2007-12-30

今治での再会、に感じた

午前、市内をご挨拶回りに伺う。
昨日同様、たくさんの真心に心から感謝があふれた。

午後、今治へ向かった。
目的は、2つ。

高校時代の下宿のおばちゃんのお見舞いと、
同窓の支持者の皆様との懇親会出席のためである。

下宿のおばちゃんの名前は、守屋さん。
今年の夏、数十年ぶりに訪ねたのだが、あいにく留守であった。

ではせめて名刺だけでも、と、当時の御礼メッセージを添えて残しておいたところ、
しばらくして守屋さんの娘さんからご連絡を頂いた。

そして、近くの病院に介護入院していることを知った。
多忙に感けてお見舞いにも行けず、ようやく今日、となったのである。

そして。
お会いできて、よかった。

たしか、守屋さんは大正2年生まれ。
だから、御年94歳ということになるのだが、数十年経っても、面影は当時のままだ。

私にとっては、いつまでも、下宿のおばちゃんなのである。

そして、心配ばかりおかけした当時のやんちゃな私であったが、よくぞ覚えていてくださった。
立派になられて、と目を細めながら、何度も何度も頷きながら。

決してまだ立派とはいえないのだが、おばちゃんの手を取り、私は語りかけた。

立派に高校を卒業もでき、ここまで来れたのは、おばちゃんのおかげだから。
それは、間違いないのだから。

ありがとう、そして、いつまでもお元気で、と。
私は、今できる最高の笑顔で、おばちゃんに手を振り手を振られ、病院を後にした。

感慨の余韻さめやらず、引き続き、懇親会へと向かう。
1年ぶりの、各位との懐かしい再会である。

同郷で、同窓で、同志の皆様とのひと時は、何と嬉しき。

話に花が咲く、という。
ならば、この日の花は、フラワーフェスティバル級であった。

2時間が、あっという間なのである。
あれも話したかったし、これも話したかったのである。

ともあれ、最後は、お約束。
皆で肩を組みながらの、校歌斉唱である。

私の、2回り上から、2回り下まで。

みんな、声がデカイのである。
歌詞の記憶も確かなのである。

そこに年齢は、関係ないのであって、
同郷、同窓、同志という、3同根の絆に万歳、なのである。

かくして、2007年も、終わろうとしている。
これほど感謝にあふれた年はない、感激と激動の1年だった。

今年一番の寒さの中、
来年の、今月今夜の再会を期して、笑顔での散会となった。

��写真は、来島大橋と懐かしい今治市街)


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