2007-09-30

折り返し、と振り返り

今日は9月の最終日。
年度の折り返しの日、である。

私自身を振り返ると。

4月の統一選に始まり、5月は関係者へのご挨拶まわりに明け暮れ、
6月は初議会・初質問・初委員会など、すべての初ものづくしに緊張し。

7月は参院選、8月は町議選と、こちらも初めての党務に終始戸惑い、
9月ただ今は、2回目の議会・質問・委員会を経験させて頂いている。

人生の新たなステージを駆け出した、あっという間の半年であった、と感慨深い。
新人議員としては、当然のことながら、この間の失敗は山ほどあって。

思い出すのも恥ずかしいこと、情けないこと、悔しいこと、いっぱいだ。
人間としての未熟を、いやというほど思い知らされる日々の連続である。

これらをすべて糧にして、自身の成長に繋げていきたいと思う。

さて。

昨日、私が大変お世話になった方がお亡くなりになった。
そして今夜、お通夜に参列し、心からのご冥福をお祈りさせて頂いた。

その方は、お会いするといつも戦時中のことを語ってくれた。
戦争に対する怒りと悲しみと、それ以上に不戦への決意と。

安らかな眠りについた笑顔を拝しながら、感謝の気持ちとともに、
そのご遺志を、しっかりと受け継いでいくことを心からお誓いした。

明日から10月。
後半戦の始まり。

初心を貫きながら、心新たに、自身との戦いに徹してまいりたい。

��写真は、支持者のお宅に見つけた彼岸花)


2007-09-29

ピュアに交われば

どんよりとした秋冷の本日は、娘の運動会の日であった。
関係者へのご挨拶を兼ね、寸刻、出席する。

心が洗われる、そんなひと時であった。

4歳~6歳の子どもたちの、無邪気に踊り、歌い、走る姿は、
この上もなく愛らしく、もう、無条件に、社会の宝もの、と思う。

階上から運動場を見下ろすと、さながら、宝石箱のようだ。

何色にも染まらず、疑わず。
純粋で、澄み切った、その瞳と、心。

どこかのCMではないが、その価値、プライスレス。

惜しむらくは、全世界の子どもたちに、等しくこの光景を、と思う。

時を同じくして、生死の狭間で生きることを強いられる子どもたちがいる。
そういう現実に思いを馳せると、言いようのないやるせなさが込み上げる。

眼前の賑やかさに、そう思ったのは、私だけだったろうか。
ふと、子どもたちを前に、何かスピーチするなら、と考えた。

“おじさんは、議員というお仕事をしています。

それは、できるだけ困ったことが起きないように、いろんなことからみんなを守り、
できるだけみんなの願いが適うように、お手伝いをするお仕事です。

そして、みんなが大きくなったときに、愛媛に生まれて育ってよかった、ありがとう、
そういうふうに言ってもらえるように、そのために今できることをがんばるお仕事です。

おじさんが今日、お話したことは、みんな大きくなったら忘れているかもしれません。
でも、みんなが大きくなったら、きっと今のおじさんと同じ気持ちになると思います。

20年後と、30年後と、その先は、
愛媛のことも、日本のことも、世界のことだって、
まぎれもなく、みんなが担っているのですから。

ちょっと早いけど、そのときのみんなに、おじさんは、宜しくお願いします、と言っておきます。

そして、今日、一生懸命がんばってくれたみんなに、心からありがとう、
と、この運動場よりもいっぱいの感謝の気持ちをお伝えして、おじさんのお話を終わります。”

気恥ずかしくも、こんな感じか。

ピュアに交われば、ピュアになるのである。
政治という日常の中で、本当に、心が洗われた1日であった。


2007-09-28

理事者の気持ち、を思う

10:00より、常任委員会が開催される。
昨日に引き続き、活発な質疑となった。

私の質問は、非常にかいつまんでいうと、以下の3点である。

小児救急医療電話相談事業については、
取り巻く諸般の状況の中では有用な取り組みと評価するが、
電話アドバイスの結果、相談側に万一があった場合、
責任の所在はどこに帰すのか、そして、どのように対応するつもりか。

総合保健福祉センターについては、
ソフト面における機能充実の検討の中に、ぜひスタッフ派遣機能を加えて欲しい。

市立宇和島病院について、共同監査の現状と見通しがわかれば示してほしい。
と、いう内容であった。

それぞれに答弁があり、私を含む6名の議員が、それぞれに質問を行うわけで、
かくして、時間はあっという間に経過するのである。

ふと。
理事者、つまり県職員の気持ちを推量してみた。

通常、委員会には20~30人の部局関係者が出席されるのであるが、
それぞれの手元には分厚いファイルが準備されており、

各委員、つまり、議員のどんな質問にも答えられるように、
神経を研ぎ澄まして、心の準備を行っているのである。

質問のたびに、サクっと情報を引き出してくるのは、いつも見事と思うが、
今日は、ある委員の質問に、一瞬、理事者が答弁に窮するという場面があった。

私にとって初めて見る光景だったが、そこは部長が引き取り、
無難に答弁をまとめられたのは、誠に見事であった。

話を元に戻すと、理事者の気持ちである。

議員にとって、議会はまさしく、論戦、つまり、戦いの場なのであるが、
理事者にとっても又、ここは戦場なのだ、いや、この委員会こそ主戦場なのだな、
そうに違いない、ということを感じたのである。

