2010-12-31

2010年の結びに

2010年も、残すところあと4時間となりました。

小欄をご覧の皆様をはじめ、
本年1年、お世話になりましたすべての皆様に、

心より感謝を申し上げます。
誠に、有難うございました。

ブログ更新もままならず、という個人的なことから、
仕事の成果はどうか、という公僕としての自分を含め、

やはり反省が先に立ってしまう大晦日の私ですが、
その1つ1つをしっかりと決意に変えて、

様々な意味で勝負の2011年に臨んでまいりたい、
と今、心深く、思いを定めています。

2011年が、

皆様にとりまして素晴らしい年となりますよう
心よりお祈り申し上げますとともに、

閉塞した社会に明るい希望の光が差し込むよう
自身の使命を果たしてまいることをお誓いし、

今年1年の感謝と御礼に代えさせて頂きたい
と思います。

2010年も1年間、誠に有難うございました。


2010-10-08

9月議会閉会の日に

9月議会、閉会日。

臨時議会がなければ、
文字通り、加戸県政の本会議閉会日、となる1日。

粛々と、補正予算案・議案が可決され、
会議は閉じられた。それぞれの感慨、を想う。

終了後、

県議会基本条例制定に向けた取り組みの一環として、

野村稔・全国都道府県議会議長会元議事調査部長の
講演を、拝聴。

テーマは、
議会をめぐる状況と今後の議会が目指すもの。

目からウロコ。

50年以上にわたり地方議会に関与・精通された
氏の講演は、1時間半にわたり遂に飽くことなく。

これからの議会のあり方について、

自身の中の漠然のイメージが、
1つ1つ整理・具体化されていくようで。

何としても、
県民の皆様に評価頂けるカタチにしてまいりたい、
と思うのみ、だ。

貴重な機会を頂き、関係各位に心から感謝したい。


2010-10-07

足あと

午前、松山市役所にて党務等。

午後、議会にて政務等。


2010-10-06

足あと

午前、事務所にて、
公明党・雲峰松山市議と県民相談打合せ。

午後・夜と、久万高原町にて。

お変わりございませんか?
いつもお世話になり有難うございます。

と、時間の許す限り、党員の皆様を訪問。

様々な思いにじっくり耳と心を傾けながら。

1軒1軒、お1人お1人、回らせて頂くたび、

自身がなすべきことは何か、

塗り固めるようにこのことを、
私は皆様から教えて頂いている。

溢れんばかりの感謝と決意が、心に漲る。
ご期待に対し全力でがんばりたい、と思う。


2010-10-05

足あと

午前、経済企業委員会。
本日の所管は、公営企業管理局。

県立中央病院の看護師充足、
面河ダムの貯水状況等、質問。

午後、県民相談等、政務。


2010-10-04

足あと

午前、経済企業委員会。
本日の所管は、経済労働部。

いくつか質問させて頂いたが、私が特に注目したのは、
県経済成長戦略の内、EV開発プロジェクトについて。

質問というよりは提案、だったと思うが、
最近とみに、

もっとテーマの深掘りが可能な、
別の議論のカタチができないか、と思うことが多い。

それがどういう形なのか、まだ、自分の中で
釈然としないけれど、予感は強まるばかり、だ。

例えば、

��さんが、
固い壁にやや小さな穴をあけて配管したいと思った時、

丈夫で精巧なドリルが妥当な価格だったので購入した、
とすると、

��さんが欲しかったのは、穴、であり、
そのためにドリルを買った、というのが本質であろう。

それになぞらえるとEVはドリルであり、手段。

多様な県民その他顧客が求める、穴、にあたる
ベネフィットは何か、というのが私の提案だったが。

官民挙げて、その仮説と検証の活発を要望したいし、
議員として、つまり現場から、考え続けてまいりたい。


2010-10-03

足あと

午前、県民相談等。

午後は、明日からの常任委員会に向けた準備等、政務。


2010-10-02

第8回公明党全国大会

午後、都内にて、第8回公明党全国大会が開催され、
本県メンバーと共に、出席。

最初に、人事大会の席上、山口那津男代表が再任され、
井上幹事長・石井政調会長など新執行部の布陣が決定。

引き続き、

明年の統一地方選に向けた重点政策などの取組みが示され、
その完勝に向けて意気軒昂たるキックオフ、となった。

最後に、私も壇上に上がらせて頂き、
山口代表を中心に全員で勝どきを行い終了、となる。

エイエイオー、の勢いそのままに勇躍前進を、
と強く深く決意し、一路松山へと帰路についた。


2010-10-01

臨時国会開幕の日に

秋晴れの午前。

公明党・丸山東温市議、二宮西予市議、越智西条市議と共に、
明日開催の公明党全国大会に向け、松山空港を出発。

羽田空港到着後、昼食を簡単に済ませて、一路、永田町へ。

山本ひろし参院議員事務所に配慮を頂き、
今日開幕の臨時国会を傍聴する機会を得た。

急げ、とばかり、
開会を告げるベルが鳴り響く中、

慌ただしく登庁される有名な国会議員に交じって、
私たち一行は、参院本会議の傍聴席へと向かった。

議長の開会宣言に続いて、菅総理の所信表明演説。
に対して、いきなり、凄まじいヤジと怒号の、嵐。

原稿棒読みの、総理の覇気と覚悟と内容のなさには、
呆れるばかり、というしかなく。

傍聴席は発言を禁じられているため、
じっと我慢の私たちは心の中で、

庶民に希望を、地方に元気を、戦え公明党!
と、自身の決意と共に、激しくエールを送り続けた。

本会議終了後、私たち一行は、

石田のりとし衆院議員、山本ひろし参院議員、
谷あい正明参院議員の事務所を順に訪れ、
県下各地域の要望をそれぞれ申し入れた。

その際、国とか県とか市や町の垣根なく、
まるで友達のように、兄弟家族のように、

気軽に真剣に、こうした打合せができるのは、
まさに、私たちネットワーク政党の強みだし、

政治不信と不透明な政局の中にあって、
チーム3000公明党の真骨頂を発揮するのは今、

との思いを、あらためて実感するとともに、
自身の決意も新たに、前進を期すひと時となった。

末尾ながら、

石田・山本・谷あい議員各事務所の皆様には、
終日変お世話になり誠に有難うございました。


2010-09-30

足あと

終日、久万高原町を訪問。
夜、同町にて政治学習会。

たくさんの方々にご参集頂き感謝の思いで一杯、だ。

明日開幕の臨時国会に向けた国政の動向、県政報告、
党としての取組み等、約1時間お話させて頂いた後、

意見交換会では、様々なご意見ご要望を承る。
1つ1つ、どれも具体的で切実、だ。

ネットワーク政党・公明党の一員として、

明日からの上京に際し、早速、直接、
国会議員に申し入れを行いたい、と思う。


2010-09-29

足あと

人間ドッグ検診の後、午後は党務。

夜、松山市内で開催された党員会を2会場回らせて頂き、
日頃からのご支援に対して感謝と御礼を述べさせて頂く。

皆様の笑顔こそ、自身の初心と原点であり、

その笑顔がさらに輝くように働くことが自身の使命、
と、あらためて決意の深まるひと時、となる。

皆様のご期待に結果をもってお応えできるよう、
各般に全力で取り組んでまいりたい、と思う。


2010-09-28

足あと

一般質問、最終日。

三宅議員(自民)から地域主権について等、

菅議員(県民)から新時代の愛媛の教育について等、

毛利議員(自民)から、
宇和海の魚類養殖等について質疑がなされた。

本会議終了後は、連日の県民相談に直行。


2010-09-27

足あと

一般質問、3日目。

玉井議員(民主)から、
水問題に関する協議会の設置について等、

阿部議員(環境)から廃棄物問題について等、

西田議員(自民)から、
新公益法人制度への移行状況等について質疑がなされた。

本会議終了後、県民相談など政務。


2010-09-26

足あと

午前、子どもたちが通う小学校の運動会を参観。

それぞれに、いつの間にか大きくなっている。

月並みだが、ジーンときたり、する。

体育館で一緒に弁当を食べた後、

市内に移動し、街頭遊説及び

子宮頸がん予防ワクチンの公費助成を求める署名活動。

たくさんのご賛同とご協力を頂き、
心より感謝申し上げるとともに、

国政・県政・市政に皆様の声をしっかりと届け、
何としても政策を実現してまいりたい、と思う。


2010-09-25

足あと

午前、松山北高校110周年記念式典に出席。

松山北高といえば、

小説「坂の上の雲」の主人公の秋山好古氏が、
かつて校長を務められた由緒ある伝統校、だ。

男子は生涯一事をなせば足る、
との氏の語録は、

私にとって最も印象深い一節、であり、
氏は私にとっての、代表的明治人、だ。

そうした110年前の明治の風景と、
本校歴代の先輩諸氏に思いを馳せながら、

また、

目の前の若芽のような在校生たちを見渡しながら、
心から敬意と感謝が込み上げてきた。

あらためて、未来をしっかり見据え、

本県教育の発展に向け全力で取り組んでまいりたい、
と思う。


2010-09-24

足あと

一般質問、2日目。

住田議員(自民)から、
農作物の鳥獣被害対策について等、

笹岡議員(公明)から、
EV開発プロジェクトの進捗について等、

福羅議員(自民)から、
しまなみ海道の料金体系等について質疑がなされた。

本会議終了後、
第5回県議会基本条例検討協議会に出席の後、
県民相談対応等に動く。


2010-09-23

足あと

終日、政務。

政治の舞台裏、というと後ろめたい印象だが、
そういうニュアンスではなく、

政治の織りなす複雑な人間模様の魑魅魍魎等、
経験する機会が、にわかに増えてきた。

政治とは可能性の芸術、
といわれる所以もそこにありそうな気がする。

が、

どのような可能性を開き、何を実現するかは、
あくまで人による、ということを常に念頭に、

初心をゆるがせにせず精進してまいりたい、
と思う。


2010-09-22

足あと

今日から、一般質問。

登壇者は、
田中議員(自民)・村上議員(社民)・泉議員(自民)。

3者3様それぞれに質問の角度があり、あらためて、
多様な視点による県政チェックの必要性を、痛感。

自身8度目となる12月議会の登壇に向けて、
今からしっかりと、準備してまいりたい。


2010-09-21

足あと

代表質問、2日目。

豊田議員(公明・新政ク)から、
県と市町との行政サービスの役割分担について等、

横山議員(民主)から、
県外郭団体等のいわゆる埋蔵金の有無等について
質疑がなされた。

本会議終了後、
第4回目となる県議会基本条例検討協議会に、出席。
大変勉強になり有難いが、思うところ多々あり。

夕方から事務所にて、政務。


2010-09-20

足あと

敬老の日、は感謝の1日。

日頃大変お世話になっている方々の
お見舞いやご葬儀等、ご挨拶に伺う。

夜から深夜にかけて、党務。


2010-09-19

足あと

午前、地元中学校の体育大会に出席。

快晴の下、
躍動する生徒たちの姿が、まぶしい。

彼らの未来に思いをはせながら、
勇気100倍で、議員活動に励んでまいりたい。


2010-09-18

2010-09-17

足あと

代表質問、初日。

竹田議員(自民)から、
西条市、新居浜市、松山市、県で設置する
水問題の協議会について等、

石川議員(社民)から、
発達障がい者に対する支援等について質された。

本会議終了後、県民相談にて市内巡回。


2010-09-16

足あと

終日、事務所にて政務。

夜、地元地域の座談会に出席の後、
事務所にて意見交換会等。


2010-09-15

足あと

午後まで、議会にて政務。

夕方以降、県本部にて党務。


2010-09-14

足あと

9月議会、開会。

一般会計197億8,148万円の補正予算案の提示と
事業施策概要に関する説明の後、

加戸知事から、
正式な、知事退任に関する表明がなされた。

12年前の出馬表明以来のご自身の来し方を、
1つ1つ、噛みしめるように語られる姿を、

しっかり記憶に留めておきたい、と思う。


2010-09-13

足あと

終日、政務。

午後、「元気えひめの会」に出席。

席上、知事から年内退任の意向が述べられ、
明日開幕の9月議会にて詳細が示さるとのこと。

県政上、
エポックを画するひとつの時代が終わろうとする感慨と、

これから始まる新たな時代に対する期待と微妙な不安が、
会場内を包むように交錯していた。

今後、様々な形で加戸県政の総括がなされると思うが、

私が、議員として初めて目の当たりにしたのが加戸知事であり、
その意味で知事は私にとって永遠のメルクマール、といえよう。

この間のご尽力に対して深甚の敬意を表するとともに、
有終の任期の全うを心よりお祈り申し上げたい、と思う。


2010-09-12

約1年ぶりの、大島青松園

早朝。

公明党愛媛県本部の議員有志一同にて、
高松市の大島青松園を、訪問。

私にとっては約1年ぶり、だ。

入所者の磯野さんは西条市のご出身で、
奇しくも、この日が79回目の誕生日。


ハッピーバースデーの合唱で交歓の後、
初めて訪れた私たちのメンバーのために、

69年前、この島への強制隔離から始まるご自身の半生と、
共に過ごし、旅立たれた同志の思い出を、語って頂いた。

初訪問のメンバーの目から大粒の涙が、こぼれる。

何度お伺いしても。

許し難く取り返しのつかない、人権に対するこの不条理を、
私たちは忘れてはならないし、繰り返してもならない。

磯野さんの思いを五体に刻み、人権の党・公明党として。

メンバー一同、
人権啓発活動に対する決意を確かめ合うひと時となった。


2010-09-11

足あと

午前、高松市にて種々のご挨拶訪問。

午後は党務、夜は意見交換会等。


2010-09-10

瀬戸内国際芸術祭2010

午前、県民相談の後、

午後、現在開催中の「瀬戸内国際芸術祭2010
の視察で、高松市へ移動。

高松港に到着し、ギリギリセーフで、
女木(めぎ)島行フェリーに飛び乗った。

潮風と磯の香りが、心地よく、懐かしい。


と、ふと周囲を見渡すと、

明らかに、地元でも四国でもなく都会から、
と思われるお友達やカップルやご一行で、

船内は、
いつになく、に違いない、にぎわい状態。

すかさず、

瀬戸内国際芸術祭2010の集客力恐るべし、

と感じたが、
後から思えばそれはまだ、序の口であった。

20分後、女木島に到着した瞬間の印象は、

伊予弁で言うと、“あれ、何ぞぉ~?”な驚きに次いで、

讃岐弁で言うと“やんっりょるのぉ~!”という、感嘆。

すっかり、というか、スッキリと、参りました、
という、なんだか爽快な気持ちで一杯になった。

カモメの駐車場、から始まって、シビレながら。

さっそく、作品案内地図を片手に、
オリエンテーリング、スタート。

おー、あっちもこっちも、と挙句、
島のてっぺんまで、徒歩で、踏破。
��これはお薦めしません。専用バスがお薦めです。)

こんなに汗が噴き出したのはいつ以来、
と振り返る前に、

酸欠で倒れたらアカンという心配が先、
の始末であった。

山頂の洞窟の中、
そんなフラフラな私の目の前で。

鬼合戦、あるいは裸の桃の勝利、

という作品がほんのりゆらゆらと、煌めいていた。

さすがに帰りはバスで山頂を後にしたが、
約2時間の滞在は、まさにあっという間で、

女木島と一体化した夫々のアートを感じながら、
心と体の両方で、冒険をたっぷり満喫できたー、

という、爽快なあと味、に包まれた。

そして、
帰りの船で驚かされたのは、その乗客の多さ。

まさに立ち見状態でデッキが埋め尽くされている、
ではありませんか。

私の知らないところで、こんなに多くのお客様が、
島内をグルグルしてたのね。

というのが、先ほど、
芸術祭の集客力恐るべし、と綴った真相であった。

ぜひ、1人でも多くの本県関係各位に
この(伝わるかどうか不安ですが)刺激を体感頂き、

同事業の経済効果その他の検証も含めて、
本県経済成長戦略2010にリンクさせて頂きたいし、

私もまた、議会活動の中で積極的に提言すべく、
観光分野の研究調査に取り組んでまいりたい、と思う。


2010-09-09

地方議員の、宿題

午前、県民相談。

午後、

松山市内にて開催された財団法人えひめ地域政策研究センター
設立10周年記念講演会に、出席。

講師が、元総務大臣の増田寛也氏ということと、

テーマが「地域主権改革と地方政府のあり方」とのことで、

県下の首長・自治体議員・行政関係者こぞって参加の盛況ぶり、
であった。

まず、地方自治の原則からみた
国政・地方政治の“現在地”について検証があり、

次いで、現政権における地域主権戦略大綱、
いわゆる原口プランの解説と見通しが示され、

最後に、現時点における地域主権改革の課題と、
地方における各関与者の役割について期待が述べられた。

拝聴して。

連日、代表選で政局一色の政権下で、

あるいは、政官とも総論賛成・各論反対で、

地域主権改革が一向に前に進まない
国会の状況を憂えるとともに、

名古屋市や阿久根市等の事態を見る限り、
批判されるべきは地方政治もまた然り、

と、何とも忸怩たる思いに包まれる。

私には到底見あいそうもない
重たすぎる宿題だが、

絶対になさねばならない宿題、と捉え、
愚直に、真摯に、取り組んでまいりたい。


2010-09-08

足あと

終日、県民相談で市内巡回。

もう一歩踏み込む努力が人を分けるし、
その努力をいつも惜しむまい、と思う。

夜、大学の先輩と、久しぶりの談義。
教育をテーマに、白熱。一致。決意。


2010-09-07

初めての、原稿寄稿

午前、議会にて部局折衝。

互いの信頼を軸に進める仕事ほど、有難いものはなく。
その意味で本日も感謝、の2文字である。

午後、事務所にて原稿作成。

その原稿とは。

本年、南加愛媛県人会様が創立100周年の佳節を迎え、
私も慶祝訪問させて頂いたことは既に記述の通りだが、

年内を目途に愛媛県海外協会様が、
100周年記念誌を出版されることとなり、

公的参加者にその寄稿を依頼されたもの、
である。

私、そんなん初めて、

なのであって、それは、

“事務局長、原稿の文体は、ですます調でしょうか、
それとも、だ・である調でしょうか?”

