2008-01-11

大阪を感じ、思ったこと

夜、北条にて、支持者の集いに参加させて頂く。

今年もがんばります、ますます働いてまいります、との思いを込めて、
また、祈りながら、お一人お一人にご挨拶をさせて頂いた。

その後、ある壮年の方との懇談の機会を得た。
結論からいうと、有難い、のひと言である。

ナゼか。
政治に、公明党に、そして私たち議員に、期待してくれているからである。

耳の痛い話、手厳しい話ほど、議員は自ら足を運び、求めて聴かなければならない。
そして、その中にこそ、政治における課題解決のヒントがある、と私は確信する。

もとより、民主主義という社会は、多様な意見を許容する。
もっと直接的にいうと、ものごとには必ず、反対意見がある。

その場合の意思決定は、議会政治では多数決というルールを定める。
ルールに基づいてどのように多数を形成するか、それを決めるのは民意であり、手続きは選挙である。

返す返すも、政治の出発点は民意であり、ゴールもまた民意でなくてはならないのだ。

だから、私たち議員は、民意がどこにあるのか、何が民意であるのか、
アンテナを高くして、研ぎ澄まして、日々キャッチしなければならない。

壮年の方のお話を伺いながら、そんなことをまず思った。

さて。

その方は、大阪のご出身。
そして大阪は、私の原点。

青春の一時期を過ごし、熱く濃い、その凝縮された月日の中に、
今、議員をさせて頂く私の原点が、ある。

そして言うまでもなく、大阪の人は、実にストレートなのである。
ストレートを文化とするコミュニティが、大阪人を形成しているともいえる。

それは、ぶっちゃけ、ぶっちゃけさせられるコミュニティであり、
その一員となったとき、これほど居心地のよい世界はない、という社会である。

極めて独断と偏見の、私が実感する大阪観なのであるが、それはそれとして。

大阪から四国に帰ってきた当時、私は、四国の日常のすべてが何となく嘘くさく、
とにかく物足りない、中途半端さと違和感を、激烈に感じたことを覚えている。

壮年の方のお話の根底に、あのときの私の気持ちが重なって見えた。
すっかり四国人となった私も、このひと時、思わず大阪マインドが復活した。

勉強も経験も足りないことは承知の上で、率直な意見を披瀝した。
あるいは、ダメだ、と思われたかもしれない。それでもいい、と思った。

しかし、これが第1歩であり、対話のラウンドの継続と、
頂いた議員としての宿題の実行を、固く、心に期した。

ある人は、それを丸だと主張し、
別のある人は、それを四角だと主張する。

はたしてそれは、丸か、四角か、どちらが正しいか、という議論に対して、
それは議論が間違っている、といえるかどうか。

円柱であれば、いずれも正解なのであって。
円柱は是か非か、というのが正しい議論だといえるかどうか。

生活の課題解決を担う政治は、その知恵と勇気が試されている。
壮年の方から、そのことの大事をあらためて教えられた。

ゆえに有難い、と思うのである。

��写真は、身近な円柱といえばコレ、スティックのり)


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