すべては県民のために、という目的をきちんと共有して、議員も、理事者も。
いい意味での緊張感を保ちながら、質の高い論戦を取り組まねばならない。

そして、私も、そうした論戦の力を身につけねばならない、
訪問先の窓から見える松山城を見ながら、ふと我に返り、思った。

2007-09-27

もっと、もっと

10:00より常任委員会。
私の所属は、環境保健福祉委員会である。

となりの委員会が午前中で終わったのに対し、われわれの終了は15:00。
白石委員長も記憶にないと言われるほどの、長丁場であった。

白熱の4時間の内容は、明日の地元紙に譲るが、
新人の私にしてみれば、最高のOJTである。

先輩議員の議案審査の厚みといい、
委員長の仕切りの切れ味といい、
あるいは、各理事者の情報の引き出し能力といい。

論の是非は別にしても、さすが、というしかないし、
なるほど、がいっぱいなのである。

認識せずして評価なし、ではないけれど、
所管する環境行政や保健福祉行政のしくみが、少しづつ見えてくる。

もっと、もっと、もっと知りたい。
他の委員会に対しても、できる限り、傍聴をしようと思う。

その上で、私の付加価値をどのようにカタチにしていくか、
それこそ、議員として私に与えられた義務であり、今は訓練でもあろう。

明日も10:00から。
連日の、白熱の予感。

クタクタの後、夜は久万高原町を訪れる。
党員の皆様との、感謝のひととき。

中秋の名月に、鈴虫の鳴き声が相まって、風流を奏でていた。


2007-09-26

満ちも欠けも、しない

今日は、一般質問の最終日。
自民、民主の2会派、4名の登壇となる。

傍聴席いっぱいの支持者に見守られながら、
それぞれの立場からの論陣を展開された。

際立つ個性とともに、各位の生き様が見えてくる気がした。

さて、一般質問を振り返り、数えてみた。

最も多かったのは、「医療」関連である。
まさしく、県下全域にわたって深刻であることの、証左といえよう。

解決への思索を止めてはならない、と肝に銘じる。

15:00本会議終了後、県民相談への対応に動く。
先般お預かりした、事故多発国道の改修措置が正式に決定し、依頼者へご報告。

素早い国の反応に、いい意味で驚きながら。
決して、新聞のスクープ記事にはならないけれど。

こうした1つ1つの積み重ねが、必ず政治の信頼回復につながると確信する。

落ち着くまもなく、新たなご要望を2つお預かりし、さらに動く。
そして、夜は、明日の常任委員会に向けた質問の準備を、念入りに行う。

それにしても。
1つ1つ知見が広がるほどに、政治の責任の重さを、思い知らされる。

県民生活における課題は、医療のほか、教育、福祉、土木、防災、治安、環境など、
あれもこれもというほどに、様々な形をして、待ったなしで、私たちの目の前に現れる。

夜空を見上げると。
欠けて満ちて、今日は、満月。

といっても、地球から見ると、である。
本当は、月は、満ちも欠けもしない。

なるほど。

生活課題は、行政から見ると縦割りだが、
1人の人間から見ると、生活そのものであり、全体なのだ。

そこの視点にきちんと立てるかどうか、
地方政治も新内閣も、今、試されている。

2007-09-25

2回目の、登壇

連休明けの今日の本会議は、一般質問の日。
私にとって、2回目の登壇の日となった。

参院選、町議選、と携わる中、前回以上にタイトなスケジュールであったが、
たくさんの支持者の皆様のおかげで、取り上げるべきテーマには事欠かない。

30分という制約の中で、今回の質問は大きく分けて、
県民の生命に関わるテーマが2つ、
お寄せ頂いたご相談の中から2つ、取り上げさせて頂いた。
詳細は、明日の地元紙をご参照頂きたく。

ともかくも、当事者に成り代わる思いで、大感情を込めて、お訴えする。

質問の視点・角度など、まだまだ、拙さとぎこちなさを自覚する一方で、
新人議員の中で、早くも2回目の質問に立たせて頂く有難さに、感謝しながら。

議会質問の成果は、それがどれだけ実現されたか、であり、
最終的に、県民の皆様の生活満足に繋がって初めて評価される、といえよう。

頂いた答弁をしっかりと検証し、次の委員会に向けて準備してまいりたい。

さて。
散会後、何人かの方から、声をかけて頂いた。

“あいかわらず、お辞儀が深いね。”
“消える魔球ならぬ、演壇から消える頭、だね。”

有難い激励である。
本当は、質問の中身について聞いて欲しいのだけれど。
お辞儀が深くなる理由は、話せば長くなるのだけれど。

されば、議員でいる限り、腰が曲がる限り、初心を忘れない限り。
私は、消える頭の、木村ほまれを貫いてまいりたい、と思う。


2007-09-24

いと、をかし、な世界

今日、生まれて初めて、狂言というものを鑑賞した。
市民会館にて行われた、第31回松山市民狂言会、である。

日頃、お世話になっている方の晴れ舞台を楽しみに、駆けつけた。
3F小ホールではあったが、超満員。

いわゆる、大入袋、状態である。

さても、狂言五番。
翻訳すると、本日の演目は5つ。

その中の「文相撲」という演目に、その方は出られていた。

30分弱の熱演に、感想は、ひとこと。
いと、をかし、である。

狂言が、こんなに面白いものだとは思いもよらなかった。

まさに、をかしの世界であり、
私流にいうと、知的情緒が刺激される直感的愉快、なのである。

いわゆる古典芸能ということから、狂言というのは何か堅苦しいもの、と思い込んでいた、
あるいは、接点さえなく、全く興味の対象外であったことは、まさにモッタイナイことであった。

考えてみると。

自分自身、日本に生まれ、日本人として育ったものの、
自国の文化に対する知覚はどれだけあるだろう。

と思うとともに、
愛媛に居ながら、わが県の文化についてどれくらい理解しているだろう。

そう思うと、
もっと愛媛を知りたい、もっと知らねば、と渇仰してやまない気持ちとなる。

これからは、機会を見つけて、積極的に、愛媛の文化に触れてまいりたい。
��ご参照URL⇒ http://www.e-cul.net/index.php )

