2008-05-31

議員という仕事の、守備範囲

夕刻より、愛媛県行政書士会式典に出席。

式典に先立っての協議会が難航したため、
約1時間遅れの開催、であった。

これには、国会議員、国・県の各士業関係者など、
多くの来賓がおかんむり状態で、
私のような端くれにはヒヤヒヤものであった。

主催者である篠森会長のご心痛やいかに、
と、察しながら、粛々と会は進行していった。

さて、その行政書士だが。

それは一体どんな仕事だろう、
と思う方も多いのではないだろうか。

かくいう私も議員になる以前、
行政書士との接点は一度もなく。

行政書士法によれば、官公署に提出する書類その他権利義務、
又は事実証明に関する書類を作成することを業とする、とある。

ふーむ。

平たく言うと、
行政とのパイプ役、各種法律手続きの専門家といったところか。

懇談の席上、何人かの行政書士からお話を伺えば、
同業者の供給過多、建設業界の不振をはじめとする需要減など、
業界を取り巻く環境は厳しさを増しているという。

必然的に、ますます競争は過酷なものになるというわけで。
語られるその目は、生き残りをかけた勝負師の目であった。

それにしても、私たち議員という仕事の裾野の広さ、
あるいは守備範囲の広さ、ということをあらためて思う。

今まで何のご縁もなかった方々と、こうした接点を頂くことで、
あらたな世界が見えてくる。

すると、その世界のステークホルダーから見た政治課題が、
あらたに浮かび上がり。

結局、エンドレス。

その果てしなさに立ちすくむ思いと、
ワクワクする衝動が入り混じった、不思議な気持ちとなる。

まだまだ駆け出しの身であれば、1つ1つ、
しかし積極的に、接点を拡げてまいりたい、と思う。

��写真は、挨拶をされる、塩崎恭久衆議院議員。)


2008-05-30

公明党はこれに取り組め、の声に思う

対話の日々は、続く。
そして、5月が終わろうとしている。

今月、膝をつき合わせて対話した方々の数は、約200名。
先月は、約300名だったか。

このように、連日、多くの方々からお話をお伺いしていると、
何だか、政治のリトマス試験紙になったかのように、感じる。

国政動向が庶民に与える影響が、赤色なのか青色なのか。
同じ赤色でも、ほんのりピンクなのか、まっ赤っかなのか。

ストレートな皮膚感覚で、感じられるのである。
また、たった2ヶ月で、微妙に変化する様子も。

まさに、
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、
である。

さて、今日、夕暮れに包まれながら、
お伺いしたのは、久万高原町。

ここは、町ものどかだが、人ものどか。
人は土地から切り離せない、といつも思う。

その、のどかで純朴な皆様が、
月に1度の党員会にご参集くださった。

人が集まるということを、当たり前と思ってはいけない。
議員にさせて頂いた時、心に誓ったことの1つである。

農繁期でお疲れにも関わらず、
ようこそおいでくださいました。

御礼を述べながら、有意義なひと時を期した。

党本部作成の政策PRビデオを上映した後、
いくつかの政策学習、質疑の順で進めさせて頂いた。

特に質疑では、貴重なご意見を種々承ったが、
その中で最も声が多かったのは、次の2点に集約される。

いわゆる、官僚支配の克服と、ムダの排除。

中川秀直氏が言われるところの、ステルス複合体。
髙橋洋一氏が言われるところの、霞ヶ関埋蔵金。

庶民には、はっきりと見えている、ということだ。
そして、そのご指摘こそ、政治不信の正体であろう。

質疑に寄せられた皆様のご期待は、
公明党はこれに取り組め、である。

その通り、なのである。

説明はいらない、結果的に、もいらない。
ただただ、公明党がリードして、与党として、

これだけのムダを排除しました、
政治主導の構造に転換しました、

という事実を、はっきりと見せてほしい、
というお訴えであった。

ずしりと、受けとめさせて頂いたこの思いを、
しっかりと国に届けるとともに。

県に置き換えたとき、私自身、
もっともっと力をつけなければ、と力が入った。

そして、毎月の党員会によって。

公明党議員として着実に鍛えられゆくことに、
ふつふつと、感謝が込み上げてくるのであった。


2008-05-29

今治にて、情熱のまま、ありのまま

午後、公務にて記念式典に出席。
その後、今治市へ移動。

以前ご要望のあった箇所の改修状況を視察。
見事に改善されており、安堵する。

そして夜、党員会に参加させて頂いた。
ご当地、谷口今治市議会議員の支部である。

申し添えると、私のふるさと、でもある。

さて、到着後、
お借りしている会場の設営準備にあたる。
机といすを並べた後は、久しぶりの雑巾がけ。

ふと、小学校の頃を、思い出した。

あの頃は、机といすだけでなく、
廊下だって、窓も壁も、黒板だって、

とにかく校舎のあらゆるものを拭いたなぁ、と思う。
あるいは、磨いたというべきか。

最近の小学生は、どうなんだろう?

さて、平日で月末で、お忙しいところを、
今日も多くの皆様が駆けつけてくださった。

その場にてご挨拶させて頂いたが、
こうして振り返りながら、あらためて感謝申し上げたい、と思う。

さて、この日の私の役どころは、フリートーク。
フリーですか?わかりました。

フリーであれ何であれ、せっかくお集まりくださった皆様である。

間違っても、来て損した、とか、時間のムダやった、とか、
とにかく、しもぉた、と思わせてはならないのである。

と、こちらとしては、必死なのであった。

結局、少しでも元気になって頂こう、
と、この間の取り組みをベースとした体験談をお話させて頂いた。

自身の体験ほど確かなものはない。
確信に基づく話ほど、説得力のある話はない。

ということを、若き日より私は、
数え切れないほど、見聞きし、経験してきた。

無名の庶民の。

現実と生活に根ざしたチャレンジトークに、その確信に、
どれほど、気づきと、決意と、元気を、頂いたろう。

翻って今、国政であれ、地方行政であれ。
政治に決定的に足りないものは、説得力、と思うのである。

そう思う、まず隗より始めよ、ということで。

私自身の取り組みから得た、
公明党の目指すものへの確信を、語らせて頂いた。

時間の許す限り、感謝の気持ちを込めて。
情熱のままに、ありのままに。

そして、あっという間の、1時間弱。

終了後は、お1人お1人をお見送りしながら、
たくさんの身に余るお励ましを頂いた。

つくづくも、返す返すも。
故郷は、有難い、のである。

結局、今日も。
私のほうが、皆様からたっぷりと、元気を頂いたのであった。


2008-05-28

3日ぶりの、エンジン全開

1週間は安静に、
とは、先日のドクター勧告。

すみません、してられません。
というわけで。

3日ぶりに無精ひげを剃り、身支度を整え、
向かったのは、市内で開催された党員会。

小林みやこ松山市議が担当される支部である。

その、選挙以来というご無沙汰の皆様のもとへ、
何としても駆けつけなければならない。

這ってでも。

私に強く、そんな気持ちをおこさせるのは、
心に浮かぶ、懐かしいあの方、この方の笑顔、だ。

当時。

どれだけ、その笑顔の皆様に救われただろう、
もうちょっと、あと1人、がんばれ!

そして、その瞬間。
どれだけ、わが事のように喜んでくださったろう。

よかったね、やったね!

