2008-08-05

弓削からの、1本の電話

午前、県民相談。
午後、企業訪問。

今日は、
夜かかってきた、1本の電話の、話。

“ほまれクン、元気にしよる~?”

声の主は、
上島町弓削の時本さん、であった。

“うわっ、お久しぶりです~!”

10年ぶりか、
いや、思い出せない、ほどであった。

私にとって懐かしい時本さん、というのは。
亡き父の、当時の会社の同僚、である。

当時の2人の年頃でいうと、
ツレ、であり、ダチ、であった。

ちょうど高度成長期にあたる、時代。

私が生まれた因島は、日立造船が全盛を迎え、
関連産業も活況を呈していた。

人口は、5万人を超えて、
因島史上、おそらく最盛期であったその時期、

今思えば、
家族連れの会社行事が、何と多かったことか。

花見や、ボーリング大会や、
秋の運動会や、お祭りや。

本当にあちこちよく連れていかれたし、
家族ぐるみでのわきあいあいは、楽しかった。

いろんなことができて、大人っていいなぁ、
ボクも早く大人になりたい、ナンテ思ったものだ。

その頃、どこにいっても、
私を連れて遊んでくれたのが、時本さん、だった。

小学校の低学年の、ある時、

“ほまれクン、肩車しちゃるけん、
ほれ、おじちゃんの頭を跨いでみ。”

と、言われるまま、担がれると、

びっくりするほどの高さから、風景が、見えた。

一瞬、人だかりの周囲の視線が、集まった。

すっげぇ、というのと、
怖―い、というのと、

それ以上に、恥ずかしーい、

と思ったことを、今でも覚えている。

以来、父が亡くなるまで、そして亡くなった後も。

私が、中学・高校・大学時代、社会人となってからも、
ことあるたびに、駆けつけてお世話をしてくれた、恩人、なのだ。

その時本さんから、私に電話があった理由は。

“実は今日、参議院議員の山本ひろしさんにお会いしたんよ。

山本さん、えらいねぇ、わざわざ、弓削にまで来てくれて、
おじさんみたいなもんにも、気さくに話をしてくれてねぇ、

ほんで、一応、ほまれクンも公明党じゃけん、
知っとるかなぁ?と思おて聞いてみたら、

よぉく知ってますよ、言うけぇ、びっくりするやら、感動するやら、
で、もう思わず、ほまれクンの声が聞きとうなってねぇ。”

と、いうことだったのである。
ありがとう、時本さん。

ちょうど、その日の山本ひろし参院議員のブログに、
弓削での集会の様子が、写真とともにアップされていた。

いた。
時本さん、だ。

その表情は、昔さながらの快活な笑顔だが、
体全体には、幾分の歳月を、感じさせられた。

“おじちゃん、私も、今度ゆっくり、
弓削に行かせてもらいましょうわい。
暑い日が続くけど、それまで、お元気で!”

時本さんのように。

広い広い、この愛媛で。

あちこちにいらっしゃる、私がお世話になった大切な方々を、
命ある限り忘れまい、絶対に忘れまい。

電話を終えて、しみじみと、あらためて決意するのであった。

��写真:右から、若き日の時本さん、と私。)


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