2007-08-15

62年前を忘れない

午前、愛媛県民文化会館にて開催された「愛媛県戦没者追悼式」に出席。
厳粛なる雰囲気に包まれ、戦没者の御霊に、深い哀悼の祈りを捧ぐ。

今から62年前の本日正午、昭和天皇の、いわゆる玉音放送が行われ、
その終戦詔書の朗読をもって、事実上の終戦が確定された、と歴史は語る。

300万人以上といわれる、犠牲となった方たち。
その尊い命と家族の幸せを奪い、
奪ってもなお今に苦しみを強いらせ続ける、あの戦争というものは。

この日が巡り来るたびに、憤怒と慙愧を思い、そして平和を決意し誓う。

戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。

時代が代わり、何を失ったとしても、日本人として、
この絶対的事実だけは、決して忘れてはならないだろう。

私は、幸いにして、戦中・戦後の話を、何人もの当事者から聞いて育った。
祖父や父や、近所のおじさんおばさんたちや、学校の先生や。

二度と戦争は、したらイカン。
絶対、繰り返しちゃならんぞ。
あの苦しみはワシらだけで十分じゃ。

幼心にも、その痛恨の激情は、ぐさり、脳裏に焼きついた。
そして、今は亡き先達は、夏が来るたびに、私の命に刷り込むように語り続けてくれた。

今、私たちは。

子どもたちに、その先の未来まで、
これを語り継いでいく義務と責任を感じずにはいられない。
風化させてはならず、他人事にしてはならず。

そのために。

白柱を見上げ、献花を捧げながら、誓う。
いつか来た道の正体を、一歩たりとも、政治に、そして私たちの心に入り込ませないことを。

この決意を引き継ぐところにのみ、御霊への報恩が果たせることを知らねばなるまい。
その激情をもって、わが愛媛の戦没者に心から哀悼と最敬礼を捧げた式典であった。

ジリジリと射す屋外に出ると、セミが鳴きやまずとなり。

それは、短いその生命をせいいっぱい高らかに、謳い上げる詩なるか。
きっと62年前と同じように。


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