感謝と決意を込めた、あの日の初心が、
今も赫々と、脈々と、私の中を駆け巡っている。

そんな思いで参加させて頂いた。

お約束どおり、
いや、それ以上の満開の笑顔に迎えられ、
思わず、胸が熱くなった。

30分強のお時間を頂き、この日は、
自身の駆け抜けた1年についてお話させて頂いた。

実話であり、体験談であり、
新たなる決意発表であり、心からの謝辞、
であった。

3日ぶりの病み上がりで、
少々、クラッとしながらも、

私の話を1つ1つ頷いて聴いてくださる皆様の温かさに、
心が、みるみる、栄養で満たされていくようであった。

無事、終了後。

心からの感謝を込めて、お1人お1人お見送りしながら、
木村さん、といくつものお励ましを頂いた。

“身体、大事にしぃや。”
“健康が一番やけん、気ぃつけて。”

“ありがとうございます。
でも、本当はそれ、私のセリフですね。
お気を遣わせて申し訳ありません。”

“なんも、なんも。”
��↑愛媛の方言で、いえいえ、のこと。)

さあ、明日から又、県内を走りまくるぞ。

笑顔の皆様に触れて、
がぜん、決意がみなぎるのであった。


2008-05-27

ムダって何だろう、を考える

風邪で療養中でも、読書は可能。
今日は、この1冊。

霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」、
という、強烈なタイトル。

著者は、自ら、埋蔵金男と言い切っちゃった、
財務省出身の、髙橋洋一氏。

ベストセラーとなった、「さらば、財務省」の著者でもある。

振り返れば、この間。

県民の皆様との草の根対話で、政治家と官僚、
つまり、お国に対する批判をどれだけ頂いたろう。

怒りと、怒りを通り越した、政治不信。
ムダと不正が後を絶たない状況では、当然だ。

そういう中で、私がグルグル考え続けているのは、
ムダって何だろう、ということである。

もちろん、マッサージチェアなどの非常識は論外。

そもそもムダの定義と、それを決めるのは誰か、
について、である。

同著は、個々の政治問題を経済学的な切り口から、
その辺をかなり、スッキリと整理してくれている。
決して、単純な、官僚バッシングではない。

さて、私的には。

ムダとは、全体最適に対して十分条件にすぎない優先劣位であり、
それを決めるのは国民である、というニュアンスで、腑に落ちた。

残念ながら今、そして今に至るまで、政治はそうなっていない。
だから、国民は怒っている。

そうした官僚組織のタテ割りが全体最適を阻害し、
真の意思決定は、国民でも政治家でもなく、

官僚が担っているという現実を、彼は、
官僚内閣制、と解説している。

そして、少なくとも庶民は、それを直感で見抜いている。

ムダに関して今、重要なことは、
必要条件以外は引き算、というシビアな局面の全体認識だろう。

そしてそれは、

国にとっての必要条件以外は、すべて地方に分権していく、
という引き算、つまり、道州制の議論にもリンクしてこよう。

構造改革、といえば簡単だが、国も地方も、
劇的な、政治の曲がり角に差し掛かっている、と思う。

絶対出なかった情報が、次から次へと出てくるのは、
情報のフラット化だ。これから更に加速するだろう。

そして良くも悪くもだが、
政治が、お茶の間の距離感まで身近になったことは、
政治の透明化だ。ますますウソは隠せなくなるだろう。

国益を損するものでない限り、
政治はもっとディスクロージャーせよ。

そして、真の意味で、
国民による意思決定が可能な議院内閣制を機能させよ。

それが、この間の草の根の対話で、
私が真正面から受けとめた、庶民の皆様の叫びである。

私にできることに全力を、と思う。


2008-05-26

愛媛から世界へ、という朗報

先週の朗報、を1つ。

松山市在住の廣瀬 悠(ひろせ はるか)さんが、
北京パラリンピック柔道男子100㎏級日本代表に、正式決定した。

実に嬉しいニュースであり、
心から祝福するとともに、ご健闘をお祈りしたい。

と思うまもなく。

決定通知を受けた松山市では、
早速、市役所本館に懸垂幕を掲げ、エールを送られている。


『祝 北京パラリンピック柔道100㎏級
代表決定おめでとう がんばれ!廣瀬 悠選手』

この、スピード。
中村市政の感度のよさに、深く敬意を表したいのである。

さて、その廣瀬選手。
本ブログでもご紹介の通り、彼は視覚に障がいを持つアスリートである。

高校2年のとき、緑内障を患い、以来、
右目の左半分と左目のほとんどの視野が失われているのだが、

その言葉にできない挫折を乗り越え、

昨年は、全日本視覚障害者柔道大会男子100キロ級で優勝、
世界選手権大会ブラジル2007男子100キロ級で5位入賞。

そして、今回。
北京への切符を見事、手にされたのである。

かつて、報道のインタビューで彼は語った。

昔は内気でマイナス志向だった自分が、病気のおかげで、
やりたい事に積極的に挑戦していく前向きな生き方になった。

治らない病気にくよくよしても仕方ないので、
1回きりの人生を悔いのないように楽しく生きたい。

こんな内容であったと記憶する。

逆境は、人を強くする。
そして、そのように彼を支え続けたご両親の偉大を、思う。

彼の活躍は、きっと、
障がいを持つすべての人々の希望になるに違いない。

ゆえに政治は、
障がい者スポーツのさらなる振興を果たさねばならない。

彼に励まされ、そして教わることは、大きい。

北京パラリンピックの開催は、本年9月6日から。
愛媛が元気になる、そんな彼の活躍を心より期待したいと思う。

一番高いところをめざして、がんばれ、廣瀬選手!
エイエイオー!


2008-05-25

庶民の皆様の、声のチカラ、について

今日は、

藤本公子松山市議会議員とともに、
市内にて街頭遊説を行なった。

それにしても、はっきりと、暑い。

かんかん照り、である。
汗びっしょり、である。

そんな中を、ご同行・ご協力頂いた地元党員の皆様に、
心より感謝申し上げたい。

さて、ちょっとふらつく感覚を心配しながらも、
浅海周辺で第一声。

党員の方からは、
公明党の行政改革の取り組み実績について、

藤本松山市議からは、
市政報告と公明党女性サポートプランについて、

それぞれご報告を頂いた。

私のほうからは、道路問題と長寿医療制度について、
この間の自身の取り組みを通してお話させて頂いた。

マスコミが騒ぐ、という言葉がある。

その言い方になぞらえるなら、
連日、国政に関することでマスコミが騒がない日は、ない。

コメンテーターも、出演者も、市井のインタビューも、
今の政治は許せん、的なメッセージのオンパレードだ。

私たち公明党地方議員は、

そのようなマスコミ報道を見聞きされる方々と、
連日、対話活動を行なっている。

マスコミが騒げば騒ぐほど、
私たちの対話活動は忙しくなっていく、

という関係にあるといってよい。

無論、対話が深まることはよいことであって。
個人的には、大歓迎だ。

しかし、騒ぎっぱなし、というのは無責任だ。
あれだけ紛糾させたのだから。

結果、何が改善され、あるいは課題が残されたのか、
ここをきちんと、させなければならないし、

課題については、引き続き、誰が何を言い、どのように取り組むか、
というところまで、マスコミは注視を怠ってはならない、ハズである。

さて、この間。

草の根対話活動にて承った、
皆様からの様々なご意見とご心情は、

私だけでなく、
全国3,000余名の、私たち公明党地方議員は、

これをすべて、国に集約させ、
政府与党に確実に届けさせて頂いた。

翻って、この間の。

特定財源廃止にせよ、
一般財源化にせよ、

道路公益法人改革にせよ、
中期計画見直しにせよ、

長寿医療制度改善プランにせよ、
いずれも、皆様の声によるものである。

庶民の声を集め、国を動かしていく、とは、
本ブログでも何度も綴ってきた通りだが、

ここまでの経過を一歩前進と評して頂けるなら、
それはまさに、皆様のお力である。

私たちに、真正面から思いをぶつけてくださった、
すべての庶民の皆様の、声のチカラ、である。

だからこそ、さらに声を上げ、声を集め。

道路だけでない、高齢者医療だけでない、
わが国の政治のすべてにわたる改革を、

私たちと共に1つ1つ、
前進させてまいりましょう、

という趣旨にて、
市内約10箇所を移動しながら、お訴えさせて頂いた。

各地でお手を振ってご声援頂いた皆様、
ご清聴にご協力を頂いた皆様に、感謝を申し上げたい。

さて、帰宅後。
どうもおかしいな、と熱を測ったら、39.2℃。

ここまで上がったのは、実に久しぶり。
さすがに、少し休ませて頂くことにした。

��写真:左から、藤本公子松山市議、私。)


