終日、県民相談。
夜は、支持者の皆様との対話集会にお伺いする。
お忙しい中を、たくさんの方々にご参集頂き、
あらためて感謝を申し上げたい。
最初に、党本部作成の政策ビデオを上映した後、
対話集会の幕は切って落とされた。
今の政治に関すること、公明党に関することなど、
疑問も不満も不信も、すべて忌憚なくぶつけて頂く、
その1つ1つのご意見に対して。
お答えできる部分はお答えさせて頂き、
お預かりする部分は責任を持ってお預かりし、
国と地方の連携によって、政治に反映させていく、
というのが、本日の対話集会の目的、だ。
忌憚なくということだから、
前打ち合わせなしの、一問一答方式。
思わず、緊張で汗ばむ。
同時に。
議会質問も、一問一答のガチンコ式にすれば、
と、県議会を思い浮かべた。
さて。
宜しいですか?の声を皮切りに、
あちこちからご質問の手が挙がった。
そのほとんどが国に対する厳しいご指摘ばかりであり、
そのまま、公明党に対する叱咤激励でもあった。
1つ1つ真正面から、有難く受けとめさせて頂くとともに、
この声を必ず国政に反映させる基としなければならない、
と強く心に刻んだ。
それにしても、90分の時間は瞬く間、である。
時間を切らなければ、延々と深夜まで続くに違いない。
それほど積もる民意を、全国各地の民意を、確かに吸い上げ、
政策に反映し、実行し、また民意によって検証し。
そういう政治の実現を目指し、私たちは日々取り組んでいる。
そのことがやがて、政治全体で競われるような時代を拓くために。
道のりは遥かだが、今日も1歩踏み出せたかどうかを、
自身に確認する毎日でありたい、と思う。
��適当な写真がなく、イラストですみません。)
午前、大洲市での弔問に出席。
午後、県民相談と党務打合せ。
活動について綴れない日は、読書ネタ、
というわけで、先週読んだ1冊。
��官僚国家の崩壊」。
著者は、自民党衆議院議員・中川秀直氏。
何かとその出版の思惑について、
マスコミで取りざたをされているようだが、ともあれ一読。
結論として、私が理解したのは。
明治以降、実質的に官僚が支配してきた、
わが国の、いわゆる官僚国家体制は、
政治との激しい抵抗・攻防の末、やがて終焉を迎えるであろう、
いや終焉させなければならない、という彼の決意と覚悟であった。
驚いた。
自民党から、このようなメッセージが発信されること自体、
一昔前ではありえなかった、と思うのは私だけだろうか。
もちろん、各論レベルでは容認できない主張も、ある。
特に、単純小選挙区制の導入については、
私たち公明党としては反対だ。
三乗の法則が働く中で取り残される民意をどうするのか、
本当に二大政党制でよいのか、という命題に対して、
まだ、十分にして決定的な、国民の合意が得られていない、
と思うからであり、議論として本末転倒、と思うからである。
がしかし。
官僚主導から政治主導、中央集権から地方分権へ、
大きな政府から小さな政府、という彼の文脈は、
国民の空気をちゃんと読めているな、と思う。
日々の草の根対話で、
庶民の皆様からお伺いするのは、そのことに他ならない。
ちなみに、本書のキーワードは、
劣化したエリートによるステルス複合体、であり、
それら勢力に対する戦闘メッセージ、が主題である。
言い方を変えると、透明化による政治のイノベーションだが、
この流れは歴史的にして、不可逆の流れと私は確信する。
透明、ウェルカム。
そして、政治の意思決定はすべからく、国民にあるということ。
この当たり前が、当たり前に行なわれる時代と状況を、
私たちは、立場を超えて実現しなければならない、
と思うばかりである。
そしてそれは、まず足下からと銘記し、取り組んでまいりたい。
朝、因島を出発。
松山の自宅へは、たったの2時間。
あっという間の到着、だ。
かつて、しまなみの各島では。
車をいっぱい積んだフェリーが汽笛を鳴らしながら、
ゆっくり、ゆっくりと、往来をしていた。
どれくらいゆっくりかというと、
因島から今治まで、ざっと2時間半、である。
まさに、隔世の感あり。
そして、イノベーションについて考えさせられる。
橋の出現によって、
輸送手段は、海上から陸上に、大きく置き換えられた。
それは、今まで移動の選択肢がなかった島の生活者にとって、
画期的であったろう。悲願というべきか。
なるほど生活者にとっては、
選択肢の広がりは、そのまま利便の広がりといえよう。
一方で、選択されるサービスの提供者、つまり企業側からすると、
それは競争の激化を意味する。
まさに。
あらゆる選択肢が用意される都会は、生活者にとって便利だが、
企業からすると無数の競合との、生き残り競争の舞台であろう。
そして、競争によってこそ、イノベーションは生まれる。
公衆電話が携帯電話に、フィルムカメラがデジカメに、
というふうに新たなる価値に置き換えられていったように。
それは、企業という人ごとではない、
私たちも又、地域間競争、あるいはグローバル競争の中に、いる。
他のどの県にも、どの国にも置き換えられないような、
