力と、
被害防止・不安解消を実現できる解決力を、しっかりと培ってまいりたい。

まだまだ予断を許さぬ、台風4号。
決して油断されることなく、皆様、くれぐれも細心のご注意を、と願う。


PS.弊ブログをご覧の皆様に
参院選期間中は、念のため選挙関連テーマを自粛させて頂きますことを
ご了承ください。大勝利に向けて、最後まで断固戦い抜いてまいります!

2007-07-13

顧客と、競争と、マネジメント

台風接近。

大型で非常に強い台風第4号が、明日にも四国に上陸しそうだ。
弊ブログをご覧の皆様も、くれぐれも細心のご注意をお願いしたい。
大事のなからんことを心から祈りつつ。

さて、最近、心にピクンときたのが、
渡邉美樹さんの「もう国には頼らない。」という本。
非常にセンセーショナルなタイトルではある。

渡邉氏は、小説青年社長のモデル、ワタミCEO、教育再生会議委員等、
そして、夢に日付を!との独自の人生哲学などで、あまりにも有名だ。

フードサービス業を皮切りに事業を立ち上げ、今、手がけているのは、
「教育」、「医療」、「福祉・介護」、「農業」、「環境」のジャンルである。
いずれの事業も、ビジネスとして見事に成功させているのである。

待てよ、と。

教育問題、医療問題・・・と、これらのジャンルの後ろには、すべて問題がつく。
そして、概ね「官」主体であり、かつ深刻な危機が懸念される産業である。

これは、現在の行政課題そのものではないか、
という意味で、心にピクンときたのだ。

一気に読了の感想は、氏の趣旨に大いに賛同、である。
僭越ながら、私がめざす、生活者満足度日本一の愛媛というゴールイメージは、
彼が凄まじい逆風に立ち向かい、現在地にたどり着いたと同じ種類のものといえそうだ。

氏が主張する上記ジャンル再生のキーワードは、「顧客」と「競争」と「マネジメント」。
いずれも、全く行政には似つかわしくないイメージワードではある。
が、それはイメージの問題である。

それらのワードが意味する本質を理解すると、誰もが頷ける、普通の話だと思う。
愛媛が抱える課題解決への、ヒントとイマジネーションを多分に与えるものであり、
特に関係各位には、ぜひご一読をお奨めしたい。

氏の経営哲学に当てはめれば、愛媛のスローガン仮説は、
全国で一番たくさんのありがとうを集める愛媛県になろう、となる。

ググッとくるのである。
愛と心のネットワーク、或いは、輝くふるさと愛媛づくり、に通じるのである。

私もまた、どこまでも県民・庶民の皆様のために働く自分になろう、
との決意が深まり、眼を開かされた1冊となった。


PS.弊ブログをご覧の皆様に
参院選期間中は、念のため選挙関連テーマを自粛させて頂きますことを
ご了承ください。大勝利に向けて、最後まで断固戦い抜いてまいります!


2007-07-12

乾坤一擲、始まる

いよいよ、戦いの幕は切って落とされた。
参院選の本番である。
緊張の抜けない、めまぐるしくハードな1日となった。

朝、選対首脳と、わが公明党比例区候補を囲んで、
17日間の完全燃焼と必勝の決意を固めあい、元気よく出陣。

候補の感動的な決意の披瀝に、思わず、涙。
自身の選挙時の思い出がオーバーラップし、感極まるとともに、
大勝利への猛然たる決意が、わが五体に漲る門出となった。

夕方、市内某所にて、公明党街頭演説会を開催。

平日にも拘らず、また、お忙しい時間をこじ開けて、多数の支持者の皆様にお集まり頂いた。
その数、450名。
心の底から、感謝の思いでいっぱいだ。
日本一の、有難い支持者の皆様だ。

