2007-08-31

8月の終わりに

盛んなる夏は、過ぎ。
午前、久万高原町へ。

お会いしたのは、戦前生まれの地元壮年のお一人。
そのお申し出による、河川被害の土砂崩落現場を視察。

所有する田畑と水路が抉り取られるように崩落したのは、約15年前。
諸般の事情によるも、15年もの先送り案件であった。

早速、県庁へ移動し、視察内容を踏まえ、所管部局に申し入れを行う。
積極的かつ協力的な見通しを確認し、安堵する。

というような部局折衝が、今日は4件。
新人としては体当たりであり、すべて勉強だ。

4件のいずれもだが、
折りしもの財政難は、行政すべてに取捨選択を強いることを痛感。
巨額な借金をいくら嘆いても、前には進むべくもなく。

件の壮年は、語る。

大事なことは、わが町をわが家庭に置き換えて感じる、当事者意識だ。
これを、みんなが持てれば、町の窮状も閉塞も、必ず打開できる、と。

その通り。

どこであれ家計が赤字であれば、まずは借金返済計画を立て、
それに基づいて、支出を切り詰め、収入を増やす努力を惜しむまい。

できるかできないか、ではなく、するかしないか。
その意味で。

壮年のお話で印象に残ったキーワードは、辛抱、そして、知恵、である。
今の現役世代は、辛抱することと、知恵を出すことに、努力が足りない、と。

グサリ、応えた。

必死でないと生きていけない時代と、何となくそれでも生きていける現代と。

戦前生まれの過ぎこしご苦労に最敬礼しながら、未来を受け継ぐ一人として。
これからは、想像力の時代だ、と、ふと思った。

人に対して、地域に対して、社会に対して。
他者ではなく当事者として、想像し感受できる、そういう個人と団体と社会のみ、
次代を拓くことが可能であり、強力な磁場となって歴史をナビゲートするのであろう、と。

おやっ、と見る足元に、こおろぎ発見。
8月の終わりに、こちらは、秋到来のナビゲーターである。

2007-08-30

ドキッ、にもいろいろ

本日の愛媛新聞の、ある記事にドキッとする。
大規模地震対策で、県庁内連絡会議の初会合が行われた、という記事だ。

8/2に行われた常任委員会で、私が要望したのは、まさにこのことであった。
同日のブログにも、以下の主旨を書いた。

「想定される南海地震など大規模地震の防災対策には、
従来の縦割りではなく、全庁横断的なプロジェクトチーム編成が不可欠で、
抜本的な、多面的で漏れのない検証と議論の中から、
わが県独自の、防災トータルプランを構築してまいりたい。」

意見が取り入れたとしたら喜ばしいし、まずは、1歩前進、と思う。

今日の初会合で達した結論のうち、重点ポイントは2つ。
高齢者や障害者といった要援護者対策と、老朽木造家屋などの住宅耐震化対策。

今後、関係課の担当者レベルでの継続協議となるということだが、
その推移を注意深く、追ってまいりたい。

さて、本日は、日中は市民相談対応。
夜は、市内南部を回り、54名の方々にお会いし、昨日に続いて、いくつもの宿題を承る。
はたして簡単な宿題は、1つもなく。

と、あるご婦人から、こんな質問を頂いた。
県議会議員は、いつも、どんな仕事をしているんですか?

思わず、ドキッとする。
私なりにお答えすると、県民の様々な生活課題の発見と解決、となるのだが。

おいしいパンを作って、売るのが仕事です、
というような明快さに欠け、ちょっと形而上に過ぎるか。

いずれにしても、政務調査活動、現地視察、市民相談、部局折衝など、
議会活動以外は、定型パターンがないところは、まさに自由業である。

であれば、県議の仕事としての商品は、何?
ご婦人の何気ない質問に、哲学的な悩みが膨らんでゆきながら。

夜のしじまを、拡張要望のあった現場道路を視察し、家路につく。

��写真は、8/30付愛媛新聞3面記事)

