2007-10-31

県外視察、2日目

10月最後の本日は、山形県を後にして宮城県へ向かう。
委員会一行を乗せたバスは、蔵王を越え、一路、仙台市へ。

移動時間、約2時間。

本日最初の視察施設、仙台フィンランド健康福祉センターに到着。

はて、仙台に、フィンランド?
来場者の誰もが最初に感じる疑問、だそうだ。

実は。

北欧のフィンランドは、
福祉の産業化において世界最先端の国であり、

超高齢化と過疎化における
医療と福祉の行き詰まりに対して、

産官学共同で、
ITを活用した新たな福祉産業を創出することを国策とし、
取り組んだ結果、見事にアウフヘーベンされたのである。

その新たなマーケットを日本の自治体に求めたところ、
真っ先に手を上げ、健康福祉産業の振興に熱心であったのが、
ご当地・仙台市であったという。

そして、今の日本の状況を考えるに、
極めて有効な先進事例が、ここにあった。
��ご参照URL⇒ http://sendai.fwbc.jp/index.htm )

同センターを中心に、国と県が産官学を挙げて取り組む
高齢者の自立支援と予防型福祉の産業化について、
今後の成果に注目したい。

次に向かったのは、
地方独立行政法人・宮城県立こども病院。
��ご参照URL⇒ http://www.miyagi-children.or.jp/ )

はて、地方独立行政法人?

説明によると。
公共と効率を両立させる公設民営方式という運営スタイル、だそうだ。

同病院は、
妊娠から成人にいたる広い意味でのこどもを対象に、

高度専門医療を集約的に提供する、
東北初にして唯一の中核病院、だ。

院長を初めとするスタッフのメンタリティは、
高度な治療が必要とされるこども患者にとって、

最も良質で理想的な小児医療拠点をめざす、
という点で、完全に一致していた。

アミューズメントパークのような造りにも、ヘリポートにも。

エレベータにも、病室にも、広場にも、
その徹底したホスピタリティに、驚いた。

シャツにGパンという看護士や、保育士や。

チャイルド・ライフ・スペシャリストや、
医療ソーシャルワーカーや、

ボランティア・コーディネーターなど、
多岐にわたるスタッフの充実に、感嘆した。

今日、視たのは、福祉と医療の最先端。

仙台フィンランド健康福祉センターの事例のポイントは、

どこにもない新たな福祉産業の創出を
地域経営戦略の1つの柱として、

高齢者をターゲットに、心と体の健康をサービスするというビジネスを、
産官学あげて取り組んでいる点にあろう。

宮城県立こども病院の事例のポイントは、

元気のでるファミリーホスピタルという理念を体現化する組織を、
公設民営方式で運営している点にあろう。

それらを、そのままわが愛媛に当てはめることはできないが、
応用は可能、と考えたときに、その宿題の重さを痛感する。

杜の都の夕暮れを眺めながら、1日を振り返りながら、思った。

��写真は、高齢者をターゲットに開発した、巨大文字のキーボード)


2007-10-30

県外視察、初日

私にとって初の、県外視察が始まる。
所属する環境保健福祉委員会のメンバーで、今日から3日間。

環境部門、保健福祉部門の先進地と諸施設の視察を通して、
知見を深め、県政に反映させるというのが、その目的である。

初日の本日は、山形県。

伊丹空港を経由し、降り立ったのは、山形空港。
さすがに東北、快晴なのに、肌寒い。

将棋の駒で有名な天童市を抜け、私たちが向かったのは、長井市。

途中のいたる所に、さくらんぼ農場を目にする。
さすがは、本場である。

人口31,000人のこの町で、市民総ぐるみで取り組む“レインボープラン”について、
NPO法人レインボープラン市民市場「虹の駅」にて、担当者からお話を伺った。

このプランは、ひとことで言うと、生ごみの循環システムである。

農家と、消費者、つまり市民が協力して、生ゴミを堆肥に変え、土に還元することで、
栄養豊かな有機作物として食の安全を確保させると同時に、環境保全と農家の活性化と、
コミュニティとしての地域づくりに資するという、画期的な、価値連鎖プログラムなのである。

特に、興味深かったのは、土の重要性だ。

この構想の出発点は、土に対する危機感から出発している。
いわく、昭和30年代以降の化学肥料と農薬の使用により、土がどんどん疲弊している、と。

例えば、1個のピーマンに含まれるビタミンAは昔の1/10レベル、ビタミンB1は1/3レベル、
というふうに、作物本来が持つ栄養価が著しく減少している、というのだ。

そして、土の力の回復には、昔の堆肥がもっとも合理的で有効である、という。

しかし、市内に毎日生じる生ゴミを仕分け収集し、堆肥化まで行うシステム構築のためには、
全面的な市民の理解・協力と、行政のバックアップがなければ成立は難しい。

その部分で、立ち上げから今日まで約20年の、草創のリーダーたちのご苦労には、
まことに筆舌に尽くしがたいものがあったろう。

お話を伺い、堆肥製造プラントに移動し、生ゴミから堆肥ができるまでの工程を見学。
すさまじい臭いは、確かに、昭和の時代に畑のあちこちで嗅いだ、懐かしい臭いでもあった。

百聞は一見に如かず、であった。
あっという間の1日であった。

そして、今日、私が思ったのは「蘇生」ということについてである。

環境にしても、地域にしても、経済にしても。
家族の関係その他も然りだが、大事なものが失われ、崩壊の危機と叫ばれて久しい。

けれど、人間には、それらを蘇らせる力がもともと備わっている、と思いたい。
昔に戻る、というのではなく、現代に即したカタチで蘇生させるという意味で。

その知恵と熱意を、どう引き出し、結集させるか。
そこに、これからの政治の重要な役割の1つがあるのだ、と思う。

明日は、杜の都、仙台。
貪欲に、知見を深めてまいりたい。

��写真は、途中で立ち寄った、将棋の館)


2007-10-29

モーレツな1日と、老父への誓い

午前、10数件の県民相談に動き、
午後は、久万高原町に支持者を訪ね、
そして夜は、恩人のお身内のお通夜に駆けつけた。

その間、休む間もなく。
今、どっと、疲労が押し寄せている。

さて、今日の特筆は、何といっても、久万高原町での訪問対話である。

約10軒ほどを、じっくりと時間をかけながら廻らせて頂いたのだが、
実に、気持ちの通う本音のやりとりをさせて頂いた、と思うのだ。

いうまでもなく、お会いした方は、ほとんど高齢者の方ばかり。
特に、1人の、いわゆる独居老人の男性に、心を揺さぶられた。

彼は、88歳。
約20年前に奥様を亡くして以来、この地でずっと1人暮らしをされているそうだ。

しかし、最近は足腰も弱り、外出はもちろん、家の中の移動さえままならないという。
ご近所の方々の配慮と支えによって、かろうじて暮らされているのだ。

その子どもさんのご家族たちも、老いたる父を心配され、機会あるごとに、
松山市内で一緒に暮らそうと誘うのだが、

老父は、久万高原町から離れるくらいなら死んだほうがまし、
と、頑として断られるのだそうだ。

子どもさんといっても、50代か60代であろう。
そのご家族のお気持ちもわかるし、老父の思いも、よくわかる、気がする。

そのとき、政治は、と思うのだ。
まずは、介護認定という手続きをご説明の上、対処を講じさせて頂いた。

でも、その先は。

そして、この老父の状況が、これからあちこちで加速度的に生じることの必然を思うとき、
今の自身の非力を思い知らされる。

走ると、風を感じるように。
県民生活の現場を歩くと、政治が与える影響を、肌で感じることができる。

机上でも、一律でもない、新たな政治へ。
目の前の、その1人に、理不尽や不合理が行われない、温かな政治へ。

愛媛における、そのグランドデザインと、実現を、老父に誓う。
答えは、まだない。
けれど、必ず、と誓う。

夕暮れの、帰り道。
先週気づかなかった久万高原町の山肌が、少し紅葉の気配を見せていた。

��老父宅前の、落ち葉の、じゅうたん)


