2015-12-21

2015回顧録(21)

12月定例会一般質問より

②原子力防災対策について















「次に、原子力防災対策についてであります。
NRC米国原子力規制委員会(以下、NRC)では主に、原子力防災、とりわけエマージェンシー・緊急管理対策について取り組みを伺いました。

皆様ご承知の通り、今から36年前の1979年、米国ペンシルバニア州スリーマイル島において原発事故が発生しました。

当時、世界の石油への依存度は圧倒的に高く、エネルギー資源の構成は石油が約70%を占めており、米国でも中東の石油価格政策に左右されるエネルギー構造の脆弱性が懸念される中、その代替エネルギーのエースとして原子力が登場してきた、そんな最中の原発事故でありました。

この事故を受け設立4年目であったNRCは、規制や監視をより広範囲に広げ、強固なものとしながら、以降今日までに、原子力規制の仕組みそのものを抜本的に見直し、徹底的な変革を成し遂げてきたとのこと。あくなき安全を追求するその姿勢はわが国も大いに学ぶべきでありましょう。特に、リスクマネジメントを個人の専門的能力に依存するのではなく、組織や規制のしくみ、すなわち体系的な原子力規制システムの構築に求め、永続的に改善・強化を積み重ねてゆくというNRCの取り組みについては、日本も率直に見習うべきであります。

その意味で、今回の調査で強く心に焼きついたのは、原子力に関する緊急事態に備える“しくみ”です。

それはNRCを軸とした連携システムが、連邦政府はもとより州レベル・原発立地点レベルで緻密に構築されており、しかも実践的な訓練が、スリーマイル島原発事故以来、重層的かつ定期的に行われていることであります。

特に、避難訓練に関しては、米国の場合、原子力発電所は毎年避難訓練を行うことになっており、さらに2年ごとに州政府、地元の市政府、警察、消防署、学校、赤十字等の機関が参加する大規模な訓練を行っているとのことでありました。本県に置き換えると、国も参画し、伊方原発UPZ圏内の関係機関が必ず2年に1度避難訓練に参加するイメージに近いと思います。

又、レクチャの文脈からは、NRCと市民とのとても身近な距離感を感じましたが、これはNRCが市民から一定の信頼を得ており、日常生活に根ざし定着していることの証左といえるでありましょう。

その一例としてNRCでは、避難訓練の日程や緊急コールセンターの番号、あるいは“サイレンが鳴ったらこうしましょう”、“ここを通ってこちらへ避難しましょう”といった緊急情報の入ったカレンダーを、原発から半径10マイル、つまり16㎞圏内の全戸に配布しております。日本で言う「ごみ収集カレンダー」のようなもので、緊急事態に備える重要な情報が市民生活の中に組み込まれているようでありました。長い年月をかけてそうした活動に11つ取り組んだ結果、ここまで市民権を得られるに至ったとのことであり、原発に対する賛否を超えて緊急事態に向き合う米国市民と、安全確保に向けて真摯な努力を惜しまないNRCに敬意を表したいと思います。

と同時に、わが国、なかんずく本県におきましても、あらゆる緊急事態を想定しながら、万が一にも原発事故を起こさないよう最大限の努力を重ねるとともに、避難訓練を始めとした原子力防災対策の推進に官民挙げて全力で取り組む必要性を、強く心に刻ませて頂きました。

そこで、お伺いいたします。
原子力防災に関して、県では広域避難計画を策定し、訓練による検証を通じて、その実効性の向上に取り組んでこられましたが、NRCが長年築き上げてきた市民との信頼関係を基盤とした各種の危機管理対策には学ぶべき点も多いと思うのであります。伊方原発周辺における今後の避難訓練等に生かせないかと考えますが、この点についてご所見をお聞かせください。

一方、本県においては11/89、今年度の原子力防災訓練が行われました。
ご案内の通り、これには内閣官房や原子力規制委員会、県内外の自治体、四国電力など105機関、約15,000名が参加し、過去最大規模での開催となりました。

私も初日の一部を見学させて頂きましたが、その中から本年8月、伊方町から西予市に移転開設された新オフサイトセンターについて取り上げてみたいと思います。

移転開設後初となる今回の訓練では、伊方原発で事故が発生した際、新オフサイトセンターに与えられた“現地災害対策拠点としての機能と役割”が、どのように果たされるか注目されました。

