2008-03-31

悲喜交々の、区切りの日

今日は、年度末。
区切りの日、である。

道路特定財源の暫定税率が、今日で切れる。
その是非や影響については、この間、何度も綴ってきた通りだ。

悲喜交々の混乱が、次の政局にどのように展開していくか、
感情を整理しながら、しっかりと注視してまいりたい。

が、さて。

悲喜交々といえば、この日で退職される皆様である。

午前中から、県庁内のあちこちで、
退職される先輩方の送別のセレモニーが続いた。

そして、14:00から県庁正面玄関にて行なわれた、
吉野内副知事のお見送りには、私も加わらせて頂いた。

いうまでもなく、副知事は。

加戸県政発足以来の9年間を、教育長、副知事と、
知事の重要なパートナーとして、その重責を全うされた方である。

そして、そのお人柄であろう、これでもか、というくらいの職員の皆様が、
十重二十重に副知事を取り囲み、尽きぬ拍手を送られていた。

1人ももらすまい、というほどに、あちらに馳せ、こちらに向かい、
最後のお別れを行なう副知事を目で追いながら。

縁の下の力持ち、の一言ではとても納まらない、
そのご苦労の壮絶に、思いを馳せながら。

私は、ただただ、感謝の気持ちで一杯になった。

その後、恐縮にも、私たち議員の元にもお越しになられ、私も、
ありがとうございました、との心からの御礼の言葉と、新たな決意を込めて、
がっちりと握手させて頂いた。

その手は、眼差しとともに柔らかく、温かかった。

世の中は出会いと別れ、と人はいう。
ならば、1つ1つの出会いに感謝、別れにも感謝、でまいりたい。

さあ、明日からは、新年度。
新たな出会いを、1つでも貪欲に広げ、1つ1つ大切にしてまいりたい。

そして、駆け出し2年目を飛躍できるよう、心機一転、スタートさせたい、と思う。

��先日、伊予市で見つけた海鳥。ひとり、悲喜交々を思うか。)


2008-03-30

次は、愛媛の山里から、海原から、世界へ

めざしたのは、化粧筆のエルメス。
20年かけてそれを実現されたのは、「白鳳堂」高本和男社長。

日経ベンチャー4月号の、特集記事である。
ここにも、揺るぎない信念の人がいた。

広島県の山あい、熊野町にある高級化粧筆メーカー「白鳳堂」は、
なんと、世界シェア約5割、である。

��ご参照URL⇒ http://www.hakuho-do.co.jp/index.html )

確かに、もともと同町は、書筆や絵筆の産地であり栄えた、筆の町ではあった。
が、それだけの理由で、世界ブランドになれるものではあるまい。

ある時期、完全に行き詰まってしまった。
旧来のビジネスモデルが通用しなくなったのである。

そして、その困難の中から、挫折を経て、
あらたなビジネスの構想が浮かんだ、という。

それは、まだ誰も手のつけていない、筆職人による高級化粧筆、という分野だった。
世界に開かれた、新たな市場、の発見である。

“自社の作った化粧筆を、エルメスのような世界ブランドにするのだ”、
という彼の信念は、このとき生まれたといってよい。

以来、質で勝負、とばかり。
いい筆を作る、いい筆を残す仕事に、ひたすら没頭したという。

手間隙かけて、手作業で作り上げた化粧筆には、絶対の自信を持ちつつも、
見たこともない高級価格に、商談は空回り、難航の連続だった。

が、その価値が受け入れられる、新たな市場は必ず創り出せる。
との確信で、あとは電光石火の行動あるのみ。

といっても、それは高本社長だからこそ可能であったろう。

アメリカに飛び、カナダに飛び、後の飛躍の橋頭堡となる、
メークアップアーティスト、化粧品メーカーへの売り込みに次々成功していった。

そして、20年かけて、世界の「白鳳堂」となった。
昨年度の売上実績は、15億円である。

次は、愛媛の山里から、海原から、世界へ、だ。

そのために政治ができること、私のすべきこと。
日々、県下を動きながら、考え続けてまいりたい、と思う。

��写真は、日経ベンチャー4月号より)


2008-03-29

快晴の久万高原町にて、マイクを握りながら

目覚めると、外は快晴。
今日は、久万高原町にて街頭遊説の日。

早朝の三坂道路は、スイスイだ。

到着後、準備を終えて、9:00。
党員の皆様と共に、国政報告の第一声。

混迷を深めるねじれ国会の中で、
私たち公明党が勝ち取った実績のいくつかについて、お訴えをする。

何といっても、県下で最も高齢化率の高い同町である。

医療については最大の関心分野であろうとのことから、まずは、
4月から始まる後期高齢者医療制度から、ご報告をさせて頂いた。

なぜ導入されるのか、そして導入後、何がどのように変わるのか。
その新たな制度の概略と、

そして、私たち公明党の目線がどこにあったかを、
なるべく具体的にお訴えさせて頂いた。

次に、2月に発表した、救急医療情報システム整備法案骨子について。

これは、いわゆる、救急患者のたらい回しの根絶をめざす法案で、
全国3,000余名の公明党議員が、視察調査を重ね、まとめたものだ。

そして、今後。

与党プロジェクトチームを設置し、党派を超えて成立をめざしていくということ、

調査結果を踏まえ、さっそく新年度予算に、
医師・医療スタッフ不足対応に161億円の予算が盛り込まれたこと、

など、着々と法整備が進みつつあることをお訴えする。

ほかにも、4月から始まる医療・福祉分野の実績は、まだまだある。

たとえば、高額医療・高額介護合算制度のこと。

これは、それぞれ定められている自己負担限度額を、
新たに合算限度額を設定することにより、自己負担が大幅に軽減されるというものだし、

リンパ浮腫治療用の、医療用サポーター購入費の保険適用のこと。

これは、全国に10万人以上いるといわれる、リンパ浮腫という
難病患者には大きな朗報となるに違いないし、

医療保険者に対する、特定健診・特定保健指導が義務づけられることにより、
メタボリックシンドロームと生活習慣病の予防・減少の取組みが進むこと、など。

私たちは、庶民の生活に直結した分野で、この間に。
これだけのことを実現させて頂いたという事実を、思い切り、お訴えさせて頂いた。

国民生活は、ガソリンだけではないのだ。

停滞した1ヶ月の間に、やろうと思えば、与野党でいくつの法案が作れただろう。
本当に、生活第一の視点があれば、どれほど、国民生活は前に進めただろう。

限られた時間いっぱいに、広大な久万高原町を走りに走った。
走るほどに、お訴えするほどに、私自身の決意もまた、塗り固められていった。

終日、マイクを握りながら、汗ばむほどの陽気に。

小高い山林から、畑から。
農作業の手を休めながら、動かしながら。

たくさんの方々に笑顔で見守って頂き、心から感謝である。

そして。
お忙しい中を、分担しながらお手伝いをくださった党員の皆様に、心より御礼申し上げたい。


2008-03-28

絵に描いた餅、食べられる餅

終日、デスクワーク。

前半は、政務事務、
後半は、明日の街頭遊説の原稿作成。

ねじれ国会といわれ、混迷の度を深めている国政にあって、
わが公明党が取組み、勝ち取った実績のいくつかを整理する。

それにしても、異常事態である。
考えるほどに。


2/29に参院に移された歳入歳出法案は、民主党の徹底抗戦により、
約1ヶ月経過してもなお、審議入りすらなされていない。

昨日の福田総理の緊急記者会見もまた、異例である。

それによると、まずは、平成20年度予算案を成立させ、
地方と国民の生活の混乱を回避するとのこと。

衆院の優越により、それは何とかなるにしても、
問題は、歳出法案である。

いわゆる、税制関連法案が一向に前に進まないのだ。
歳出は決まったが、歳入の見通しが立たない、というのでは予算とはいえない。

そんな中、福田総理は、道路特定財源を、2009年度から一般財源化し、
道路整備中期計画の期間を10年から5年に短縮する、とまで言い切った。

ねじれ国会、というより、こじれた国会運営を、何とか打開しようとの苦労が、
その大幅な譲歩ともいえる協議内容の踏み込みに、見て取れる。

ただ、惜しむらくは、この判断、遅すぎる。
年度末まで、土日を入れても、あと3日、である。

そんな矢先、与野党の幹事長が「道路財源」以外の租税特別措置について、
5月末まで期限を延長する「つなぎ法案」を年度内に成立させることに合意、
というニュースが入ってきた。

これで、ガソリン税等道路財源関係以外の、特定税目の増減による
国民生活と経済活動の大混乱は回避でき、少しばかりの安堵は覚えるが。

道路財源の暫定税率については、ますます期限切れの公算が大となった。
既に、関係業界も消費者も、混乱が始まっている。

生活第一といいながら、
やっていることは、政局第一、の民主党に対して。

こういう状況の中にあっても、実現してきた私たちの実績の1つ1つを、
明日は思い切り訴えたい、と思う。

絵に描いた餅ではなく、食べられる餅にしてこそ、生活第一、であろう。

��写真は、菜の花と、よく見ると真ん中に、みつばち。)


2008-03-27

そういえば、春の甲子園

昨日までの出張から解放され、
久しぶりに、ゆったりと休めた。

早すぎず遅すぎず、なんともちょうどよい、
愛媛のゆったり時間が、やっぱり好きだなぁ。

と、
目覚めの余韻を引きずりながら、議会にて政務につく。
来週の出張準備も、少々。


さて、そういえば、春の甲子園である。

私の中で、すっかり終わった感がするのは、
母校の今治西高校が、敗退したからである。

さすがに残念だし、実力があるだけに、
このタイミングではちょっと寂しい気がする。

戦いぶりは、出張中の街角で、一瞬だけ見ることができたが、
ちょうど、リードをはね返し、逆転したシーンだった。

私たちの頃と変わらぬ応援歌で、欣喜雀躍のスタンドを見ながら、
勝利を確信して、次の行先へと向かったのだが。

翌朝の新聞を見て、まさか、の結末であった。

おそらく、長野日大は、かなりの強豪であろう。
このまま快進撃で、ひょっとするかもしれないな、とふと思った。

いずれにしても。

後輩の皆さんには4季連続の偉業をありがとう、と祝福したいし、
夏にはまたその勇姿を、そしてリベンジを、と心から思う。

一方、私の戦いは、というと。
目の前にうず高く積もった、この書類というか書籍の山、が相手である。

試合に例えると、この大量リードを許した局面、
なんとかはね返さなくてはならないのである。

��写真は、スタンドで振り回したかった、母校の応援タオル。)


