2008-03-22

60年前の松山の、闘士に学ぶ

終日、党務。
ということで、書き出しに苦労する。

その中で、伺ったこんな話。

戦後間もない、昭和23年。
まだ、アメリカ軍が日本に駐留していた頃、である。

松山に、シャールズ中佐という方が着任されたという。
そして、中佐がまず目にしたものは、汚い“お堀”の姿だった。


そこには、ボウフラが湧いていた。
悪臭を放っていただろう、さぞ見苦しかったことだろう。

当たり前である。
焼け野原の中で、生きるのに精一杯の時代なのである。

中佐は、すかさず指示したという。
“お堀を、埋め立てろ!”と。

しばらくして、当時の地元議会は、
これを満場一致で決議したという。

ほとんど占領下の日本である。
仕方がないではないか、という気持ちであったろう。

ところが、それに猛反対したのは、他ならぬ地域住民であった。

“何をいうか!お城とお堀は一体ではないか!
 断じて、認めるわけにはいかない!”と。

いつの世にも、リーダーは存在するものである。
住民の声を聞いた、岡江さんという弁護士が、悠然と立ち上がった。

その気骨は、筋金入りだった。

かつて昭和19年、時の最高権力者である東条英機に対して、
2回も弾劾書を提出した、命さえ顧みない闘士の人、だったのである。

岡江弁護士は、地元紙に糾弾の投書を掲載しながら、
その足でシャールズ中佐を訊ね、堂々と反対を訴えたという。

中佐は、“それは、あなたがたの民意ではないか!”と、
議会の議決をもって、岡江弁護士に切り返した。

岡江弁護士は、してやったりであったろう。
“では、あなたは民意に従う、という理解で宜しいですね!”

その後、再び議会が開かれ、お堀埋め立ての件について、
先の議決が取り下げられることとなったのである。

勝ったのは、住民であった。

さて、この史実は、何を物語っているだろう。
それは、勇気こそが社会を変える、ではなかったか。

郷土の先輩である岡江弁護士の戦いに、学ぶならば。
それは。

わが身を投げ打ってでも、民意を声に出して戦う勇気を持て、
であろう。

しっかりと心に刻み、自身の使命を果たしてまいりたいと思う。

��写真は、上品な芳香ただよう白木蓮)


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