2007-10-28

政治とカネ、の大事

午後、政務調査費に関する党内打合せを行う。

県民の皆様からお預かりした大事な税金であるからには、
厳格にして適正な運用と説明責任は、議員の義務であろう。

もとより、公明党は。
庶民の党であるがゆえに、どこよりもお金にクリーンでなければならない。

国会でも、わが公明党は、政治資金収支報告書の問題で、
1円以上の領収書添付の義務づけと報告書の全面公開を、
自民党に譲らぬ姿勢で取り組んでいるところだ。

一方、県会でも、当然ながら国会公明党と歩調を合わせて、
すべての領収書添付と報告書の全面公開、という会派要望を既に出している。

それに対する意思統一と、その準備としての、本日の打合せであった。

が、私たちの思惑とはうらはらに、この問題の前途は簡単ではない。
是においても、非においても、いくつかの矛盾と課題をはらむからだ。

いずれにしても。

政治とカネに対する透明化の機運を受けて、この問題は、
年度内の県議会において、一定の結論を見出すであろう。

最終的には数の論理、というのが政治の現実ではあるが、しかし。
最後の最後まで、県民の皆様にご安心頂ける努力を行ってまいりたい。

少なくとも、私は、使途の合理性と適正に関する明確な説明責任が、
いつでもできるよう、今を準備しているし、今後も心がけてまいりたい、と思う。

��写真は、昨日見た、中島の空の青)


2007-10-27

格差の、視察

胸のすく、秋晴れの本日。

終日、山本ひろし参議院議員と雲峰松山市議に同行し、中島・津和地島を訪ねる。
へき地としての離島における、医療・介護・農水産業の現場視察が、目的だ。

そうした我々の意向に、休日にも関わらず、ご同行頂いた松山市職員の皆様と、
ご案内を頂いた各施設関係者の皆様のご協力に、心より感謝を申し上げたい。

それぞれの現場に立ち、貴重なご意見・ご要望をお伺いする。
実際に見て、聞いて、肌で感じることが、どれほど大事か、あらためて思う。

1日の所感を要約すると。

医療については、万般にわたり一律の、国のマネジメントは、もはや不可能と、確信する。

地域に関わらず国民の生命の安全は、最低限、一律に保障されねばならない。
しかし、へき地では。

例えば救急医療対策の整備不十分など、その最低限をさらに下回る危うい状況を、
だましだまし過ごしている、過ごさざるを得ない、というのが実状だ。

公平とすべきは、制度の一律ではなく、生活の安全保障の一律だ。
介護・農水産業についても、同様のことがいえる。

同じ市内で、一律の介護保険料を負担しているにも関わらず、
へき地であるために、質量とも、受けられるサービスが限定され、差別が生じているという現実。

原油高に伴う燃料費の高騰と、台風被害など天災に関する自衛努力の限界に、
制度と財政的な理由から行政支援が切り詰められ、あるいは施されなくなる、という現実。

要するに、全国を一律に運営できた時代は終わったのだ。
今、私たちは確実に、いわゆる、格差社会という時代に生きている。

今日の視察は、格差の視察であったといえよう。
それは、地域間格差であり、医療・介護格差であり、経済・雇用格差であった。

いうまでもなく健全な競争による格差は、是だとしても。
競争以前の、最低限度の生活や、生命財産の保障、といった基本的人権に関わる格差は、あってはならない。

それが、あるのだ。

というところから、政治のあり方を見直さねばならないし、すぐに手を打たねばならない。
ここは正に政治の出番だし、今が公明党の本領を示す時であることを、強く、深く自覚する。

1日は、あっという間に過ぎ。
船に乗りこみ、見送る人々に手を振りながら、帰路につく。

奇しくも、本日は、国会・県会・市会議員が揃っての視察となった。
あらためてながら、公明党は、ネットワーク政党である。

今日頂いた、あまりにも多くの、そして切実なるご要望を共有し、その強みを生かして。
それぞれの立場に敷衍しながら、解決に向けて執念を持って取り組んでまいりたい。

波に揺られながら、潮風に吹かれながら、それぞれに誓いあった。

��写真左から、山本参議院議員・雲峰松山市議会議員・私)