の、電話確認から始めなければならない有様だった。
が、今ある精一杯の知見を寄せ集めて、何とか完成。

何度か、読み返しながら。

確かに、その時、感じた通りを綴らせて頂いたし、
綴った通りに精進してまいりたい、と思うばかりだ。

そんな思いで事務局に原稿をお送りした後、
大急ぎで夜の党務へ直行、となる。


��原稿は以下の通りです。宜しければご高覧くださいませ。)


南加愛媛県人会創立100周年記念公的訪問団に参加して
愛媛県議会議員 木村 誉
 まず初めに、今回の慶祝行事に際しまして公的訪問団の一員として参加させて
頂きましたことを心から感謝いたしますと共に、県人会先人諸氏の100年にわたる
そのご労苦とご功績にあらためて衷心より敬意を表したいと思います。
 今回の訪問は、私にとりまして2つの意味において貴重な経験となりました。
 1つは、人間にとって“絆”というものがいかに重要であるかについての「再」発見
であり、もう1つはコスモポリタン、つまり世界市民という概念が、机上論ではなく
もはや事実として時代に息づいていることの「新」発見であります。
 訪問初日、交流会の冒頭。松岡県人会長様の、感動で声にならないご挨拶に、
私は涙を禁じえませんでした。おそらく多くの方もそうであったに違いありません。
冷静に考えれば、殆どの方が今日初めてお会いした間柄、にも関わらず、です。
 そんな私たちを、一瞬にして通じ合う関係と成したものこそ、ふるさとの“絆”に
他ならない、と今あらためて確信するのであります。
 滞在中、私たちは、マルカイ・コーポレーション様、ヤマサ蒲鉾様をご訪問し、
あるいは北針記念碑等を訪ねながら、県人会の皆様が歩んでこられた100年の
ご労苦について具にお伺いしたのであります。
 ある時は強制帰国させられ、強制収容され、又、ある時は白人社会から差別され
排斥されながらも、不撓不屈で今日を迎えることができたのは偏に、故郷愛媛、
祖国日本という、ふるさとの“絆”があったればこそ、と口々に熱く語られるお姿は、
今も私の瞼から離れません。
 人間は、どんなに強い人であっても孤立すると弱く、同時に、どんな困難があっても
乗り越える強さを秘めた存在であります。その人間としての強さを薫発させるものこそ、
人と人を結ぶ“絆”であることを、私は県人会100年の歴史に学ばせて頂きました。
ふるさととは斯くも有難く、時空を超えて私たちを結ぶ“絆”なのだ、ということを。
 翻って今、日本は“絆”の崩壊という危機を迎えております。親と子、人と人、人と
地域等、社会のそれぞれに結ばれていたはずの“絆”がまさに失われつつあり、それ
ゆえに生じる悲しい出来事が連日絶えない状況にある、といって過言ではありません。
 今回の慶祝訪問を通して「再」発見した“絆”の重要性は、今の日本にとって最も
見直されるべき核心であり正鵠を射た示唆に他ならず、自身の立場に照らし、今回の
貴重な知見を活かしてしっかりと、ふるさと愛媛の発展に貢献すべく精進してまいる
所存でございます。
 そして今、世界市民の時代へ――。
それは閃くように体感した、自身における「新」発見でありました。
 記念式典の中で、松岡県人会長様から“100年の月日を経て今、南加愛媛県人会の
多くが、言語も含めて生まれも育ちもアメリカといった3世・4世の時代を迎え、県人会を
どのように次世代へ継承するかが最大の課題”とのお話がありましたが、正に会長が
抱えられる不安と危機感が、ありありと伝わってまいりました。
 それは、同じ県人会を率いるリーダーとして、明らかに100年前の初代会長とは異なる
課題であり責任感でありましょう。と同時に、100年後の会長もきっと、今とは別の課題を
担われているに相違なく、その時の7世・8世の県人末裔たちは、愛媛のDNAを厳と受け
継ぎつつも“世界市民”という地平に立っている、そんな姿を私は想起したのであります。
 そう考えますと、これからの県人会を担われる3世・4世の皆様は、100年前と100年後を
結ぶかけがえのない存在として既に“世界市民”であり、本県と南加愛媛県人会が
その“絆”を失わない限り私は、どこから見ても日本人であり且つアメリカ人でもある彼らの
姿に、相互の未来における無限の可能性を感じずにはいられないのであります。
 今、大人気のテレビドラマで坂本龍馬が、“もう、上士や下士や、薩摩や長州や
ゆうちょられんきに”と、当時の日本人の概念領域を「幕藩」から「世界」へと拡げ、
変えていったように、これから100年の未来に対して私たちが応えるべき時代の要請は、
県人会の皆様に見る世界市民としての新たな“絆”の創出に他ならない、と強く感じる
のであります。そして、それはふるさと愛媛を想う気持ちと何ら相反せず、初めて
「日本人」となった龍馬が、死ぬまでふるさとを愛する「土佐人」であったことと同義なのでは
ないでしょうか。
 確かな未来を見通しながら、いつまでも愛すべきふるさと愛媛と日本が輝いていけるように、
私も政治に携わる1人として、微力ながら全力で取り組んでまいる所存です。
 最後になりますが、この度の慶祝訪問並びに記念出版に際しまして多大なご尽力を
頂きました愛媛県海外協会様をはじめ全ての関係各位に対しまして深く謝意を表し、
心より厚く御礼を申し上げます。

2010-09-06

足あと

早朝より、県民相談で松山市内を巡回。
抱えた案件が一気に動き出す感、あり。

午後、事務所にて政務。夜は、党務。

幹事長を拝命して以降、少しづつではあるが、
その役割の実際を学ばせて頂く、日々。

すべて訓練と受けとめ、
微力を傾注してまいりたい。


2010-09-05

自治会大清掃にて

モーレツに暑い、AM7:00。

本日は自治会大清掃の日、ということで、
身支度をして集合場所に向かった。

おはようございます!
今日も、暑いですね~!

口々に挨拶を交わしながら、
多くの方々が、続々、集結。

思わず。

連帯が息づくわが町地域を誇りとも安心とも思い、
心ひそかなる感動が、走った。

役員の方々から参加者に対して、
労いと今日の手順等についてのお話があり、

その後、私からもひと言
ご挨拶を述べさせて頂く。

そして早速、国道沿いの各持ち場に分散し、
ひたすら草刈り、草引き、ゴミ拾い。

ボタボタとこぼれおちる大粒の汗が、心地よく。

約1時間ほどで、とてつもない量のごみ袋が、
堆く長く積み上がった様はまさに壮観であった。

写真とっておけばよかった・・(泣)
と、何だか子どもの日記みたいではあるが、

私が掲げる地域政策の1つの原型を、
今朝の光景に見る思いが、した。
��HP参照/確かな絆で結ぶ〈協同〉愛媛より)