2008-05-24

高知での全日程、終了

まずは、昨日の続きから。

四国四県観光議員連盟設立総会の後、
開催されたのは、

森林・林業・林産業活性化促進地方議員連盟
四国地方連絡会議定時総会。

要は。
四県林活議連の、年に1度の総会である。


では、林活議連って何?
と、会則を紐解くと。

森林・林業・林産業に関する調査研究と諸施策を推進することにより、
わが国、特に四国地方の森林・林業・林産業の活性化促進と
森林山村振興に寄与することを目的とし、

また、会員共々に政策の勉強・研修・立案や意見交換を行い、
会員相互の親睦と研鑽をはかる事を目的として構成する議員連盟、
ということになる。

さて、総会、である。

最初に役員の改選が行なわれ、
本年度の会長に、本県から河野忠康氏が、
幹事長に、これまた本県から高山康人氏が、それぞれ選出された。

心より祝福申し上げるとともに、
私も、四国の森林行政の発展のため、微力ながら尽力を、と決意する。

その後、各県より活動報告があり、
以下の、本年度スローガンの採択をもって終了となった。

・森林吸収源対策を着実に推進するため、
税制上の措置を含め、安定的な財源確保を図ろう

・緑の雇用対策等担い手対策の拡充、
バイオマス利用等による間伐財の需要拡大を図ろう

・水源林等公益森林整備体制の確保と、
施業放棄地等に対する国による対策の推進を求めよう

・国有林の国による管理体制の堅持と、
国民共有財産としてその適正な管理の実現を求めよう

ということで、この森林行政。
国の比重が高いことがよく現れている。

さて。

林活議連の定時総会終了後に開催されたのは、
四国四県議会軟式野球大会懇親会、と組み合わせ抽選会。

そう、明日が試合、なのである。

私たち愛媛県議会チームの対戦相手は、抽選で徳島県議会と決まった。

その後、壇上にて、各県の自己紹介が始まるのだが、
この辺から、もう完全に一丁上がり、できあがりの方が続出。

そう、ここは、高知なのであった。
返杯、の国なのである。

私は、体調不良もあってそこそこに留めさせて頂いたが、
ガハハ状態の皆さんがとても羨ましくも思えた。

さて、翌日。
ということは今日。

残念ながら、雨天のため、試合は中止となり、
早々に帰松することになったのだが。

ふりかえって、この2日間。

特に、懇親会時の、お互い裃を脱いでの交流では、
久々に、大きなカルチャーショックを受けた。

そこまで前に出るか、
という方々の多さである。

比べて、愛媛の県議団の品のよさはどうだ、
と、思わず誇りに思うのであった。

��写真は、愛媛県議団野球部のユニフォーム。私には、真珠で小判、だ。)


2008-05-23

四国四県議会議員、高知に大結集

正午過ぎ。

先輩・同僚議員各位と共にバスに乗り込み、
いざや高知へ、と県庁を出発した。

個人的には、北から一転、南へ。
連日の移動旅、だ。

さて、今回の用向きはというと。


四国四県観光議員連盟設立総会、と
森林・林業・林産業活性化促進地方議員連盟四国地方連絡会議定時総会、
という2つの会合の決議参加、にあった。

ちなみに後者は、私にとって、生涯最多漢字文字数会合名、
であるが、これは余談。

15:00前、
会場である高知市内のホテルに、無事到着。

バスから降りると、
外は、入梅を思わせるような雨模様であった。

16:00、
四国四県観光議連設立総会を記念する講演が始まった。
集いも集ったり、総勢130名強。

最初に、
��交通・観光施策による地域の活性化」と題して、
四国運輸局長の石丸周象氏による講演が30分。

次に、
��これからの観光と広域連携」と題して、
㈱JTB常務取締役の清水愼一氏による講演が30分。

いずれの中身も濃かった。

できれば時間をたっぷり割いて、じっくり聴きたかった、
というのは、きっと私だけではないだろう。

そして、17:00からは、
いよいよ四国四県観光議員連盟設立総会、開会。

会場にはマスコミ各社がズラリ、なところが、
本総会の重要さを物語っているといえそうだ。

連盟規約と役員の選任が了承された後、早速、
初年度事業計画が出席者の総意を持って決議された。

目玉は、韓国人観光客の誘致に向けた取り組み、
つまり、韓国を戦略ターゲットとしたPR活動、である。

実は、韓国人観光客は、
全ての訪日外国人旅行者の内、30%強を占め、

かつ、この10年で約4倍増の260万人、
と、超右肩上がりで増え続けているのである。

��WOT分析に当てはめると、強み×機会。
そこにフォーカスしたターゲット設定は非常に説得力がある。

また、ユニークな仮説の下、主要顧客層のインサイトと、
トライアル中心かリピーター中心か、といった需要構造、

その他いくつかの要因を、もう少し突き詰めて検証すれば、
有力なプロモーション計画ができるに違いない。

その他、

��四国八十八箇所霊場と遍路道」の
世界遺産への早期登録に向けた支援活動、

東京等から四国内空港の異なる離発着でも
適用される往復割引運賃の導入、

本四架橋3ルートの通行料金引き下げ要望活動、

香川・愛媛から就航しているソウル便の
運行時刻の利便性を向上させるための要望活動、

日本第1号となる四国ジオパークの認定を目指す活動、
を四県連携にて推進していくことを決議した。

キックオフにして、アクションプランまで採択されるあたり、
細工は流々、の世界。一兵卒の私には、及びもつかない。

レポートが長くなったが、本日の行事の、まだ1/2。
続きは後日また、改めてご報告させて頂きたい。

��写真は、尾﨑正直・高知県知事の来賓挨拶。
御年40歳、容姿端麗、頭脳明晰、は、羨ましい、のひと言。)


