2009-06-30

足あと

本会議一般質問、2日目。

登壇者は、
青野議員(自民)・石川議員(社民)・鈴木議員(自民)。

終了後、宇和島市にて県民相談。

我妻宇和島市議に同行頂き、現地視察。
改善に向け、さっそく取り組んでまいりたい。


2009-06-29

足あと

本会議一般質問、初日。

登壇者は、
本宮議員(自民)・豊島議員(民主)・赤松議員(自民)。

終了後、県民相談にて松山市内を巡回。


2009-06-27

足あと

午後、鎌田實講演会に参加。

地球が誕生した45億年前にさかのぼり、

生命とは、生きるとは、から始まった氏の講演は、

終始、人間の“あったかさ”を信じる哲学に貫かれ、

イラクの子どもたちの救済に動いたことも、
諏訪中央病院の経営を建て直されたことも、

これまでの数々の著作や講演活動も、
原動力はすべて、その一念から生じている。

と同時に、それが、
今の日本に一番欠如していることだ、と。

1,500兆円もの預貯金を使わないということは、
国民は、この国を信用していない、ということ。

教育も、医療も、福祉も、
家庭も、地域も、職場も。

経済がお金の循環システムだとすると、
いろんなところに“あったかさ”を回していく。

為政者は、
政策以前にまず、そこに気づいてほしい、

との指摘は、聴衆を大きく頷かせていた。

また、命を支えるものは“つながり”だとして、
氏は、3つの重要性、を訴えられた。それは、

人と人のつながり、
人と自然のつながり、
体と心のつながり、である。

解説は不要、であろう。

命が支えられにくくなってしまった今の日本に、
あったかな“つながり”を取り戻すことこそ、

政治の最重要の仕事、と、学ばせて頂く。

議員の血肉として心に刻みたい、と思う。

終了後、宇和島に移動し県民相談等。


2009-06-26

足あと

午前、西条市へ。

地元の黒河市議に同行頂き、
市内数社の企業を訪問。

比較的堅調といわれてきた
東予地域の経済事情も、

ここにきて
にわかに深刻の様相を呈してきた、

そんな様子が各社のお話から
ありありと伝わってきた。

政局をしている場合ではない、のだ。

今もっとも大事なことは、景気経済。

そこに100%注力するのが国会の仕事
なのに、まったくもって何だ、

という皆様の気持ちを背に、

私たち公明党は、
また、愛媛県議会は、

地域の課題に全力で励んでまいりたいし、
励まなければならない、と思う。

夜は、県民相談等で南予へ。

地方のことは、地方議員の仕事。
ゆえにそこに、常に、100%注力。

との決意で、取り組んでまいりたい。


2009-06-25

足あと

終日、党務。

今日の活動内容は、
ブログには少しなじまないため、

何にしようか、と考えていると、

所用で電話した高校時代の友人Kちゃんのこと、
が浮かんだ。

みんなから愛されるキャラだな、
と、いつも嬉しい気持ちにさせられる。

感心してしまう。
今日も、そうだった。

人柄というと、ちょっと固くなりすぎだし、
雰囲気とか、オーラというべき、か。

それはきっと、

お客さま商売をしてるからそうなった、
というよりも、

そういうキャラがもともと先にあって、

そこに人が集まって、客になって、
気づいたらそれが仕事になってた、

という順番じゃないかな、と感じる。

こちらの勝手でとっても恐縮だけど。

要するに、私はKちゃんファン、なのだが、

そういう、
人のひきつけ方、とか、まきこみ方、とか、

あまり自信のない私としては、
ぜひこれからも学ばせて頂きたい、のである。

と、
すっかり閑話休題になってしまったが、

Kちゃん、奥さん、がんばってね。
で、今度また、寄らせてもらおうわいね!


