2007-12-31

大晦日に思う、誰よりも、どこまでも

今日は、大晦日。
まったく、らしからぬ雰囲気ではある。

早朝、今治を発ち、一路松山へ。

個人のこと、わが家のこと。
お正月の準備で、あっという間に1日は過ぎ。

隣の部屋で子どもたちが、早く来い来い、お正月と歌っている。
しかし、父の正月はどうやら忙しく、凧揚げも駒回しも満足につき合えそうもないのである。

そんなことを考えながら、今年最後のブログを今、綴っている。
が、この1年を簡単にまとめることは、とてもできそうもない。

これだけ濃密で、濃厚な年は、なかったから。

1月も、2月も、3月も。
4月の統一地方選から今月まで、大晦日に至るまで。

ハッキリと覚えている。
何をして、何を感じてきたか。

なぜかならば、それはこのブログのおかげである。
いな、それを決意させてくださった、あるご婦人のおかげである。

5月10日の初登庁から今日まで、1日も欠かさず、私が綴ったのは、
その日その時その瞬間の、偽らざる決意であった。

1日1日の総括であったし、皆様への誓いであった。

その日から、約8ヶ月。

新人議員として、無我夢中で走らせて頂いた。
振り返るにはまだ早い、と思う。

まだまだ至らぬ自分であることを、誰よりも自覚するゆえに、
初心を忘れず、ただひたすらに前進あるのみ、と思う。

そして、明日から2008年。
自身の知見とキャパシティの、拡大の年。

誰よりも、県民の皆様のために喜んで働き。
どこまでも、県民の皆様とともに苦楽をともにしながら。

素晴らしい1年を創り拓いてまいりたい、と思う。

PS
本年お世話になったすべての皆様に、心より感謝の気持ちを込めて。
この1年、本当に、本当に、ありがとうございました!

��写真は、冬の、燧灘)


2007-12-30

今治での再会、に感じた

午前、市内をご挨拶回りに伺う。
昨日同様、たくさんの真心に心から感謝があふれた。

午後、今治へ向かった。
目的は、2つ。

高校時代の下宿のおばちゃんのお見舞いと、
同窓の支持者の皆様との懇親会出席のためである。

下宿のおばちゃんの名前は、守屋さん。
今年の夏、数十年ぶりに訪ねたのだが、あいにく留守であった。

ではせめて名刺だけでも、と、当時の御礼メッセージを添えて残しておいたところ、
しばらくして守屋さんの娘さんからご連絡を頂いた。

そして、近くの病院に介護入院していることを知った。
多忙に感けてお見舞いにも行けず、ようやく今日、となったのである。

そして。
お会いできて、よかった。

たしか、守屋さんは大正2年生まれ。
だから、御年94歳ということになるのだが、数十年経っても、面影は当時のままだ。

私にとっては、いつまでも、下宿のおばちゃんなのである。

そして、心配ばかりおかけした当時のやんちゃな私であったが、よくぞ覚えていてくださった。
立派になられて、と目を細めながら、何度も何度も頷きながら。

決してまだ立派とはいえないのだが、おばちゃんの手を取り、私は語りかけた。

立派に高校を卒業もでき、ここまで来れたのは、おばちゃんのおかげだから。
それは、間違いないのだから。

ありがとう、そして、いつまでもお元気で、と。
私は、今できる最高の笑顔で、おばちゃんに手を振り手を振られ、病院を後にした。

感慨の余韻さめやらず、引き続き、懇親会へと向かう。
1年ぶりの、各位との懐かしい再会である。

同郷で、同窓で、同志の皆様とのひと時は、何と嬉しき。

話に花が咲く、という。
ならば、この日の花は、フラワーフェスティバル級であった。

2時間が、あっという間なのである。
あれも話したかったし、これも話したかったのである。

ともあれ、最後は、お約束。
皆で肩を組みながらの、校歌斉唱である。

私の、2回り上から、2回り下まで。

みんな、声がデカイのである。
歌詞の記憶も確かなのである。

そこに年齢は、関係ないのであって、
同郷、同窓、同志という、3同根の絆に万歳、なのである。

かくして、2007年も、終わろうとしている。
これほど感謝にあふれた年はない、感激と激動の1年だった。

今年一番の寒さの中、
来年の、今月今夜の再会を期して、笑顔での散会となった。

��写真は、来島大橋と懐かしい今治市街)


2007-12-29

庶民であること、結果を出すこと

終日、ご挨拶回りを行なう。

この1年の、お一人お一人との様々な思い出を回想しながら、
感謝の気持ち1つで、寒風の中を、歩きに歩いた。

温かな励ましを、頂戴した。
党に対する苦言を、頂戴した。

真心のお裾分けを、頂戴した。
有難いご期待を、頂戴した。

にこやかな笑顔を、頂戴した。
玄関先でのお見送りを、頂戴した。

本当に。
心に、沁みた。

たくさんの真心に対して、私がお返しすべきは、結果である。

そのことを、ある方が、厳しくも温かくご指導くださった。

公明党は、庶民の側に立つ、などと言ってはいけない。
公明党の存在それ自体、庶民そのもの、なのだから。

創立の志を忘れてはいけない。
志の有無は、議員個々の行動と結果に、全部現れるのだから。

その通りである。
それ以外、何ものでもないのである。

その重責を担う身の厳しさを、あらためて刻ませて頂いた。
有難い、より他の言葉が、見つからない。

翻って。
本年4月の統一地方選出馬の際、私は、誓い、叫んだ。

庶民に生まれ、庶民に育ったことが、自身の最大の誇りであることを。
庶民が最も幸せで、庶民こそが社会の主人公である、そのために働くことを。
��ご参照URL⇒ http://homare.i-yoblog.com/c902.html )

私の初心であり、原点である。
今日までそれを忘れたことはないし、忘れてなるものか、と思う。

そして、これから私のなすべきは結果だ、と思うし、必ず、
庶民の皆様のご期待にお応えできる結果を勝ち取りたい、と思う。

1つ1つ、真剣に、誠実に。
そして、着実に。

すっかり夜も更け。
今夜は雪、の天気予報をケータイで確認しながら。

終日にわたり頂戴した真心を心にしまって、車に乗り込んだ。
行き交うどの車も、家路を急いでいた。

��写真は、冬の低い空に、射す陽光)


2007-12-28

仕事納めの日に、思う

午前、企業訪問。
午後、党務のち企業訪問。

世間の多くは、今日が、仕事納め。
官公庁は、御用納め。

いわゆる、納める日。

おそらく挨拶回りであろう、朝から目に見えて、道路が混み合っている。
気が焦るのか、伊予の早曲がりに拍車がかかっているようだ。

すべての方を取り巻く、すべての方々のために、無事故で、と願う。

さて。
昨年の今日は、私にとって、仕事納めであると同時に、勤め納めでもあった。

つまり、退社の日。
��4年間の、勤務先での様々な思い出が、脳裏に錯綜した1日だった。

右も左もわからなかった、最初の数年。
失敗ばかりで周りにご心配もおかけしたが、青くて、若くて、楽しい思い出ばかりだ。

次の数年、慣れてきた頃。
いったん陥った惰性を突き抜けると、ますます仕事が面白くなった。

そして、松山に来て。
いちばんキツくて、いちばん悩んで、いちばん鍛えられたのが、この4年間だった。

退社の日、退社の瞬間を前に。

私は、お世話になった関係者に、社内メールを送った。
感謝の気持ちを、いっぱい詰めて。

返事は、もう見ることができない、ラストメール。

これで、納まった、と思った。
あとは、新たな世界への挑戦に一瀉千里。

腹が、決まった。

あれから1年が、経った。
まだ、という思いと、もう、という思いと。

すべての皆様のお陰を思い、ただ感謝するばかりである。
初心は今も、いささかも揺るがず、だ。

来年の今日も。
きちんと1年を納められるように、邁進してまいりたい。

��写真は、北条の交通安全標識)


2007-12-27

行政の企業努力を、考えさせられた

午前、県民相談への対応で部局巡り。
午後、企業訪問を行なった。

とある地元企業社長との面談で、耳の痛いご指摘を賜った。
ひとことでいうと、県行政の企業努力はまだまだ足りない、ということになる。

例えば。

歳出を少しでも抑制するために、個々の案件を厳しくチェックするということは必要だが、
��in-Winの視点と、トータル・クオリティのバランス感覚が決定的に欠落している。

今のように、適正を超えた発注単価の値下げ競争が行き着く先は、結局、Lose-Lose。
お互いに潰れる、ということだ。

また、いわく。

出入り業者は、見ていないようでよく見ているものだ。
本当に危機感を持って取り組む職員と、そうでない職員がいることを。

後者に対する対応こそ行政の企業努力だと思うが、こちらが気づくほどには変化が感じられない。
民間感覚としては、経営判断がまだまだ甘いといわざるを得ない。

またまた、いわく。

同じことが、そのまま議員にも言える。
コツコツと地道に、県民・企業・団体を訪ね、真摯に耳を傾けながら誠実に取り組む人と、そうでない人と。

見ている人は、きちんと見ている。
後者の議員は、これからの時代においては間違いなく淘汰されていくであろう。

県民の視点から出発し帰結する仕事ができているのかどうか、
最終的には議員個々の人格が選択される、そういう時代に入っている。

まだまだ、ご指摘は続くが。
久しぶりに、良薬を得た気がする。

夜、知人との懇談でも、民間企業が直面している、去年でも半年前でもない、今の厳しさを教わった。
あらためて、思った。

健全な事業経営の遂行のために、民間企業経営は、赤字もムダも、決して容認しない。
ゆえに、不断の改善をたゆまず行い、不合理なる聖域のありようもない、ということだろう。

行政の企業努力も。

��(イコール)とはならないにしても、せめて≒(二アリー)との評価を頂けるよう、
さらに真剣に、さらに創意工夫を尽くし、油断することがあってはならない、と痛感した。

早速、自身の企業努力から、実践してまいりたい。

��写真は、憲政の神様・尾崎咢堂の銅像。彼の見つめる先、を思う。)


2007-12-26

1人の時間の、大事

終日、井上顧問に同行頂き、企業訪問を行なう。
年末のお忙しい中を各社ともご対応頂き、感謝の1日。

夜は、地元で大変お世話になった方のお通夜に参列。
いつものあの笑顔を、もう見ることはできないと思うと、悲嘆にくれた。

そして、その方のためにも、その方の分まで、がんばらねば、
と強く決意し、感謝し、お別れをさせて頂いた。

帰宅後。

メールをチェックすると、県民相談が入っていた。
まだ、1日は終わらない。

その方とコンタクトを取り、状況とご要望について確認を行なった。
さっそく取りかかるべき明日の宿題、となる。

さて。

昨日から所用にて、家族が、家内の実家・高松に帰っているのだが、
おかげで当方は、実に久しぶりの1人暮らし状態なのである。

で、お風呂にポチョンと浸かっていると、ちょっと物寂しいのである。

してみると、クタクタになって帰宅したとき、言うことも聞かず、うるさくてかなわない、
あのやんちゃ坊主とおてんば娘が、実は私の疲れを癒してくれていたことに気づく。

なるほど、1人の時間は大事なのだ、と思う。
普段、見えないことや気づかないことに、気づかせてくれるから。

1人の時間は、かけがいのない発見の、カギなのかもしれない。

そういえば、家内にも。
思い出したかのように少し感謝しながら、床についた。

��写真は、家の、カギ)




2007-12-25

繊維筋痛症という、難病を考えた

3連休は、県民相談が相次いだ。
休み明けの今日は、朝から部局のハシゴとなる。

県マター事案の中でも、理事者との協議の枠を超え、
あとは知事の政治決断、といわざるを得ない難問まであった。

なかなかタフな休み明け、となる。
そして、夜。

先輩議員とともに、田窪先生を囲んで繊維筋痛症について学んだ。
あまり聞きなれない、その病気は、原因不明の難病である。

9月の委員会で、野口委員と森髙委員がこの病気に触れられ、
県下の現状と対策を質したところから、今日の会合につながった。

とにかく痛い、らしい。
全身に耐え難い激痛が走り、ひどくなると自力での生活が困難になるほどに。

であるにもかかわらず、国からは、難病、つまり特定疾患に指定されていないため、
医療保険も適用もされず、適切な治療も確立されていないのだそうだ。

まさに、陽の当たらない、大変な病気であるのだが、こうしている間にも、
患者さんは放置され、苦しみがますます募る日々を送られているのだ。

一説によると、その数は、約200万人。
��型肝炎に匹敵するほど多いのだそうだが、認知度は雲泥なのである。

そうした繊維筋痛症に詳しい田窪先生の話は、どこまでも続く。

そして、いわゆる難病に対するわが国の厚労行政の矛盾と不合理に対して、
医療の現場からの鋭い指摘が、いくつもなされた。

先輩議員とともに、何とかしなければならない、と意を強くした。
次回2月議会で、超党派で意見書を国に出そうということになった。

その上で。

本年、難病指定されたFOP、XPを始め、難病といえば公明党といわれる、
その一員としても、強く真剣に、国に働きかけてまいりたいと思う。

新たな知己と知見を得、超党派で患者さんへの思いを馳せながら。
私にとって、実に実り多い1日となった。

��写真は、繊維筋痛症リーフレット資料)