2007-10-26

砥部町にて、ノブレスオブリージュを思う

午後、理事者との会派打ち合わせ。
来年度予算の考え方について、レクチャを受ける。

厳しい。
その現実に、思わず、上杉鷹山の米沢藩が脳裏に浮かぶ。

彼いわく。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」

けだし至言に学ぶならば、
今、県政に必要なものは、成る確信と為す勇気、と自覚したい。

終了後、コンビニおにぎりを頬張り、一路、砥部町へ。

夜の党員会に参加させて頂く。
月末のお忙しい中を多数お集まり頂き、有り難い気持ちと、感謝の思いで一杯となる。

そして。

会合の内容に、心からの感動を覚えた。

そこには、主体性があり、行動と実践があり。
ビジョンがあり、研さんがあり、団結があった。

地元のためにと、意欲的に取り組まれる党員の皆様に、合掌する思いで拝聴させて頂いた。

不惜、という精神がある。
私たち公明党を直接的に支えてくださっている党員の皆様は、まさに、不惜の方々である。

わが身を、貴重な時間を、そして費用さえ。
惜しむべきを惜しまないその境涯は、ノブレスオブリージュといっても過言ではない。

その気高き庶民の皆様に支えられる私は、その為すべきを、あらためてお教え頂いた気がする。
この場をお借りして、今日ご参加頂いた皆様に、心より感謝を申し上げたい。

さて。

明日は、久しぶりの中島である。
島を取り巻く課題の視察を真剣に、そして、お世話になっている皆様との再会を楽しみに、伺いたい。


2007-10-25

カギは、哲学の体現

早朝、市内にて現場視察。
昨晩頂いた県民相談の、意図の確認である。

なるほど。
現場に立たないと、本当のことはわからない。

早速、部局折衝へと動く。

他にも、先日来の案件の進捗確認などで、午前はあれよと過ぎ、
午後は、ご相談者のお一人お一人に、善処のご報告をさせて頂いた。

さて、ここのところ。

支持者の皆様から、激励と御礼の電話やメールを頂く機会が増え、
なんともいえず有り難いし、恐縮でもある。

新聞に載るような派手な成果は、今の私には望むべくもないが、
記憶に残るような真心の対応それのみを、常に、心がけている。

今、目の前にいらっしゃるお一人に、真剣に、地道に。
無知の知、による体当たりの日々、とでもいえようか。

皆様の激励に、前進への意をいっそう強くさせて頂いている。

ふと、ある雑誌の記事に目がとまる。
孫正義氏と北尾吉孝氏の対談である。

もはや解説不要であろうお2人が、お手本のない時代といわれる中にあって、
その根幹にある経営哲学を語り合う、というものだった。

その中で、両者ともに尊敬するという、稲盛和夫氏の言葉が紹介されている。

「動機善なりや、私心なかりしか」

有名な一節は、なるほど、深い。
強く、賛同する。

企業も、人も、やはり、その根底には哲学が必要だ。
まして、政治には、なおさらのこと。

各々の哲学が厳しく問われる時代となった今、生き残り、つまり選別と淘汰のカギとなるのは、
それに基づいて、何をどのように体現するのか、したのか、という現実証明であろう。

自身に置き換え、ひとつの記事に示唆を得る。
現証には如かず、を肝に銘じ、明日からの精進に代えたい。


2007-10-24

まだまだ、新米議員

清清しい、秋晴れの1日。
日中、昨年までお世話になった企業を表敬訪問し、支社長との面談を頂く。

その節の御礼を述べながら、近況を交わしながら。

しばらく和んでいると、そこに、更に懐かしい先代支社長がお見えになり、
奇しくもの再会に感激しながら、歓談がひときわ弾むひと時となった。

名残惜しくも辞去した後、私が向かったのは、久万高原町。

今晩は、月に1度の党員会なのである。
といっても、自身、初参加とあって、握るハンドルに、緊張がひしひしと。

会場には既に、数十名の笑顔が満開だった。

お一人お一人の、日頃のご苦労と、ご多忙と遠方よりの参集を思うにつけ、
その有り難さが痛いほど身にしみる。

初参加の党員会は、あっという間に進み、さまざま感じ、そして学んだ。
特に、自身についていえば、力のなさを痛感することしきり、であった。

顔が赤くなるほど、まだまだ、新米議員。
反省しきり、なのである。

ひとたび議員でいる限り。

与件がどうあれ、いつでも皆様に、
元気とか勇気とか希望の上に、納得と理解と共感を与えられる、
そういう存在でなければならない、と私は思っている。

その意味で。

次回は必ず、来てよかった、がんばろう、
そう思って頂けるよう、重々心に期し、帰路につく。

車のラジオから、チューリップの、青春の影。
今日流れなくてもいいのに、と心にしみた。

��写真は、おすそ分けに頂いた、取れたての、おっきな、さつまいも)

2007-10-23

くもの巣と、ひつじ雲

ひんやり冷たい空気と、小鳥のさえずり。

秋の深まりを感じながら、今朝は砥部町へ向かう。
県民相談の現場視察のためだ。

地元の中村町議に同行頂き、伺ったのは、旧の広田村である。
川沿いを伝う、曲がりくねった道と集落は、中山間地域によく見る風景であり、特徴だ。

ほのぼのと、心癒されながら、到着したのは、河川改修要望現場。
癒された心が、一気に、痛んだ。

当事者から、過去の被害状況の悲惨さを取材するほどに、
何とかしなければならない、と心に固く誓う。

続いて、もう1つの現場に移動し、お話を伺う。
自然にご近所の方も集まられ、河川浸食による住宅倒壊の不安を訴えられた。

竹やぶをかき分けながら、くもの巣を頭からかぶりながら、
そのご心情をしっかりと、受け止めさせて頂いた。

早速、現場写真とブリーフィングを作成し、部局折衝を行い、
事態の改善に向けた取り組みを、真剣に協議する。

考えてみると。

日本の公共事業関係費は98年の14.9兆円をピークに減少し、
本年07年度は6.9兆円と、半分以下の規模となっており、県も歩調は同じである。

まだまだムダは排除しなければならないが、羹に懲りても、いけない。
山と海の国・四国には、まだまだ必要な道路があるし、港湾整備も必要だ。

未着手の災害復旧箇所はいうまでもなく、治山治水対策の必要性は論を待たない。

限られた予算をどのようにシェアするか、という問題は、
突き詰めると、自治体経営の哲学が問われる問題だ。

県民を起点とし目的とする、生活者の座標へ。
現場に立ちながら、政治のパラダイムシフトについて、未来を展望する。

見上げると、一面のひつじ雲。
その、秩序と調和のパノラマに、心潤う思いがした。


2007-10-22

公明党の、らしさ

ここ数日間で、県民の皆様から、10数件の宿題を頂いた。
週も明けて、一気に各部局及び関係者と折衝を行う。

今日は、公明党の、らしさ、についてPRしたい。

日頃、県民の皆様から頂くご要望は、生活のすべてにわたるため、
時に、その解決の所管は、国だったり、市町村だったりする。
ちなみに、愛媛には、村はないけれど。

また、言うまでもなく、というかご承知の通り、現在の行政は、縦割りシステムだ。
是非はともかく、機能上、そういうことになっている。

必然的に、県議会議員は、県以外への直接的な関与は難しいわけで、
その時に、国会議員や市町会議員を通じて、という、その連携が重要になってくる。

その連携の速さと、広さと、深さが、
まさに公明党の、らしさ、なのである。

あらためて、そう思うには理由がある。

今日、解決に動いた宿題のうち、県のマターは2つのみ。
ほとんどが松山市マターで、残り一部が、国マターなのである。

いきおい、公明党の市会議員と国会議員に連携を取らせて頂いた次第となり。

そこからが、早い。
気持ちを気持ちで、受け止めてくださるからだ。

本当に有り難いし、忙しい中を、頭が下がる思いでいっぱいになる。

おかげさまで、いくつかは解決の手はずが整った。
ここに、公明党の、らしさ、の1つがある、と私は信じてやまない。

わが党の太田代表は、口ぐせのように語る。
「公明党の国会議員は地方議員の手足であり、地方議員は庶民の手足でなければならない。」

然り、なのだ。
倒置法でいうなら、庶民の手足でなければ、公明党ではない、のだ。

そうした思いを、今日1日の実践を通して確信してやまないし、
日々、その実証を示せるように、自身の仕事に徹してまいりたい、と心に期す1日となった。


2007-10-21

生きた対話、のチカラ

今日も、支持者のもとへ。
夜の座談会で、膝詰めの対話を行う。

ずしり、様々なご意見、ご要望を頂いた。
終了後も、個別面談のカタチで小さな行列ができるほどに。

ささやかではあるが、連日の座談を重ねながら、強く思ったことがある。
それは、こういう場を“しくみ化”できないだろうか、という着想である。

少人数、ということと、座談、というのが肝、だ。
そこには、裃を脱いで、気兼ねの要らない、何でもあり、の空気が生まれるからだ。

そのとき初めて、生きた対話が可能となる。

生きた対話には、誤解を理解に、対立を共感に、孤立を連帯に、不信を信頼に、
転換させる力と可能性が秘められている。

現今の難局を乗り切るためには、政治への信頼が必要不可欠だ。

その信頼を取り戻すためにも、こうした座談を、
党派を超えて、国と地方の全議員が、挙げて行ったとしたら。

間違いなく、劇的に、日本は変わるであろう。

冷ややかに、それは自明という前に、まず自ら、行動に移したい。
地道ではあるが、着実に。

そして、そこに、議員間での、人道の競争とも、価値の競争ともいうべき、
いい意味での競争と、政治の期待成果の向上スパイラルが生まれることを信じたい。

今日の末尾に。
明確な目標を掲げて真っ直ぐに挑戦する青年は、なんと素晴らしい。

彼らと彼女らのために。
私の中の、人道競争に対する戦闘モードが沸騰してやまない、心に残る1日となった。

��写真は、自宅から見える、くるりん)