2009-06-24

6月議会、開会

本日より、6月議会が開会。
会期は、7/10まで17日間。

先にもお伝えしたとおり。

補正予算の総額は167億円強、
5月補正と併せると221億円強。

11年ぶりの大型予算を講じての
主な事業内容は、

雇用対策、
生活安心確保対策、

地域活性化対策、
農林水産業振興策など、

国と歩調を合わせた経済危機対策
が、柱となっている。

その中で、特に喜ばしく思うことは。

自身のこれまでの提言のいくつかが、
カタチとして上がってきていること。

それは。

学校耐震化促進のこと、
消費者行政強化のこと、

南予地域の
養殖業シリコンバレー構想のこと、

であり、さらには、

本年2月議会で質問したばかりの、

フェリー航路支援のこと、
太陽光発電導入促進のこと、

などだが、
手元の予算案には、

それらを反映した事業がしっかりと、
盛り込まれていた。

会派を超えて、国を含めて、
一緒に声を上げて頂いた議員各位に、

同じ思いで実現頂いた理事者各位に、

そして、何より、

声を上げてくださったたくさんの、
県下の生活者の皆様に対して、

心から感謝の気持ちでいっぱい、だ。

県政課題は、まだまだ山積、だけれど、
地道に愚直に着実に、しかできないけれど、

皆様お1人お1人の声を
1つでも多くカタチにできるよう、

これからも、今議会も、油断なく精進を、

と、開会の日に、決意を新たにさせて頂いた。

��写真は、本日の、公明党今治東支部党員会の1コマ。
 皆様には、お忙しい中を誠にありがとうございました。
 ご期待にお応えできますよう全力で戦ってまいりますので、
 今後ともご指導ご支援の程、宜しくお願い申し上げます。)


2009-06-23

足あと

午前、
支援団体会合に参加させて頂く。

午後・夜は、
県民相談で中予・南予を巡回。

さて。

今日午前の会合は、
子育て真っ最中ママの、集い。

会場に到着すると、
さしずめ幼稚園状態で、

わが家の日常とほぼ似た、
やんちゃかわいい雰囲気の中、

事前に頂いたご質問を中心に
懇談的にお話をさせて頂いた。

愛情をもって一生懸命、
子育てに奮闘される皆様に、

敬意と誠意をもって全力で、
お応えしてまいりたい、と思う。

ママと子供たちの安心が広がるほどに、
日本の未来が拓けてゆく、と思うから。

ひとくちに子育てといっても、

雇用・医療・介護・福祉、
また住宅や教育など、

その範囲はあまりにも広く、
そして複雑に、交錯するし、

その上、地域事情も異なるわけで。

となると。

中央集権型のタテ割りシステムは
時代の役割を終えつつあって、

これから求められるのは、

地域主権型の官民共同タスク編成、
というべき行政システムではないか、

と、肌身で、感じられてならない。

政治はそれを、どのように実現させるのか。

そのことを常に念頭において、
自身、戦ってまいりたい。




2009-06-22

足あと

県民相談、お見舞い、
県庁での打合せ等、
終日、松山市内を巡回。

夜、支援者会合に参加。

その後、
事務所にて資料作成。

まるで小学生の日記状態
になってしまったが、

何はともあれ。
久々の慈雨に感謝、の1日。


2009-06-21

父の日と、私の父の日

午前、ゆっくり。
午後、事務所にて政務。

夜、自宅に帰ると。
下の娘が楽しそうに、何やら持ってきた。

これ、振ってぇ。
と差し出したのは、手作りのサイコロ。

この間、幼稚園で作ったらしい。

肩たたき、チューしてあげる、・・・って、
そうか、今日は父の日、なんだ。

いや、これはこれは、どうもどうも、である。

さっそく。

何が出るかな、ホイッ。
と転がすと、肩たたきが出た。

小さな手でトントンされながら、
幸せ気分、全開。

じゃあ次、もう1回、と結局、

サイコロに書かれた
すべての父の日サービスを頂いた。

とふと、今は亡き父に思いを馳せる。
あれから32年。

父あてに、私が今、サイコロを作るなら、
どんなことを書くだろう。

肩たたき、でもないし、
チューしてあげ、たくないし、

はて、喜んでもらえることは何だろう?