2008-03-26

後期高齢者医療制度は、支える側も支えられる側も、自分ごと

東京から帰ったその足で向かったのは、久万高原町。
今日は、月に1度の党員会、の日だ。

3日も東京にいると、
やはり四国はクルマ社会だ、と思わずにいられない。

山を越え、山を越え、三坂峠を下りながら、会場に到着。
春も間近というのに、さすがに久万は肌寒い。

そんな中を意気軒昂に。
今日もたくさんの党員の皆様が、集ってくださった。

市内に比べると少し平均年齢は高いけれど、
笑顔なら負けない、まこと、お元気な皆様である。

いつも、本当にありがとうございます。

感謝の思いと共に。
何かしらのご満足をお持ち帰り頂けるよう祈る思いで、党員会を始めさせて頂いた。

今日の主要テーマは “後期高齢者医療制度” である。

目の前に、対象となる75歳以上がズラリ、の光景に、思わず後ずさりしそうになりながら、
最初に、党本部が作成した学習用ビデオを、皆で視聴した。

当たり前だが、皆様、真剣そのもの、なのであった。

さあ、ビデオが終わって、その空気のまま、質問会。

で、結局、私ゃ、どうなるん?
負担は、上がるん?下がるん?

ごもっとも、である。

皆様にすれば。
この制度が自分にとってどうなのか、が大事なのである。

そして、そんな皆様の前にたたずむ私にとっては。
そうした不安をどう取り除くかが、大事なのである。

さらに、汲み取った皆様の思いを国にフィードバックし、
改善につなげることが、決定的に重要なのである。

私なりに、たとえ話を交えながら、愛媛に置き換えながら、
そして、一杯一杯になりながらも、語らせて頂いた。

特に、制度導入にあたり、公明党が果たした役割は何だったか、という点。

つまり、負担の公平性と2重3重のセーフティネットを盛り込んだ上で、
激変緩和のための軽減措置を実現した点については、今日の核心の部分。

心からお訴えをさせて頂いたわけだが、それにしても。

限界集落から、少子化問題から、話がどんどん展開して、
質問は、永遠か?と思えるほど、長く感じたのであった。

その後、2月議会を振り返っての県政報告を、
自作の編集ビデオを交えながら行い、今月の党員会は終了となった。

さて、今日の何かしらは、皆様お持ち帰り頂けただろうか、
と、いつもながらの不安と恐縮を感じながら。

お集まり頂いた皆様のために、
よし、週末の遊説をがんばろう、と気持ちを切り替えながら。

21:00も過ぎるとハッキリと寒い、久万高原町を後にした。

��写真は公明党ウェブTVより、右:高木陽介党広報室長)
��ご参照URL⇒ http://www.komei.or.jp/ )


2008-03-25

藤原校長の情熱と確信、に学ぶ

昨日に引き続き、東京にて。

午前、石田のりとし衆議院議員と山本ひろし参議院議員を、
衆参それぞれの議員会館に訪ね、種々懇談させて頂く。

昨日のシンポジウムでもご一緒させて頂いた山本ひろし参院議員には、
いよいよ4月から導入される、後期高齢者医療制度に対する現場の声、
特に、行政実務の面での疑問を、いくつか託させて頂いた。

その他の問題も含め、こうした地方の声、生活者の思いを、
国政につなげるネットワーク政党の意義を、有難くかみしめながら。

そして、昼食もそぞろに向かったのが、本日の私の、メインテーマ。
��学校支援地域本部のつくり方」フォーラム、である。

というよりも、生の、藤原和博氏を感じたかったのである。
予想通りというか、予想以上というか、そのアグレッシブに圧倒された。

教育にかける、情熱と確信の塊り、であった。

本ブログで何度となくご紹介したばかりでなく、
今回2月議会の代表質問で、私が引き合いに出させて頂いた藤原氏は、
知る人ぞ知る、東京都杉並区立和田中学校の校長先生、である。

第一部は、その藤原和博校長の基調講演で始まった。

いかにも、リクルートご出身らしいプレゼンであった。
でもって、私がいた、広告代理店と同じ匂いがするから懐かしい。

のっけから、全員参加の“和田中度テスト”。

10問の内、7問以上正解ならかなりな和田中オタク、とし、
会場を笑わせながら、参加者の心をひと掴み。

ちなみに、私は7問正解だったが、まわりは9問・10問の方ばかりだった。
あらら、関係者対象のクローズド会合だったか、と心配したが杞憂ではあった。

さて。

和田中で藤原校長が、学校支援本部を立上げ、
人・モノ・金・愛情といった、地域のリソースを学校に組み込み、

[よのなか]科を始めとする様々な“授業”の改革を進め、
そして目指したものは何だったか。

それは、生徒たちにとって世界で一番通いたい学校にすること、
そして、生徒たち1人1人に情報編集力を身につけさせること、と彼は言う。

情報編集力とは、平たくいうと、つなげる力。

たとえば、[よのなか]科では。

“赤ちゃんポストは是か非か”、とか、“自殺は是か非か”を、
生徒自身で考え、大人と一緒に考え、討論をするのである。

その反復訓練は、世の中のことを、よそごとでなく、他人ごとでなく、
自分ごととして感じ、考え、行動し、解決していく力を確実に養うであろう。

なるほど。

和田中が、最もといってよいほど全国から注目される学校になったのは、
入学希望者が大幅に増加したことや、成績が飛躍的に向上したことよりも。

生徒1人1人の中に、そうした、つなげる力、をしっかりと養い育てたこと、
そして、生徒を中心に、学校と地域をいきいきとつないだこと、に尽きるであろう。

その結果、生徒・学校・地域の3者満足を実現した、
藤原校長のいわれる、つなげる力。

それが、今までの教育に決定的に欠けていた視点であり、個人にとっても国にとっても、
これからの世界を生きる上で、最も必要な条件である、との氏の論に、同意、である。

基調講演に続く、第二部のパネルディスカッションも、
教育行政に携わる方々の熱心な主張が展開され、興味深かった。

さて。

その和田中をモデルとした“学校支援地域本部事業”が、
4月から全国で推進されることになる。

文科省の予算は、実に、50億4,000万円。
これをムダにしてはならないし、きちんと成果を出さねばならない。

文教警察委員会に所属が決まった私にとって、
そうした思いから、イチ早くの視察であった。

藤原校長の、教育にかける情熱を、
自らの五感でしっかりと、受け止めさせて頂いた。

あとは、こちらのつなげる力、である。
愛媛の教育行政の発展に全力あるのみ、なのである。


2008-03-24

目と耳と心を使って感じた、ユニバーサル社会

午前、県民相談対応の後、東京へ移動。

急ぎ足でめざしたのは、
��ユニバーサル社会の実現をめざすシンポジウム」、
という会合である。

ちなみに、ユニバーサル社会というのは、年齢や性別、障害の有無などにかかわりなく、
誰もが個性と能力を発揮し支えあう、共生・共助社会のことであり、同シンポジウムは。

本ブログでも何度かご紹介させて頂いた、社会福祉法人プロップ・ステーション理事長である
“ナミねぇ”こと、竹中ナミ氏の呼びかけに、全国から賛同者が集って開催されたもの。

主催は、社会福祉法人プロップ・ステーションと、読売新聞東京本社。

そして後援は、米国防総省、在日米国大使館、内閣府、厚労省、防衛省、国交省、文科省、
社団法人日本経済団体連合会、日本放送協会、とまさに、国家プロジェクト級である。

従って出席者も、錚々たる顔ぶれ、なのであって。
プログラムに沿ってご紹介すると。

主催者・竹中理事長の挨拶の後、いきなり、福田総理、である。
ただ、現下の国会運営でもあり、ビデオメッセージでの参加ではあった。

続いて、挨拶に登壇されたのは、シーファー駐日米国大使。

アメリカには、1990年に制定された 「障害を持つアメリカ人法(ADA法)」
という、障害を持つ人々に対する差別を禁止した、偉大な法律がある。

シーファー大使は、その導入・修正に関与されたご自身の体験を通して、
ユニバーサル社会の必要性と実現性について、熱く語られた。
実に説得力のある、確信あふれるスピーチだった。

次に、わが公明党の太田代表。

誰もが能力を発揮できる元気な日本を創ろう、と訴え、
��ユニバーサル社会基本法(仮)」の早期実現に対する力強い決意を表明された。

そして、民主党の鳩山幹事長。

ユニバーサル社会は、氏の政治理念である“友愛”に通じるとして、
��ユニバーサル社会基本法(仮)」の実現に、必ず協力する旨のお話であった。
しっかりと、記憶に留めたい。

続いて、米国防総省CAP理事長のダイナー・コーエン氏の基調講演。

彼女は、障害を持つ人々に対する政策支援開拓の、国際的権威である。
また、彼女が理事長を務めるCAPの使命は、というと。

障害を持つ人々に対して、そのハンデをICTによってサポートし、彼ら彼女らが、
健常者と同じ土俵で競争できるよう、機会を開発し調整すること、といえそうだ。

たとえば、両目を失くし、生きる希望さえ失った負傷兵が、その退役後。

視覚を代替する科学技術によって、MBAさえ取得し、さらには米陸軍士官学校の教鞭をとるまでになり、
といったエピソードを語られ、そうしたサポートを、今までに61,448件行ってきたとの報告がなされた。

