2008-08-20

離島を結ぶ町、上島町を訪ねて

午後、上島町・弓削に到着。

“今度ゆっくり行かせてもらいましょーわい”、
と、8/5のブログに綴ったが、

そんなゆるーいお約束を交わした時本さんを訪ねて、
の日帰り旅だったが、

全国でも極めて珍しい、離島を結ぶ町、
という、上島町の視察が主題、でもあった。


おとなりの因島で生まれた私にとって、
弓削は同じくらいに、懐かしさと親近感を感じる、島。

よく松原に泳ぎにいったし、
釣り、といえば、
伝馬船で百貫島にいったことも懐かしい。

周辺の島々の多くの方が、因島の造船関連で働き、
ちょっとしたショッピングは因島で、という時代であった。

だから、幼いころは、弓削や生名が、なぜ愛媛県なのか、
実際は広島県じゃのに、と、不思議に思っていたものだ。

そんなことを回想しながら、
因島の家老渡(かろうと)からのフェリーに、車で乗り込んだ。

面白いなぁ、この船、バックで進行しよる。
と、思う間もなく、弓削へ到着。

時本さんは、待ってくれていた。

“ほまれクン、お久しぶり!”

論語ではないが、
父の友あり、というのは、また楽しからずや、だ。

最初に、時本さんのご自宅を訪ね、

昨年お亡くなりになったという奥さまのご仏前に、
お線香を上げ、追善の祈りを捧げさせて頂いた。

そして、時本さんの。

この間のご苦労をつぶさに伺いながら、
心から労う思いで、お話をさせて頂いたのだが、

同時に、政治が解決しなければならない課題を、
自身の宿題として与えて頂いた気が、した。

束の間のお邪魔の後、早速、弓削を1周することに。

まずは、上村町長表敬で庁舎を訪ねたが、
あいにく東京へご出張とのこと。

では、と車を走らせる。
思いのほか、道がよい。護岸も、よく整備されている。

するすると、弓削大橋をわたる。
全長980mだから、あっという間、で、ちなみに無料。

佐島では、同島と生名島を結ぶ生活の足、生名橋を、
2010年完成を目標に、着々と工事が進められていた。

あとは、生名島と岩城島を結ぶ岩城橋が完成すれば、
4島をつなぐ上島架橋事業は完成、

なのだが、
現時点では、岩城橋の着工年は未定である。

引き返しながら、今度は弓削の支持者宅を、訪問。
あるお宅で、奇しくも、その、岩城橋の話となった。

同じ町なのに、車で簡単に行くことができず大変不便、
早く岩城橋を完成させてほしい、とのこと。

ちなみに、彼らが車で行く岩城島へのルートは。

弓削からまず、県境をまたいで因島に船で渡り、
そこから生口橋をわたり、

今度は生口島から船で渡って、県境をまたぎ直し、
ようやく岩城島に到着、という広島県経由ルート、なのだ。

料金も1回3000円強、必要となる。
同じ町内で?である。

周辺の島々を結んでくれていた汽船会社が、
本年6月に運航が休止となり、こういう状況になった。

その他の要望もあるが、一番に望むことはそれじゃけん、
ぜひ県で何とかしてほしい、ということであった。

愕然とした。
実体経済の、囚人のジレンマ、を思った。

さあ、どうする。

約4時間の滞在で、2つの島をぐるり巡る中で。

受け止めた課題を、離島全体に、僻地全域に敷衍したとき、
それはあまりにも難題、といわざるを得ない。

往路のフェリーでは、あれほど盛り上がった気持ちが、
復路では、とてもシビアな心境に変わっていた。

けれど。

私が乗るフェリーを、ずっと見えなくなるまで、
手を振って見送ってくれる時本さんを見ていると、

できるかできんかじゃない、
やるかやらんかじゃ、

とまた、強い気持ちが込み上げてくるのであった。

上島町視察を同行頂いた時本さんに、感謝の気持ちを込め、
私もまた、見えなくなるまで、手を振り続けた。

��写真中央:手を振り続けてくださる時本さん。)


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