2008-01-10

当たり前が、当たり前になるように

午前、企業訪問の後、終日にわたり県民相談対応。
時間に追われ、気づくと日が暮れていた。

さっき、日が昇ったのに、というのはオーバーにしても、
それくらい最近は、1日の経過を早く感じるのだが、さて。

ひとくちに県民相談といっても、内容は実に、千差万別・多種多様だ。
苦情も、ご要望も、生活の万般にわたるだけに、当たり前ではある。

ゆえに、それに対応する行政サービスも多岐にわたる。

そして、その行政サービスの適切な執行のためには、当然ながら、
それぞれの法務・専門知識を有した職員スタッフが必要となる。

その結果。

高度な専門スキル集団が、個々の案件の窓口として、私たちの目の前に現れる。
タテ系の、大きな行政ミッションのもとに、実に見事に細分化されながら。

数えてみると、その数、300強。
これは、県庁にある窓口(係等)の数である。

今、理屈を並べた。
言いかえると、行政から見た、組織構成の根拠説明である。

では、生活者の皆様から見ると、どうか。
非常に、わかりにくいのである。

何かあったとき、どこへ訊ねたらよいか、わからないのである。
今日、あるご婦人から、そんなご指摘を頂いたのだが、その通りなのである。

300ある中から、相談内容が該当する窓口1つを見分けるのは、至難であり、
至難なことを強いる行政サービスであってはならないのである。

また。

そんなことも知らないの、と思わず感じさせられてしまうのが、つらい。
相談先に行き着くまで何度も電話をかけ直すが、それもこちらの努力?と思うと、つらい。

その他にも、生活者の皆様が感じている具体的な、つらい、をいくつもお伺いする中で。

上位のタテ割りからつじつまの合う話は、今までの話。
これからは、生活現場からつじつまの合う話にしていかなければ、と強く感じたのである。

1人の生活者を基点として。
その当たり前が、当たり前になるように。

地方分権も、道州制も、そしてこれからの政治は全て、そこから議論を重ねなければならない、
ということを痛感させられた。

してみれば。

今日のご婦人のご指摘は、小さいかもしれないけれど大きな、重要な政治イシューといえる。
有難く、かつ、真剣に受け止めさせて頂くとともに、改善と改革へのさらなる努力を、と決意した。

��写真は、県庁正面入口横にありながら、今日まで気づかなかった、だいだいの木。)


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