目が、足が、身体や体の機能が損傷する可能性が、誰にもあること。
と同じように、障害を持つ人々の誰にも働くチャンスを提供すること。

働くということは、自らの存在証明であり、そうした誇りを持って、
すべての人が、障害の有無に関わらず生きられる世界に変えていこう、と結ばれた。

変えていくのは、YOU! and YOU! and YOU!と会場を指差しながら。
最後のYOU!で、視線が合ってしまった。責任を感じた。

続いての第二部は、パネルディスカッション。
竹中理事長の進行で、パネラーは。

基調講演のダイナー・コーエン氏、
防衛大臣の石破茂衆議院議員、
公明党代表代行・与党ユニバーサル社会PJTリーダーの浜四津敏子参議院議員、
弁護士の大平光代氏、
日本経団連専務理事の紀陸孝氏、であった。

石破防衛大臣が、なんでユニバーサル社会?
会場内のそうした空気を察してか、大臣からエピソードを交えた自己紹介があった。

実は、バリアフリー法制定を推進したのは、
当時、運輸委員長であったご自身であったということで、本分野への造詣の深さに納得。

その際、日本のバリア度を実感するために、ご自身自ら車イスで、
羽田空港から品川プリンスホテルまで移動したという徹底ぶりに、なんとも、驚いた。

石破大臣は、世に言う軍事オタクを超えた、人間オタクだな、と思わず感動し、脱帽となる。

わが浜四津代行からは、
障害者が社会に合わせる世の中から、社会が障害者に合わせ皆が共に生きていく社会に、とし、
そのためのユニバーサル社会基本法を何としても実現してまいりたい、との決意が表明された。

その通り、と、こちらまで力が入る。

かようにすべてを綴ることはできないが、実に示唆に富む、刺激的なパネルディスカッションであり、
また、あっという間の2時間であった。

最後に、「ユニバーサル社会基本法の制定に向けて~元気な日本を創ろう~」
が、会場参加者の満場一致を得て、採択されシンポジウムは終了した。

微力であっても全力で。
愛媛をユニバーサル社会にしていくために、必ず、お役に立ってまいりたい。

遠路足を運び、目と耳と心を使って感じた、今の私の気持ちである。

��写真:左から、竹中理事長・コーエン氏・石破大臣・浜四津代行・大平氏とご息女悠ちゃん・紀陸氏)


2008-03-23

龍馬に、励まされに、行こう

午後、東温市の坊ちゃん劇場に招かれ、
封切りとなったミュージカル「龍馬!」を鑑賞させて頂いた。
��ご参照URL⇒ http://www.bochan.jp/ )


感想は、ブラボー、のひとこと。

外国なら、スタンディングオベーション間違いなし、だ。
招かれたから言っているのではないのであって、本心なのである。

そして、本ミュージカルの主人公は、タイトル通り、坂本龍馬なのである。

言わずもがなの、四国が生んだスーパーヒーローだが、
脚本・演出をご担当されたジェームス三木先生によると、

歴史上の人物で国民にもっとも人気が高いのは、
江戸時代までが源義経、明治時代以降が坂本龍馬、だそうだ。

ということは、約140年。

それほどの長きにわたり、日本人の心を、
磁石のように捉えて離さない龍馬の魅力は、いったいどこにあるのか。

それこそが、本ミュージカルの主題であったろう。

ジェームス三木先生が今回描いたのは、薩長同盟から大政奉還、
そして近江屋襲撃にて凶刃に斃れるまでの、約2年間。

まさに、龍馬の生きざまを永遠に輝かせた、
その33年の人生のクライマックスの時間、であった。

それが、先生の手にかかると、見せられる、魅せられる。

歌あり、タップダンスあり。
フラメンコあり、お客さんとの会話あり。

涙と、笑いと、シリアスの波状攻撃で、
気づけば、あっという間の1時間40分であった。

龍馬という人物の志を、現代風に翻訳し演出された
ジェームス三木先生の手腕は、お見事!という他ない。

まさに、ブラボー、なのである。
そしてあらためて、今の時代。

遥かな志ゆえに、決して夢と希望を決して失わなかった龍馬の、
あの自由奔放さと明るさに、私自身、大いに励まされる思いがした。

そして、龍馬独唱のシーンでは。

��♪目を開け 民の暮らしに / 目を開け 民の苦しみに /
 ・・・助け合えば 日本はひとつ
 
♪目を開け 海のかなたに / 目を開け 国の行く末に / 
 ・・・分かち合えば 世界はひとつ・・・ 」

というフレーズが、思わず耳に刺さった。

人間と、世界と、未来に目を向けたとき、
日本も世界もない、私たちは1つである。

そんなメッセージに、
一人の議員として、心を打たれずにはいられなかった。

そして、侍であり、剣術家であり、
船乗りであり、実業家であり。

なおかつ、恐妻家ならぬ恐姉家でもあったが、やはり龍馬は。
空前絶後の、偉大な政治家であった、と思わずにいられなかった。

そして鑑賞後、心が思いっきり洗濯され、
突き抜けたような爽快な気持ちになった。

この感動をぜひ、とばかり、
1人でも多くの方にお運び頂きたい、と思う。

��写真:左から龍馬役の上野哲也さん、私、おりょう役の若松ゆえさん。)


2008-03-22

60年前の松山の、闘士に学ぶ

終日、党務。
ということで、書き出しに苦労する。

その中で、伺ったこんな話。

戦後間もない、昭和23年。
まだ、アメリカ軍が日本に駐留していた頃、である。

松山に、シャールズ中佐という方が着任されたという。
そして、中佐がまず目にしたものは、汚い“お堀”の姿だった。


そこには、ボウフラが湧いていた。
悪臭を放っていただろう、さぞ見苦しかったことだろう。

当たり前である。
焼け野原の中で、生きるのに精一杯の時代なのである。

中佐は、すかさず指示したという。
“お堀を、埋め立てろ!”と。

しばらくして、当時の地元議会は、
これを満場一致で決議したという。

ほとんど占領下の日本である。
仕方がないではないか、という気持ちであったろう。

ところが、それに猛反対したのは、他ならぬ地域住民であった。

“何をいうか!お城とお堀は一体ではないか!
 断じて、認めるわけにはいかない!”と。

いつの世にも、リーダーは存在するものである。
住民の声を聞いた、岡江さんという弁護士が、悠然と立ち上がった。

その気骨は、筋金入りだった。

かつて昭和19年、時の最高権力者である東条英機に対して、
2回も弾劾書を提出した、命さえ顧みない闘士の人、だったのである。

岡江弁護士は、地元紙に糾弾の投書を掲載しながら、
その足でシャールズ中佐を訊ね、堂々と反対を訴えたという。

中佐は、“それは、あなたがたの民意ではないか!”と、
議会の議決をもって、岡江弁護士に切り返した。

岡江弁護士は、してやったりであったろう。
“では、あなたは民意に従う、という理解で宜しいですね!”

その後、再び議会が開かれ、お堀埋め立ての件について、
先の議決が取り下げられることとなったのである。

勝ったのは、住民であった。

さて、この史実は、何を物語っているだろう。
それは、勇気こそが社会を変える、ではなかったか。

郷土の先輩である岡江弁護士の戦いに、学ぶならば。
それは。

わが身を投げ打ってでも、民意を声に出して戦う勇気を持て、
であろう。

しっかりと心に刻み、自身の使命を果たしてまいりたいと思う。

��写真は、上品な芳香ただよう白木蓮)


2008-03-21

送る知己と、出会う知己

朝一番で、企業訪問。

訪ねたのは、私が民間企業在籍時に、大変お世話になった
某食品メーカーの、所長である。

大変ユニークなキャリアを持つその方は、実は、同い年。
松山赴任時の歓迎会で、すっかり、そのお人柄のファンになった。

でもって、とっても心に残る仕事をさせて頂いた。
今も続く、毎週のラジオ番組は、欠かさず聴かせてもらっている。


その所長の転勤が決まり、お別れの挨拶に伺ったという次第で。

引継ぎにお忙しい中、お会いできるのは、この時間しかないということで、
感謝の気持ちをどうしてもお伝えするべくお邪魔させて頂いたのであった。

転勤先は、本社とのこと。

ますますのご活躍を、とお互いにエールを送りながら、
再会を期しつつのお別れとなった。

その足で向かったのは、西予市。
県民相談を兼ねて、終日、先輩に同行し、動きに動いた。

その距離、250㎞。
大変多くの知己を得、さまざまな人生を学ばせて頂いた。

ここは、米どころ、西予である。
どのお顔も、お人柄も、実るほど、である。
絵に描いたような謙虚さが、心に沁みてくるようであった。

20軒ほどお訪ねし、帰る頃、ちょうど夕方。
沈む夕日の立ち止まる町、を通過した。

車中で先輩方と会話しながら、
やはり、若松さんは今日もお忙しいだろうか、と想像しながら。

ちょっと、ここで休憩しましょう。
夕日をパチリ、デジカメに収めた。

やはり私には、このほうの才能は、なさそうだ。

��写真は、その、沈む夕日。)


