2007-05-31

満月は東から

 今日も、久万高原町を歩く。
新たな出会いと、久しぶりの再会と。
悲喜交々の生活現場にあって、将来に対する不安はこの町に住む人々の共通認識だ。

ある壮年のやり場のない怒りが、心に突き刺さる。
 ひとことで言うと、町は何をやってるんだ、ということである。
それは、昨日も一昨日も、耳にした内容だ。
この3日間でお話をお伺いした83名の内、9割以上の方々のご意見であった。
火山でいうなら大爆発寸前の兆候か。
同じ庶民として、お気持ちが痛いほど伝わってきた。

 そして私は、あえて方々に伺った。
その思いを、役場や、町長や、町議にぶつけたことはありますか?と。
ほぼ全員が、NOであった。痛かった。
私は、真剣に訴えた。
では、そこからスタートしましょう、と。
町の広報にも“これからの久万高原町の行政、自治のあり方について、
町民の皆さまと共に考えさせていただきたい”とありますよ、と。

 いつかはよくなるだろう、とか、誰かが何とかしてくれるだろう、というのは残念ながら、ない、だろう。
少なくともそれはビジネスでは、ない。
一方、この町の年間約166億円というマネジメントの成否は、まぎれもなくビジネスマターなのだ。
そうであれば、ビジネスチャンスは自ら創り育てるものなのである。
久万高原町の未来を共に創り拓きたいものの一人として。
悲嘆のメンタリティを乗り越えて、ポジティブな知恵を糾合し、
町と人の可能性を切磋琢磨する場所を、流れを、作りたいと思う。
満月が東から昇るように、改革は現場からだ。
��写真は久万に浮かぶ宵の満月)

2007-05-30

マーガレットな1日

   今日は、久万高原町を歩く。旧の美川村だ。
老・壮・青さまざまな方々とお会いし、その暮らしぶりについてお伺いした。
美川に対する誇りと愛着がいかに強いか、ということを肌で感じさせて頂いた。
と同時に、将来に対する迷いと不安が拭いきれない、あせりのようなものを感じた。

   合併して久万高原町となったこの町に今、最も必要なものは何か。
それは、時間を切ったビジョンであろう。
あと20年で、町を創りかえるくらいの危機感と意気込みが必要だ。
そのような持論を、地元の方々にぶつけてみた。
率直な意見交換で盛り上がる。目の色が変わり、友情の芽生えを感じた。嬉しかった。
  厳しいのは、この町に限らない。一部の都会を除く、全国いずれの自治体も等しく経営難に直面しているのだ。
そして、その答えはどこかにあるのでは、ない。トライ&エラーの取り組みの中で、共に自らが見出す以外にないのだ。私のなすべきことも、また自明である。

ふと目に止まった、そよ風に揺れるマーガレット。その花言葉は「真実の友情」である



2007-05-29

今日の成果

 成果、ということを考えてみる
辞書には「あることをして得られたよい結果」とある。端折ると、よい結果、のことである。
 
 では、私の今日1日の成果は、どうか?
市民相談にて当事者同行での部局折衝、党会合の外部関係者との打合せ、久万高原町での支持者訪問。
折衝はうまく運び、打合せはスムーズに進み、支持者への久万再生のアイデア訴求は力強い賛同を得た。
今日1日、やるべきことを、誠実に果たしたと思う。
しかし、「成果」という点ではどうだろう?辞書にいう、よい結果、をもたらせることはできたのだろうか?

 ドラッカーいわく、「成果は組織の内部ではなく外部にある」と。
つまり、私の今日1日の成果は、ご相談を頂いた当事者が、打合せを行った外部関係者が、そして久万高原町でお会いした支持者の方々が、判定すべきものなのである。その通りだと、思う。

明日も、方々へ出かけ、様々な方とお会いし、語りあう予定だ。1日1日着実に、成果を上げたいと思う。

2007-05-28

取材される側

  今日の公明新聞に、私の活動記事が掲載された。
日頃、本ブログに綴る心情そのままに、記者の取材にお答えさせて頂いたものである。

それにしても。
取材される側、つまり公にされるというのは本当にシビアなものである。
当然だが、民間時代にはそんな場面に遭遇したことも、考えたこともなかった。
どんな媒体にせよ、公となった発言は一人歩きをし、そしてまた、発言の責任はすべて自己に帰着するのだ。

