午前、政務。
午後、山本ひろし参院議員秘書とともに、現場視察・打合せ等。
昨日の今日、しかも国会議員秘書とともに、
という現場視察は、公明党ならでは、か。
ご相談者の驚きは、私たちの喜びであり。
あらためてじっくりとご要望を伺い、
対応について確認させて頂いた。
現場に立ちながら、さあ仕事はここからだ、といつも思う。
これからも、私たちの強みであるネットワークを生かして、
敏感に反応してまいりたい、と思う。
その後、場所を移して、秘書との打合せ。
昨日までに皆様から頂いた、国政に対する要望について、である。
あまりにも多くのご意見であるため、
私の方であらかじめ、ジャンルごとに整理しておいた。
省庁別では、
何といっても、厚労省と国交省に関することがダントツであった。
1つ1つが、生活者ご自身の体験に基づくご指摘だけに、
これほど切実にして説得力を持つものは、ない。
一方、省庁に分けられないものは、政治不信の声。
あまりにも、多い。多すぎる。
どんなに善いことを唱えても、そこに信用があってこそ、である。
信じてもいない人から何を言われても、協力しようとはならないのだ。
不信は、掛け算における“ゼロ”だと痛感する。
それはすべてを、無にするから。
ではどうすれば、政治は信頼を取り戻せるか。
民意の反映しかない。
政治は、圧倒的多数の、庶民の声を聴け、だ。
そして、そのために私にできること。
それは、声を上げること、声を集めること。
具体的に、持続的に。
民意を反映した国政にしていくためには、それしかない、
遠回りに見えて、これが最も着実な道、と私は思う。
そんな思いを秘書と共有しながら、打合せを終了。
道のりは遥かだが、それは、確かに続く一本道。
心して、前身あるのみ、だ。
��写真は、曇天の堀端辺の、野に咲く花。)
終日、党務。
そして、夜、
支持者の政治学習会に参加させて頂いた。
お休み、あるいは連休にも関わらず、
お集まり頂いた大勢の皆様に。
集まって来られるそのお気持ちに、
心より感謝を申し上げたい、と思う。
本日のテーマは、いわゆる長寿医療制度、
後期高齢者医療制度であった。
この数ヶ月間、何人の方々と、どのくらい語っただろう。
あるいは、お叱りをお受けしてきただろう。
今日もまた、対話あるのみ、である。
坂口力副代表の解説ビデオを見た後、
配布資料を皆で学び、そして、質疑となる。
私に頂いた90分の内、質疑に60分である。
が、それでも、足りないのである。
それほど、言いたいことがたくさん、あるのである。
細大漏らさず、皆様のお気持ちを受けとめる思いで、
ご意見の1つ1つに、真摯にお答えさせて頂いた。
“県議に言っても仕方ないけれど。”
“お心配り、ありがとうございます。
でも。
仕方ないのではなく、
これが私たち公明党の仕方、だと思います。
私は、○○さんのお気持ちを、必ず、国にお伝えしますし、
公明党地方議員3,000名は、そのためにいるのだ、と思います。
そうして集められた庶民の声は、必ず国を動かす、
ということを、私は信じて疑いません。
そうなのかどうか、ぜひ今後とも、
厳しくも暖かく見守って頂けないでしょうか。”
もちろん、後期高齢者医療制度以外にも質疑は及び、
90分の質疑は、私にとって、あっという間、であった。
いつもながら、余裕など、まったくなく。
目の前のお1人に、真摯に、誠実に。
それだけを自身に問いながら。
終了後、
羨ましきは弁舌巧みなる、を痛感しながらも。
しかし、上手な人は上手な人。
私は私らしさに忠実に、と思い直す。
早速、明日。
今日、皆様から承ったお声を、私の思いに代えて。
庶民の声は必ず国を動かす、と信じるがゆえに。
しっかりと、きっちりと、
国に伝えてまいりたい。
午前、部局折衝。
午後、県民相談。
そして夜は、小説2冊を一気読み。
「流星の絆」 (東野 圭吾 著)と、
「ジーン・ワルツ」 (海堂 尊 著)。
十分に元は取れ、おつりがくるほどグー、
であった。
前者について。
帯広告を検証すると。
“最後の救いが胸を熱く打った。”(40代男性・会社員)
“圧倒的な爽快感でした。”(30代女性・サービス業)
“期待を裏切られた。いい意味で。”(20代女性・フリーター)
この辺り、わかる、わかる、その気持ち、である。
で、もし、私がコメントを出すなら、たぶん。
“込み上げたい方、ラストページを、待て。”(40代男性・自由業)
というところだろうか。
本体価格1700円のうち、1600円分くらいの価値が、
最後の1ページに集約されているといって過言ではない、
とは、極めて個人的な感想である。
ちなみに。
議員という職業は、自由業にカテゴライズされるらしい。
私も、最初聞かされたときは驚いたが、
今は、いろんな意味で、なるほど、である。
