2007-12-24

松山総合公園、で考えさせられた

にわかに。
朝から、家内が忙しい。

予感は的中し、午後から子ども2人を任された。
たまには子ども孝行せんか、ということらしい。

さいわい天気もよく、公園に連れて行け、と子らは言い。
言うや否や、の手際よさ。

サッカーボールとバレーボール、ボールとグローブ、なわとびとオモチャ。
って、オモチャはいらんやろ、と思うが、何しろ必要アイテムらしい。

結局、軽い遠足状態となってしまった。
そして向かった先は、松山総合公園。

駐車場から、テクテク、テクテク、テクテク、テクテク。
やっと頂上にたどり着いたと思いきや、そこからは、もう放し飼い状態。

子どもというのは疲れを知らないものだ、と、つくづく思う。

約2時間。

持参した遊び道具で、ひと通り遊んだし、こっちも疲れたし、
さあ帰ろうか、というと、まだダメだ、という。もう、鬼である。

結局、気の済むまでつきあうことにした。
子ども孝行というのは、ヘトヘトと、フラフラで、キツイものではある。

まわりを見渡すと、似たような家族連れがいっぱい。
どのパパたちも、笑顔がヘラヘラと見えたのは私の目の錯覚か。

そういえば。

私が子どもの頃は、ちょうど日本の、高度成長期の真っ只中。
父親と一緒に公園で、などという記憶は1度もない。

かといって、遊んでくれない父親をつまらなく思ったことも一度もない。
むしろ、仕事に一途な父親を、心ひそかに、尊敬していた気がする。

たまに一緒に出かけたのは、会社の運動会とか、花見とか。
家族で、というよりは、会社関連行事への連れ出しが多かった気がする。

そういう時代と、こういう時代と。

私たちの子ども時代と、子どもたちの今と、はたしてどちらが楽しいだろう。
あるいは。

今の子どもたちに、ALWAYS三丁目の夕日、の世界はわかるだろうか。
あの底流にある、日本の、温かさと愛しさを。

ふと、湧き起こったセンチメンタルを制しながら。

あと20年もすれば、この子らが日本を担う主役として躍り出てくるのだ。
それまでに、父親として、社会の先輩として、手を抜くまいと、思う。

私が、父親の、いわばプロジェクトXの時代の先輩方に無条件で敬意を表するように、
私たちの世代も、子どもたちが心打たれるような仕事をやり遂げなければならない。

なぜかならば、かの時代より何倍も、今が、難しい時代であると思うから。
そして、その、今、を担う一人として、日本を次に引き継いでいく一人として。

心して、かからねば。

子どもたちに遊ばれながら、
松山総合公園まで行って考えなくてもいいことを、考えさせられてしまった。


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