これからも、地域が協同する行事や催事に、
積極的に参加させて頂きたい、と思う。

その後、事務所にて政務の後、
夜、松山市内にて党務等。


2010-09-04

足あと

終日、事務所にて政務。

昨日ようやくエンジンがかかった
ブログ更新も、本日で終了。

少しでもリアルタイムで綴れるよう、
今日からチャレンジしてまいりたい。


2010-09-03

ホームページ完成の、ご案内

午前、事務所にて政務。

午後、県民相談にて県社協を訪問。
種々のアドバイスを頂き感謝、だ。

夜、久々のブログ更新にエンジン全開、
となる。


PS
久々の更新といえば、

同じくらい久しく前になりますが、
ホームページが完成いたしました。

遅ればせながらのご案内です。
ぜひご高覧頂ければ幸いです。

何卒宜しくお願い申し上げます。

愛媛県議会議員 木村ほまれオフィシャルサイト ほまれWEB


2010-09-02

足あと

午前、今治市にて葬儀参列。

午後、同市内にてお見舞い訪問等。

夜、事務所にて政務。

それにしても、この間、
もう9月というのに異常な暑さ、だ。


2010-09-01

足あと

午前、県民相談対応。

午後、党務。

夕方から市駅前にて、

子宮頸がん予防ワクチン公費助成を求める
公明党街頭署名活動を行い、マイクを握る。

家路を急がれる忙しい往来の中で、
多くの皆様にご協力を頂き、心から感謝。

国はもとより、まずは本県とわが町から、
その実現に向けてしっかり取り組んでまいりたい。


2010-08-31

足あと

午前、党務。

午後、理事者より9月補正予算説明を受ける。

終了後、県庁内をハシゴして部局折衝。
夕方は、相談事案のご報告で相談者宅を訪問。

ご要望に添えないことへのお詫びと、
事情のご説明や次善策にご理解を求めながらも、

別のアプローチはないか、他に方法はないか、
との自問自答がずっと、続いた。

労いを励ましに明日以降も考え続けたい、と思う。


2010-08-30

足あと

午前、党務。

午後、昨日の宿題対応をはじめ、
県庁内部局折衝の後、企業訪問等に動く。

夜は、党務。


2010-08-29

足あと

午前、知人のお見舞いをはじめ、
県民相談にて、松山市内を巡回。

午後、新たな県民相談を申し受け、

青野伊予市議に同行頂き、
伊予市内の現地を、視察。

調査なくして発言なし、というのは、
生活現場主義・公明党の、生命線。

やはり、
本当のことはそこへ行かないとわからない、

と、あらためて痛感。

明日の宿題を、持ちかえる。


2010-08-26

足あと

午前は事務所にて、午後は議会にて政務。

昼下がりの16:00、
県議会林業活性化議連の視察で、下難波へ。

県産木材にこだわった、在来軸組立法による
大規模木造建築物・サテライト型特別養護老人ホーム
「あやめ荘」の上棟式を見学させて頂く。

県産木材の需要拡大、という観点だけでなく、

後継者不足は、技術伝承の断絶の危機と表裏、
ということなど、

建築業界が抱える深刻な課題を学ばせて頂く。

技術伝承の断絶は、業界関係者はもちろん、
結果的に多くの県民の皆様にとって不利益、となる。

そうならないよう、
微力ながら研鑽を深めてまいりたい、と思う。


2010-08-25

足あと

この日も、終日、県民相談。

松山市内、県庁、松山市役所などを巡回。

午後、
お世話になっている方のお見舞いに伺う。

全快を、一途にご祈念してまいりたい。


2010-08-24

足あと

午前、県民相談の朗報をお届けする。

先日、ひとすじの涙、と綴った当事者のご要望が、
ご要望の通りに改善される運びとなったのである。

その方は少しお耳が遠いため、
顔を近づけて大きな声でご報告したところ、

満面の笑顔が、顔中に、広がった。

議員としてこの瞬間に勝る喜びは、ない。

国も地方も厳しい財政状況には違いないが、

それゆえに、
事業の優先順位を間違えては、ならない。

増税の前にやるべきことがある、

という当たり前の努力をもっと示さねば、
政治不信も政治家不信も、払拭できない、

ということを、あらためて、

その方の満面の笑顔から教えて頂くと共に、
心から感謝が込み上げた。

午後は、別の県民相談で、
国交省松山河川国道事務所を訪問。

夕方は、雲峰松山市議とともに、
松山市内を家庭訪問に回らせて頂く。

終日の動きは、すべて、
県民の皆様から頂いたご相談が出発点。

それは。

有難うございます、のひと言に尽きる1日。


2010-08-23

ひきこもり支援強化に、全力

午前、
加戸知事はじめ理事者幹部に予算要望を、提出。

加戸知事におかれては、
最後の知事査定になるであろう今回の要望、だ。

わが会派として、

盛り込むべき事項に漏れがないように、
後任知事に確実に引き継いで頂けるように、


誠意と熱意をもって、お訴えさせて頂く。

提出後、議会基本条例検討会に遅ればせ、参加。
正直、非常に重たい雰囲気に、戸惑う。

この重たさがどこから来るのか、
ということの検討が先に必要、と感じてならない。

午後、ひきこもり家族会の
「KHJ愛媛こまどりの会」の代表各位と、

山本ひろし参院議員・笹岡議員と共に、
保健福祉部を、訪問。

山本ひろし参院議員から、国が昨年度から実施している
「ひきこもり地域支援センター」事業について、

既に設置している高知県、徳島県の事例を引きながら、
本県におけるセンターの早期設置と、

ひきこもり支援のさらなる強化について要望が述べられ、
続いて、

KHJ愛媛こまどりの会を代表して渡辺会長から、
当事者家族としての、切実で具体的なお訴えがなされた。

その皆様の思いを受け止めながら、

当選後の初質問をはじめ、
4回にわたり本会議質問を重ねてきた私としては、

自身の力不足に対して忸怩たる思い、痛恨の極み、
という他なく、大変申し訳ない気持ちで一杯となる。

仙波部長からは、
ひきこもり支援の重要性に関する認識と見識が述べられ、

センター設置がカタチだけに終わらないよう、
これまでの取組みを一度総点検した上で
総合的な支援強化を行いたい、との意向が明確に示された。

ここからは私の出番、だ。

ご家族に笑顔を取り戻すその日まで絶対にあきらめない、
との、初質問の決意のままに。

ひきこもり支援に、今後とも、
全力で取り組んでまいりたい、と思う。


2010-08-22

足あと

終日、事務所にて予算要望の作成。

提出は明日午前のため、
ジリジリと焦りながらも何とかまとまり、安堵。


2010-08-21

公明党四国夏季研修会

香川県宇多津町にて開催された
公明党四国夏季研修会に、出席。

総勢140名以上が一堂に会し、定刻を迎える。

谷あい参院議員、4県代表の挨拶に続いて、

山本ひろし参院議員講師による
「障がい者施策の最近の動向と今後」について、


石田のりとし衆院議員講師による
「今後の農業政策・過疎地域の課題」について、

それぞれ研修を受ける。

引き続き、午後からは、
党幹部として駆けつけられた井上幹事長から、

国政状況の見通しと党政策スタンス等について、
また、たっぷりの質疑応答などでお話を頂く。

同じ四国で、似たような政治課題を有する私たち
地元議員にとって、極めて実り多いひと時であった。

来年の統一選を目指し、実質上のキックオフ。
研修を活かし、しっかりと取り組んでまいりたい。

末尾ながら、ご準備を頂きました各県スタッフの
皆様に、心より感謝申し上げます。


2010-08-20

足あと

午前、公明党・谷あい正明参院議員が、来松。

終日、地元市議の皆様と共に、
企業・行政・関係団体等を中心に、同行訪問。

世の中、
ということも含めて大変勉強となった1日。


2010-08-19

足あと

終日、事務所にて県民相談対応。

夜、若手議員の情報交換会。
有意義なひと時に感謝、である。


2010-08-18

足あと

終日、事務所を中心に政務。

ネットワーク政党ゆえに、
多方面との連携に暇なし、の感。

ひとえに、有難く思う。


2010-08-17

足あと

午前は議会にて、
県下の雇用状況について、詳細をヒアリング。

午後は事務所にて、政務。


2010-08-16

足あと

午前、病院。
午後、県民相談にて県庁、市内、砥部町を巡回。

ご相談に対して素早い対応をお喜び頂くのは、
職員の素早い対応に感謝、ということと同義。

職員各位にあらためて感謝しながら、

“チーム愛媛”として、
県民の皆様のために共々に働きたい、と思う。


2010-08-15

65年目の、平和の誓い

午前、ひめぎんホールにて開催された
愛媛県戦没者追悼式に、出席。

あれから65年目の夏、である。

ひとくちに65年前といっても、その年には、
団塊の世代の方々は、まだ生まれていない。

それくらいの時間が経過している、のだ。



弔辞を読まれる戦没者ご遺族の方も、

式典にご参集の皆様も、齢を重ねられた。

献花の際、会場内の光景を見渡しながら、

戦没者の皆様のおかげで私たちの今日があること、
に対する感謝の気持ちとともに、

戦争という悲惨な事実を絶対風化させてはならない、
との決意が、心の底から込み上げてきた。

この気持ちは、自分も年を重ねたためか、
年々益々、強く、深いものとなっている。

式典終了後、平和希求と不戦の決意のままに、

山本ひろし参院議員、小林・藤本松山市議と共に、
街頭遊説で、平和の党・公明党についてお訴えする。

猛暑の中であったが、支援者の皆様をはじめ、
県外から帰省されたと思われる方々が、

立ち止り、お手を振り、熱心に耳を傾けてくださった。
感謝に堪えない、のひと言、だ。

国民の皆様に、多くの庶民の皆様に、

あの、いつか来た道を絶対に歩ませないように、
政治が、間違えてもそちらに行かないように、

毎年この日を、特別な日として迎えられる皆様の思いを胸に、

公明党として、1人の議員として、全力を尽くしたいと思う。


2010-08-14

足あと

終日、事務所にて政務。
久々の、デスクワーク。

お昼前。
大変お世話になっている方のお見舞いに伺う。

手術後まだしばらくとあって、
短時間であったが状況をお聞きする。

全快を確信し、
しっかりご祈念してまいりたい、と思う。


2010-08-13

足あと

先月の参院選で、大阪選挙区から初当選された
公明党・石川ひろたか参議院議員が、来松。

石川議員は、ご両親とも愛媛出身とのことで、
お盆をかね、親戚をはじめ本県関係者へのご挨拶、

ということで、午前中、同行させて頂いた。

車中、短時間ではあったが、さまざまお話を伺った。

一言で言うと、めっちゃ爽やか、めちゃ優秀、
というのが、率直な私の感想である。

国政で、思う存分大暴れ、して頂きたいし、

谷あい参院議員も含めて、若い力で国政の変革を、
と心から期待し祝福を送りたい、と思う。

正午、山本ひろし参院議員秘書とともに、

在日本大韓民国民団愛媛県地方本部主催による
第65周年光復節記念式典・懇親会に、出席。

有難くも初めてお招きを頂いたが、
ご挨拶の機会を賜り、一言お祝いを申し上げる。

今後とも、両国の懸け橋としての皆様と
親交を深めてまいりたい、と思う。

終了後は、県民相談にて砥部町へ。
それにしても、暑い、暑い。

相談者から畑で頂いたみかんは、思いのほか熱く、
まるでホットみかん、のようで、
お互い笑うしかない、ほど暑い毎日、である。

夜は、大学同級生の懇親会。

少し前と思ったら4年ぶり、というから、
あっという間、には呉々も気をつけたい、と思う。


2010-08-12

足あと

午前、議会にて政務。
午後、宇和島市での告別式に出席。

松山帰着後、県民相談対応で市内巡回。


2010-08-11

足あと

午前、県民相談にて砥部町を訪問。

午後、松山市役所にて担当理事者と、折衝。
その後、県庁内の部局巡り。

それにしても閑散とした、議会周辺。
お盆が近いから、だろうか。


2010-08-10

公明党杉並区議団②

昨日に引き続いて、公明党杉並区議団の
愛媛県がん対策推進条例調査、2日目。

午前、ご多忙のところを、
NPO法人愛媛がんサポートおれんじの会から、
松本理事長、小野副理事長にご出席を頂き、

同会の発足経緯や主な活動紹介をはじめ、

がん患者ご家族から見た同条例の意義や、
今後の要望等について縷々お話を頂いた。

私自身、

何度伺っても、決意を塗り固められるような、
おれんじの会のお二人のお訴えは、

間違いなく、杉並区のがん患者ご家族の皆様に、
追い風となって成就していく、と確信するし、

その決意は、
区議団各位もまた同じ、であったに違いない。

正午前、有意義な条例調査も無事終了し、
ご多忙のご足労を謝しつつ、散会となった。

午後、県民相談にて松山市内を巡回。

それぞれにお喜びの笑顔を、
自身の喜びとして心に焼きつけたい、と思う。


2010-08-09

公明党杉並区議団①

午前、県民相談にて松山市内を視察。

当事者のひとすじの涙が、心に深く刺さる。
最大の善処をお約束し、対応に動く。

午後、公明党杉並区議団ご一行が来庁。

目的は、
本県がん対策推進条例に関する調査、である。

笹岡代表とともに熱烈歓迎した後、
早速、理事者各位のご協力を頂き、

同条例策定の経緯やその意義等についてレクチャ、
及び質疑対応を頂いた。

その光景は、2月議会の特別委員会を彷彿させ、
私も、思わずパネルを手に熱弁、を述べさせて頂く。

わが町の安心を何としても向上させたい、
との、杉並区議団各位の真剣と熱意に、

こちらの方こそ学ばせて頂いたひと時、
であったし、

先月の内子町を皮切りとした、
県下すべての市町に対する私たちがん議連の啓蒙活動も、
着実に加速させていかねば、と痛感するひと時となった。

末尾ながら、ご協力を頂きました理事者各位に
心より感謝を申し上げます。


2010-08-08

足あと

午前、党愛媛県本部幹事会。

午後、同議員総会兼臨時県本部大会。

勇退された豊田前松山市議の後任として、
席上、党県本部幹事長の大任を拝命する。

身の引き締まる思い、で一言、
ご挨拶を述べさせて頂いた。

議員の第一歩を踏み出した時の初心と、
寸分変わらぬ初心と決意をもって、

党勢拡大という職務遂行に、
微力を捧げ抜いてまいりたい、と思う。

終了後、県民相談にて松山市内を巡回。


2010-08-07

足あと

時差のため、空白の1日?

正確に言うとサンフランシスコを出発するまでが8/6、

成田空港に到着してからが8/7のブログ、となります。


2010-08-06

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問⑦

AM8:20、ホテルを出発した一行は、
サンフランシスコ国際空港へ向かった。

いよいよ、帰国である。

正午過ぎに同空港を離陸し、一路、成田空港へ。

所要時間は約11時間ということだったが、
一睡もできないまま、1時間ほど早く成田に到着。


体内時計では8/6の22:00頃、なのに、
日本時間では8/7の13:00頃、なので、

その違和感たるや、久々の徹夜明け、のようであった。

その後、昼食をとり、羽田にて飛行機を乗換え、
夕方、無事、松山に帰着。

訪米中にも様々なご相談のお電話を頂き、
明日からさっそく公務に全力を挙げてまいりたいし、

今回の公的訪問で得たかけがえのない知見を宝とし、
県政に反映できるよう尽力してまいりたい、と思う。

末尾ながら、

事前準備から全行程の遂行にご尽力頂いた職員各位と、
県下すべての関係各位に心より感謝を申し上げます。

長期間にわたり大変に有難うございました。


2010-08-05

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問⑥

午前中、
日本人街をはじめサンフランシスコ市内を、視察。

同市観光の目玉でもある世界最古のケーブルカーは、
どこか坊っちゃん列車にも似て、

早朝にも関わらず長蛇の列は切れるどころか増え続け、
その人気の高さが十分にうかがいしれたし、

乗車料金は1人5ドルだから、この街の観光収入としては
おそらくかなりの比重を占めているに違いないだろうし、

その後に移動したフィッシャーマンズワーフにしても、
小高いツインピークスにしても、

(坂の街、サンフランシスコ)

あるいは昨日のゴールデンゲートブリッジにしても、
どこも観光客にあふれていたのは決して偶然ではなく、

歴史的にも同市の観光政策が、その経営戦略の根幹に、
しっかりと組み込まれている証左に他ならない、と感じた。

夕方、市内のレストランにて、
今回の公的・民間訪問団合同での解団式が開催された。

6日間を振り返りながら、やはり長いようで短く感じられたが、
言い当てるとするなら、濃い、というのが、私の心象である。

日本もこの先、

一定のコスモポリタン化が進むことを想定した上での
国の理念および制度設計が求められるであろうし、

世界経済におけるプレゼンスを考えると、

経済成長戦略はどのようなポジションをめざすものか、
その人材育成にどう取り組むのかが問われる、だろう。

あるいは、わが愛媛においても、

アメリカの州政府のような独自のダイナミズムの発揮や、
サステイナブルな地域経営戦略の実効性が、

好むと好まざるとに関わらず内外の競争を伴って、
シビアに要請される時代に入った、と思えてならない。

そう肌で実感させられた私にとってこの6日間は、
非常に色濃く、有難く、貴重な機会であった。

その後、日本と愛媛の将来について、しんしんと、

夜もすがら熱く語り続けたこの日ばかりはおそらく、
訪問団各位もそれぞれ感慨一入であったに違いない。

帰国するまで気は抜けないが、解団式にあたり、
訪問団員各位に心より感謝を申し上げたい、と思う。


2010-08-04

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問⑤

AM8:00、ホテルを出発。

バスに乗り込んだ私たちは、
北針記念碑のあるポイントアリーナ市を目指した。

途中、

ゴールデンゲートブリッジでの休憩をはさみ、
ひたすらバスに揺られること、約5時間。

ついに、北針記念碑に到着。

そこに見た風景は、切り立つ断崖を背にした入江、
であり、小さな漁港としての風情、であった。

想定内ではあったが、ハッキリと寒く、風も強い中、
記念碑の前で、

ポイントアリーナ市関係者による歓迎のセレモニーと、
引き続いて現地メディアの取材が行われた。

(セレモニー取材風景)

ここで、北針記念碑について触れてみたい。

その話は1913年、今から97年前にさかのぼる。

アメリカで一旗揚げることを夢見た八幡浜の若者15名が、

わずか15mほどの打瀬船(うたせぶね)と呼ばれる帆船で、
地元を出航し、



(打瀬船の手作り模型)

北針という磁石一つを頼りに太平洋横断を決行し、
58日かけて同年8月13日、遂に漂着したのが同地であり、

距離にして1万1000kmという、常に死と背中合わせの、
この無謀の船旅はしかし、雄飛、不撓不屈、進取といった、

八幡浜人としての誇りを厳然と伝える希望の伝説、
となった。


その先人たちに連なる末裔が、県人会の皆様であり、
今回の八幡浜訪問団の皆様方、なのだ。

その、現地に立った感動はいかばかりであろう、
と忖度しながら、行程は次へと進んでいく。

北針記念碑の近くにあるレストランにて開催された
ポイントアリーナ関係者との昼食懇談会では、

大城市長をはじめ八幡浜訪問団による各種セレモニー、
記念品贈呈等の後、和やかな懇談のひと時が持たれた。

引き続き場所を移しての記念植樹等を滞りなく終了し、
名残惜しくもポイントアリーナを後にすることとなる。

(記念植樹風景)

サンフランシスコに到着したのは、21:00を回っており、
久しぶりに空腹を覚えたのは、私だけではなかったろう。

この日の夕食は、日本人が経営する和食店であったのだが、

おひたしとか、漬物とか、の、ちょっとした一品に
感動を覚えたのは、これも私だけでなかったに違いない。

いよいよ明日は、最終日。

時差の関係で2日かけて帰国する計算になるが、
無事故で公的訪問の有終の美を飾りたい、と思う。


2010-08-03

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問④

AM10:00、在ロサンゼルス日本国総領事館に、到着。

一昨日、記念式典に駆けつけてくださった
伊原純一総領事への御礼を兼ねた表敬訪問、だ。

会議室に通された私たちは約1時間にわたり、
伊原総領事ご本人から、

所管する南カリフォルニアの産業・経済や、
日系人社会の現状等についてお話を伺った。

まず、同地域の在留邦人数は約9万人で、
その内、7万人弱がロサンゼルスに集中しているとのこと。

その多くが、1,200社あるといわれる日系企業の関係者で、
現地で約12万人もの雇用を創出しているそうだ。

ロス経済圏における総貿易量は今では中国がNo1だが、
直接投資額では現在も日本が1位、だそうで、

同経済圏における日本の貢献インパクトは依然、極めて高い、
とのことで、昨日と異なり少し、勇気づけられる思いがした。

(伊原総領事を囲んでの記念撮影)

ちなみに、総領事館には、現在約50名が勤務しており、
その規模は小国の大使館以上、だそうである。

さて、同地域は、ロサンゼルス港、ロングビーチ港など
全米コンテナ取扱い量の1/3を占める運輸拠点となっており、

貿易や国際商取引が経済をけん引する構造だそうだが、
最近の課題は、低迷が長期化する失業率、だそうだ。

全米平均で9%の失業率がこちらでは12%という状況で、
それまで好調だった不動産業界が、
リーマンショック以来回復していないことが大きいそうで、

それ以来、連邦政府は、最長半年であった失業手当を、
特例として99カ月まで延長給付して対応しているそうだが、

一方では連邦政府の財政赤字が深刻を増し、
職員に給料が支払えず裁判訴訟が起きている状況もあるらしい。

わが国とも近いが、それでも異なるのは、
アメリカ人のダイナミズム、と伊原総領事は語られる。

特に、ヒスパニックとアジア系で人口の半数を超える、
移民国家といわれる同州にあって、この不景気の中、

それでも人口が増え続け、起業件数は伸び続けるという、
動きを止めない強さが、同地域の強みであり活力であり、

そこが日本との大きな違い、との総領事の指摘は、
わが国の喫緊の課題を射ているように、思えた。

つまり、教育、である。

世界と将来を見据えたわが国の人材育成のあり方について、

制度、のみならずコンセプトまで遡った確固たるビジョン、
というものの必要性を、

私自身の課題としても痛感させられる思いがした。
異国にて授かった大いなる宿題、だ。

その他にも種々のレクチャを頂き、和やかな中にも
深い見識の詰まった、正にあっという間の1時間、であった。

その後、総領事館を後にした私たちは、
バス車中にて昼食をとりつつ、ロサンゼルス空港へ、移動。

手続きを済ませてフライトすること約1時間、
次の目的地であるサンフランシスコに、到着。

空港を一歩出ると日差しが眩しいくらいであったが、

夜は一転、ジャンパーがないと困るほど寒くなる、
ということを、この後身を持って知ることになる、
私たちであった。

その夜の行事は、市内のレストランで開催された
サンフランシスコ在住県人会の皆様との交流会。

今回参加された県人各位は全員、八幡浜関係者、であり、
それほどサンフランシスコが所縁深いのには、

やはり理由があり、かつ歴史があるのであって。
その詳細については、明日のレポートに譲りたい。

加戸知事の開会あいさつ、
現地県人代表の菊池ヘンリーさんの歓迎あいさつ、

大城八幡浜市長による乾杯の後、さっそく懇談へと進み、
各テーブルそれぞれに会話の花が咲いていったが、

私が着いたテーブルは偶々、八幡浜訪問団であったため、
眼前にアルカトラズ島を臨む絶景のポイントビューにあって、

(アルカトラズ島)

何といっても今は亀ケ池温泉が大人気ぞな、とか、
山本ひろしさんにはお世話になっとるけん、とか、

南予はまず道を何とかしてもらわんと困らい、など、
数日ぶりの地元話が、久々の日本語会話で行われ、

あれれ、県人会との交流は?と心配になりかけた時、

大城市長を先頭に八幡浜市関係者による“てやてや音頭”が、
各テーブルを練り歩き披露され、会場はすっかり一体化して。

続いて、現地県人の矢野ジョージさんによる
県人会の沿革から現在に至るまで詳しいお話を伺い、

故郷との絆が、いかにかけがえのないものであったか、
今もなお重要であるか、感動と共に理解することができた。

そしてさらに交流が深まる中、会はお開きとなり、
会場の外にて全員の記念撮影を行い散会となるのだが、

外は、冬を感じさせるほどすっかり寒くなっており、
事前の情報収集の必要性を痛感することとなった。

(全員で記念撮影)