と考えると。

モノでなし、コトでなし、
そうか!と気づく。

それは私が娘に対して思うこと、

と、たぶん一緒じゃないだろうか、
いや、きっと同じだ、間違いない。

それは。

今日1日、どうやった?
うん、今日ね、幼稚園でね・・・。

という瞬間の、
つまり、そういうこと、であろう。

娘の笑顔を見ながら。

ほな。
お父さん、がんばろわい。

と、手にしたサイコロから。

娘にとっての父の日は、
私にとって思いもよらず、

私の父の日、となった。
ありがとう。


2009-06-20

足あと

この日も、終日党務。

午前、幹事会。
午後、議員総会。

目前に迫る都議選、衆院選、
そして県下の統一外選挙を。

ご期待とご支援を頂くすべての皆様に、
何としても大勝利でお応えするために。

私たちのなすべきを確認し刻む、
キックオフミーティング、となった。

忙しく、なる。
その予感以上に。

自身、誰よりも忙しく戦わせて頂く決意、だ。


2009-06-19

足あと

終日、党務。

集中力をキープするため、
合間合間で1冊、読了。

タイトルは、「だいじょうぶ」。
あの、水谷修さんと鎌田實さんの、共著。

弱い立場にある存在に対する優しさに満ち、
日本の未来に対する愛情が込み上げてくる、本。

その温かさが連鎖し奏でるお二人のメロディに、
私たち政治は求めて耳を傾けるべき、と思った。

メロディの底流に流れるのは希望、であれば、
それを1人でも多くの皆様に運べるように、

戦え、自分!
と、キツく鼓舞された1冊であった。




2009-06-18

足あと

午前、党務にて高松市へ。

夕方、高松市を発ち
県民相談等で宇和島市へ。

その走りがいに、
ふと、走行距離メータを見ると、


なんと、祝100,000キロ、である。

思わずシャッターをきってしまった、
このちょっとした記念感は、何?

と感じながらも、

この2年間の走行距離の急増には、
とても感慨深いものがあった。

まだいける?
大丈夫!

武士に馬、ソリに犬、のように。

愛車と一心同体で、これからも。
皆様のもとへ走ってまいりたい。


2009-06-17

足あと

午前、県民相談と来客対応。

午後、党内資料作成。
夜、支援者会合挨拶。

資料作成に当たり、PCをたたくと。

ある政治イシューに対するネット検索で、
ヒットした数、約1,600万件。

絞り込み絞り込みしつつ、
少しづつ目的地に進みながら、

行く先々で又、
情報は10万100万単位で、分岐してゆく。

羅針盤なく、この情報の大海を泳ぐことの、
至難と危うさを、ふと思った。

寺子屋以来の読み書きソロバン、
に加えて、情報リテラシー。

それは、
今の時代を生きていくための基本的なチカラ、

であり、その啓発と普及は、
それこそ政治の重要なイシューに他ならない、

と、考えるし、

昨年度所属した文教警察委員会時代には、
そのことを機会あるごとに提言させて頂いた。

モクモクと資料を作成しながら、繰り返し。
自身の羅針盤を再確認させられた1日となった。


2009-06-16

足あと

午前、
県民相談に関する部局折衝。

午後、
新たな県民相談で市内巡回。

夕方、党務の後、
夜、事務所にて政務。

いすに腰をおろしながら。

地域や暮らしに対する
生活者のご要望は絶えずして。

そんな思いで、1日を振り返る。

この日、連携を取らせて頂いたのは、

県内3名、県外1名の市議の皆様と、
石田のりとし衆院議員・農水副大臣。

当たり前のようだが、
他党の場合、そうではなさそうだ。

それを当たり前とする日常活動にこそ、

ネットワーク政党としての
私たち公明党固有の強みがあるし、

日々、国と地方、地方と地方をつなぐ、
言い換えると、

お1人の声を政治につなぐフットワークの
軽さと確かさにこそ、その存在価値がある。

と、あらためて、その意味をかみしめた。

どこまでも、しっかりと。

私たちの使命と、
自身の責務を果たしてまいりたい。


2009-06-15

足あと

午前、葬儀参列。

午後、議会にて財政課より
6月度補正予算の会派説明を受ける。

国の新経済対策を受けた今回は、
1998年以来となる大型補正予算。

総額167億円強で、
5月補正と併せると221億円強となる。

その主な内容は、

雇用対策、生活安心確保対策、
地域活性化対策、農林水産業振興策、

など、

国と歩調を合わせた経済危機対策、
が、柱となっている。

とりわけ、

道路・河川・港湾・砂防などの基盤整備事業に
112億円あまりの予算が講じられたことは、

実に心強く、有難い。

財政事情によりペンディングとなっていた、
各地域の要望箇所が一気に改善されるよう、
注視してまいりたい。

さあ、いよいよ来週から、6月議会。

今回、私の登壇はないけれど、

各種委員会でしっかりと、
皆様の声を代弁させて頂きたい、と思う。


2009-06-14

よく歩いた東京4日間

上京4日目。

今日は、八王子に
家内の元上司Oさんご夫妻を訪ねた。

私と家内は
親しみを込めて今も、

当時の役職である“所長”
と、呼ばせてもらっている。

そのご夫妻のことを綴ろうとすると、

どうまとめても、
結局私たちの馴れ初めの話になるし、

どのように脚色しても、
私にとって顔から火が出るような話、

なので、割愛させて頂くが。


家内にとっては、
いつも支えてくださった恩人なのであって。

久しぶりの再会に照れくさそうな所長と、
相変わらず快活で素敵な奥様と、

束の間ではあってもゆっくりと、
再会の時間を過ごさせて頂いた。

Oさんご夫妻にはさまざまなご配慮を頂き、
そのまごころに心から感謝申し上げたいし、

いつまでも私たちの支えであって頂きたい、
と思う。

所長ご夫妻宅を辞去した後、
急ぎ足で羽田空港へ移動し、最終便で帰松。

そのまま事務所へ直行し仕事を片づけ、
結局帰宅したのは日付が変わって、となった。

それにしても4日間、
実によく歩いた東京、であった。

��写真は、創価大学のホイットマン像)


