2007-11-09

有限、を思う

チュン、チュン。
かわいらしい、すずめのさえずりで目が覚める。

出張帰りの本日は、事務仕事を午前に終え、午後は企業を訪問する。

各社ともそれぞれに多忙な中を、笑顔でご対応頂き、本当にありがたい。
近況を交換しながら、民間企業の厳しさと逞しさを、ともに感じさせられた。

夜は、出張不在中に葬儀が行われた支持者宅を、1軒1軒弔問に伺い、
参列できなかったことのお詫びと、お悔やみを申し上げた。

亡くなられたある老婦人は、私の選挙のときに、
元気なお姿で御粧しをして、杖をつきながらも揚々と、投票に向かったという。
その後、体調を崩され、最後の1票であったと。

ある壮年の方は50代の若さで、持病の治療入院中の突然だったという。
また、70代の壮年の方はガンではあったが、最後は眠るように安らかだったという。

ご遺族の、それぞれの悼みに心を重ねながら。
悲しみを乗り越えて、新たな1歩を力強く踏み出されんことを、心よりご祈念させて頂いた。

誰人たりとも、生老病死を免れない人生にあって。
有限、ということを思う。

それが普通、と感じているすべてのことは、実は限られているのだ。

そう思うとき、それは、有り難いことに違いない。
そこに感謝が生まれるに違いない。

そして、生活者が普通に暮らせることの、有り難さの実現が、政治の使命なのだ。

弔問を通して。
自身の限られた人生の中で、果たすべき使命というものを深く学ばせて頂いた。


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