私も、司会として参加させて頂く。

街宣カーの上から見渡す皆様の、温かで、真剣な眼差し。
そして、必死で思いをお訴えする候補の演説に頂く、盛大な拍手。
通行中のお車からお手を振ってのご声援。

胸が熱くなった。
また、涙が出そうになった。

この感動を、私の何倍も、何十倍も、候補は感じたであろう。
そして、この気持ちを初心として、必ず、彼は、国政の舞台でその真価を発揮してくれるであろう。

心の底からそのように確信することができた、この17日間初日の街頭演説会は、
おかげさまで大成功裏に終了となった。
ご協力を頂いたすべての関係者の皆様に心から感謝したい。

さあ、次は明日。
その明日は、民主党の小沢代表が、愛南町に登場とのこと。
その意は、わが愛媛が、全国屈指の注目選挙区である、ということだ。

与党として負けられない、まぎれもなく乾坤一擲の、今回の戦いだ。

自民党候補の健闘を心から期待するとともに、
未来に責任を持つ政治、を掲げる、わが公明党とわが比例区候補に、
2人、3人、10人、100人と、理解と共感が広がるように、
皆様とともに私も、最後の最後まで、全力で戦い抜いてまいりたい。

誰のために。
すべての、庶民の皆様のために、である。

2007-07-11

考えて臨む、18日間

いよいよ、明日は公示日。
注目の参院選が、その本番を迎える。

この日の私は、日中は、各方面折衝と遊説計画打合せなど、担当部門の最終確認を行い、
夜は、お世話になっている地元の皆様の会合に参加させて頂き、御礼と決意を述べさせて頂いた。

いうまでもなく参院選は、国政選挙である。
それは、日本の未来を選択する私たちの権利だ。

格差に関係なく、皆に与えられる、公平にして尊い権利。
だからこそ、各候補、各党の主張を、じっくり聞いて、しっかり考えて、臨みたい。

私は、そして私たち公明党は、比例区予定候補の「山本ひろし」を、
万感の思いと情熱をもって応援している。
なぜか。
庶民の心がわかり、庶民の声を託せるに足る人物と信じるからだ。

公示日の明日は、私も、街頭遊説で同行をさせて頂く予定だ。
一人でも多くの有権者の皆様に、彼の人物と、見識と、行動力を、
知って頂き、感じて頂き、信じて頂けるよう、全力でお訴えしたい。

そして、日本の未来をみんなが考え、しっかりと選択する、
そういう参院選となることを、心から期待したい、と思う。

まずは私自身が、明日からの18日間を、最後の最後まで戦い抜いてまいりたい。
皆様のご期待にお応えするために。皆様と喜びを分かち合うために。

2007-07-10

天気曇天なれども

快晴ならぬ快曇、とでもいえそうな、みごとな曇りの日。
そんな天候とは裏腹に、心晴れやかな1日となった。

理由は、ひとつのことの成就にある。
小さいけれど、私にとっては大きな成就である。

約2ヶ月前の、4月下旬のことであった。
あるご婦人から1本の電話を頂く。
とある交差点の危険防止についてのご相談であった。

すぐ視察に飛んだ。
ご指摘の危険を確かめた上で、各部局との折衝を始め、
検討・調整を行っていたものが、この度、正式に措置が決定。
ようやく危険防止の手はずが整う運びとなったものである。

大型カーブミラー、標識、停止線の設置という、
申し入れ通りの対応措置をとることができたわけである。
早速、ご婦人にご報告を差し上げ、ご安心を頂いた次第となり。

ご助言を頂いた小林みやこ松山市議を始め、
ご尽力を頂いた県庁・県警各部局の皆様に、心より感謝したい。

と、2つのことを、思った。
1つは、力を合わせることの大事さと有難さ。
もう1つは、生活者の要望を実現することの喜び。
解説も、補足も、ない。掛け値なしで、そう思った。

財政や少子高齢化や、社会保障・年金制度や税制や。
解決すべきもっともっと大きなことが、山積する中で。
交差点の対応措置それ自体は、小さなことかもしれない。

しかし、大事なことは、問題の大小ではなく、解決の実現なのだ。
政治が問われるのは、政治が関与する生活上の課題を、
解決するのかどうか、したのかどうか、である。

私は、1つ1つの生活課題と、生活者ひとりひとりのご要望に、
行政も議員も真摯に向き合い、力を合わせて取り組むという、
この力を合わせて、という部分に、生活課題解決の方程式を、信じる。
これ以外ない、と。

不安から安心へ、不信から信頼へ、そして不満から満足へ。
政治の知覚品質の転換は!