2008-03-20

世の中の、因と、縁と、果について

夜、支持者の座談会に出席させて頂く。
久しぶりの、地元である。

以前は、週に何度も、少なくとも、月に何度も、
お会いし、お世話になった皆様方である。

月日が変わり、環境が変わったとはいえ、ふと、
もう一度あの頃に戻りたい、という感傷がよぎる。

が、それは、それとしながら、
新たな気持ちで、座談会に臨ませて頂いた。

実に、感動の、ひととき。
触発の、ひととき、であった。

そして。
世の中の、因と、縁と、果、を思わずにいられない、のであった。

私が、今、こうして重かつ大なる役割を担い、働かせて頂いているのは、
そこに様々な縁が、原因となり結果となってつながる、連鎖であって。

その連鎖をたどっていくと、昭和29年まで遡り、あるいはさらに。
この地元に、そのような尊い歴史があったことを、私は初めて知ったのである。

感動せずにいられなかったし、その先輩の志に思いを馳せたときに、
自身の使命を、あらためて覚悟させられるような緊張を、覚えるのであった。

人生に無駄はない、すべてに意味があるということと、
私の人生において、私は、すべての皆様とつながっていることを、思う。

何だか哲学チックになった。
それほど深みのある、会合であった。

私も、皆様に負けないよう、熱い思いを語らせて頂くと共に、
この間の議会活動についてのご報告をさせて頂いた。

掛け値なしで、終始。
親子のような、兄弟のような、皆様の真心を、感じるのみであった。

私は、ただ、ご期待にお応えするのみである。
それは、背伸びをせず、謙虚に、誠実に、着実に、前進する、ということだ。

そういう初心と原点を。
座談会のたびに確認させて頂ける身の福運に、ただただ感謝、である。

��写真は、可憐な水仙。名曲、7つの水仙、が懐かしい。)


2008-03-19

あわて者、上等

午前、そぼふる雨の中、県民相談に走る。

こうした活動は、議員の基本であり、
私の場合も、ほぼ日常活動となっている。

内容については個人情報であるため、
そんな日は、書物の所感など綴るようにしている。

この間は、そうした毎日であった。


と前置きはそれくらいにして、今朝の話。
ポイントは、お調べと折衝の、2点であった。

早速、県庁に戻り、部局を訪ね、種々レクチャを受ける。

お話を伺いながら、あらためて。
タテ割りとは、スペシャリストの異名である、と感じ入る。

民間でいうところの、スタッフに近い。
とすると、営業というゼネラリストの機能も、ぜひ庁内に欲しいところだ。

ともかく、資料を入手・加工し、今度は、折衝だ。

そんな一連の対応を済ませると、再度、相談者宅に引き返し。
ご依頼内容の回答と、経過報告を行なった。

こうして書いてみると、何だか、あわて者のようではある。
なるほど、あわて者、上等。

民間企業の営業時代、対応の速さは価値、という、
それこそ生涯にわたる価値を、叩き込まれたことを有難く思う。

驚かれたように喜ばれる、相談者のお姿が印象的であった。
そして、折衝ごとが上手く運ぶといいですね、とお宅を辞した。

まだ、お昼過ぎ。
机に置き去りの書類の山を、なんとかしなくちゃ。

と焦るほどに。

この置き去りは、優先順位の問題か、キャパシティの問題か。
迷うのであった。

��写真は、県庁第一別館の行き先案内、の一部。各部門のスペシャリスト案内ともいえる。)


2008-03-18

植物園も、マネジメント次第

日経グローカルNo.96(2008.3.17)の、記事。
スポットが当てられていたのは、京都府立植物園。

植物園? しかも、公設?
私の乏しい知見では、ピンと来ようもない。

だからこそ、情報へのアクセスには、貪欲が必要だ。

公立の施設で有名なのは、北海道の旭川動物園だが、
この京都府立植物園も負けてはいない、という記事内容である。

入場者数が低迷していた同植物園を、
着任した2006年度、いきなり前年比約140%の70万人台に回復させたのは、
松谷茂園長、その人であった。

京都大学では農学研究科に学び、専門は、森林生態学、
ということなので、いわばその道のスペシャリストではある。

が、その志と行動力にはビジネスセンスが光る。

まず、着任早々、そのミッションについて次のように自ら振り返られる。

京都府立植物園は、1本の枝、1枚の葉も、府民から預かった大切な財産であり、
府民の税金で運営されている以上、府民に還元するのが僕らの仕事なのだ、と。

パブリックに徹した、その志は、まさにプロフェッショナル。

どのように還元するか、というところから、新たな仕事を創り出していったのである。
つまり、低迷する入園者をどうしたら増やせるか。

職員は、そのほとんどが技術者である。ゆえに寡黙であり、職人気質である。
笛は吹けども、会議は踊らない日々が続いたという。

が、松谷園長は、揺さぶり続ける。

桜の季節に夜間照明を当てた。
否定的な反論が、相次いだ。しかし、断行した。

冬場は、お客様の導線に、温室へ足を運ばせる仕掛けを創った。
再入園システムや、土曜ミニガイド、さらには。

新たに考案した、月1回の、「園長さんときまぐれ散歩」に至っては、
園長の解説そのものを、“商品” にしてしまったのである。

結果、入園者が10年ぶりに年間70万人台に回復したのであるが、
目標は、5年以内に100万人と意気盛んなのである。

一見地味な植物園もマネジメント次第、という好例だが、
それもこれも、すべては。

核となる人であり、1人に始まるのだな、ということを痛感する。
そして、ふと。

人ごとにしてはいけない、と自分に置き換えてみた。


2008-03-17

技術革新とグローバル化、を考える

「大変化」、を一読した。
著者は、エコノミストの伊藤元重氏。

それにしても、ずいぶん、抽象的なタイトルではある。
が、中身は。

国際経済学から見た日本経済と、その発展の可能性について、
かなり具体的に踏み込んだ提言がなされていた。

世界最速進行の少子高齢化、巨額の財政赤字、格差社会、
医療崩壊、ニート・フリーター問題、教育の荒廃などなど。

数え上げるとキリがないほどのマイナス材料を前に、私たちは。
日本経済の未来に対して、なるほど悲観的にならざるを得ない。

が、すべての現象に、「光」と「影」の二面性があるとするならば。

経済現象の、影の部分のみに目を奪われるだけでなく、
光の部分はどこか、そこに着目した将来のビジョンが描けないか。

というのが、私が理解した本書の趣旨。
そして、氏によると。

日本の未来に大きな活力をもたらすキーワードは、
��技術革新」と「グローバル化」、であった。

特に、第8章日本の食糧の未来を考える、には考えさせられた。
ずばり、日本農業の可能性についての示唆である。

ここでも、2つのキーワードからの検証を行なうわけだが、
それは私が日頃抱いていたイメージに非常に近いものであった。

この場合、技術革新というのは栽培技術とか、研究技術というより、
経営技術に近い。あるいは、マーケティング技術というべきか。

平たく言うと。

日本農業の技術革新とは、農業のビジネス化、であり、そのためには、
農業を強くするというよりも、農家を強くする政策こそ肝要、ということだ。

また、グローバル化については、
文字通り、世界と競合するということである。

それは、一義的には輸入自由化を意味するけれども、だからこそ、
技術革新を成し遂げる必要があるし、永遠に保護が通用するものでなく。

山形のサクランボ農家は、その格好の好例であろう。
��佐藤錦」は、外国産がいくら入ってきても決して揺るがないのである。

農業が、国の根幹をなす産業であることは論を待たない。
だからこそ、停滞と衰退が叫ばれる現状を突破する将来ビジョンが、必要なのだ。

もちろんその他の章では、農業以外にも触れられ、特に、カギを握るのが
��DPの約8割を占める非製造、というのは、その通りであろう。

いずれにしても、大変化、である。
世界が大きく変わろうとするその中で、日本も、愛媛も、変わろうとしている。

翻弄されてジリ貧となるか、見極めて活力につなげるか、
今、大きな岐路に差しかかっていると、著者はいう。

世界の変化に遅れないようスピード感を持って、
それを見極める知恵と、行動力を磨いてまいりたい、と思う。


2008-03-16

社会を変える仕事、を考える

そうか、そういうことか。

私の頭の中のモヤモヤの1つを、あらら、スッキリと整理してくれたのは、
「社会を変える」を仕事にする、という本。

副題は、社会起業家という生き方。
著者は、弱冠、というか29歳。

昨年7月。

ニューズウィーク日本版 「世界を変える社会起業家100人」 に選ばれた、
NPO法人フローレンス代表理事の、駒崎弘樹氏、その人である。
��ご参照URL⇒ http://www.florence.or.jp/about/ceo/ )

完全に共感した、というと、大げさか。

とりあえず今の仕事ってどうよ、と自問自答して、もう1つスッキリしない、
という、特に20代・30代の皆様には、ぜひともおススメしたい1冊だ。

今、私たちの生活を取り巻く様々な問題を解決し、
よりよい社会に変えていくのが、政治家の仕事、とすると。

よくある、国と地方、官と民、という二元論ではなく、
結局その範疇を出ない、予算配分の見直しとか、従来制度の改善とかの技術論でもなく。

そうした、上からの、カタチからの、今までの、アプローチでは決して生まれることのなかった、
地域や社会の、生活現場から社会問題を特定し、その解決をめざす、という新しい仕事。

社会問題の解決によって、結果的に、よりよい地域と社会に変えていくことができる、
それが、社会起業家の仕事、と彼はいう。

ならば、政治家も、社会起業家も。
社会を変える、よりよい社会に変える、という本質において、見事に一致する、と思った。

地方に生きる私たちは、ナニナニ崩壊、という現実が、たくさんある。

それに対して、私がもう1つスッキリしなかったというのは、今まではともかくこれからは。
それを、一人政治の力で何とかする話でも、できる話でもないのではないか、ということだった。