2007-08-29

宿題は、難問

午前、公明新聞取材のため、「こどもデイ青空」の佐伯代表を訪ねる。

障害を持つ児童たちを、地域で育む環境づくりの必要性について、
種々ご意見を伺う。

めざすべきは、経済優先ではなく、人間中心の町づくり。

佐伯代表の熱い思いに圧倒されながらも、
しっかり国と連携しながら、県政への反映を心に期す。

夜は、久万高原町にて、支持者への対話訪問に歩く。
お会いした数、56名。
久しぶりにお目にかかる笑顔の数々に元気を頂きながら。

その中で、いくつか宿題を頂く。
いずれも難問だ。

正面からしっかりと受けとめるほどに、
先ほどまでの元気がだんだん深刻になってゆく。

しかし、簡単に解決できるのであれば議員は要らないのであって。
全部が全部実現できるとすれば、それは魔法なのであって。

政治の現実は、優先順位と取捨選択の、意思決定の連続である。

どこに視点を置いて、どれだけ多くの方の合意と満足を得られるか、
それこそが、政治家個人も行政も、問われる成果であろう。

未熟ではあるが、現実の難問に、一歩も引かず、立ち向かうのみ。
一念は、深刻から、闘争心へ。

1日、生活現場に足を運びながら、思う。
こうして1つ1つ、議員として育てられているのだ、ということを。
感謝を1日も忘れまい。

月明かりに、ひんやりと肌寒い、久万高原町の22:00。
一足早い秋を感じながら、家路につく。


2007-08-28

人間は、忘れる動物

年初来の選挙日程が終了し、ようやく落ち着いた1日。
ここ1ヶ月ほど野放し状態の書類を、一気に整理する。

汗だくの、半日仕事の成果は、
バケツ一杯のシュレッダーゴミと、厚さ約20cmのファイル。

様々な情報を、分野ごとに、時系列ごとに整理していくと、
あらためて、つくづく、人間は忘れる動物である、ことを痛感した。

ドイツの心理学者エビングハウスによると、
人間の記憶の6割は1時間で失われるそうだ。
1ヶ月もすると、8割方を忘れてしまうようにできているらしい。

その説でいくと、今日の半日仕事における真の成果は、
忘れていた約8割の事柄を思い出すことであったかもしれない。

議員調査活動については、さらなる深堀りが必要だ。
この間頂いた市民相談については、フォロー活動が必要だ。

行政における知見不足については、貪欲なる勉強が必要だ。
政治的人脈の貧弱については、積極的な交流が必要だ。

思い出すのは、必要なことばかり。
目の前に迫る、胸に迫る、痛感の数々。

書類整理を通して、この1ヶ月の自身の軌跡を振り返ると、
まだまだ底浅く薄っぺらい仕事ぶりだな、と、自己嫌悪に陥りそうで。

汗だくになりながら、その幾分かには、確実に、冷や汗が混じっていた。

でもまた、明日。
明日からである。

午前は、新聞取材で市内の障害者施設を訪問し、午後は、市民相談と調査活動。
そして夜は、久万高原町へ参上する予定だ。

今日の気づきを早くも忘れることのないよう、早速、実践に換えてがんばりたい。

2007-08-27

ポッカリと浮かぶ満月に

9:00久万高原町の玉水町長を訪ねる。

週明けの大変お忙しい中を、暫時懇談いただく。
甲子園で活躍した、同町出身の熊代くん(今治西高)の話題に花が咲く。

いかにも素朴で心優しい町長と、この町の発展について、
今後とも対話を重ねてまいりたい、
ここに暮らす方々の具体的なお力になりたい、
と念願しながら役場を辞す。

そして、同町で、いつもお世話になる方々へご挨拶に伺った後、
松前町議選でお借りしていた事務所の撤収作業を手伝い、
夜はまた多くの皆様に感謝の気持ちを込めてご挨拶を行う。

すべて終了したのは、いつのまにか、夜半。

ふと聞こえてくる虫の声は、セミから鈴虫に変わっていた。
暑くて長い長い夏も、もうすぐ終わろうとしている。

記録的な猛暑というべき今年の夏、県議各位のブログには、
視察に、懇親に、読書に、観戦に、研鑽に、交流に、家族サービスに、
と、実に精力的に過ごされたことが伺える。

さあ、私も、今日からリセットだ。

明日からまた、大いに研鑽を積んでいこう。
県下に暮らす庶民の生活現場に飛び込んでいこう。

すがすがしい気持ちで夜空を見上げると、満月がポッカリと浮かんでいた。
文字通り、円満に。

満ち足りて、すべて備わった状態が、円満であれば、
人間も、社会も、かくあらん。

煌々と輝く満月が、リセットした私の心に、
にっこりと微笑んで語りかけてくれる気がした。

2007-08-26

次のステージへ

まだまだ残暑が厳しい本日は、8月最後の日曜日。
それは、夏休み最後の日曜日でもある。

たくさんの親子連れが、夏の思い出づくりに、
それぞれの家族イベントを楽しんでいるようだ。

この夏、まだ幼い子どもたちを
どこへも連れて行ってやれなかった私には、耳が痛い。

その分、どこよりも親子のコミュニケーションを心がけているつもりだが、
これまた言い訳に過ぎずか。
ごめんね、と思いながら、娘を抱きかかえる。

さて。
今日も、多くの方々に囲まれながら、慌ただしく過ぎた。
事務所前の田んぼの稲穂にも、いつしか実がつき始めている。

そして、深夜。
松前町議選の開票結果が判明した。

わが松本ひふみ候補が、1,836票を頂き、
2期連続のトップ当選を果たす結果となった。
単に、ではない、いろんな意味での、大勝利と思う。

この記録的な猛暑の中を、夏休み返上で戦ってくださった
皆様のご苦労に思いを馳せながら、感謝の気持ちでいっぱいとなる。

歓喜の万歳を聞きながら。
候補の挨拶を聞きながら。

昼に見た、田んぼの稲穂が浮かんできた。
実るほど 頭を垂れる 稲穂かな、とは先達の言。

私もまた、県民の皆様に対して、どこまでも謙虚に向き合っていこう。
深々とお辞儀する候補とともに、次のステージに向けて、深く決意させて頂く。


2007-08-25

時間の相対

相変わらずの暑さの中にも、
秋の到来を予感させる風を感じた1日。

松前町議選の選挙期間も、今日が最終日。
告示から、あっという間の5日間であった。

ふと、時間の相対性、そんなことを考えた。

5日間という長さは、
或いは、昆虫からすれば、一生に匹敵するかもしれないし、
星からすれば、瞬間にも満たない一瞬であろう。

相対の中に、森羅万象があるのだ。

そう思ったときに、ある詩の一節が浮かんだ。
サミュエル・ウルマンの、「青春」という詩である。

ひまわりのようなその詩は、あまりにも有名な、次のフレーズで始まる。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。」

なんと希望に満ちた、青春の定義であろう。そして、

「人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。」

心の様相の本質を、見事に言いあて謳い上げる彼の情熱に、
いつも私の心は、むんずと、鷲づかみにされるのである。
いつ読んでも、何回読んでも、心に響くのである。

時間の相対という中で、おそらく、あっという間の人生に。
心に、そして今日の1日に、信念と自信と希望を失うまい。

ひまわりの町で、ヘトヘトになりながら、ひとり頷いた。

2007-08-24

傍聴して考えた

午前、行政改革特別委員会を傍聴した。

私の所属は、地域活性化対策であるから、
今日は聞くだけ、の有志参加である。

議題は「公の施設の見直しについて」であった。
ずばり、傍聴してよかった。
いろんな意味で、勉強になった。

が、同時に、議論全体がボタンの掛け違い、のようにも感じた。

公の施設が提供するサービスが、県民に約束する成果は何なのか、
ここをまず明確にする必要があったように思う。

公サービスは、収支に優先するところに存在価値を有すると私は考えるが、
その成果は外部に、つまり、県民の評価に現れるということだ。

教育の、文化の、健康・福祉などの、それぞれの公の施設が、
広く県民に対してお約束したはずの、知的満足や安全や安心は、
はたしてキチンとした成果として評価されているのかどうか。

その上で、それがないと困るサービスかどうか。
公であれば、偏在がないかどうか。

という評価があって、見直しは適うものになっていくだろう。
今、必要なことは、収支も含めた積極的な情報公開ではないか、と思う。

優秀な教師の成果が、生徒の成績・成長に現れるように。
公の施設の提供するサービスは、県民に納得と満足をもたらさねばならない。



2007-08-23

キーワードは、自立

午後、ジョブカフェ愛work(愛媛県若年者就職支援センター)
主催の講演会に参加する。

講師は、早稲田大学大学院教授であり、元三重県知事の、北川正恭氏。

TBS番組「ブロードキャスター」のコメンテーターとして、
あるいはマニフェスト提唱者としても、有名な方である。

その「地域で育てる次世代人材」と題しての1時間半の講演は、
氏の巧みな話術によって、あっという間に感じさせるものであり、
わが愛媛にとって極めて示唆に富んだ、聴きごたえのある内容であった。