大海をバケツで汲み出すが如く、
玉ねぎの薄皮を1枚1枚剥いで元に戻すが如く、
投げ出しそうな困難をも乗り越えて、征かねばならない道程だ。

記事にもならず、ニュースにもならないが、
地道にして、ひとつひとつ、生活者の思いを成就していくこと。
それが、遠回りに見えて、最も近道であると、私は信じる。

そう思ったときに、
今日のひとつの小さな成就は、私にとって大きな成就、なのである。


2007-07-09

怒りを安心へ

参院選モードが、加速してきた。
朝、起きて新聞。昼食時の、テレビ。車で移動中の、ラジオ。

どのメディアでも、終日、同じような論調が繰り返される。
年金問題、内閣支持率、農相経費問題、勝敗ライン・・・、
一言でいうと、それは、怒りである。

一庶民として同感するほどに、一地方議員としての苦悩は深い。
しかし、それが私の仕事であれば、何としても怒りを安心へ、
転換させなければならない。

しかるに、庶民の怒りの原因をたどっていくと、
行き着くのは、政治の倫理と経営技術の2つ。

閣僚の不用意発言やお金にまつわる不祥事の類は、政治倫理の問題で、
最終的に、議員個々の資質と責任が問われるべき問題といえよう。

また、年金や税金等で庶民にかかる負担増といった問題は、
その源泉は800兆円に迫る国の借金であり、
それを生み出した国の経営技術と責任が問われる問題といえるか。

では、どうするか。
原因究明も、犯人探しも、大事だ。
が、それ以上に、これからは、政治倫理にもとる政治家を出さないし、
800兆円の借金返済を含み、かつ弱者に配慮と責任ある政策を行う、
といった未来の選択に、目を向けたいと思う。

怒りをぶつけるというならば、今回の参院選は、
それらを満たす候補と政党はどこなのか、パフォーマンスの向こう側までも、
私たち自身の頭で考え、きちんと選ぶことが極めて大事なことではあるまいか。
だからこそ、怒りを安心へ、私と、私たち公明党の戦いは、明日も続く。

眺めるTVに映るキャスターの怒りは、まだ収まりそうもなく。


2007-07-08

求む、校長

朝、ひとつの求人広告が目に留まる。

タイトルは、「香川県公立学校長候補募集」。
媒体は、日本経済新聞。
広告主は、香川県教育委員会事務局である。

募集するのは、公立小学校長・公立中学校長、各1名。
その資格は、民間企業等で管理職、又はそれと同等の経験を有する人、とある。

で、6/24の本ブログでもご紹介した、東京都の区立中学校長である藤原和博さん。

彼が提唱する、公教育への民間マネジメントスキルの導入、
つまり、校長先生の民間公募というエポックは、
今後、あちこちでポツポツ始動し、一定の、確かなる潮流となっていくだろう。

ということを予感した矢先の、おとなり香川県での校長募集であった。
新しい試みに、まずは拍手を送りたい。

さて、教育現場に目を移すと、いじめ・自殺・虐待・学級崩壊等、
厳しい現実が毎日のように取り沙汰されている。

待ったなしの状況の中、政治の傍観は許されず、
安部首相は昨年10月、教育再生会議を立ち上げ、その取り組みを進めている。

21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図っていくため、
教育の基本にさかのぼった改革を推進していく、との意気込みだ。