2008-05-22

秋田視察、2日め

この日は、前日の学習を生かし、
車にて秋田県庁へ移動。

笹岡県議・党愛媛県本部代表同行にて、
10:00より、当局への取材開始となった。

今日の取材目的は、
特別支援教育の再編整備事業について。

もう少し簡単に訳すと、
いわゆる、盲学校・聾学校・養護学校等の統合問題、である。

が、議論の最中の本県と違って、
秋田県では、この問題、既に議決しており、

現在は、平成22年度開校に向けて、
着々と準備が進められている状況という。

県・当事者・保護者・教育関係各位それぞれの異なる思惑を、
どのようにして、合意にまで漕ぎつけることができたのか、

虚心坦懐に、伺った。

あまりにも質問の波状攻撃で、職員方も私たちも、思わず、
委員会のような雰囲気ですね、と、爆笑の場面もあり。

さて、同県特別支援教育の再編整備計画、である。
が、本県とはいささか事情が異なる印象を強くした。

なぜかというと、それが、まちづくり計画だから、である。

12万平米という広大で安価な土地を造成し、そこに、

盲学校・聾学校・総合養護学校に加え、
医療併設の社会福祉施設である各療育センターが入る。

新規県営住宅も入る。
民間分譲住宅も入る。

かつ、周辺には3次救急医療もあり、
福祉ボランティアの県施設もある、という。

なるほど、計画に着手した9年前から、
教育と福祉のタイアップで進めてきたという同事業は、
だから、南ヶ丘ニュータウンのまちづくり事業、という。

さて。

その大括りの事業における、盲・聾・養護学校の統合について、
3校とも、校舎も学校運営も独立しているため、統合ではない、

と、県当局は解説する。

敷地は同じだが、あまりに広大でもあり、
3校の独立運営が十分可能というのが先にあって、
その上で、一部人的資源を共有する、らしい。

その後、現地を視察したが、
12万平米というのは、確かに広い。

しかも、県営住宅は、すべて平屋。
県産木による、安価でロハスでバリアフリーでオシャレ、な佇まい。

本県といささか事情が異なるとしたのは、
面積を最大活用した、これらの部分であった。

その他、質問は多岐にわたり、様々、貴重な示唆を得たが、
踏んではならない轍も又、反面教師として自覚することができた。

余談ながら。

最も心地よい印象は、秋田美人を感じさせる課長の、
懇切丁寧な解説が、終始、ズーズー弁であったこと。

秋田の、お人柄の良さがにじみ出るような。
やはり、土地土地の、お国言葉はいいな、と感動した。

帰り道、地元の人に伺えば、
秋田県人は東北で最もお人よし、だそうだが、さて。

かくして、中身の濃い視察を終えて、帰松の途に着いた。

照明が点くころの松山空港にて、
やっぱりここが一番、と、心からホッとするのであった。


2008-05-21

秋田視察、初日

午前、笹岡県議・公明党愛媛県本部代表と合流。
打合せの後、秋田県庁へ移動。

駅前から軽い気持ちで徒歩を選んだが、
結局40分程のウォーキングとなった。

びっしり汗をかきながら、県庁へ到着。

職員各位の受け入れもスムーズに、
13:00から面談スタートとなる。

事前の、当県議会事務局の計らいに
感謝申し上げたい。

さて、今日の取材目的は、昨年行なわれた、
第62回秋田わか杉国体について、である。

既に国体は終了し、事務局は解散しているため、
お集まり頂いた職員各位の、部署も肩書きも、それぞれだ。

さて。

ご挨拶もそこそこに、早速、質問。
に次ぐ質問で、約2時間が経過した。

職員方も、他県議会への答弁であり、いわゆる非公式であり、
とてもリラックスした雰囲気の中、種々、貴重なご教授を頂いた。

お伺いしながら、頷くこと実に多々あり。

同県の国体運営に際して、感心するほどに、
いくつもの創意と工夫、つまり、独自性が盛り込まれているのだ。

例えば、史上初という、
県直営方式という運営スタイル。

直営となると、
地方財政法の規定により、寄附を受けられないため、

自前の財源、つまり、身の丈、から出発せざるを得ないし、
より透明性と公平性が働く、ということだそうだ。

そして、知事の下、
大会総務課、競技式典課、施設調整課の3課、正職員100名で、

それまで各県平均50~60億円で推移してきた開催経費を、
見事、約40億円で仕切ったという。

一度キリのムダなハコ物は要らない、
隣接県でできるものは連携を惜しまない、

準備段階から情報を逐次ネットにて公開し、
格段の県民ボランティア有志のご協力を得たこと、等、

徹頭徹尾、理想と合理を貫いた上で、
さらに見事に、天皇杯・皇后杯を獲得されたのである。

当局の並々ならぬご努力に、敬意を表するばかりである。

財政規模において、わが県とほぼ同じである秋田県の事例は、
大いに参考になるに違いない。

この辺、早速、会派として、
次の6月議会でフィードバックできれば、と思う。

その後、競技場となった野球場、プール、武道館など、
各施設をアテンド頂き、夕方まで筒一杯、視察させて頂いた。

いずれも、閑古鳥が鳴いている様子はなさそうだ。

無事、国体終了の後、
職員各位の安堵は、実際この辺にあるのかもしれない。

かくして。
充実の視察初日は、無事終了。

同席頂いた職員各位、田口公明党秋田県本部代表に、
末尾ながら心より感謝を申し上げたいと思う。


2008-05-20

初の秋田、へ出発

午前、
各者から様々なアポを頂く。

これで、
向こう1ヶ月の予定がほぼ埋まった。

あとは、体調が回復すれば問題なし、
である。

さて、
午後からは、秋田へ向けて移動開始。

秋田は、なまはげと、きりたんぽ、
くらいの知識しかない私にとって、今回が初訪問になる。

その視察の目的は、2つ。

1つは、盲・聾・養護学校の統合実態について。

特に、それらが医療・住宅・交通を含めた、新都市開発、
のようなカタチで進められている点に注目したい。

もう1つは、昨年、同県で行なわれた国体について。

その開催経費は、ここ10年で、最も少ない予算である。
にも関わらず、見事、天皇賞・皇后賞を獲得されている。

その運営戦略上のポイントは何か、に着目したい。

さて、羽田を経由して秋田空港に着いたのは、16:00頃。
まだ日も明るく。

市内に着いたのが17:00頃で、
いくつかの電話連絡を終え、近くで食事を取った。

高松のうどんチェーン店が目の前にあったが、
さすがに今日は遠慮させて頂いた。

秋田は稲庭うどん、
というくらいの知識が、まだ私の中にあったのであり。

きしめんのような繊細を堪能した後、
この日は早々に休ませて頂いたのであった。


2008-05-19

わが先達の、1篇の詩に思う

週初めの今日は、終日、政務。
また、明日からの出張の準備と。

で、先日。

久々に読んだ1冊は、
��教育3.0 誰が教育を再生するのか?」。

国語作文教育研究所所長の宮川俊彦氏と、
ミスター文部省こと、寺脇 研氏との対談集。

その中に出てくる、あまりにも美しい、
��ゆずり葉」という1篇の詩をもって所感に代えたい。


作者は、
河合 酔茗(かわい すいめい)という明治の詩人。

その全文を、紹介したい。

『 子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。

このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってーー。

子供たちよ。
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。

太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。

幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどーー。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。

みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。 』

彼が永遠に留めんとした、
溢れんばかりのこの国の未来への愛情を、

平成の私たちは、
どれくらいの感情をもって受けとめることができるだろう。

教育が人を創り、人が国を創り、国が未来を創る、のだ。
いくつもいくつも、ゆずり葉ゆずる、時間の中で。

政治の決定的重要性を、あらためて覚悟させられる、
わが先達の、1詩であった。


2008-05-18

IT研修と、ダーウィン

終日、党務。
性格の異なる会合種々、の1日。

その中で、IT研修について。

党本部より広報宣伝局スタッフ等を招いて、
みっちりと、2時間強。

冒頭、
メディアとしてのネットについて、

最新のマーケティングリサーチによるレビューがあった。

まずは全員の形式知を整える意味で、
従来のメディアと比較した、ネットの特性を確認した。

発信情報が、マスではなくパーソナルであること。
視聴態度が、受身ではなく能動的であること。

そして、社会に与える影響力が、相対的に増していること。

特に最後の部分は、私たちが最も押さえなければならない、
今日のポイント、であったろう。

講師は、その実例として、
ある地方選でのエピソードを挙げた。

無名の新人候補が、ほぼネットだけで有権者にアプローチし、
中位で当選を果たしたという。

一方。
次点で落選したのは、誰も予想しなかった大ベテラン。

旧来型の手法を完璧に遂行し、陣営の内外を問わず、
手応えを感じた戦いの末の、意外な結末だったという。

このことが示唆する意味は、あまりにも大きい。

“最も強いものではなく、最も変化に適応できる種が生き残る。”
と言ったのは、ダーウィン。

政治も、政治家も又、然り。
国民の皆様の声に対して、きちんと適応できているのか、どうか。

ふと、そんなことを考えながら。

私たち公明党議員が日々行っている草の根の対話活動は、
まさにその、適応努力に他ならないし、

ねじれた政治が次に踏み出すステージの第一歩は、
国民の皆様への、善なる適応競争でなければならない、

と強く思った。
それは決して、大衆迎合という紛らわしい偽者、ではなく。

さあ。
来週、再来週と、スケジュールは目白押し。

世の中の変化についていけるよう、変化を起こせるよう、
全力投球あるのみ、だ。

��写真は、議員総会での発表シーン。)


2008-05-17

昨日も今日も、昼も夜も、対話あるのみ

快晴の、早朝。
小鳥のさえずりをBGMに、久万高原町に向かう。

9:00、地元党員の皆様とともに、街頭遊説に出発。
広大な地域を元気いっぱい、回らせて頂いた。

あまりの陽気に、Yシャツも汗ばむ。
まだ午前というのに。

さて。
本日は、2点、お訴えさせて頂いた。

私からは、いわゆる道路問題の、
一連の経緯と浮かび上がった課題について。

党員の皆様からは、長寿医療制度について。

分担しながら、
それぞれに対する公明党の取り組みを、お話をさせて頂いた。

目の前には、水を張って広がる田園。
しかも今日は、絶好の田植え日和とあって。

お手を振ってくださる方がいつも以上に多く感じられ、
大変有難く、心強かった。

お昼過ぎまで回りに回った後、1軒の支持者宅を訪ねた。
伺えば、最近の政治に怒りを覚えてならない、とのこと。

お訪ねすると、
ご夫婦は、ちょうど田植えの真っ最中であった。

私は畦道を進みながら、お久しぶりです、と、
まずはご主人と対話を進めさせて頂いた。

次いで、奥様と。
ゆっくりと、じっくりと。

長寿医療保険は、国保に加えて負担するものと思っていた、
との誤解が1つ解けたし、

ご自身の保険料を知らない、ということに関しては、
お話を伺った範囲では下がっている可能性が高いです、
まずはご確認をと、ご案内させて頂くこともできた。

そういう意味では、
新制度の説明不足をあらためて実感するのだが、

庶民の本音は、もう一重深いところにあることも、
同時に痛感するのである。

もう一重深い、その根っこにある本音は、政治不信。
もはや言うまでもない、現在究極の政治課題、だ。

ご夫妻の怒りは。

そこにもっと斬り込んでほしい、との期待の裏返しであり。
かえって私のほうが、大いに励まされるのであった。

久万高原町の遊説を終え、市内に戻ると、
夜は、支持者座談会に駆けつけさせて頂いた。

昨日も今日も、昼も夜も、
お会いして、お会いして、対話の毎日。

それは、私にとって。

必ず、この皆様の声で国を動かせてみせる、
との闘志が沸々とたぎる、前傾姿勢の毎日闘争である。

��写真は、党員の皆様との遊説風景。
 本日も大変お世話になり、ありがとうございました。)