以前、日本のマーケティングの第一人者である岡本正耿氏と北川氏の共著である
「行政経営改革入門」という本を読み、強烈なインプレッションを覚えて以来、
氏の提唱理念は私の興味の対象となった。

すなわち。
行政とは、経営である。

経営であるならば、行政の起点は生活者であり、めざすべきゴールもまた生活者である。
という理念である。

まったく、同感なのである。

生活者起点という理念、あるいはビジョンというものの確立が先にあって、
それに適うかどうかという基準で行政経営の意思決定が行われるならば、

言い換えると、

理念に見合う価値を前提として行政経営がなされるならば、
それこそが、これからの地方自治のあるべき姿である、と。

その通り、同感なのである。

「地域で育てる次世代人材」という演題に戻すと、
私が理解した大事なポイントは、「自立」ということであった。

それは、
愛媛県として中央への依存マインドを克服し、自立する、ということであり。

県下の行政ステークスホルダー全員が、
縦割りのポジションオリエンテッドから生活者起点のミッションオリエンテッドに、
その精神構造を切り替え、自立する、ということであり。

そして、
生活者が当事者として積極的に行政に関与することによってのみ、
依存心と無関心からの脱却は可能となり、主権者としての真の自立が可能となる、
ということである。

この「自立」をキーワードに、わが県内で、こうしたゆらぎをおこせるかどうか、
が、愛媛における次世代の人材育成のカギとなる、と私は見た。

大いなる触発の機会を頂き、関係各位に感謝申し上げるとともに、
まず、隗より始めよ、と思う。

私自身、過去の私から自立できるよう、日々、真剣に、研鑽を重ねてまいりたい。

2007-08-22

人生の縮図

甲子園というところは、何とスゴイところか。
まるで、人生の縮図である。

第89回全国高校野球選手権大会最終日の今日、
甲子園球場にて、その決勝戦が行われ、
佐賀北高校が見事、参加4,081校の頂点に立ち、その幕を閉じた。

がばい旋風、とマスコミは言う。
佐賀県出身、広陵高校野球部OBの島田洋七さんも、さぞ複雑な心情だろう。

それにしても、この勝負。
極めて個人的だが、やはり、人生の縮図と思えてならない。

ありえない、ということが突然、ありうるのが人生であるからだ。

逆転満塁ホームランの前の連続四球は、広陵にとっては、ありえなかったはずだし、
佐賀北にとって、勝つことは疑わなくとも、あの1球で決着するとは、ありえない想定だったろう。

現実は、すべてのことが、ありうるのであれば、
勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし、とも思う。
これまた、人生か。

両校の健闘に惜しみない拍手を送りたいし、心より讃えたい。
猛暑の中、本当にお疲れ様。そして、感動をありがとう!

10年20年の後を担う君たちの世代に、胸を張ってバトンを渡せるように、
そして、ありえないほど、生活満足が広がる社会をめざして、私もがんばるつもりだ。

2007-08-21

ひまわりの町

今日は、松前町町議選の告示日。
ちなみに、投票日は26日である。
��ご参照URL⇒ http://www.town.masaki.ehime.jp/life/life_frame.php?lif_id=874 )

9:00より、2期目に挑戦する候補者の選挙事務所にて、出陣式が行われた。

平日にも関わらず、大勢の支持者にお集まり頂き、感謝の思いで一杯となる。

とともに、
支持者の皆様のために、松前町のために、候補者と同じ思いで、私も全力で働かせて頂く、という決意を固めさせて頂く。
必ず勝利をして、皆様のご期待にお応えしてまいりたい、と思う。

午後、同町の白石町長を訪れ、種々、懇談させて頂く。

松前町は、財政力指数、経常収支比率、実質公債費比率などの指標でみると、
県下市町でトップレベルの優良自治体であることがわかる。

とはいえ。

将来に対する懸念の構造は他の市町と変わりないといってよく、その中を、
来春の大型商業施設の誘致をはじめ、積極果敢に攻めの経営を志向する、
町長のリーダーシップに大いに学ばせて頂いた。

また、年若の私に対して温かな激励も頂き、有難くも恐縮のひと時であった。

平成の大合併に対して自立の道を選択し、歩む、
人口3万人強の、この町のシンボルは「ひまわり」だ。

太陽に向かって伸び伸びと育つ、ひまわりのように。
見る人に明るい笑顔をふりまくように咲く、ひまわりのように。

この町と、生活者の皆様の未来が、大きく花開きますように。
そう心から祈りながら。

県議としての責任もしっかり自覚させて頂いた1日であった。

��写真は、松前町に沈む荘厳な夕日)

2007-08-20

痛感とバタンキュー

酷暑をフル回転、の1日。
午前は、公務に勤しむ。

9月補正予算編成に関する、知事への会派要望の打合せである。
通常、当初予算と補正予算を上げるタイミングで、年2回、行われるとのこと。

議員となって以降、皆様からお伺いしたご要望は、しっかり盛り込ませて頂いた。
問題は、それが実現できるのかどうか、であれば。

ここから先が、政治力である。
会派は数、数は力、なのである。

公明党・新政クラブとして、しっかりと力をつけていかねばならない、
ということを、痛感する打合せであった。

午後は、山本ひろし参議院議員と松前町の企業各社を訪問。
駆け足ではあったが、種々懇談を頂き、国・県レベルの様々な要望を承る。

国会議員と地方議員が、これだけ密に連携協力ができるのは、公明党ならではであろう。
わが党独自の、この強みを、有権者の皆様にもっと見える形にしていかなければ、と痛感。

夜は、支持者の集いに参加。
ご挨拶をさせて頂き、元気を頂くも、帰宅後、バタンキューとなる。
体力の衰えを、痛感する。

連日の酷暑を恨めしく思いながら、何かと痛感することの多い1日となった。

��写真は、青空に浮かぶ上弦の白い月)