2009-06-13

旧友、バンザイ

上京3日目。
夕方から家内と合流し、旧友宅を訪問。

旧友とは、
私の大学時代の友人Mちゃんだが、

最寄りの駅に到着すると、
一発でそれとわかる笑顔が、あった。

懐かしい!

といいたいところだが、
実は2週間前に、約20年ぶりに再会し、

それは済ませて、いた。

次は家族づれで、ということから
今回の訪問となったので、

この間はどうも!的な、再会となる。

とはいえ、

わざわざ迎えにきてくれたあたり
たいへん恐縮、ではあった。

Mちゃん宅では、
奥様と2人の娘さんが笑顔で迎えてくれた。

それから奥様の手料理を囲みながら、
近況から昔話まで一気に、会話が弾んだ。

オフレコもNGも関係なし、というか完全に
私を肴に一杯、状況に突入である。

それはそれとして。

本当に来てよかったし、
それぞれの来し方もとてもよかったな、

と、周囲に気づかれないように1人、
ちょっぴりセンチな気分に浸ってしまった。

だけでなく。

Mちゃんの期待にお応えできるよう、
更にがんばろう、とまた1つ決意させられた。

それにしても。

至れり尽くせりのおもてなしを頂き、
短時間でお暇するつもりが深夜になり、

また、深夜にもかかわらず、
駅まで見送りにきてくれた、

Mちゃんと奥様のまごころに、
あらためて感謝の気持ちが込み上げる。

改札口で。

次はぜひ松山で、
と再会を約しながら、

お互い見えなくなるまで、
手を振り続けるのであった。

あぁ。
旧友バンザイ、だなぁ。


2009-06-12

変化に対する変化こそ

上京2日め。

県民相談は、時と場所を選ばず。
対応を進めながらも企業訪問活動、の1日。

地元系、地場系、外資系。

まったく背景の異なる企業を、
いずれも、初訪問。

かつての飛び込み営業、が蘇る。

それぞれの事業の状況を伺ったが、

振り返って、
そこにある共通点に、思いを馳せる。

それは、お客様の変化に対する、
こちら側の変化、だ。

スピーディで、まさに臨機応変。
唸らざるを、得ない。

これこそ、企業にとって、
生き残りの必須条件、

と、
思い知らされる気が、した。

それは、

政治と行政が、最も学ばなければならない
急所、であろう。

私自身、シビアな民間の、
いわゆる適者生存という現場と現実を通して、

常に貪欲に学んでまいりたい、と思う。


2009-06-11

足あと

早朝、党務にて上京。

党本部を起点に、
午後、企業訪問。

考えてみると、
大企業を訪れるのは久しぶり、

で、

最近の企業セキュリティというものに、
ちょっぴり、浦島太郎状態を味わう。

面談は非常に有意義で、
本日お邪魔した企業に関していうと、

懐の深さというか、
ある種の余裕を感じると同時に、

その水面下の企業努力の凄まじさ、
というものを思い知らされる思いがした。

みな必死、である。

こちらも。
と、身が引き締まる1日であった。


2009-06-10

足あと

終日、県民相談に動き、
夜は、座談会に参加させて頂く。

久しぶりの、懐かしい笑顔に
心から、安堵が込み上げる。

4年前はじめてお会いした時のこと、

今と立場は異なっても、
日を置かず活動を共にさせて頂いたこと、

お1人お1人ごと個別に、
当時の思い出が蘇ってきた。

尽きぬ感謝とともに、
新たな決意とともに。

私にとって座談会は、
いつも初心と謙虚を刻ませて頂く、場。

これからも1軒でも多く、1回でも多く、
皆様のもとへ運ばせて頂きたいし、

大事なことはいつも皆様に学ばせて頂く
自身であり続けたい、と思う。


2009-06-09

足あと

終日、登庁し政務。
夜、党務にて宇和島市へ。

と、南予への移動の際、
いつも考えさせられるのが、道路事情。

都会と地方で事情が異なるように、
県内でも、地域によって事情は異なる。

道路に関して
ムダの見直しというとき、

ムダとは何か、という定義が
まだ十分に確立されていない、

と思うし、
反対に、有益を考えるとき、

事情と利害の異なる
納税者間での合意が不十分、だ。

そしてそれは政治の責任、
というふうに考えていくと、

その努力はまだまだ不十分、
と、結局、自身の反省に行き着く。

知恵は現場、を信じて、
責任を果たしてまいりたい、と思う。


2009-06-08

足あと

午前午後、登庁し政務。
夕方・夜は、党務。