2008-05-16

政治は対話に始まり、対話に終わりなし

夜、支持者座談会に伺う。

週末のお忙しい中を、
今日もたくさんの方がお集まりくださった。

連日、似たような、とお感じになられるかもしれないが、
明日も続くゆえ、予めお許し頂きたく。

今日は、事前のご要望により、
長寿医療制度に関する公明党の考え方と取り組みについて約30分、
ということであった。

私は、本ブログで何度も綴ってきたことに加え、
今後の改善の見通しを交えたお話をさせて頂いた。

当たり前だが、どの皆様の目も、真剣だ。
生活に直結した、自分ごとだから、である。

1mgの重さは体重計では量れない、とすれば。

生活者にとっての1000円の負担の重さを感じるために、
政治家には常に、この、自分ごと、というセンサーが必要だ。

質疑では、いつも様々なご指摘を頂くが、
今日、私の心に突き刺さったのは、次の叫びである。

“まだ、大本営のように感じる。
本当に、私たちが信じられる公明党であってほしい。”

柔和な口調にして、魂を揺さぶられるような、痛烈。
支持者の思いを代弁する叫びであるに、違いない。

自身の非力と限界を感じながらも、今、私にできることは、
皆様の叫びを、心に刻んで刻んで刻みつけておくことだ。

対話の始終、私の中にあったのは、その思いだけであった。

終了後。

有志から、個別のご要望をお受けしたり、激励を頂きながら、
気づくと、座談会第二部の様相を呈しており。

会場にご迷惑にならないよう散会を急ぎながらも、

“ゆっくり話ができて良かった”、
“話したらスッキリしたわ”、

とのひと言ひと言が心に染みて、
救われる思いがするのであった。

どこまでも政治は、対話に始まり対話に終わる、
いや、
対話に終わりなし、ということを忘れまい、と思う。

��写真は、ただ今、田植えシーズン真っ盛り、の久万高原町。)


2008-05-15

腰の低さを、忘れない

不覚にも、風邪を引いたか。
子どものが移ったか。

朝、起きると、かすれ声しか出ない。
結局、病院にて注射と点滴を打ってもらい、静養。

と、思いきや
週末の会合を思い出し、バタバタと資料作成に励む。

そして、夜。
市内の支持者座談会に駆けつけた。

それは、私にとっては、連日だったり毎月だったりだが、
皆様からすると、当選後初めて、というケースが殆どだ。

したがって、いつも。

話の切り出しは、ご無沙汰のお詫びから始まるのだが、
おかげさまで、どちらの会場でも歓迎を頂き。

支持者の皆様ほど有難いものはない、
ということを、毎回実感するのである。

今日もまた。
会場は大変明るく温かく、家族のように和やかで。

そういう空気に包まれながら、
現在までの、わが党と私自身の取り組みのご報告を行なった。

約30分。

真剣に耳を傾けてくださる、その真心を有難く感じるし、
ご期待をお寄せくださる皆様に心から感謝申し上げたい、と思う。

さて、その終了後のこと。

座談会に久々に参加したという壮年の方から、お声がけを頂いた。

“話聴きよったけど、あんた、腰が低いわい。
それ、忘れんことよ。1年生やけど、期待しとるで。”と。

もう、

ありがとうございます、絶対に忘れません、である。
もし忘れそうになったら遠慮なくお叱りください、なのである。

照れくさそうなその壮年の方に、感謝を述べながら。
久しぶりに再会した皆様お1人お1人をお見送りしながら。

有難い皆様のご期待にお応えできるよう、
1年生として謙虚に、一方では貪欲に研鑽を積み、

自身の行動と成果に代えてまいりたい、
と、今日も、深く、決意させて頂いた。

風邪を引いてる場合では、ない。

��写真は、昨年2月のご挨拶の1コマ。初心忘るべからずだ。)


2008-05-14

人間とは奇跡、を思う

終日、政務。
県民相談の進捗、多々あり。

夕方、夜までの時間を縫って、県美術館に足を運び、
催事の内、「人体の不思議展」を鑑賞することにした。

感想の前に。

どんなイベントであれ。
参加して私がまずチェックするのは、お客様、である。

どんな方が、誰と、どんな理由で、どこから・・・。
と、勝手ながら、いろいろ推測をするのである。

というより、してしまう、
これは広告業界ならではの反射神経であろう。

今回、まず、気づいたのは、全体的な空気の若さである。

2、3人単位の女子中高生と、
20代の若いカップルが、やけに目につく。

これは、夕方という時間帯によるものか、特有の口コミによるものか。
それとも、純粋な好奇心か、怖いもの見たさか。

また、小学生のお子様連れのご家族が多い印象も受けた。

そのパパ・ママたちもきっと30代だろう、という若さなのだが、
こちらは教育の一環で、ということに違いない。

何しろ展示内容は、すべて本物の人体、なのだから。

さて、鑑賞後。
私の脳裏に浮かんだものは、生命に対する畏敬、であった。

人体は、精緻にして完璧な調和、というしかなく。
人間とは、奇跡、と思った。

そして、
生命に対して荒んだ、感度に暗い時代にあって。

奇跡に対する感動や、畏敬の念といった、
人間にとって普遍の価値に、もっと光を、もっと力を、と思う。

そういう感性と共感を広げる力を人間はもともと備えているし、
思い出しさえすれば、もともとそのようにできているのだ、と思う。

そんな確信を深めさせてくれた、実に貴重で有意義な催事であった。


2008-05-13

対話の成果を、政治に実現するために

午後、市内にて。
支持者座談会に参加させて頂く。

今日、私がお邪魔したのは、議員になる以前から
ずっとお世話になっている地区の皆様方であった。

いつもお世話になり、ありがとうございます。
お変わりありませんか?


皆様のお元気な笑顔に、心より安堵する。

家族のような雰囲気の中、有意義な対話ができ、
皆様から元気を頂いた、有難いひと時となった。

膝と顔をつき合わせ、心を通わせた、現場での対話。

政治活動を実践する上で、これに勝るものはなく、
そこが議員の生命線であることを、深く心に刻ませて頂く。

その帰り際、思いがけなく教えて頂いたことがある。

“木村さんが前回来られたのはこういう時だった。
前々回はこういう時で、その前はこういう時だった”、と。

つぶさに憶えてくださっていることを、
本当に嬉しく思うとともに、意外だったのは、

“それはすべて、木村さんの節目の時期だった”、
とのご指摘である。

言われて初めて、気づいた。
なるほど、と感慨が込み上げてきた。

巡り合わせは、須らく因縁。
であるならば、これからも1つ1つ。

成長の節目ごとに皆様にお目にかかれるよう、精進を忘れまい。
そして。

私のなすべき報恩は、皆様との対話の成果を政治に実現すること。
結果、である。

その1点をあらためて刻ませて頂き、散会となった。

皆様の満開の笑顔に見送られながら、
有難くも、今日も、決意みなぎるひと時となった。


2008-05-12

熱き経営者との出会いを思うにつけ

連休明けから土日をはさんで、
ようやく平常を取り戻した、週始め。

終日、政務の1日となった。

陳情団の皆様とともに部局を訪ね、
いくつかの事業の進捗報告を確認しながら、
依頼者へのご報告を行なった。

さて、そんな中、今日は、
非常に意欲的な事業経営者と出会った。

その方の志の熱さに、
火傷しそうな程、感動が走った。

ひと言でいうと。

そこまで人は、地元を愛することができるのか、
である。

ひたすら熱い、のである。

柔和で朴訥な見た目と裏腹に、
人を自然と、かつグイグイ引き込んでいく魅力の塊りに、

私の何かが、弾けた。

これは、つながる。
大きく広がるし、新しい何かが生まれる可能性が、ある。

そんな予感が閃いた。
そうだ。

このコラボレーションの創造こそ、私の仕事であるべきだ。
早速構想を、と、一気に思った。

降って沸いた出会いに、意味を感じてならないし、
必然を遡れば、人生はいくつもの偶然からできている、と思う。

もしも出会いがなければ人生は、
決定的に虚しいものとなるに違いない。

ふうむ、と。

熱き経営者との出会いを思うにつけ、
様々な方々と出会える毎日を思うにつけ。

今日も、有難い思いが込み上げてくる、のである。

��写真は、久万高原町・下畑野川の風景。い~ところ、です。)