2007-08-19

ひとり1役、全員主役

広陵高校というのは、何とすばらしいチームだろう。

その強さはもちろんであるが、選手のメンタリティのことである。
試合終了後の談話を聞いて、また改めて記事を読んで、感動が突き抜けた。
��ご参照URL⇒ http://sports.yahoo.co.jp/baseball/hs/news/20070819-00000020-mai-spo/ )

主将のセリフは、こうだ。
「絶対勝ちます。中井先生は寝とってください」。

チームの皆が、監督の体調に心を配り、
自分たちですべての作戦を組み立て、必ず勝利をプレゼントする、と。

そして、監督は語る。
「自ら考えて必要なことを見つける方が、生徒が育つと分かったので(すべて任せた)」。

まさに、師弟である。
師匠は弟子を信じ、弟子はまた師匠に対し、結果をもって応える。

何と美しい。
何と頼もしい。
私の心は、割れんばかりの快哉にあふれた。

教育が目指すべきは、彼らのような人格を育成することである。
少なくとも私は、確信をもって、そのことを学んだ。

愛媛代表であり、わが母校でもある今治西高の敗退は、確かに残念ではある。
選手たちはさぞ、悔しいことだろう。
悔しくてたまらないことだろう。

その心情を考えると、本当につらいが、
次の、新たな目標ができたと捉え、新たなる歴史をぜひ拓いていってほしい、と思う。

そして、本当によくやりました!ありがとう!と、
心の底から感謝の気持ちを持って、ねぎらいたいと思う。

最後になるが、もう一度、広陵高校の話。

彼らの合言葉に、改めて敬意を表したい。
「ひとり1役、全員主役」。

この高校の本当の強さは、それを見事に体現する、その教育哲学にこそある。


2007-08-18

26年ぶりのベスト8

溶けそうなくらい、本日もまた酷暑にて。
汗にまみれながら、終日、党務にて市内を走る。

で、走るといえば、甲子園。

愛媛代表の今治西高が、痛快なる逆転勝ちで、
見事、26年ぶりのベスト8進出を決めた。
母校の後輩たちが、またまた、やってくれた。

特に、エースで4番の大黒柱、熊代くん。
その逆転ホームランの場面には、しびれた。
と同時に、彼の出身地である久万高原町を思った。

私は、同町のたくさんの方々にお世話になっている。
本ブログでも、久万でのふれあいの徒然を、何度も綴ってきた。

この町の生活を取り巻く環境は、とりわけ厳しい。
その中で、必死でがんばっている方々を何人も見てきた私には、
その瞬間の彼らの気持ちがわかるような気がした。

皆がどれほど歓喜し、どれほど勇気づけられたことだろう、と。

私もまた同じである。
26年ぶり、つまり、26年前のベスト8進出というのは、私たちの代である。

私たちに並んだ後輩たちを心から祝福するとともに、
僭越ながら、声を大にして言いたい。

勢いよく追い越せ、
そして、西高史上最高の歴史を創れ、と。

人生の中盤に差しかかる年齢となってみれば。
後輩とか、後継とか。
次を担う世代が成長し活躍する、これほど嬉しいことはないなー、と思う。

一方で、自身に置き換えれば、まだまだ新人議員の身。
人生の先輩からいささかなりとも心安んじられる成長を、と心に期す。

ともあれ、明日の大一番は、まさに胸突き八丁。
この夏、最もタフなゲームとなるであろう。

そんな眩しい後輩たちに今一度、エールを送りたい。

勢いよく追い越せ、
そして、西高史上最高の歴史を創れ、と。


2007-08-17

酷暑に、ハツラツ

この暑さ、もはや異常である。
今日で3日連続、40℃を超えたとのこと。

これは、国内観測史上、初めて、とのことで、
地球温暖化の不気味な進行を、予感させる。

温暖化防止については、またの機会に論じるとして。

それにしても、これだけ暑いと、気力も減退するか。
なかなか、1年生の私には厳しい中身の1日であった。

一方では。
酷暑にあっても、ハツラツと清清しい人たちがいる。
甲子園球児たちだ。

今日も、感動のドラマを繰り広げている。
明日は、わが母校の今治西の登場だ。

ベスト8進出は間違いなしと見ているが、いずれにしても。
奢らないよう、悔いを残さないよう、全力を出し切って戦ってほしい。

暑さをものともしない君たちの、溌剌の一投一打と全力疾走は、
一服の涼風となり、爽やかにわたる風となって、
私たちに元気を与えてくれるのだから。

がんばれ、今治西高。
私も、負けないぞ!

ふと、励ましながら、励まされる、自分に気づいた。


2007-08-16

2人の父と

焼けつくような陽射しに、拭っても拭っても噴出す、汗。

今日は、新家としての墓地移転に伴う私の父の納骨と、
家内の父の3回忌法要を兼ね、香川県高松市に趣く。

午後1時の、晴れ渡る、四国池田記念墓地公園。
��ご参照URL⇒ http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/memorial-park/memorial_park_info_10.html )
滞りなく、遺骨のご安置も済み、家族とともに、両父への感謝と報恩をご祈念する。

