2008-05-16

政治は対話に始まり、対話に終わりなし

夜、支持者座談会に伺う。

週末のお忙しい中を、
今日もたくさんの方がお集まりくださった。

連日、似たような、とお感じになられるかもしれないが、
明日も続くゆえ、予めお許し頂きたく。

今日は、事前のご要望により、
長寿医療制度に関する公明党の考え方と取り組みについて約30分、
ということであった。

私は、本ブログで何度も綴ってきたことに加え、
今後の改善の見通しを交えたお話をさせて頂いた。

当たり前だが、どの皆様の目も、真剣だ。
生活に直結した、自分ごとだから、である。

1mgの重さは体重計では量れない、とすれば。

生活者にとっての1000円の負担の重さを感じるために、
政治家には常に、この、自分ごと、というセンサーが必要だ。

質疑では、いつも様々なご指摘を頂くが、
今日、私の心に突き刺さったのは、次の叫びである。

“まだ、大本営のように感じる。
本当に、私たちが信じられる公明党であってほしい。”

柔和な口調にして、魂を揺さぶられるような、痛烈。
支持者の思いを代弁する叫びであるに、違いない。

自身の非力と限界を感じながらも、今、私にできることは、
皆様の叫びを、心に刻んで刻んで刻みつけておくことだ。

対話の始終、私の中にあったのは、その思いだけであった。

終了後。

有志から、個別のご要望をお受けしたり、激励を頂きながら、
気づくと、座談会第二部の様相を呈しており。

会場にご迷惑にならないよう散会を急ぎながらも、

“ゆっくり話ができて良かった”、
“話したらスッキリしたわ”、

とのひと言ひと言が心に染みて、
救われる思いがするのであった。

どこまでも政治は、対話に始まり対話に終わる、
いや、
対話に終わりなし、ということを忘れまい、と思う。

��写真は、ただ今、田植えシーズン真っ盛り、の久万高原町。)


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