一方、わが愛媛県の教育行政は如何。

もちろん、一口に教育といっても、義務教育から生涯教育まで、
子育てから人権まで、そのドメインはあまりに広くて、深いのだが。

抽象論ではない当事者感覚として、わが県で今、何が問題と感じておられるか、
生活者の現場に飛び込み、その具体をお伺いすることから始めたい、と思う。

もちろん、メールからでもお聞かせ頂ければ、ありがたく、幸いである。

��写真は「校長先生になろう!(藤原和博著)」)


2007-07-07

星に願いを

笹の葉さらさら、軒端に揺れる、
お星様きらきら、金銀砂子。

今日は、七夕。
三つ子の魂のメロディが、頭をよぎる。

いうまでもなく、それは、彦星と織姫の、年に一度の逢瀬の日。
一説によると、その伝説の起源は3世紀の中国と。

1,800年の悠久を超えて、今日も、全国に、
願いを込めた短冊は揺れているだろうか。

さて、あるご婦人から切実な願いを頂く。
過疎地における医療格差の深刻について、だ。

これは、今日のみならず、今年に入ってから途切れることなく、
県下いずれの農山漁村・中山間地域からも寄せられる、共通のお声だ。

もっというなら、全国同時多発、医療格差だ。

私が所管部局に行った取材においても、また、
複数の議員が、本会議の質問で取り上げた際にも、
理事者側のスタンスは、いずれも一貫している。

何とかしたいのは山々だが、現在のところ、それがいかに困難であるか、
という理由説明と、
それに対して行っている精一杯の次善対応への取り組みにご理解を、
というカウンターパンチならぬ、カウンター要請だ。
確かに、ではある。

財源不足、医師不足。
診療科目ごとの医師の偏在、病院経営の不振あるいは破綻。
患者を支える家族の負担の増大。
その要因を一つ一つ見ていくと、
この問題解決の糸は非常に複雑に絡まる。

出口の見えない現状と、答えを見出せない現実に直面し、
不安に駆られ、あせりを覚えるのは私一人ではないだろう。

しかし、この問題。
何とかするんです、の肚をまず決めたい。

策や方法も大事だが、最も大事なことは、議員も行政も、
当事者の気持ちに立つことであろう。

どんな人でも、
それが自分の家族だったら、自分のかけがいのない人だったら、
どんなことをしても助けたい、と思うように。

今年の七夕は、あいにくの雨。
残念ながら、天の川は見えないけれど。

星に願いを、との祈りにも似た気持ちで、
問題解決に向けたこれからの取り組みを、誓う。

2007-07-06

一通の、黄色い郵便

会期を12日間延長した通常国会が、昨日、閉幕。

これをもって、参議院議員の半数の任期が満了となり、事実上の、参院選に突入となる。
各党とも一気に慌ただしさを増し。

最大の争点は年金問題、とマスコミはいう。

マスコミに煽られ、多少なりとも不安になった私は、
自身の年金加入履歴を実際に確認してみた。

約2週間前、インターネットで社保庁HPへ申込む。
��ご参照URL⇒ http://www.sia.go.jp/sodan/nenkin/simulate/ )

今日、一通の黄色い郵便が届いた。
ユーザーID・パスワードの通知である。

早速、社保庁HPに入力したところ、履歴がわかった。
何点か確認したい部分があったので、ねんきんダイヤルに電話をした。
5分待って、広島の社会保険事務所につながった。

投げかけた質問は、いずれもクリアになった。
そして、不安は解消された。

だから、安心、などと短絡は言わない。
気になることはいくつかある。
が、いずれも顧客サービスの次元の問題であって、別の議論だ。

年金は、消えていない。

未統合の、いわゆる宙に浮いた約5000万件の記録の照合も、
前倒しをして来年3月をメドに完了させる、と総理が断言している。
それでも宙に浮いた記録も、第三者委員会を通じて必ず着地させる、と。

私は、不安を抱く支持者の皆様には、社会保険事務所への問合せを呼びかけている。
問合せたものの、受給に対する不安は消えない、という人は、今のところ、いない。
一律の情報に対して、自身の行動で確認することの大事さを、思う。

