2008-04-07

大自然の町、コスモポリタンの街、それは同じ国

なんという、五月晴れ。

春本番を感じさせる本日は、
終日、党務にて西予市へ。

どこもかしこも、桜が満開。
五右衛門でなくとも、絶景かな、絶景かな、である。

聞こえてくるのは、小川のせせらぎ、うぐいすの鳴き声、
香ってくるのは、木蓮や水仙や、そして、土の香り。

余分な音、人工的な匂いは、何もない。

あるがままですが何か?
とでも言われそうな、大自然の堂々、を感じる町。

東京と比べると、これが同じ国か、と思う。
そんなわけでついつい、の、上京ネタ第5弾。

最終日の夜、私の古巣である広告会社の先輩方と会食した。
といっても、サラリーマンの町・新橋の小さな居酒屋である。

新年度になって初めての金曜日ということもあったろう、
新入社員の歓迎会ということもあったろう、
とにかく路地という路地は、凄まじい人いきれ、であった。

で、飛び込みでお店に入るのだが、どこも満杯。
10軒近く断られ、ようやく腰を落ち着けることができたのだが。

これがまた、会話が掻き消されるような、店内の騒々しさである。
味付けも、基本的に、濃い。辛い。

さても、この街に限っては。

静けさって、何ですか?
暇って、どうしてですか?ということか。

そんな状況の中、久しぶりの先輩方と、盛り上がった。

近況交換から始まり、最近の業界動向や経済情報、
はたまた下世話な話まで延々と、お店を変えながら転々と。

そして、盛り上がりとは別の感性で、ふと気づいた。
東京は、いつから、コスモポリタンの街になったのだろう、と。

どのお店も、少なく見積もって、1/3は外国人だったし、
六本木では、昼間出会う人の多くが、中国語と韓国語を話していた。

急に、そうなったわけではない、徐々に、あるいは、知らず知らず、
今、気づいたというところに、重要な示唆を、感じてならない。

スケールはまったく異なるが、そういえば、
松山でも今治でも、外国人を見かける頻度が多くなったことに、気づく。

このことは、これからの私たち地方の与件とすべきであろう。

ともあれ、次回を期しながら。
終電タイムに合わせて、先輩方と散会したのが、3日前。

そして、今日。
終日、西予市の広大な大自然を走り、様々な方と対話を交わしながら。

それでも。
ここは同じ国なのだ、と思うし、ここはこれが個性なのだ、と思う。

その個性を輝くものにするために、私たちが今なすべきは何なのか。
どうすれば、この町の将来に、持続可能な発展がもたらされるのか。

風に舞う、桜の花吹雪を目で追いながら、
“昔、ある人が、その昔にもある人が、あなたと同じことを言ってたよ”、

そんな声が聞こえるような気がした。

妄想?ではない、
あまりにも雄大な大自然の前では、わが身の凡夫を受け入れるのみ、なのである。

��写真は、西予市の、収まり切らない大自然の、一部。)


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