 特に、政治家の発言は重い。ゆえに、その問題発言はマスコミの格好の材料となる。
掲載記事を読みながら、言行一致で初心を貫くことの厳しさを自覚し、決意を新たにする。
(写真は5/28付公明新聞7面の掲載記事)

2007-05-27

南予といえば

  愛媛の西南端、愛南町を訪れる。汗ばむ初夏の日差しが、夕方からどんよりと黄砂に煙る。
ぼんやりとした、オレンジ色の太陽。なんだか、南予の経済状況とだぶる。

 その南予を代表するブランドといえば、柑橘・じゃこ天・真珠などが挙げられる。
ふらり、真珠のおみやげ店に立ち寄る。ネックレス関連アイテムが多彩だ。
さすが本場である。感じ入りながら、ショーケースを眺める。
そして、買物客のつもりになって、店内を1周。正直、当惑した。

 値札を見ると、下は1,000円から、上は数百万円まで。価格幅が、なんと数千倍である。
多くの買物客は混乱するだろう。私も、何を買っていいか、混乱した。
スーパーで売る1,000円の服と、百貨店で売る100万円の服が、同じ店内に並ぶということがあるだろうか?
ハイエンド商品と普及品では、ターゲットも、売り方も、販路も、全く異なるのだから。
おみやげ店というコンセプトで商売するなら、数百万円のアイテムに積極的な意味は見出せない。
このお店には、時代にあったビジネスコンセプトの再構築が必要だろう。
而して、南予の真珠業界全体にあてはまる課題ともいえそうだ。

  愛南町で、例えば、私が気になるのは、武田農園さん(農業生産法人株式会社みかん職人武田屋)。
河内晩柑を主力に、こだわりの柑橘を作り、通信販売で、全国のこだわりリッチ層に売る。
ビジネスコンセプトが実に明快。売上も4年で3倍と急伸だ。
規模はまだ小さいけれど、将来性は非常に大とみる。
 地元を愛するこのような新しい力が、チャレンジ精神が、この地域にますます広がり、ビジネスセンスを磨いていく中にこそ、南予復興のカギがあるだろう。
そのための啓発活動とサポートに、惜しみなく注力したい、と思う。
(写真は御荘湾に浮かぶ牡蠣筏)


2007-05-26

川と山にて

 11:00。松山市森松町の重信川河川防災ステーションにて、松山市水防センターの竣工式に出席。
国土交通省と松山市が2001年から整備を進めてきた本事業の総事業費は、約5億7000万円。

  同施設のミッションは、重信川の水害などの災害時における南部地域の防災拠点となること、そして、平常時においては市民の防災・水防意識啓発向上の研修拠点となること、である。
国民の生命と財産を守ることは、政治の最大のミッションである
県議としては、県レベルでの防災に常にアンテナを高くしておく必要性を、強く感じたひと時であった。

 午後、久万高原町を訪問。あるご婦人から、痛切な要望を伺った。
この町では今、建設・土木関連企業を取り巻く環境が深刻だ。
農業も含めて、本当に待ったなしの厳しい状況である。
特効薬は、ない。さあ、どうする、というこの場面。
民も官もない。この町すべての智恵を総動員し、依存を捨てて、自ら助くるものに変わるときだ。

 そんな気持ちを抱きながら、上黒岩考古館を訪ねた。
12,000年前の遺跡を、係員の丁寧な説明を聞きながら見学。
古代へのロマンを激しくかきたてられた。磨けば光る、この町の貴重な財産価値。
一方、こちらの見学料、大人1人100円である。ちなみに私が訪れた16:00時点での本日の来館者は、2人。
とても係員の人件費はまかなえないだろう。
小さな赤字の累積。せっかくの財産価値も、これでは早晩運営が立ち行かなくなるのは自明だ。思わず、唸る。
この町の苦しみと困難に、どこまでも寄り添って、解決の糸口を見出したいと思う。

��写真は、重信川河川防災ステーション・松山市水防センター竣工式会場)