明日の目的地は、ポイントアリーナ市。

かなり北上するため、きちんと寒さ対策もして、
資料も再度読み込んで、準備万端、臨んでまいりたい。


2010-08-02

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問③

AM9:15、リトル・トーキョーにて
県人会の川名様が経営されるヤマサ蒲鉾の工場を、視察。

今から30年前、1955年に先代が創業され、
現在は2世のフランクさんが社長を務められている。

社名の通り、蒲鉾が中心ではあるが、

こちらの工場では、天ぷら、ちくわ、海苔、乳酸菌飲料を、
また別の工場では、クッキー、麺、精肉などを製造加工し、


日・韓・台湾系人を主な対象顧客として販売されており、
ロスになくてはならない食品メーカとして活躍されている。

今日に至る試行錯誤とご苦労話を伺いながら、
また、試食させて頂きながら、

なぜ、こちらの蒲鉾が、

目に飛び込んでくるようなショッキングピンクで、
コシがなくねっとりとした食感なのか、理解した。

そうしないと売れないから、なのだ。

なるほど。

どこであっても、事業は常に顧客から始まるし、
顧客の支持を失うと事業は存在できない、のだ。

政治と有権者もまた同じことがいえるであろう。

いずれにせよ、あらためて。

アメリカ社会に確固たる地歩を築くために奮闘された
県人の皆様のご努力と歴史に、心から敬意を申し上げたい。

その後は、ロス市内を移動し、
午後はリトル・トーキョーの視察となる。

1900年代初頭、
数万人の日本人が移住し、小東京として栄えた同地だが、

第二次世界大戦の際、日系人が強制収容された後の一時期、
入れ替わるように、アフリカ系アメリカ人の街になったそうだ。

そして戦後、
再び日本人・日系人が戻り始め徐々に復活していったそうだが、

現在は、
既に3世・4世の時代に入り、その多くが郊外に居を構えており、
同地における日系人の人口は減少を続けている、という。

逆に増加が著しいのが、韓国系・中国系の人々で、
それは、看板や広告など街並みにもハッキリと見てとれた。

両国経済の勢いは、
日本の国内ばかりでなくアメリカ社会をも席巻しており、

リトル・トーキョーの風景は、疲弊する国内の地方にも似て、
日本経済の低迷という現実を映し出しているかのように、見えた。

国政は、政局をしている場合ではなく、

地方政治もまた、地域経済の成長戦略をしっかりと描き、
それ以上に、実行の速度を上げていかなければならない。

本県においては、
愛媛県経済成長戦略2010で着手を始めた事業の中から、

一刻も早く成功の芽出しができるよう、
私自身しっかりと取り組んでまいりたい、と思う。


2010-08-01

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問②

ロス市内のホテルにて、AM11:00。

県人会・現地関係者約200名、訪問団約100名、
総勢約300名が会場を埋め尽くす壮観の中、

今回の最大の記念行事である、南加愛媛県人会
創立100周年記念式典が、盛大に挙行された。

日米両国国歌斉唱、先亡者への黙とうに続いて、
松岡県人会会長の開会の辞は、


故郷との絆、文武両道の精神、など

日本人としてのアイデンティティによって支えられた
100年という道のりに対する感謝と、

次世代の更なる交流発展を祈る万感にあふれていた。

加戸知事からは、

英訳するとラブリープリンセス、と言えなくもない、
当意即妙の本県紹介を交えた心温まる祝辞が述べられ、

在ロサンゼルス日本国総領事館の伊原純一総領事からは、

南カリフォルニア地域の経済産業の概括と、
日系コミュニティが占める地位等について触れた上で、

100年前、最初に井戸を掘った人を忘れてはいけない、
との最大の敬意と、心からの祝福が寄せられた。

続いて、県人会のこれまでの沿革紹介の後、
昼餐会、いわゆる懇談へと式典は進んでいったが、

同席の県人の皆様と会話しながらあらためて痛感したのは、
若い頃、英語をマスターしておけばよかった、との後悔。

昨今では、英語を社内公用語にする企業が増えているが、
グローバリズムの今後を想定すると、

複数の外国語が話せて当たり前、という時代の本格的な到来を、
ひしひしと肌で感じるひと時であった。

それにしても。

ロスでは今、龍馬伝が大人気で、ぜひ土佐に行ってみたい、
という方が多く、龍馬フリークの知識の豊富さに、驚いた。

国営放送が在外国日系邦人に与える影響の大きさ、即時性が
ここまでスゴイとは、と実感した。

さて、数々のプログラムをもとに滞りなく式典は進み、
最後に、出席者全員で「ふるさと」の合唱となった。

忘れがたきふるさとを想い、目頭を押さえながら、
涙をぬぐいながら歌われる県人会の皆様のお姿を、

目頭熱く、まぶたに焼きつけようと思った。

感動の余韻を残しながら、その後、私たちが向かったのは、
リトル・トーキョーにある全米日系人博物館、であった。

(全米日系人博物館)

ここで私たちは、県人会のみならず、日系移民の、
壮絶な歴史を目の当たりにすることに、なる。

同博物館は、
日系アメリカ人の歴史や文化を伝承・展示しており、

収蔵の品は、
彼らの工芸品・服飾・写真・芸術など、10万点以上。

初期の移民の多くは独身男性で、
家事手伝いや鉄道工夫や単純労働などから始まり、やがて、

写真によるお見合い結婚などで妻を日本から呼び寄せ、
次第に日本人移民家族が西海岸地域に増加していったという。

そうしてようやく安定しつつある軌道を“絶望”に変えたのが、
真珠湾攻撃によって始まる第二次世界大戦であった。

日系人は敵国人とみなされ、彼らは私有財産を没収され、
強制収容所へと送還され、不当な差別と生活を強いられるのである。

説明者の解説や、館内の映像、写真、生活道具などを通して、
当時の悲惨な収容所生活の様子が、痛切に、伝わってきた。

そういう状況にあっても、彼らは希望を失わず、

アメリカ史上もっとも多くの勲章を受けた部隊と言われる
有名な「第442連隊」を輩出させ、

戦後、
激しい偏見や社会の受入れ拒否という状況にあっても、

努力を惜しまず、ついには「模範的マイノリティ」として、
アメリカ社会から称賛される現在の地位を築かれた、のだ。

解説者のメリーさんは、この私たちが歩んだ歴史と事実を、
記憶していてほしい、と私たちに対して切実に訴えられた。

日本人と、ますます全世界に広がりゆく日系人との“絆”
について考えることは、

こうした不幸な歴史を繰り返さないために極めて重要、
ということを心に刻むとともに、戦争ばかりではなく、

自殺者が絶えない状況に象徴される今の日本にとって、
家族や地域における“絆”がいかに重要であるか、

今こそ見直し再構築することが急務、との確信を深める
貴重なひと時となった。

こうした出会いや機会に感謝しながら、
しっかりと自身の役割を果たしてまいりたい、と思う。


2010-07-31

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問①

本日7/31から8/6までの7日間、

南加愛媛県人会創立100周年を記念する
公的訪問団の一員として、訪米の途に就く。
��*南加は、南カリフォルニアの意)

皆様にはシリーズで順次ご報告させて頂きたいと思うが、

そもそもまず、南加愛媛県人会(以下、県人会)とは何か、
その概要について触れてみたい。


県人会は、1909年(明治42年)7月、田中時夫さん、
茂川常太郎さん、石崎長穎さん等が発起人となり、現地発足。

太平洋戦争という苦難の時代をはさみながらも、
故郷愛媛との交流を“会”の希望とし“個”の勇気と変えながら、

今日、米社会に確固とした日系コミュニティを築いてこられた、
その原動力ともいえる、同郷の“絆”組織、である。

そして。

県人会はそうした先人たちのご苦労を礎に、
本年で100周年という世紀の節目、を迎えることとなったが、

その100年にわたる、県人の南加日系人社会発展への尽力と、
愛媛県・日・米相互交流促進に寄与された功績に対する顕彰、

並びに、筆舌に尽くせぬ先人の苦難の歴史に敬意を表し、
今後更なる交流と発展の礎としての100周年を刻むべく、

この度、
加戸知事を団長とする訪問団が派遣されることとなった、

というのが今回の記念訪問の趣旨、である。

現在、

ロサンゼルス市を拠点に105名の会員を擁する県人会だが、
約30年前までは優に400名を超えていた、といわれる。

このことについて、

郷土の先人たちが、米地域社会に根を張り世代交代も進んだ今、
生まれも育ちもアメリカという3世・4世が主役の時代となり、

その若者世代に組織をどのように継承してもらうかが最大の課題、
と、松岡八十次県人会長(大三島町出身)は述べられているが、

今回の訪問を通して、その実際を肌で感じさせて頂くと共に、
故郷の絆と日米交流の将来についても考えてみたい、と思う。

さて、以下早速、
本日の主要行事についてレポートしてまいりたい。

快晴の8:40、松山空港にて公的訪問団の出発式を行い、
14:00、成田空港にて民間訪問団を含めた結団式を経て、
一行約100名は一路、米ロサンゼルス市へと向かう。

日本時間の7/31夕方17:45に成田を発って、
現地時間の7/31お昼過ぎ13:00頃、ロスに到着。

このタイムスリップは、
日本と-16時間の時差で生じるパラドックス。

ロス空港での入国手続きを済ませて、昼食の後、
私たちがめざした、記念すべき最初の訪問先は、

県人の松秀二郎社長(吉田町出身)が経営される
マルカイ・コーポレーション。

同社は南カリフォルニアを中心に現在12店舗を展開し、
日系3大スーパーの1つに数えられる。

(マルカイ・コーポレーション店内風景)

到着と共に店舗を見学させて頂いたが、
店内狭しと“日本”の品がズラリ、にまず驚く。

価格帯も、うなぎ蒲焼3.98ドル(約350円)など、
正にスーパープライス、であった。

次に驚いたのは、


屏風?仏像?家具?絵画?など、

日本のスーパーでは普通見かけない“雑貨”が
店舗アイテム全体の約1/4を占めていること、

であった。

これは、その後の松社長様のお話によると、

日系人の心を満たすことを最大のミッションとして
取り組んでこられた同社の現時点での全体最適であり、

現地顧客の求めるマーチャンダイジングに他ならない、
とのこと。

厳しい米流通経済において
様々な制約条件を抱えながら、

堂々の日系3大スーパーの地位を確立された同社の、
執念の経営努力、を垣間見る思いがした。

松社長様からはこの他にも、

吉田町に疎開されていた小中学校当時の思い出や、
渡米後のご苦労、故郷に対する思い等お話し頂き、

約1時間程度であったが、故郷との絆を、
互いに熱く確認し合えた感動的なひと時であった。

さて、この日もう1つの行事は、
県人会の皆様との、交流懇談会。

まだ強い日差しが残る、現地時間18:00。

開会冒頭の、

感極まってしばらく言葉にならない、
松岡県人会長様の歓迎あいさつには、

訪問団員の多くが目頭を熱くしたに違いないし、

続く加戸知事の表敬あいさつでは、おそらく、
県人会の皆様方も万感が込み上げたに違いない。

(交流懇談会風景)

その後、出席者の自己紹介を交え、
約2時間にわたる懇談となったが、

同郷の親近感からか、あっという間に、

身振り手振りや、お互い片コトの日本語や英語で、
会場内あちらこちらに会話の花が満開、となった。

同郷の絆の、有難さと心強さと確かさを肌で感じ、
感謝と敬意でいっぱいの訪問初日、となった。

いよいよ明日は、今回の最大の記念行事である、
南加愛媛県人会100周年記念式典、だ。

次の100年に向けて、
歴史的な一歩として刻まれることを期待しながら、

先人への敬意と参加各位の祝福を胸に臨みたい、
と思う。


2010-07-29

足あと

午前、地域活性化特別委員会。

「えひめの食材を活かした地域振興策について」
と題して、

企画情報部・経済労働部・農林水産部からの
レクチャを受け、質疑を行う。

概要のヒアリングだけでも約1時間を要する程
多彩で広範な各部局事業だが、

そのいずれも目指すところは、
新たなビジネスモデルの構築、と私は理解した。

それを成立させるためには、

商品・顧客・競合の他、販路開拓・販売促進等、
さまざまな視点での要因クリアが求められるが、

その試行錯誤に懸命な様子が、伝わってきた。

私は、水産物の消費拡大策等、何点かお伺いした。

本当は1人1時間くらい質疑時間があれば、
とも思うが、

それは新たな別の討議モデルに求めるべき、と思い直し、
議会改革の輪郭をイメージしながら、のひと時であった。

引き続き、地域活性化に向け、研鑽を重ねてまいりたい。


2010-07-28

足あと

終日、県民相談、政務。

昼、玉井議員が事務所に来訪。
種々、情報交換。


2010-07-27

足あと

終日、事務所にて政務。

帰宅後、
熱中症でダウンした子どもの介抱にあたる。


2010-07-26

足あと

午前、経済企業委員会。

「本県の観光振興について」を議題とし、
経済労働部から説明の後、質疑を行った。

それによると、
昨年度の本県観光客数は、のべ2,473万人。

この数字は、対前年比で約61万人増えており、

その主たる要因は、

しまなみ海道10周年や、
スペシャルドラマ坂の上の雲の放映、
高速料金の値下げ、が挙げられるという。

さらに理事者からは、誘客ターゲットを、

県内客、県外客、海外客(特に東アジア)に分類し、
各対策事業の実施状況に関する報告があった。

本県の将来を考えるとあまりにも重要な観光振興は、
愛媛県経済成長戦略2010の4本柱の1つ、だ。

いくつかの質問と発言の通り、
微力ながら尽力してまいりたい、と思う。

午後は、
南加愛媛県人会創立100周年記念訪問団説明会に出席。

夜は、党務。


2010-07-25

足あと

夏休みの子供たちに、
何1つ、父親らしいことができていない、

との家内の叱責に、奮起。

午後、家族そろって海水浴に出かけた。

長蛇の列を待って到着した、
双海シーサイド公園。

浅瀬で弾ける子ども達、を横目に、

��人アタマを空っぽにして、

海にぷかりプカーっと体を浮かべ、
空を見ながらしばらく揺られていると、

小さいぞ自分、
でも、小さくても精一杯ならいいぞ自分、

と、入道雲から聞こえてきそうで、何だか
この間の悩みが微笑ましく、思えてきた。

その後、罪滅ぼしとばかり、
子どもたちとじゃれあって、

家族サービス終了、充電完了、となる。

明日からまた、仕事に全力、だ。


2010-07-24

足あと

午前・午後にわたり、
山本ひろし参院議員と共に、県民相談に動く。

いくつかのご要望をお伺いしながら、

周囲から容易に判断できない切実な問題を、
決して1人で抱え込まなくてもいいように、

そして、
地域や信頼できる誰かと分かち合えるように、

そうした社会にしていくことこそ真の解決、
との確信が、更に深まった気がした。

国とも自治体とも連携しながら、
1つ1つ取り組んでまいりたい、と思う。


2010-07-23

足あと

午前、議会にて政務。
午後、今治市にて県民相談。

石井公明党市議・理事者とともに相談者を訪ね、
真剣なお申し出に心を傾け、お伺いする。

ひたすら真摯にお応えしてまいりたい、と思う。


2010-07-22

足あと

午前、県民相談。

午後、
内子町役場にて町議会主催の勉強会が開催され、

愛媛県議会がん議連として、
岡田会長・玉井事務局長・佐々木議員と共に、

また、

理事者各位、NPO法人愛媛がんサポートおれんじの会の
代表の皆様と共に、参加させて頂く。

約1時間半にわたり、

議連からは条例制定の目的と経緯について、

理事者からは本県がん医療の現状に関して説明がなされ、

おれんじの会の川中理事様からは、

患者家族の体験を通したがん検診の重要性について、
心からのお訴え、がなされた。

まずは、
こうした機会を頂いた内子町議会の皆様に感謝したいし、

県民総ぐるみを掲げる条例をエンジンとして、

がん対策の充実拡大を全20の市町に推進しゆく、
今日がその第一歩と考えると、

小さいけれど大きな喜びとして、
患者ご家族の皆様と分かち合いたい、そんな感慨を覚えた。

まだまだ課題は山積だが、県民各位のご協力を仰ぎながら、
条例がめざす本県地域づくりに、全力を尽くしてまいりたい。


2010-07-21

2010-07-20

足あと

午前、議会にて政務。
午後は松山市と砥部町を訪問し、県民相談。

他人ごとを自分ごととして悩まれ、

その解決を願いお申し出になられる皆様の、
優しく誠実な心根に感動、の日々。

そのような人格に一歩でも近づけるよう、
皆様に学び、自身を磨いてまいりたい。


2010-07-19

足あと

緊張から解き放たれた油断か、体調不良。

終日、休ませて頂く。(申し訳ありません)


2010-07-18

足あと

終日、事務所にて政務。
夜、支援者会合に参加。

込み上げる感謝と、新たなる決意。

果たすべき使命にこそ、存在価値あり。
心を定めて一言、ご挨拶を申し上げる。


2010-07-17

2010-07-15

足あと

終日、県民相談で市内巡回。

夜、支援者会合に出席させて頂く。
感謝の気持ちでいっぱい、となる。


2010-07-14

足あと

県民相談にて、久万高原町を広く巡回。

声なき声は、こうした奥深い地域に
ポツンと佇んでいることを、忘れまい。

草の根を分け入ってでも、
政治の光が差し込むように努力を惜しむまい。

人生の大先輩方のお話を伺いながら、
そうした決意みなぎる1日、となった。


2010-07-12

足あと

早朝より、
豪雨による増水・浸水などの被害報告、多数あり。

現場に直行し対応に奔走するも、
防災における厳しい現実を、思い知らされる。

昨日の国民の審判を受け、
国政はねじれ国会となったが、

政局をしている場合ではないことを重々承知せよ、
という声もまたその審判には含まれている、のだ。

口蹄疫しかり、ゲリラ豪雨しかり。

政治は、自然の災害に備える知恵も、
被害を拡大させる人災とする愚も、併せ持つ。

心して国政を注視しながら、

本県の防災環境の向上に向けて
取り組んでまいりたい、と思う。


2010-07-11

足あと

参院選、投票日。

深夜に及ぶ開票の結果、

比例区では、
私たちの推す谷あい正明候補をはじめ6名が、

選挙区では、
東京・埼玉・大阪すべて大勝利をさせて頂いた。

ご支持を頂いた多くの皆様の、
ご苦労とご期待を深く心に刻み、

そうした皆様にお応えするための
戦いのスタートラインに立つ、との思いで、

本日より、決意新たに勇躍前進してまいりたい。

追伸
公選法により選挙御礼の記述が禁止されておりますため、
何卒ご了承の程宜しくお願いいたします。


2010-07-10

足あと

終日、選挙対策。

いよいよ明日は、投票日。
悔いなく完全燃焼あるのみ、だ。


2010-07-07

足あと

終日、谷あい正明候補とともに街頭遊説。

感謝と真心を込めて、
渾身を振り絞り、お訴えさせて頂く。


2010-07-06

足あと

終日、選挙対策。

連日、県民相談のない日は、なく。


2010-07-05

足あと

終日、選挙対策。
あいだ間で、県民相談。

年初来続く雇用の深刻を痛感しながら、
即、
今回の選挙の意味をかみしめながら。


2010-07-02

2010-06-30

2010-06-29

2010-06-28

足あと

終日、谷あい正明候補と街頭遊説。

感謝と共に、
自身の思いの丈を精一杯、お訴えする。


2010-06-26

足あと

早朝、砥部町にて、

夜は、久万高原町にて県民相談を承る。


2010-06-25

足あと

終日、選挙対策。

(公選法を踏まえ、参院選終了までのしばらくは、
選挙関連記述を控えますことをご了承ください。)