2008-05-11

ネットワーク政党、全員集合

それまでのどんよりが、
カラリ晴天に変わった、午後。

松前町役場前にて、街頭遊説を行なった。

本日の遊説メンバーは、
山本ひろし参院議員と、私と、小林みやこ松山市議、
そして、地元の松本ひふみ松前町議、の4名。

ということで、
国・県・市・町の各会議員が勢ぞろい。

選挙でもない限り、他党ではちょっと難しいこの勢ぞろい、
ネットワーク政党・公明党では、よくある日常風景である。

他党との差別化がここにあり、それが私たちの価値でもあり、
だからいつも応援してるよ、というのは、目の前の方々である。

予想を超える、たくさんの方々が駆けつけてくださった。

休日にもかかわらずに。
特に予告もしていなかったはずなのに。

そんな皆様が、
わざわざ足を運んでまで心待ちにしたものは、何だったか。

まぎれもなく、国政のど真ん中で、私たちを代表して戦われる、
山本ひろし参院議員からの熱いメッセージであったろう。

そのお気持ちにお応えせんと、
マイクを握る山本ひろし参院議員の演説にも、俄然、力が入る。

1つ1つ頷きながら、真剣に聴き入られる支持者の方々。
ご通行中のお車から、歩行者の方々から、お手を振ってのご声援。

本当に有難いし、また、それゆえに。

私たちは、それぞれが託された政治の場で、必ず、
皆様のご期待にお応えする結果を示していかなければならない、
ということをあらためて、深く決意させて頂いた。

してみると、私たち議員にとって遊説は。

決意を塗り固める訓練であり、また、
その決意を行動に代えるための、皆様への約束ごとであろう。

五月晴れのような、皆様の笑顔に励まされながら、
本日も、大事なことを学ばせて頂いた。

お手伝いをくださった方、ご参集頂いた皆様に、
心より感謝申し上げたい。

��写真:左から、松本松前町議・山本参院議員・私・小林松山市議。)


��私の遊説内容は、こちらです↓


私の方からは、最近の活動についてご報告させて頂きたいと思います。
県議会議員の仕事と一口に申しましても、保健福祉のこと、教育のこと、経済のこと、実にいろいろあるわけでございます。
県民生活のあらゆる側面について、皆様から日々ご要望を承り、その実現に向けて取り組んでいるわけでありますが、
ここ最近、皆様から頂くご要望は、実は県のことというよりも、国に対することが殆どでありました。
例えば、後期高齢者医療制度について、であります。
私はこの1ヶ月だけでも、300名を超える方々から、お話をお伺い致しました。
少人数での草の根対話を、何度も何度も重ねてまいりました。
温かい激励の一方で、大変多くの方から、厳しいお叱りと、ご指摘を頂きました。
やり場のない怒りや不満を、真正面から受けとめさせて頂きました。
皆様のおっしゃるとおりだと思います。
私たち庶民の気持ちを、政府も官僚もまだまだわかっていない、そう思わざるをえません。
率直に申し上げて、
そもそも、後期高齢者医療制度は、ご高齢者の方々に対するお願いだからであります。
お願いには、お願いの仕方があるわけです。
それは何かと申しますと、真剣さと誠実さです。
今の政府には、それが足りない、だから国民は怒るのだ、そう思えてなりません。
800兆円という巨額な財政赤字、急速な少子高齢化の進展と社会保障費の増大。
こうした状況の中で、将来にわたり、安心の医療体制を持続させるためには、
現在の制度では、正直、持たないということ。
国も現役世代もギリギリまでがんばりますが、それにも限界があるので、ご高齢者の皆様にも、
全体の話としては、一定のご負担をお願いします、ご理解とご協力をお願いします、
というのが、今回最初に申し上げるべきことだった、と思うのであります。
その上で私たち公明党は、どういう思いで、どこに力を入れて取り組んできたかと申しますと、
それは、1300万人といわれるご高齢者の中でも、お金がない、住む家がない、健康でない、身寄りがいない、
といった経済的・身体的・社会的に弱者であるご高齢者を必ず守る、ということでございます。
今回の新たな制度は、例えば、ご夫婦で年金収入500万円以下の方々ですと、
保険料は概ね安くなっておりますし、状況に応じて2重3重に、負担軽減措置が盛り込まれておりますし、
更に幾つものセーフティネットが張り巡らされているのであります。
私たち公明党は、そこを勝ち取る戦いをこの間進めてまいりました。
その上で、運用面で生じる不備や矛盾については、不断の改善が必要であると考えるものであります。
今日は、山本ひろし参議院議員がお見えですのでこれ以上は差し控えますが、
私たちは、こうした草の根対話を、地道に毎日、進めさせて頂いております。
で、対話をしておりますと、最後に皆さん、こうおっしゃるんです。
県議に言うても、仕方ないけどなー。
そんなとき、私は、いつも申し上げるんです。
お心配り、ありがとうございます。
しかし、県議に言うても仕方ない、ではなくて、むしろこれが、公明党の仕方、公明党のあり方なんです。
そのようにお話をさせて頂きます。
今、お伺いした皆様のお気持ちを、私は責任を持って、私の思いに代えて、
山本ひろしさんに伝え、国に伝えてまいります。
公明党の地方議員3000名は、そのためにいるのであり、
そうして集められた声こそが必ず国を動かしていく、と私は信じています。
弱者を守るためにも、不断の改善を行うためにも、
声を上げましょう、声を集めましょう、そして国を動かしましょう、
そのように、心からお訴えさせて頂いております。
あらためて皆様、具体的な声を、たくさんの声を、私たち公明党にお寄せ頂きたいのであります。
真の民主主義とは、文字通り、庶民が主役の政治です。
私たち公明党は、いつでも誰よりも、庶民の味方、弱者の味方でありたいと思います。
地域にあっても、国にあっても、皆様に一番近いところで感じて頂けるように、
公明党は全力で戦ってまいりますので、今後ともご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
ご清聴を頂き、誠にありがとうございました。

2008-05-10

議員バッジへの誓い、から1年

昨年の今日は、
県議会初登庁の日であった。

あれから、1年となる。

朝、深い祈りを込めて、自宅を出発したこと。

議事堂にて職員の方から議員章を装着頂いた、
あの、厳粛にして、身の引き締まる瞬間のこと。

今、心と脳裏にありありと、蘇ってくる。

その日のブログには、次のように綴っている。

“ご支持を頂いた20,000名を超える皆様に、
温かく見守られる思いで、

また、公約どおり働くことを厳しく見つめられる思いで、
その責任の重さをあらためて実感する瞬間であった。”、と。

温かさと厳しさ、そして責任の重さ。
1年経った今も、その実感に些かも変わりはない。

そして、世間では、
権威の象徴と眉をしかめる方もいる “議員バッジ”について。

“ この間、県内各地で実にたくさんの方々とお会いし、

私は公僕として、県民であるあなたのために働かせて頂きます、
と、お一人お一人の目を見つめながら、心からお訴えをしてきた。

それが、県議にさせて頂いた私の初心であり、原点である。

そのことを夢寐にも忘れてはならない、

そのためにこその“議員バッジ”であるのだ。
身分の証ではない、誓いの証なのだ。

このバッジに誓って、
私は皆様のご期待にお応えできるよう精進してまいりたい。”

そのように決意をしたためさせて頂いた。
初心は今も、変わらない。

もう1つ、今日5月10日は、
私にとって、誓いの実践、開始の日でもある。

議員としての初心をどうすれば保ち続けられるか、ということを、
当選後、あるご婦人から教えて頂いた。

それは、毎日、決意すること、と。

おかげさまで。

議員バッジを頂いた5月10日から今日まで1年間、
1日も欠かさずブログを更新し、決意を綴ってくることができた。

感謝の思いでいっぱいである。
そして、また、今日を節目に。

皆様への誓いを、さらなる実践に変えてまいりたい、と思う。

��写真は、松山城と、5月の青い空と、一朶の白い雲。)