この日は、
県民相談の解決連絡が相次ぐ。

この瞬間ほど有難いものは、ない。
丁寧に、当事者にご報告をさせて頂いた。

もう1つ。

今週後半の上京に向けて、
関係各所にアポの最終確認を取る中で、

軽く驚いたのは、
金融機関の異動の頻繁さ、だ。

なぬ、2年で4回?
ということは、半年ごと?

企業にも、人にもよるのだろうが、
私の友人も大変、ではある。

が、地元に戻ってきたならきたで、
連絡くださいね、Sさん。

と、こちらは、雑感でした。


2009-06-07

痛感、頭のトレーニング

スケジュール多忙の日々が続き、
ブログ更新が滞る。反省。

エイヤー、で
この間を綴ると、この日は。

おかげさまで千客万来、の1日。

千とか万はたとえとしても、
最近では、

公私にわたる皆様の来訪は、
もっぱらケータイとメールが中心。

たしかに。

それがないと困るほど便利、だし、

間違うと少なからず危険性を伴う
コミュニケーション手段、ではある。

どこまでも面と向かって、を基本に、
手段を手段として賢く使ってまいりたい。

と、最近は、資料ばかりで、
ぜんぜん読書ができていない。

ということで、一気読みしたのが、

「最強国家ニッポンの設計図」
��大前研一著/小学館)と、

「危機突破の経済学」
��P・クルーグマン/PHP)。

久しぶりに、脳に、応えた。
頭のトレーニング、継続しないと。


2009-06-06

さきおとといの、県内視察2日目、の話

終日、事務所にて政務。

こう出張が続くと、
机の上も頭の中も、テンヤワンヤ、だ。

まずは、
先日の県内視察報告を完結させたい。

6/3朝一番は、南予地方局を訪問。

高魚局長をはじめ、30名近い関係理事者が、
通常の委員会形式さながらで、お出迎え。

早速、南予地域の現状と課題、また、
本年度の取り組み等について説明を受ける。

詳細な資料とともに、
同地域の大変さが、手に取るように伺えた。

さまざまお聞きしたい点があったけれど、
いかんせん、時間が足りなさすぎ、であった。

後行程にご迷惑もかけられず、
1時間足らずで辞去となったのだが、

その有意義を踏まえ、今後は、
各地方局レベルでの出張委員会が必要だな、

と痛感した。

次に向かったのは、宇和島港に面した、
道の駅 みなとオアシス「きさいや広場」、だ。

気持ちのよい、潮の香り吹き抜ける、
その広々としたスペースは、

農林水産物・加工品など地元産品の販売、
郷土料理の普及や歴史文化の伝承保存など、

宇和島情報発信の核としての交流拠点、で
本年4/24にオープンしたばかり、であった。

平日にも関わらず、また生憎の雨ではあったが、
たくさんの人出で、賑わっていた。

こちらは多くを語らずとも、
行ってみさいや!(というのかな?)であろう。

ちなみに道の駅としては、
全国900番目、本県で23番目、だそうで、

みなとオアシスは、全国に50か所あって、
本県では伯方・八幡浜に次いで3番目、だそうだ。

さて、その次の訪問先は、
県立三間(みま)高等学校。

同校は、昨年8月の県立学校再編整備計画で、
3年後に近隣高校への統合が予定されており、

その教育環境の確認、というのが訪問理由だった。

現在、生徒数139名。
内訳は、普通科76名、農業機械科63名だが、

お伺いした農業機械科の学習課程は、
なるほどユニークで斬新、であったし、

さすが、井関農機の創業者、
井関邦三郎氏を輩出したお土地柄、

と感服するとともに、
そのDNAを受け継ぐ教育、という点でも

同校の存続意義に対する認識を、
新たにさせて頂いたが。

少子高齢化に伴う学校統廃合問題は、
同校に限らない県下全域にかかる問題だし、

これはどこからか答えを探すというより、
答えを作らなければならない問題、で、

誰がというと、その主役は、

それぞれの地域であり、すべての当事者、
でなければならない、のではないだろうか。

引き続き注視してまいりたいし、
皆様の思いを代弁してまいりたい、と思う。

同校視察後、2日間の帰路についたのだが、

その際、私たちに、生徒たちの心のこもった、
手作りの鉢植えが、プレゼントされた。

そのはにかんだ笑顔と、
1人1人の澄んだ瞳が、とても眩しく映った。

ありがとう。
おじさんも、しっかりがんばります、と心に誓った。

��写真は、
 生徒から頂いた手作りの、世界にひとつだけの花。)