2007-05-25

雨上がりの田んぼ

雨音で目覚める。
石手川ダムの貯水率が80%を切り、心に“どよん”と水不足に対する不安が広がる中、久々の慈雨である。
傘を差しながら、今日も市内を歩いた。お昼までに、背広は雨に濡れ、ずしりと重くなった。

午後、庁内折衝の後、お世話になった方々へのご挨拶のため、西条市へ移動。
思いがけず、懐かしい友人に再会。約20年ぶりか。
お互いの若き日に、とある人材グループで切磋琢磨した仲間である。
人の不思議は、一瞬にして、当時にタイムスリップすることである。
ひとしきり語らった後、それぞれの来し方と未来に思いを馳せた。
感慨とともに、新たな決意が漲る。

雨上がりの、西条でのみちみち。
水を張った田んぼに目がとまる。車から降りて、近づいた。
曇り空を水面に移したその中をのぞきこむと、いろんな生き物が賑やかだった。
それぞれが一生懸命に、生きている。
昔習った、食物連鎖と生態ピラミッドを思い出した。自然は、実に合理的にできている。

そして、すっかり帳の下りた帰り道。
そのように営まれる大自然と環境を、決してなおざりにしてはならないぞ。
蛙たちの大合唱が、窓を開けて車を運転する私に、そう訴えているような気がした。


2007-05-24

せこ道

  今日も、市内を汗だくで歩く。
様々なご意見を、真剣に伺う。

生活現場主義の実践だ。そして、継続は力。
当選後、お会いしたその数は、今日で6,000名を超えた。出藍の誉れ宜しく、私の中でかけがいのないものが凝縮されていく。

 お伺いするご意見の中には、政治と政治家に対するご批判も、当然含まれる。
また、完全な不信と絶望を述べる方も、中にはおられる。
  痛恨を感じる一方で、だからこそ、私は、足下を掘ることに徹したい。そこに泉あり、と思うからだ。岩盤にスコップの決意と、建設は死闘との勇気と覚悟で、1歩づつ。

昼下がり。
市内を1歩入ると、そこは“せこ道”。狭く、くねった、抜け道だ。
昭和の時代、全国のどの町にもあった、ごく当たり前の風景。
網の目のように張り巡らされたその道は、1軒1軒を結ぶ私道であり、1人1人をつなぐ生活道であった。
こんにちは。おかえり。そこにはいつも、生活の息づかいが感じられた。
せこ道を歩きながら、あの遠い日が、頭の中でフラッシュバックした。心の中で呟いた。
景色は変わる、風情は変わるな。日本も、日本人も、と。


2007-05-23

イメージトレーニング


  おかげさまで、今日もハードな1日。午前=雑誌インタビュー取材・企業訪問、午後=議会打合せ・庁内折衝、夜=党員懇談会、そして22:30帰宅となる。床につくのは、さて?

  午前中、取材を受けたのは、政・経情報誌「月間愛媛ジャーナル」。
今回当選した新人県議のシリーズ特集ということで、加藤編集長(株式会社愛媛ジャーナル/常務取締役)による約1時間のロングインタビューとなった。
何しろ、私にとっては初めての経験。体当たりで、今、感じているありのままをお答えさせて頂いた。
支持者の皆様に対する思いがお伝えできれば幸いだ。論の稚拙は、加藤編集長の華麗なエディトリアルスキルに期待したい。記事の掲載予定は、6月20日発売の7月号、だそうだ。
で。
そうだ、そういうことなんだ、と感じたのは、庁内折衝でのこと。
県庁職員は、テクノクラートにできているのである。そんなこと、いわずもがなである。
広告の営業をしていると、だんだんプロデューサーになっていくのと同じである。
ただ、その労働の家風が異なり、メンタリティが異なるだけである。

 県民本位に照らし、その差異を昇華できたとき、私たちは、実に不可分の、頼もしいパートナーとなるのであろう。
当選1ヶ月の毎日は、イメージトレーニングの毎日

��写真は、公明党愛媛県本部での雑誌取材風景)