さて、後者について。
こちらは、とにかく、シリアス。
著者が現役勤務医だからこそ、描写可能な世界だろう。
不妊治療、人工授精、代理母出産、
という繊細なモチーフをプロットに散りばめ、
医学と医療の間にある、深くて暗い溝を照らし、
医療崩壊の次にくるものを予感させられる、意欲作と思う。
厚労行政に今ある課題の本質を、見事に突いていて、
政治に携わるものの1人として、静かに、唸らされた。
休日前にリラックス、のつもりが、宿題また1つ、となる。
結局、政治は生活そのもの、と思う。
暮らしの中で、最近、何をしていても、
そこに課題がないか、探してしまう自分がいるのである。
今日は、
気になる2つの選挙の日、である。
しっかり行方を注視してまいりたい。
もう1つ、息子の9歳の誕生日でもある。
しっかり責任を持って育ててまいりたい。
さて。
先週の日曜日の話。
どうもわが家は、
息子とその友達の、放課後と休日の拠点になっているようで。
家内から、朝、
“用事があるので、夕方、子どもたちを遊びに連れていってほしい”
との、お達しがあった。
有無を言わさぬ響きあり。
昼下がり、いざ、グローブとボールを持って、息子が通う小学校へ向かった。
日曜日って、結構、子供たち、遊びに来ているものだなー、
と思いながら息子を見ると。
同級生やら、先輩やら、気になるのだろう、
こちらが保護者同伴であることが、少し恥ずかしい様子であった。
知らない間に、成長しょーる、しょーる、である。
で、キャッチボールをしようと思っていると、
鉄棒の逆上がりができないので練習したい、という。
おー、やってみ、やってみ。
見ると、最近の小学生は、
補助板のようなありがたい道具まで用意されているらしい。
1回、2回、5回、10回とトライを始めるが、失敗の連続。
それではムリだろう、と私は思わず立ち上がり、お手本を見せた。
軽いめまいがした。
逆上がりついでに、前回り、後ろ回り、膝掛回り、
と回りに回り、目の前を、久々に星が飛びまくるのであった。
さて、自慢ではなくて、ちゃんと教えろ、であった。
自分ができることと、人をできるようにすることは、全く別ものである、
ということが、痛いほど身に沁みた。
鈍くさいながらも、それでも、何回かに1回できるようになった頃、
息子の友達たちがやってきた。
“おまえんとこの母さんが、小学校におるよったけー、来た”、と。
それから、みんなとキャッチボールを楽しむこととなったが、
この子らの辞書には確実に、疲れる、という文字はない。
そう確信した私は、おもむろに、
“おじさん、ちょっと用事があるけん、帰ろーわい”、と。
疲れた、とは決して言わずに、フェイドアウトするのであった。
そして。
キャッキャ言いながら、いつの間にか、
次の遊び場所へ消えていったキミらのために、
おじさん、がんばるけん。
そんな気持ちがみなぎってしかたがない、おじさんなのであった。
��写真は、息子の逆上がり練習風景。)
夜、手づくりの資料を携え、
久万高原町に向かった。
今日は、月に1度の党員会である。
お土地柄により農業関係者が多く、
ちょうど日も長くなり始めた今は繁忙期、と伺った。
そうした中を、お集まり頂いた皆様である。
感謝の思いで、与えられた任を精一杯務めさせて頂いた。
今日は、あらあじめのご要望により、国政の行方について。
といっても、実際。
それは、誰にもわからないに違いない。
そういう、予言とか占いの趣旨ではなくて。
現時点における重要な政治課題を真ん中において、
私たちを取り巻く政局が今どのような状況にあって、
今後の政治日程を考えると、
どのような展開が想定されるか。
その中で、
私たち公明党にはどういった戦略と行動が必要か、
ということを、
皆で考えましょう、というものである。
こうしてまとめると整然としているが、要は談義、である。
難しい専門用語は、身の丈言葉に置き換える。
複雑な状況説明は、身近なたとえ話に置き換える。
すると、
“そういうことじゃったん”、
“そりゃあ、何とかせんといけんわい”、
と、自分ごとになる。
自分はこう思う、と意見が出てくる。
賛否も、硬軟も、さまざまな意見が飛び交い、
気づけば終了予定時刻となっていた。
自分を他人に置き換え、当事者に置き換えたとき、初めて。
政治は血が通ったものになるのだ、と思わずにいられない。
こうして、今日も、私は。
皆様から、草の根対話の重要性を、教えて頂いているのだ。
私たち公明党にはどういった戦略と行動が必要か、について。
ここでは、戦略は措くとして。
必要な行動を皆で考えた結論は、まさに、草の根対話、であった。
それは、遠回りのように見えて、最も確かな行動、に違いない。
自ら率先あるのみ、と決意しながら。
すっかり夜の帳も下りて、
ひんやり肌寒い久万高原町を、家路についた。