2007-10-20

赤裸々な、ひととき

午前、党務。
午後、公明党愛媛県本部の議員総会に出席。

ちなみに、私は県本部で最もキャリアが短く、最も若い。
ということは、まわりはすべて先輩なのである。

昨年まで民間企業に勤めていた感覚からすると、
この経験は、新入社員以来で、今でも違和感、大だ。

が、もともと好奇心旺盛なアドマンなる性、
細大漏らさず、先輩方の一挙手一投足から目が離せない。

感心することも又、大なのであった。

そんな日中を終え、夜は、支持者との座談会に参加させて頂く。

いつもながら、オアシスなひとときであった。
今日は約20分ほどの近況報告の後、質問会という展開となり、赤裸々が、続出。

真剣に質問を伺い、誠実にお答えさせて頂く、まさに、真剣勝負。

その中で、わからないことに対して、
“その件、よくわかってないので、お調べの上ご報告させて頂いていいですか?”
と回答せざるを得ない場面があった。

期せずして、場内、大爆笑。
恥ずかしいけれど新人は、正直が、一番なのかもしれない。

質問というより要望が、後から後から相次いで、実に多くの宿題を頂いた。
明日もまた、忙しくなりそうだ。

1日を終えて。
庶民の皆様との赤裸々な関係、そして虚心坦懐のひと時を、どれだけ持てるか。

生活課題の、机上ではない、実像の解決の糸口は、必ずそこにある、
と、あらためて確信を深めた。

��写真は、砥部町中央公民館で見つけた砥部焼の、鶴)


2007-10-19

へこたれてる場合では、ない

午後、企業6社を訪問する。
日頃のご無沙汰を詫びつつも、各社とも温かくご面談頂く。

とある企業では、会長・社長自らご対応を頂き、お心こもるご教授を賜った。
人生の風雪に耐えた、にじみ出るお人柄に、ひれ伏すような感慨を覚えた。

戦後、すべてがリセットされた荒野から、こういう大先輩のご苦労があって、日本の今がある。
そういう感謝の思いとともに。

今の時代の困難を、今度は、私たちが拓いていかねばならない、という責任を痛切に感じた。
すなわち、約800兆円という借金をどのように決着していくか、という困難である。

世界の先頭を行く、超少子高齢社会の日本にあって、この困難を解決しない限り、
社会保障の問題も、様々な格差の問題も、根本的には解消できない、と思うのだ。

現実に、国も県も、答えを見出せていない。
そうした現実の中で、思う。

戦後の、焼け野原は、どうだったろう。
無数の、無名の、先輩たちは、どんな思いだったろう。

そう考えるとき、現実にへこたれてる場合ではない、と思うのだ。

大先輩方が岩盤に爪を立てる思いでやってのけた復興を、
次元は違うが、私たちは何としてもやり遂げなければならないのである。

そうした強い意志を、目の前のベテラン経営者から受け継ぐ思いで、拝聴をさせて頂いた。

末席にせよ、県政という、愛媛県の経営に携わる1人として、
こうした企業経営者の皆様との面談は、いつも、心と技術の両面から、貴重なヒントを頂ける。

地道に対話を重ねながら、県民に対する成果につなげてまいりたい、と思う。


2007-10-18

ありのまま、語りながら

19:00。
日頃、お世話になっている皆様との座談会に出席。

懐かしいお顔とともに、たくさんの新しい笑顔に包まれ、
私にとって十分すぎる、オアシスなひと時であった。

その中で、20分程度のお時間を頂き、お話をさせて頂いた。

県議会議員ってどんな仕事?
県議会って、どんなところ?

誰しも思う、そんな素朴な話題から始まり、
この間、取り組んできたこと、これから取り組もうとしていることを、
正直に、ありのまま、語らせて頂いた。

2つ、思った。

1つは、こうした場を頂けることへの感謝、だ。
政治は堅苦しい、難しい、敷居が高い、とよくいわれるが、これは、本来の逆、であろう。

政治は、生活の全方位をマターとするのであれば、
生活者に一番、身近な存在でなければならない、と思うのである。

政治がパフォーマンスに流れ、そうした努力を怠ってきたとすれば。

今こそ、私たち議員は猛省の上に、猛烈に、
こうした場を拡げていかなければならないであろう。

ゆえに、生活現場に飛び込み、膝を交えて、裃を脱いで、腹蔵なく対話を行う、
こうした場が、極めて重要で、決定的に有意義なのだ、と再認識をさせて頂いた。

もう1つは、責任の重さ、である。
生活者から共通して聞こえてくる悲鳴の最たるは、負担増の問題と、さまざまな格差問題。

なぜ、ということの説明と、一定のご理解を頂くことは、ある程度可能だ。
問題は、じゃあ、どうする、に対して、国も県も、答えを見出しきれないという現実にある。

それをするのが、政治の仕事でしょ。

これが、生活者の本音であろう。
そして、おそらく、国民全体の。

そのように、生活者の気持ちに寄り添ったとき、政治家の責任は、いや増して重い。
新人であっても、若造であっても、いいわけにはならないことを、痛感した。

参加者を笑顔で見送りながら、たくさんの激励の言葉を頂きながら。
初心を忘れず、原点を見失わず。

愚直に、自身の責任を果たしてまいりたい。
夜の帳、肌寒い帰り道に、あらためて、心に誓った。


2007-10-17

新居浜太鼓祭りと、DNA

葬儀参列のため、新居浜市を訪れた。

新居浜ICを下りたとたん、いつもと空気が違う。
それも、そのはず。

今がたけなわと、新居浜太鼓祭りの熱気が、町に満ちているのである。
今年は新居浜市制70周年を記念して、例年にも増しての盛り上がりという。

勇壮な掛け声とともに練る、太鼓台とかき夫が眩しい。
観衆として、じっくり堪能する時間がなかったのが残念だった。

一説によると。
この地域での太鼓台の起源は、平安あるいは鎌倉時代まで遡るといわれる。

約1,000年にもわたり受け継がれてきた、その歴史と伝統は、
おそらくこの地に暮らす方々の最大の誇りとして、
お1人お1人のDNAに、完全に組み込まれているのだろう。

そのあたりがいかほどかは、ご当地選出の石川県議のブログに詳しい。
��ご参照URL⇒ http://minoru14kawa.blog72.fc2.com/blog-date-200710.html )