駒崎代表は、病児保育の崩壊、という現実を社会問題と捉えた。

そして試行錯誤の末、その解決の第1歩として、
保険的病児保育サポートシステムという事業を立上げた。

最初の1歩は、残念ながら、政治ではなかった。

彼は、これは社会問題ではないか、
つまり、たくさんのお母さん方が困っているのではないか、

という仮説を抱いたが、行政は抱けなかったのである。

が、そこから彼の事業が軌道にも乗り、
病児保育の取組みを一気に全国に広げたのは、まぎれもなく行政のチカラであった。

ここに、大きなヒントを感じてならない。

地域に根ざした、地域固有の問題を肌身で感じることができるのは、
まぎれもなく、そこに生活する私たち自身である。

久万高原町で困っている問題と、今治市で困っている問題は、まったく異なるし、
愛媛で困った問題と、愛知で困った問題もまた、まったく異なるのである。

それを、他者に任せるでなく、他所に求めるでなく。

私たち自身で解決をしていこう、という“社会起業”という考え方そのものを地域に広め、
その1人を創り、育て、広げることを可能にする、パートナーシップを行政が果たしていく。

間違いなく、世の中はそんな方向に進むであろう、確かな予感と新たな可能性を、
同時に感じさせられた、この1冊。

機会を得て、駒崎代表に、思うところをぶつけてみたい、と思った。


2008-03-15

異例の、朝のこと

朝、地元紙を開いて、目が点になった。

昨日のブログで、自身にとっての2月県議会を振り返ったが、
今朝の朝刊では、政治部記者が、振り返っているのである。

でもって、その見出しが、
��意義大きい与党の反対、公明・新政ク 異例の姿勢」 と、強烈なのである。

さらに、話の中心は、私たち会派の動きに関する評価がほとんどであり、
その上、囲み記事、なのである。

わが党県本部の井上顧問も、長い議員生活で初めてじゃ、と言われるし、
政治部記者に総括されるほど、インパクトの大きなことだったらしい。

思わず、広告料金に換算すると、20万円弱?
と、余計なことまで考えてしまったのである。

以下、記事の関連部分を抜粋すると。

��県の2008年度当初予算案を中心に審議した2月定例県議会が
14日、閉会した。財政難による歳出削減の県内経済への影響を
議論したが、特に与党の公明党・新政クラブが心身障害者扶養
共済制度の掛け金に対する県単独補助金の段階縮小・廃止方針
に「会派としては断固、反対する」と強い表現を用い、真っ向から
異を唱えたことに注目したい。」

との書き出しで始まり、

��代表質問に登壇した同会派の木村誉氏は「財政難の中で福祉
や障害者支援の後退を危惧する」と強調。本会議の採決でも、
国の制度改正に伴う同共済掛け金値上げを盛り込んだ関係条例
改正案に反対した。」

のは、その通りであり、

��公明党は07年7月の参院選で、年金問題をはじめとする与党への
強い逆風を受け全国的に苦戦を強いられた。このため、参院選後、
生活者重視という原点回帰を打ち出し、民意をくみ取ろうと、県内の
自治体議員が盛んに支持者と対話を繰り返している。」

のも、その通りなのである。
そして、

��県議会では議員47人中、最大会派の自民党が34人と圧倒的多数
を占める。県の各種施策は理事者と自民党の水面下での非公式協
議を経て成案となることが多く、本会議に上程された時点で可決が
ほぼ決まっているのが実態だ。」

として、

��しかし、そうであっても、議場という公の場で県民の実生活に基づく
議論を展開する意義は大きい。議論の積み重ねにより、理事者の軌
道修正につながる可能性があるからだ。今後も財源不足に対応した
県民生活へのさらなる切り込みが想定される。県の「選択と集中」方
針へ民意を確実に反映させるため、各会派には「是々非々」の立場で
の一層活発な議論を期待したい。」(2008年3月15日付・愛媛新聞3面)

と、結ばれていた。

ご期待にお応えできるよう、謙虚に誠実に、がんばってまいりたい、と思う。
ちなみに。

本件を除いて、私にとっての今議会最大のインパクトはというと、
自民党・篠原議員の、県政を動かせた、あの、代表質問である。

きっとこの先も忘れられない、衝撃であった。

��写真は、県議会議事堂内の絵画作品「石鎚展望」。剛健を杖とし、たゆまず、を想う。)


2008-03-14

すべてに勉強、の1クール終了

今日は、2月定例県議会の最終日。

総額7,916億円の平成20年度当初予算をはじめ、
議案84件、請願4件の表決が行なわれた。

民主党が提出した、道路財源意見書以外の83件が可決し、
請願4件は、いずれも不採択となった。

詳細は、明日の地元紙と会議録に譲るとして、
最終日のいくつかのトピックスを紹介すると。

副知事に高浜壮一郎氏(現・農林水産部長)が、
県教育長に藤岡澄氏(現・企画情報部長)が、それぞれ就くこととなった。

特に、私にとって。
母校の先輩である高浜新副知事には、格別の祝福を申し上げたい。

また、吉野副知事、野本教育長には
長年のご尽力に心より感謝を申し上げたいと思う。

一方、正副議長も新たな顔ぶれとなった。

自民党の申し合わせによる任期満了で、議長・副議長選挙が行なわれ、
新議長に清家俊蔵氏、副議長に薬師寺信義氏が就くこととなった。

交代される横田議長、西原副議長には、1年間の激務に感謝を申し上げたい。

新人の私にとって、登壇の際の、木村誉議員!という、
お二人それぞれのご指名の声は、おそらくいつまでも思い出に残るに違いない。

またまた、であるが、本当にこの日はもりだくさんであって。
常任委員会・特別委員会の所属替えも、行なわれた。

私は、特別委員会は現状どおり、地域活性化特別委員会となったが、
常任委員会は、環境保健福祉委員会から文教警察委員会に替わることとなった。

なかなか、生きた勉強をさせて頂いているな、と思う。

その他、4/1付の本庁の組織改正と、職員の人事異動が発表された。
私の手動計算によると、異動者数1,736名、退職者数307名。

多少の誤差はあしからずだが、2,000名を超える方々が、
新たなステージにて、その第1歩を踏み出されるのである。

昨年の自分を思うと、思わず、
エールを送らずにはいられないのである。

以上が、最終日のトピックスであるが、
返す返すも私にとって、大きな大きな、2月定例県議会であった。

次回定例は6月だから、これで新人議員として、1クール経験したことになる。
思えば、赤面も多々、青くなる場面も多々、であった。

そしてその最後に、有難くも、会派代表質問まで経験させて頂き、
その内容が翌日の地元紙で特筆されたことも、貴重な勉強となった。

1クール、すべてに無駄なし。
みな、勉強。

標語のようだが、本心である。
初心を忘れず、2クールめも、謙虚に着実に、前進してまいりたい。

��写真は、県議会議事堂内のオブジェ「朱の翳にある三つの方形/森尭茂作」。知ってる人は知っている、か?)


2008-03-13

肩で息したのは、26年ぶり

議会休会日の今日は、久しぶりに身体を動かした。
というのは。

実は、県議会には野球同好会というものがあって、
何事も経験とばかり、私も所属しているのである。

というか、
なぜか、ほとんどの議員が所属している大所帯、なのである。

そして、夕方、短時間ではあったが、
市内のグランドにて、今年初めての練習が行なわれたのであった。

私は昨年、ことごとくスケジュールが合わず、
1度も参加したことがなかったため、興味と緊張の初参加となった。

もう、びっくり、である。
まさに、猛練習なのである、わたしにとっては十分に。

そもそも、同じ1期生の石川議員に同行したのが、まずかった。
彼は、元国体選手で、かつ、現役バリバリなのである。

しかも、昨年行なわれた、第7回シニア軟式野球選手権大会で、
全国優勝した、新居浜フィフティーズの正捕手であられるのである。

じゃあ、軽くいきますか?

と、いきなり、グランド3周から始まったが、私には、どだい無理な話。
高校卒業以来、ランニングひとつしたことがないのだから。

1周でギブアップとなり、26年も怠けた身体を、痛感する。
そして、ストレッチのあと、50mダッシュを5本。

ハーハー、肩で息をするのは何年振り?
と、なんとか付き合ったものの、

何度走っても、50mなのに20mは離される始末、
キツイのは身体だけでなく心も、となる。

その後、全体でキャッチボール、トスバッティングと続き、
最後に練習試合が始まった。

それにしても驚いたのは、野球経験者の多さ、である。
確かに、そういう時代ではあったにせよ、

どおりで、皆さん、上手いはず、
というか、上手かったはず、という感じである。

わが県議会チームは、四国大会では、ここのところ、いつも優勝。
遠いかつて、全国大会でも優勝経験あり、と伺ったが、頷けた。

それと、もう1つ付け加えると、声がやたらデカイこと。
グランドに響くヤジとツッコミは、さすが、議員集団なのであった。

でもって、練習試合の結果は、私たちのチームの勝利に終わった。
私の成績は、3打数1安打1打点、セカンドの守備機会2、であった。

その後、場所を移しての懇親会となったが、大いに交流を深めさせて頂いた。
そして、いつもとは違う先輩方の一面を知る、有意義なひとときでもあった。

帰宅すると、足を運ぶのも、身体を曲げるのも、やっと。
バタンキュー、と横になり、運動の必要性を痛感する以外、何もなかった。


2008-03-12

宝の存在と、宝の場

夜、松前町を訪ね、党員会に出席した。

何度かお声をかけて頂いたものの、あいにくスケジュールが調整つかず、
私にとっては今回が初参加、となった。

久しぶりに、お元気な皆様とお会いでき、大変うれしく思うとともに、
お1人お1人、その献身的な日頃のご支援に、心より感謝を申し上げた。

この日は前半、町職員をお招きし、後期高齢者医療制度の勉強会を行なったが、
当事者世代の高齢者も多数参加されており、皆さん、熱心に耳を傾けられていた。

制度設計全体を、約20分の説明で把握するのは、なかなか難しい、
というのが、私の正直な感想である。

要は、なぜ新制度を導入するのか、ということの理解と、
導入後、私や私たち家族に対する医療サービスと負担はどう変化するのか、という具体提示。

この2点が対象者の最大関心事であり、最も不安を覚えるポイントと推察したが、
やはり、質疑の中で、そこを問う声が上がった。

今後、いよいよ制度の導入が始まるにあたり、こうした質問は増えてくるであろうし、
その時、ご理解を頂けるだけの的確なご説明準備が必要だな、と気を引き締めさせられた。