��写真は、安田 侃 作 「意心帰」 at 東京ミッドタウン。)
終日、県民相談に関する部局折衝に動く。
息つく暇もなくスピーディに、日が暮れた。
今日が週末であることも、
明日から人によっては大型連休に入ることも。
そういえば、と今頃気づく。
気づきついでに、
リフレッシュという単語を何年かぶりに思い出した。
そういえば、結婚以来、ゴールデンウィークに、
家族でのんびりできたためしが、なーい。
今年こそは、とも思うが、この時点でまったくの白紙。
結局。
父親の仕事が疎かになっている、との自省に行き着いた。
さて、本日の部局折衝である。
私たち議員は、日頃、
県民の皆様から様々なご相談ご要望を承る。
ひとくちに県民相談といっても。
都市部に住み、島嶼部にすみ、中山間地域に住み、
あるいは生活者であり、消費者であり、労働者であり、
父親であり、母親であり、子どもであり、患者であり、
と、
老若男女あらゆる方々の、あらゆる側面を持っている。
したがって、県民相談に対する私たちの姿勢は、
“365日360度対応”、でなければならない。
少なくとも、サービス業出身の私は、そう確信している。
おかげさまで。
有難くも、というか、恵まれているというか、最近。
部局担当者との間で、そうした思いを共有して戴けてるな、
と実感することが多々ある。
具体は伏せさせて頂くが、特に某部局は、対応が早い。
早いばかりではない。
対応方針、経過報告、事後報告、という念の入れようと的確さに、
いつも驚かされ、その都度、感謝の気持ちが込み上げるのである。
これこそ、真の行政サービスだな、私もかくあれかし、
といつも学ばせて頂いている。
その一方で、残念としかいいようのない場面もある。
いわゆる、お役所仕事に、出会ったときだ。
全庁意識が、相対的に良い方向へ変化していく中で、
かえって色濃く、際立って映る。
時代の変化に追いついてほしい、と思う。
そして、政でも官でもなく。
すべては県民本位、という信念に立ち。
共に汗をかきながら、
愛媛の新時代を拓いていきたい、と思う。
��写真は、4/23市内党員会でのご挨拶風景。)
早朝、一路、今治へ。
10:00、今治市役所にて石井市議と合流し、海を渡り。
向かったのは、私の故郷・伯方島である。
手帳を見ると、3ヶ月ぶりであった。
お申し出の方々による県民相談と視察を兼ねてであったが、
それらは当時、私自身、身をもって辛い思いをしたことであれば、
まったく痒い所に手が届くほどに、事情がよく理解できた。
善処を約した、その場所は、伯方中学校。
つまり、私の母校である。
卒業以来、初めて、門をくぐった。
同行の方々には悟られないよう、1人感動に包まれた。
ジーン。
今でもたまに夢に出てくる、
あの、校舎と中庭と校庭のぼんやりが、くっきりに変わった。
ぜんぜん、変わってなーい。
どうぞこのまま、と思いたいが、少子化の波はそれを許してくれない。
今年度からお隣の西伯方中学校と合併がなされ、かつ、
2学期からはいよいよ新校舎へ移転する、というのだ。
これが見納めになるかもしれない、と思うと、無性に寂しくなった。
デリケートな生徒にとってはなおさらであろう、と思うと心も痛む。
しかし、旧両校の生徒には、気持ちを前向きに切り替え、
新時代建設の息吹に燃えて、勉学とスポーツに勤しんで頂きたい、と思う。
まっさらな校舎もグランドも、そして未来も、
間違いなく、キミたちのものなのだから。
さて。
その後、石井市議と今治市内中心部に戻り、数ヶ所の視察を行なった。
なるほど。
当事者でないと、そこで暮らさないと、見えてこないことばかりである。
あらためて私たち公明党は、生活現場主義者でなければならない、と思った。
次いで、企業訪問を行い、役員幹部と地元情報を交換した。
ここでも、原油高騰問題が大きく影を落としているのである。
もはや、グローバリゼーションが影響を与えない企業も個人もない、
と思えるほどに、切実な現実で戦う、民間企業の必死さを痛感する。
面談の佳境にて、景気回復の実現を急がねば、と思う。
ねじれている場合ではないのだ、と怒りが込み上げてきた。
貴重なひとときを謝し、訪問先を辞した後、石井市議と別れ、1人松山へ。
帰り道の北条にて党員さんを訪ね、そのまま夜の支持者会合に駆けつけた。
いかにも、走った1日。
そして、
見て、聴いて、考えて、感じて、対話した、どの場面1つ取っても。
その解決に向けたプロセス全体が、政治そのものなんだ。
政治のパフォーマンスは、十分条件ではあっても必要条件ではないのだ。
そんな気持ちが、心の底から、湧いてくる。
小さな確信が、少しづつ大きなものになっていく。
生きた勉強をさせて頂いていることに感謝したい、と思う。
��写真は、新・伯方中学校の門標。)