��S
余談ながら。

党派が違う、ある先輩議員いわく。
私は、ウヨクでもサヨクでもない、ナカヨクだ、と。

特に、いわゆる弱者に関連する、福祉をテーマとする委員会では、ナカヨクが大事だ、と。
思わず、なるほど、と。

目の前の県民お1人に対して、何とかせねばと同苦するとき、そこに党派は関係あろうはずもなく。
そういう意味でのナカヨクは、まこと宜しき、だ。


2007-12-24

松山総合公園、で考えさせられた

にわかに。
朝から、家内が忙しい。

予感は的中し、午後から子ども2人を任された。
たまには子ども孝行せんか、ということらしい。

さいわい天気もよく、公園に連れて行け、と子らは言い。
言うや否や、の手際よさ。

サッカーボールとバレーボール、ボールとグローブ、なわとびとオモチャ。
って、オモチャはいらんやろ、と思うが、何しろ必要アイテムらしい。

結局、軽い遠足状態となってしまった。
そして向かった先は、松山総合公園。

駐車場から、テクテク、テクテク、テクテク、テクテク。
やっと頂上にたどり着いたと思いきや、そこからは、もう放し飼い状態。

子どもというのは疲れを知らないものだ、と、つくづく思う。

約2時間。

持参した遊び道具で、ひと通り遊んだし、こっちも疲れたし、
さあ帰ろうか、というと、まだダメだ、という。もう、鬼である。

結局、気の済むまでつきあうことにした。
子ども孝行というのは、ヘトヘトと、フラフラで、キツイものではある。

まわりを見渡すと、似たような家族連れがいっぱい。
どのパパたちも、笑顔がヘラヘラと見えたのは私の目の錯覚か。

そういえば。

私が子どもの頃は、ちょうど日本の、高度成長期の真っ只中。
父親と一緒に公園で、などという記憶は1度もない。

かといって、遊んでくれない父親をつまらなく思ったことも一度もない。
むしろ、仕事に一途な父親を、心ひそかに、尊敬していた気がする。

たまに一緒に出かけたのは、会社の運動会とか、花見とか。
家族で、というよりは、会社関連行事への連れ出しが多かった気がする。

そういう時代と、こういう時代と。

私たちの子ども時代と、子どもたちの今と、はたしてどちらが楽しいだろう。
あるいは。

今の子どもたちに、ALWAYS三丁目の夕日、の世界はわかるだろうか。
あの底流にある、日本の、温かさと愛しさを。

ふと、湧き起こったセンチメンタルを制しながら。

あと20年もすれば、この子らが日本を担う主役として躍り出てくるのだ。
それまでに、父親として、社会の先輩として、手を抜くまいと、思う。

私が、父親の、いわばプロジェクトXの時代の先輩方に無条件で敬意を表するように、
私たちの世代も、子どもたちが心打たれるような仕事をやり遂げなければならない。

なぜかならば、かの時代より何倍も、今が、難しい時代であると思うから。
そして、その、今、を担う一人として、日本を次に引き継いでいく一人として。

心して、かからねば。

子どもたちに遊ばれながら、
松山総合公園まで行って考えなくてもいいことを、考えさせられてしまった。


2007-12-23

皆様のために私のなすべき、を考えながら

世間的にいうと、今日は、3連休の中日ということになる。
そういえば、ほとんど電話もかかってこない。

皆さん、いかがお過ごしだろうか、と考えながら、
この日の私は、せっせと事務処理と書類整理に励んだ。

特に、今週は出ずっぱりのスケジュールであったため、
いろんなやりっ放しを一気に片づけて、気持ちもスッキリだ。

もちろん、片づけること自体は私の仕事ではない。
問題は、今週の数々の出会いの中で頂いた、課題解決の続きである。


社会的引きこもりについて。
えんむすびプロジェクトについて。
ユニバーサル社会について。

課題解決、あるいは、その糸口の発見のために、私は何をなすべきか、
を考えるために、それは何か、をもっと知らねば、と思った。

そして、以下4冊を並行して読み始めた。

「ひきこもりの社会学」(井出 草平著/世界思想社)
「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」(斎藤 環著/中央法規)
「NPOという生き方」(島田 恒著/PHP新書)
「ラッキーウーマン」(竹中ナミ著/飛島新社)

例えば、ナミねぇさんが麻紀ちゃんのために、医学と薬学を“片っ端から読み漁った”ように。
万分の一かもしれないけれど、私も、県民・当事者の皆様のために、貪ろう、と思う。

お約束を果たすために。
皆様のために私のなすべき、のために。

��写真:スッキリと、整理整頓、マイデスク)


2007-12-22

政治に、たかが、はあらず

午前、一人の大先輩とお会いした。

その方は、大阪府議会議員を4期16年務められ、
本年勇退された、谷口さんという方である。

私にとって、郷土今治の先輩であり、高校の先輩であり、
そして、公明党議員としての先輩でもあった。

先週、連絡を頂き、帰郷するので会えないかというその日が、今日であった。

世間にあっても、初対面の際、相手が同窓であることが判明すると、グッと親近感がわくものである。

今回は、それに加えて、同郷であり、同志でもある、ということになれば、のっけから信頼関係ができあがり、
まだ見ぬ再会ともいうべき会話は、制限時間いっぱいまで尽きることはなかった。

といっても、そこは大先輩である。

新人議員として、今、やるべきことは何か。研鑽すべきは何か。
その心得から実践まで、自身の体験を通しながら、お心こもるご指導を賜った。

何と、ありがたい。
束の間ではあるが、貴重な邂逅となった。

谷口さんをお見送りしながら。
今日を基点とした、関西における信頼と触発の人脈の拡がりを、胸中にしっかりと描いた。

さて、久しぶりの雨、の、この日の夜、1本の電話が鳴った。

県内に渇水の懸念が広がる中、確実に慈雨、と思っていた矢先、
時として被害を及ぼす自然の両面性を知らねばならないことを痛感させられた。

いわゆる、雨漏り被害である。

すぐ現場に直行し、被害状況を確認の上、対応に当たらせて頂いた。
詳細は措くが、つくづく議員は、生活現場から心が離れてはいけない、と思った。

たかが雨漏り、ではないのである。
同じように、たかが値上げでも、たかが制度廃止でもないのである。

机の上では多少のことも、生活現場では決定的となりうることを、政治は知るべきである、と。

県民相談の帰り道、雨に濡れながら。
自身が依って立つ心の位置は、ここだ、と確かめながら。

遅ればせに、青年の集いに駆けつけた。
先輩との邂逅に始まり、生活現場に足を運び、後輩との決意漲る会合に終わった1日。

その真ん中で、自身が果たすべき使命を忘れまい、と思う。

��写真は、先日の久万高原町遊説での1コマ)


2007-12-21

ナミねぇさんに、お会いした

午後、山本ひろし参議院議員とともに、
社会福祉法人プロップ・ステーション(神戸市)を訪れ、
ナミねぇ、こと、竹中ナミ理事長との面談と同事業の視察を行なった。
��ご参照URL⇒ http://www.prop.or.jp/ )

そのひとときの全てが、私にとって、目からウロコであり、
パワフルでアグレッシブな生き様そのものに、感銘を受け、衝撃を覚えた。

彼女のめざすビジョンは、もはや、福祉というカテゴライズでは収まりきらない。
その存在は、ユニバーサル社会のイノベータというべきである。

というのが、面談を終えた私の結論だ。

彼女には35歳になる重症心身障害児の長女がいるが、
その娘さんの療育を通した様々な経験を経て、1991年にプロップ・ステーションを立ち上げる。

創設時のスローガンは「チャレンジドを納税者にできる日本」である。

主語は、「日本」である。
ケタが違うのである。

その理念を軸に、16星霜。
彼女と彼女の仲間たちがめざす取り組みは、政・官・財・学・マスコミ等に強烈な触発を与えた。

やがて、関係者のみならず、各界第一線で活躍する方々が続々とその理念に共鳴し、今や一大応援団となって、
ユニバーサル社会実現に向けた潮流が、一段と水かさを増しながら広がっているといえよう。

彼女は、自身のこれまでの活動を振り返りながら、語った。

障害者福祉というとき、そこには必ず温かい言葉が満ち溢れている。
が、同時に。

与えるものと与えられるもの、という、一方通行以上の関係にはなれない淋しさと矛盾が、そこにはある。

一方、チャレンジドが納税者になる、つまり、働くというとき、彼らには仕事の厳しさが求められる。
が、それを克服し乗り越えたとき。

彼らは、誰かから求められる喜び、という元気と、人間としての誇りを得ることができる。

そう確信するからこそ、チャレンジドが働ける場を創ろう、働けるチャレンジドを創ろう、と取り組んできた。

そして、これから本当に創りたいのは、そうした社会の “働き方”そのもの、つまり、
チャレンジドも健常者も、ともに所と理解を得て共存できる社会のしくみ全体である、と。

私が彼女を、ユニバーサル社会のイノベータと結論したのは、このことである。
第2、第3のナミねぇさんが現れ、これに続くだろう。

もう1つ付加するなら、彼女こそは政治家である。
国民が安心して暮らせる社会にしていくのが、政治家の仕事の本質なのだから。

翻って、わが愛媛を思うとき。
私がめざす、生活者満足度日本一というのは、ユニバーサル社会そのものであることに気づく。

ナミねぇさんの情熱と視座に学ばせて頂いた、貴重なひとときに心から感謝するとともに、
早速、明日から、新たなチャレンジを始めたい、と思う。

��写真:左から、山本ひろし参議院議員、ナミねぇこと竹中理事長、私)


2007-12-20

えんむすびプロジェクト、発進

午前、㈱フェローシステム(代表取締役/三好大助氏)を訪ねた。

NPO法人ユニバーサルクリエート(代表/佐伯康人氏)が推進する、
あるプロジェクトについてお話を伺うためである。

その名は、「えんむすびプロジェクト(以下PJT)」。
��ご参照URL⇒ http://enmusubi.biz/uc/enmusubi.html )

その理念と実践を語る前に。

彼らは、世間でいう、障がい者、という言葉を使わない。
確信を持って、チャレンジド、と呼ぶ。

あの、ケネディ米大統領がスピーチで使った言葉だ。
チャレンジドとは、神から挑戦という使命を与えられた人を意味する。

そして、そう呼ぶとき、そこには、障がいをマイナスということではなく、
障がいゆえに体験する様々なことが、実は、自分自身と社会に活かすべき、価値なのだ、
という確信に変わるのである。

さて、同PJTの理念に戻る。
私なりに要約すると、以下の3つである。

1. チャレンジドの所得増による経済的自立をめざすこと。
2. 企業・アーティストとのコラボで新商品を開発すること。
3. 生産から販売までのビジネススキームを確立すること。

そして。

ついに今回、理念に基づく、同PJT開発商品第1弾、「お札入り縁起色紙」が完成したのであった。
詳細は上記URLに譲るとして。

話は、これをどのように社会に発信し、ゴールへのムーブメントにしていくか、と熱く、続いた。

その中で、特に、私が感銘を受けたのは、ユニバーサルクリエート佐伯代表の、次の言葉である。
「えんむすびPJTを通じて私たちが達成したいのは、実は、町づくりなんです。」

心に、刺さった。
3つの理念さえ、その手段であるのだ。

その魅力的なコンセプトの実現に向け、早速、行政にできるサポートを検証してみたい、と思う。
強烈に心を動かされた、ひとときであった。

IT企業としてユニバーサル社会に貢献したいと願うフェローシステムと、
チャレンジドの就労機会と場づくりに取り組むユニバーサルクリエート。

それぞれのご努力により、
参加アトリエと支援団体が、静かにではあるが着実に、広がっている。

静かに、を、活発に、に。
着実に、を、いきおいよく、に。

微力ながら、その一助となるべく、動いてまいりたい。
大きな、そして希望あふれる宿題を、頂いた1日となった。

明日は、佐伯代表が大きく触発を受けた、あの、ナミねぇこと、
社会福祉法人プロップステーションの竹中理事長を伺う予定だ。

どんな触発を受けるか、今からワクワクなのである。

��写真:左から、私、ユニバーサルクリエート・佐伯代表、フェローシステム・三好代表取締役、同・西田ジェネラルマネージャー、同・浦崎氏)


2007-12-19

チャージが、足りていない

来月開催予定の党行事のご案内で、企業・団体を訪問した。

午前は、井上顧問とともに市内の5社・団体を、
午後は単独で、久万高原町長と企業数社を、訪問。

年末のご多忙中を、皆様には快くご対応を頂き、心より感謝する。

また夕方からは、党内打ち合わせを行ない、
会計処理の厳格を期したケースワークを中心に、今後の活動内容の確認を行なった。

いうまでもなく、国民の政治不信の根底には、この、政治とカネの問題が大きく横たわる。

ここが信頼回復の急所であり、民意と受け止めた私たち公明党は、不屈の執念をもって取り組み、
今国会で、政治資金規正法の再改正を実現し、政治資金の透明化を大きく前進させることができた。