PS
2日間にわたり、視察協力を頂きました関係各位、
また、渡部・高山両委員長をはじめ議員各位に、
心より御礼申し上げます。有難うございました。


2009-06-05

さきおとといの、県内視察初日、の続き

午前、松山市役所にて公務。

午後、県庁にて
一連の水問題をはじめ、部局折衝。

夜、中予地区二輪車販売店協会様の
通常総会に参加させて頂く。

さて、先日の県内視察の続きだが。
まず。


6/2に訪れた2か所目は、
内子町・上芳我家住宅。

ご承知の通り同住宅は、国の重要文化財で
その建築年は、明治27年。

ということだから、今から115年前、
ちょうど日清戦争が始まった年、だ。

目の前の、
その大黒柱1本、梁1つには、

以降、
日本が経験した3度の戦争を

それぞれの時代の人々とともに、
風雪とともに耐え、

今に至った歴史と記憶が、
刻まれているに、違いない。

その重みを後世に伝えるため、
重要文化財保存修理事業により、

2007年から4年間、
総事業費3億5,000万円をかけて、

耐震補強・復元工事が行なわれていた。

復元だから、解体した1つ1つの部材を、
失ったり損なったりしないよう管理し、

傷んだ箇所はなるべく当時の方式で修復し、
耐震補強を図った上で、再度、元に戻すという、

説明を伺っただけで気の遠くなる作業、だ。

その、上芳我家は、
木蝋で財を成した豪商・本芳我家の、分家筋。

約3,600㎡という広大な敷地には、
往時の面影とともに、
贅を尽くした生活がうかがえるほか、

木蝋生産工場としての機能的な構造が、
用具などとともに詳しく保存されている、とのこと。

今後、八日市・護国の町並みを核とした、
内子町の更なるまちおこしに、大いに期待したい。

次に向かったのは、八幡浜警察署で、
経年32年というその耐震状況等を、視察。

耐震化にかかる費用を確認すると、

耐震調査に254万円、
耐震新築すれば建物代だけで10~15億円、とのこと。

本県の財政事情を考えると、
学校耐震化を優先せざるを得ない状況もあり、

同署の至るところのひび割れを見るにつけ、
実に悩ましい問題、と痛感するばかりであった。

かくして、宿泊先の宇和島市へ。

視察の2日目は、ご当地の地域課題について、
だが、又あらためさせて頂くこととしたい。

��写真は、本日の、
 中四地区二輪車販売店協会様会合でのご挨拶)

PS
本日、お招き頂きました中四地区二輪車販売店協会
上野会長様はじめ皆様には誠に有難うございました。
今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。