さて、参列を終えて、松山に戻ると、いくつかの県民相談が待っていた。
対応を終えた後は、盲学校関係者と笹岡県議の打合せ会合に同行参加させて頂く。

とても勉強になった。
実際に見て知ることを、知見というが、まさに新たな知見を得た有意義なひと時であった。

その後、日頃お世話になっている方々と、多事争論。
膝を交えて深夜まで。爽やかに、疲れた。

思えば、統一地方選の公認発表から、1年が経ち。

わが人生史上、最も激動の、この1年は、新居浜市民の太鼓台DNAにも負けない、
私自身のDNAとして、しっかりと熱く刻み込まれた365日、であったといえる。

それは、支持者の皆様との誓い、というDNAだ。
原点を忘れず、熱く、精進してまいりたい。

��写真は、新居浜で見かけた勇壮な太鼓台)


2007-10-16

一人の味方、万人の味方

朝から夕方まで、県民相談に動く。

いくつかの成果報告に伺い、それぞれの方が喜んでくださった。
つくづく、議員活動のすべては、この瞬間のために、である。

そして、夕方から夜は、党務。
11月の活動を中心に、今後の流れをにらんだ打合せを行う。

各党とも、次期衆院選に向けて、水面の上も下も、動き出している。

その流れの中で、今日の国会中継において看過できない動きがあった。
またぞろ、ではある。

私たちは、そうした駆け引きや揺さぶりに、翻弄されない。

今なすべきことは、よそではない愛媛の、
県民なかんずく、庶民お1人お1人と、じっくり対話することだ。

社会保障や格差問題といったテーマが中心になるであろう、
そうした山積課題について、本音のやりとりを、誠実に、積み重ねていくことだ。

これしかない。
衆院選ありきではない、それは、その結果である。

長時間にわたる打合せは、戦いの呼吸を、全員で確認するひと時となった。

さて。

わが党愛媛県本部も、9月より、笹岡代表・豊田幹事長体制になり、
じわり、変化の空気を感じるようになった。

一般に、中心者が変わると組織は変わる、と言われる。
そして、組織には、変えてはいけないものと、変えなくてはいけないものが、ある。

さらに、一兵卒の私には、一兵卒の働きがある。
それは、1回1回、1人1人と、味方を作ることだ。

昨日、ブログにそうした思いを綴った通りである。
そして、

「一人の味方が、万人の味方になる。人間外交で勝て。」
今日、最も心に刺さった言葉なのである。

��写真は、県民の思いが一杯に詰まった相談ノート)

2007-10-15

誠実と、謙虚

朝から県民相談にて動く。

県民のご要望が1つでも叶い、2つでも前進させるために、
今日も様々な方に出会った。

何をしているかというと、交渉である。
政治家は、どんな場合にも、ネゴシエーター、なのだ。

そのお相手が、世間でいうところの、いわゆる偉い方ともなると、
新人議員としては正直、気後れしてしまいがちだ。

今日は、そんな場面があった。

ものすごく気を遣いながら話していたが、こちらの真意がどうも伝わらない。
途中から、思い切って、しかし誠実に、ぶっちゃけた。

伝わった。

ぶっちゃけてよかったかどうかは、わからない。
こちらが、伝わったと思っているだけかもしれない。

けれど、私の意図と思いは、体温くらいには熱く感じて頂けたと思うし、
相手が誰であれ、今の私には、これしかできない。

善処を確認することが、できた。
早速、相談者へご報告だ。

午後も、様々な方との交渉が続いた。
有り難い援軍が、1人、また1人と。

たくさんの皆様の理解とご協力に、心から感謝しながら、おかげさまを思う。

誠実と、謙虚。

県民お1人お1人のご要望を、真剣に受け止めて、
これが今、私ができる交渉のすべて、である。

��議会控室から見た夕日も、この日は有難く)


2007-10-14

対話のチカラ

これは・・・。

思わずハッとしたのは、
小林繁さんと、江川卓さんの、28年ぶりの会話シーン。

某日本酒メーカーのTV-CMだ。
��ご参照URL⇒ http://www.kizakura.co.jp/company/release/20071012.htm )

最近、最も印象に残った、いわば出来事、といっていい。

新聞広告も、秀逸だ。
こんな、キャッチコピー。

「一生、話しをすることはない、と思っていた。
一度でいいから話しをしたい、と思っていた。」

じゅうぶん、わかった。伝わった。
たった2行で、もう、メッセージは尽きているのである。

お二人といえば、知る人ぞ知る、元プロ野球選手であり、あの、空白の1日である。

たった1日で、ある意味、国民的スポーツコンテンツであったプロ野球に対して、
それまでのように純粋に、無邪気に、対峙できなくなった分水嶺、ともいえる、
私にとっても、大きな1日であった。

が、当事者のお二人は、その比ではない、想像を絶する、人生の分水嶺であったろう。
はたして今夜のTV番組で、江川氏は、当時を回想し、最後は言葉にならなかった。

私には、それで、じゅうぶんだった。

その後を分かつ1日が、世の中には、ある。
しかし、人間には、分かたれたものを、また新たに結ぶチカラが、ある。

対話のチカラ、である。

空白の1日を埋める、お二人の28年ぶりの邂逅に、拍手を送るとともに。

眼前の政治課題の解決を模索する毎日にあって、私も。
真心の対話で、人と人をしっかりと結ぶ、そういう議員に成長したい、と決意する。

2007-10-13

なるほど、道理

本年のノーベル平和賞に、アル・ゴア前アメリカ副大統領が決定した。
久々の明るい国際ニュースであり、まずは、満腔からの敬意を表したい。

受賞理由は、地球温暖化問題の深刻を、全世界の共通認識に引き上げた点といえよう。

ゴア氏は、その受賞声明で
「地球の真の危機に直面した今、この問題は全人類にとっての道徳的・精神的課題だ」
とし、賞金約1億8,000万円は全て寄付するという。

私は、本棚から、氏の「不都合な真実」を取り出し、久しぶりに読み返してみた。

あらためて思うのは、人生の道理についてであった。

彼の、政治家を志す気持ちの芽生えは、上院議員の父君へのリスペクトからであり、
環境問題への蒙を啓いたのは、大学時代の恩師・レヴェル教授との出会いにあり。

それを、政治家としての自身の、最重要のライフワークと決めたのは、
息子さんの瀕死の事故と、そこからの奇跡的な生還、という究極の体験を通してである。

私なりの解釈だが、彼は、有限の中に無限の喜びを見出したのだと思う。

限られた人生の中で、本当に大事なものは何か。
政治家として、自身唯一に由来する最も重要なテーマは何なのか。

世界と人類の現在と永遠に対して貢献する、そのテーマこそ、環境問題である、
と自覚したとき、彼はその後の人生に迷うことはなくなったという。

なるほど人生というものは。

歩む人それぞれに、また時々に、理由があり、やがてそれぞれの道になるのだ。
なるほど、道理で・・・。そう、思った。

ゴア氏が、ノーベル平和賞を受賞したというのは、彼の人生を振り返ると必然であったし、
仮に受賞がなかったとしても、彼の道理に対する賞賛は些かも色褪せるものではない。