2010-06-24

足あと

参院選、公示日。

いよいよ、戦いの幕が切って落とされた。

七つ道具の到着をもって、
チーム一丸、慌ただしく動き出した1日。

勝利に向けて、一瀉千里に。

ご支援くださるすべての皆様のために、
17日間、持てる全力を尽くしてまいりたい。


2010-06-23

足あと

午前、県民相談で部局折衝。

午後、アイテムえひめで開催された
愛媛県EV開発プロジェクトオープニングセミナーに出席。

その後、県民相談、党務等。


2010-06-22

足あと

午後、
第15回男女共同社会づくり推進県民大会に、参加。

「いまなぜワークライフバランスか?
��私は仕事も家族も決してあきらめない-」。

と題した、
佐々木常夫氏の講演を拝聴した。


講師は、
㈱東レ経営研究所代表取締役社長であると共に、

経団連理事、内閣府審議会委員、大阪大学客員教授、
などの公職も歴任される超多忙の方、だが、

来場者がそれ以上に注目したのは、

20年以上にわたって抱えてこられた壮絶な家庭環境を、
1つ1つ乗り越えてこられた氏の生き様、であったろう。

講演は、様々な人生の重荷を背負う人々にとって、
説得力と希望があり、勇気さえ伝播したに、違いない。

その詳細については
氏の著書「ビッグツリー」のご一読をお薦めしたいが、

その壮絶を乗り越える際、カギとなったのは、
ご本人の説くワークライフ“マネジメント”にあった、

と、私は理解した。

長きにわたる、前例も答えもない苦境のさなか、

ワークとライフ、即ち、
仕事も家族も決してあきらめない、

という透徹した“マネジメント”の実践なくして、
氏の今日はなかったであろうし、それは、
氏であればこその体現であった、とも感じ入った。

深い感動とともに。

バランス以上にマネジメントに比重を置いた、
ワークライフ社会のあり様という示唆を得て、

愛媛における男女共同社会づくりの推進に向けて、
新たな決意で取り組んでまいりたい、と決意する。


2010-06-21

足あと

いつもの週明け以上に、県民相談を承る。

現場と本庁の忙しい往来に、有難さあり。


2010-06-20

足あと

午前、県民相談。
午後、党務。

参院選の公示を来週に控え、準備が加速する。

勝利こそ、ご支援くださる方々への恩返し。
真剣の2字で、全力を尽くしてまいりたい。


2010-06-19

足あと

終日、党務。
合間を縫って県民相談に動く。

世知辛い世の中にあって、
何をどこまでできるか、自身との戦いの日々、か。


2010-06-18

足あと

6月議会、閉会日。
午前の本会議終了後、がん議連総会及び研修。

夕方、党務の後、
夜、ホームページ作成打合せ。

完成まであと一息、となる。


2010-06-17

2010-06-16

足あと

終日、企業訪問・県民相談。

経営者の執念、を学ばせて頂いた1日。


2010-06-15

足あと

経済企業委員会が開催され、出席。

午前は経済労働部、
午後は公営企業管理局を所管。

EV開発プロジェクト、
農商工連携促進戦略会議、
愛救147運動等について、質問。

終了後は、県民相談で市内巡回。


2010-06-14

足あと

10:00、
愛媛県動物愛護センターを訪問。

先週お受けした県民相談の中で、

ペット動物殺処分のあり方を見直してほしい、
とのご要望を受けての視察、であった。

仙波所長様・岩﨑課長様から
同センターの現状について詳しく伺った後、

センター内各施設を見学させて頂いた。

明日処分されるという
ペット動物たちを目の当たりに、

命の尊さ、
などという平易ではなく、

肺腑をえぐられる様な命の叫びが、
そこにあった。

そうした気持ちを代弁するかのような
お二人のレクチャから、

人間とペット動物の共生に向けて、
課題の多岐と複雑を、強く認識させられた。

その1つから解きほぐせるように、

自身の課題として取り組んでまいりたい、
と思う。


2010-06-13

足あと

大雨の朝、県民相談で市内訪問。

午後、
事務所にて常任委員会に向けた準備等。


2010-06-12

足あと

午前、政務。
午後、来客対応。

夕方、

公明党参院選比例区予定候補の
谷あい正明議員、地元松山市議と共に、
松山市内にて、街頭遊説。

急きょの開催ではあったが、
大勢の支持者の皆様が駆けつけてくださった。

そうした皆様の真心に感謝しながら、
何としても勝利をもってお応えしよう、

そのために全力を!
決意と行動あるのみ、だ。


2010-06-11

足あと

「愛媛県歯と口腔の健康づくり推進条例」
審査特別委員会に、出席。

わが会派は条例案の共同提出者であり、また、
歯の健康の重要性については、私の前任の井上議員が、
本会議等で度々提言を重ねてきた経緯もあり、
賛成の立場からいくつかの質問を行い、可決となる。

その後、
議会にて部局折衝、県民相談にて市内巡回の後、

夕方から、中予地区二輪車販売店協会の総会に、
山本ひろし参院議員、雲峰松山市議とともに、出席。

私たち公明党に対する参加者各位のご理解とご協力に
感謝しながら、会の活動状況についてお話をお伺いする。

ご配慮により私も一言、県政報告をさせて頂いたのだが、

残念ながら、愛媛県経済成長戦略2010の認知度は、
ほとんどゼロ、であった。

同戦略の具体化と実現は、まさに、

本会のように地元経済をお支え頂いている皆様の、
関心と参加なくしては絵に描いた餅になりかねない、

のであり、私自身、

更にスピーカーとなって、コーディネータとなって推進を、
と、決意を新たにする機会となった。

末尾ながら、お招きを頂いた上野会長はじめ協会各位に、
心より感謝申し上げます。本日は誠に有難うございました。


2010-06-10

足あと

一般質問、最終日。

本日の登壇者は、
野口議員(社民)・戒能議員(自民)のお二方。

考えてみると、
6月議会を経験するのは、これで4回目。

つまり、
任期の一巡を経験しつつある、ということに気づく。

加えて、

本会議質問がどのような構造と背景によって成立するのか、
一巡して漸く、だがはっきり見えた気が、した。

同時に、

そうした本県議会のあり方も、今後については
ドラスティックに変容していかざるを得ないし、

議員はその対応力が試され峻別される時代に入った、
と予感させられる、私にとって印象深い1日、であった。

その後、県民相談で市内巡回の後、
地元雄郡地区まちづくり協議会に、出席。

昨年施行された松山市のまちづくり条例に基づいて、

行政主導ではない住民主体のまちづくりを目指して、
新たに開始した、地元手作りの取組み、である。

協議会は、アットホームな雰囲気の中にも、
さながら雄郡地区議会というべき様相で、

ここに、
住民自治の1つのモデル、を見る思いがした。

微力ながら地元の1人として、
地域の安心に尽力してまいりたい、と思う。


2010-06-09

足あと

一般質問、3日目。

本日の登壇者は、
横山議員(民主)・佐々木議員(共産)・鈴木議員(自民)。

鈴木議員が質した二次救急医療の実態に対して、

診療時間外受診の内、軽症が85%、治療を有しないが約半分、
との実態報告はまさに深刻であり、

医師を含めて崩壊の危機が懸念される医療インフラであり
県民共有の貴重な財産を、皆で守り合うために、

丁寧かつ真摯な対話が欠かせない、と認識を新たにさせられた。

その後、「愛媛県歯と口腔の健康づくり推進条例」勉強会
出席の後、企業訪問、党打合せ、支援者会合・打合せに動く。


2010-06-08

足あと

一般質問、2日目。

本日の登壇者は、
大西議員(自民)・笹岡議員(公明新政ク)・渡部議員(自民)。

県内各地のB級グルメの観光資源化を取上げた笹岡議員の質問に、
私の視野と思考領域は、メリメリっと思い切り、広げられた気がする。

体格も違うが、
何より議員としてのキャパの違いを全く、痛感させられた。

その後、図書委員会に出席の後、
議会基本条例検討協議会に出席。

条例制定の結論を含め、
今後の検討手順とスケジュールについて打合せを行う。

夜は、支援者会合にてご挨拶、となる。


2010-06-07

足あと

一般質問、初日。

本日の登壇者は、
赤松議員(自民)・石川議員(社民)・梶谷議員(自民)の3名。

本日は特に、各選出地域の課題が多く、つまり具体事例が多く、
具体論は一般論と比べて説得力が違うことを再確認させられた。

その後、
日中友好促進議員連盟総会、観光促進議員連盟総会に出席の後、

松山市内のホテルにて開催された、えひめ拉致議連総会に出席し、
李英和関西大学教授による講演「暴走国家北朝鮮の狙い」を拝聴。

命がけとは、まさに李教授のことであり、
その凄まじい覚悟に圧倒されると共に、

議連の一員として、日本人の1人として、
教授が示す覚悟の共有と拡大こそ、拉致問題解決の本質であり直道、
と学ばせて頂く。

その後、市内を移動し、夜の支援者会合にかけつけ参加させて頂く。


2010-06-06

足あと

午後、

「坂の上の雲」のまち松山 スペシャルドラマ館
の内覧会に、出席。

明日OPEN予定の同館は、
松山城ロープウェイ駅舎の2F。

目印は、壁画のような大迫力の、
秋山兄弟たち主人公の、懸垂幕。

館内の展示構成は、
スペシャルドラマのストーリーに基づいて

主人公たちを育んだ松山の魅力が
存分に体感できる空間となっており、

数々の名シーンの再現や、
俳優が使用した衣装や小道具など、

ドラマを2度楽しめる内容となっている。

��詳細はこちら⇒ http://matsuyama-haku.info/ )

ぜひ、ぜひ。

同館が、

坂の上の雲ミュージアムと併せて
愛媛・松山の観光振興の呼び水となり、

また、訪れる皆様にとって、

心の琴線に触れる何かが見つかる場所、
として、

全国津々浦々まで人気が広がることを
心より念願したい、と思う。


足あと

夕方まで事務所で、政務。

夕方以降は、党務にて市内各地を移動。


2010-06-05

足あと

終日、事務所にて政務。

★研修レポート⑨
5/14パネルディスカッション
「事業仕分け、その評価」

��青山彰久読売新聞編集委員のコメントより/趣意)

「今の事業仕分けの印象を例えると、ストレス解消感はあるが、
 ワクワク感がない。これからはこうなるんだ!という期待感
 がない。それは何かが違うから。」

「何が違うのだろうと考えると、事業仕分けの本質は、
 地方自治法的に言うと情報公開と住民参加であり、
 違うと感じるのはその視点の欠如、といえよう。」

「仕分けにはまず、市民が何に困っているかが出発点であるべき
 だし、そのためには行政が抱える情報を公開し、その情報を元に、
 住民参加の下、みんなで決める。みんな呼べないから、議会が
 主導して、現場の人たちを呼んで決める。
 これは、地域の規模が小さければ小さいほど有効だが、小さいほど
 財政的に自立できないというパラドックスが付きまとう。だからこそ、
 安定した財源制度に基づく地方分権を進めなくてはならないと思う。」

今、政治に一番欠けているのは氏の指摘する、期待感、と思った。

政治不信を信頼に変えるには、
志ある政治家にとっては強靭な忍耐力が求められると同時に、

市民生活者の期待を表現できる構想力と実行力が必須だ、
と、鋭く痛感させられた。

私の場合、1も2もなく精進あるのみ、だ。


2010-06-04

足あと

午前、議会にて部局交渉。
午後、伊予市にて県民相談。

テレビ政治が取上げるのは、得てして、
網をかけるようなテーマか、重箱をつつくようなテーマか。

私たち地方議員が、膝つき合わせて日々キャッチするのは、
地域と生活者に等身大の、待ったなしの、切実なテーマ。

ご相談をお受けしながら。
光の当たらない草の根に、光が当たるように。

国政の価値観の構造改革、を、
私たちから、地方から、推し進めてまいりたい、と思う。


2010-06-03

足あと

終日、事務所にて政務。

★研修レポート⑧
5/14パネルディスカッション
「事業仕分け、その評価」

��福嶋浩彦中央学院大学教授のコメントより/趣意)

「私は12年間、我孫子市長を務めたが、12回とも上程予算は
 修正された。首長の提出予算は修正されないというのが通念
 としてあるなら、それは間違い。地方議会は、二元代表制
 だから、議会の意見を踏まえて修正するのは当たり前だ。」

「当事者だけで事業仕分けを行うと、すべて必要、という結論
 になる。だから外部の目が必要。あれもこれもで優先順位を
 つけるのは過去の話。現在は、あれかこれかの選択の時代。」

「何を選択するか、つまり、何をやめるか、は市民が決める。
 そういうしくみが今、求められている。そのためには、事業を
 見える化して、自らで点検して、地域としてめざす次の新しい
 社会のために、というプロセスがあって初めて有意義な仕分け
 が可能となる。」

先の研修で、私が最も共感することが多かったのが、
福嶋教授の主張であり、地方自治に12年間携わった
首長経験者ならではの現場洞察力、に感銘を受ける。

教授は、その後の具体的な仕分けの進め方にも言及し、
私案を披瀝されるのであるが、これは、

本県議会がこれから制定をめざす議会基本条例、
つまりは議会改革、とも関連して非常に重要な示唆ゆえ、

きっちりと心に留めておきたい、と思う。


2010-06-02

足あと

6月議会、開会。
一般会計64億816万円の補正予算案が上程される。

防災研修をはさみ、午後、

議長の諮問機関として選出されたメンバーによる
議会基本条例検討協議会に、出席。

その後、本日の本会議に上程された
「愛媛県歯と口腔の健康づくり推進条例」の勉強会に、出席。

夜は、砥部町にて開催された支援者政治学習会に、出席。

途中立ち寄ったCVSで入手した鳩山総理辞任の号外を片手に、
参院選に向けた党の取組みを中心にお訴えした後、質疑応答。

仕事柄、日々さまざまな会合に出席させて頂くが、
支援者会合はオアシスでありホーム、と常に感謝が尽きない。

今日もまた、たくさんの対話と皆様の笑顔に、勇気を頂く。
勝利でお応えすべく、勇躍前進してまいりたい、と思う。


2010-06-01

足あと

午前、議会にて政務。

午後、党務の後、
スポーツ振興議員連盟総会に、出席。


2010-05-31

足あと

午前、政務。

午後、西予市に移動し企業訪問の後、
県民相談等で松山市内を回らせて頂く。


2010-05-30

公明党愛媛県本部総決起大会

18:00、ひめぎんホールにて、
公明党愛媛県本部総決起大会が開催された。

大会は、

比例区「谷あい正明」予定候補を迎えての、
参院選大勝利に向けたキックオフ、であり、

5階を埋め尽くした3,000名を超える皆様の熱気に包まれ、

司会の大役を頂いた私としては、
オープニングから、トップギアモード。

まず冒頭では、加戸知事、中村松山市長から、
公明党と谷あい予定候補に対する温かなエールを頂戴した。

私たちにとって大変心強いお二方のメッセージ、であった。

続いて、谷あい予定候補の挨拶。

37歳の若さを前面に、1期6年の実績や次なる挑戦目標等、
その爽やかで力強い訴えに、会場内は、一気に最高潮へ。

この日最大のご声援と、割れんばかりの拍手に包まれた。

政治家によって何よりも重要な資質は、
情熱と責任感と判断力、

と説いたのは、マックス・ウェーバーだが、
まさにそれらを兼ね備えた青年候補として、

本日ご来場頂いた多くの皆様にとって、
また、私たち議員にとっても、

希望が大きく膨らむような決意の披瀝、
であったに違いない。

続いて、

党本部高木陽介選対委員長の国政報告の後、
山本ひろし参院議員の音頭で、会場一体となって、

参院選大勝利決意のシュプレヒコールをもって、
総決起大会は閉幕となった。

猛暑の中、雨にあっても、どんなときも、
真心1つで献身的にお支えくださる皆様にお応えするには

勝利、の2文字以外、ない。

そう腹に決め、本日より、
まなじりを決して前進してまいりたい、と思う。

末尾ながらお忙しい中、県下各地よりご参集頂いた皆様に、
心より感謝申し上げます。本日は誠に有難うございました。


2010-05-29

足あと

晴天に恵まれた午前。

愛媛県立中央病院整備運営事業
一号館新築工事起工式に、出席。

とはいえ起工式なるもの、
私には生まれて初めての経験であり、

当然、手順も作法も知識ゼロ、なので
内心汗だくで不安なひと時であったが、

右も左もベテランの先輩各位におかげで
大過なく終えられ心から安堵、である。

もとより、3年後の新病院完成、
4年後の外構工事など全体完成まで、

一切無事故に向けて万全を期して
本日スタートを切ったと自覚し、
怠らず注視してまいりたい、と思う。

また、建物それ自体はもちろん、
��FI事業の成功ということと、

最高の安心の砦が完成してよかった、

と、県民の皆様からご評価頂ける整備運営事業となるよう、
私自身、微力ながら全力を、と深く心に期す1日となった。


2010-05-28

足あと

終日、事務所にて政務。
夜は、支援者会合に出席させて頂く。

貴重なお時間の許す限りで、
公明党の考え等お訴えする。

耳目も心もあたたかく、心より感謝、だし、
それ以上に、決意と行動で恩返しを、と誓う。


2010-05-27

足あと

午後、企業訪問等。
それ以外は終日、党務。

司会、演説、政治学習会等、
種々の原稿作成に着手。


2010-05-26

足あと

終日、政務。
夕方、県本部にて5・30総決起大会打合せ。

★研修レポート⑦
5/14パネルディスカッション
「事業仕分け、その評価」

��河野太郎衆議院議員のコメントより/趣意)