2007-05-22

若葉のささやき

 初夏を思わせる、暑い1日。今日も市内を、汗だくで歩く。
その中でお伺いする地域や暮らしに関するご要望は、際限がないかのようだ。
知見も経験値も乏しい私に、即答は背伸びだ。
今、私にできること。それは、ご要望の1つ1つの事実とお気持ちを、細大漏らさずお預かりすることであろう。

 いうまでもなく、公明党の特質は、その精神的フラット構造にある。
世間では、国会議員が上、地方議員は下、という階層イメージが強いが、公明党ではそれは役割の違いと認識する。ネットワーク政党と呼ばれる所以が、そこにある。
 ゆえに、私がお預かりさせて頂いたご要望は、すべて、国会・市町会議員の諸先輩方と適切に連携し、そのご助力のもと、確実に、誠実に対処させて頂く所存である。
そして、何よりも当事者の気持ちに寄り添って事に当たることが最も大事であろう。そうでなければ、単なる事務処理にすぎない。
公明党議員の本質は、本当に大変な思いをされましたね、という自らの皮膚感覚で当事者に共感するところから、1つ1つの問題解決に取り組む、その姿勢にこそあるのだ。
 考えながら、ふと、空を見上げた。初夏の日差しがまぶしい。
つと、荘子の名言を思い出した。余(わ)れ宇宙の中に立ち天地の間に逍遥す。
かの境地に思いを馳せながら、今度は木々を見上げる。
風にさらさらと揺れる若葉が、あせらずに、背伸びせずに、とささやいているようだ。

2007-05-21

ジャングルジム

  快晴のもと、今日は終日、市内を歩いた。たくさんの方とお会いする中で、あるご婦人から医療に関するご相談を頂いた。否、叫びというべきか。
  まずは、行政としてどのような対応が可能かを確認した上で、解決の糸口を見出したいことをお訴えする。

   この問題、一見すると医療問題だが、実は、複雑だ。しかも、この地域だけでなく、県下全域、全国各地にわたる同時進行課題であろう。
つまり、起因するところは、ざっと挙げても、少子高齢化にあり、過疎化にあり、地域間格差にあり、経済格差にあり、医療格差にあり、地方財政危機にあり、三位一体の財政改革にあり、平成の大合併にある。全部に絡む。そして、この、複雑にもつれた糸を、切ることなく、ちゃんとほどいていくところに、政治の役割があるであろう。
携わるものの高い見識と豊かな智恵が、厳しく問われることを覚悟する。
 深刻な思考回路をよそに、ふと目に飛び込んできたのは、のどかな公園にポツンと立つ“ジャングルジム”。
昔懐かしい、こどもの屋外遊具だ。その楽しみ方にルールはない。登る、坐る、ぶら下がる、くぐる、つたう、など、遊び方は十人十色である。ただし、楽しもう!という感性がなければ、単なる金属の退屈なオブジェだ。うむむ。私は、自分に与えられた使命を、時間を、楽しいものにできているか、と考えたとき、思った。このジャングルジム、人生に似てなくも、ない。

2007-05-20

ネゴシエーション

  公明党愛媛県本部の議員総会に出席。
7月の政治決戦に向けた今月の戦いが打ち出され、完全勝利に向けての意思統一が行われた。
あと64日と迫った今回の決戦。公明党が掲げる「未来に責任を持つ政治」を、国という枠組みの中で、大きく前進させるためにも、断固、勝利する以外にない。そのような決意に漲る総会であった。

 はてさて、交渉という言葉に頭を巡らせる。
ネゴシエーション、つまり、特定の問題について相手と話し合い、ある合意点に達するプロセス全体のことである。
政治の世界だけに限らないが、しかし、このスキルは政治家にとって極めて重要だ。
腹の探りあい、駆け引き、落としどころを探るといった、言葉にするとマイナスイメージが強い、その種のテクニック。

 議員となって、3週間。
政治交渉という場面を垣間見る機会が少しづつ増えてきた。
党派を超えて、先輩方はみな巧みだ。交渉の一つ一つを野球のピッチャーに例えると、剛速球一本やりから、緩急織り交ぜた多彩な変化球投手への転向が、政治家には求められる。そしてマウンドに立つエースの別名は、タフ・ネゴシエーターであろう。
 球拾いの身とはいえ、今の私は、ひたすら新たな球種と投球術のマスターに、全力だ。