狂言的にいうと、「参りまする、参りまする~」である。

2007-09-23

逆さまに、考える

離島から始まる、日本再生。
ムムム、とページをめくる。

気になる特集タイトルは、日経ビジネス9.24号。
4つの島での、起死回生の取り組みのルポである。

島根県海士町の中ノ島。
岡山県笠岡市の笠岡諸島。
愛知県一色町の佐久島。
大分県姫島村の姫島。

ズシン、と読みごたえのある中身であった。
多くの島嶼部を抱える本県にとって、十分、示唆を得ることができる。

これらの島々の、成功例、正確にいうと成功しつつある事例は、
私なりに解釈すると、共通点が、3つある。

1つめは、危機感と情熱を持った最初の1人または有志から出発していること。

2つめは、彼らは、地域固有の強みを核とした新たなビジネスを試みていること。

3つめは、最初は受動・傍観のサイレントマジョリティに、やがて触発と共感と協働が起きていること。

機会を見つけ、ぜひ視察してみたいところである。
島嶼部自治体各位におかれても、かの地域について、ぜひベンチマークされることをおすすめしたい。

さて、記事の中で、印象に残ったのは、中ノ島の山内町長の談。
その応接室の壁には、南北を逆さまにした、日本地図が張られているのである。

こうしてみると、日本自体が中国大陸の離島であることが、よくわかり、
勇気がわいてくるのだ、とのこと。

たしかに、である。
離島に、弱気も引け目も、不要なのだ。

そして、町長は言う。

「日本が直面する問題を離島は先取りしている。
ここで見出した解が、全国で生かされる時が来る。」

私も、完全に同意するのである。

2007-09-22

キルケゴールの示唆

終日、党務。
種々の打合せと、研鑽を、行う。

その中で、特に、心に残ったのが、
デンマークの哲学者、キルケゴール。

彼は、
実存主義の創始者であり、死に至る病などの著作でも有名だが、
世界中で最も多量のインクを使った人、としても有名だ。

その幼い頃から、42歳で亡くなるまで、日記を綴り続けた人。

長じてからは、自宅の各部屋にインクとペンを用意し、
考えが浮かぶとひたすら書き続けたという、
まさに、生涯思索した人、である。

そんな彼の金言に、心が留まる。

「人が信念を自分自身の生を通じて、行為の上で現すとき、
これが信念をもっていることの唯一の真の証明ではないだろうか?」

信念は、口先ではわからない。
行為として現れてはじめて、信念といえるのだ。

その通り。

「確かに、機先を制することはそれだけでも偉大な勝利である。
しかし同時に、まさに初心を忘れないように行動することが重要である。」

「初めはとてもすばらしくても、その次の瞬間には、まずもって役に立つどころか、
邪魔になるような場合ほど、人間にとって破滅的なものは何もないであろう。」

初心を忘れずに進み続ける。
忘れたものの行き着く先は、破滅である。

あまりにも深い示唆に富んだ言葉であり、まさに、金色の言葉だ。

議員として。
自身の初心である信念を、行為として見えるものにしていく。

まさに、その通り。
決意も新たに、前進あるのみだ。


2007-09-21

変化の兆し、か

今日から一般質問となる。
自民・民主・社民護憲連合の3会派、4名が登壇。

微妙な空気を感じ取った。
議会の中に、通常とは異なる対決姿勢が生じてきている。

先の選挙結果は、地方議会にも確実に影響を与えているな、と感じる。
本来、あるべき姿だし、いい変化だと思う。

論戦は大いに結構だし、政党としては望むところだが、
主張が異なる場合、争点の本質は何か、ということを大事にしなければなるまい。

ここを曖昧にしてきたのが、今までの政治であったかもしれない。
何をいうか、政治はそんな教科書的なキレイごとではない、とお叱りを受けるかもしれないが。

私は、今日の質問のいくつかは、マスコミが取り上げる問題も含めて、
明らかに、争点がかみ合っていない印象を覚えてならない。

争点の曖昧さは、ややもすると、議論を感情論と頑迷の泥沼に陥れ、
県民にわかりにくさと誤解、ひいては不信を招くことにしかならない、と思う。

まず、争点を明確にし、かつ合意した上で賛否それぞれの主張を行い、
最終的に、そのどちらが、より県民に対する利益をもたらせるのか、という論を戦わせたい。

しみじみ。

政治の奥深さと厳しさを感じながら。
一方で、これからの愛媛県議会が大きく変化していく兆しを予感しながら。

1つ1つのイシューに対する判断について、きちんと説明責任を果たせる、
そういう自身と会派であらねば、と、今日を振り返って、思う。


2007-09-20

アカウンタビリティ

代表質問、2日目。
今日の登壇は、社民・護憲連合の野口議員と、わが笹岡議員。

野口議員の質問の中で、特に耳目を集めたのは、
「県警職員の配置換え等に係る損害賠償請求事件の控訴」についてである。

こちらは、本会議終了後の警察経済委員会に付託され、
そこでの審議・採択・一任、という運びとなった。

一方、笹岡議員の方では、
「松山盲学校の、松山聾学校への移転統合」に関する質問を行い、
多数の傍聴人が詰めかける中、その方々の思いを力強く代弁された。

詳細は、明日の地元紙及び後日のHP会議録等に譲るとして。

民主主義は、多様な意見を許容する。

それは、理性的対話を前提として、最終的に多数決による意思決定を行う、
政治運営システムである。

であれば、個々の質問事項には、必ず、賛成と反対の立場があり、
それぞれの主張根拠というものが、必ず存在する。

今日の場合は、その当たり前の現実と、そこで下さねばならない政治判断の厳しさ、
ということを痛切に感じさせられた。

と、ともに。

アカウンタビリティ、いわゆる、説明責任というものの重要性が、いや増す今日。
そして、とっくの昔に、情報がフラット化し、ボーダレス化してしまった、今。

政治の信頼を取り戻すためのキーワードは、オープン、であろう。
もちろん、全部が全部を情報公開、などの極論は言わない。

が、少なくとも5W1Hあるいは2H、くらいのプロセスが見えないと、
主権者たる、国民であり、県民であり、市民・町民である方々の
理解と信頼と安心を得ることは難しいであろう。