ゆえに、そのルール遵守は、私たちが範とならねばならない、と強く自覚するとともに、
政治資金のみならず会計全般において、きちんと説明責任を果たせる自身に、と肝に銘じる。

余談ながら、その後の懇談の中で、ある先輩から、
私のブログの文字が小さくて読みにくい、というご指摘を頂いた。

目がよく見える若者にターゲットを絞っているの?といわれ、ドキッとなる。
早速、今日から文字を、少しだけ大きくすることにしたのだが、さて。

最近、自身を振り返って思うことは、
少しチャージが足りていない、ということ。

それは、知識とか情報などの頭の栄養補給であり、
思索という、消化吸収、あるいは熟成の時間、である。

あちこちに出向き、対人折衝と対話活動の毎日で、それはそれで重要だが、
夜も、休日も、スケジュールが立込んで・・となると、読書さえままならない。

ましてや、思索を伴う関係資料や書籍の読み込みがストップ状態になっている。
マズイ、と思うのである。

今週末は、久々のオフ予定。
順番待ち状態で、机に積み上がった資料・書籍を、一気にチャージするぞ、と思う。

��写真は、県庁本館にある、個人的なお気に入り、大きなノッポの古時計)


2007-12-18

えひめ若者サポートステーションの、視察

午後、公明党愛媛県本部青年局として、
松山市湊町にある、えひめ若者サポートステーションを視察した。

藤原青年局長(新居浜市議)・渡部局次長(今治市議)とともに、
同ステーションの、松本茂所長と加藤敏美相談員のお二人から、お話を伺った。

かねてから。
又、おととい行なわれたKHJ愛媛こまどりの会定例会においても。

同センターの必要性と機能強化を望む声が少なくなかったことから、
私は、ひときわの問題意識を持ちながら、お二人のレクチャに耳を傾けた。

実に、有意義であった。
視察を終えて、早速、県・国レベルでのアプローチを進めんとする意欲が、体中に漲ってきた。

さて、このえひめ若者サポートステーション。
どんな活動を行なっているかというと。

厚生労働省の委託事業として、若年無業者、いわゆるニートや引きこもり状態にある若者を対象に、
彼ら彼女らの、社会生活上の自立を支援するための事業を、日々、行なっているのである。

設立は、昨年8月。
先月末時点での総来所者数は、3,224人で、各種成果実績はいずれも全国平均値を大きく上回る。

私の所感では、そのカギは2つ、ありそうだ。
1つは、1人の自立態様レベルに合わせて、関係機関とのネットワークが有効に機能している点。

就業的自立までのプロセスの中で、病院、ジョブカフェ、ハローワーク、NPOなど種々ある機関の中で、
この部分を担当するのがサポステ、とそのミッションが明確になっていることだ。

もう1つは、相談員のスキル。
その道20年のキャリアを有する加藤氏の、知悉の深さと溢れんばかりの情熱に、圧倒された。

同ステーションの来所者リピート率がずば抜けて高い、という最大の理由は、
彼を中心とするヒューマンスキルの高さにある、と見た。

平成14年度内閣府調査によると、県内のニート状態にある若者は、約10,500名。
全国ワースト5位という極めて深刻な事態の表出は、本県に大きな衝撃を与えた。

こうした若年無業者が全国的に拡大していく中で、
公明党が若年者雇用対策として、事態打開に向け提案し誕生したのが、若者サポートステーションである。

関係者のご努力により、本県においては、
同ステーションを自身の状況突破のより所とする若者たちが、着実に、その水かさを増している。

勢いを、さらに加速させなければならない、と強く思う。

席上、松本所長から、そのために必要とされるご要望を伺った。
完全に同意するとともに、しっかりと、受け止めさせて頂いた。

一番、苦しんでいるのは、当事者本人なのだ。
ということを、心に刻みつけながら。

10,000人を超える、まだ見ぬ若者たちに、解決への尽力を誓った。

��写真:左から藤原青年局長・新居浜市議、私、渡部局次長・今治市議)


2007-12-17

初めての、大臣陳情

午後、霞ヶ関の国土交通省を訪れた。
冬柴大臣に対する陳情、が目的である。

その内容は、2つ。

1つは全国旅館生活衛生同業組合連合会(略称:全旅連)による、観光省設立の要望である。

これは、山本ひろし参議院議員の紹介によるもので、私も地元県議として、
全旅連会長代行・ホテル葛城の大木正治代表取締役に随行させて頂いたのであった。

冬柴大臣からは、旅館事業の広範性に対する障壁となっているタテ割り打破のために、
そうした統合官庁が必要である、という本趣旨に対して、全面的に同意を頂いた。

そして。

省庁再編の流れからいうと、省、は無理だとしても、庁、は何としても実現したい、
との力強い答弁がなされた。

和気あいあいの中、佐藤全旅連会長以下ご一行とも破顔一笑、の面談となった。

続いて、もう1つ。
四国地域の活性化に関する要望として、公明党四国方面協議会としての陳情を行なう。

これには、
公明党・四国方面議長の石田衆議院議員、副議長の山本ひろし参議院議員、

香川県本部の都築代表、徳島県本部の長見代表とともに、
愛媛県本部の笹岡代表の代理として、私も参加させて頂いた。

要望は、以下の4点である。

1.四国8の字ネットワークをはじめとする道路整備の促進
2.本州四国連絡高速道路(を含む3橋)の通行料金の引き下げ
3.南海地震・東南海地震等の災害に備えた防災体制の確立
4.ビジット・ジャパン・キャンペーン等の観光政策の推進

財政状況の厳しさから、明言は得られなかったが、非常に前向きな答弁ではあった。

私も、ここぞとばかり、冬柴大臣の目をじっと見つめながら、
圏域生活者の悲願である、しまなみ海道の通行料金引き下げを、強く申し入れた。

笑顔で頷かれていた大臣を、信じたい、と思う。

所要時間、20分弱。
私にとって、生まれて初めての、大臣への陳情は、終始、興味が尽きなかった。

大臣の分刻のスケジュールに、完璧に組み込まれ、報道関係者多数立会いの下、
なるほど、陳情はこういう手順としくみになっているんだ、と、極めて貴重な知見を得ることができた。

必要だが、県単位ではとても実行できない、そんな四国特有の課題が山とある。

その切実を、国に訴えるアプローチもまた、地方議員の重要な役割の1つである、
ということをあらためて自覚した1日であった。

PS
余談ながら。
途中、いわゆる、小泉チルドレンと呼ばれる議員集団と、廊下ですれ違った。

その中で、ひときわ目立ったのは、井脇ノブ子衆議院議員。

お約束の、オールバックの髪型に、ピンクのスーツは、
テレビで見たまま、であった。

その刷り込みの強烈さと見事さ、恐るべし、である。

��写真は、国土交通省・冬柴大臣への陳情風景)


2007-12-16

その日まで、活動は終わらない

今日は、北朝鮮人権侵害問題啓発週間の最終日。

午後、伊予鉄髙島屋前にて、北朝鮮拉致被害者救出の街頭署名運動が行なわれ、
県拉致議員連盟の一員として、救う会愛媛の皆様とともに参加させて頂いた。

会場には、拉致被害者家族連絡会の増元照明氏も駆けつけられ、
その必死の訴えに、通行客の多くが立ち止まり、熱心に聞き入っていた。

私も、署名ご協力のお願いを声を枯らして呼びかけ、チラシを配布しながら、また、
ハンドマイクを握り、拙くも精一杯、救出へのご理解ご協力をお訴えさせて頂いた。

師走のお忙しい中、足を止め、たくさんの方々に、ご署名・募金を頂き、感謝の気持ちでいっぱいとなる。
全員救出のその日まで、活動は終わらない。

ご家族のお気持ちを考えると、ここからは時間との戦い、と気持ちを引き締めながら、無事終了となる。

続いて、次の会場に移動し、KHJ愛媛こまどりの会の定例会に参加させて頂く。
今日は、社会的引きこもりに関する、この間の県政・国政での取組みに関するご報告を行なった。

私に関しては、6月議会と9月会議の2回にわたる質問内容、
国政に関しては、山本ひろし参議院議員による委員会質問内容。

それぞれをビデオ上映し、行政の回答状況や今後の見通しについて解説を交え、お話させて頂いた。
そして、その後の懇談会では、親御様・関係者の方々から、様々な新たなご要望を頂いた。

ご要望というより、皆様の、その赤裸々な心情の吐露に、
この問題の深さと重さ、複雑さと至難を、思い知らされることとなった。

自身の非力に、立ちすくんだ。
そして、決意した。

汗をかくだけではダメだ、身も心もグチャグチャに、あるいは泥んこになるまで悩まないとダメだ、と。
政治はキレイごとでは、ないのだ。

社会的引きこもりの問題は、その解決に向けて、まだスタートラインに立ったばかりといえる。

解決の糸口は必ず現場にある、とすれば、
今日の定例会で得た知見と触発をどのように次につなげるか、私自身が試されているであろう。

NPO、サポステ、アウトリーチ、ネット、コラボ、ボーダレス。
とある参加者から頂いた今日のインスピレーションは、ヨコへのイマジネーションだった。

必ず、次の展開につながるヒントがここにある。
心からふつふつと、闘志がわいてきた。

明日の上京を前に。

飛行機でも、モノレールでも、今日の続きを考えよう。
解決のその日まで、活動は終わらないと、肝に銘じて。

��写真は、KHJ愛媛こまどりの会定例会風景)

2007-12-15

小さな声、国を動かす

昼は、県民相談。
夜は、市内4ヶ所の、支持者座談会に参加させて頂く。

皆様のお元気な姿に接し、よし、がんばるぞ!と、心が弾むとともに、
大変な中での、日頃のご支援に対して、心より感謝が込み上げる。

そんな思いで、本年1年の御礼と、近況と決意など述べながら、
1つ、障害者就労に関するご報告をさせて頂いた。

一昨日のことだった。
山本ひろし参議院議員から私に、連絡が入った。

それは、かねて私が山本議員を通じて国に要望していた、
障害者就労支援要望の1つが実現した、との連絡報告であった。

その日、平成20年度の与党税制大綱が決定したのだが、その中に、
「障害者の働く場への発注促進税制の創設」が、新たに盛り込まれたのだという。

概要をかいつまんでいうと。

障害者の働く場に対する発注を前年度より増加させた企業について、
企業が有する固定資産の割り増し償却を認める、というものだ。
��ご参照URL ⇒ http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/h20kaisei/kouseiroudou/20j12.pdf )

それが大綱であり、暫定版だとしても。
大きな感慨を、覚えた。

約半年前の6月議会で、私は、県下企業における、障害者の法定雇用率低迷の現状をふまえ、
現在課せられている金銭ペナルティを、仕事の発注に切り替えてはどうか、という要望を述べた。

しかし、これは国マターなので、県としては回答できる立場にない、とのことだった。
それなら、とばかり私は即、山本議員に連携をとり、国への働きかけを強くお願いしたのであった。

議員には、有難くも、わがこととして尽力を頂き、
若干カタチは違いこそすれ、要望趣旨に沿った、この度の新設税制の実現となったわけである。

このことは、まさに、ネットワーク政党・公明党の本領であるし、

そもそも、今日お伺いした地域の、ある壮年からのご要望に端を発しているのであることを考えると、
1人の庶民の声にどこまでも真剣に取り組む、これが公明党らしさであると、確信を覚える。

ひるがえって。
県民の皆様から頂いた要望に対して、私は理事者に対して常々呼びかける。

財政が厳しいからできない、のであれば、ともに知恵を出し合いませんか。
国マターでできない、のであれば、ともに国にかけ合いましょう、と。

要は、そのお1人の気持ちに立って、その要望実現のために、
最後の最後まで、ともに汗をかきませんか、ということである。

事実。
この地域の、名もなきたった1人の小さな声が、国を動かしたのである。

庶民の声が国を動かしたという、私の報告に、思わず支持者の皆様から拍手がわき起こった。
やればできる、もっとがんばれ、と。

温かな笑顔に包まれながら、私は、このような庶民の皆様のために働かせて頂いているのだ、
という誇りと、自身の使命を、あらためて強く、感じさせて頂いたのである。

明日もまた、目の前のお1人のために全力で、と思う。


2007-12-14

四方八方・目配り・気配り・油断なし

午前、党務の打ち合わせ。

先輩の一挙手一投足をつぶさに注視し、頭の中をグルグルと、思考を巡らせる。
そして、1つ1つの知見を、脳内に叩き込み、境涯という胃袋に詰め込む。

それが、新人議員としての、今の私に必要な訓練だ。
議員としての一人前を、焦ることなく、遅れることなく、急がねば、と思う。

お昼過ぎに、打ち合わせを終え、議会控室にて公務少々。
夜は、市内4ヶ所、支持者の座談会会場を回らせて頂く。
日頃のご無沙汰をかたじけなく謝しながら、御礼と決意をお伝えさせて頂いた。

