2007-12-11

あの時の、あの瞬間の、延長上

月刊誌「潮」を読んだ。

12月号・1月号と、上下で組まれた特集のタイトルは、「公明党を創立」。
公明党の創立は1964年であり、その年はまた私の生まれた年でもある。

そして、いうまでもなく。
わが公明党の創立者は、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長である。

恩師・戸田城聖先生のご構想を胸に、当時の政治勢力と対峙しながら、
大衆とともに、池田会長がどのような思いで、政党結成を決断され実現されたのか。

特集には、
その舞台裏の検証とともに、ドキュメント構成で、知られざる歴史が綴られていた。

池田会長の。

1960年安保闘争時における、岸総理との電話のエピソード。
杉の巨木が描かれた、一幅の日本画に込めた思いのエピソード。

一本の鉛筆をかざして、大衆のための政治を示したエピソード。
将来、国会に会派をつくる時は公明会、との恩師の遺言のエピソード。

初めて知る歴史の壮絶と必然に、私は、大いなる感情に包まれた。
そして、私たちの先輩もまた。

怒りっぽい性格を悩んだ青年時代、その方は、悪に怒る政治家たれ!との激励を受け、奮起の末、それが現実となった。
口利きに金がかかる時代、その方は、お願いに来られた老婆のズダ袋を受け取らず、真心で対応し、その老婆は感涙に咽ばれた。

その方は、政治家に見放された労働者の集まりに飛び込み、戸惑い、そして初めて、大衆とともに、という真髄をつかまれた。
その方々は、伏魔殿に正面から切り込み、冷笑と罵倒の中、し尿処理問題も、食糧費問題も、贈収賄事件も解決された。

池田会長と、草創の名もなき大先輩の方々と。
そこに、どれほど筆舌の苦労と決断があったことだろう。

尽くせぬ感謝と畏敬の歴史の上に、私は、いる。
その責任が、どれほど重く、大きいか。

そして、特集を読み終えて。

ふと、私の原点である青春の1ページが蘇った。
あの時の、あの瞬間の延長上に、私は、いる。

ゴールを見失わず、間違わず。
ただひたすらに、精進あるのみ、と誓った。

0 件のコメント:

コメントを投稿