後半は、松本ひふみ松前町議の話に続いて、私の出番となった。

時間は、約1時間。
たっぷり、すぎるほどである。

昨年から今日に至る御礼のあと、
まず、私がこの間、見て動いて感じた、県政の実際について、というようなお話をさせて頂いた。

赤裸々というか、ぶっちゃけというか、ここはオフレコである。
正直にありのまま、お伝えさせて頂いた。

途中途中で、笑いが起きたのは幸いであった。
普通に話せば、政治のことは、大概、おタカイか、おカタイことが多いから。

但し、念のため。

毎日ブログをご覧くださる理事者各位と、たまにご覧くださる議員各位に
ご心配をおかけするような内容ではないので、あしからず。

続いて、2月議会に関するご報告と、
党本部から配信された国政の最新情報ビデオ学習を行ない、
短時間ではあったが、質問会にて種々のご要望を承った。

終わってみると、あっという間の1時間。

終了後は、皆様お1人お1人をお見送りしながら、さまざまに温かいお励ましを頂いた。
尽きぬ勇気が、湧いてくる。宝物のように有難い、皆様と、皆様との場。

果たして、その後は、第2ラウンドの個別相談となるも、このように。
県下各地で毎月行なわれる党員会は、私にとって、宝、なのである。

��娘に“宝物は何?”と聞くと、持ってきた、丸川製菓のフェリックスガム。懐かしすぎ。)


2008-03-11

とすると、が止まらない

日中は、県民相談。
夕方から夜にかけて、党務の1日。

内容にちょっと触れにくいので、今日は、この1冊。
��分裂にっぽん」(朝日新聞社刊)。

いわゆる “格差問題” をテーマに、
その光と影、それぞれの現場で何が起きているか、
を追った、渾身のルポルタージュである。

本誌を貫く仮説は。

一億総中流が崩れた日本は、経済のみならず、医療、教育その他、
生活のさまざまな場面で「分裂」に向かっているのではないか、

ということであった。

格差問題について、今ほど認知が進んでいない2005年時点の仮説だから、
メディアとして、その兆しを察知してのものであったろう。

記者の鉄則どおり、取材班は全国各地へと足を運ぶわけだが、そこには、
それぞれの現場における、生活者の生々しい現実が、詳細に綴られていた。

特に、第4章は、しまなみ海道周辺の取材。

愛媛県側では、今治市をはじめ、大三島や弓削島、豊島、魚島など、
すべての事例が、光と影の、影として、取り上げられていた。

たとえば、魚島。
合併後、島の人口290人のうち、約1割が島を出た。

とある老夫婦が、神戸に住む息子さんと暮らすため島を出るときのくだりでは、
涙ながらに、「魚島で死にたかった」と。

しまなみ、で生まれ育った私にとって、こうした取材記事の1つ1つが、
他人事でありようがなく、肌身に沁みる自分ごと、として迫ってきた。

親戚や、友達のおじちゃん、おばちゃんや、お世話になった先生、
その方々の現実問題であるからだ。

そんな、しまなみで、記者が見たものは。

たとえば松山など、周辺の“強い”街へカネも人も動いているという現実であり、
この章を、地方の都市間でも格差の断層はますます広がっている、と結んでいた。

その他、光と影の、光の部分も、すごいことになっており、驚かされるのだが。
いずれにしても、分裂が急速に進んでいる、と。

さて、と、自分の頭で考えてみると。

こうした生活のさまざまな場面、分野、次元、局面ごとに広がる、格差と分断は、
実は、国内だけではなく、他国内でも、国際間でも、厳然と、生じている。

とすると、
私たちが生きる、時代そのものが抱える問題、だろうか。

とすると、
真因は、産業革命が人々に、それまでの価値観との決別を余儀なくし、時代を画したように、
��T革命が引き起こしたグローバリゼーション、という流れそのものがそれに当たるのだろうか。

とすると、が止まらない。
日々頂く県民相談の1つ1つを通して、この問題に取組んでまいりたい、と思う。


2008-03-10

東温市は、ロハスタウン

日経グローカルNo.95にて、
おぉー!っと、地元に関する記事を発見。

取り上げられたのは、東温市。
サステナブル都市への胎動シリーズの3回目、であった。

家庭の太陽光発電導入を積極支援、
廃食用油や木質ペレット利用も推進、

との見出しに、
再生エネにかける小都市(愛媛県東温市)、という副題が並ぶ。


ちなみに、サステナブルというのは、持続可能という意味であるが、さて。

地球温暖化は、もはや、世界の共通認識であり、
温暖化対策は、世界共通の、喫緊の課題である。

そんな中、ヨーロッパの各都市では、その対策の切り札として、
化石燃料に代わる、再生可能エネルギーの導入が、大きな潮流になっているようだ。

そして、日本でも。

豊かな地元の自然資源を活かして再生エネルギーの導入に力を注ぐ動きが出始めたとして、
愛知県田原市とともに、わが東温市の取組みが紹介されているのである。

私も、昨年8月、委員会視察で同市を訪れたことがある。

その際、高須賀市長ご本人から、
同市の「地域新エネルギービジョン」についてご説明を頂いたのであった。
��ご参照URL⇒ http://www.city.toon.ehime.jp/eco/gaiyou-energybision-h17.pdf )

環境に対する市民の意識の高さと、
市長が先頭に立ち強力に推進される、その熱意に感激したことを思い出した。

記事には、2015年度までに化石燃料の消費量を20%削減することを目標に、
その代替エネルギーとして、太陽光発電、木質バイオマスエネルギー、
��DF(バイオ・ディーゼル燃料)などの導入に取り組む詳細が、書かれていた。

その中で、私が特に注目したのは、
同市がロハスタウンをめざしている、ということであった。

それまで知らなかったのだが、東温市は、人口当たり医師数が全国の都市で最多なのである。

そうした医療福祉施設の充実などから、
��環境と健康」を前面に打ち出した「ロハスタウン」を、めざすべき都市像に掲げているのだ。

なるほど。
等身大の、すばらしいコンセプト、と思う。

そんな同市の人口は34,000人。
近年、着実に増えているのである。

県下の各市町が、環境に配慮しながら、独自の顔を創っていく、
そんな頼もしい、知恵の開発競争、の一端を垣間見た思いがした。

そして。
県もまた、他県との、負けられない競争は始まっているのだ。

実に大きな宿題、を思わずにいられないのであった。


2008-03-09

ほぉよ、僕ら、できるんじゃが

アメリカ合衆国上院議員、バラク・オバマ氏(46歳)。
いうまでもなく、時の人、である。

現在行なわれている民主党・大統領候補予備選は、
ヒラリー・クリントン氏との、伯仲の、一騎打ち。

ヒートアップする世界のメディア報道は、
勝負の展開についてまだまだ予断を許さない、という。

そんな、アメリカ史上初の黒人大統領、になるかもしれない彼の著書、
��合衆国再生」(ダイヤモンド社刊)を読んだ。

400ページを超える分量もさることながら、
文法直訳の文章解釈に難儀した1冊であった。


その分、洋画の日本語吹き替えナレーションのように、
これぞアメリカ、的な臨場感が味わえたともいえる。

重厚な内容を、まとめると。

彼の、生い立ちから現在に至るキャリア形成についての告白をベースにしながら。

現在、アメリカが抱えている様々な困難を、自国の歴史の上から検証し、整理し、特定し。
それらに対する彼のビジョンとアプローチを提示した、愛国のメッセージレター、というべきか。

タイトル通り、実に、意欲的な1冊であった。

さて、そんな彼は、私より2つ年上。
たった2歳違いなのに、えらい違いである。

それはさておき、こんなエピソード。
彼が26歳のとき、ある先輩から次のように問いかけられた。

��年齢を重ねるうちにわたしが知ったのは、
人は自分に満足のゆくことをしなければならないということだ。
��中略)
そして問題は、自分以外にその疑問に答えてくれる人はいないということだ。
その答えは自分で見つけるしかない。」

そして、20年が経った今、彼は。
その先輩の言葉に感謝している、という。

��自分は(中略)、テレビカメラのまばゆさや群集の拍手の中に満足は見つからないと知っている。
その満足は、
人々が多少なりと威厳を持って暮らしていける力になれたと実感したときに得られることが多いようだ。」

と、見つけつつある自らの答えを語り、そして。

“あの男は人の役に立つ人生を生きたと言われたい”、と母親に手紙を書いた、
ベンジャミン・フランクリンの逸話に思いを馳せながら、続ける。

��いま、わたしに満足をもたらすものはそれのような気がする。
家族やわたしを選出してくれた人々の役に立ち、
子どもたちの人生がわたしたち自身の人生より希望に満ちたものになるような
遺産を残すことから満足は得られるのだと。」

その部分、次元は異なるといえども、私も同じであり、まったく違わないのである。

彼の多くのメッセージに対して、あるいは、同時代を生きる同世代として、
��es,We Can! (ほぉよ、僕ら、できるんじゃが!)、と強く思った1冊であった。


2008-03-08

誰に対して責任を負うのか、を考える

今朝の、愛媛新聞。
思わず、目に留まった。

昨日の、環境保健福祉委員会の一部、
障害者扶養共済制度・県条例改正案について、の記事である。

掛け金上げ 委員会可決。
賛成多数 公明・共産が反対。

そんな見出しに始まり、以下は、記事の抜粋。

��県が2008年度から心身障害者扶養共済制度の掛け金補助を段階的に縮小し
12年度に廃止する方針を打ち出す中、県議会の環境保健福祉常任委員会は7日、
掛け金値上げなど国の制度変更に伴う条例改正案を審査し自民と社民・護憲連合
が賛成、与党の公明・新政クラブと野党の共産が反対し、賛成多数で可決した。
ただ、加入者には二重の負担増となるため、賛成した会派からも県に方針再考を
求める声が相次いだ。」(2008年3月8日付・愛媛新聞3面)