政治の流れにおいて、はっきりと、今までとは違う場所に、我々はいる、
ということに気づかねばならないのだ。

人の前灯せば、わが前明らかなり、とは先哲の言。

結局のところ、政治は主権者をどこまで信頼することができるか。
そこが問われている、気がする。

1つ1つの意思決定に、説明責任を果たしながら。

県政がより開かれ、さらに信頼されるものとなるよう、
微力ではあるが、精いっぱい貢献してまいりたい、と思う。


2007-09-19

異なる、を知る

県議会も、いよいよ今日から論戦スタート。
今日は、代表質問初日である。

自民党から薬師寺議員、民主党から豊島議員。
各派を代表して、35分ずつの熱弁に聞き入る。

それぞれの視点が微妙に異なり、興味深い。

明日は、わが笹岡議員の代表質問。
ぜひ、目のつけどころに、注目をされたい。

さて、今日も支持者からいろいろなご意見を伺う。
またまた、自身の未熟を痛感。

聞くばかりでは為ならず、反論するのも意にあらず。

異なるものを、ちょっとだけ、1つだけ、
高い次元での合意に持っていけるだけの人間力、
のない、もどかしさ。

そんな心理的局面が、ここのところ、毎日続くようで。

前進する際の向かい風、成長する際の骨のきしみ、か。
痛い、毎日。

話を変えて。

タイトルに惹かれて、読んでみた。
「この国を思えばこそ、覚悟を決めて言っておきたい」。
著者は、あの、和田秀樹さん。

一読して、文脈に通底する体温が、私とは全く異なることがわかった。
なるほど、今日の学習は。

異なるを知る、ということだ。


2007-09-18

想像力、を想像した

午後、北条に伺う。
事故が絶えない、国道のヘアピンカーブの現場視察である。

これは、確かに危ない。

住民の方々から状況を詳しく取材し、
同行の山本ひろし参議員秘書と今後の対応を協議する。

事故そのものは人間が起こすものであるに違いないが、
その確率をどこまで極小化できるかは、行政の技術である。

そして、どうすれば危険を回避できるか、事故を防止できるか、
それに必要なものは、行政を行う者の“想像力”である、と、私は、思う。

住民の方々の不安を思いながら、事故防止への万全を心に期し、現場を辞した。

夜は、諸会合に参加して、今日も深夜の帰宅となり。
果たして終日、私の脳裏を支配したのは、その“想像力”についてであった。

自分自身の行動規範は、どこに拠って立つべきか。
言うまでもない、県民の皆様である。

きちんと立てているかどうかは、自分あるいは自分たちが決めるべきものではない、
県民の皆様のジャッジであり、それはいかなる場合にも、100%正しい。

であるならば、常に私は。
県民の皆様の気持ち、を想像していきたい、と思う。

その目線と心で捉えて、おかしいことをおかしいと思える感性を、失わないように。
重々、重々、心に期す1日であった。

今日も、そして、いつもいつもご指導を頂く、拠所ともいうべき方々に、
この場をお借りして感謝を申し上げたい。

��写真は、北条に浮かぶ雲、変幻自在の空)

2007-09-17

とてつもない、精神力

この人は、どこまで強いのか。
谷 亮子選手である。

リオデジャネイロで行われた柔道世界選手権、女子48㎏級で、
通算7度目の優勝を果たしたのである。
この、7度というのは、男女を通じて、大会史上初の快挙である。

田村でも金、谷でも金、そして、ママでも金、
この名ゼリフを、見事に有言実行してのけた。

2年間のブランクというのは、アスリートにとって致命的な、ロスタイムであろう。
「けいこを1日休むと、取り戻すのに3日かかる」とは、先日お亡くなりになった元横綱琴桜の言。

その至難を成し遂げたのは、何だったか。

4月に行われた復帰戦である全日本選抜体重別選手権・決勝での、
あの敗戦の悔しさではなかったか。

いとも簡単に手のひらを返すマスコミの冷酷に、
出産・育児・家事という主婦と母の仕事をこなしながら、
どれほど辛く苦しかったことであろう。

常人には、推し量ることのできない悔しさでいっぱいであったろう。
だから、勝つしかなかった。

その、勝利への執念が、間違いなく世界一だったからこそ、勝った。
そんな谷選手の金メダル獲得は、
全国の働くお母さんに、大きな勇気と希望を与えたに違いない。

そして、わが愛媛にも、朗報だ。
本県出身の棟田康幸選手が無差別級で、見事、優勝を成し遂げたのである。

不振が続く男子勢の中で、ただ一人の金メダル。
しかも、最後の最後、その桁違いの重圧の中で、すべて1本勝ち、の完勝である。

かくして、TVの前で。
両選手に、世界を制する精神力のとてつもなさ、を学んだ気がした。


2007-09-16

官邸崩壊、の次

世間では、3連休の中日。
終日、市民相談に走る。

いずれも個人情報であり、守秘義務もあれば、
ここで内容には触れられないが。

とにかく、じっくり、話を伺う。
制限時間は、ない。

苦しみに同意し、痛みを、わが身に刻む。
そんな思いで、最後まで、話をお伺いした。

全魂で激励をさせていただくとともに、
私にできることの全力を、お約束する。

小雨が落ちる22:00、家路に向かいながら。

世の中、思い通りなんてないのに。
まだまだ小さいぞ、と自分を励ましてみる。

帰宅後、上杉隆著「官邸崩壊」を読了。
かえって気分が重くなってしまった。

良くも悪くも、日本の官僚システムがどういうものか、
考えさせられ、思い知らされる、そんな1冊ではある。

その通り、崩壊が現実のものとなった今、そして。
23日、自民党新総裁ほぼイコール新総理、が決まる。

終日、メディアは踊るが、私に踊らされる暇はない。
1日を回想しながら、なすべきことの思索が、先だ。

すっと、次の1冊を手に取る。


2007-09-15

今夜は、伯方島

残暑照りつける中、13:00より伊予鉄髙島屋前に立ち。

北朝鮮による拉致問題を考える愛媛県民会議「救う会愛媛」
主催による街頭署名活動に参加する。
��ご参照URL⇒ http://www.sukuukai.jp/syuukai.php?itemid=1352 )

党派を超えて、西原副議長・三宅県議とともに、ご理解とご協力をお訴えする。

それにしても。

わが愛媛からも特定失踪者が3人いるという事実に、あらためて怒りが込み上げる。
すべての被害者が1日でも早く救出できるよう、またその日まで活動は続くであろう。
幅広く県民の皆様に、救出へのご協力の和が広がるよう、微力ながら尽力を、誓う。