2008-05-09

紀伊長島のプロジェクトにある、ヒント

今日は、
政府インターネットテレビ、のご紹介。

何だ、それ?
という方も多いのでは、と思う。

それは、地上放送でも衛星放送でもない、
インターネット配信の情報番組。

で、
提供は、内閣府大臣官房政府広報室である。

が、
かくいう私も、昨年まで知らなかった。

某県議のブログを拝見していて知るところとなり、
以来、お気に入り登録し、適度にチェックしている。

さて、ご紹介というのは、31ch「地域の元気」の5/8放送分、
“たべきりワンパッケージフード”プロジェクト、について。

��こちらをクリック⇒ http://nettv.gov-online.go.jp/channel.html?c=31 )

舞台は、三重県紀北町の紀伊長島。
実は私、GWに行きたくて行けなかった所だが、これは余談。

その紀伊長島の、地域活性化の取り組みが取り上げられていた。

実に秀逸。よくできていて、感動した。
心に、拍手が鳴り止まなかった。

少し、補足すると。
中小企業庁では。

地域が一丸となって、地域の強みを活かし、魅力と価値ある製品を開発して、
世界に通用する「JAPANブランド」を実現していこうとの主旨で、

2004年度から、「JAPANブランド育成支援事業」を実施している。
��ご参照URL⇒ http://www.japanbrand.net/index.html )

紀伊長島の、“たべきりワンパッケージフード”プロジェクトは、
いわば、そのモデルケースの1つ。

解説よりも、ぜひご覧頂ければ幸いだ。

地域が、かつての輝きを失いつつある、と危機感を抱く方々に、
少なからず、ヒントと希望を与えてくれるに違いない。

そして、愛媛から。

世界に通用する「JAPANブランド」が続々、創出されるように、
微力ながら貢献してまいりたい、と思う。


2008-05-08

誠実、という1点にこそ

日中、政務。

いくつかの県民相談が成就し、
お喜びの報告をお受けする。

思わず私も、心に安堵が広がるとともに、
ご報告を頂くそのお気持ちを大変有難く、思う。

たくさんの小さなことは、机からは見えない。

けれど。

生活の現場で、当事者の立場で見ると、
1つ1つどれも、とても、大きいことを実感する。

引き続き。
生活者の立場から、誠実に取り組んでまいりたい、と思う。

さて、夜は、党務その他。

次の勝利をめざして、今後の活動について協議を行なった後、
種々の呼吸あわせの中で、誠実、について学ばせて頂く。

誠実、という1点の中に、率先も、奉仕も、勝利も、
執念も、求道も、向上も、すべて含まれている、と。

あらためて、心に刻ませて頂いた。

考えてみると、本ブログ。
既に何度もお伝えした通り、コンセプトは、決意日記、だ。

おかげさまで、議員バッジを胸にしたその日から、
1日も欠かさず、日々、何かを心に決めてきた。

その中で。
誠実、という言葉を、何度、綴ってきただろう。

おそらく、数百回。
自身の、未熟と非力を自覚するゆえに。

いろんなことがあるたび、心をリセットするたびに。
これしかない、これしかない、と。

誠実、それは。

一瞬の油断で終わってしまう、至難の生き方の裏返しでもある。

毎日を、誠実に。
あらためて今日から出発したい、と思う。

��写真は、四国の軽井沢、久万高原町の御三戸嶽。通称、軍艦岩。とは、見ての通り。)


2008-05-07

連休明け初日の、決意

連休が、明けた。
朝、一番乗りで登庁し、政務に就く。

連休前に承った県民相談について、各部局を訪ねた。

最近なんとなく。

部局によって微妙に空気が違うな、という気がしてきた。
いわゆる職場の雰囲気、である。

そういうことに気づけるようになったのか、
はたまた、単に私に対する馴染みの有無の問題か。

それは、さておき。
夕方、市内の支持者宅をお訪ねする。


先日、私の後援会看板を、設置し直してくださったその御礼に、
お伺いさせて頂いたのであるが、幸い、ご夫妻ともご在宅だった。

予期せぬ来客に、一瞬、驚かれたご様子であったが、
すぐにいつもの温かい笑顔が広がった。

“こんにちは、お久しぶりです。”

ご夫妻の真心に対して、また日頃のご支援に対して、
私は精一杯、心から感謝の思いをお伝えさせて頂いた。

“そんなん、気ぃ遣わんで、えーのに。”

いえいえ、と、ますますこちらは恐縮するのであって。

1枚の看板に、尊い真心が、ある。
だからこそ。

皆様から頂く真心には、真心でお応えしたいし、
寄せられるご期待には、結果でお応えしたい。

玄関口をくぐり、辞去しながら。

あの時の初心を、いつまでも持ち続けていこう。

連休明けの初日に、ご夫妻の笑顔に、
決意を新たにさせて頂いたのであった。

��写真は、ご夫妻が取りつけ直してくださった看板。)


2008-05-06

兄弟のような、同期の間柄

ゴールデンウィーク最終日の今日は、
明日に備えよ、である。

午後にさしかかる頃、家内の実家を辞し、
インター付近で昼食の後、一路、松山へ。

2泊3日のプチ家族旅行は、
家内にしてみれば、単なる帰省であったか。

それはそれとして。


夫婦それぞれに友人との旧交を温め、
家族で初のカラオケ大会を敢行し、

適度にのんびりもでき、まずはめでたし、
であろう。

さて。

今日は、昨日再会した、もう1人の友人の話。
シャイなので、Hさんとしよう。

半年ぶりに再会する、2つ年上の彼は、
私が元いた会社のメンバーである。

奇しくも16年前の今日、転職入社した私たちは、
いわゆる同期の間柄なのであった。

彼の前職は、地元企業のマーケティング・スタッフ、
私は、関西の某出版社のクリエイティブ・スタッフ。

2人とも、キャリアもバラバラ、個性もそれぞれ。
そして、入社後の人生もイロイロ、なのであった。

しかし、同期というのは不思議なもので。
ある意味、兄弟のようでもあり。

結局、職場で最もたくさんお酒を交わし、
ということは、
最もたくさん時間を共有したのがHさん、なのだ。

私が、多少、お酒に強くなったのは、
紛れもなくHさんのおかげ、というか、影響である。

そのHさん、最近、体調を崩されたという。
お互い、そういう年齢ではある。

気をつけなきゃ、と気遣いながらも、
1軒、2軒と、あっという間に6時間が経過した。

実に、積もりに積もる話であった。
そして、心からゆっくりとした、心地よいひとときであった。

帰り道。

かつて共に通勤したコトデンに揺られながら、
途中の駅で、握手を交わし、別れることとなった。

ステージは異なっても、いくつになってもきっと。
兄弟のような同期の間柄は、この先も続くに違いない。

ありがとう、Hさん。
次は、エンジン全開でお会いしましょう。

��写真は、意外にスムーズだった松山への帰り道。)


2008-05-05

ゆるーい時間と、新たな決意

ゴールデンウィーク、3日目の今日は、
2人の友人と旧交を温めた。

その内の1人、
よこばぁこと、横畠くんについて。

彼は、私の親友である。

大学で高松に来た私と、地元で浪人中の彼が出会ったのは、
自動車の教習所であった。

きっかけは、何だったか?
ヒョンなことだったような気がするが、思い出せない。

が、これほど長いつきあいになろうとは、
当時、お互い、知る由もなかった。

そんな彼とは、数えてみると1年半ぶりの再会になる。
昼下がり、高松市内で合流したが、なんちゃ変わらんのう、である。

とある喫茶で、落ち着いた。

私もそうだったが、彼も民間企業の転勤族で、今は県外住まいの身。
久々の帰省ということらしい。

なんちゃ変わらんのう、といいながら、
お互いの環境は、この1年半ですっかり変わっており。

結局、コーヒー2杯で約5時間の、しゃべりまくりとなった。

経済のこと、組織のこと、政治のこと、ビジネスのこと、
家族のこと、自身のこと、世界のこと、未来のこと。

ふと思えば。
あのやんちゃな私たちも、すっかり責任世代となっているのである。

“夢より大きなモチベーションは、ないけんのぉ~。”
とは、彼のセリフである。

要は、政治であれ、民間企業であれ。

それぞれの構成員のモチベーションを最大化させるものは、
リーダーの夢の大きさである、と。

“えーこと、ゆーやん。(笑)”
“アホげに、しとろが。(笑)”

してへんよ、よこばぁ。
まさに、その通りと思うから。

目標を持って学び、やりがいを持って働き、
子どもを育て、親を支え、仲間と集い。

人生を楽しむには、モチベーションが必要なのだ。

そして、1人1人、1つ1つ、
それを最大化させる政治にしていかなくてはならない。

親友との、ゆるーい時間が流れていく中で、ポコッと。
その瞬間、心の中に、新たな決意が生まれた。

よこばぁ、ありがとう!