いずれにしても、この問題。
原因を特定し、反省し、抜本的に解決していかねばならない。
これだけ大きな不安を与えたことについて、政治は責任をとらねばならない。

だからこそ、今、国民の目の前にある不安解消と受給漏れの回避に、
総理も、政府も、公明党も、必死に戦っている、と私は信じる。

��ご参照URL⇒ http://www.komei.or.jp/election/sangiin07/qa/index.html )

私も、目の前の皆様に対して、その信を訴える戦いに、明日から全力だ。

2007-07-05

10のうち9の失敗から

最近読んだ本。
「農!黄金のスモールビジネス(杉山経昌著)」。
農業書では、ちょっと注目の本だそうだ。

外資系ビジネスから転身して、17年。
氏のメッセージは、机上の空論ではなく、
トライ&エラーの末の起業レポートといえる。

そこには、守られる農家から経営する農家へ、あるいは、
ルーチンワークからクリエイティブビジネスへ、ともいうべき、
農家と農業に対する価値軸の、転換の必要性が、説かれている。

まず、従事する労働時間をコストと捉え、最終利益に着目した。
これは経営者の目線だ。

次に、お客様を特定し、売れるものを一番高く売れる方法を、
10のうち9の失敗の積み重ねの中から学んだ。
これはマーケティングの実践だ。

そして、自分が作り出した作物に対する世界一の誇りを手にした。
これこそ、農家だけにしか味わえない労働の喜びだ。

現在、どの農村も抱える高齢化・後継者不在・荒地化などの課題に対して、
結論的に、今後の日本の農業がめざすべき方向性は“スモールビジネス”だ、
と提唱する点において、示唆に富んでいる。

ふと、行政にもあてはまることに気づく。
大きな政府より小さな政府、つまり官から民へという流れ。
財源と権限と(借金と)を、中央から地方へという流れ。

世の中がどんどんフラット化し、ネットワーク化していく中で、
従来どおりのやり方が当てはまるほうがおかしい。

議員としての私がなすべき実践は、
氏に習えば“どんどん失敗すること”だそうだ。

2007-07-04

閉会と、ムクムク

6月定例本会議も、今日で閉会となる。

見るもの、聞くもの、すべてが初体験。
あっという間の2週間であった。

議会のルールや、それぞれの会派の性格や、
あるいは、理事者と呼ばれる県庁職員の志向性や。

なるほどこういうふうになっているんだ、ということを、
なんというか、体で覚えさせられた2週間であった。
いろんな要素が相俟って、議案決定は為されていく。

議員諸兄も多士済々だ。
当選回数を重ねた先輩方には、さすがに厚みがあった。
その知見の豊富さと深さには、凄みさえ感じさせられた。

と、そんな議会や議員や理事者の中で、
私が、支持者の皆様のご要望を形にしていくには、
圧倒的に研鑽と経験と関係が足りないことを、痛感。

おかげで、高校以来の猛烈な勉強意欲と、
小学校以来の貪欲な質問意欲が、心の底からかきたてられた。

さて。
本会議を終えて、変わったこと。
それは、戦う相手と、戦う場所と、戦うということの意味がわかったこと。

問題は、この勝負、どうすれば勝てるかということだ。
魑魅魍魎で、きっと正解はない、この難問ではあるが。

青空に広がる、あの雲のように。
心の中で、やる気がムクムクと沸いてきた。


2007-07-03

失言はどこから

久間防衛相辞任。
明日の朝刊1面タイトルは、これで決まりか。

政治家の発言と責任は、どこまでも重い。
まして閣僚となると、なおのことだ。
災いは口より出でて身をやぶる、である。

かの問題発言の原因は、どこにあったか。

心に思うところを意見、といい、
意見を述べるを発言、という大辞泉によれば、
それは、心である。

心にあるものが、いざというときに表われるのだ。
とすれば、政治家は常に、心をどう磨き、保つか、
修行ともいうべき、その屹立とした矜持が問われよう。

さて、と自身に置き換えてみながら、
今日も、いくつかの市民相談をお預かりした。
次々と、未経験領域が押し寄せる。
その都度、先輩に相談しながら、書に触れながら、
誠実に、慎重に、取り組ませて頂く毎日だ。

