2008-07-20

高山良二さんと、カンボジアに、学ぶこと

午後、松山市内にて。
第20回松山ヒューマンネットワーク講演会、に参加した。

同ネットワークの稲田代表によると、
12年前、地元同級生が集まった際、

40歳になったのを機に、何か社会貢献ができれば、
との思いから会を立上げ、

毎回多彩なゲストをお招きしながら、
今回、第20回を迎えることになった、そうだ。

その絆と、取り組みの持続に敬意を表したい、と思った。

さて、今日の講演会は、
『種になりたい~地雷原の村で自衛官OBが見つけた第二の人生~』

と題して、地元愛媛出身の、知る人ぞ知る、
日本地雷処理を支援する会(JMAS)・高山良二さん、が講師であった。

��ご参照⇒ http://www.jmas-ngo.jp/page/ehimesibutop.htm )

高山さんのご活躍は、かねがね存じていたが、
見聞きするのと直接感じるのは、まったく別だ、ということを痛感した。

ご承知の通り、
カンボジアを始めとした世界各国で、

戦後の後遺症といわれる地雷と不発弾の爆発音が、
今も、鳴り響いている。

そして。
親を失い、手足を飛ばされる人々が、後を絶たない。

そうした現状に対して、地雷等の不発処理に取り組むのがJMASで、
カンボジア地雷処理専門家として活躍されるのが、高山さんである。

地元では、尊敬するお父さんの意味で、ター、と呼ばれるその風貌は、
命がけの職場を感じさせないくらいに、柔和で穏やかであった。

そのアンバランス以上に、話はもっとサプライズだった。

全部を紹介しきれないが、一部だけご紹介すると。

彼が実践しているのは、住民参加型地雷処理活動、である。

普通、そんな危険な活動に住民を巻き込むのはどうか、
と考えられがちだが、逆に住民参加型スタイルをとることで、

助ける側と助けられる側、ではなく、共に助ける側として、
共同と自立の精神性を伝えたいというのが、その理由だそうだ。

それくらいカンボジア人は。
あまりにも大らかで、人を疑わない国民性、なのだそうだ。

そんなエピソードとして、井戸の話をされた。

日本の支援機関・団体から、たくさんの井戸が贈呈されたが、
井戸は、常にメンテナンスされないと、枯れてしまうものだ。

最初はもの珍しさから、井戸の周りに人が溢れたが、
少し具合が悪くなると、修繕の仕方を教わるのではなく、
それを捨て、みんな新しい井戸へと移っていくのだそうだ。

結局、60機贈呈された井戸の多くは、枯れてしまった。

だから、
彼らの精神に自立心を喚起させることが、より重要なのだ、と。

高山さんは、日本の支援機関・団体に対しても、
贈りっ放しは自己満足にすぎない、と、そのことを訴える。

贈った後、その支援によって、彼らと、かの国がどうなったか、
というところまで見届ける、愛情と責任を、ぜひ持ってほしい、と。

それにしても。

あまりにも長きにわたる軍事政権と、
内戦から解放された、カンボジア人たちは、

500万発ともいわれる危険な地雷・不発弾の隣り合わせで、
また、いろんな物資が足りない中で、それでも、

戦争がない今は幸せです、
と、

私には世界で一番輝いて見えるほど、
満面の笑顔で、答える(写真)。

たしかに、
日本は“豊かな”国、かもしれない。

でも、
“豊かな人”の国は、むしろカンボジアの方だ、
と、思った。

高山さんの講演の主題も、そこにあった。

日本人よ、心に風船を、と彼はいう。
風船を膨らませるものは、日本人が本来持つ優しい心だ、と。

少しだけ他人を思いやる心、あるいは、惻隠の情。

凶悪事件が耐えない今の日本社会は、
1人1人の中にかつてあった、そんな心の風船が、
しぼんでしかも、放置されてしまったからではないか。

政治は、一生懸命、枝葉を直そうとしているにすぎない、
幹を直さないとダメ、と彼はいう。

優しい心を、もう一度、国民1人1人に吹き込まない限り、
日本という国そのものが、枯れてしまう、と憂う。

国際貢献を通して彼の目に映る、
現在と将来にわたる日本の憂いが、

政治に携わる1人として、
心に迫り、胸に響き続けた。

人生をかけて、現場に立ち続ける人の言葉は、重い。

聞きっ放しでは決して済まされない、
私にできる責任の果たし方は何か、

ということを考えながら、帰途に着く。

また1つ、大きな宿題を頂いた講演会に、心より感謝、である。

��写真は、そのスライドを見た瞬間、世界で一番美しい、と感じた、
カンボジア人母子のとびきりの笑顔。)


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