2009-06-04

水問題の解決は、オール四国で

午前、政務。
午後、葬儀参列後、森松団地へ。

到着したのは、

松山市の上水道から
仮設受水槽に水を引き込んで、

それをポンプで高架タンクに汲み上げ、
夕方から各戸で水が出るようになるその直前、


という非常に慌ただしい場面、であった。

担当職員総出で、あちこち必死で、

高層階、高齢者の入居者等に対する
給水や運搬などサポートが行われていた。

職員各位にお礼を述べるとともに、
入居者の方々を、回らせて頂いた。

ご心配とご不便の段をお詫びしながら、
それぞれ水回りの状況も、見させて頂いた。

蛇口をひねると、
まだ1滴の水も、出なかった。

部屋いっぱいのポリタンクとペットボトルが、
目に痛々しかった。

急がねば、ならない。

と、この2日間でわかってきたことは。

同団地付近の
南高井観測井のデータによると、

地下水の水位は、1994年の大渇水時よりも
さらに下がっているということ、だ。

また、1994年時は約1ヶ月で元の水位を
回復したが、今回はどうなのか。

暫定措置とはいえ、
新たに発生する上水費用はどうするのか、

松山市では渇水対策本部が立ち上がる気配だが、
市全域で断水が生じた場合の対策はどうか、

お隣の香川県でも、吉野川を擁する徳島県でも、
渇水対策本部が立ち上がったが、国の対策はどうか、

など、幅広い対応が求められるのは必然で、
あらためて水問題の大きさを痛感、している。

ちなみに気象庁では、昨年から高知沖上空で、
人口的に雨を降らせる実験を行っているという。

その他にも、
海水淡水化といった技術の問題や、

過不足地域に対するシェア
といったエモーショナルな問題を含め、

もはや、4県共同による、
四国・水戦略事業を立ち上げる時代に入った、

と思うのは私だけだろうか。

まずは、私に課された目の前の
すぐやるべきことに専念、だ。

PS
県内視察の報告は、後日あらためてとさせて頂き、
宇和島の牛鬼(写真)だけ、先に貼らせて頂きます。


2009-06-03

昨日の、県内視察初日の、話

昨日今日の、2日間。

本年度私が所属する総務企画委員会と、
昨年度まで所属した文教警察委員会の、
合同県内視察。

で、昨日は、

交通管制センター(松山市)、上芳我家住宅(内子町)、
八幡浜警察署(八幡浜市)、の3か所を、


そして、本日は、

南予地方局(宇和島市)、きさいや広場(宇和島市)、
三間高等学校(宇和島市)、の3か所を、訪ねた。

全部綴ると、とてつもなく長くなるに違いない。
ので、まず、交通管制センターについて。

若草町にある同センターは、
ズバリ、

信号機をはじめ、感知機とか、
交通管制諸施設を制御して、

県下の交通が、よりスムーズに流れるよう
コントロールする基地、だ。

部屋の壁いっぱいに配置された、
本県全域パネルと大小多数のモニターには、

まさに全県交通状況が一目瞭然、
で、

渋滞状況や主要交差点状況が、
リアルタイムで、映し出されていた。

ちなみに、
本県全体の信号機設置数は1,885か所、だそうだ。

その内、主要783機を、
同センターで集中管理しているとのことが、

考えてみると、

急な自然災害による道路の不通や迂回、
あるいは大規模事故や想定外の渋滞など、

突然発生した交通障害に対する解は、
どのように導き出されるのだろう。

隣室の巨大コンピュータが、
その高度な副次方程式を読み解くのだろうけれど、

結局、最初と最後は人間の判断、
と考えると、

24時間油断を許されないその職務の重要性に、
あらためて敬意の念が込み上げてくる。

なお、

信号機1機の導入費は約400万円で、
その電気代は年間約2億円、とのこと。

当たり前と感じる公共サービスにも、
当たり前ながらコストがかかっている、

ということを、あらためて気づかされる。

現在、県警では、
めざせ!アンダー80と銘打ち、

年間の交通事故による死者数を、
80人未満に抑止することを目標に、
取り組みを進めている。

昨年度は82人。

と、55年ぶりに90人を下回ったが、
本年はそれ以上の抑止をめざしている、のだ。

私も、昨年の文教警察委員会では、
さまざま提言をさせて頂いたが、

引き続き、さらなる交通安全の実現に向けて
取り組んでまいりたい。

さて、交通管制センター視察を終え、
次に向かったのは、内子町の上芳我家住宅。

と、そろそろ、紙面も尽き。
あらためてのご報告とさせて頂きたい。


2009-06-02

飛び起き、飛び跳ねた、今朝のこと

AM5:00すぎ。

鳴り響く電話の音に、
何ごと?と、飛び起きた。

「森松団地で水が出なくなった。
至急、対応願いたい。」

と、入居者の方から、だった。

内容を伺って飛び跳ねるように。
取るものも取り敢えず、家を出た。

この季節、もう外は、明るい。

AM5:30すぎ、現場に到着。

団地内で、断水事情についての放送が
繰り返し、続いていた。

真っ先に敷地内の井戸に向かうと、
業者と職員が忙しく作業をしており、

状況を伺うと、
井戸がほとんど枯れている状態、という。

昨日、水位を確認したにも関わらず、
だそうだ。

緊急の労をねぎらいつつも、