「かつて、自民党のムダ撲滅プロジェクト、略してムダボの座長
を務め、約8,800億円を削減した。その際、各省庁に対して、
事業の意義は何か?という名目に捉われすぎてしまった、と今、
思う。やはり事業仕分けは、成果に対するレビューという視点で
行われるべきだ、と。」

「言ってること、つまり、事業の意図は正しい。しかし、成果が
期待に見合っていない。それなら別のやり方があるのではないか。
というふうに、0か1か、ではない合理性の追求の視点も重要だ。」

「今の時代は、Pay As You Go、だ。
何かの事業を行うには、何かを削って調達するしかない。これとこれを
削ってこれこれの新しい事業を行いたい、という政策意図をわかりやすく
有権者に示し、支持されなければならない時代と感じている。」

事業仕分けは、成果に焦点を当てるべき。
0か1でない別のやり方、の合理追及姿勢。
そして、Pay As You Goという時代。

まったく同感、だし、

2006年から4年間で、特別会計27.1兆円を見直し、
2009年度一般・特別会計で約8,800億円を削減し、
独立行政法人・公益法人向け支出で3,900億円削減等、

元祖ムダゼロ、を標榜する公明党として、そのチーム3000の1人として、
今後さらに成果を示せるようしっかり取り組んでまいりたい。


2010-05-25

足あと

午後の補正予算説明を除き、
終日、県民相談対応で市内巡回。

夜、大学同窓の集まりに出席。

同級生が繋げてくれたご縁であったが、
有難いと共に、嬉しいご縁、であった。

大事に大事にしてまいりたい、と思うし、
ご期待にお応えしてまいりたい、と思う。


2010-05-24

足あと

終日、事務所にて政務。

★研修レポート⑥
5/14パネルディスカッション
「事業仕分け、その評価」

��枝野幸男行革刷新大臣のコメントより/趣意)

「事業仕分けの目的は、税金の使い道を検証の上、ムダを排し、
予算をスリム化させること。狭義のムダは、明らかな不合理。
広義に捉えると、政策の優先順位による劣後事業ということ。
仕分け成果は1兆円に満たないとの批判を受けるが、民主党
がマニフェストに書いたのは、4年後に9兆円のフローを削減
するということ(なので今後の推移を見てほしい)。」

「事業仕分けの現時点での効果として、まず、国民の関心を高めた。
2つめは、政治家の役割は何なのかという、価値認識の地殻変動
を起こさせたこと。今までは予算を分捕り増やすことが政治家の
価値観であったが、その意識に明確な構造変化が起きたこと。
もう1つは、事業仕分けの対象となった時点で、事業をやめます、
天下りをやめます、と自ら事業の返上を言い出すケースが増え、
結果的に官庁の自浄機能が一定ながら生じた。」

国民の関心を高めた点は評価したいが、その前にどういう国をめざすか、
という明確なビジョンの提示が先に示されないと、どこまで行っても、
枝葉と感情の議論の域を出ないのではないか、と私は思う。

例えば社会保障を1つ取上げても、中福祉中負担型か高福祉高負担型か、
めざす社会像が違えば、必要な事業も、仕分けるべき事業も自ずと異なる
と考えるのが自然ではないだろうか。

傾聴しながら思ったのは、個別の政策論争以上に、めざすべき国家ビジョン
の合意形成に向けた議論の欠落、ということへの危機感、であった。


2010-05-23

平成22年度重信川水防演習

AM9:00。

激しい豪雨の中、開催された
平成22年度重信川水防演習に、出席。

実際、水防任務にあたる際は、
緊急性等、これ以上の困難が伴うことを想定すると、

この豪雨はまさに、演習日和、
といえよう。

私たちもずぶ濡れになりながら。

参加機関各位の、
真剣勝負ともいうべき一挙手一投足を、

心から敬意を表しつつ、見学させて頂く。

そして、

備えこそ肝心、なのは決して防災だけではなく、
人生や生活万般に通じるセオリー、と捉えたい。

演習を通して。

防災に限らず、いざという時。

自助・共助・公助がベストミックスで機能し、
最大の効果を発揮するように備えることこそ、

一にかかって政治の重要な役割である、
ということを、心に刻む思いで学ばせて頂いた。

今後の議会活動に生かしてまいりたい、と思う。

末尾ながら、

土砂降りの中、準備運営に当たられました
関係各位に心より感謝申し上げます。

本日は、誠に有難うございました。


2010-05-22

足あと

終日、事務所にて政務。

★研修レポート⑤ 

5/13(株)ナチュラルアート視察

��鈴木誠社長との面談より)

「当社では、数値目標は立てないことにしています。
 もちろん事業計画としての指標となる数字は、
 長中短期ごとにありますが、例えば、めざせ年内100店舗、
 みたいな目標は不要と考えます。
 いつしか必ず、それに支配されるから、です。
 それより今の方向感を見失わないこと、
 経営者として一番大事にしたいのはこの部分ですね。(趣意)」

鈴木社長がめざす農業ビジネスのカタチ、もさることながら、
経営者としても従来にない新型、にカテゴライズされるのではないか。

とすると、まさに(株)ナチュラルアートは、
農業イノベーションの貴重な先進事例、だし、

出向中のWさんには、ここで感得したノウハウ・人脈を、
将来、存分に本庁で発揮して頂きたい、

と心からエールを送りたいし、
私も自身の立場で全力を挙げてまいりたい、と思う。


2010-05-21

足あと

早朝、県民相談あり。
午後、宇和島にて政務等。
夜は、松山にて党務。

★研修レポート④ 

5/13(株)ナチュラルアート視察

��鈴木誠社長との面談より)

「松山といえば、坂雲ですよね。私も秋山兄弟、大好きです。
 で、お二人とも留学しましたね。
 好古はフランス、真之はアメリカでしたか。
 たぶんその時に、彼らの人生の本懐に繋がるスイッチが入った、
 と思うんですね。人間に対する大いなる感動、というか。
 彼らの中で、確かな何かが目覚めた。
 これ、井の中の蛙では、全然スイッチ入らないと思うんです。
 留学というのは方便ですが、求めていろんな人や考え方に
 出会う中で、自分で見れないことも見た人に聞いていく中で、
 その人のスイッチが入る瞬間が必ず見いだせると思うんです。
 その意味で農業は、実際、スイッチの宝庫、ですね。(趣意)」

求道の末の感得、あるいは、格に入って格を出でよ、か。

スイッチが入る、とは当意即妙だし、

私が昨年9月の本会議で取り上げたのは正に、
このスイッチを担い手にどう広げゆくか、であったことを思い出す。

引き続き研鑽を深め、提言を重ねてまいりたい、と思う。


2010-05-20

足あと

午前、県民相談、来客対応等。
午後、今治市にて企業訪問等。
夜、事務所にてHP打合せ等。

★研修レポート③ 

5/13(株)ナチュラルアート視察

��鈴木誠社長との面談より)

「愛媛はここ2年で5~6回講演に行きましたよ。
 ・・私が訴えるのは、経済活動としての農業を、
 具体的にどうすれば発展させることができるか、
 その1点に尽きます。」

「農業が発展しない理由はいろいろ挙げられますが、
 多くの農村で気づいたことは他人の悪口が多すぎるかナ、
 ということでした。
 農協が、役所が、天気が・・という風にグチが出ると、
 それって体内をグルグル還流して、結局、
 他人や外部との協同がいつまでたってもできない、
 って気づいたんです。
 それからは、自身、一切グチをいうのをやめました。
 農家の役に立つかどうかを問うてYESであれば、
 摩擦を恐れず真正面から意見を言うようにしています。
 そもそも自分はアウェーからのスタートですし。
 でも、経験に照らすと、いつか必ず、お互いの多様な
 価値観を認め合うことができるようになる、というのが
 今の私の確信、です。(趣意)」

日本の農業を元気にしたい、という熱い志をもって、
そのために自身が進むべきベクトルが極めて明確で、

お手本のようなポジティブシンキング、に圧倒される。

弾けるような鈴木社長の、
「覚悟を持ったリーダーが1人、まずはそこからですよ。」

これは、昨年伺った農事組合法人和郷園の向後副理事長と、
まったく同じセリフ、なのだが、

はたして渡邉さんへのエールか、私と玉井議員への叱咤か、
と、神妙な面持ちでお互いを見回すばかりなのであった。


2010-05-19

足あと

終日、体調不良にて自宅にて政務。
無理のきかない年齢を戒めつつ。

★研修レポート② 

5/13講演
「次の参議院選に向けてこれからの政局の動向を読む」

��福岡政行白鴎大学教授のコメントより)

「国会議員定数は、衆議院は2人区×150選挙区=300人、
参議院は1人区×47都道府県×2=94人で、計394人。
地方議員は現在の定数の半分、というのが私の案。」

いわゆるテレビ政治を間近で見る思いがした。
話術の巧みさとは別に、私は同案には賛成しがたい。

というのもその前に、

民意がより反映される選挙制度のあり方の議論が先だし、
衆参及び国と地方のミッションの整理が先であって、

それによって初めて、過もなく不足もない、
適正な定数の議論が可能になると思うから、だ。

逆に言うとこれまで、

各級議員のミッション領域や仕事の中身について、
あまりにもブラックボックスであったからこそ、

有権者は定数の必然性に不信を抱かざるを得ないのであり、
それは説明責任を果たさなかった政治の、自己責任、だ。

努めてそれをやる以外ない、と思う。


2010-05-18

常任委員会県内視察、2日目

2日目は、
『財団法人東予産業創造センター』(新居浜市)の視察から。

1990年に設立された同センターは、

東予地域における
ベンチャー・中小企業の総合支援窓口であり、

本県独自の中小企業支援体制
「チームえびす」の拠点、でもある。

こちらでは、
昨日伺った「TOYOものづくり産業支援事業」の内、

「ものづくり体験プログラム開発実証事業」について
レクチャを受けた。

何しろ東予地域は、

本県製造品出荷額の約80%にあたる3.4兆円を創出する、
四国最大の、“ものづくり産業拠点”。

だからこそ、

将来にわたる同地域の発展をにらんで
今、着手すべきは、

地域全体による人材育成のしくみづくり、

との結論に達し具現化したものが同実証事業、
というお話である。

具体的に。

ものづくり体験プログラムを通して目指すものは、

子供たちと親御さんに対しては
地元産業への理解と興味を促進し、

現役事業者には、
学校教育機関など人的連携を広げることで、
地域として人材を確保していく環境を整備し、

産業界OBには、
その知見を地元と後進に還元し、
地域に貢献して頂くというサステイナブルなしくみ、だ。

5年先10年先を想像してワクワクする取組み、である。
しっかりと後押しをしてまいりたい、と思う。

次に向かったのは、『植物工場実証プラント』(西条市)。

同市が取り組む「西条クール・アース・プロジェクト」
の一端を視察した。

同市は、約8,900億円という、
四国第2位の工業出荷額を誇る“製造産業集積都市”。

見方を変えると、それだけ工場の廃熱が多いわけだが、

それを“新エネルギー”の資源と捉えたところから、
同プロジェクトは着想されたという。

工場廃熱と水素吸蔵合金の化学反応で冷水を製造し、
その冷却効果を植物工場、陸上養殖に結びつけた結果、

四国屈指の製造コンビナートのその隣で、
環境負荷をかけずにイチゴとマスが育っているのである。

工場ハウス内のイチゴを食したが、実に美味であった。

実は、西条市のこうした取組みを生みだす背景に、
食品加工流通コンビナート構想があるのだが、

まさに同ビジョンこそ西条市の最大の強み、と、
あらためて認識させられる思いがした。

西条市の意欲的な取組みに学び、
大いに県下それぞれに敷衍できれば、と思う。

そして最後に向かったのが、
『東予インダストリアルパーク』(西条市)。

1970年に国から払下げを受けた干拓地を更に造成し、
1987年から大規模分譲を行ってきた県有地である。

現在19社が立地し、未処分地は約11.5haとなっている。
現地では、分譲に向けた取り組み等について話を伺った。

以上が2日目のレビューだが、

今回視察した東予地域は、
やはり本県経済の電源地であり、

同地域がそれぞれに取り組んでいるイノベーションや、
次世代人材育成プロジェクトの数々が、

近い将来、実を結ぶであろうことを予感させるに十分な、
そして極めて有意義な、2日間の視察であった。

今回の知見を今後の活動にしっかり生かしてまいりたい、
と思う。

末尾ながら、関係者の皆様には2日間大変お世話になり、
心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。


2010-05-17

常任委員会県内視察、初日

今日明日の2日間、

私が所属する経済企業委員会と総務企画委員会の
2委員会合同による県内視察、がスタート。

初日となる本日は、3か所を訪問。

まず、昨年、松山市大街道ロープウェー街にオープンした
『えひめイズム~感性価値創造ショップ~』。

これは、

国・県の補助金を活用し、松山市が銀行・民間等で構成する
感性価値コンソーシアムに運営委託する経済活性化推進事業で、

その目的は、

松山地域産品の新たな市場開拓と、大消費地への流通促進。

昨年12月のオープンから4カ月で、

来客数は2.8万人と当初予測の2倍を達成し、
新規販路開拓数も6件と、順調に成果を上げているようだ。

パイロットショップとしては、まさにアンテナこそ命。

文字通り、

えひめ松山ならではの感性価値をどんどん発信して、
スペシャルドラマ坂の上の雲の放映を追い風に、

今後更なる飛躍を期待したいし、
全力でサポートしてまいりたい、と思う。

次に、

愛媛県紙産業技術センター(四国中央市)内に設置の
『愛媛大学大学院農学研究科・紙産業特別コース』を、視察。

ご承知の通り、同市は全国屈指の紙産業集積都市で、
紙製造品出荷額では堂々の全国第1位、である。

その強みを将来にわたって持続発展させていくためには、
それを担いうる人材の持続的な輩出が必要不可欠、

との判断から、同市と産業界が、
国・県・愛媛大学等と協力し実現したのが本事業、だ。

本年度の募集人員は6名だが、

次世代を拓く人材拠点として、年々着実に、
確かなる歩みを重ねていってほしい、と思う。

最後に向かったのは、東予地方局(西条市)。

昨年度から、

各地方局が一定の範囲内で、本庁に対して直接
予算を要求できるようになったのだが、

その中の

「地域振興重点化プログラム」の6つの事業について
レクチャを受け、質疑を行った。

東予の強みを磨く
「TOYOものづくり産業支援事業」、「新しい東予農業支援事業」、

本県で最も先進的な取組みが進む「発達障害ネットワーク事業」等、
確かな戦略性と明確な政策プライオリティ、に強い感銘を受けた。

後は、予算である。

本年度で約2,000万円だが、権限と合わせ更なる移譲が進むよう、
“地域内の地域主権”に向けて、微力ながら全力で後押しを、と思う。

以上が視察初日のレビューだが、

県内経済に対する不断の研究・研鑽と、日々の現場活動の重要性を
あらためて痛感する1日となった。

末尾ながら、ご対応を頂いた関係各位に心より感謝を申し上げたい。


2010-05-16

足あと

終日、県民相談。

少し大げさだし、あらためてだけれど。

地方自治のあり方について早急な見直しが必要、
ということを痛感させられた。

換言すると、

地方主権や道州制といった国と自治体のあり方について、
それぞれのミッションをどのように整理し分担するのか、

それへの合意が最初の一歩でなければならない、
と思うし、そこが明確になれば自ずと、

権限も財源も人員も、また各級議員定数に至るまで、
より合理的な見直しにつながると思うから、だ。

何気ない1本の標識から見える、国のカタチ。

生活者の腑に落ちるカタチをめざして、
自身の立場からアクションを起こしてまいりたい。


2010-05-15

足あと

午前、党務。
午後、県民相談にて久万高原町へ。

お声をかけてくださったその思いに、
最善を尽くしてまいりたい。


★研修レポート① 
5/13パネルディスカッション
「政権交代で日本の政治はどう変わるか(趣旨)」

��山口二郎北海道大学教授)
「政治は可能性の芸術、を示せた点は評価したいが、
ミッションについて合意のない現政権は語るに落ちる。
あるいは政党がミッションを失った時代とも思えるが、
だから将来に希望が持てないとの理由にしたくはない。
希望を持つか持たないかは、私たちが決めることだから。」