センターには、内閣府の井上副大臣や仙波副知事をはじめとする国、県、及び県内7市町、山口・大分両県、四国電力、防災関係機関等スタッフ約260名が参集し、緊迫した中で種々の訓練が行われました。

センターと、国の原子力災害対策本部、県、市町の災害対策本部をテレビ回線でつなぎ、続々と入ってくる現地情報を一同で共有しながら、住民避難や防護対策等について決定・伝達していく様子を、私もつぶさに見学させて頂きました。

今回は想定に基づく訓練ということでありましたが、スタッフにおかれましては、あってはならない万一は、いつ、どんな形で起きるかわからないといった想定外まで想定しながらの訓練でもあったと思います。

私も、例えば“センター内がかなりごった返し混雑していたが実際のところ大丈夫なのか?”、“ヘリポートや道路が損壊したら外部からのアクセスをどう確保するのか?”、“電源や通信システムがダウンした場合、多重ルートは確保されているか?”等、いくつか疑問を感じたところではありますが、今回は国と合同で行う初めての大規模訓練であり、そうした課題を11つ浮き彫りにすることこそが貴重な成果であるといえるでしょう。今後、膨大な検証がなされることと思いますが、所期の目的に照らしながらしっかりと課題を抽出し、更なる改善を積み重ねていくことが重要であります。

そこで、お伺いします。
今回、新オフサイトセンターで実施された原子力防災訓練の評価と抽出された課題はどうか。また、実施結果を踏まえ、センターの機能強化に向けて今後どのように取り組んでいくのか、ご所見をお聞かせください。」




<答弁要旨:中村知事>
「本県では、福島第一原発事故の教訓や国際基準等を反映して新たに策定された原子力災害対策指針を踏まえた広域避難計画を、全国的にも早い平成25年6月に策定し、その後も大分県・山口県の御協力により受入施設を具体化するなど、避難対策の充実強化に努めるとともに、その実効性向上のためには、関係機関との連携や、住民の方々の信頼に基づく適切な避難行動が重要であることを踏まえ、計画に基づく訓練や計画の周知にも取り組んできたところである。

訓練については、昭和55年度からほぼ毎年、緊急時モニタリング訓練を実施してきたほか、平成元年度以降は、警察、消防、海上保安部、自衛隊等にも順次参加いただくとともに、平成7年度からは住民参加による避難訓練を実施してきている。特に福島事故以降は、自主防災組織役員等を中心に、毎年数百人規模の訓練を実施して避難行動の習熟や計画の周知を図っており、今後はさらに多くの住民の皆さんに参加いただけるよう改善を重ねていきたいと考えている。

また、計画の周知については、具体的な避難方法や行動上の留意事項等を記載したパンフレットを30㎞圏全世帯に配布するとともに、地区役員や自主防災組織等を対象とした講習会、福祉・医療施設を対象とした研修会等を実施してきたほか、各市町でも地区会合で避難計画の詳細を説明するなど、その周知啓発に取り組んでおり、引き続き、市町や周辺県、国等と連携し、住民広報面では先進的な取組みをしている米国など他国の危機管理対策も参考に、避難対策のさらなる充実強化を図っていきたい。」

<答弁要旨:防災安全統括部長>
「県が西予市に新たに整備したオフサイトセンターは、国が、法令やガイドラインに定められた原発からの距離や建物の耐震化、通信回線の多重化、自家発電機の設置、複数のアクセス手段などの要件の充足を確認したうえで、センターとして指定し、本年8月から運用を開始したものである。

移転後初めてとなった今回の訓練では、万一の場合に実際に現地対策本部長として陣頭指揮を取ることとなっている内閣府副大臣や、本県副知事、重点市町の副市長、副町長など、防災関係機関から約260名の要員が参集し、首相官邸からの避難指示の伝達や、具体的な実施計画の立案・決定、国・県・市町本部間の情報共有等について検証した。

訓練では、TV会議システム等の通信設備や、発電所の状況や周辺の放射線量をリアルタイムで把握するシステムなど、ハード面は適正に機能することが確認されるとともに、運営面でも、今回ブラインド方式の採用により、若干の混乱はあったが、実践的かつ効果的な訓練になったと考えている。今後、参加者や評価員の意見や評価結果も踏まえて、成果や課題等を抽出し、オフサイトセンターの更なる機能強化に、国とともに取り組んで参りたい。」

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