2008-06-09

かけがえのないものへの、温かな眼差し

終日、県民相談。

部局をハシゴし、市内を回る中で、
かけがえのないもの、について考えさせられた。

100円の価値、の大きさ。
少数意見、の重さ。

生活価値の、大小軽重は、
決して杓子定規では計れない。


そんな当たり前を、
かけがえのないものへの温かな眼差しを、

政治は忘れてないだろうか。
世の中は失っていないだろうか。

綴るのもつらいが、
昨日、秋葉原でとんでもない事件が起きた。

人間の命は地球よりも重い、はずでなかったか。
慙愧に耐えないし、許せないし、悔しい。

被害者、ご家族、関係者の皆様に、
心よりご冥福をお祈りすると共に、決意したい。

悲劇を2度と繰り返させない社会になること、を。

これから、事件の原因究明が進んでいく中で、
社会的な誘引因子と課題が浮き彫りになっていくだろう。

教育のあり方、労働の価値不全、コミュニティの不在、
日常のバーチャル化、人間性の喪失、というふうに。

それらは取りも直さず、日本と日本人の将来にとって、
きわめて重要な政治課題である。

冒頭に戻るが。

100円玉1つ、1,000円札1枚で、圧迫感を感じ、
また、一喜一憂する生活者がいらっしゃる、ということ。

お会いすれば、それがどういうことか、
国会議員にも、官僚にも、肌身で伝わってこよう。

誤差のような小さなこと、ではない。
単に、経済的弱者のことでもない。

かけがえのないものへ、温かな眼差し。

何の議論よりも先に、政策決定の前に、政治家は、
自身の胸のうちに、その確かさを問わねばならない。

どこまでも、生活者が、起点。

そこから出発し、そこで考えたことを実行し、そこで感じる。
その繰り返しを、使命ある限り、自身に課してまいりたい。

��写真は、昭和46年発行の100円玉。37年間巡り巡って、今は、私のところ。)


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