父が逝いて、ちょうど30年。
義父の逝去は、2年前。
ともに、真っ盛りの夏であった。

生前に面識のない父らだが、2人は今、隣通しに並び。
私もまた、いずれの日にかお側せんその日まで安らかに、と。

果たすべき使命を胸に、2人の父を偲び、そして誓う。
さあ、心にキッチリけじめもついた。

関係者へのご挨拶の後、家内の実家に戻る。

そして、束の間の休息の後、ひとり松山へ。
明日も又、やるべきこと、たくさんなれば。

帰り道。
高松から松山へと向かう高速道路は、まるで灯篭流しのように鮮やかで。

この夏の思い出を詰め込んで帰路を急ぐ、
そんな車たちのテールランプが、途切れることなく賑やかに流れていた。

2007-08-15

62年前を忘れない

午前、愛媛県民文化会館にて開催された「愛媛県戦没者追悼式」に出席。
厳粛なる雰囲気に包まれ、戦没者の御霊に、深い哀悼の祈りを捧ぐ。

今から62年前の本日正午、昭和天皇の、いわゆる玉音放送が行われ、
その終戦詔書の朗読をもって、事実上の終戦が確定された、と歴史は語る。

300万人以上といわれる、犠牲となった方たち。
その尊い命と家族の幸せを奪い、
奪ってもなお今に苦しみを強いらせ続ける、あの戦争というものは。

この日が巡り来るたびに、憤怒と慙愧を思い、そして平和を決意し誓う。

戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。

時代が代わり、何を失ったとしても、日本人として、
この絶対的事実だけは、決して忘れてはならないだろう。

私は、幸いにして、戦中・戦後の話を、何人もの当事者から聞いて育った。
祖父や父や、近所のおじさんおばさんたちや、学校の先生や。

二度と戦争は、したらイカン。
絶対、繰り返しちゃならんぞ。
あの苦しみはワシらだけで十分じゃ。

幼心にも、その痛恨の激情は、ぐさり、脳裏に焼きついた。
そして、今は亡き先達は、夏が来るたびに、私の命に刷り込むように語り続けてくれた。

今、私たちは。

子どもたちに、その先の未来まで、
これを語り継いでいく義務と責任を感じずにはいられない。
風化させてはならず、他人事にしてはならず。

そのために。

白柱を見上げ、献花を捧げながら、誓う。
いつか来た道の正体を、一歩たりとも、政治に、そして私たちの心に入り込ませないことを。

この決意を引き継ぐところにのみ、御霊への報恩が果たせることを知らねばなるまい。
その激情をもって、わが愛媛の戦没者に心から哀悼と最敬礼を捧げた式典であった。

ジリジリと射す屋外に出ると、セミが鳴きやまずとなり。

それは、短いその生命をせいいっぱい高らかに、謳い上げる詩なるか。
きっと62年前と同じように。


2007-08-14

子どもにもわかる

終日、党務に追われる。
1日が、あっという間だ。

その上、多忙にかまけてか、暑さに茹だれてか、
最近は、読書も思索も十分にできていない状況である。

頭と心に、充電が必要だ。

ということで、書店に立ち寄り、何冊かチョイス。
思わず手に取ったのは、「14歳からの政治2」という本。

例えば、14歳の中学生が、石破茂衆議院議員に、
日本の平和は大丈夫ですか?などと、大真面目にインタビューするのである。

著名な政治家の面々が、果たして、中学生の腑に落ちる説明ができるのだろうか、
という興味とともに、ドキッとするくらい、こういうアプローチは、あり、だと思った。

考えてみると、政治は決して有権者だけの、大人たちだけのものではない。

にも関わらず、結果的に、私たち大人だけのものにしてはいまいか。
政治家も官僚も、その対話対象として、無意識に子どもたちをオミットしていまいか。
と、思わず、ハッとしてしまった。

買ったあとは、じっくり、読むとして。

難しいことほど、つまり政治も、子どもにもわかるように、という雅量が必要だと思う。
雅量といい道理というのは、子どもにもわかるものだからである。

そして、子どもたちは、本能的にウソを見抜く天才なのである。
その子どもたちの腑に落とすためには、政治はウソをつけないのである。

1冊の本のタイトルへの直感が長くなったが。
放電ばかりで干からびないよう、忙中の充電を早速明日から、と思う。

2007-08-13

久しぶり、のチカラ

知人との久しぶりの再会に旧交を温め、
元同僚と、じっくり近況を交換した、1日。

考えると、去年の今頃は、自身の統一選出馬に向けて、
会社内での様々なネゴに奔走していた時期であった。

温かく背中を押してくださった皆様のおかげで、
その後、円満に退職することもでき、今日に至った。

おかげさまを思う。

すべてがリセットされ、今、新たなステージで、新しい使命に働かせて頂いている。
そして、政治の世界において、私が積み上げたものは、ほぼゼロ、という事実。
ここが、スタート地点。

文字通り、一からであり、
毎日、ブログを綴りながら、1年生という表記が多いのは、その自覚からである。

学生と違って、この世界の1年生は、易しくない。
考えさせられることの多いこの頃、ではある。

しかし、私にとって有難いのは、
この世界でしっかり働いていこう、との決断にいたった初心と、
真心から支えてくださる皆様とのお約束、という原点が、
今、なお鮮やかに、心に赤々と燃えていることである。

ここに立てば、使命は明確だ。
ここに立てば、闘志が沸く。
そして、ここに立てば、謙虚になれる。

旧交を温めながら、そこには戻れないということの現実と、
これから進むべき道のりの険しさを心して刻んだ、1日となった。

��写真は、松前町に沈む荘厳なる夕日)

2007-08-12

街頭に立ち

参院選から、ちょうど2週間。

マスコミの過熱はいささか治まりつつも、政局をにらんで
各党・各議員とも落ち着いてなどいられない、正念場の夏、といえそうだ。

わが公明党も、捲土重来を期して、次へのスタートを切っている。

今日は、先日、見事当選を果たした山本ひろし参議院議員とともに、
中越沖地震の被災者支援の募金活動と遊説で、街角に立った。

世間は、お盆休み。
松山まつりも始まって。

ご家族連れ、友だち同士、カップルなど、道行く人々の、
楽しそうに会話する笑顔が、日ざしと共に眩しかった。

こういう何気ない当たり前の日常に、平和は存在するのだ。
どこか遠いところでもなく、大上段でもなく、まるで空気のように。

街頭に立ちながら、脳裏にパッと、確信が生まれた。

空気があってこそ、人は生きられる。
が、日常生活の中で、それを意識したり感謝したりすることは、殆どなく。

目を転じると、中越沖地震で被災された方々とその暮らしは、
まだまだ復興には遠い状況にあり、思いを馳せれば胸が痛む。

その少しでもお役に立ちたい、という思いからの募金活動だったが、
大勢の道行く善意の方が、続々と募金をお寄せくださった。

その真心に、心から感謝と感動を覚えた。

まもなく62回目の終戦記念日を迎える。

先人達が築いてくださった、この平和というものに深く感謝しながら、
その上に、さらなる安心と安全と満足を、社会に広げていけるよう、
党としても、個人としても、がんばらねば、と心に期す1日となった。


2007-08-11

新人2名、始動

参院選を受けた臨時国会が、昨日で閉幕した。
今朝の愛媛新聞にて、愛媛の新人2名の所感を載せた関連記事に目が留まる。

6年間じっくり論争を、と。
その通りである。

いつ解散があるかもしれない衆議院と違って、そこは良識の府である参議院。

友近氏は農林水産の分野で、わが公明党の山本ひろし氏は厚生労働の分野で、
と、それぞれが注力の方向性を定める。
しっかりと取り組んで頂きたいし、私も山本議員と同様に、決意をあらためている。