いずことも、そこには輝ける庶民の皆様が、いた。
そうした庶民にこそ、政治は光を当てなければならないし、私の使命もそこにある。

折に触れ、縁に触れ、初心と原点に立たせてくれる皆様に、心から感謝したい。

さて。

そんな中で、あるご婦人からアドバイスを頂いた。
これは小さなこと、と気遣ってくださったが、私にとっては大きな気づきであった。

四方八方・目配り・気配り・油断なし。
民間勤務時代、広告業界で働く者のスタンスとして、繰り返し叩き込まれた鉄則である。

その姿勢は、サービス業の原点ともいえる。
行政も議員も、その仕事の本質は、サービス業でなければならない。

けれでも、今日の私の反省は、配慮の足りなさ、であった。
事前準備のプロセスに、甘さがあったのである。

これで、よし、と、途中で思ってしまった自分がいた。
右から左へ、と、知らず油断をしてしまった自分がいた。

ちょっと待て、モレはないか、ヌケはないか、本当に大丈夫か、
という、想像力と敏感力を欠いてしまった。

お気を悪くさせてしまったことを申し訳なく思うとともに、ご婦人の貴重なご指摘に感謝したい。

さあ、今日からまた。
四方八方・目配り・気配り・油断なし。

終わりのない、自身との戦いに再び、挑戦だ。

��写真の、県庁本館エレベータ階数表示は、右から左)

2007-12-13

12月議会、閉会の日に

今日は、12月議会の最終日。
全議案が可決し、閉会となる。

但し、可決といえど、特に、委員会付託の請願事項と議員提出議案では、反対・退場・除斥など、
会派・個人のスタンスがそれぞれに反映され、それはナゼかと考えると、とても興味深かった。

さて。
次回の開会は、来年2月。

自身初めての、代表質問に立たせて頂く予定だ。
今からしっかりと、構想を練ってまいりたい。

午後は、拉致問題についての庁内研修会に参加した。
正式な会合名は「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題を考える研修会」である。

魂は、細部に宿る、とするならば。
行政の効率化とわかり易さもまた、会合名ひとつにも表れるようにならなければならない。

ともあれ。
今月10日~16日までの「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」の意義を踏まえて開催された、研修会。

松山地方局人権擁護課の話の後、救う会愛媛・中矢会長、愛媛拉致議連・森髙会長が登壇され、
現在までの取り組みと、全員の無事帰国および問題の根絶をめざす、強い決意が語られた。

現時点での、わが県出身の特定失踪者は、3名とされている。
大政由美さん(伊予市出身)・二宮喜一さん(八幡浜市出身)・山下綾子さん(今治市)、だ。

そのご家族の、切実なる訴えが心に響く。
よそごとでも、他人事でもない、わが県民が実際に巻き込まれた、自分ごととして、受け止めたい。

さらに、内閣府「外交に関する世論調査」(2007年10月調査時点)によると、
国民の北朝鮮への最も大きな関心は、核でもミサイルでもない。

圧倒的に、日本人拉致問題だ。
まさに、日本人としての自分ごと、である。
��ご参照URL⇒ http://www.rachi.go.jp/jp/archives/2007/1214kansindo.html )

私も、愛媛拉致議連の一員として、16日午後から、街頭署名運動に立つ予定だ。
広く県民の皆様に、ご理解とご協力を頂けるよう呼びかけてまいりたい、と思う。

夜は、支持者の会合に参加させて頂く。
温かな笑顔と、たくさんの励ましを、有難く、頂きながら。

議会活動も、上記拉致問題を含む種々の議員活動も。
私のエネルギーの源泉が、いつも、ここに、ある。

��写真は、救う会愛媛・中矢会長の講演風景)


2007-12-12

第18回創価芸術展と、まーるい気持ち

午前、県民相談にて各部局を訪ねた。
親身になって対応を頂く理事者方には、いつもながら心強く、有難さを感じる。

一段落をつけると、愛媛県美術館にて開催中の、第18回創価芸術展を鑑賞した。
そして、驚いた。

幼稚園児から大学生まで、お絵描きから水彩画・油絵・書道・陶芸など約300点の、
個々の作品のレベルの高さもさることながら、圧倒的に伝わってくる何か、にである。

真剣さ、素直さ、豊かさ、一途さ。
私が感じた、そんな気持ちを一言でいうと何だろう、と考えてみた。

そうだ、喜び、だ。
1つ1つの作品を通して伝わってくるのは、生きていることの喜び、なんだ。

なるほど、喜びやうれしさに触れると、人は、優しくなれる。
不思議なくらい、あたたかく、まーるい気持ちで、会場を後にした。

午後は、書類整理。
議員の仕事は、約1ヶ月ほど放っておくと、文字通り、机に幾つかの、山ができる。

読み返しながら整理をしていくと、ファイルが6冊とシュレッダーごみ少々、ができた。
確実に、地球環境によくない職業だ、と思いながら。

気づくと6時間が経過していた。

そして夜は、ビデオ編集、というか、資料作成。
近日行なわれる、KHJ愛媛こまどりの会の定例会での、県政報告の準備である。

うれしいことに、先週、山本ひろし参議院議員が、所属する厚生労働委員会において、
社会的ひきこもりに対する支援強化の必要性を、私たちに代わって強く訴えてくれた。

公明党として、国・県挙げてしっかり取り組んでいること、これからも取り組んでいくことを、
皆様に元気いっぱい報告させて頂こう、と思う。

そして、明日は12月議会の閉会日。
私にとって3回目の議会が終わり、そして、本年が過ぎようとしている。

はたして。

新人議員としての成長や、如何。
一人の人間としての、器量の拡大や、如何。

今日も、自問自答しながら。
1つ1つ、1年1年、着実に。

昼間の県美術館で、彼ら彼女らが感じさせてくれた、あの、
あたたかくて、まーるい気持ちを、いつも心に浮かべていられる、
そういう人格をこそめざしたい、と思う。

2007-12-11

あの時の、あの瞬間の、延長上

月刊誌「潮」を読んだ。

12月号・1月号と、上下で組まれた特集のタイトルは、「公明党を創立」。
公明党の創立は1964年であり、その年はまた私の生まれた年でもある。

そして、いうまでもなく。
わが公明党の創立者は、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長である。

恩師・戸田城聖先生のご構想を胸に、当時の政治勢力と対峙しながら、
大衆とともに、池田会長がどのような思いで、政党結成を決断され実現されたのか。

特集には、
その舞台裏の検証とともに、ドキュメント構成で、知られざる歴史が綴られていた。

池田会長の。

1960年安保闘争時における、岸総理との電話のエピソード。
杉の巨木が描かれた、一幅の日本画に込めた思いのエピソード。

一本の鉛筆をかざして、大衆のための政治を示したエピソード。
将来、国会に会派をつくる時は公明会、との恩師の遺言のエピソード。

初めて知る歴史の壮絶と必然に、私は、大いなる感情に包まれた。
そして、私たちの先輩もまた。

怒りっぽい性格を悩んだ青年時代、その方は、悪に怒る政治家たれ!との激励を受け、奮起の末、それが現実となった。
口利きに金がかかる時代、その方は、お願いに来られた老婆のズダ袋を受け取らず、真心で対応し、その老婆は感涙に咽ばれた。

その方は、政治家に見放された労働者の集まりに飛び込み、戸惑い、そして初めて、大衆とともに、という真髄をつかまれた。
その方々は、伏魔殿に正面から切り込み、冷笑と罵倒の中、し尿処理問題も、食糧費問題も、贈収賄事件も解決された。

池田会長と、草創の名もなき大先輩の方々と。
そこに、どれほど筆舌の苦労と決断があったことだろう。

尽くせぬ感謝と畏敬の歴史の上に、私は、いる。
その責任が、どれほど重く、大きいか。

そして、特集を読み終えて。

ふと、私の原点である青春の1ページが蘇った。
あの時の、あの瞬間の延長上に、私は、いる。

ゴールを見失わず、間違わず。
ただひたすらに、精進あるのみ、と誓った。

2007-12-10

がんばれ、愛媛FC!

仕事の転勤で松山に来て、5年が経とうとしている。
その当初から大変お世話になったある方が、昨日お亡くなりになった。

午前。
大先輩であり恩人であるその方の、最期の旅立ちを、お見送りする。

在りし日の1コマ1コマが、脳裏鮮やかに蘇り、涙があふれて止まらなかった。
大先輩への尽きぬ感謝と、心からの哀悼を捧げるとともに、深い決意を心に誓った。

敬虔な気持ちそのままに、午後は、久万高原町と市内を走った。

いくつかの新たな県民相談を伺い、県庁内の部局折衝その他の執務を行なった後、
夜は、愛媛FC2007活動報告会に参加した。

例年、シーズンを終えたこの時期に開催されるのが常だそうだが、今年は、雰囲気が全く違う。

アジアチャンピオンの浦和レッズを破り、強豪・横浜FCを破って、ベスト8進出という、
天皇杯全日本サッカー選手権大会での快進撃が続いているからだ。

愛媛FCをサポートする官民各界の代表が集結した会場は、活気にあふれ、
各テーブルは、否が応にも盛り上がる。

亀井社長・望月監督・選手を交えて、感謝と喜びの会話が花と咲いていた。

つくづく、勝負は勝たなければならない、と思った。
そして、相手が強ければ強いほど、喜びもまた大なのだということを、あらためて実感した。

スポーツと、政治と。
世界は違っても、直面する政治課題の解決を1つの勝利と捉えるなら、方程式は同じであろう。

課題解決を阻む敵に対して、どのような戦略と戦術を立て、どのようにアプローチすれば勝てるのか。
そのために必要な、日々の実践トレーニングは何か。

政治家こそ、こうした勝負勘を、常に研ぎ澄まさねばならない、と思った。

さて、その愛媛FC。

天皇杯ベスト4を賭けた次の対戦相手は、川崎フロンターレ。
12/23(日)13:00、埼玉スタジアムにてキックオフ予定だ。

相手はJ1リーグ第5位という強豪だが、何しろこちらはアジアチャンピオンにも勝っている。
その勢いで、元旦の国立競技場から、わが愛媛に最高の初夢を見せてほしい。

がんばれ、愛媛FC!

��ご参照URL⇒ http://www.ehimefc.com/p/index.html )
��写真は、今シーズンの活動報告を行なう、㈱愛媛FC/亀井文雄社長)



2007-12-09

党青年局懇談会に、思う

朝から夜まで目一杯の、1日。
午前は、本年の掉尾を飾る、公明党愛媛県本部の議員総会。

石田祝稔衆院議員・山本ひろし参院議員を含めて、欠席者ゼロ。
団結も力強く、今後の取組みについて意思統一を行なった。

午後は、支持者会合への参加と打ち合わせを頂き、
夜は、公明党青年局懇談会に出席させて頂いた。

その中で、特に、青年局懇談会について。

今晩お集まり頂いたのは、20代・30代の男女青年党員15名。
師走のお忙しい中を、東・中・南予の各地から、駆けつけてくださった。

駐車場にて、皆さんをお迎えしながら。

寒風をものともしない、そのはつらつとした笑顔にはまぶしさを、
その心情と心意気には感謝を、感じずにはいられなかった。

さて、その懇談会。
冒頭、私から、その趣旨と目的をご説明させて頂いた。

まとめると。

急速に進む少子高齢化・人口減少社会、また格差社会といわれる中で、
公明党青年局としては、特に、若年者雇用対策が急務であると考えていること。

そのために今回、全国各地で、一斉に、青年層に対して各種のヒアリングを行ない、
早急に集約・分析した上で、実効ある政策を立案し、国会での実現を図っていくこと。

同時に、この集まりを機に、青年世代の様々な生活上のご意見・ご要望を伺い、
各行政レベルごとに、課題解決に向けてしっかり取り組んでまいりたい、ということである。

しばらくのアイドルタイムの後、いったんかかったエンジンは、止まらない。
次々と意見が飛び交い、終了時間を1時間30分近くオーバーしてしまった。

藤原青年局長を中心に、その横で。
私は、始終、細大漏らさず、青年の声に耳を傾けた。

1つ、ハッキリと感じたことがある。

やはり、これからの新しい時代を創るものは、彼ら青年の熱と力なのだ、ということを。
そして、ひとつのきっかけで。

もっと政治のことを知りたいし、様々な弱者が報われる社会にするために私も何かしたい。
そう本気で思える、彼らのしなやかな感受性に、希望と感動が込み上げてきた。

この青年世代のために、また、この青年世代とともに。

それがいかに困難であったとしても、
次の新しい時代を何としても創り、拓いていかねば、と強く決意する1日となった。

��写真は、議員総会で国政報告を行なう山本ひろし参院議員)


