2007-08-31

8月の終わりに

盛んなる夏は、過ぎ。
午前、久万高原町へ。

お会いしたのは、戦前生まれの地元壮年のお一人。
そのお申し出による、河川被害の土砂崩落現場を視察。

所有する田畑と水路が抉り取られるように崩落したのは、約15年前。
諸般の事情によるも、15年もの先送り案件であった。

早速、県庁へ移動し、視察内容を踏まえ、所管部局に申し入れを行う。
積極的かつ協力的な見通しを確認し、安堵する。

というような部局折衝が、今日は4件。
新人としては体当たりであり、すべて勉強だ。

4件のいずれもだが、
折りしもの財政難は、行政すべてに取捨選択を強いることを痛感。
巨額な借金をいくら嘆いても、前には進むべくもなく。

件の壮年は、語る。

大事なことは、わが町をわが家庭に置き換えて感じる、当事者意識だ。
これを、みんなが持てれば、町の窮状も閉塞も、必ず打開できる、と。

その通り。

どこであれ家計が赤字であれば、まずは借金返済計画を立て、
それに基づいて、支出を切り詰め、収入を増やす努力を惜しむまい。

できるかできないか、ではなく、するかしないか。
その意味で。

壮年のお話で印象に残ったキーワードは、辛抱、そして、知恵、である。
今の現役世代は、辛抱することと、知恵を出すことに、努力が足りない、と。

グサリ、応えた。

必死でないと生きていけない時代と、何となくそれでも生きていける現代と。

戦前生まれの過ぎこしご苦労に最敬礼しながら、未来を受け継ぐ一人として。
これからは、想像力の時代だ、と、ふと思った。

人に対して、地域に対して、社会に対して。
他者ではなく当事者として、想像し感受できる、そういう個人と団体と社会のみ、
次代を拓くことが可能であり、強力な磁場となって歴史をナビゲートするのであろう、と。

おやっ、と見る足元に、こおろぎ発見。
8月の終わりに、こちらは、秋到来のナビゲーターである。

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