2007-05-19

新人議員、全員集合

 13:30から高松にて開催の、公明党四国新人議員研修会に参加。
石田四国議長(衆議院議員/厚生労働副大臣)を中心に、各県本部の代表を講師に行わる。約3時間にわたり、公明党の歴史と立党精神について、そして議員活動のあり方について、学ぶ。

  果たすべき使命と、生涯にわたり堅持すべき公明党議員としての心得を、生命に刻ませていただく。身の引き締まる、厳しいレクチャであった。
  けだし、議員とは公人であり、なすべき仕事は、いわゆる公職である。
講師いわく。議員の一挙手一投足は、すべての人から、常に、見つめられている。
一瞬たりとも油断があってはならない、と。

  襟度と矜持と自律と。求められるのは、高い見識と高潔な人格といえよう。
未熟な自分を現在地として、そのようにありたい将来の自分をゴールとして。薄皮1枚であれ、蝸牛の速度であれ、地道に着実に、前進あるのみだ。

  月々日々に怠らず、自分というものを磨いてまいりたい。すべては支持者のために、県民のために。

2007-05-18

走りながら、考える

  今日も朝からフル回転。AM企業訪問、PM市民相談対応。そして、夜は新居浜での公明党時局講演会。走行距離にして、約200㎞。新人議員は、走れ、走れ、だ。

 さて、走るといえば蘇る、選挙期間中の一瀉千里。
私は、支持者の皆様に2つのお約束をした。あなたのために働かせて頂くということと、その結果、一番身近に感じて頂ける県議になれるよう精進する、ということだ。
極めて当たり前のことだが、投票率を見る限り、現実は逆さまであろう。
支持者のお気持ちを代弁する思いで、熱く語り続けた。おかげさまで当選後、約1ヶ月の間に100軒近いご相談を頂いた。お訴えの手応えを、有難く感じている。

それにしても相談内容は様々だ。国レベルから個人レベルまで。そして、将来レベルから今すぐレベルまで。生活をマターする政治というものは、そういうものであろう。まだ裁けていない市民相談案件を、午後から一気に手をつける。その中で、いくつかの成就をそれぞれのご相談者にご報告し、喜んで頂く。いわく、素早い対応と。

 広告会社での新人時代に学んだ顧客満足のイロハの一つは、スピードだ。
1週間後の100点満点のレスポンスよりも、翌朝の60点のレスポンスのほうが100倍も勝るのだ。
そして、最も高度な顧客満足は、業績向上だ。政治に当てはめると、それは、生活者満足度の向上といえよう。
 もっとスピーディに、もっと身近に。
そして、ご相談を追い越して、くらしに安心と安全が広がる、一手先・二手先もっと先の施策提案ができるよう、研鑽と経験を積んでまいりたい。

��写真は新居浜での公明党時局講演会/左から私・山本ひろし参院選比例区予定候補・笹岡県議)

2007-05-17

野に咲く花のように

 晴れて、降って、また晴れて。
市内を歩いて歩いた、この3日間。お会いした数、1,000名超。
お訪ねしたのは、いずれも普通の庶民であり、ありのままの、その生活現場であった。
  さてこそ、生活現場である。そこには、においがあり、色があり、温度がある。
机上では決して計れない、真実がある。行政に対する苦情やご意見を様々伺うとともに、お一人お一人のお気持ちを肌で感じさせて頂いた。

 一つ一つ誠実に取り組むことをお約束させて頂きながら、知らず、懐かしいメロディが浮かんだ。それは、ダ・カーポの“野に咲く花のように”という歌。
庶民への応援歌であり、賛歌だ。頭の中でリフレインしながら、思った。