��片山善博地方自治経営学会会長)
「首長を務めるにあたり、2期8年で潮時、と引退した。
 1個の人間が能力と意欲を発揮できるに十分なスパンだし、
 『権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する。』
とのアクトン卿の指摘は、腐敗を惰性や正当化や既得化
に置き換えれば、政治家には普遍的に必要な自戒と思う。」

いずれも趣旨だが、特に印象に残ったのが先のお二方だ。

政党ミッションの喪失という指摘は、おそらく、
多くの有権者にとって共感できるものであろう。

裏返せば、

かつての尺度では括れないほど、細分化し或いは類似化し、又は
常に変化する国民のニーズに政治や政党が追いついていないとも、

そもそも、信なくば立たずというように、
政治不信の極まりがゆえに、ということと同一かもしれない。

いずれにせよ。

私たち公明党にとっても最重要の課題、
と認識する者としてしっかりと刻ませて頂いた。

もう1つの、政治家の任期について。

これは、立候補する自由、すなわち被選挙権という
人権問題でもあり、憲法論議を伴うものではあるが、

政治家の自戒をどのように維持し高めていくか、
という点で、何らかの対応の必要性を痛感した。

いずれも参考で終わらせず、自身の活動の中で、
自分らしい答え、を見出してまいりたい、と思う。


2010-05-14

研修、2日目

9:40スタートの研修2日目は、下記のプログラム。

★パネルディスカッション
「事業仕分け、その評価」

司会は、片山善博氏(慶應義塾大学教授)。

パネリストは、

枝野幸男氏(行革刷新大臣)、
河野太郎氏(衆議院議員)、
福嶋浩彦氏(中央学院大学社会システム研究所教授、前我孫子市長)、
青山彰久氏(読売新聞編集委員)。

★パネルディスカッション
「超高齢社会、その激震と大波」

司会は、坂田期雄氏(西九州大学大学院客員教授)。

パネリストは、

服部万里子氏(立教大学コミュニティ福祉学部教授)、
小宮英美氏(NHKチーフプロデューサー)、
沖藤典子氏(ノンフィクション作家)。

★事例発表
「高松丸亀町商店街、シャッター通りから生き返り」

講師は、古川康造氏(高松丸亀町商店街振興組合理事長)。

以上ぶっ通しで、ほぼ16:00。

示唆と触発満タンの2日間、であった。
興味深くないものは1つとして、なかった。

政権交代後9カ月のレビュー、というのが、
2日間通しての主題であったが、

その先の、目指すべき国と地方のあり方、
という点についても談論風発であったし、

とりわけ、私が共感したのは、
前我孫子市長の福嶋浩彦氏の視座、であった。

それらも含めて今後引き続きご報告を、と思う。

その後、松山へと帰路についたのだが。

最後まで玉井議員復調ならず、で21:00。
体調回復を祈りつつ、の散会となった。


2010-05-13

研修、初日

AM9:40。

玉井議員と出席したのは、
第48回地方自治経営学会研究大会。

今日から2日間の研修、だ。

「政権交代で日本の政治行政はどう変わったか」
という全体テーマに基づき、

地域主権、事業仕分け、地方議会、超高齢社会、
などの政策上の現在地を検証するシンポジウム、

といえようか。

初日のプログラムは、以下の通り。

★パネルディスカッション

「政権交代で日本の政治行政はどう変わるか、
 地方自治はどう変わるか、地域主権はどう進むか、
 地方はこれにどう取り組むか、対応していくか」

司会は、片山善博氏(地方自治経営学会会長)。

パネリストは、

逢阪誠二氏(衆議院議員、内閣総理大臣補佐官)、
坪井ゆづる氏(朝日新聞編集委員兼論説委員)、
山口二郎氏(北海道大学教授)、
盛泰子氏(伊万里市議会議員)。

★講演
「次の参議院選に向けてこれからの政局の動向を読む」

講師は、福岡政行氏(白鴎大学教授・立命館大学客員教授)。

★講演
「地域主権改革の現状と課題」

講師は、久元喜造氏(総務省自治行政局長)。

★講演
「長と地方議会、名古屋市議会にみる激突と調整、私はこう取り組んだ」

講師は、河村たかし氏(名古屋市長)。
コメンテーターは、片山善博氏(慶應義塾大学教授)。

★講演
「政権交代は、国-地方関係を含む、国家構造の転換につながるか」

講師は、飯尾 潤氏(政策研究大学院大学教授)。

会場となった明治大学に、まさに朝から缶詰、
であったが、まだ、1日は終わらない。

私たちは少し早めに会場を辞去し、
千代田区一番町へ移動。

17:00、(株)ナチュラルアートを訪問し、

本県から出向の渡邉さんの激励を兼ね、
同社の鈴木誠社長その人を訪ねた。

瞬間。

なんと体中から人間的魅力がバンバンあふれまくりの、
日本の農業を元気にしたいエネルギーの塊、と思った。

聞きたいことが山ほどあって、時間は全く足りなかったが、
かけがえのないご縁を頂き、感謝と感動でいっぱい、だ。

さて、この日1日。
研修を含め、手元に乱雑に書きとめたメモは、12ページ。

到底、所感としてブログにまとめられる分量でなく。
後日、シリーズでご報告してまいりたい、と思う。

同行の玉井議員の体調回復も祈りつつ、
充実した研鑽初日に、ともかく感謝の1日となった。


2010-05-12

足あと

午前、企業訪問。
午後、県議会にて政務。

明朝からの研修と視察に向けて
夕方、松山空港を出発。

隣りには、同級生の玉井県議。

いつも元気ハツラツ、な彼なのに、
やや体調不良のようで、いささか心配。

ともあれ、2日間。
しっかりと研鑽してまいりたい。


2010-05-11

足あと

午前、議会にて政務。
午後、企業訪問等。

合間で、
明日からの上京の準備。


2010-05-10

足あと

朝から、
“一気に連休明けました”モード。

おかげさまで、
公務・党務をフル回転。

特に、県民相談に関しては。

週明けに、
ドサッと頂くことが多いが、

連休明けは、
ドカンッという感じ、であって。

県庁内を大移動しながら、
怒涛の折衝開始。

その後、企業を訪問し、
夜は、支援者会合等。

さあ、ここからは。

参院選モード全開、で、自身も党も、
一瀉千里に、戦い抜いてまいりたい。


2010-05-09

足あと

終日、事務所にて政務。

世の中的には、おそらく。

今日までがゴールデンウィーク、
なのだろう。

電話も、メールも、静かで、
積ん読を読書、の1日。


2010-05-08

足あと

終日、事務所にて、
ホームページ作成他。

それとは別のアタマで、
事務所を見まわしながら。

いつか大胆な書類整理を、
と思う一方、

この問題の本質は
行政のロハス化をどう進めるか、

だな、であれば、
と、ふと考える。

あり、と思うのは、
ⅰPad的なアプローチ。

ぜひ研究してほしいし、
提言してもまいりたい。


2010-05-07

足あと

午前、事務所にて政務。

午後、今治市に移動し、視察。

夜は、新居浜市にて党務等。

余談ながら。

メキメキ体重増のこの頃を、少し憂う。


2010-05-06

足あと

午前、議会にて政務。

午後、

党員・支持者の皆様の
絶大なるご支援により、

松山市政にお送り頂いた
新人2名とともに、企業訪問。

その清新な息吹に、
思わず、心洗われる。

共に成長し、
共々にご期待にお応えしてまいりたい、

と、深く心に期す。


2010-05-05

足あと

午前、事務所にて政務。
午後、告別式出席等。

気丈に振舞われるご家族のお姿に、
命の尊厳や人の世の厳粛、を思う。

あらためて、
心よりご冥福を申し上げます。


2010-05-04

足あと

早朝、

雲峰松山市議とフェリーに乗りこみ、
高浜港を、出発。

2人がめざしたのは、野忽那島。

光陰矢のごとし、で、
約半年ぶり、の訪問である。

ご無沙汰をしております。

お変わりありませんか?

いつもありがとうございます。

と、

日頃お世話を頂いている皆様方を
1軒1軒、お1人お1人回らせて頂く。

身体にも、ココロにも、
びっしょりと汗をかきながら。

たくさんの対話に心より感謝するとともに、
事あるごとに、

貴重な機会を作ってくださる
��様、I様に、心より御礼を申し上げたい。

この度も、誠にありがとうございました。


2010-05-03

足あと

ゴールデンウィークまっただ中。
終日、事務所にて政務。

夕方、つかの間。

子どもたちと近くの公園へ。

ささやかな、子ども孝行。


2010-05-02

足あと

午後、松山市内を街頭遊説。

混迷する政局にあって、

他とは違う私たち公明党の視点と、
めざす方向性についてお訴えする。

さすがにゴールデンウィークだけに。

道後・大街道周辺は、
県外からのお客様でにぎやかであったが、

そうした中、
駆けつけ立ち止まり、して、

最後まで耳を傾けてくださる方々、

握手とともにお励ましをくださる方々、

に、感謝の思いでいっぱいになる。

本日の主張通りに、
自身も党も、前進してまいりたい。


2010-05-01

足あと

午後、事務所にて、
明日の遊説原稿を作成する。

現在の国政は尋常ではない、
ということと、

その中で公明党が何をめざし、
どのように取り組んでいるのか、

ということを、

書いては消し、書いては消し、
まとめる。

しっかりと明日、
お訴えしてまいりたい。


2010-04-30

足あと

早いところでは、
昨日からゴールデンウィーク。

という本日は、4月最終日。

月日の経つのは本当に早い、な。

などと雑駁な所感を抱きつつ、
日中は県庁にて、政務。

夜は、地元交流。


2010-04-29

足あと

午前、党幹事会。
午後、党議員総会。

松山市議選を大勝利し、
参院選必勝に向けたキックオフの1日。

厳しい戦いを前に。
種々、呼吸合わせを行う。


2010-04-28

足あと

終日、政務。
午後、ホームページ打合せ等。

明日の議員総会に向けて、
夜、党県本部にて種々打合せ。


2010-04-27

足あと

終日、政務。
夜、支援者会合に出席。

感謝の気持ちとともに、
あらためて期するもの大、となる。

帰宅後、遅い時間となったが、
息子のお誕生日会、開催。

11歳おめでとう、な気持ちと、
いつも何かとゴメン、な気持ち。

何だか照れくさいものです。


2010-04-26

足あと

昨日投開票の、松山市議選。

おかげさまで、
8名とも大勝利をさせて頂く。

心からの感謝と決意をもって、

ご支援くださった多くの皆様の
ご期待にお応えしてまいりたい。

かくして多くの方の睡眠不足をよそに、
午前、常任委員会、開会。

今年度、私が所属することになった
経済企業委員会の本日の議題は、

「県立中央病院の建替えについて」。

引き続き、午後は、
地域活性化特別委員会。

議題は、
「今年度の主な事業について」であり、

企画情報部・経済労働部・農林水産部
を所管して、活発な論議が交わされた。

失敗を含め、様々な気づき、あり。
勉強と経験を重ねるのみ、だ。


2010-04-25

足あと

松山市議選、投票日。

大勢は深夜1時頃判明、
とのこと。

4年前を思い返しながら、
祈る思い、の1日。


2010-04-24

足あと

いよいよ、松山市議選最終日。

自身、最後の最後までやりきるのみ。
すべて無事故で、だ。


2010-04-23

足あと

午前、議会にて政務。
午後、市議選応援にて市内転戦。

その最中、予期せぬ知人に遭遇。

ひとしきり、近況を交換する。
事業も順調そうで何より、だ。

その後、市議選応援に戻り、働く。


2010-04-22

足あと

午前、政務。
午後、党務等。

早朝、親戚の訃報連絡あり。

夜、急ぎ駆けつけ、
お別れの対面ご挨拶となる。

ただただ残念であり、
心よりご冥福を祈りたい、と思う。




2010-04-21

足あと

終日、政務。
5月上京日程、確定。

夜、ホームページ原稿作成等。


2010-04-20

足あと

朝一より、わが陣営の激励で、
市議選各事務所を回らせて頂く。

いずこでも。

党員・支持者の皆様が、
笑顔でお手伝いくださっており、

その真心に思いを馳せるにつけ、
感謝の気持ちでいっぱい、になる。

お1人お1人、心より御礼申し上げる。

夕方から事務所にて、政務等。


2010-04-19

足あと

午前、党務。
午後、政務。

土日で承った県民相談に動く、週明けの1日。


2010-04-18

足あと

早朝より、快晴。
本日は、松山市議選告示日。

午前、2陣営の出陣式に駆けつけ、
僭越ながらご挨拶させて頂く。

候補とともに7日間全力を尽くす決意と、
最後までの絶大なるご支援をお訴えする。

その後、新居浜市へ移動し、
公明党・真木新居浜市議と合流。

谷あい正明参院議員をピックアップし、
西条・新居浜・四国中央を回らせて頂く。

行く先々での熱烈なご声援に、感動の連続。

本日お会いしたすべての皆様に、
お世話になった皆様に、

心より感謝を申し上げたい、と思う。


2010-04-17

足あと

午後、帰松。
事務所に直行し政務等。

明日は、
いよいよ松山市議選告示日。

夜、その打合せ等。


2010-04-16

足あと

上京2日め。

午前、
愛媛県東京事務所・桧垣所長を訪ねる。

かねてのアポとはいえ、
知事日程など国政による影響大と見え、

簡潔明瞭に打合せの後、
ご労苦等拝察し、早々に辞去する。

夜は、前職の先輩たちと旧交を温める。

相変わらず、らしいお二人に加わって、
久しぶりの、セッション。

むちゃくちゃだけど、めちゃ盛り上がる。

そういうことなら先輩、
次から事前に曲決め、お願いします、ネ。


2010-04-15

足あと

午後、羽田着。

本年初上京となる今回の目的は、

憲政記念館にて開催された
「谷あい正明君を励ます会」の、運営役員。

おかげさまで、来場者数は500名を超え、
立すいの余地もない大盛況大成功、となる。

本県からも多くの関係者が見えられ、
この場をお借りしあらためて御礼申し上げたい。

谷あい青年委員長ともども、
しっかりがんばってまいりたい、と思う。


2010-04-14

足あと

終日、政務。

明日からの上京に備え、
各方面と打合せを行う。


2010-04-13

足あと

午前、企業訪問。
午後、事務所にて政務。

ブログ少し、更新する。


2010-04-12

足あと

午前、
山口代表を松山空港にお送りする。

車中、役得とばかり、
種々、質問させて頂く。

大変、勉強になった。

その後、県庁にて政務。
午後は、党務等。


2010-04-11

足あと

公明党・山口代表、来県。

ということで、
終日、同行させて頂いた。

松山市内街頭遊説の後、
夜、支援者懇談会など。

特に、街頭遊説では。

大変お足下の悪い中を
ものともせずに駆けつけてくださった、

たくさんの党員・支持者の皆様に、
心から感謝と御礼を申し上げたい。

そして、何としても。

当面するすべての戦いに完勝し、
そのご期待にお応えしてまいりたい、

と思う。

また、終日の同行を通して私は、

山口代表の、あふれる見識・頭脳と、
にじみ出る温かく豊かなその人格に、

人知れず感動、した。

すばらしい党首を頂いたことに感謝し、
ますますがんばらずにはいられない、

と今、思うばかり、だ。


2010-04-10

足あと

終日、県民相談。

議員というのはどんな仕事よりも、

いろんな方の人生に関わる仕事、
なのかもしれない。


2010-04-09

足あと

午前、
地元中学校の入学式に出席。

知人もちらほらお見受けする中、
心よりお慶びを申し上げる。

午後、党務。

世の中的には参院選はまだまだ先、
といった雰囲気だが、実際は、違う。

鎬を削っての戦いが、始まっている。
当方としても必勝あるのみ、だ。


2010-04-08

足あと

午前、政務。
午後、党務の後、久万高原町へ。

一昨日に続いて、
地図を片手の訪問活動。

桜も笑顔も春満開、の中、
帰路は宿題どっさり、となる。

しっかり、がんばります。


2010-04-07

足あと

終日、政務。
夜、ホームページ打合せ等。

松山市議選も、参院選も。

勝利に向けて油断なく怠りなく、
準備を進めてまいりたい。


2010-04-06

足あと

終日、久万高原町にて。

愛車のカーナビが年代モノのため、
地域によっては、地図を片手に、

1軒1軒、と、お訪ねした。

膝づめで、軒下で、あぜ道で。

いろんなお話をお聞かせ頂き、
心より感謝感謝、の1日となる。

走行距離200㎞を超えて、ふと。

もしケータイと車がなかったら、
と思うと、

幕藩体制まで日本が地域主権であったのは、
なるほど、と思うし、

文明開化それ以降は一直線で来たベクトルを、

社会や体制のさまざまな閉塞が指し示すように、
今一度、大きく見つめ直す時代に入った、

との意を強くさせられた。

いよいよ正念場、との思いで、
自身の使命を果たしてまいりたい、と思う。


2010-04-05

足あと

終日、政務。

県民相談に走れ走れ、の中で、
嬉しい成就がいくつか、あった。

そのご報告の際の、
当事者の笑顔に勝る喜びは、ない。

それはそれはホッとするとともに、

心の中でガッツポーズ、な、
かけがえのない瞬間、です。


2010-04-04

足あと

午後、

東温市・坊っちゃん劇場にて
ミュージカル「正岡子規」を、観劇。

前作と趣が異なり、今回は喜劇。

子規で喜劇?