2007-12-08

久万高原町での、まちかど遊説

今日は終日、久万高原町にて遊説を行う。
党員の皆様とともに、広大な同町を走りに走り、20箇所近く回らせて頂いた。

統一地方選、参院選と、選挙遊説の経験値は、私にも多少あるけれど、
いずれも先輩議員に同行してのものである。

今日は、議員は私だけ。
初めての党・政策遊説だけに、緊張と不安に包まれてのスタートであった。

が、ハンドマイクを片手にしたとたん、思いのあふれるにまかせた。
拙いのはもともと、等身大でいこう、と。

そして現在、公明党が取組んでいる様々な政策と、この間に実現した実績の一部を、
私自身の決意とともに、心を込めてお訴えした。

まずは、何といっても、政治資金の透明化を推進したこと。

そして。

高齢者医療制度の、新たな負担増を凍結したこと。
母子家庭の児童扶助手当の、一部削減を凍結したこと。

改正被災者生活再建支援法で、被災者保護内容を拡充したこと。
改正最低賃金法で、労働者の賃金引上げを実現したこと。

障害者自立支援法の、抜本的見直しを行っていること。
B型・C型薬害肝炎患者への救済策を、急ピッチで準備していること、等等。

いずれも。

さまざまな、弱者といわれる方々の切実な声を、真正面から受け止め、
そのお気持ちを代弁し、反映させて頂いた政策ばかりである。

ねじれ国会といわれ、審議の停滞を厳しく指摘される中で。
だからこそ、生活者の視点に立った政策を何としても推進しなければならない、その1点で。

公明党は与野党の橋渡し役となって、汗をかきながら、がんばらせて頂いている。
どこまでも、生活者である庶民の皆様の党なのだから。

町内のあの辻で、この辻で。

公明党は、国会議員と地方議員がしっかり連携して、庶民の皆様の手足となって働き、
さらに生活の安心が広がるような政策の実現をめざしてまいりたい、との決意をお訴えする。

道行く方々のご声援が、心に沁みた。
お手をとめてお聴きくださる方の、笑顔と頷きが、心に響いた。

そして何より。
一緒に、マイクを握って同行頂いた地元党員の皆様に、心より感謝の気持ちでいっぱいだ。

草の根の、こうした取組みの大事を、肌身に沁みて学ばせて頂いた1日となった。


2007-12-07

常任委員会は、いつも活発

10:00より常任委員会が開催される。
所属する環境保健福祉委員会に出席した。

今回は、本会議の議案も少なく、自身の一般質問の機会もなかったので
本委員会での、所管事項における質問を、心に期していた。

まず、保健福祉部関連。

開会を告げる白石委員長の開口一番、私は挙手した。
質問したのは、薬害肝炎訴訟問題についてであった。

昨日、西条市在住の女性が、国と製薬会社を相手取って訴訟に踏み切ったことは既報の通り。
報道に接し、私は、彼女の、実名を公表してまでの、その痛憤の訴えに、心が激しく痛んだ。

一義的には国と製薬会社の責任だとしても、県としてはできる限りのサポートを行うべきとの思いから、
県内のフィブリノゲン投与実態はどうか、それに対する対応についての考えはどうか、を問うたのである。

やはり、投与された患者は彼女1人ではなかった。
現時点で確認されている方は全部で6名、いらっしゃるそうだ。

国の対応を見守りながら、県として可能な救済サポートを検討したいとのことだが、
まだ明らかになっていない方も含め、何としても救済されるよう注視してまいりたい。

また、妊婦検診の助成について、各市町の実態と、今後の拡充見通しを伺った。

現在まで、同無料検診の回数は、概ね2回という実態に対し、
今月から松山・西条など8つの市町で、来月は上島町で、そして来年4月には、
県下すべての市町で5回に拡充される、ということが明らかになった。

少子化対策という観点からも、出産に対する安心の広がりという観点からも、
今回の措置は大いに評価したいし、さらなる拡充を、今後も求めてまいりたい。

県民環境部関連では、今年度から導入された、資源循環促進税、いわゆる産廃税について伺った。

約1億円の新規税収を見通し、懸念された不法投棄の増大も見られない、との回答を得た。
導入目的である循環型社会の進展に向け、他の政策との整合も踏まえ、注視してまいりたい。

それにしても。

わが委員会は発言が活発だ。
いつも、時間の足りなさを感じるほどだ。

扱うカテゴリも、各委員の熱気あふれる空気も、理事者の誠実さにも。
大きなやりがいを感じさせてくれる、本委員会に所属させて頂き、本当にありがたい、と思う。

私の立ち位置は、県民・庶民の皆様の、気持ちと目線。

これからも、環境について、福祉について、着実に研鑽を積みながら、
皆様の声をしっかりと県政に届けてまいりたい。

��写真は、松山市内のイルミネーション・ファンタジー、ひかりの花園プロムナード)

2007-12-06

一般質問最終日の、感動

本日は、西田氏(自民)・玉井氏(民主)・野口氏(社民護憲)の1期生3氏と、
4年ぶりのベテラン、毛利氏(自民)の計4名の議員が、登壇された。

個別の所感は尽くせぬが、それぞれの愛媛に対する、又、地元支持者の方々に対する、
熱い思いが強烈に伝わってくる質問に、大変多くのことを学ばせて頂いた。

その中でも、特に、大先輩の毛利議員について。
20歳も年下の私が、論評するのもおこがましいけれど、ご容赦頂くと。

大感情が、終始、込み上げてならなかった。

いわく。

「野に下れば、野に咲く花の美しさが見えてくるものであります。
人の世の情けにふれ、その温もりが身にしみるものであります。
今まで聞こえなかった声が、聞こえてくるものであります。

今、自分にできることは何か、なすべきことは何か、
政治に今、本当に求められているものは何か。

原点に立ち返って、しっかり頑張りたいとの思いを新たにしている所であります。」

いったい何を言ってるのだろう、と思われるかもしれない。
実は、毛利議員は本年、4年ぶりに返り咲かれたのであった。

その間の並大抵でないご苦労が、先ほどのコメントに凝縮されているのである。
そして、その並々ならぬ決意が、聴く者の心を激しく打ったのである。

私は、知っている。
議員図書館に行くたびに、少なくとも5回は見た、真剣で近寄りがたい、毛利議員の質問準備を。

そして、質問当日の朝、私が偶然に図書館を訪れた際にも、
最後のリハーサルを本番さながらに、一人黙々と行っていたことを。

確かに、会派は、違う。
けれど。

ふるさと愛媛の、なかんずく南予の再建と復興に賭け、そして今回の質問に賭ける、
大先輩の真剣な振る舞いのすべてに、私は感動とともに、かけがえのない勉強をさせて頂いた。

感謝の気持ちでいっぱいになったのである。
及ばずとも、その姿勢だけはしっかりと見習ってまいりたい。

心から強く決意した、一般質問最終日であった。

��写真は、夕方から行われた、県議会・心肺蘇生法講習会の風景)

2007-12-05

一般質問は、真剣勝負

一般質問、2日目。

わが会派の豊田先輩をはじめ、
徳永氏(自民)・阿部氏(環境市民)・福羅氏(自民)の4名が、登壇された。

それぞれに愛媛を愛する、4者4様の視点と情熱に、大いに学ばせて頂いた。
その中で、どうしても私が気になったのは、徳永氏と福羅氏のお二人であった。

今治の、母校を同じくする者として。
5つ6つ違うけれど、わりと近い世代として。

であるが、果たして、予想通り。
共感するところ大、触発もまた大、なのであった。

30代の、さすが、を感じさせられた。

私も、しっかりと。
新たなモチベーションを高めて頂いたお二人に、感謝を申し上げたい。

また、会派の豊田先輩には、40代のさすが、を学んだ。
引き出された答弁に点数がつくならば、すごい高得点だったな、と思う。

自身を振り返って、引き出された答弁の点差をはっきり自覚するとともに、
引き出すべきものは何か、から質問を組み立てる技術の必要性を学んだ。

また、阿部議員の芯の強さには、いつも感服だ。
私には、あのようには、できない、たぶん。

本会議の一般質問は。
それぞれに支持者を背負い、地域を担って立つ、各議員の真剣勝負の場だ。

ゆえに、毎回、いろんなことを考えさせてくれる。
明日もまた、新たな登壇者の情熱に、大いに学んでまいりたい。

��写真は、議事堂を車で出るとき必ず目にする風景、の秋編)


2007-12-04

本日も、教えられることばかり

今日から、本会議の一般質問が始まる。

登壇者は、奇しくも東予選出議員が揃った。
渡部氏(自民)・菅氏(民主)・石川氏(社民護憲)・鈴木氏(自民)の4名である。

菅議員の再質問の場面では、議事堂内が一瞬騒然となった。
が、私にとっては勉強にもなった。
議会のルール、論戦のルールを、今のうちにしっかりと、身につけてまいりたい、と思う。

さて、本会議を終えて、夜は久万高原町の支持者のもとへ駆けつけた。
さすがにこの時期の久万は、寒い。痛いくらいに、寒さが肌を突き刺す。

そんな中、ほっぺを真っ赤にしてお集まり頂いた皆さんと、
私たちの生活を取り巻く、最近の国政の動きについての学習を行った。

いくつかのテーマの中、高齢化が深刻な課題である同町だけに、
最も関心が高かったのが、来年4月からスタートする高齢者医療制度の中身について、であった。

もっというと、どれくらい負担増になるのか、が関心の全てといっても過言ではなかろう。
そして、それが、庶民の正直な気持ちなのだ。

寄り添う思いで、私は。

複雑な制度説明の前に、まず、各紙既報の通り、
負担増を限りなく凍結・減免させたのは、公明党の成果であることを、強くお訴えした。

確かに、少子高齢化の急速な進展により、従来の社会構造が根本的に変化していく中で、
増え続ける社会保障費と、現役世代の負担の限界を考えると、
高齢者の方々にも一定のご負担を願わざるを得ないのが、現実ではある。

が、決して、一律負担、ということにしてはいけない。

住むところがない、健康でない、年金がない、貯金がない、縁故者がいない、
そういった弱者を、政治は、何としても守らなければならないし、
高齢者の多様な実情に見合った負担でなければ、ご納得頂けようもないからだ。

弱者を守るのが公明党であるならば、若者こそ弱者、という視点も必要だし、
65歳という年齢を含めた高齢者の定義も、もう一度見つめ直す必要がありそうだ。

凍結・減免措置が終わるまでに、そういった根本的なところから納得のいく制度設計を、
与党プロジェクトチームの中で、何としても私たち公明党がリードし創り上げていきたいし、

必ず、私たちが声を上げた分だけ、集めた分だけ、その力になる、
ということを、熱くお訴えした。

その上で、さて、複雑なこの制度をどのように説明しようかと思案した結果、
お一人お一人の状況を伺い、それに当てはめた見通しとしてお話しさせて頂くことにした。

なるほど、新たな負担を9割減免、といってもピンとこないものが、
月額数百円になりそう、となると、いささかの安堵とともに、今回の減免はやっぱり助かる、
とのご感想を頂き、こちらがホッとしたりもした。

いずれにしても。

少子高齢社会という、この政治的難局を乗り切るための必要不可欠は、希望であろう。
そして、それは、どこまでも弱者の側に立つという信念によってのみ、可能となるのだ。

皆様と、和やかに、真剣に、語り合いながら。
そこを大事にしなければいけないよ、とまた1つ教えて頂いた。

��写真は、議事堂から見た秋の空)


2007-12-03

紳助さんと東国原知事の、さすが

毎日、ブログを綴りながら、思うこと。
それは、アクセス頂く皆様のことである。

どんなことに興味を示し、何を感じられているのか。
そんなことを、考える。

そして、
その日のテーマによって、アクセス数に違いがあることを考えると。

興味の広さとか狭さのようなものが、あるような気がするし、
アクセス数からすると、読書に関することは、わりと興味が広いのかもしれない。

ということで、先週、読んだ本。

「ニッポンを繁盛させる方法」(島田紳助・東国原英夫/角川書店)。
説明するまでもなく、今をときめく、お二人の対談集である。

感想をひとことでいうと。
あっという間に楽しく読めて、グッと政治を身近に感じさせる本、だ。

東国原宮崎県知事は、連日、話題が褪せることもないので割愛するが、
私は、島田紳助さんというと、吉本興業元常務の木村政雄さんを思い出す。

いつかの講演で、木村さんは、人間の賞味期限、というお話をされた。

当時、漫才ブームからお笑いブームへと続く渦中でブレイク中の紳助さんの、
タレントとしての賞味期限をどうしたら延ばせるか、と考えていたところに、
政経TV番組・サンデープロジェクトの司会の話が舞い込んできたという。

チャンスだ!と木村さんは考えたが、紳助さんは不安と恐怖に駆られたという。
できへん、わからへん、と本番直前まで震えたという。

しかし、その後の大活躍は、皆様ご存知の通りである。
紳助さんの勇気と猛勉強の努力が、また新たな才能を開花させたのであった。

そのエピソードを通して、木村さんは力強く言い切った。

タレントとして賞味期限を延ばすということは、進化するということだ。
そして、変われないものは、消えていく、と。

当時の木村さんのお話に、ビジネスもまた然りだ、と強く頷いたことを覚えている。
いみじくも、紳助さんは同著で、大要、次のように書いている。

“人気が落ちるタレントと、20年以上にわたって生き残っているタレントは根本的に違う。
長く続いているタレントには理由があり、その1つは、毎年進化していることだ。”

