2008-05-19

わが先達の、1篇の詩に思う

週初めの今日は、終日、政務。
また、明日からの出張の準備と。

で、先日。

久々に読んだ1冊は、
��教育3.0 誰が教育を再生するのか?」。

国語作文教育研究所所長の宮川俊彦氏と、
ミスター文部省こと、寺脇 研氏との対談集。

その中に出てくる、あまりにも美しい、
��ゆずり葉」という1篇の詩をもって所感に代えたい。


作者は、
河合 酔茗(かわい すいめい)という明治の詩人。

その全文を、紹介したい。

『 子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。

このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってーー。

子供たちよ。
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。

太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。

幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどーー。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。

みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。 』

彼が永遠に留めんとした、
溢れんばかりのこの国の未来への愛情を、

平成の私たちは、
どれくらいの感情をもって受けとめることができるだろう。

教育が人を創り、人が国を創り、国が未来を創る、のだ。
いくつもいくつも、ゆずり葉ゆずる、時間の中で。

政治の決定的重要性を、あらためて覚悟させられる、
わが先達の、1詩であった。


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