��写真は19年前の5月5日、福岡にて。右がよこばぁ。)


2008-05-04

遅ればせながらの、家族サービス

ゴールデンウィーク、2日目。

家族で、高松に向かった。
といっても、家内の実家である。

結局、お目当てだった関西も、九州も、どこも、
相手先の都合と、施設の予約が一杯だったわけで。

こういうことには全く不慣れ、
の結末であった。

それはそれとして。
せっかくの休日の、しかも家族旅行。

子どもたちにも楽しい思い出を、ということで、
夕食の後、カラオケに連れて行ったのであった。

カラオケで、いいのか?
一瞬、迷いながら。

時間帯のせいか、それとも、連休は書き入れ時なのか、
そのお店は全部屋満室で、しばらく待機、である。

一方、息子と娘は。

初めてのカラオケに、
部屋から漏れてくる大音響に、完全に、緊張が走っている。

順番が、来た。

お飲み物は?
いらないらしい、まだ緊張は続いている。

すかさず、いつも家で歌っているアニメソングを何曲か入れてみた。

マイクを通して聞こえる自分の声が、とても不思議そうな娘と、
1曲歌って、すっかりハマッてしまった息子を、パチリ。

案の定、走り回る2人を、パチリパチリ。

そして、私と家内は、すっかり、歌のおにいさん、おねえさん状態。
あるいは、おかあさんといっしょ、の世界である。

1時間で、ヘトヘトになり。

歌のおにいさんたち、それを毎日やっている保母さんたちに、
本当に頭が下がる思いがするのであった。

かくして、
遅ればせながらのゴールデンウィーク2日目、終了。

家内の実家では、もちろん、私が真っ先の就寝となった。


2008-05-03

流れに気づく力、流れを変える力

今日から、ゴールデンウィーク。
思えば、ここ10年来で初めての、オフだ。

大いに家族サービスをして、
ゆったりと英気を養いたい、

という思うとはうらはらに。

家内も子どもたちも用事で忙しい、らしい。

仕方なく、
というか、じゃあ、読書となり。


1冊目、「小沢一郎 独走す」(浅川 博忠著)。

今の政局は、角福戦争の系譜である、
と、小沢氏の同級生が、その足跡を検証する。

2冊目、「小沢民主党は信用できるか」(高市 早苗著)。

信用できない、とした自民党の視座で貫かれ、
登場人物も多いが、結局、オチは政界再編、である。

3冊目、「デフレは終わらない」(上野 泰也著)。

原油をはじめ、軒並み輸入原材料の高騰が続く中、
それでもインフレにはならず、デフレは続く、としている。

4冊目、「ルポ貧困大国アメリカ」(堤 未果著)。

歴史ではない、
現在進行形のアメリカという国について。

7年前の、あの9・11以来、かの国で進行しているのは、
民衆をターゲットとした国家レベルの貧困ビジネスである、と。

そして、それは、新自由主義政策の名のもとに、
日本にも同じ図式が、もはや大きなうねりとなりつつある、という。

政界の系譜といい、経済の基調といい、政策の背景といい。
そこにあるものは“流れ”であろう。

今や世界は、完全に、リンクしている。
北京で1匹の蝶が羽ばたくと、である。

私たちの現在と未来に対する警鐘は、
まさに、その“流れ”の中にこそ、ある。

その“流れ”に気づく力と、“流れ”を変える力の両方を、
私たちは持たねばならない。

すべての国民が、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を侵されないように。

身も気も引き締まる今日は、まさに、憲法記念日である。


2008-05-02

半年ぶりの、津和地島にて

深夜と夜明け前の、間。
むずがる娘の泣き声で、目が覚める。

あやせども一向に治まらず、
大いに睡眠不足の早朝、自宅を出た。

向かったのは、津和地島である。
島民の方からの視察要望で、雲峰松山市議に同行を頂いた。

手帳を確認すると、半年ぶりである。
ちょっとこの間、と思っていたら、もう半年、だ。

最近は、記憶と記録に多少ズレあり、である。
寄る年波には勝てない、か。

とはいえ、いつものように切符を買い、フェリーに乗り込むと、
かかってきたのは、坂本冬美さんの“白いかおりの島へ”。

何度聴いても、いい歌だ。

思わず、乗船記念に着うたサービス無料ダウンロード、
なんて配慮があると、うれしいなぁ、と思うのである。

さて、1時間半ほどで、到着。
港では、地区の総代さんを始めとしてお迎えを頂いた。

ご挨拶を終えると、さっそく、現場を視察した。
といっても、見るばかりではない。

皆様が言わんとされることを、対話を通して、
1つ1つ確かめながら、手に取るように感じること、だ。

そこで暮らす方々の生活現場を体験しないと、
要望の切実も、実際のところ、わからないであろう。

最初にボタンを掛け違うと、
せっかくの対応が不適切になりかねないのだ。

皆様からのご要望の整理と確認を行ない、
県と市のそれぞれの進め方を確認し、視察を終えた。

高浜港に着く頃には、すっかり日が傾き。
半年ぶりの、ほぼ1日仕事、となった。

島の方々からすれば、ある意味、
長年の期待を託した1日といえよう。

期待を託す、とは少々大げさかもしれないが、それは。
決して軽くない重さ、であることをゆめ忘れまい、と思う。





2008-05-01

新・地方局の立ち上がり、に思う

今日から、5月。
早い、早い。

その、
どんよりとした午前。

島嶼部からのご要望を受け、
雲峰松山市議と陳情団に同行し、中予地方局に伺った。

さて、地方局といえば。


皆様ご承知の通り、
今年度から、東予・中予・南予の3つに再編され、

まさに今、
新たなサービス体制が立ち上がったところ、である。

昭和55年度から30年近く続いてきた5局体制、
であれば。

各圏域においては、当たり前のように根付いた体制であり、
それが変わるとなれば、賛否様々な意見が出てくるのであって。

事実、再編に際しては、
そうしたご意見を踏まえた議論・検討に、約5年の月日を要したのである。

再編の必要性について、県は3つの必要性を説いた。

1つめは、合併の進展に伴う市町村数の減少から。
2つめは、県と市町との役割分担の変化から。

そして3つめは、
三位一体改革などに伴う財政状況の悪化から。

そうした情勢の変化から、見直しが必要、としたのであった。

特に3つめは、
いいかえると、県組織のスリム化、である。

県民の皆様からの声を、今あらためて目にすると、その3つめは、
最も期待もするが、最も不安も大きい、ことであることがわかる。

地方局再編整備計画のベースにあるのは、権限委譲であり、
その結果、サービスがよくなった、を目的としなければならない。

権限が大きくなった分、意思決定が早くなり、
地域の声が政策に生かされ、距離よりも心が近くなった。

そうした新・地方局に、変わらなければならない。

その意味で、新体制立ち上がりの今、
生活者の皆様の声を敏感に感じながら。

趣旨に沿ったものになっているかどうか、注視してまいりたいし、
ちゃんと軌道に乗っていけるように、注視してまいりたい、と思う。

��各地方局HPは以下の通り。なるほど、それぞれに特色あり、です。
 東予地方局HP⇒ http://www.pref.ehime.jp/touyo/index.htm 
 中予地方局HP⇒ http://www.pref.ehime.jp/soshiki_chuyo_annai.html 
 南予地方局HP⇒ http://www.pref.ehime.jp/nanyo/index.html )