2010-08-01

南加愛媛県人会創立100周年記念訪問②

ロス市内のホテルにて、AM11:00。

県人会・現地関係者約200名、訪問団約100名、
総勢約300名が会場を埋め尽くす壮観の中、

今回の最大の記念行事である、南加愛媛県人会
創立100周年記念式典が、盛大に挙行された。

日米両国国歌斉唱、先亡者への黙とうに続いて、
松岡県人会会長の開会の辞は、


故郷との絆、文武両道の精神、など

日本人としてのアイデンティティによって支えられた
100年という道のりに対する感謝と、

次世代の更なる交流発展を祈る万感にあふれていた。

加戸知事からは、

英訳するとラブリープリンセス、と言えなくもない、
当意即妙の本県紹介を交えた心温まる祝辞が述べられ、

在ロサンゼルス日本国総領事館の伊原純一総領事からは、

南カリフォルニア地域の経済産業の概括と、
日系コミュニティが占める地位等について触れた上で、

100年前、最初に井戸を掘った人を忘れてはいけない、
との最大の敬意と、心からの祝福が寄せられた。

続いて、県人会のこれまでの沿革紹介の後、
昼餐会、いわゆる懇談へと式典は進んでいったが、

同席の県人の皆様と会話しながらあらためて痛感したのは、
若い頃、英語をマスターしておけばよかった、との後悔。

昨今では、英語を社内公用語にする企業が増えているが、
グローバリズムの今後を想定すると、

複数の外国語が話せて当たり前、という時代の本格的な到来を、
ひしひしと肌で感じるひと時であった。

それにしても。

ロスでは今、龍馬伝が大人気で、ぜひ土佐に行ってみたい、
という方が多く、龍馬フリークの知識の豊富さに、驚いた。

国営放送が在外国日系邦人に与える影響の大きさ、即時性が
ここまでスゴイとは、と実感した。

さて、数々のプログラムをもとに滞りなく式典は進み、
最後に、出席者全員で「ふるさと」の合唱となった。

忘れがたきふるさとを想い、目頭を押さえながら、
涙をぬぐいながら歌われる県人会の皆様のお姿を、

目頭熱く、まぶたに焼きつけようと思った。

感動の余韻を残しながら、その後、私たちが向かったのは、
リトル・トーキョーにある全米日系人博物館、であった。

(全米日系人博物館)

ここで私たちは、県人会のみならず、日系移民の、
壮絶な歴史を目の当たりにすることに、なる。

同博物館は、
日系アメリカ人の歴史や文化を伝承・展示しており、

収蔵の品は、
彼らの工芸品・服飾・写真・芸術など、10万点以上。

初期の移民の多くは独身男性で、
家事手伝いや鉄道工夫や単純労働などから始まり、やがて、

写真によるお見合い結婚などで妻を日本から呼び寄せ、
次第に日本人移民家族が西海岸地域に増加していったという。

そうしてようやく安定しつつある軌道を“絶望”に変えたのが、
真珠湾攻撃によって始まる第二次世界大戦であった。

日系人は敵国人とみなされ、彼らは私有財産を没収され、
強制収容所へと送還され、不当な差別と生活を強いられるのである。

説明者の解説や、館内の映像、写真、生活道具などを通して、
当時の悲惨な収容所生活の様子が、痛切に、伝わってきた。

そういう状況にあっても、彼らは希望を失わず、

アメリカ史上もっとも多くの勲章を受けた部隊と言われる
有名な「第442連隊」を輩出させ、

戦後、
激しい偏見や社会の受入れ拒否という状況にあっても、

努力を惜しまず、ついには「模範的マイノリティ」として、
アメリカ社会から称賛される現在の地位を築かれた、のだ。

解説者のメリーさんは、この私たちが歩んだ歴史と事実を、
記憶していてほしい、と私たちに対して切実に訴えられた。

日本人と、ますます全世界に広がりゆく日系人との“絆”
について考えることは、

こうした不幸な歴史を繰り返さないために極めて重要、
ということを心に刻むとともに、戦争ばかりではなく、

自殺者が絶えない状況に象徴される今の日本にとって、
家族や地域における“絆”がいかに重要であるか、

今こそ見直し再構築することが急務、との確信を深める
貴重なひと時となった。

こうした出会いや機会に感謝しながら、
しっかりと自身の役割を果たしてまいりたい、と思う。


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