明日は、その山本ひろし参議院議員と、市内で街頭遊説を行う予定だ。
わが公明党のロゴマークは、太陽。
その灼熱の太陽の下、力いっぱい行ってまいりたい。

��写真は、8/11付愛媛新聞2面記事)

2007-08-10

県内視察、2日め

今日は、今治市の大三島と大島に渡った。

大三島では、JF大三島水産物二次加工場を訪れた。
同加工場は、合併市町村周辺地域振興補助金事業として
本年3月に竣工した施設である。

その目的は、豊漁・不漁・魚価次第といった経営から脱却し、
地域水産物にさらなる付加価値をつけて、「売れる」水産加工物の開発と販路拡大をめざす、
というものである。

地元日本食研とのコラボということだが、その強化がポイントに思えた。

続いて、大島へ移動。

潮流体験船と、物産館兼魚食レストランを視察した。
いずれも、宮窪地区観光拠点整備事業として、本年4月に営業を開始し、
着実に来訪者が増加しているとのこと。

まだ緒についたばかりであるが、ビジネスとしての将来性を感じた。

特に、潮流体験船。
これは、工夫次第でドル箱になりうる、と思わず唸った。
いくら巨額投資をもってしても、この壮大な自然装置は作れないのだから。

潮流体験を、宮窪観光全体のストーリーの中で、どう魅力的に落とし込んでいくか、が重要であろう。
ホスピタリティを真ん中に立てて、ぜひ他の地域に希望を与える、観光事業としての成功を、と思う。


PS
大三島と大島の真ん中に、私が育った伯方島がある。
潮流体験で訪れた船折り瀬戸は、昔から有名な、船の難所である。

ここの潮流がいかに早いかということは、中学3年の夏、はからずも体験した。
苦い思い出、である。

そのとき、私はシュノーケルと水中めがねと足ヒレをつけて、
友だちと海に潜り、銛で魚やウニやアワビを獲っていた。

獲っては焼いて食べ、また潜り。

ある時、浜辺近くで潜ったつもりが、海面へ出ると、ずいぶん沖に出ていた。
しまった、潮につかまった。
流されている。
すごい力で、船折り瀬戸の渦のほうへ引っ張られていくのがわかった。

あとは無我夢中。あるいは一心不乱。

流れに逆らわず利用して、少しづつ浜辺へ浜辺へと必死で泳ぎ、
1㎞くらいむこうの岸辺に、どうにかこうにかたどり着くことができた。
本当に死ぬかと思った。

その後、祖父たちから、昔は、このあたりの潮の速い海で流され、
亡くなる方も多かったことを聞く。
自然に対する敬虔を、身にしみて覚えさせられた夏であった。

船折り瀬戸を通過する潮流体験船にて、当時のその場所を見つめながら、
それから28年経った夏も、あの時と同じように、また暑い1日であった。

��写真は、船折り瀬戸の潮流と渦)


2007-08-09

県内視察、初日

今日は、県内視察の初日。
環境保健福祉委員会と総務企画委員会の16名で、東温市と西条市を訪れた。

まず、東温市。

地域新エネルギービジョン・環(わ)のまちづくり、を推進する同市では、
その先進的なエネルギー環境保全への取組みについて、高須賀市長よりご説明を頂く。
��ご参照URL⇒ http://www.city.toon.ehime.jp/eco/ )

そして、新エネルギーである、太陽光発電・バイオマスエネルギーの導入例として、
市役所・消防署・学校給食センターなどを視察した。

その後、同市内の、愛媛県立子ども療育センターへ。

同センターは、障がい児とその親御様に対して、保健・福祉・医療・教育などの
様々なサービスを提供し、わが県の地域療育の拠点として、本年4月に開所された
施設であり、私自身、4/18以来、2度目の訪問となった。

こちらでは、見学中に出会う一人一人の子どもたちを慈しむように、
手を取り言葉をかける、中込センター長の温かなふるまいがとても印象に残った。

次に、西条市では、食の創造館を訪れた。
��ご参照URL⇒ http://www.shoku-souzou.jp/ )

こちらは、生産日本一のあたご柿を始め、県下屈指の農業地帯である同市が、
有望な農産物資源の新たなブランド化とビジネス化を図るため、
その一環として位置づけられている、戦略基地だ。

特に、伊藤市長自らの経営戦略、つまり西条食料産業クラスター構想に関するご説明は、
非常に熱烈で、その説得力に感心することしきりであった。

両市を視察し、トップのリーダーシップ、ということを考えさせられた。
自立をめざして取り組む、地方の地方の真剣さを、学ばせて頂いた。

そして、一方では、国と県の補助金活用事業ということから見ると、
もう1歩踏み込んだ、リターンの視点からの検証の必要性を感じた。

1年生の私にとって、視察の初日は、刺激的なほどに有意義で、
もっともっとわが愛媛の知見を広げていかなければ、と、
視察・調査活動の積極を、心に誓う1日となった。

��写真は、東温消防庁舎・防災センター内の、地震体験コーナー)

2007-08-08

古き良き

今日8月8日は、そろばんの日。

無理のある語呂合わせの記念日が多い中で、
この日は、とっても自然な感じがして、私は好きだ。

何を隠そう、私は、そろばん大好きっ子であった。
小学2年から6年まで習って、1級をもらった。

思い出すのは、当時流行った、TVコマーシャルのCMソング。

♪ね・が・いーましーては、トモエのそろーばん、パッチパッチパッチパチ。
��中略)ト・モ・エーの、そろばん、パチパチ!