まずは当面の水が一刻も早く確保できるよう、
これから後の、最大の尽力をお願いした。

それから、
入居者の方、近隣の方を何軒か訪ね、お話を伺った。

それによると、

森松だけでなく、南高井を含むこの辺一帯で、
急激に、地下水不足が起きていている、とのこと。

田植えができない農家がたくさんいる、ともいわれ、
周辺地域による地下水の使い過ぎが原因、といわれる。

要は今、地下水はどうなっているのか、だ。

当面の措置とは別に、ここが対策の急所、であり、

目に見える、ダムなどの貯留水とともに、
目に見えない、
地下水を含めた水源対策の重要性を、痛感した。

AM8:00すぎ。

現場でいろいろ見聞きした状況を、
出勤時刻を見計らって担当課へ連絡し、

当面の水確保に全力を、
と、あらためて要請させて頂いた。

さて。
気づけば、こちらも時間の勝負、ではあった。

今日は、総務企画・文教警察委員会合同の
県内視察初日、だったから。

あわてて身支度を整え、県庁に滑り込む。

なんとか間に合い安堵するも、
復旧作業の順調を祈る思いでの出発、となった。

当面の措置にめどを立て、

本質的な水源対策、つまり
全県域にわたる水戦略を、立てる。

入居者の方々をはじめ、

広く県民の皆様の思いにお応えできるよう、
微力ながら精一杯取り組んでまいりたい。


2009-06-01

きっと、若者は、待っているから

終日、政務。夜、党務。

ということで、
先日の視察レポートの、続き。

小雨ぱらつく5/29の午後、

足立区の「あだち若者サポートステーション」
��以下、AYSS)を、訪れた。


アポ通り、13:00定刻。

ごあいさつの後、さっそく、

同区産業経済部就労支援課の境係長、
青少年自立援助センター山岸事務局長、

そして、
同ステーション長谷川運営責任者
のお三方から、お話をお伺いした。

私たち公明党の提唱によって、

2006年から厚労省委託事業として導入された
「地域若者サポートステーション」は、

ニートや引きこもりといった若者の自立、
なかんずく、

就労支援を中心とする若者の社会参加、
をめざしている。

そのニーズは年ごとに高まり、

当初、全国25か所で始まった拠点数は、
現在、92か所へと拡充されている。

そして、中でも、全国のモデルケースとして
注目されているのがAYSS、といわれている。

その特徴は、
対象者となる若者の発見からAYSSへの誘導、

そこから、1人1人の態様に応じて、
就労はもちろん、

各種セミナーへの参加や医療機関との連携など、
多彩で包括的な支援体制が取られている点、にあろう。

特に、日頃から、

民生委員や青少年委員の方々と連携を密にして、
対象者の掌握に努められており、

足立区内の対象者を約1,100人と特定されるのは、

同問題に対する地域理解の質の高さを示している、
といえよう。

また、

就労する際の履歴書の書き方等についても、
業務別の豊富な参考例を活用しながら、

という風に、1つ1つのサポートメニューを、
個人の状況に応じてきめ細かく実施している、という。

本県の、えひめ若者サポートステーションも、
松本所長はじめ関係者のご尽力により、

来所者数、進路決定者数とも、
全国平均を上回る成果を上げている。

と、
以前何度かお邪魔した際、お話を伺ったのだが。

一方で、
きめ細やかな包括支援体制という点で課題が残る、

ということを、その際お聞きしたことが、
今回の視察につながっているな、

と、ふと思い返した。

さて。

私が訪れた時点で、何人かの若者が、

ハローワーク&サポステのコラボによる

「ハローワークの上手な利用方法と
トライアル雇用について」

というセミナーに参加されていた。

対象者1人1人の本音や、
彼らを取り巻く地域や家庭環境の実際や、

担当するスタッフの真剣さが、
ヒシヒシと伝わって、きた。

長谷川さんをはじめ
ご案内頂いた皆様のお話が、

思いやりにあふれ、
共感を禁じえなかったのは、

彼らがいつも現場に立ち、
当事者の気持ちを感じているから、だろう。

そう、思った。

そんな足立区では、来月から、

「訓練就労サポーター制度」という
新たな取り組みをスタートさせる、という。

実に意欲的だが、これは、

AYSS利用者が、
企業で実践的な訓練を受けられるシステムで、

NPOなどの就労支援事業者が、
サポーター登録された区内企業から業務を受託し、

そこへ、NPOコーディネーターとAYSS利用者が
複数人数でチームを組み訓練就労する、というもの。

就職までに相当の時間や段階を要する若者のための、
中長期の職業訓練システム、といえよう。

その必要性は、
えひめ若者サポステでもかつて伺ったが、

全国に先駆けての足立区の実践に、
愛媛も続け!とばかり、大いなる触発を受けた。

若者は、待っている、のだ。

それが、
今回の視察で得た私の確信、に他ならない。

スイッチを入れたまま、
次は、県内を走れ、と決意する1日であった。

PS
お忙しい中、ご対応を頂きました
境様、山岸様、長谷川様はじめ
AYSSスタッフの皆様、

ハローワーク足立の山本様、
お世話になり誠に有難うございました。