2008-01-29

格差社会は、分断社会

県民相談、種々。
心が重たくなるときも、ある。

最近読んだ潮2月号の記事もまた、重たいテーマであった。
タイトルは、格差社会が生んだ“影”。

ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・プランナーの、
三浦展(みうらあつし)氏による寄稿記事である。

もはや否定できない、事実としての日本の格差社会は、なぜ生まれたか。
彼は、アメリカ型のネオリベラリズムを受け入れたことを主因に挙げる。

それによって、新たな階層集団が出現し、その現象を、彼は、下流社会と名づけた。
が、所得が低い人々が増えた、という下層社会を指しているのではないらしい。

下流社会と名づけ、彼が提起したものは。

あくせく働いて年収500万円を稼ぐより、300万円でもいいから楽に人生を送りたい。
そんな価値観をもつ人、総じて人生への意欲が低い人、が増えてきた現象であった。

そういえば、と気づかされる。

同著が上梓されたのは2005年だが、その少し前、失われた10年の間に、
私の回りでもこうした価値観が広がりつつあるな、ということは感じていた。

さすが、若者の価値観研究を続けてきた、元アクロス編集長である。

話しを戻すと、その下流社会、あるいは生じた格差社会について。
問題は、労使あるいは正社員・非正社員の分断による日本人としての一体感の弱体にある、と。

たとえば。
フリーターを怠け者と思う正社員と、つまらない仕事を正社員はよく我慢してやってるな、と思うフリーター。

本当は、同じ時代の中を互いに苦しんでいるという共感を持つべきなのに、そこに接点がないという現実。
その通り、と思う。

そこここに大きな溝を生む格差社会は、換言すると、分断社会といえそうだ。
正規雇用と非正規雇用、都会と地方、高齢世代と現役世代、そして、政治と庶民。

不満とか、不信とか、対立という、この溝を、どのように埋めていくか。

そして、その溝は。
どのような共感を成立させるかという、他でもない政治課題である、と痛感する。

マーケティングが事実と仮説から出発するならば、
生活者が直面する様々な困難の事実から、政治はどのような仮説を立てるか問われていよう。

今日も、自身の宿題の重さと大きさを思うばかりであった。


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