2008-02-10

お互いにエール、な1日

懐かしい大学時代の親友から、電話あり。
転勤が決まった、という。

6回め?7回め?もうこれで何回目だろう。
転勤族とはいえ、ご家族にとってはさぞ大変であるに違いない。

そんな切り出しから、ずいぶん、長話となったのである。

大学時代、私たちは軽音楽部に所属し、彼が部長、私が副部長というコンビで、
私からいうと、おそらく、もっとも多くの時間を共有したのが彼、なのであった。

おそらくついでに言うと、巧妙な隠しごとは、お互いバレバレ、なのである。

そんな彼は、熊本出身の、文字通り、あるいは絵に描いたような、肥後もっこす。

浪人しているから、実際は私より1つ年上。
入学当初は、その微妙な距離感がつかめず困ったことを憶えている。

1番の思い出も、2番目の思い出も、はっきりとあるのだが、
とても公開できるようなレベルではないので、ひっそりとしまっておくが。

3番目の思い出は、夏休みに、伯方島の私の家に遊びに来たときのことである。
彼は、私の母親となぜか会話が弾み、そして、私に、言うのであった。

女の細腕で大学に通わせてくれる母親を大事にせなアカンぞ、と。

彼は、大体からしてこの手の教えを説きがちなキャラではあったのだが、
このときだけは、妙に、せやなぁ、と腑に落ちたのであった。

当時、ご両親が健在だった彼からすれば、私のところのような母子家庭、というのは、
それはそれで、考えさせられるところがあったのだろう。

ちなみに私の母は、その当時のことがずっと印象にあって、
��さんは素晴らしい、というイメージが完璧にインプットされているのである。

大学を卒業してからも、東京で、大阪で、兵庫で。
機会があるたびに、彼とは旧交を温めてきた。

それぞれ、いろんなことがあったなー、お互いどん底も多かったなー、と思う。

一番、最近会ったのは、昨年、私が出馬した統一地方選のときである。
彼は、忙しい中、わざわざ福岡から、選挙事務所まで駆けつけてくれたのであった。

つかの間の会話の後。
遊説カーに乗り込み、マイクを握り、手を振る私を見送りながら、それ以来ご無沙汰している。

後日、先輩議員が教えてくれた。
遊説カーの私を見送りながら、彼は、男泣きに泣いていた、と。

そして、先輩議員は、こう続けられた。
木村さんは、いい友人を持ちましたね、と。

その話に、私もまた、涙したのである。
思い出しても、有難い、のである。

長電話のはざ間で、ふと、そんなことを思い出しながら。

世知辛い世の中にあって、本当は、こうした、有難さ、がいっぱいあることを。
誰もが信じられる社会に変えていくのは政治の仕事なのだ、と思わず、力が入った。

とはいえ、当時と変わらぬ私たちの、軽口でタメ口調の長電話にあっては。

この辺のビミョーな心のひだは、
そばにいた家内でさえ、微塵も気づけなかったであろう。

ともあれ、お互いにエール、な1日であった。

��写真は、大学3年時の、左が私、右が彼。)


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