昔は、世に出る心得として、読み書きそろばん、が言われたが、
大人になって、習って本当によかったな、ありがたいな、とつくづく思う。

そろばんの優れたところは、
記憶力と、集中力と、計算力が養える、ということが一般にいわれるが、
最も素晴らしいメリットは、右脳が開発されるという点にあるのではないか、
と私は考える。

暗算を例にとると、高速で動かす指先に合わせて、珠の盤面が、
頭の中で、同じ高速度で映像化されるのだから、
いわば、これは究極のイメージトレーニングである。

そう考えると。

読み書きそろばんは、すべて右脳系、つまり感性の開発手段といえそうだ。
日本人が西欧人に比べてロジカルに弱い、ということも少し頷ける気がする。

その、そろばんも、昭和40年代の電卓登場の頃から退潮が顕著となり、
今では、習う子供たちも、そろばん市場も、縮小する一方となった。

今の子供たちの習い事は、学習塾といい、スポーツといい、音楽といい、
ほとんど、次のステージに直結した実利が目的かのように見える。

決して悪くない。
悪くないけれども。

次のステージよりも、むしろ次の時代を見越して、くらいの広い心を持ちたい、と思う。
そして、私たちが、日本人であり続ける限り。

古きよき、こういった日本の伝統文化にもっともっと光を当てて、
それに見合うべき再評価と、しっかりとした継承を行わなければ、と思う。

ひるがえって、そろばんの日に。

おもむろに、押入れからそろばんを取り出して、久しぶりに、珠を弾いてみた。
予想通り、指がもつれた。

2007-08-07

ふとした脈絡

照りつける昼下がり。
ふとした脈絡で、お世話になった社長のことを思い出した。

営業でお邪魔した際、決まって待機させて頂いた、ある応接室。

その真ん中に、でーんと飾られていたのは、
山本五十六連合艦隊司令長官の語録、『男の修行』であった。

いろんなクライアントにお世話になったが、70歳以上の経営者に、
これを座右とされる方が多かったような気がする。

待ち時間に、いつも眺めては、内省したものだ。

いわく。

「苦しいこともあるだろう。
云いたいこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
これらをじつと、こらえてゆくのが男の修行である。 」

今から約70年前の時代精神である。

その世代の経営者にとって、まさに、この語録は、
常に、孤独な、最高意思決定を背負うものの気持ちを、
余すことなく表したものであり、心の支えであったろう。

翻って、男女共同参画社会をめざす現代にあって、
この「男の修行」は、是非もなく、知る人ぞ知る歴史となるか。

ふとした脈絡に、
この一節が、たまらなく思い出された1日であった。

2007-08-06

特別委員会で考えた

AM10:00より、特別委員会が開催された。

わが県では現在、常任委員会の所管に属さない特定の案件を議会で設定し、
議員と理事者で構成する、4つの特別委員会にて継続審査が行われている。
��ご参照URL ⇒ http://www.pref.ehime.jp/gikai/frame/frame9.htm 議会の運営)

むむむ。

いつも、よりわかりやすい表現を心がけているつもりだが、わかったようでわかりにくい説明だ。
政治における業界用語には、どうしても、こうした難解がつきまとってしまう。

戸田奈津子さんの字幕がない洋画や、
糸井重里さんのコピーがない80年代の西武百貨店のように、
チカラある翻訳がないと、政治だってつまらない、でしょ。

と思いながら、私も、県政の、魅力ある翻訳を心に期して。

さて。

私が所属するのは、地域活性化対策特別委員会、である。
県が進める様々な地域活性化事業をチェックし、質す、というのが同委員会のミッションだ。

新人の私には、すべてが初めての出来事だが、今日の特別委員会もまた初体験である。

そういうしくみになっているんだ、という直感だけで、いくつか質問を行った。
もとよりの浅学披露を覚悟の、ぶっつけ本番である。

ひとくちに地域活性化といっても、これだけ県内の地域格差がはっきりとある以上、
優先すべきは、経済不振地域であり、超高齢化地域であり、過疎地域というふうに、
まずは議論すべき地域の特定から明確にすべきだし、
活性化については、言い換えると、競争化にほかならない、と思う。

つまり、真の地域活性化対策とは、
経済不振地域において、いかにして競争力あるビジネスを創り、興すのか、であり、
超高齢化地域や過疎地域において、どこと競争をして、若者を呼び込み、定着させるのか、であり、
そうした具体的な仮説に対する検証を行い、実行プランとして構築していくべきものであろう。

その、真の地域活性化対策は又、
一人一人の生活者、一個一個の企業の、健全な競争努力にこそ、その本質があり、
そのためにどうするか、という行政が果たすべき関与は、つまるところ、
徹底的な規制緩和とセーフティインフラの整備、この2つに尽きはしないか、等など、
あれこれ巡らすうちに、あっという間に、私史上初の特別委員会は終了した。

委員会の所要時間は、2時間強。

終了後、空腹を覚えながら、党控室に戻る。
先輩議員から、ずいぶん長かったね、相当議論が伯仲したんだね、と。

通常、特別委員会は、も少しコンパクトに終わるもの、らしい。


2007-08-05

因島にて、父を偲ぶ

今日は、法事で因島へと向かった。

日頃あまり構ってやれない息子を連れて、2人で小旅行がてら、
といいたいところだが、実際は、とんぼ返りのドライブであった。

さて、この因島。
私の父親の里であり、私自身の生まれ故郷である。

その父が亡くなって、今年でもう30年が経つ。

久しぶりに寄り合った親戚も、いつしか腰が曲がり、髪も白くなり。
私も、2年前に、父の享年を超えてしまった。
30年という、長さと、短さと。

ともあれ、親戚の皆が集まるところ。
そこは、何年経っても、やはり同じDNAを持つ者どうし。

瞬時に、まるで同期するかのように、大家族づきあいの当時が蘇る。
短時間ながら、昔話、今の話、これから先の話、に花が咲きやまず。

唸るほどに、私は父にそっくりで、どうしてそうなるのか、しぐさまで瓜二つと。
真偽のほどは私には不明だが。

そして、その裏返しか。
自分の息子を見ていると、よくぞそこまで、というくらい、わが欠点をコピーしてくれている。
全く苦笑もので、困ったものだ。

猛暑の中を、つかの間の因島で、父を偲ぶ1日となった。

もし今、父と再会することができれば、私は、彼の言葉を待ちたい。
何を聞かれるだろう、何を叱られるだろう、そして、何を誉めてくれるだろう。

謹厳実直であったがゆえに、今でも、私の中の父は、厳かだ。
まじめで素直な、その一分を、父は私に譲り与えてくれたであろうか。

ありがとう、そして、がんばるけん、と思う。

私は、子供たちに、何を残してあげられるだろう。
そして、何をもって偲ばれる親になれるだろう。

帰り道、車の後部座席の息子の寝顔を振り返りながら、
がんばってこいよ、という父の声が聞こえた気がした。

��写真は、生口島から見た多田羅大橋)