終了後、今治市へ移動。
石井秀則今治市議と合流し、さらに伯方島へ車を走らせて。

まだセミ鳴きやまぬ夕方を、石井市議のご案内により、党員宅を1軒1軒とお伺いする。
いつもありがとうございます。お変わりはありませんか。お体は大丈夫ですか。

突然のお邪魔にもかかわらず、どの方にもパッと笑顔が。
日頃の、地道で一途な皆様のご献身に、感謝は尽きず。

コンビニ弁当をかきこみ、夜は、党員の集いに参加させて頂く。

石井市議による時事懇談会では、様々なご意見ご要望が寄せられる。
厳しくも温かい、その真心を真正面から受け止め、全力で取り組むことを心に期す。

私も、今日までのご支援に対する御礼と、近況と、今、脈打つ決意を、語らせて頂く。

しかし、そこは、わが故郷。
私の母や親戚のこと、同級生のこと、実名や地名が入って、ほとんどローカルな話題に花が咲き。

確かに、この島で私は育ったんだ、という原点を、今再び確認するとともに、
これから私がなすべきことのすべては、皆様への恩返しだ、という1点を肝に銘じ。

21:00、名残惜しくも、伯方島を後にする。
さらに今治市内で、居合わせた支持者の方々にご挨拶を行い、23:00帰宅。

たくさんの笑顔と会話が、いつまでもフラッシュバックしながら。
メールをチェックすると、いくつかの宿題と嬉しいお便り、あり。

宿題は整理をして、お便りにはお返事を。
その日のことを、その日のうちに、というのはA型のなせる業か。

��写真は、街頭署名活動の風景)

2007-09-14

今日は北条、あしたは

今日明日の2日間、愛媛県と愛媛銀行の主催による
メイド・イン愛媛2007が、アイテムえひめにて開催となる。

早速、視察を。

同フェアは、県内企業150社がブース出展し、それぞれの商品のPRと
デモンストレーションを行い、新たな取引を模索するというイベントである。

いわゆる、ビジネスマッチング、だ。

商談ブースは、空きスペースがないほど活況を呈しており、
今回の新たな試みが、一定の成果を収めそうな手応えを感じた。

明日は、11:00~12:30同会場にて、あの大助・花子の、
宮川花子さんの特別講演「愛をみつけた」があるそうだ。

私は以前、この講演を拝聴したことがあるが、これは、ぜひ皆様にお奨めしたい。
彼女のトークは、本当に、芸術なのである。

その時の聴衆は、約500人。

そのような大勢が、もれなく、いとも簡単に、彼女の掌にのせられ、
ゲラゲラと、ジーンと、うなずきで、あっという間に時間が過ぎたのを覚えている。

明日も。

ご主人の脳出血、ご自身の胃がん、そのご夫婦の壮絶な闘病体験を、
笑いあり、涙あり、そして最後に、絆の大事さが、スッと腑に落ちてくる、
そんな感動の1時間半となることであろう。

��Rが過ぎたかも知れないが、さて。
午後は、複数の理事者との打合せを行う。

中でも、数年来の要望の1つが、年度内解決の運びになることが本日決定し、
ただちに関係者、支持者の皆様にご報告。ともに、万歳の、1日となった。

夜は、北条の支持者を訪ねて、歩く、歩く。
80名近くの方々にお会いし、近況と決意をお伝えさせて頂いた。

温かな皆様の笑顔に、エネルギーを頂き、
1人1人と、お会いするほどに、感謝の気持ちは深まっていく。
本当に、有難いこと、である。

そして、明日は、伯方島。
本当に、楽しみ、なのである。



2007-09-13

2回目の、初日

11:00より、第304回愛媛県議会定例会が開催となる。
私にとっては、第2回である。

さすがに今回は、開会のベルが鳴っても、起立を求められても、
驚かず、キョロキョロもせず、粛々と初日を迎えることができた。

今回の定例会の会期は、10/5までの23日。

この間、何をするのかというと、
9月補正予算を含む18の議案審査、5つの知事専決処分報告の承認と、
各種の請願・陳情の審議を、それぞれ本会議・常任委員会にて行うとともに、
関連質問が16名の議員によって行われる、のである。

詳しくは、愛媛県議会ホームページのお知らせコーナーをご参照頂きたく。
��ご参照URL⇒ http://www.pref.ehime.jp/gikai/frame/frame12.htm )

ちなみに私は25日(火)の2人目として、質問をさせて頂く予定だ。
先日来、ブログでも綴ってきた通りに、全力で取り組む決意である。

定例会を午前で終え、午後は、その一般質問原稿の校正で丁々発止、
そして、夜、支持者の会合にお邪魔させて頂く。

本当に、元気になる。
力が、沸く。
有難いと思い、だから、全力でがんばろうと、思う。

不透明で不安が渦巻く情勢に、感化されず、流されず。
太陽のような希望に燃えて、庶民の底力を結集して。

この難局を必ず突破してみせん、という勇気を頂いて、
明日の、私の、仕事を100%やりきるぞ、と心に誓う。

��写真は、支持者から頂いたお便りの、ネムノキの写真)

2007-09-12

9月の、晴天の霹靂

明日開会の9月本会議を前に、ようやく、質問原稿がまとまった。
あとは、各方面のチェックを残すのみである。

これで、朝方眠りにつく日々から開放される、と思うと少し安堵。

あとは本番で、県民の皆様のお気持ちをしっかり代弁できるよう、
推敲を重ね、思いを深めてまいりたい。

ホッとするのも束の間、晴天の霹靂は、安倍総理辞任のニュースだ。

マスコミも、国民も、政界も、財界も、日本中が、動転する1日となった。
世界にも波紋を呼んでいる、そうだ。

明日から、あらゆるメディアで大変な騒ぎとなるであろう。
また、愛媛県議会にとっても、かつてない幕開けとなる。

こうした状況の中で、また、そうだからこそ、
私は浮き足立たないようにしたい、と決意する。

誰が総理になるということの予想や興味ではなく。

今、目の前にある現実の生活の困難や、地域の課題にとって、
私は何をなすべきなのか、に集中するのみ、と思うのである。

今日も、市民相談をいくつか承ったが、明日の暮らしを悩む、
そういう庶民の苦しさを、皮膚感覚でちゃんとわかる政治が、
今、求められているのだ。

そのことを、痛切に、感じる。

安倍総理の辞任のニュースを擦り切れるほど見聞きしながら。

少なくとも、わが愛媛県政がそうしたものになっていけるよう、
微力ではあるが、私の使命はそこにこそある、と信じて、
明日からの本議会を真剣に取り組んでまいりたい、と思う。

