2007-09-29

ピュアに交われば

どんよりとした秋冷の本日は、娘の運動会の日であった。
関係者へのご挨拶を兼ね、寸刻、出席する。

心が洗われる、そんなひと時であった。

4歳~6歳の子どもたちの、無邪気に踊り、歌い、走る姿は、
この上もなく愛らしく、もう、無条件に、社会の宝もの、と思う。

階上から運動場を見下ろすと、さながら、宝石箱のようだ。

何色にも染まらず、疑わず。
純粋で、澄み切った、その瞳と、心。

どこかのCMではないが、その価値、プライスレス。

惜しむらくは、全世界の子どもたちに、等しくこの光景を、と思う。

時を同じくして、生死の狭間で生きることを強いられる子どもたちがいる。
そういう現実に思いを馳せると、言いようのないやるせなさが込み上げる。

眼前の賑やかさに、そう思ったのは、私だけだったろうか。
ふと、子どもたちを前に、何かスピーチするなら、と考えた。

“おじさんは、議員というお仕事をしています。

それは、できるだけ困ったことが起きないように、いろんなことからみんなを守り、
できるだけみんなの願いが適うように、お手伝いをするお仕事です。

そして、みんなが大きくなったときに、愛媛に生まれて育ってよかった、ありがとう、
そういうふうに言ってもらえるように、そのために今できることをがんばるお仕事です。

おじさんが今日、お話したことは、みんな大きくなったら忘れているかもしれません。
でも、みんなが大きくなったら、きっと今のおじさんと同じ気持ちになると思います。

20年後と、30年後と、その先は、
愛媛のことも、日本のことも、世界のことだって、
まぎれもなく、みんなが担っているのですから。

ちょっと早いけど、そのときのみんなに、おじさんは、宜しくお願いします、と言っておきます。

そして、今日、一生懸命がんばってくれたみんなに、心からありがとう、
と、この運動場よりもいっぱいの感謝の気持ちをお伝えして、おじさんのお話を終わります。”

気恥ずかしくも、こんな感じか。

ピュアに交われば、ピュアになるのである。
政治という日常の中で、本当に、心が洗われた1日であった。


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