“県も個人も同じで、毎年進化し続けないといけない。
そのカギは、知事が、政治家が、県民に夢を語ることだ。”

話しを戻すと。
この本に特に学びたいのは、タレントと元タレントの現職知事という、お二人の目線だ。

きっちりと、庶民を見つめているのである。
そして、私たちと同じ立ち位置から、日本再生を問いかけてくるのである。

ユニークで鋭いアイデアがバンバン出てくるが、その都度、
な、アンタもそう思わへん、せやろ、と語りかけられる思いがするのである。

肩の触れ合う立ち位置から、同じ目線で、せやろ、と微笑まれると、思わず、
せやな、というのが人情ということを、プロのお二人は、ちゃんとわかっている。

翻って、今の政治が生活者にとって、どの位置で行われているか。
そこからして間違い、ということがないように、よくよく考えさせられた1冊であった。


2007-12-02

マイナスを、まずはプラスに

午後、松山市内で開催された国土交通省主催の会合に出席した。

同会合は、地域の自立と相互補完のあり方に関する意見交換を趣旨に、
今日は東予と中予、明日は南予を巡回しての開催ということである。

伺えば。

国土計画について、国交省が地方の意見を聞いてまわるということは、かつてなかったらしい。
そういう意味では、今回の開催は画期的といえる。

が、中予・松山会場の参加者は、3市3町の首長・県市町議会議員・議会関係者ら、約40名である。
これだけの大人数が、果たして意見を交わせることができるのか、というと案の定、難しく。

どちらかというと、説明会の色彩が強く、消化不良の感が残った。
画期的であるだけに、今後の継続開催とさらなる充実を心から期待したい、と思う。

さて、会合だが。

山本順三国土交通政務官の挨拶の後、
国交省関係者から、地域再生に向けた冬柴プランのレクチャがあった。

プランの概要は、全国を9つの広域ブロックに分けて、各ブロックごとに、
今後10年間を見越した戦略的国土形成に取り組むというものであった。

次いで、そうした国の指針に基づく、四国ブロック計画のたたき台となる、
新四国創造研究会がまとめた意見書案が提示され、参加者の意見・要望を求められたのだが。

すべての発言者、というより参加者全員であろう、その共通した所感は、財源の所在であったろう。

提示された将来ビジョンについては、おそらく誰も異議を挟むものではないが、
それを実現させる財源を地方で賄う、となれば、それは絵に描いたもちである、と。

地方の共通した要望は、目の前に差し迫った社会基盤整備をどうするか、であり、
財源不足のため、案件の大半がペンディング状態の今、それをどうするかが先だ、ということである。

そのあたりの苦渋を、各首長が具体的事実を持って訴えられ、私も思わず頷く。

この間、県民から寄せられた、道路・河川・交通・港湾・下水道等に対するご要望のうち、
財政事情により対応を待たねばならないケースが、どれだけあったろう、と共感する。

それもそのはず、今年度の公共事業関係予算は7兆円弱。
10年前に比べて、ほぼ半減、と数字は厳然としているのである。

まだまだメスが入っていないムダな歳出領域への斬りこみによる財源確保と、
真の必要性をきちんと見極めた上での基盤整備は、表裏一体であり、矛盾しない。

国にしても、県にしても。
生活者の生命と財産を守ることを、政治の最大のミッションとするならば。

今、求められている地方の国交行政は、プラスをさらにプラスにするという発想以上に、
マイナスをまずはプラスに転換するという、生活者の現実を直視した施策の実行であろう。

会合を終えて、すっかり日が落ちた屋外に出た。

国交省というタテ割りの時間から、ニュートラルな頭に切り替えて、
急ぎ足で、次の訪問先へと向かった。


2007-12-01

意気軒昂の、公明党全国青年局長会議

今日から、師走の入り。

文字通りの駆け足で、この日は、東京を日帰りした。
公明党全国青年局長会議に参加するためである。

私は、愛媛県青年局次長として、藤原局長に同行させて頂いたが、
若年者雇用を主要テーマに、実に中身の濃い、熱い会議であった。

集まったのは、全国から74名、平均年齢44歳という地方議員メンバー。
この年齢を果たして、青年と言えるかどうかは別にして。

気概に燃える雰囲気の中。

全国青年局長の谷合参院議員を始め、伊藤・谷口両衆院議員と鰐淵参院議員の局次長、
そして後半からは太田代表も駆けつけられ、党勢拡大に向けた一丸を誓いあう会合となった。

冒頭の政治学習では、厚生労働省から若年者雇用の現状と対策に関するレクチャを頂いた。

要約すると。
加速する少子高齢社会のカギを握るのが、まさに若年者である青少年層であること。

その内、新たな若年者雇用は改善されつつあるものの、
従来からのフリーター・ニート層の常用雇用化は思うように進んでいないこと。

そうした実態に対して、国も深刻な危機感を持ち、来年度の若年者対策関連予算は、
本年度約5割増の354億円を計画していること、等であった。

詳細なプラン説明を聞きながら、愛媛における政策推進を心に期した。

次いで、そのフリーター・ニート層の自立と就労支援を目的とした事業を行っている、
��PO法人青少年自立支援センター工藤理事長から、現場報告があった。

理事長は、この問題がいかに至難であるかという事実とともに、解決への確信を熱く訴えられた。

その30年にわたる現場体験と具体事例を通したお話は、
非常に説得力にあふれ、会場は共感と感動に包まれた。

そして、この問題に対する理解と取り組みの拡大を、
社会全体に拡げていかねばならないことを痛感するとともに。

私たち公明党青年局が果たすべき役割が、
重かつ大であることへの認識を、新たにさせて頂いた。

あっという間に、4時間は過ぎ。
太田代表の、厳しくも温い、私たちへのエールが掉尾を結ぶ。

庶民に対して、若年者を含むすべての弱者に対して、敏感であれ。

そして、確かな感受性と大感情を持って、そうした方々の力となり、
それぞれの地域で確かな存在理由を示せる1人1人に成長しよう、と。

新たな月、の初めに。
今日、を初めに。

青年としての気概に立ち、新たな自身への出発だ、と心に誓った。

��写真は、左から谷合全国青年局長・私・太田代表)

2007-11-30

ブログ開設1周年に、思う

11月も、今日で終わり。
月日の経過が、年ごとに加速をしていく気がしてならない。

昨年の今頃は、と考えた。
本ブログを立ち上げて、ちょうど1年が経過したことに気づく。

とはいえ、立ち上げの一切は、先輩議員におんぶに抱っこ状態だったし、
4月の統一地方選が終わるまでに書き込んだのは、たった10回程度。

立ち上げから約半年の間、開店休業状態だったわけであって。

本格的に。
というより、今日まで1日も欠かさずブログ更新を続けるようになったそのスタートは、
議員バッジを頂いた5月10日の初登庁の日であった。

他の議員も同じだと思うが、私も又、並々ならぬ決意でその日を迎えた。

そして、毎日、決意をしようと思った。
それを、ブログに綴ろうと思った。

そのきっかけは、あるご婦人の一言であった。

いわく。
毎日、楽しみに見てるのに、たまには更新してね。

楽しみに?私のことを?
胸が、熱くなった。

こんな私に、としか思えない、未熟者の私に対して、
真心から温かい期待を寄せてくださる方が、目の前にいらっしゃる。

ならば。

1人でも2人でも、そうした方々のために、毎日、思いを伝えよう。
議員である限り、この初心を絶対忘れないために、毎日、確認をしていこう。

ご婦人に、心の中で、誓った。
そして、その日から1日も欠かすことなく更新を続けて、半年が経った。

おかげさまで、初心は些かも揺るがない。
有難い、感謝の思いでいっぱいだ。

ブログ1周年を機に、あらためて、頂いた自身の使命を思うとき。

少しの油断も、隙も。
惰性も、慢心も、甘えも。
そして、惰弱も、臆病もあってはならない。

ただただそうした県民の皆様のご期待にお応えすることのみ思いをめぐらせ、
それのみを確信として、勇躍前進していこう。

1年前も、今日も。
皆様に、お誓いしたい。

2007-11-29

12月定例県議会、初日

今日から、12月定例県議会が始まった。
会期は、12月13日までの15日間。

今回、上程された議案は、県職員給与改定に伴う補正予算案など16議案で、
予算総額は10億5,778万円という、超緊縮規模である。

その議案説明に先立ち、加戸知事から中期財政見通しの発表があった。
その厳しさを要約すると。

何の措置も講じなければ、今の行政サービスを維持するのに、
2008年度で287億円、2009年度で338億円もの財源不足が生じる、ということだ。

その主な要因は、2つ。

三位一体改革で地方交付税・国庫支出金が大幅に減少したことと、
公債費という、過去の借金返済費用が増えたこと、である。

この危機を乗り切るためには、更なる思い切った歳出削減が必要だし、
官民上げて、個人も企業も、新たな収入を増やさなければならない。

歳出削減の意味では本日、県議会・会派代表者会議で、今任期中の海外視察の自粛が決定した。
これによって、4年間で4,700万円の歳出減となるが、まだまだ財源不足解消にはほど遠い。

その厳しさに背筋が凍りつく、議会初日となった。

夕方。
雲峰松山市議とともに、市内の支持者宅をお伺いした。

以前お受けした、河川改修に関するご要望に対するご報告だったが、結局のところ、
危険度の高さによる選別を行わざるを得ないといった、財政事情のご説明となった。

心苦しい内容にも関わらず、最後までじっくりと聞いてくださり、又ご理解も頂き、有難くてならない。
こうした痛みを共有してくださる方々のためにも、財政再建を急がねばならない、と決意を新たにする。

今日お伺いしたその方は、御年80歳。
20代の頃から、民生委員を始め、地域のあらゆるお世話役を務められてきたそうだ。

そして、今なお現役で、児童を対象とした食育体験学習の講師やボランティアなど、
地元になくてはならない中心的存在として、ご活躍されているのである。

心から頭が下がるとともに。

その方の、半世紀にわたる地元貢献の歴史と生き様に、大政治家を仰ぎ見る思いがした。
議員こそは、このように生きるべきなのだ、と。

人生の大先輩の生き様に触れ、財政再建にひるんでいる場合ではない、戦え!と、
自身の一念を叱咤し、鼓舞させられた、強く印象に残る1日となった。

��写真は、県庁内の、歴史あふれる公衆電話)

2007-11-28

問題は、あれもこれも

終日、どんよりと半べそをかいたような曇り空。
午後、中村町議とともに砥部町を訪れた。

以前、地域住民の方々から頂いた相談事項に対する措置が決まり、
そのご報告にお伺いさせて頂いたのだが、その生活不安の解消を大いにお喜び頂いた。

本当に、何より、だ。

この短期日の間に、当局との対話と手続きを重ね、それぞれの思いを交わす中で、
行政との心の距離もグッと縮まった皆様のご様子に、思わず安堵と感動を覚えた。

つくづく、対話は解決の母、と思いながら、
夜は、昨日に続き、久万高原町を訪れた。

ある自営業者の方との対話では、主力産業である林業・建設業の窮状に対して、
止め処なく、やり場のない、怒りとご指摘を承った。

裏返せば、それほど政治の力を頼りにされていることの証左である。
しっかりと受け止め、期待にお応えしなければ、と神妙に決意する。

その後、月に1度開催される地元の党員会会場に移動し、
遠路からのご参集に頭が下がる思いで、皆様をお迎えさせて頂いた。

今日は、久万高原町消防署救急救命士の片岡氏を講師にお迎えし、
心肺蘇生法とAEDの講習を受けた。

講師の、身振り手振りを含めた非常に巧みでわかりやすいレクチャに、なるほどの連続、連発。
本当に為になったひと時であった。

考えてみると、いざという、その時は、ある日突然やってくるものだ。
1分1秒を争う、そのいざという時、的確に処置ができるかどうか。

1回講習を受けただけでは万全とはいえないし、その時、動転と動揺が先に立つこともわかる。
が、知らないと知っているでは、救命率に決定的な差が生まれることを理解した。

救急場面において、かけがいのない命は、まさに、0か1か、なのだ。

��EDの設置の広がりとともに、いざという時に備えある地域社会にしていくこと。
貴重な講習を受けながら、また1つ、宿題を頂いた気がした。

講習の後は、過疎をテーマに簡単なアンケートを行い、生活上の諸問題を伺った。
予想通り、あれもこれも、である。

折りしも、公明党は先頃、地域活性化対策本部を立ち上げたところであり、
それは、こうした全国の過疎地域の実情に基づく赤裸々な声を集約し、有効な政策提案を行うためである。

そして、一刻も早い対策を実現、つまり、来年度予算に反映させるべく、今、急ピッチで作業を進めている。

国との更なる連携により、切実なる皆様のご要望に何としてもお応えしてまいりたい、と思うとともに。
地方の自立という観点から、県独自の政策実現に取り組む必要性を痛烈に感じ、そして、決意した。