2007-09-11

世界が、ひっくり返った

その記事の見出しを見て、こっちがひっくり返った。

アメリカのオハイオ州に住む65歳の男性が、宝くじで約357億円を当てたらしい。
��ご参照URL⇒ http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070911/usa070911016.htm )

その額、大きすぎてピンとこないのだが、
例えば、地元大手建設会社の年間売上にほぼ匹敵するのである。
と考えると、少しピンとくる。

そして、その会社が1年間がんばって稼いだお金を、
彼は、たった1日で手にしたということになる。
と理解すると、少しだけ、ひっくり返りそうになるのである。

そして、3年前に妻を亡くした彼は、この大金を息子と娘に分けるというのだが、
私がひっくり返りそうになったのは、このあとである。

その息子も娘も、当選を知った翌日に、勤めていた会社を辞めたのである。
早く・・・ないか?

アメリカならでは、の感じがして、しかも明るいニュースなので救われるが。
世の中には、こういうこともあるんだなー、と思う。

ちなみに、もし300億円が手に入ったらどうする?
と、家内に聞くと、借金を返すに決まってるでしょう、とのこと。

要は、そんな大金、ピンと来ない、ということらしい。
それで、よし、である。

2007-09-10

常識は、1日で変わる

愛媛で、日本初の天然ダイヤが発見されたという。
��ご参照URL⇒ http://www.asahi.com/science/update/0910/TKY200709100198.html )

臨時国会開会とともに、明日の地元紙の1面を飾るか。

記事によると、目に見えないほどの微量でとても宝石に向かない、とのことだが、
なぁーんだ、と思わないようにしたいのである。

量の多寡の問題ではなく、有無が問題なのだから。

天然ダイヤは、南アフリカやオーストラリアなど古い大陸が主な産出国であることから、
日本では採れない、というのが、今までの学術的な常識であった。

それが、今日、ひっくり返ったわけである。
ない、と思っていたものが、あったのである。

今後、さらに研究が進み、日本地質学会をはじめ、わが国の学術振興への貢献と、
愛媛における新たな産業や市場の創出に繋がれば、と思うと、
思わず期待が膨らむのである。

とともに、この記事を読んで、常識は、たった1日で変わりうるのだ、とあらためて思った。
絶えず常識を疑ってみる、心の柔軟と勇気の必要性を、痛感した。

そして。

考えてみれば、生活現場における様々な困難が、法律とか、慣習とか、予算とか。
当たり前という、いろんな常識が壁となって、その解決が阻まれているのだとしたら。

その常識を疑ってみる、なかったことにしてみる、
そういった大胆なアプローチが、今、求められているのかもしれない、と思った。

今、一般質問原稿の作成に追われながら。
まったなし、なのに、1つの記事が目に留まり。

県民の生活満足という価値を前提に、不要な常識の足かせがないか、
ときどき頭の中をオールクリアにしてみることだ。

そんな大事なヒントを頂いたのかもしれない、と、ふと思った。

2007-09-09

突然の、再会

予期せぬ、うれしい出来事あり。
それは、高校の同級生Kくんとの、25年ぶりの、再会である。

彼には松山市在住のお姉さまがおり、有難い私の支持者のお一人なのであるが、
昼下がり、そのお姉さまから、弟が所用で今日里帰りした、との連絡を頂いたのである。

それでは、とばかり、さっそく待ち合わせ場所に向かった。
運転しながら、25年を経た、様々な彼をシュミレーションしてみた。

到着。

果たして、そこにいたのは、私の記憶の中のKくんそのまま、であった。
吹き出しそうなくらいに、紛れもなく、Kくんの世界が、そこにあった。

久しぶり。

それから、近くの喫茶店で近況を語り合った。
それぞれの来し方を確認するように。
気づくと、あっというまに2時間が経っていた。

それにしても、不思議。

ちょっぴりアンニュイとシニカルの入り混じった、
それでいて、とってもピュアでシャイな、彼独特の受け答えは、
当時といささかも変わってないのである。

一方、私はどうかというと、彼いわく、ずいぶん老けた、と。

そう言っておいて、
だけど年齢からすると、かなり若く見える、と言う。

また、吹き出しそうになった。
そんなところが、紛れもない、Kくんなのだから。

傍から見ると、おじさん2人の、平凡で退屈な、よくある光景だったかもしれない。

しかしながら、25年ぶりの懐かしい再会であり、
お互いの多忙からすると、再々とは許されぬ貴重な出会いであれば。

予期せぬ再会の有難さに、感謝せずにはいられない。
友の今後の活躍を心から祈るとともに、自身の成長を心に期さずにはいられない。
そんな気持ちでいっぱいとなる。

夕暮れに、彼を市内に見送りながら。
帰宅後、今朝の公明新聞の記事を読み返しながら。

25年ぶりの再会は、また、私に新たな決意をもたらし、
もたらされた決意は、掲載記事により、さらに固められ。

世の中の、絶妙を、思う。

��写真は、きょう9/9付の公明新聞掲載記事)