昨日の模様は、まさに、その通り、であった。

これについて様々な思いが今もあるし、
また、この間、たいへん多くのことを学ばせて頂いた、と思う。

すべて綴られないとしても、やはり、心に刻ませて頂いたのは、
私、あるいは私たち会派は、誰に対して責任を負うのか、ということである。

それは。

庶民の気持ちがわかり、その思いを代弁する者として、
特に、弱者である福祉という分野に光を当てる者として、

本来の公僕として真面目に汗をかいて働く者として、
期待を寄せてくださる、すべての方々に対して、であろう。

そういう意味では、与党会派にありながら。
私たちに、今回の態度を貫かせたものは、そうした方々の叫びであった。

結果的に可決された点では、
やはり、政治は数の力、という現実を痛感せざるをえない。

が、一方で。

��賛成した会派からも県に方針再考を求める声が相次いだ」ところに、
私は、当事者の叫びが、確かに伝わったことを、確信してやまない。

誰に対して責任を負うかということを深く刻ませて頂き、
様々な意味で今後につながるであろう、1つの大きな戦いだった。

そんな思いで記事を読んでいると、当事者からメールが届いた。
ありがとう、の趣旨。

こちらこそ、なのであります。

��写真は、県庁内の風景から。天皇陛下御即位記念植樹、の松。)


2008-03-07

常任委員会から、母校OB会まで

環境保健福祉委員会、2日目の今日は、
保健福祉部の所轄事案の審査であった。

庁内で唯一、予算が増大する社会保障関連を扱う部局だけに、
理事者側の新年度当初予算案の説明だけで、小一時間を要した。

今回の本会議で、私たち会派は。

障害者扶養共済制度の掛金補助の段階的縮小・廃止について、
断固反対、との意思表示を行なった。

与党会派にあって、熟慮と勇気を要したが、
私たちを毅然と決断させたものは、当事者ご家族の叫びであった。

その時、私の心は打ちのめされたのである。

一方において、地方交付税が急速に減額され、歳入が減り続ける中、
社会保障関連の県費負担が、このまま増え続けて良いはずがない。
財政は早晩、立ち行かなくなる。

その自明の中で苦渋の決断というなら、行政は。
心と体にどれだけ汗をかいているか、問いたかったのはその1点である。

そしてそれは、自身に向けても然り。
今も問い続けている。もっと他に方法はないか、と。

その他、熱心な議論が今日も続いたが、詳細は後日の会議録に譲るとして。
終了後、場所を移して引き続き、本委員会の懇親会が開催された。

新年度から、議員・理事者とも、顔ぶれが入れ替わる可能性があり、
1年間を共にしたこのメンバーでは最後となる、いわば、お別れ会。

新人の未熟をいつも暖かく見守ってくださった、白石委員長、鈴木副委員長に、感謝。
そして、森高議員をはじめ、種々ご指導頂いた先輩議員の皆様に、感謝。

的外れと浅学の私に、1から丁寧に教えてくださった、すべての理事者の皆様に、感謝。
テーブルを回りながら、皆様に、心からの感謝を申し上げさせて頂いた。

また、この日は、県庁蛍雪会の懇親会が同時間帯で開催されており、
遅ればせながら私も、駆けつけさせて頂いた。

蛍雪会とは、母校・今治西高校のOB会である。
頭に県庁がつくから、県庁職員・県議の同校OBの集い、ということになる。

職員数、約300名。議員数、6名。
数字だけ見ると、もはや一大勢力、である。

この項、また改めて、と思うが、なんと母校の有難き、なのである。

肩書きも、年齢も、距離さえ超えて、
あの方この方と、一気にお近づきになれてしまうのである。

あっという間のひと時の最後は、お約束の、校歌斉唱。

壇上で指揮を執られたのは、先輩・豊島議員である。
皆様にお見せしたいほど、実に見事な、勇姿なのであった。

��写真は、4季連続が眩しい後輩たちの、今春センバツ出場記念タオル。)


2008-03-06

地球温暖化から、レンタルお姉さんまで

今日から、環境保健福祉委員会。
初日の本日は、県民環境部の所轄事案の審査である。

いつものことであるが、実にわが委員会は発言が活発、なのである。
うかうかしていると、発言の機会を失ってしまうのである。

新人の身としては、何かと恐縮が先に立ちながらも、
敢えて最近は、ハイハイっと、先頭を切って挙手するようにしている。

これは、一杯一杯の裏返しに他ならない。

いくつか質問をさせて頂いたが、その中で、
地球温暖化防止の取り組みについて触れたい。

いよいよ本年から2012年まで、京都議定書の約束期間が始まる。
わが国の温室効果ガスの削減目標は、1990年比でマイナス6%。

ところが、2006年度で既にプラス7%であるから、
実質目標はマイナス13%、なのである。

では、本県は、と問うと、2005年度で何とプラス23%、
実質目標はマイナス29%、なのである。

そして内訳を聞くと、その2/3を産業界が占めるとあって、
ある意味、製造業主体の本県としての宿命的課題といえそうだ。

しかし、コトは世界共通の最重要課題。
何としても達成していくという姿勢を、僭越ながら確認させて頂いた。

詳細は、県議会ホームページの会議録に譲るとして、
委員会の活発は、夕方近くまで続いた。

そして、夜。
��PO法人ヒューマン・チェーンセンター主催のセミナーに参加した。

タイトルは、「ニート・引きこもりからの脱出」。

冒頭、「ニート・引きこもる若者たちへの支援活動の現状と課題」と題して、
同センター理事長の戒田優氏から、約30分の講演があった。

戒田理事長とは、KHJ愛媛こまどりの会で面識を得たのだが、実に熱い方だ。
この問題をライフワークとされる、情熱の塊である。

今後ともご教授を頂きながら、協力して問題解決に取組んでいきたい、
と思わずにはいられないくらいに、こちらまで熱くさせる講演であった。

続いて、「君といっしょに歩いていく~訪問活動の重要性~」と題して、
あの、レンタルお姉さん、川上佳美さんの講演を拝聴した。

今は、NPO法人ニュースタート事務局を旅立たれて、
日本若者訪問支援協会代表として、ご活躍されている。

体験と信念に基づくお話に、終始、感服させられた。
自信がみなぎり確信あふれる彼女は、とても私より1世代下とは思えない。

そして、正直。

今を、“わざわざ、ウザイ人が必要な時代” と、彼女は言う。
なるほど誰しも、ウザイ、といわれることを恐れ、避ける時代である。

そうした価値観が、
ニートや社会的ひきこもりをここまで産み広げたのだとすると。

ちょっと昔の家族にあった、近所にあった、あのウザったさを、もう一度取り戻そうよ、
そんなメッセージを、私は彼女から受け取った気がした。

そして、そのウザったさを、確かな人間関係として成立させたものは何だったか、
と考えると、それは“信”なのだ、と思う。

相手を信じ、自分が信じられた時代を、今度は私たちの手で。
現代に即したカタチで創っていくのだ、その取り組みはこうして始まっているのだ。

そんな勇気と希望を頂いたお二人に、心から感謝を申し上げたいし、
これからあらためて連帯を強め広げていきたい、と心から思う、有意義なセミナーであった。

��写真は、左から戒田理事長、レンタルお姉さんこと・川上佳美さん、に緊張する私。)


2008-03-05

一般質問、3日目

今日は、一般質問最終日。

論戦は、午前、住田省三氏(自民)・豊島美知氏(民主)、
午後、村上要氏(社民・護憲連合)・明比昭治氏(自民)、の順。

傍聴席の大応援団に見守られながら、
本日最初に登壇されたのは、自民党の住田議員。

食・医療・防災・治安など、
主に県民生活の安全という観点から質問を構成され、

地元問題もしっかり盛り込むなど、多岐にわたり、
制限時間筒一杯のボリューム、であった。

したがって、理事者の答弁に要した時間も、約40分。
今議会では、ダントツの長さであったろう、と思う。

続いて、民主党の豊島議員。

体調を崩されたのか、声にいつもの張りが感じられなかった点が、
母校の後輩としては、少し気になるのであった。

その質問は、大きく3点にまとめられた。
地方公務員の国籍条項撤廃、高齢者虐待防止、児童の社会的養護について、である。

私にとっては知見の広がる有意義なテーマであったが、
民主党副代表として拝聴した場合、いろいろ考えさせられた質問であった。

午後は、社民・護憲連合の村上議員。
駆け出しの私にとって、いつもながらだが、役者の違いを感じさせられる。

会派の制約上、持ち時間は20分間であったが、再質問を行なうほど自由自在に、
食の安全、交通安全、離島航路、地方局再編、に関する質問を行なわれた。

そして一般質問の大トリは、自民党の明比議員。
傍聴席は今回もしっかりと、地元大応援団で埋められていた。

質問内容は、三浦保愛基金、地域資源を活用した既存企業の新事業支援のほか、
教育、環境保全、アスリート育成など、将来を見据えながらの持論を展開された。

私が特に注目したのは、四国4県における製造品出荷額で見た場合の、
県別で愛媛が、市別で西条市が、それぞれダントツのトップであるという事実である。

あらためて、わが県の経済力のベースは、製造業であることを認識した。

その上で、かんきつ・養殖水産など、高品質で競争力のある第1次産業など、
本県の強みに根ざした新ビジネスの創出が、地域経済活性化のカギである、
とする論調には、私も同意するのみ、である。

聴き応えがあり、考え甲斐のある、一般質問最終日であった。
明日からは、論戦の舞台は、常任委員会に移される。

使命感と情熱を持って、しっかり取組んでまいりたい、と思う。

��写真は、親戚から届いた、はっさく。毎日の食卓を飾るかんきつに、心から感謝。)