さあ、ここからは、私たちの番である。
もはや、目は啓かれた。

今、目の前にある危機に対して、どのように立ち向かうのか。
私たちの子孫のために、地球の未来のために。

NO IMAGINATION,NO LIFE。

地球温暖化の当事者として、人類の一員として、
しっかりと決意し、行動に代えてまいりたい。

2007-10-12

想定外、発見多数

午後、議会にて事務に専念。
あっという間に、半日は過ぎ、夜は、県民相談に動く。

さて。
最近、議員図書館へ行くのが、ちょっとした楽しみになっている。

書店では新刊本は入手できるが、古いものやレアな地元ものとなると、難しい。
その点、議員図書館には、想定外の発見があるのである。

今日は、某大先輩議員の若かりし頃の著作を発見。
一気に読み終えた。

今の私と同じような年齢で、まさに議員として駆け出しの頃の著作である。

青雲の志が詰まっていた。
行動果敢の足跡が記されていた。

僭越ではあるが、めざすビジョンにも共感するところ大、であり、
それはいわゆる、ステイオンマーケティング、というべきか。

自分自身、まだ遠く及ばないことを痛感させられながらも、大いに触発される。

先日は、白石元知事の著作と当時の議会答弁、県紙抗争ルポに、目を通した。
意欲みなぎる、県庁職員有志による自主研究レポートも、拝見した。

空き時間、待ち時間に、サササッ、ではあるが。

まだまだ、知りたい、知らねばならぬ、本県の歴史と系譜が、ここには詰まっている。
現在、山積する行政課題の要因も、将来に向けた突破口となるヒントも、然りであろう。

過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ。
とは、先哲。

時間の許す限り、コツコツと。
因果のはざまで、現在の県民生活向上に資する知見を拡げていきたいと思う。

2007-10-11

亀田選手に、学ぶ

政治の世界にいると。

どうも、頑迷というか、痛いというか、何というか。
思わずため息が出そうな場面に出くわすことがある。

その時は、にっこりと、笑顔で受け入れるしかない。
ともかく、そういうことがあった1日。

さて。
今日行われた、ボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ。

チャンピオンの内藤大助選手が、あの亀田大毅選手に
大差の判定勝ちをおさめ、見事初防衛を果たした。

日本のジム所属選手の、最年長記録でもある。

興行、つまりビジネスであるわけだから、
事前の話題作りから両者のキャラクター演出など、その計算は緻密だ。

感心しながら、私も、今日の試合を楽しみにしていた。

はたして。

キャリアの違いが歴然の試合結果であった。
若さとはいえ、亀田選手の、あのあるまじき無謀は、残念だった。

明日以降、どのメディアも似たような論調で、亀田選手の無謀を批判するだろうが、
若く豊かな才能に対し、ゆめ、切腹云々などの過激バッシングに走らないでほしい、と思う。

一方の内藤選手。
苦労の末、頂点を極めた男の、その一連の言動と実力には、本当に感服する。
素晴らしい、の一言に尽きる。

両者のファイトを観ながら、これからさらに精進して、新たな感動を見せて欲しい、と思う。
とともに、自分のファイトについて考えた。

政治の頑迷との戦いは、若さが出ると負けるよ。
タイムリーにも、亀田選手に教えてもらったような気がする。

��写真は、本文とは無関係、の堀端に沈む夕日のシルエット)


2007-10-10

緊張と、冷や汗と

朝から夕方まで、目一杯の県民相談。

個人情報や守秘義務などから触れられないが、クタクタとなる。
神経が磨り減る、という表現がピタリ、当てはまりそうだ。

夜は、党の支部会合に参加。
中心者が公務にて不在のため、代理で進めさせて頂いたわけだが、
自身、慣れない進行に、緊張の連続であった。

その後半のお時間、30分強を頂き、ミニ県政報告会とさせて頂いた。
これまた初体験とあって、冷や汗の連続であった。

ご報告させて頂いたのは、9月県議会の議案・請願採決における、
わが会派および私自身の意思決定の経緯に関するご説明である。

今議会は、難しい判断を迫られる場面が特に多かった、と思う。
とりわけ、
県警配転国賠訴訟控訴の議案、教科書検定意見撤回の請願、への対応。

実際、新聞報道だけでは、誤解を招きかねないと懸念していたのだが、
まさに時機を得たところで、じっくりと、お話をさせて頂いた。

委員会での丁々発止のやりとり、議会運営のしくみと意思決定メカニズム、
プラス余談を交えながらの内容に、皆様の表情は一様に、新鮮な驚きを見せていた。

何しろ、私自身、1年生議員として約半年。

初めて見聞きすることばかりを、是々非々ともに、驚きをもってお伝えしているのだから、
当然といえば当然なのかもしれない。

時に、行政の旧態依然に対する怒りや、県民本位にはまだまだ遠い現実への不満を浮かべる、
そうした皆様のお気持ちは、絶対に忘れてはならない1コマとして、しっかりと心に焼きつけた。

その他、松山盲学校移転・統合の件、防衛議員連盟の件等についてもご説明し、
党員の皆様からの各種のご要望も承り、支部会合は終了となった。

緊張と、冷や汗と。
朝から夜まで、気の抜けない1日は、実に多くのことを学ばせて頂いた1日となる。

もっと、もっと、想像力。
レントゲンのように、人の痛みや苦しみに気づき、汲み取れる、そういう力を、身につけたいと思う。

毎日の、様々な方との、出会いの中から、1つづつ。

��写真は、議会控室から見える松山城二の丸)

2007-10-09

今治西高、国体優勝

迷わず、母校の話題を1つ。

第62回国民体育大会「秋田わか杉国体」最終日の今日、その高校野球硬式において、
わが愛媛の今治西高校が、見事、26年ぶり2度目の優勝を飾ったというのである。
��ご参照URL⇒ http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20071009/news20071009854.html )

準決勝で、夏の甲子園優勝校の佐賀北を8-5で下し、
決勝で、同じく準優勝校の広陵高校を2-1のサヨナラで下し、
という、これ以上ない有終の美を飾ることとなった。

後輩のみなさん、おめでとう!
心から、拍手を送りたい。

さて。

考えてみると、今年のチーム、因縁というか、めぐり合わせというか。
26年ぶりの夏の甲子園ベスト8といい、26年ぶりの秋の国体優勝といい。

その26年前というのは、私たちの代なのである。
��但し、私は柔道部であったが。今の在校3年生と同じ気持ち、という意味で。)

まったく同じ軌跡を歩むとは、なんて不思議。

あの時もそうだったが、秋の国体優勝はベタ記事であった。
ヤクルトで活躍した早実の荒木投手を決勝で破ったにも関わらず。

26年も経つと、そうしたマスコミの扱いの違いも、受け取る世の中のニュアンスも、
多少、理解できるようになるわけだが。

とはいえ、後輩たちの快挙に、ひとり快哉を叫びながら。

この26年がそんな昔に思えない今、
これからの26年もそんなに遠くないのかも、と思う。

寿命あればそのとき、私は、ほぼ70歳。
え゛ぇ-、である。

急に、少年老いやすく学なりがたし、との言が心に浮かび、しみる。
先哲も、そうだったかは知らないけれど。

私自身、くれぐれも、
老いやすさに注意、学べずに終わることに要注意、なのである。

��写真は、母校の校章)