2007-09-08

違う、が100

四国各県から100名を超える公明党議員が、今治市に集結し、
意気軒昂に「2007公明党四国夏季議員研修会」が開催される。

太田代表を迎えて、終日にわたり、心に残る充実の研修会となった。
詳細は措く。

今日の感動は、何といっても、太田代表その人、に尽きる。

人間の、スケールが違う。
根本に持つ、哲学が違う。

一挙手一投足の、役者が違う。
場の世界を創る、センスが違う。

負うべき責任に対する、覚悟が違う。
庶民に対する、思いが違う。

違う、違う、を100でも言うことができる。

自党の党首を持ち上げることに辟易の方には誠に申し訳ないが、
偽らざる今の気持ちであれば、ご容赦頂きたい。

60分に及ぶ、情熱と気迫あふれる、温かさと希望にあふれる、
その一言一句を、まぶたに、心に、記憶に、しっかりと刻みつけながら。

これこそ、政治家だ、と思う。
これこそが公明党だ、と思う。

もとより私など、箸にも棒にも掛からない、浅学非才の身である。
その私に対してさえ、彼は、手足となって働く、と本気で言うのである。

それ以上に、今まで以上に、私が、庶民の手足となって働かないでどうする。
何のための公明党か、そこに誇りを持って働き抜かないでどうする。

まったく新たなる、ともいうべきモチベーションが、トップギアに入った1日。

圧巻は。
初出馬の際の、「太田、味方を作るんだぞ」、との師匠のひとこと。

そのエピソードは、私と、私の人生にとって、大きな意味を持つ宝物、
と言っても決して過言ではないだろう。

2007-09-07

気づき、直行

気づいたことは、すぐ行動に移す。

というわけで今日は、昨日の、知的怠惰との指摘を受けて、
じっくり、本会議で行う一般質問の構想を練った。

県民の皆様から直接伺った、数々の要望が、私が取り上げるテーマの源泉であれば、
背伸びせず、格好をつけず、ただ、そのお一人に寄り添う思いで、思索を巡らせる。

集中、集中。

ワークシートに、1つ1つ書き出してみる。
チャート化してみる。
考える。

並べてみる。
考える。

わからないことを調べてみる。
職員に、聞いてみる。
考える。

あっという間に、半日が立ち。

この種を考えることに不慣れな脳の疲労と引きかえに、
何となく方向性のいくつかが見えてきた、ような気がする。

ここからが、テーマを掘り下げて調べ上げる、キツイ作業となるが、
夜の会合出席のため、今日はここまで、となる。

それにしても。

調べものをしていると、ついつい脱線して、いつのまにか読書になっていたりする。
人は、どこまで集中できるのだろう。
という言い訳はせず、やはり、時間を切って実行することの重要性を、痛感。

ちなみに、明日は終日、党務のため、続きはあさってから。
思考のスイッチは切らさずに、一気に取りかかりたい、と思う。


2007-09-06

良薬、求めて

夕方、元の職場の上司であるAさんを訪ねる。
目的は、一般質問の準備にあたって、少し煮詰まった頭の中を整理するためである。

結論からいうと、大正解であった。
要は、私の知的怠惰である、と。

観点がずれている、質問の筋が悪い、なぜ?が足りない、考える訓練が足りない、
と、手厳しい指摘の数々。
その通りというしかなく、まったく、良薬は口に苦し、である。

この、Aさん。

話していて、こちらの頭がクリアになっていくのには、理由がある。
それは、ロジカル・シンキング、という思考方法にある。

それは、ある課題を解決する、つまり、その解を導き出すための手段としての、
仮説思考をベースとする発想方法、といえる。

世の中にあらかじめ答えはない、答えは必ずしも1つではない、
という前提のもと、より最適解を導き出す道具といってもいいだろう。

ロジカル・シンキングを自分のものにするために必要なものは、
頭脳ではなく、知的トレーニングという習慣あるのみ、とAさんは言う。

その大変な忍耐を伴う、習慣の怠惰をズバッと指摘され、思わず目からウロコがさらさらと。

県政の課題は、大きすぎて、広すぎて、深すぎて、難しすぎる、と感じたときに、
既に頭が固まっているということに気づくべきである。
心に、常に俯瞰を持て、と、Aさんは言う。

私にとって、教えを乞うことができる、ありがたい場であり、ひと時、であった。
2時間強の、いわば個人授業の後、近くで夕食をとる。

ここでは、プライベートな話題についてのご指導が続々、かつ、容赦なく。

退職して半年以上たっても、相変わらずAさんは手厳しい。
なればこそ、私にとっては大良薬なのであり、感謝の人なのである。

2007-09-05

ちゃんと、お見通し

日中は公務、夜は党務にて。
悲喜交々、ならぬ、悩みと喜びが交錯した1日。

天網恢恢疎にしてもらさず、という言葉がある。
夜の党員の集いに参加して、その故事が脳裏に浮かんだ。

今日の私的トピックスは、その別れ際の、あるご婦人の一言であった。
実に印象的だった。

私自身の行動と、努力と、態度と、その心情さえ、
ご婦人も支持者の方々も、実によく見ているなー、ということを実感した。

よくぞそんなところまで、というところまで、お見通しなのである。
ありがたくもあり、少し怖くもあり。

公人という仕事の厳しさの一面であろう。

支持者の皆様のご期待を、あらためて感じながら。
しかし、無理せず、あせらず、地に足をつけて、黙々の大事を教えて頂く。

知らない間に、気持ちが張り詰めて、肩に力が入りすぎていたか。
明日からスイッチを切り替えて、議会の準備に集中することにしよう。

��写真は、昨日訪れた金波煌めく北条の海)


2007-09-04

もうすぐ、9月議会

午前、党務にて久万高原町へ。

ふと、夏の甲子園で活躍した今治西高の熊代くんの話題に花が咲き。
彼のお母さんが近くにいらっしゃる、ということで、早速ご挨拶に伺う。

お姉さんか、と見紛うほどの若さに、軽いショックを受けた。
先輩というには、いささか老けてしまった自分を感じ、気恥ずかしくなる。

さて、午後は、議会にて9月予定議案と補正予算の説明会に出席。
緊縮財政の苦労がにじむ中身であった。

その中で、1つの保健福祉事業に目がとまる。
6月議会の一般質問にて私の要望させて頂いた事案が、ドンピシャの形で、
予算化されているのだ。

一瞬、目を疑ったが、紛れもなく、そう書いてある。
また、1歩前進だ。
ご相談に来られた方々の喜ぶ顔が浮かんできそうだ。

が、油断することなく。
議会承認を経て、その事業が、受益者の満足度向上に資する目的に適うよう、
慎重に見守ってまいりたい。

今日の説明会。
これが行われるということは、まもなく議会が始まるということなのである。
9月定例会は、9/13から10/5の会期予定だ。

ちなみに私、前回に引き続いて、今回も一般質問に立つ予定である。

この間、たくさんの新たな市民相談を頂き、
生活者の、生の、お声を肌身で感じさせて頂いた。

この皆様のお気持ちを、県政にどのように反映させてカタチにしていくか。
それが、私の仕事であり、支持者の期待成果でもある。

その責任の重さとともに。
この1週間、またも徹夜気味の毎日が続くことを覚悟する。

��写真は、久万高原町で見つけた季節外れの、バッタ)