2008-03-04

一般質問、2日目

論戦は、続く。

今日は、
午前、三宅浩正氏(自民)・笹岡博之氏(公明党・新政クラブ)、
午後、佐々木泉氏(共産)・菅良二氏(自民)、の順で行なわれた。

三宅議員は、私を含めて1期生議員の大トリを飾る、初登壇。

満を持してとはこのことで、日頃の政務調査の丁寧さが随所に感じられたし、
治安・教育に関する並々ならぬ情熱と揺るぎない主張には、大いに触発された。


冒頭、自ら議員を志したのは、
そうした思いを、この場所に立ち、きちんとぶつけたかったから、と三宅議員。

曲げない強さ。
というか、揺るぎない、その保守に対する信念に、圧倒される思いがした。

続いての登壇は、わが会派の笹岡議員。

医療と教育に関する質問を中心に組み立てられたが、アプローチの巧みさに思わず唸った。
手前味噌ながら、さすがわが代表、と思うし、実践を通して学ばせて頂く有難さ、を思った。

佐々木議員は、常任委員会・特別委員会ともにご一緒させて頂いているだけに、
その舌鋒の鋭さを、日頃から間近にしてきたが、この日も、その姿勢は変わらない。

共産党の視点から、国防・医療・警察問題を取り上げ、攻めまくられていた。

そして本日のトリは、自民党の菅議員。
毎回のことではあるが、傍聴席が満員御礼状態である。

空手で鍛えた堂々たる体躯に、よく通る声。
まっすぐ傍聴席を見据えながら、笑顔で。

首長も経験された菅議員の辞書には、おそらく、動じるという言葉はないだろう、
と思うほどに、議場内の空気を和やかに一変して、グイグイ引きずり込む力が、あった。

医療問題、中小企業対策を中心に組み立てられたが、
それはまさに、私たち公明党の注力分野でもあり、大いなる共感と刺激を受けた。

4者4様の論戦は。

異なる視点から、それぞれが県民利益をめざす、真剣勝負である。
ゆえに、議員席の私たちもまた、耳目も真剣に、拝聴させられるのである。

そして今日もまた、新人の私には。
実に有意義な発見の連続、の、一般質問2日目となった。

��写真は、菅議員の地元、私も地元、の、しまなみ海道)


2008-03-03

一般質問、初日

いよいよ、一般質問が始まった。
本日の登壇者は、4名。

午前は、田中多佳子氏(自民)・横山博幸氏(民主)、
午後は、野口仁氏(社民・護憲連合)・中田廣氏(自民)、の順であった。

田中議員は、いつも。

傍聴席を一杯に埋め尽くした支持者に対する、その深々としたお辞儀から質問を始められる。
日頃の感謝の気持ちと決意をお伝えしようとされるのが、十分に伝わってくる。


自民党県議団唯一の女性議員として、女性・母親ならではの視点から、県政課題を取り上げ、
質問展開される田中議員の、その面目躍如たる姿に、大いに学ばせて頂いた。

横山議員の内容は、多分に代表質問的であったろう。
知事の政治姿勢と道路特定財源について、真正面から切り込まれる姿が強烈であった。

野口議員は、教育・防災・放置森林・限界集落など、社会の壊れそうな部分にスポットをあて、
それらを壊してはならない、と質していかれる姿に、共感を覚えた。

そして、本日の最後を締められたのは、中田議員。

最大会派にあって、今回が、初登壇。
傍聴席には、応援団がびっしり、である。

議場内は私語も鳴り物も厳禁であるが、
中田議員のハートには、その大声援が鳴り響くように届いたであろう。

満面の笑顔で、感謝の思いから話を切り出された。
その質問内容は、ほとんど南宇和地域発。

どの議員もそれぞれに地元を背負っているのだ、とあらためて感じるし、
地元有権者代表としての役割を担うことの重要性を、考えさせられた。

ちなみに、中田議員の歌唱力は、プロ並みだ。
演歌歌手顔負けの熱唱を初めて聞いたとき、私は、ハッキリと度肝を抜かれた。

そしてというか、やはりというか。

中田議員の質問の最後は、北島三郎さんの「感謝」という歌の一節で締めくくられた。
友に、妻に、親父とおふくろに感謝、と。

体全体から、ありがとうが、あふれているように感じた。

私もまた、大勢の、感謝すべき人に囲まれていることを忘れまい。
4名の議員それぞれに学びながら更なる精進を、と決意させられた、一般質問初日であった。


2008-03-02

レンタルお姉さん、の志に学ぶ

体調いまだ芳しからず、で静養の1日。
��わたしはレンタルお姉さん。」(二見書房)、を読んだ。

著者は、川上佳美(かわかみ よしみ)さん。

彼女の仕事は、
ニートや社会的引きこもりといわれる若者たちを訪問し、
その再出発をサポートすること、である。

見るからにチャーミングな方だが、
一読したその仕事ぶりはひと言、タフネス。


何年も自室に引きこもるニートに対して、
焦らず急がず、くさらず怠らず、足を運び。

再び社会に向き合い、次のステップへ挑戦しよう、と心を開かせ、
最後に背中をそっと押してあげる、そこまでの全部が、彼女の仕事。

それが簡単であるはずはない。
その志に、感動せずにはいられないのである。

今。

ニートの若者たちは、全国に85万人とも100万人ともいわれるが、
その支援の草分け的存在の1つに、NPO法人ニュースタート事務局がある。

そして、レンタルお姉さんは、同事務局独自の事業なのである。
��ご参照URL⇒ http://www.new-start-jp.org/210-Theme.php3 )

同著は、彼女がレンタルお姉さんとして、ニートと向き合った1000日間の記録であり、
そこには、失敗も含めて、その体当たりの奮闘ぶりが、赤裸々に描かれていた。

私はこれまで、本会議でも委員会でも、
機会あるごとに、社会的引きこもり問題を取り上げてきた。

国にとっても、愛媛にとっても、
将来を大きく左右する、大変な社会問題と認識するからだ。

その解決のヒントに、と手にした1冊であったが、
彼女とニュースタート事務局の取組みに、1つ気づかされたことがある。

行っていることの人間らしさ、である。
志の、人間らしさ、といってよい。

直接足を運び、対話を試み、拒否されても手紙を書き。
また足を運び、対話を重ね、さらに足を運ぶ、その繰り返し。

ニートたちの立ち直りを信じるからこそ、諦めずに続けられるこの粘り強さは、
インスタントでデジタルな現代にあっては、いかにも前時代的、である。

たとえば、ちょっと昔。
家族にもご近所にも、そこには、おせっかいがあったが、それに似ている。

その1つ1つは、相手を信じ、自分を信じるからこそできる、真心の行為であり、
泥臭く純粋で非効率だが、実に人間らしい、行為なのである。

ニートと社会的引きこもり問題は。

そうした人間らしい関係を、どのように社会に取り戻し、広げていくか、
ということを、私たちに問いかけているのかもしれない。

そこに気づくことが題解決の糸口、そんな希望を見出した1冊であった。


2008-03-01

卒業式の日の、決意

快晴の、午前。
県立松山工業高校の第98回卒業式に、出席させて頂いた。

何しろ、議員として初めてである。

来賓出席という、そのおもてなしに面食らったが、
あくまでも1人の地元の先輩として、臨ませて頂いた。

そして、率直に、感動した。
私自身の思い出にも残る、素晴らしい卒業式だった。


保護者のご父兄各位、教職員各位の感慨も一入だったろう。
そのご苦労とご尽力に、心から敬意と感謝を申し上げたい。

祝辞を述べる機会はなかったが、卒業生を見渡しながら私は、
心の中で精一杯、エールを送りながら、自身、決意させて頂いた。

20年後。

間違いなく日本の、そして社会の中核を担う皆様のために、それまでに。
私は、今の、責任世代として、しっかり働き、皆様につなげてまいります、と。

国歌斉唱では。
ふざけるでなく、真剣そのもので歌い上げる、生徒たちの姿に、思わず感無量となった。

前途ある皆様の門出に幸多かれ、と祈りながら。
私自身にとっても、議員としての責任をあらためて自覚する、出発の式典となった。

さて、午後は。
山本ひろし参院議員とともに、NPOユニバーサルクリエートの佐伯代表を訪ねた。

ユニバーサル社会に向けて精力的な活動を展開される佐伯さんは、
もはや説明は不要と思うが、その活動内容は以下をご参照されたい。

��ユニバーサルクリエートについてはこちら⇒ http://enmusubi.biz/uc/uni_cre.html )
��佐伯代表のブログはこちら⇒ http://yasuto1.cocolog-nifty.com/blog/ )

佐伯さんからは、障害者支援事業に携わる当事者として、また、現場ならではの、
具体的で説得力のある、厚労行政に対する改善課題・要望が出された。

私たち公明党は。

そのネットワークを活かして、こうした地方のお1人の声、1つの声を、
確実に、誠実に、そしてスピーディに、国政に届けることができる。

それが私たちの強みであり、最も確かな存在理由だ。

そのお声をどのように実現するか、そこからは、政党として、議員としての実力の問題である。
不断の努力で、日々、鍛え、磨かなければならない、と決意を新たにする。

そしてお忙しい中、足を運んでくださった山本ひろし参院議員にも、
この場をお借りして、深く感謝申し上げたい。

やがて話が終わる頃、にぎやかに。

1人、2人、10人とじゃがいも植えから帰ってきた、
チャレンジドの子どもたちの笑顔に見送られながら。

そんな子どもたちの未来を思う佐伯さんの情熱に負けないよう、
国・県挙げて、ユニバーサル社会構築に全力を、と思う。

��写真は、県立松山工業高校卒業式の風景。ご卒業、誠に、おめでとうございます!)