また、相談者に対して、回答をお返しする際、
自身の発言に配慮は足りているか、油断はないか、
これでよかったか、といつも考える毎日ともいえる。

辞任のニュースを聞きながら、私は。

失言を恐れるよりも、失言が出ない心を鍛えたい。
目の前の、そのお1人の気持ちにいつも寄り添える
自分でありたい、と決意する。

災いは口より出でて身をやぶる、の次の句は、
幸いは心よりいでて我をかざる、である。

明日も、心から、出発だ。

2007-07-02

雨と2,000円

カーテンを開けると、ザーッと、力強い雨音。

こんなにも雨天を嬉しく思うのは、いつ以来だろう。
県下のダム貯水率の回復と、水不足の懸念払拭を祈りながら、起床。

今日は雨の中、企業訪問・市民相談・庁内折衝・党務に勤しむ。

決戦まで、あと27日となった参院選に、ボルテージもいや増して。
山本ひろしを熱く語りながら、未来への責任を訴えながら。

夜も更けた頃、1本の電話が鳴った。
あるご婦人と、2,000円をどう思うか、という話になった。

文脈の中でということだが、要は、
これを捻出することが大変、という人の気持ちを、
政治はわかるかという投げかけだ。

国も地方も、急速な少子高齢化とグローバリズムが進む中、
待ったなしで今、痛みを伴う構造改革に取り組んでいる。
が、庶民の目に映るのは、ほとんど痛みのみ、なのだ。

2,000円の負担さえ痛い、と感じる人の気持ちを、
本当に政治家も官僚も、理解しているのだろうか。

私自身はもちろん、と自答しながらも、一瞬、
本当にわかっているだろうか、と不安になる。

公明党は、この痛みをわかる政党であり、議員集団であり、
そこを離れての存在価値はないし、
支持者の皆様にも認めてもらえないだろう、と思う。

だからこそ、それが2,000円であれ有難い、という喜びを、
弱者に広げゆく、力ある存在に成長しなくては、と心に期した。

受話器を置きながら、ざらつく窓の外。
恵みの雨は、まだ降り続いている。


2007-07-01

バーコード

今のスーパーは、その昔ストアであった。

支払いレジではお互い顔も見えたし、会話があった。
お勘定も、バーコード読取りではなく、手動計算であった。
飛躍的な便利を得て、大切な何かを失った、気がする。

それは、テレビも同じかも、である。
チャンネルを回すと、政治はもはやバラエティと化し、
政治家がタレントになり、タレントは批評家になり。

それだけ政治が身近な存在になったことは、いいことだ。
いろんな意見があることも、とっても、いいと思う。
が、問題はそのあとだ。

見る人の見方によれば、TVはある種の答えだ。
バーコードが、情報を記号化するように。

ニュース番組が、だからけしからん、で終われば、
見るほうも、それはけしからん、で終わってしまう。

けしからないとしたら、
じゃあどうする、ということを自分の頭で考えたいし、
ぶつけたいし、それを持ち寄る行動の中にのみ、
解決の糸口を見出すことができるのだ、と私は思う。

コメンテーターではなく、キャスターでもなく、
われわれ自身の持論を、どう持つか。
難しい時代だ、と思う。

今日もひねもす、支持者を訪ね、
お一人お一人のお話を伺い、じっくりと耳を傾けた。

一部、教科書ならぬTV通りのご批判もお叱りも受けながら、
しかし、実に有意義な、心の通う語らいを持つことができた。

くもり空に、バーコードのような電線。

日々の情報を記号のようにではなく、
きちんと読取る力、ちゃんと考える力を磨いてまいりたい、と思う。