��写真は、心肺蘇生法・AED講習の風景)

2007-11-27

地方の閉塞の、突破口

走行距離100㎞強。
県下を大きく走る1日となった。

まずは午前、すっかり衣替えした山並みを走って訪れたのは、久万高原町。
県内で最も少子高齢化の進む同町の、厳しい現状とご要望をお伺いするためである。

玉水町長には、お忙しい中を長時間、快くご面談を頂き、有り難く思うとともに、
お話を伺うほどに、何とかお力になりたい、ならねば、という思いを強くしたひと時であった。

そもそも、中山間地域の経営には、固有の制約条件というものがある。

離島も同様だが、現在の国の政治的統治は、そうした地域への配慮があまりにも不十分だ、
との、叫びにも似た、具体的で切実な、種々のご指摘に、同感を禁じえない。

スタートラインがフェアでなければ、地方の自立に向けたヨーイ、ドンもできないのだ。

さっそく、ネットワーク政党の強みを生かして、町長の思いを国政につなげてまいりたい。
よしっ、と思いながら山から下りると、今度は、海岸を走った。

向かった先は、北条。

県民相談に伺ったのだが、それはそれとして、他の心温まる、いいお話をたくさん伺った。
あべこべにこちらが勇気を頂いた格好で、いささか恐縮である。

そして、県庁へ戻り、部局折衝その他の執務をしている間に、日は暮れて。
今日の、自身の前進は何だったか、と考えると。

玉水町長との対話の中で、又、稚拙を承知でおこがましくも持論をぶつける中で、
昨日から考えている希望の具体化が、ほんの少しだけ見えてきそうな手応えを感じたこと、か。

固有の資源の、価値化と市場化。
地方の閉塞の突破口となるのは、要するに、これに尽きるという漠然たる確信である。

現場に足を運ぶとともに、しっかりと脳みそに汗をかいて。
明日から新たに、チャレンジ開始だ。

��写真は、議事堂前の、スキッと散髪を終えた生け垣)


2007-11-26

タテ割りと財政難、の向こう側

さっそく行動開始、と昨日綴った通り、今日は終日、現場を動いた。
県民相談に関する部局折衝と、当事者へのご報告ということである。

その中で、いろんなことを感じ、考えさせられたのだが、
今日つくづく私の脳裏を支配したのは、この2つの事実。

行政は、タテ割りにできているということ。
県は、財政難であるということ。

いうまでもないし、理屈もわかるが、もう1歩釈然としないモヤモヤが残る。

タテ割りに関して、ふと、民間企業に勤めていた時代を思い出した。

いわゆる、ケーレツとか、護送船団方式という従来の商慣行、あるいはシステムが、
一斉に指弾されるようになったのは、バブル崩壊後だったか。

従来のシステムは、上位にある企業・団体の磐石が前提ではあった。
今、その前提は崩壊または変質し、
ビジネスの世界は、例外なく、完全に、ボーダレス経済へとシフトしてしまった。

財政難に関しては、この人をおいて他あるまい、というほどに上杉鷹山を思い出した。
彼が知事なら、今の愛媛をどうするだろう。

実は彼、一度目の改革で、民衆の支持を失い、失脚したのであった。
そして、隠居を経た二度目の改革で、見事、財政を立て直したのである。

今でいうマーケティングをベースに、
米沢藩というオールド・カンパニーを、ビジョナリー・カンパニーに変えた、といえよう。

タテ割りと、財政難について。

今の時代にふさわしい、道州制を含む新たな国と地方の運営システムは、どうあるべきか。
愛媛をビジョナリー・カンパニー化させる、そのゆらぎは、どうすれば起こせるか。

などと考えながら歩いていると、夕方の庁舎内が、思いのほか暗いことに気づく。
そうだ、廊下の電気を節約しているんだ。

歳出削減への涙ぐましい職員各位の努力に、グッとくるものをこらえながら。

終日、県民相談に動き、感じ、見えてくる現実の、
その向こう側にある希望の具体化こそ、私たち議員に与えられた最も重要な仕事なのだ、
ということを痛感する。

そして。

為せばなる、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。
かの鷹山のメッセージが、あらためて強く、心に沁みた1日となった。

��写真は、電器を節約中の、17:00過ぎの県庁廊下)


2007-11-25

政治は、心理学であればこそ

世の中に、悩まない生活は、ありうるか。
いくつかの県民相談に対応しながら、思った。

およそ社会で生きていく以上、そこには様々なルールがある。
他者と関わりながら暮らす以上、そこには多様な感情が渦巻く。

人がルールを作り、作られたルールは人を従え、
感情もまた、人とともに生じ、人へ生じさせる。

してみると、生活は、矛盾と不思議の異名なのかもしれない。
そして、その生活をマターとする政治は、人の悩みをマターとする心理学ともいえよう。

そんなことを考えながら、「大前流心理経済学」(大前研一/講談社)を読んだ。

いつもながらだが、その仮説設定に、どっきりと、なるほどが、満載だ。
私なりに同著を要約すると。

日本経済が直面している人類史上例のないともいうべき深刻は、
日本人固有の心理に起因しているゆえに、その突破口は心理を動かすことである。

そして、そのためにはどのような経済政策が有効か、具体的に7つの方向性を提示し、
世界を再びリードする生活者大国・日本への可能性と道筋を示した書、といえる。

読み解くカギは、個人金融資産1,500兆円にダイナミズムを与える、ということであるが、
このフレーズだけ一人歩きしてしまうと、同著の意図は理解できず、誤解に終わるであろう。

第6章の集団IQの件は、良薬口に苦しで堪えたが、いずれにしても。
参考で終わらせてはいけない、というのが私の読後の所感であり、決意だ。

正しく、政治は生活者に対して、不安心理を解消するような政策を次々に打ち出すべきであるし、
そのためには、常に世界を視野に入れた大胆な仮説思考の訓練が必要であることを痛感した。

明日から又、新たな1週間が始まる。
29日には、12月議会も開幕する。

政治は、心理学であればこそ。
生活者の中へ、生活現場へ、さっそく行動開始だ。


2007-11-24

青野慶久さんに、学ぶこと

日経ビジネス11/26号で、とある記事に目がとまる。

紹介されているのは、地元今治市出身、青野慶久氏。
皆様ご存知の通り、サイボウズの社長である。

同社は、創業10年にして年間売上100億円突破と東証1部上場を果たし、
今や、国内グループウェア業界におけるトップ企業となったわけである。

記事の見出しは、パソコン少年の夢は世界へ、である。
なるほど、写真の笑顔の眼差しからは、まさに少年のようなピュアマインドを感じる。

記事は、パソコンのプログラミングに熱中した小学生時代から書き起こされ、大学時代の挫折と、
松下電工時代の試行錯誤の末の、仲間とのベンチャー起業への挑戦、と夢の足跡を綴り。

そして、元手は親から借り入れた資金と自分たちの知恵だけ、という草創期の奮闘と、
リーダーが去った後、社長となってからの経営の行き詰まりへと、話は続く。

そして、苦悩の彼に、ある転機が訪れる。
というより、見出したというのが正しいだろう、それは。

「真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。」
という、あの松下幸之助氏の言葉であったという。

その言葉こそが転機であった、と。

経営者としての自省を生み、「グループウェアで世界一になる」という真剣な志を立て、
「自社を世界の公器に」との、世界への貢献という壮大にして明確な夢を描くきっかけとなったのだ。

記事は続くが、ここまでとして。

私は、ハッとするのである。
彼は、今治市の玉川出身である。

地方から世界へ、は可能なのだという希望あふれるエビデンスと、
自社を世界の公器に、グループウェアで世界一に、という経営理念・目標の明確さ。

政治が発信すべき、今、最も重要なメッセージは何かということを、明快に示唆している気がする。
生活者が政治に対して最も知りたいのは、将来の具体であり、求めているのは希望であろう。

記事を読んで、政治は、不信から信頼への転機を自ら見出さねばならないと、痛感した。

ちなみに、僭越ながら。
青野社長は、母校・今治西高の8つ後輩にあたる。

理念通り、ますますのご活躍と、世界へのさらなる雄飛を心から念願するとともに、
一人の先輩として恥ずかしくないよう、愛するわが愛媛に貢献してまいりたい、と思う。


2007-11-23

心と背筋が、ピン

午後、公明党愛媛県本部の議員総会に出席する。
同総会は、月に1度開催される定例会である。

今回は、石田衆議院議員・山本参議院議員も参加され、
今後の活動についての方針説明と意思統一が行われた。

それはまさしく、事実上の次期衆議院選挙への出発であり、
常在戦場の緊迫が全身にみなぎる会合となった。

最も大事なことは、私たち公明党の存在意義である。
票は、その結果である。

生活者に対して。

他党ではない、公明党にしかできないこと、公明党だからできること、
その、公明党らしさ、という価値を実感して頂くこと、である。

そのために今、私たちがなすべきは、地域へ、生活現場へ、
自ら足を運んで行う、1対1の対話である、と石田議員は訴える。

そして。

お伺いした様々なご意見を集約し、公明党議員のネットワークを最大限に機能させ、
行政レベルごとにスピーディに対応し、その結果を、確実にフィードバックしていく。

その結果。

このスピード対応は、公明党にしかできない。
これが実現できたのは、公明党のおかげである。
こんな要望に、ここまで親身になって対応してくれるのは、まさに公明党らしい。

そのように言って頂き、感じて頂けること。
つまり、生活者の要望に対して、前進を含めてどれだけ実現させたかという結果。

それこそが、今、私たちが問われる成果であり、次期衆議院選の勝利のホシなのである、と。

その通り、と思うとともに、まだまだの自身を猛省した。

これから皆様に目に見える形での、公明党の新たな活動も始まる予定だ。
その中で、私らしさ、を最大限発揮できるようがんばってまいりたい。

心と背筋がピン、となる議員総会であった。

��写真は、石田祝稔衆議院議員・公明党四国方面議長)


2007-11-22

野口悠紀雄さんを、考えた

昨日から、財政再建というテーマが、頭から離れない。
何からどのように手をつけたらいいのだろう。

一気に、すべて、とはいくまいが、急所の一手というのがどこかにあるはずだ。
というのが、今日の研鑽のテーマとなった。

巷で定評の、「日本の財政」(林信光編著/東洋経済新報社)をひも解く。
豊富な資料と約500Pのボリュームで読み応えがあるし、わかりやすい。

が、テーマがテーマだけに、一気に読破も理解もできるものではなく。
スピード感を持って、じっくりと読み込んで、マスターしてまいりたい。

さて、驚いたのが、この1冊。
「野口悠紀雄の「超」経済脳で考える」(野口悠紀雄著/東洋経済新報社)、である。

同書の主旨は、経済学的なものの考え方を通じて、間違った「通説」を正す、というものだ。
それは、経済学部出身の私としては大いに結構、とばかりページを開いていくと。

「このように、定量的に見ていくと、
財政再建とは、社会保障費をどうコントロールできるかという問題である。」

なるほど、である。
途中までは。

中ほどから、氏の説によるところの「通説」否定の場面が、いくつも出てきた。
そのいくつかを挙げると。

「年金問題解決のために出生率を上げるべきだという議論があるが、それは不可能である。」
「国の借金を家計の借金にたとえて、だから大変だというのは、間違いである。」

「消費税の社会保障目的税化は、原理的に言って不可能と考えられる。」
「人口が少ない社会は豊かな社会であり、むしろ歓迎すべきことなのだ。」(以上、趣旨)

いずれも定量的に根拠を提示しての切り口に、正直、驚いた。

私の視点が第1象限にあるとすると、彼は第3象限ほどに対極の視点を提示し、
おかげで俯瞰するZ軸の存在を教えてもらう格好となった。

つまり、もっと考えろ、である。

彼は、言う。
経済学は、意見が正反対の人がともにノーベル賞受賞者となれる唯一の学問である、と。
それくらい、融通無碍なのだそうだ。

そうしたものの考え方と、定量で本質を掴み取る力の重要性を理解するとともに、
融通無碍なる仮説と検証という思索の連続の中に、財政再建のヒントは必ず見出せる。

そんな、難問に挑戦する勇気とエネルギーを、与えてくれた1冊であった。


2007-11-21

香川大学OB会、初参加

午後、理事者から12月補正予算の説明を受ける。
職員給与改定費、約10億円、の1件のみ。

地方公務員法に基づく人事院勧告を受けての引き上げによるものだが、
一方で、今年度の県独自の職員給与カットは、約45億円だ。
��ちなみに、県議の給与は10%カットを継続中)