2007-10-08

オレンジ色のコスモス

午前、思いがけないメールが届く。
山本ひろし参議院議員からの、激励であった。

この3連休を休まず中四国を廻られながら、
その合間に、電車の中から、と思うと恐縮の極みである。

すかさずお返事を送信して、今日の、私の現場へと向かう。

1本のお電話を頂き、ある現場を見て欲しい、とのこと。
行き先は、おなじみ、久万高原町である。

現場は険しく、河川のかなりの上流に位置する。
奥深い山道の草むらをかき分けながら、岩苔に足をとられないよう、注意深く進む。

事情をしっかりと伺い、ご要望をお預かりした。
しかしながら、この、お預かりするということは、とても重たいことなのである。

要望が実現できれば何も問題ない。
エブリワン ハッピー、だ。

が、全部が全部、実現できるとは限らないのであって。
問題は、実現できない場合、だ。

なぜ、できないのか、という説明責任、また次善策、もしくは善処の見通し、を示し、
了承を頂いて初めて、お預かりしたものをお返しできたといえるのであろう。

そこの難しさを、思う。
と同時に、知見の必要を痛感する。

今の私は、専門的な話になると、頭の中は虫食い状態で、主旨を把握するのに精一杯だからだ。

国語の文章問題などで、キーワードの囲みに、適切な言葉を当てはめるように。
文脈と要点を掴まえて、それから調べる、その繰り返し。

テストなら試験範囲というものがあるが、生活には、課題の範囲は、ない。
ならば、議員でいる間は、どれだけ勉強しても、卒業というものはないのかもしれない。

連日、様々な方からご相談を頂きながら、体当たりの日々が続く。
しんどいと感じるとき、それは訓練だから、と思う。

だから、がむしゃらに、と思った。
厳しい訓練を乗り越えて、本当の意味で、皆様の確かなお力になれるように。

と、そよ風に揺れるオレンジ色のコスモスたちが、
ちょこっと、肩に力の入りがちな私を見透かすように、

自然体でね、
と、釘を刺すように、ニッコリささやいて見えた。


2007-10-07

友あり、高松より来たる

「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。」
とは、論語の一説。

まさに、久しぶり。
遠方より、ようこそ。

再会したのは、高松時代の友人と、そのご家族。
国立ロシア美術館展を鑑賞しに来られたのだそうだ。

連絡を受け、食事をしながら、また、楽しからずや、な、ひとときとなった。

思えば、最初に彼と出会ったのは、今から約15年前。

お互い若く、ともに、とんがっていた20代の私たちは、よく衝突した。
仕事も、性格も、考え方も、ほとんど180°違うのだから、当然だ。

それが最後には、また今でも、私にとって最も信頼のおける、
かけがえのない大切な友人の一人となるのだから、人生は面白い。

そんな当時の思い出の1コマ1コマを手繰り寄せながら、
すっかり忘れてしまったエピソードも蘇りながら、話は尽きず止まらず。

お子さんも、ずいぶん大きくなった。
奥様もお変わりなく。
平凡ではあるけれども、ご家族の安穏の雰囲気に、安堵が広がる思いがした。

夜も更け、再会の時間はあっという間に、過ぎた。
そして、高松での再会を約しながら、散会となった。

その彼は、今、ある病と闘っている。
驚いたし、とても心配しているが、同時に、彼なら必ず立ち直れると確信している。

じっくりと、とはいえ、1日も早い全快を心より祈りながら、
街灯りに手を振るご家族と照れくさそうな彼を、最後までお見送りする。

��写真は、青春が詰まった大切なバッジ)


2007-10-06

遥かなり、久万高原町

涼やかなる時期なのに、なお汗ばむ暑い1日。

朝から夕方まで、久万高原町を走る。
森を抜け、木漏れ日を浴び、すっかり脳内は、アルファ波全開状態。

地図を片手に訪れたのは、日頃、献身的にお支えを頂いている党員宅15軒。
お会いしたのは、60代から90代の方々である。

いつもお世話になり、ありがとうございます。
お変わりありませんか?
いい日和ですね。

皆様ともに、最高の笑顔で出迎えてくださる。

日頃の、真心からのお支えに心からの感謝を述べながら、
何にもまして、それぞれお元気なご様子を、たいへん嬉しく感じた。

陽だまりの縁側に腰掛けながら、ゆったりとした時間が流れる。

何か心配なことなどありませんか?
と伺うと、どのお宅でも、異口同音に答が返ってきた。

それは、この町から、どんどん人が減っていくことです、と。

医療の不便、年金や介護生活の不安など、ご自身のこともあるはずなのに、
そのことよりも、自分たちの町の将来が心配だ、という皆様のお気持ちを考えると。

少子高齢プラス過疎、という課題解決の難しさに、怯む気持ちを振り払いながら、
政治がこの問題に死に物狂いで取り組まないで、いったい何を取り組むのか、
そんな強い使命感が、ふつふつと込み上げてきた。

ふとメーターを見ると、今日1日の走行距離は150km。
ということは、1軒あたりの移動距離、約10kmである。
あらためて、遥かなり、久万高原町。

1日に150kmも走れてしまう、愛媛で一番、広い町を走りながら。
お1人お1人の笑顔と会話を、脳裏に刻みながら。

上勝町の葉っぱ、ならぬ、久万高原町の何か、に思いをめぐらせた1日となった。


2007-10-05

9月議会、閉会

今日は、9月議会の最終日。

補正予算案を含む33議案について採択が行われ、
24議案が原案可決し、請願9議案が不採択となる。

すべて常任委員会の決定の通りである。

9/20のブログにも書いたが、
議案個々に対して必ず下さねばならない政治判断の厳しさと難しさ、
そして、説明責任の重要性というものを、今議会では痛感させられた。

今、お1人お1人を訪ねて、じっくりと対話を重ねさせて頂いている。
承る1つ1つのご要望に対して、しっかりと取り組んでまいりたい、と思う。

午後は、県民相談にて市内を走る。
お伺いした1つ1つに対して、お力になれるよう知恵を絞ってまいりたい。

本当に、1つ1つなのだ、と実感する。

庶民の声を代弁し、実現するためには、たくさんの理解と協力を、まさに勝ち取らねばならない。
それが議案であれば、可決させなければならない。

よく言われる、政治は数であり、現実であり、そこが難しいところ、といえる。

そのような魑魅魍魎の世界の中で、庶民の声を実現するために、私のなすべきこと。
それは、知見と見識と人間力を磨いていくこと、そして味方を作り拡げていくこと、であろう。