と、ふと思わせるあたり、

さすがジェームス三木さんの仕業、
ではある。

肺結核という病と格闘しながら、
近代文学の革新に本懐を得て、

病床での限られた人生を、
家族や仲間と豊かに生きた、子規。

彼の人生の最終章を
底抜けに明るく構成された105分間に、

人が生きるということは何か、

という命題に対する

ジェームス三木さんのメッセージが、
熱く、心に沁みるように、伝わってきた。

キャストをはじめスタッフすべての皆様に、

感動のひと時を、ありがとうございました!

と、心より御礼を申し上げるとともに、

ロングランの大盛況を、
心よりご祈念申し上げたい、と思う。


2010-04-03

足あと

終日、政務。

県民相談、
政務調査費の収支報告作成等。

万事コツコツが大事、だナ。


2010-04-02

足あと

終日、県民相談。

実にさまざま、いろいろ、であるし、
お隣り香川県からもご相談を承る。

一生懸命、やらせて頂く。


2010-04-01

足あと

終日、県民相談。
夜、支援者会合。

昨日の、火を吐くような
山口代表の党首討論の勢いで、

当面する戦いすべてに
全力を尽くしてまいりたい。


2010-03-31

足あと

終日、県民相談。

書き出しは同じでも、
昨日とは大きく異なる、

そんな日々にあって。

よく見て
よく聞き
すぐやる課、

に私自身撤してまいりたいし、
そんな愛媛県になれたらなぁ、

と、

理事者と打合せ中、考える。


2010-03-30

足あと

終日、
県民相談にて市内巡回。

自余は事務所にて政務、
ホームページ原稿作成等。


2010-03-29

足あと

午前、
大先輩Uさんをお見送りした後、

午後、
県民相談にて松山市内を巡回。

途中、松山市役所を訪ね、

とあるご意見については、
山本ひろし参院議員とも、連携。

橋渡し。
もしくは、コーディネーター。

それは、
議員の重要な仕事の、1つ。

フットワーク、と、ネットワーク。

その、
公明党ならではの強みを生かして、

ますます、らしくがんばらねば、
と、あらためてUさんに、誓う。


2010-03-28

足あと

終日、政務。
夜、新居浜にて党務等。

途中。
大先輩の突然の訃報に接する。

残念この上、ない。

今はただ。

感謝の気持ちとともに、
心よりご冥福を祈るばかり、だ。

��さん、長い間、
本当に、有難うございました。


2010-03-27

足あと

午前、党幹事会。
午後、党議員総会。

ある種の動物は、
脱皮しないと生きていけない。

人間もそうだ。

つまり自分もそうだ、

と、痛感した1日。


2010-03-26

足あと

午前、公明新聞取材。
午後、県民相談。

たけなわの、甲子園。

4年連続12度目出場の
母校・今治西だったが、

延長戦でサヨナラ負け、となった。

残念。

だが、春が終われば、次は夏。

ひと回り大きくなった後輩たちの活躍を
大いに期待したいし、心待ちに待ちたい。


2010-03-25

足あと

午後、県が昨年度から実施している

「元気な集落づくりモデル事業」
の成果発表会に、参加。

初年度のモデルとなったのは、

上島町魚島、久万高原町中津、
西予市惣川、の3地区。

各地区順番に
それぞれの代表者から、

1年間の取り組み等について
報告が行われた。

��詳細は⇒http://genkishuraku.i-yoblog.com/e278897.html )

昨年度の総務企画委員会でも
述べさせて頂いたが、

モデル事業としての今回の第一歩を私は、
画期的と評価したいし応援したい、と思う。

そして。

シブヤ大学をエヒメでやればどうなるなう、
くらいの飛躍を構想し協働したい、と願う。


2010-03-24

足あと

夜、新居浜市内で
開催された党員会に、出席。

大変お足下の悪い中を、
150名を超える皆様にご参集を頂く。

感謝の気持ちが込み上げるとともに、
その真心に何としてもお応えせねば、

との決意で、

現下の党の取り組みや県政報告等
について、お話をさせて頂いた。

終了後、時間の許す限り、
さまざまなご要望を、承る。

地方や庶民が、こんなに大変な時に、
政局をやっている場合では、ない。

皆さまの本音を、
皮膚感覚で感じたまま、全力で。

国にも県にも反映させてまいりたい、
と思う。


2010-03-23

足あと

午後、議会にて政務。

あれれ何だかなー、

と目の調子が悪く、
診察を受けたところ、

約1週間の日にち薬、とのこと。

やや安堵しながらも、
あらためて健康の有難さを思う。


2010-03-22

足あと

終日、事務所にて政務。
夜、今治にて党務。

何事も、日々、訓練、だ。


2010-03-21

足あと

家庭事情により、家内より、
終日、子守りを命ぜられる。

やる以上は徹底的に、

と、子どもサービスに徹した結果、
パパの人気は、急上昇。

みんなにめでたしめでたし、
な1日となった。


2010-03-20

足あと

終日、政務。

夜、支援者座談会に出席。

お足元の悪い中を、
心より感謝申し上げたいと思う。

日頃のご支援に対する御礼の後、
近況等じっくりご報告させて頂いた。

終了後は県民相談となり、
種々ご要望をお伺いする。

しっかり受け止め、さっそく。

解決に向け全力で、
取り組んでまいります。


2010-03-19

足あと

2月議会、最終日。

新年度当初予算案など
82議案が可決され、閉会。

とりわけ、がん対策条例が、
全会一致で可決されたことは、

まさにご同慶の至りであるし、
将来に向けて、

このことが持つ意味の大きさを、
確信したい、と思う。

その他、
国政批判を反映した意見書に対して、

会派内で賛否が割れた民主党をはじめ、
今まで以上に会派対応が異なったこと、

などが強く印象に残った。

その後、

常任委員会の新年度構成が決定し、
私は、経済企業委員会所属となった。

心機一転、新分野にて、がんばりたい。


2010-03-18

足あと

日中、東予にて政務。

夜は、松山市内にて
支援者座談会に参加させて頂く。

初心ワスルベカラズ

にこそ、原点があり、
そこに、使命あり、

と自覚して、更にがんばります。

��様、皆様、ありがとうございました!


2010-03-17

足あと

午前、
地元中学校の卒業式に、出席。

新たなステージに向けて
晴れやかな卒業生の姿に対し、

私のほうは年々確実に、
涙もろいステージに向かっている。

あらためて。

卒業生の皆様、保護者の皆様、
すべての学校関係各位に、

心よりお慶びを申し上げたい、と思う。

午後は、
党務の後、県民相談にて市内巡回。

夜は、事務所にて政務。


2010-03-16

足あと

午前、
県民相談にて市内巡回後、県庁へ移動。

季節外れの大寒波による雪害対応等協議。

午後、政務。
夜、支援者会合にてご挨拶。


2010-03-15

足あと

終日、県民相談。

本日は体当たり、だ。
それしか、ない。

夜、支援者会合に出席。

お忙しい中をご参集の皆様に、
自身の感謝の気持ちを、

謙虚に、誠実に、
お訴えできただろうか。

常に心がけてまいりたいし、
どこを切ってもそうありたい、

と、あらためて、思う。


2010-03-14

足あと

終日、県民相談。

難問中の難問、
を、まさに祈る思い、の1日。


2010-03-13

足あと

終日、東予にて、
党務も、政務も。

新居浜では、少し肌寒く、こぬか雨。
西条では、晴れ間広がり、ポカポカ陽気。

仕事も天気も、変化変化、の1日。


2010-03-12

足あと

昨日に続き、
午前10:00、常任委員会。

私が所属する総務企画委員会は、
この日は、企画情報部を所管。

いわゆるアドに関する部門だけに、
滔々とか諄々などKYとならないよう、

しかし、できるだけポイントを的確に、
との思いで、何点か質させて頂いた。

そして本日で、
今年度の常任委員会は終了となった。

新年度は、
新たな委員会に所属することになるし、

新分野へ、
心新たにスタートしてまいりたい、と思う。


2010-03-11

足あと

午前10:00、常任委員会。

私が所属する総務企画委員会は、
この日は、総務部を所管。

活発な議論が交わされたが、
自身、この日の特筆は、

永住外国人への地方参政権付与に
反対する意見書の提出を求める請願、

の取り扱いについて、であった。

基本的に付与すべきと考える
私たち会派としては、

現時点で請願に反対せざるを得ないし、

この問題は地方レベルでも、
もう少し議論を深める必要がある、

と、考えている。

とはいえ、議会勢力的には、

最終的に反対少数、で、請願は採択、
となることが、あらかじめ確定している。

それが、
来年の統一選挙でどのように変化するか、

は、須らく、民意で、決まる。

肝に銘じて、精進したい。


2010-03-10

忘れられない、特別委員会

午前、10:00。

がん対策推進条例特別委員会、開会。

結論は、全会一致による原案可決。

提案者であるがん議連の一員として、

条例制定PTメンバーの1人として、

この日のために、

この瞬間のために、

全会一致の原案可決をめざして
多くの関係者とともに準備してきた全てが、

報われました!

本当に、有難うございました!

と、感極まる、

私にとって忘れられない特別委員会、となった。

そして、
今日からが、本当の意味でのスタート、だ。

引き続き、
微力ながら皆様のお力になれるよう、

あの日の誓いを忘れず
精進してまいりたい、と思う。


2010-03-09

足あと

一般質問最終日の登壇は、

本宮議員(自民)、玉井議員(民主)、
河野議員(自民)の3名。

特に今日の質問戦は、

地方議会は、
会派事情より地域事情を優先すべき、

というお手本のような論戦、であった。

私は基本的にそうあるべき、と思うし、

その前に、国はまず、

国政と地方政治のミッションを
きちんと整理すべき、と申し上げたい。

いわゆる、

地方主権も道州制の議論も、
そこを出発点とすべき、だし、

それがないから結局、
空回り、の、先送り、では最悪、だ。

ではどうすべきか、ということを、
自身のミッションとして練り続けたい、と思う。


2010-03-08

足あと

午前10:00。
一般質問に立たせて頂く。

早くも7回目の登壇機会を頂き、
心より感謝、である。

その今回、

私が取り上げさせて頂いたテーマは、
大きく分けて、3つ。

1つめは、がん対策。

2つめに、介護問題。

そして3つめに、本県の経済成長戦略、

についてである。

リハーサル不足は否めないが、
おかげさまで、

これまで通り、を、ブレずに貫くことができたし、
何より、私にとっては貴重な新発見があり、

有難い質問機会であったことを、
あらためて感謝したい、と思う。

ぜひ、今後に活かしてまいりたい。


2010-03-07

足あと

終日、政務。

なかんずく、
午後から夜にかけて弊事務所にて。

玉井議員とK職員とともに、
がん対策条例関連の、最終準備。

渾身の作業、であり、
お二人には心より感謝したい。

と、ふと気づけば。

明日は、私自身の登壇日。

自分のことを今回ほど
横に置いたことはなく、

噛み噛みにならないように、と、
深夜、リハーサル開始、となる。


2010-03-05

足あと

一般質問2日目の登壇は、

高山議員(自民)、石川議員(社民)、
青野議員(自民)の3名。

終了後、県民相談に走り、
夜は、高松市にて先輩の送別会。

公私にわたり大変お世話を頂き、
感謝は尽きず、思い出も止まらない。

が、かえって。

これからのほうが身近になるため、
引き続きお世話になることとしたい。

��先輩、宜しくお願いいたしますね。


2010-03-04

足あと

今日からは、一般質問。

明比議員(自民)、横山議員(民主)、
徳永議員(自民)の順で、登壇。

選挙区事情、ということの意味について、
文字通り、良い意味で、考えさせられた。

午後、がん対策打合せ。
夜、久万高原町にて県民相談等。




2010-03-03

足あと

代表質問、2日目。

本日の登壇は、
村上議員(社民)・笹岡議員(公明)。

ほぉ、そうくるか、

とは、
意表を突かれた時出るセリフ、だが、

わが会派の笹岡議員の代表質問は、
まさに、そうではなかったか、と思う。

明日の地元紙が楽しみ、だ。

夜は、大学時代の友人と地元談義。

こないだはいつだっけ?と思ったら、
いつのまにか、半年が過ぎていた。

年の取り方に油断は禁物、ではある。


2010-03-02

足あと

本日より、論戦スタート。

会派を代表するから、
代表質問といわれるが、

その初日は、
篠原議員(自民)と土居議員(民主)。

お二方ともに、任期最終年への
知事の意気込みを質した後は、

特に南予に特化した土居議員の質問が、
その意図を含め、私の中で印象に残った。

任期最終年は知事だけでは、ない。
私たち議員もまた同様、なのだ。

ということを、
十分に自覚させられる質問ではなかったか。

予想以上に、今議会は。
各会派議員の様々な思惑が交錯してきそう、だ。

そんな、論戦初日にあたり。

今回7回目の登壇の機会を頂く私は、

これまで通り、を、ブレることなく貫くのみ、
と、考えているし、

それのみに徹してまいりたい、
と、深く決意している。


2010-03-01

足あと

午前、
県立松山盲学校高等部の
卒業証書授与式に、出席。

今年度の卒業生は、

本科普通科2名、

本科保健理療科6名、

専攻科理療科7名。

その15名お1人お1人に対して、
校長から卒業証書が読み上げられ、

卒業生もまた1人1人誇らしく、
しっかりと証書を受け取るその姿に、

親御様のお喜びはいかばかりか、
と思うと、思わず瞼が熱くなった。

特別支援学校の卒業式は
今回が初めてであったが、

心洗われるような知見をまた1つ広げて頂き、
心より感謝するとともに、

同校創立者である森盲天外の
一粒米の教えに学べば私など、

まだまだ粉骨砕身が足りない、

と自省の念に駆られるような、
決意新たなる有難い1日、となった。


2010-02-28

足あと

昨日に引き続き、
終日、がん対策関連政務。

午後、大先輩の告別式にて。

その生前のご功績を偲びつつ、
心よりご冥福をお祈りさせて頂く。


2010-02-27

足あと

終日、がん対策関連政務。

構想はハッキリしているのだが、
何となく全体的にしっくりしない。

ということは、もっと練らないと。


2010-02-26

足あと

終日、政務。

本日を含め今週末は、
いわゆる、がん対策一色、だ。

下働き、下準備を、完璧に、
進めてまいりたい。

どしゃぶりの夜は、
県民相談で北条方面へ。

縷々は綴れずとも。

公明党に対する
Mさんのご指摘と思いに、

断じてお応えできる自身に
成長してまいりたい、と思う。


2010-02-25

2月議会、開会

本日より、
2月定例県議会が、開会となった。

今議会はいうまでもなく、
新年度当初予算案の審議が中心となるが、

もう1つの注目は、

県議会がん対策推進議連により上程される
「県がん対策推進条例案」に対する審議、だ。

私自身、約1年間にわたり、

本条例案作成に携わらせて頂いた経緯は、
本ブログにてお伝えさせて頂いた通りだが、

いよいよというこの段になってあらためて、
関係各位に心より敬意を表したい、と思う。

そして、

加戸県政3期12年の総仕上げであり、
最後を“結”ぶ当初予算編成、でもある。

その意味で今議会は、この夏以降の、
本県の政局を左右する論戦、ともなろう。

しっかりと。

生活者としての感度を研ぎ澄まして、
23日間を戦ってまいりたい、と思う。