 この歌に込められたメッセージが、生活現場で感じられる社会、それこそ、政治が目指すべき、感性のゴールであろう、と。


2007-05-16

限界集落との戦い

 今日も、ノンストップの1日。
早朝、曇天を突き抜けて、興居島へ出発。たくさんの笑顔を訪ねて歩く。
課題発見のアンテナを高くしてお話をお伺いする。

 なるほど、この島では、空き家と耕作放棄地が急速に増えている。
いわゆる“限界集落”1歩手前の様相だ。

壮年のお二人に、すかさずお伺いしてみた。
共同体崩壊のこの危機の打開を、真剣に、主体的に取り組む個人・団体は、どちらにいらっしゃるのか、と。悲しい回答だった。厳しい現実だった。確実に、重たい宿題を背負った。

 今、この島に一番必要なものは、将来への“希望”である。そして、それを裏づける“新たなビジネス”と、その主体たるべき“若者”であろう。必要条件といっていい。
 県下のすべての過疎地に共通の深刻な課題だ。
解決への一歩前進を目指して、全知全能をフル回転し、腰を据えてかかりたい。


2007-05-15

変わらないこと

  今日は、終日、歩きに歩き、走りに走らせて頂いた。
懐かしいお顔と、お声と。有難いご激励を数々いただく。
その中で、あるご婦人の善意のご忠告が心に刺さった。
今日の私事トピックスである。いわく、私たちはあなたを注意深く見つめていますよ、と。
  それは、言動のみならず、心を、ということだ。移ろうものは、人の心である。
まして政治の世界は魑魅魍魎。いつしか初心を離れて慢心になる人が、誘惑に負けて堕落する人が、そして信念を要領に曲げてしまう人が、何と多いことか。
  私を県政に送り出してくださった皆様のご支持は、私の初心というものに対してであったろう。
 
   変わらないこと。今の初心を失わないこと。その肝心を、このご婦人からあらためてお教え頂いた。
  有難い支持者を頂き、私は幸せだと思う。感謝の気持ちが込み上げる中、どこからか、みかんの花の香りが漂ってきた。
この時期に、私たちを甘く優しく癒してくれるこの香り。
それは、私が幼いときから、いつも、変わらない。
(写真は5/8中島で撮影したみかんの花)

2007-05-14

今治といえばタオル、といえば

   19:00。昨日に続き、参院選比例区予定候補の山本ひろしキックオフミーティング、 「公明党時局講演会」に出席。開催地は“しまなみ”今治だ。私の故郷である。懐かしく、ありがたく。照れくさく、愛しい今治。ペダルを踏んで家路を急ぐ、母校・今治西高の後輩たちが煌めいて見える。

 煌めくといえば、高校の頃、水路を流れる水は、赤・青・緑、色とりどりだった。
これは、タオルが最盛期だったことの意味。今、この町はタオル全盛の面影も薄い。
世界の工場である「中国」にとって代わられてしまったのだ。
これに対して、様々なトライが続く中、特に「今治タオルプロジェクト」なるアプローチには大いに期待したいところだ。その上で、違った視点での課題の切り口の必要性も痛感する。

 以前、タオル美術館にてタオル生地の“鑑賞用アート作品”を見たことがある。
その風合いが醸し出すインプレッションに感激した。マーケティングで捉えると、これは小さな芽。
ふりかえって私は、過去1年間、タオルにいくら使っただろう?
1万円も使ってはいないが、仮に1万円と仮定する。もし、私の大好きなアーティストの“鑑賞用アート作品”があれば、3万円でも買うかもしれない。すると、私1個に対するその会社の売上は3倍以上になる。

例えば、こういった大胆な仮説をいくつも検証していく中で、仮に実用以外のタオルの“新たな”価値を生み出すことができれば、そこに市場が生まれるし、あるいは世界に拓けるかもしれない。

新たな顧客をつくること、市場をつくることだ。
それは、全国どこでも、どんなビジネスにもあてはまる。
わが愛媛の将来にとってもだ。
(写真は時局講演会でのご挨拶)

2007-05-13

山本ひろしデー

 10:30、八幡浜に到着。
午後、開催の「山本ひろしを励ます会・総決起大会」の準備と運営にあたる。
これには加戸愛媛県知事様・関谷参議院議員様・高橋八幡浜市長様の他、地元県議・周辺首長各位のご来賓にご列席賜り、公明党からも石田厚生労働副大臣・高木選対委員長に参集頂いた。
7月の一大政治決戦に向けての機運が、一気に盛り上がる内容となった。