ということは、差し引きしても約35億円の給与カットとなり、
まだまだ本来の給与を頂けないという厳しい状況である。
超緊縮財政は、いつまで続くのか。

心までも肌寒く感じながら、夕方から、香川大学OB会に初めて参加させて頂いた。

大学卒業後、転職・転勤などにより、糸が切れた凧のように、
��B会事務局から掌握漏れとなっていた私であったが、

この間、大学OBである地元企業の社長からご案内を頂き、
ようやく母校との糸が繋がったわけである。

ご縁を結んで頂いた山本社長に、心から感謝申し上げたい。

さて、そのOB会。
県内に活躍するOBは、少なく見積もっても100数十名を掌握しているとのこと。

今回は繁忙期も手伝ったのであろう、10数名という少人数であったが、
非常に密度の濃い交流ができ、感激もひとしおであった。

先輩は、どちらに下宿されてましたか?
私は、宮脇町のあの辺。
わしは、屋島寮の1期生よ。

サークルは、どちらに?
ブルーハワイよ。
えー、じゃあ僕の直系の先輩ではありませんか。

話題は止むことなく、当時の風景が次から次へ、ありありと、蘇ってきた。

年齢・肩書きといった裃を脱いで、同じ学舎に学んだもの同士。

そこにあるものは、先輩・後輩という、温かい絆であった。
無条件に受け入れられる、兄弟にも似た親近感であった。

まさに、母校は、母港であり。

帰るべき港が、また1つ。
さればこそ、勇躍さらに、社会へ、明日へ、漕ぎ出す力を得た感あり。

山本社長、そしてご参会の各位にあらためて感謝を申し上げたい。

最後に。
世間は、やはり狭かった話を1つ。

私の2つ後輩にあたる、豊嶋さん。

当時、わが親友の下宿に住んでいた、という。
そして、当時の私を強烈に覚えているという。

いわく、すっかりイメージが変わりましたね、と。
さらに、彼のお兄さんは、私の高校時代の同級生であることも判明。

えー、である。
それって狭くない?である。

そして、豊嶋さんには。
やんちゃだった当時の私のことは、胸の奥にしまっておいて、と願うのみである。


2007-11-20

腑に落ちた、真実

出張続きにて、久しぶりに議会控室に足を運ぶ。
この間の新たな県民相談に動き、いくつかの進展をそれぞれにご報告する。

あっという間に半日は、過ぎ。
夕方、これまた久しぶりに議会図書館を訪れる。

先輩議員が、いた。
12月議会の質問原稿を準備されていた。

いくつかのDVDを借りた後、
がんばってください、失礼します、とその場を辞した。

そこで、今日の本題、というかイチオシのトピックス。

「不都合な真実」(パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン)、
このドキュメンタリーDVDを、ぜひ各位にPRしたいということである。

ご承知の通り、過日、ノーベル平和賞を受賞されたアル・ゴア米元副大統領の、
あの「不都合な真実」の映画版である。

鑑賞の後。

かつて広告業界に在籍した者としては、決して驚くべきことではないけれど、
それでも認識を新たにさせられてしまった。

それは、映像のチカラ、であり、優れたプレゼンテーションの力、に対してである。
強烈なメッセージは、チカラある手段により、ずば抜けて増幅されるのだ。

確かに、同氏の著作はもとより、他の地球温暖化関連本も、何冊か読んだ。
それぞれに挿入された多くの、有名な、真実の、現場写真も見た。

情報としてトレースしていたにも関わらず、この映像のインパクトはどうだろう。
刺さるところが違うというか、まったく質が異なるのである。

腑に落ちる、のだ。
はっきりと。

地球温暖化の進行がいかに危機的かという現実と、
それが不都合であるゆえ決してそれを認めないアメリカ社会の現実と。

そして。
私は信じている。あなたと、あなたの行動を。

主旨だが、その、いかにもアメリカ的なセリフで締める希望あふれるエンディングに、
思わず、しかし気持ちよく、Yes, We Can、と言わされてしまうのである。

このドキュメンタリーDVDは過たず、1つのメッセージを、見る人の、心の奥深くに届けるであろう。
そして、行動を変えるであろう。
もちろん、人種・言語・年齢・性別、その他の属性を問わずに。

ぜひ、一人でも多くの方に見て頂きたいし、
特に、小・中・高校生の若い感性には、ぜひ今の年齢のうちに見させてあげたい。

私と私たちの、次の、なすべき行動に頭を巡らせながら、そう思った。

��写真はDVDパッケージ。ちなみに環境に配慮して、プラではなく、紙。)

2007-11-19

高齢者医療と、これからの地域医療

医療問題の続き、である。

来年4月から、高齢者医療制度がスタートする。
2006年の医療制度改革を受け、高齢者負担の見直しにより医療費の伸びを抑制するためである。

改革をしなければ、と厚労省は、いう。

国民医療費が、2025年度には2006年度の約2倍の65兆円となり、
老人医療費の割合が、その内の実に5割近くまでに膨らむ、と。

その結果、現役世代は負担の限界を超え、制度自体の持続性が危ぶまれる、
というのだ。

しかしながら、この間、医療以外にも、年金・介護保険・税制などの改革を一気に推し進めた結果、
個別では考えられなかった複合的な負担増が高齢者を直撃し、悲鳴を上げている。

それが、先の参院選に示された民意の1つであったろう。
たしかに、医療制度改革の必要性は然りといえども、悲鳴もまた切実なる事実なのだ。

そうした声をもととする公明党の強い主張により、この間、負担増凍結が決定した。
ポイントは、2点ある。

1つは、75歳以上の後期高齢者の一部が新たに負担する予定だった保険料を、半年間
��08年4月から9月の間)免除し、その後の半年間(同10月から09年3月)は9割軽減する、ということ。

もう1つは、70~74歳の窓口負担が2割へ引き上げられる予定だったのを1年間見送り、
現在の1割に据え置く、ということ。

緊急措置とはいえ、かかる財源は1,500億円以上である。
簡単な政治判断ではなかったことを推察すると、ここは一定の評価を頂ければと思う。

とともに、国に対しては、前期高齢者を含めた高齢者医療制度のあり方を、税制を含む
社会保障全体の制度設計という観点から取り組んで欲しいし、私も連携を取ってまいりたい。

そんな中、週刊東洋経済の、とある記事に目がとまる。

患者の中でも特に、後期高齢者をトータルに診る総合科医を中心とした在宅医療という、
これからの地域医療の青写真ともいうべき取り組みが紹介されていた(同誌P100)。

久万高原町を、中島諸島を歩きながら、何となく私がイメージしていたのは、このケースだった。
これにICTが活用できれば、どの中山間地域にも離島地域にも応用が可能だな、と思わず共感する。

今後の議会・委員会活動を通して、積極的にアプローチをしてまいりたい、と思う。

そして。

医療に対する頭のスイッチを切ってはいけないよ、
と、記事の向こうからたくさんの高齢者の声が聞こえてくる、そんな気がした。

2007-11-18

生活者のために、医師を守る

体調を崩したまま、2週連続の上京となり、未だ芳しからず。
ドクターストップを振り切ったツケか。

と、自宅にて少しだけ静養しながら、1冊手に取る。
「貧乏人は医者にかかるな!」(永田宏著/集英社新書)

なんとも過激なタイトルである。

一読したところ、
氏は、現今の医療崩壊の真因は、医師不足であると結論する。

そして、これは地方、あるいは、産科・小児科に限った話ではなく、
2025年までには、全国の、主要な診療科目のほとんどで生じる、
厳しい現実であると、データをひも解きながら指摘する。

では、どのような対策が考えられるか、というと、

医学部の定員を増やすか、
国外から医師を輸入するか、
患者を国外に輸出するか、

という、過去にイギリスで有効とされた3つの例を挙げ、検証を試みるが、
日本においては、いずれも決定打にはなりえない、とし、結局のところ、
4つめとして、患者にならない、という未病・予防の重要性を説いている。

氏の説を、私なりにまとめると。

加速する少子高齢化と、医師不足。
つまり、患者のパイがこのまま増大すると、今後ますます医療資源がシェアできなくなる。

従って、喫緊の課題は、そうした事実を前提とした国民皆保険・健康保険制度の抜本的見直しと、
医療のイノベーションと、健康の自己責任という国民の意識向上である、ということになろう。

医療の現場を知悉する氏の提言は、警鐘を乱打するかのように、心に響いてくる。
重たい読後感は否めないが、大いに、考えさせられた。

生活者を足場としながらも、地元の医療現場をもっともっと歩かねばならない。
そして、政治は、生活者を守るために、何としても医師を守り増やさねばならない。

強く、深く、決意した。


2007-11-17

喧騒から、のどかへ

午前に所用を済ませた後、ここはせっかくとばかり、新橋の「せとうち旬彩館」を訪れた。
ご存知、愛媛・香川のアンテナショップである。

写真の通り、あいにくの外壁工事中であったが、館内は予想以上の客入りであった。

まさに、愛媛特産品の見本市。

特に、日の丸みかんと真穴みかんが並んで売られていたのと、
今治名物・鯛めしのPOPが、私の目を引いた。

中高年のご夫婦が多かったように思うが、その会話から推察するに、
愛媛・香川のご出身、あるいはご縁の深い、都内在住の方々なのであろう。

そして。
彼らにとってここは、ある種、自己確認を行う場所なのかもしれない、と思った。

そして、束の間、銀ぶらの後、一路、松山へ。

喧騒からのどかへ。
帰ってきたその足で、向かったのは、支持者の座談会会場だった。

早速、上京報告をはじめ、1年生議員が見た政治の現場というテーマで、
この半年の活動についてお話をさせて頂いた。

地方はどこも、少子高齢化と格差化によって生じる様々な課題に苦しんでいる。
それに対して、等しく財政難という状況で、有効な解決を見出せずもがいている。

という現実を認識した上で、それでも希望はある、ということをお訴えした。

それは、本当の意味で、私たち庶民が、政治の主役を勝ち取ることだ。
それぞれの社会責任に立った上で、もっと声をあげ、知恵を結集し、強くなることだ。

ということを、事例紹介を通しながら、お話をさせて頂いた。

希望は、ある。
それを1つ1つ、現実にしていく。

その流れを創り拓いていくことが、微力ながらも自身の果たすべき使命に他ならないし、
新人議員としての強みがあるとするならば、この初心のみ、であろう。

皆様とともに、皆様のために、という初心のままに走り続けることを、
温かい支持者の皆様にお誓いし、散会となった。



��写真:左は鯛めしのPOP、右は銀座の歩行者天国)

2007-11-16

道州制をテーマに、集う

東京都内で開催された「第7回都道府県議会議員研究交流会」に、
愛媛県議団11名の一員として参加させて頂く。

600名を一堂に会するコンベンションは、まったくもって壮観、であるが、
その内実は、それぞれに、地方の課題を背負って集う者同志であったろう。

ざわつく中、2部構成の第1部、パネルディスカッションから会は始まる。

道州制をテーマに、中央大学大学院佐々木教授をコーディネーターとして、
政官財民の各界から5名のパネリストによって活発な議論が行われた。

コーディネーターから、道州制論議の背景と理由、
そして制度設計を巡る論点と導入のメリット・デメリットの整理、
及び、今後の課題について、簡単なレクチャがあった。

それを受ける形で、パネリスト各氏の持論が展開されたわけである。

いずれも、それぞれの立場が明瞭に反映されていて興味深かったが、
総論賛成という点において一致していた。

その後、会場との質疑に入るわけだが、ここから一気にヒートアップ。
一言物申す挙手は止むことなく、時間の関係上、6名の質問があった。

道州制推進ありきは茶番だ、とする三重県議の発言が象徴的で、
多くの参加県議の心情は、推進に慎重または懐疑的、であったように感じられた。

そのことよりも、真の地方分権を望む声が圧倒的であったと思う。
つまり、手段である道州制論議を先行させるのは本末転倒である、と。

政府の意向は、2015年頃をメドに道州制を導入したい、とのこと。
あと、8年だ。

しかし、ここは期限提示以上に、それが何のため、誰のためなのかについて、
国民と地方の合意形成をしっかりと行うことが肝要であろう。

私も、このテーマについてこれから更に深く、研究を深めてまいりたい。

さて、第2部は、分科会。
テーマごとに5つのグループに分かれて行われた。

私が参加したのは第5分科会。
テーマは、「議会の政策立案機能の強化について」である。

奇しくも愛媛出身、中央大学磯崎教授のコーディネートにより、最初に、
議員提出条例の立案過程における手法と課題などについてのレクチャがあった。

実務レベルで非常にわかりやすく、トークも巧みで思わず唸った。

そして、わが横田議長が、宮城県議とともにパネリストに挙がり、
それぞれの取り組み事例の紹介を行ったのである。

それを受けての質疑応答では、ここは愛媛が主役とばかり、私も発言をさせて頂いたが、
議会のあり方が今、確実に変革期に入っていることを、あらためて実感した分科会であった。

夜は、横田議長の主宰で懇親会が催され、駆けつけられた山本順三参議院議員と、
水口愛媛県東京事務所長を囲んで、こちらも活発に意見交換を行った。

半日強という短時間ではあったが、実に、有意義な知見を得た研究交流会であった。
すべては県民のために、との視点で、これからの県政発展につなげてまいりたい。







��写真:左から、午前中表敬した愛媛県東京事務所、第5分科会風景、横田議長パネリスト発言風景)