閉会の日に。
1つ1つ、そのための努力を惜しまない日々を勝ち取ってまいりたい、と思う。


2007-10-04

茹でガエル、にならない

県民相談対応と、党務と、企業訪問の1日。

とある企業の役員の方と面談の際、ふと考えた。
ぬるま湯と茹でガエル、についてである。

民間企業に、保障というものはない。
どんな企業も、維持すべき売上と利益が得られなくなれば、倒産だ。

雇用についても、しかりであろう。

だから、1日1日、真剣勝負だ。
生活のかかった、シビアな毎日闘争である。

翻って、政治家はどうか。
ある意味で、1度当選すると、4年なら4年の間、生活が保障される。

そうしたことが、ぬるま湯、になってはいないか。
次の保障がないことを、忘れてはいないか。
そんな指摘が、昔から、よく聞かれる。

私は。

政治も政治家も、これから先は、ぬるま湯ではいられない、いられるわけがない、
間違いなく、そういう時代に入ったことを、強く、感じている。

ぬるま湯と感じた瞬間に飛び出さないと、茹でガエルになるのだ。

その意味で、まさに任期中は、真剣勝負。
そして、勝負を決するのは、成果である、と思う。

成果というのは、支持してくださる方々の、期待成果に他ならない。

結果として利益を出せなくなった企業が、自然と淘汰されるように、
成果を示せない政治家は、ごく当たり前に、その支持を失うであろう。

県民は、細大漏らさず見ているのだ。
そう思うと、手抜きなどできようもない。

話を戻して。

真剣勝負のビジネスに生きる、その方の立ち居振る舞いと会話の中で、
背筋がピシッとするような、有り難い、大切な何かを教えて頂いた気がする。

明日は、本会議の閉会日。
次の戦いへのスタートである。

��平和通りから見上げた午後5時の空)


2007-10-03

アイヤ岬の嵐、に唸る

公務を終え、堀之内を歩く。
但し、ウォーキングではなく。

お目当ての、「国立ロシア美術館展」の鑑賞のため、である。

開催初日とあって、会場である県美術館は、来場者が引きも切らない盛況ぶりだ。
作品の前の人だかりの邪魔にならないよう、じっくり鑑賞する。

おおおおぉ。

いくら美術に不勉強な私でも、目の前の1つ1つの作品に対峙して、
それらが、いかに力があり価値があるか、十分すぎるほどに理解できた。

その中で。

何といっても圧巻は、イヴァン・アイヴォゾフスキー作、「アイヤ岬の嵐」。

海の難所であるクリミア半島のアイヤ岬にて座礁し、
荒れ狂う嵐の海、脱出する乗組員たち、難破船で最後まで戦う青年。

襲いかかる凄まじい自然の驚異に、決然と戦いを挑む人間たち。
そのドラマを通して、希望を失わない人間の強さと逞しさ、が胸に迫ってくる。

見る者に、汲めども尽きぬ勇気を与えてくれる、まさに偉大な作品、だ。

一巡しながら。

時系列を追っかけていくと、作風が次第に変化していくのがわかる。
古典主義からロマン主義、リアリズムへ。

日本でいうと、江戸時代から昭和のはじめまでの長きにわたる、
激動の、ロシアの息づかいが伝わってくる。

同展では、国立ロシア美術館に所蔵される約40万点のコレクションの内、
ロシアの黄金時代といわれる18~20世紀の、厳選された作品101点を紹介。

初めて日本に持ち込まれた作品ばかりであり、その邂逅は正に希少価値である。

鑑賞を終えて、会場を後にしながら。
ふと、道端に落ちた銀杏に足が止まったのは、自身の感性が刺激されたからか。

芸術の秋。
ぜひ、皆様にも、心の保養に訪れられることをお奨めしたい、と思う。


2007-10-02

やってみなんだら、分からんでないか

久々に、個人的に、衝撃の1冊。
驚きあり、涙あり、そして、笑いあり、感動あり。

その本のタイトルは、「そうだ、葉っぱを売ろう!」
��横石知二著/ソフトバンククリエイティブ)である。

私が最近読んだ本の中で、断トツのイチオシ、である。

サブタイトルに、 “過疎の町、どん底からの再生”とあるように、
わが町こそ、どん底と思っている皆様に、ぜひ、ご一読をお奨めしたい。

舞台は、徳島県勝浦郡上勝町。
人口2,000人あまりの、四国で一番小さな町。

2002年あたりからマスコミが取り上げ始め、知ってる人は知っている、有名な町ではある。

私も、感慨深い。
選挙期間中、行く先々で上勝町を引き合いに出し、お訴えをさせて頂いたからだ。

高齢化と過疎化に苦しむ地域にあって、この疲弊を乗り越えるヒントとして。
少子化も、財政難も、医療も、福祉も、必ずクリアできることのお手本として。

上勝町にできて、愛媛にできないはずがない。
地域の再生は必ずできるし、やりましょう、と。

今でも、その思いはいささかも変わらない。

さて、その地域再生の一部始終を描いた、この本は。

よそから来た一人の青年が、地元住民のネガティブな気持ちを変え、
絆と葉っぱビジネスの創出を通して、仕事を変え、町を変え、
そして歴史を変えた、ドキュメントである。

至るところ、感動だらけで、あっという間に、付箋だらけとなってしまった。

本当にお奨めしたいので、あえて詳細には触れない。
事実が、すべてを物語ってくれている。

それは、例えば。

Iターン・Uターンで、移住者が増え、人口が増えている事実。
若者が戻り、高齢化に歯止めがかかった事実。

高齢者が元気で、老人ホームが廃止となった事実。
高齢者が健康のため、医療費が抑制された事実。

他にも、このような事実がいっぱい。
少し前まで、高齢化率48%の限界集落の過疎地が、である。

著者は、言う。
“やってみなんだら、分からんでないか”。

全くその通り、なのである。
勇み、自身の行動に代えてまいりたい、と思う。


2007-10-01

みかんを、まじめに考えた

16:00、リジェール松山での会合に出席。

「果樹生産者、農協関係者、県農林水産部と
愛媛県議会果樹農業振興議員連盟との意見交換会」
と、長いタイトル名の会合である。

要は。

愛媛の基幹産業である、みかんを中心とした果樹農業を、重要な政治課題として認識し、
生産者と組合と役所と議員が、今後それぞれの立場から振興に向けた取り組みを行う、
そういうことを確認する会議、であったかと思う。

出席した県議は、39名。
その内、32名が自民党議員で、さながら、自民党部会に紛れん込んだ感あり、緊張する。

さて、会議の内容だが。

JAサイドより、最初に、県内農業・かんきつ生産状況についてのレクチャーがあり、
続いて、今年度のかんきつ生産・販売状況について説明があった。

果樹農業経営を取り巻く環境と将来の見通しが、非常に厳しいことを痛感する。

それを受ける形で、県サイドより、果樹農業振興についての説明があった。
いわゆるリバイタル・プランである。

目下の財政難の状況で、厳しくとも果たさねばならない、基幹産業の復興。

私も、果樹農業振興議員連盟の一員として、
そもそも、みかん農家に生まれ育った感謝の意味からも、

本県の果樹農業が元気を取り戻し、明るい展望が拓けるよう、
微力ながら尽力してまいりたい、と決意する。

すっかり秋めいて、今日から、10月。
衣替えとともに、気持ちも新たに入れ替えて、臨みたい。