 また、19:00から宇和島にて開催された「公明党時局講演会」には、石橋宇和島市長様にご来臨賜り、1,000名を超える支持者の皆様の熱気に沸く、盛大なキックオフミーティングとなった。

  ご存知の通り、参院選比例区予定候補の山本ひろし氏は、南予・八幡浜のご出身
両会合での山本候補のスピーチには、地元に対する感謝の思いがあふれていた
 その真心からのお訴えが、支持者に、しっかりと伝わっていくのが手に取るように理解できた。
本当に素晴らしい候補と、思う。

  私も、今日お集まり頂いた皆様とともに、全力で戦うことをあらためてお誓いする1日となった(写真は宇和島でのシュプレヒコール。左から、私・山本ひろし候補・笹岡愛媛県議)


2007-05-12

私の職場


 気持ちよい目覚めの1日。
たまりにたまった書類と情報と課題の整理をすべく、議事堂の議員控室へと意気込んだものの、今日は土曜日。念のため、控室が使用可能か、電話で確認してみた。たまたま居合わせた職員いわく、休日はクローズド、とのこと。
 やはり、となる。
議員控室は、事務所にあらず、職場にあらず。あくまでも控える部屋なのであった(写真は控室のマイデスク)。
 スイッチを切り替え、自宅で黙々と。午後は、党関連の友好活動に動く。
旧知の友人・関係者と情報交換、種々。政治に関する話題、種々。積もる話、種々。
ふと、気づいた。
私の職場は、デスクにあらず、部屋にあらず、フィールドそれ自体にあることを。対話の中にあることを。

 されば、明日の職場は南予である。新たな出会いを広げてまいりたい。


2007-05-11

第302回愛媛県議会臨時会、開催

  今日は、会期1日限りの臨時会。午前11時、県議会議事堂に召集さる。
12時閉会までの1時間は、新人の私には、すべてが初体験。
誰もが通る、当たり前のステージ。

  301回にわたる当時の新人議員は何を感じたのだろう?ふと考えながら、私は、記念すべき初体験を、心のアンテナをバリ3に、目を皿に、そして耳をロバにして、受け止めた。心象をコピーにするなら、“なるほど!ザ・県議会”。
ここを支配するものは「秩序」であった。否定も肯定もしない、ただ事実がそこにあった。

   民間時代、転職経験のある私は、それぞれの初日に感じたことを比較してみた。
食ってかかったこともあった、巻かれたこともあった。悪くなかったが、若かった。
命題が明瞭とはいいきれなかった。不惑を過ぎて今、格に入って格を出でよ、と思う。命題は、極めて明瞭だ。

  与えられた4年の中で、新人という制約条件の中で、支持者の皆様から頂く評価を最大化させることだ。誰よりの苦労はもとよりの覚悟だ。
研鑽と、経験と、そして信念を、ゆるがせにせず、と閉会に誓う。


2007-05-10

バッジに誓う、第1歩

今日は、初登庁の日。

午前10時。
愛媛県議会議事堂において、職員の方から議員章を装着頂く。

それは、厳粛にして、
身の引き締まる瞬間であった。

ご支持を頂いた20,000名を超える皆様に、

温かく見守られる思いで、
また、公約どおり働くことを厳しく見つめられる思いで、

その責任の重さを、あらためて実感する瞬間であった。

世間では、この議員章を“議員バッジ”という。
そして、権威の象徴と眉をしかめる方もいる。

が、私は、思う。
この“議員バッジ”は、誓いの証である、と。

この間、県内各地で、実にたくさんの方々とお会いし、
“私は公僕として、県民であるあなたのために働かせて頂きます”

と、お一人お一人の目を見つめながら、心からお訴えをしてきた。

それが、県議にさせて頂いた私の初心であり原点、だ。

そのことを夢寐にも忘れてはならない、
そのためにこそ、の“議員バッジ”なのだ。

身分の証ではない、誓いの、証。

このバッジに誓って。
皆様のご期待にお応えできるよう精進してまいりたい。

今日が、そのスタートの1日。
小さな1歩、だが、大いなる使命と責任の第1歩と信じて。