2007-09-03

下宿への寄り道

今日は、終日、今治にて。
日頃、お世話になっている企業と支持者の皆様へのご挨拶に伺う。

寄り道がてら、高校時代の下宿先を訪ねてみた。
何年ぶりだろう。

大家さんは、あいにく留守で、お会いすることができなかったが、
裏に回ると、私が過ごした部屋、というか、離れ、は健在であった。

その4畳半のレイアウトも、カーテンの色も、はっきりと覚えている。
押入れの、昭和のにおいも、くっきりと蘇る。
出入りしたあの人この人、あのシーンこのシーンが、浮かんでは消え。

高校時代の3年間を過ごしたこの場所は、ある意味、私にとっての聖地である。

奇しくも、ちょうど26年前の、夏休み終了間際の、この時期。
今は亡き私の恩師が、突然にしてわざわざ、この下宿まで足を運んでくださった。

進路は、どうするんぞ。

そう言ったきり、私の話を最後まで、頷きながら聞いてくれたこと。
そして、就職に気持ちが傾きかけた私に、大学進学の決意を固めさせてくれたこと。

がんばれよ。
人懐っこい笑顔で、そう言って、帰られた。

深々と、感謝の気持ちが、蘇る。

進学先と、その先に連続する、数々の出会いによって私は、今にたどり着くが、
もし、あの家庭訪問がなかったら、今の私は、確実に、いない。

ここが、起点だ。
他人に感謝することの大事を教えて頂いた、この場所が、大人へのスタート地点だ。

おそらく10数年ぶりの、この場所で。
坂の上の雲をめざして、恐れずに突き進んだ、あの時と同じように。

あらたな坂道の登攀に際し、立ち寄るべくして立ち寄った、
そんな意味と必然性を感じた、寄り道であった。

そして、額の汗をハンカチで拭いながら。
感傷に浸る気持ちを振り切り、次の訪問先へと向かった。

��写真は、本日訪れた、日本食研KO宮殿工場/ご参考URL⇒ http://www.nihonshokken.co.jp/main.html )



2007-09-02

ユニバーサルな社会へ

午後、松山市と(社)松山青年会議所の主催による
第24回まつやま市民シンポジウムに参加した。
��ご参照URL⇒ http://www.city.matsuyama.ehime.jp/seisaku/1182864_907.html )

注目したのは、
2部構成の第1部「人と人、人とまち、まつやまの未来」と題した基調講演。

講師は、あの、プロ野球の読売巨人軍終身名誉監督、長嶋茂雄氏の主治医である、
初台(はつだい)リハビリテーション病院 医学博士の酒向正春(さこう まさはる)氏である。

その講演の骨格を成す「健康医療福祉都市構想」の提唱に、感銘を受けた。

日頃、誰しも、人とまちは、病気や障害の当事者を想定していない、
という冒頭の事実提示に胸が痛む。

当事者となって初めて、どうしてよいかわからない現実の社会システムに気づくが、
脳神経外科においては、それは決定的に致命的、なのである。

氏が唱える「健康医療福祉都市構想」とは、
病気や障害をあらかじめ想定した、優しさと強さを持つ、個人の育成とまちづくり、
と私は理解した。

障害に対するリハビリ治療は、一義的には確かに医療マターだが、
その先の、社会生活を行っていく上での、人間回復に向けた真の障害克服という点では、
思いやりという想像力を伴う「ひとづくり」と「まちづくり」という市民のマターなのである、と。

それは、自助と共助が織りなすユニバーサル社会の実現、と換言していいだろう。
私が感銘した、肝である。

酒向博士は、愛媛出身の46歳。
日本のみならず世界に、その「健康医療福祉都市構想」を広めんとするその情熱に、
大いに触発され、有意義な時間を得た。

心から賛同するとともに、県政への反映という大きな宿題を胸に、会場を後にする。
照りつける残暑は、まだまだ厳しく。


2007-09-01

その気づき、価値あり

面白い記事を発見。

たった15万円のコストで、世界一を実現した事例である。
��ご参照URL⇒ http://www.asahi.com/life/update/0901/NGY200709010007.html?ref=goo )

思わず、うなずいてしまう男性は、少なくあるまい。
この事例、じつに示唆に富むのだ。

気づきの力、の経済効果である。
件の空港施設サービス会社の生産性を向上させるきっかけは、ひらめく“仮説”であった。

すなわち、“ターゲットがあると、きれいなトイレになる”のではないか、という、気づき、である。
全く、すばらしい、と感心する。

ここに、わが愛媛の、経済活性化を含む政治課題のヒントがあるように思えてならない。

この事例は2つの重要を示唆してくれる。

1つは、気づきは現場にあったということ。
もう1つは、気づいたのは、清掃という意味でも、利用者という意味でも、当事者であったということ。

例えば、経済的疲弊が続く、農林水産業地域にもピタリとあてはまる。

みかん農家は、ふつう、みかんが売り物と思って栽培をする。
その中で、ある人は、みかんをつくる過程全体を売り物にできないか、と気づく。

夏の夜、セミの幼虫が土から這い出して、みかんの木によじ登り孵化する、
このシーンを都会の子どもたちに見せて感動させたい、
と思うならば、観光事業の仮説が出来上がる。

みかんの花の甘い香りを缶詰にして、都会に住む、愛媛出身者に届けたい、
と思うならば、通販事業の仮説が出来上がる。

あくまでも、ジャストアイデアに過ぎないが、しかし。

あの、世界のカップヌードルだって、
どんぶりを持たないアメリカ人が、チキンラーメンを紙コップで食べるのを見てひらめいたという、
日清食品の創業者であられる安藤百福さんの、ジャストアイデアから始まったのだ。

現場から離れてはいけないな。
その現場から、当たり前を排さないといけないな。
そして、現場の課題に対して、いつも当事者意識を持たないといけないな。

そう、思った。
また、決意した。

その気づきに、あなたの価値がある。
そういって頂けるように、日々、自分を磨いていこう、と。