2007-08-04

小さな町、の選挙

終日、党務の1日。
台風一過による睡眠不足のため、猛烈な睡魔と多忙が、同時に押し寄せる。

県内でも、国政選挙を終えてひと段落の地域とは異なり、
統一外選挙を戦う地域もある。

今、私は、休みなくご支援くださる皆様と共に、
その準備に勤しんでいる。

小さな町、の選挙ではある。

しかし、生活者にとって、議員を選ぶという行為は、
自治体規模の大小に関わらず、等しく、重要だ。

選んだ結果が、良きにつけ悪しきにつけ、
そのまま、私たちの生活に直結するからだ。

であるならば、一人の人のために誠実に働く人を、選びたい。
そして、現在と将来に責任を持てる人を、選びたい。

私たちは、そういう気持ちの持ち方を、広げたいと思う。
そんなことを考えながら、気づけばいつのまにか夜の帳が下りていた。
忙しいほどに、時間は加速するか。

ジリジリと、厳しい日差しが照り続ける中、休みなく戦うことの過酷さ。

そういう中で、ご支援くださる皆様のお気持ちを考えたときに、
何としても大勝利するしかない、そのために私に与えられた役割を
全力で果たしきってまいりたい、と熱く、強く、思う。


2007-08-03

台風の足跡、に思う

台風5号が通過した。

幸いにも、人命に関わる被害はなかったようだが、
大小の爪あとを、しっかり残して、去った。

朝、連絡を受け、早速、被災状況の視察に現場を訪れた。
台風の足跡を、そこに見る思いがした。

取材しながら被災状況をビデオに収め、そのまま県庁へ。
担当部局への説明と対応協議を行った。

この日は同時並行で、いくつかの市民相談について、
各部局との折衝の連続であったが、それにしても。

痛感するのは、現今の財政難である。

先の参院選においても、それぞれの主張に、財政的な裏づけがあるのかないのか、
ということが、重要な論点の1つとなった。

まさしく、思うのである。

こうした自然災害にしても、福祉にしても、何にしても、
生活者の安全・安心を担保するには、お金が必要なのであって。

そのお金は、結局のところ、私たち生活者が持ち寄っているのであるが、
過去から積み上げてきた約800兆円ともいわれる借金を収支すると、
今の財政難、つまりお金が足りない、という状況が浮かび上がるのである。
��ご参照URL ⇒ http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock.htm )

こういった財政状況の中で、生活者の安全と安心を、どう確保するか。
この1点こそ、国も地方も含めた政治家と行政の、知恵と力の出しどころである。

これからの世の中は、過去と明らかに違って、
それをしない、それができない、つまり、できないことの正当化に終始するだけの政治家と行政は、
生活者から、遠からず、不要というジャッジを与えられるだろう。

生活者とともに、生活者から離れず、生活現場を離れず、
24時間365日、考えて、考えて、考え抜いてまいりたい。

凡夫のわが身を鑑みながら、今、思うことである。

��写真は、浸水一歩手前の民家前道路の冠水)


2007-08-02

常任委員会で考えた

AM10:00より、常任委員会が開催される。
常任委員会とは、いわば、分科会のことである。

わが県議会では行政カテゴリーを6つに分け、それぞれの委員会を設置し、
県庁内部局と議員が、その6つの委員会に編成・配置されている。

各委員会のミッションは、
その行政カテゴリーごとに、県の取り組みをチェックすることを目的として、
本会議から付託された議案などの審査を行うこと、といえる。

その中で、私が所属するのは、環境保健福祉委員会、である。

文字通り、県民の皆様の、生活環境や保健福祉に関することを
テーマとして取り扱い、深掘りした議論・検討を行うわけだ。

今日の委員会の議題は、
「新潟中越沖地震と本県の防災体制について」であった。

概要は、明日の地元紙他に譲るが、極めて貴重で有意義な所感を得た。
わが県の真摯で堅実な取り組み状況も理解できたし、
一方で、
防災という、県民の生命と財産を守ることの重大さからすると、
これで十分ということはありえない、その課題の多岐を痛感させられた。

想定される南海大地震をはじめとする、様々な災害に対して、
時系列で見るなら、事後の体制・対応の万全を期することは必要条件であって、
事前の災害予防の啓発・準備をもって十分条件としなければなるまい。

水平的に見るならば、全庁横断的な、あるいは4県合同的な編成強化が必要だし、
垂直的に見るならば、国と県と市町のネットワークの構築・強化が求められる。

災害の種類で分けると、天災と人災。
段階で分けると、1次災害と2次災害。
愛媛固有の事情として、伊方原発。

その他の視点も含めて、多面的で漏れのない検証と議論の中から、
ぜひ、わが県独自の、防災トータルプランを構築してまいりたい。

委員会を終えて。

こういう時間と場と知見を経て、議員として為すべきことを、
1つ1つ覚えていくのだ、と思った。

奇しくも、台風5号が今夜半、愛媛に最接近とのこと。

何かしらの災害にすぐ動けるように、今、自宅で待機しながら。
無事の台風通過を祈りつつ。

2007-08-01

国民の声、のチカラ

“大事なことは、今回の参院選の結果を国民にプラスになる原因としていくこと。”
3日前のブログに書いたことである。

と、1つのニュースに目が留まった。
指摘した、その変化の兆しが見てとれたから、である。

報道によると、自民党が、政治とカネの問題に関し、すべての政治団体を対象に、
1円以上の支出について領収書添付を義務付ける方針を決めた、というのである。
早ければ、秋の臨時国会で政治資金規正法を再改正する運びとなりそうだ。
��ご参考URL ⇒ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070801-00000102-jij-pol )

庶民からすると、極めて当たり前のことではある。
しかし、この当たり前のことも、今回のような惨敗なくば、なされたかどうか。

してみれば、圧倒的な国民の声が、そうさせたのである。
言ってみれば、惨敗効果であろう。

これを、無責任なニュースキャスターのように、後手後手というまい。
民意が勝ち取った、小さくとも前向きで、確かな1歩前進と捉えたい。
それはやがて、政務調査費や費用弁償の透明化にも繋がってこよう。

自民党も、与党も。

もっと変わることだ。
よりよく、もっと変わることだ。
1つのニュースに、心から、そう思った。

さて、今日から8月。
明日の常任委員会を皮切りに、今月は、
特別委員会、県内視察などの政治日程が予定されているが。

県民の皆様との対話を、忘れまい。
その、日々の生活現場から、離れまい。

考えることを、止めるまい。
そして、初心の実行を、怠るまい。

冒頭の趣意である、参院選結果により生じるであろういかなる状況も、
県民のプラスとするために、とのわが決意は、いや増し、変わることなく。