独自の価値、新しい価値を、常に生み出していかねばならない。
シビアだが、やりがいのある時代、だ。
現に、私の周りにも、そうしたゆるぎない志を持ち、語り、
チャレンジされる方が、最近とみに増えてきたように感じるからだ。
それは、政治の世界にも、ドンピシャ当てはまるであろう。
生活者と、未来と、世界への、貢献競争、だ。
その正しい競争によってのみ、政治不信は必ず乗り越えられる、
生活者基点の政治へのイノベーションが可能となる、と強く思う。
しまなみ海道を走りながら、
イーグルスを聴きながら。
議員として真剣勝負の1日1日を、
と、頭も心も引き締まるのであった。
��写真は、因島から生名島を臨む、小さい頃の原風景)
私事で恐縮だが、今日はめでたい1日。
いとこの結婚式の日、なのである。
父の弟の娘さんだから、
従兄妹と書く、いとこ。
早朝、自宅を出発し、
私の生まれ故郷である因島へ、向かった。
北条の海岸線を伝い、しまなみ海道を渡り、
4つの島をスラロームしながら、AM9:00。
5つめの島で降りると、そこが因島、である。
変わらない静けさと潮風の心地よさに包まれる。
少し早い到着となったため、
幼い頃自転車で走り回った、島の半周分を回ってみた。
広く感じた通学路や大きく見えた建物も、今は縮んで見え、
遠く果てしなく感じた島の外周も、今では狭く小さく感じる。
まるでガリバーのようであるが、それは景色の話。
人生もまた、相対の中にこそ存在するのであろう。
さて、結婚式、である。
今日の私たち木村家の主役は、
私の従兄妹である、新婦である。
その新婦を送り出す本家に、親族が続々集ってきた。
ほまれ君、久しぶりじゃね。元気にしよって?
ありがと、おばちゃんも元気そうで何よりじゃが。
似たように眉毛の濃い一族で、会話の花が咲く。
その後、マイクロバスにて式場へ移動し、
チャペルでの荘厳な挙式の後、披露宴に移った。
新郎側から、地元に伝わる伝統芸能による祝いの出し物が
次々に披露され、釘づけになるほど目も心も奪われ、感動。
特に、えびすさんのお面をかぶった、めでたいな踊り。
見ているだけで幸せになった気分。伝統芸能、バンザイだ。
私もひとこと、お祝いのスピーチを贈らせて頂いた。
若いお2人とご両家ご親族に万歳、の気持ちを込めて。
そして、祝福のひとときは過ぎ、滞りなく披露宴は結ばれた。
従兄妹の門出に立ち会えたことを、本当に嬉しく思う。
その後。
本家に戻り、今度は男性従兄弟同士での談義となる。
久々の対話は終わらず、結局、新婦の弟と深夜まで、となった。
長く、そして、めでたい1日であった。
おじちゃん、おばちゃん、おめでとう!
そして、ゆりちゃん、新郎とともに、末永くお幸せに!ね。
夕刻より、愛媛県行政書士会式典に出席。
式典に先立っての協議会が難航したため、
約1時間遅れの開催、であった。
これには、国会議員、国・県の各士業関係者など、
多くの来賓がおかんむり状態で、
私のような端くれにはヒヤヒヤものであった。
主催者である篠森会長のご心痛やいかに、
と、察しながら、粛々と会は進行していった。
さて、その行政書士だが。
それは一体どんな仕事だろう、
と思う方も多いのではないだろうか。
かくいう私も議員になる以前、
行政書士との接点は一度もなく。
行政書士法によれば、官公署に提出する書類その他権利義務、
又は事実証明に関する書類を作成することを業とする、とある。
ふーむ。
平たく言うと、
行政とのパイプ役、各種法律手続きの専門家といったところか。
懇談の席上、何人かの行政書士からお話を伺えば、
同業者の供給過多、建設業界の不振をはじめとする需要減など、
業界を取り巻く環境は厳しさを増しているという。
必然的に、ますます競争は過酷なものになるというわけで。
語られるその目は、生き残りをかけた勝負師の目であった。
それにしても、私たち議員という仕事の裾野の広さ、
あるいは守備範囲の広さ、ということをあらためて思う。
今まで何のご縁もなかった方々と、こうした接点を頂くことで、
あらたな世界が見えてくる。
すると、その世界のステークホルダーから見た政治課題が、
あらたに浮かび上がり。
結局、エンドレス。
その果てしなさに立ちすくむ思いと、
ワクワクする衝動が入り混じった、不思議な気持ちとなる。
まだまだ駆け出しの身であれば、1つ1つ、
しかし積極的に、接点を拡げてまいりたい、と思う。
��写真は、挨拶をされる、塩崎恭久衆議院議員。)
対話の日々は、続く。
そして、5月が終わろうとしている。
今月、膝をつき合わせて対話した方々の数は、約200名。
先月は、約300名だったか。
このように、連日、多くの方々からお話をお伺いしていると、
何だか、政治のリトマス試験紙になったかのように、感じる。
国政動向が庶民に与える影響が、赤色なのか青色なのか。
同じ赤色でも、ほんのりピンクなのか、まっ赤っかなのか。
ストレートな皮膚感覚で、感じられるのである。
また、たった2ヶ月で、微妙に変化する様子も。
まさに、
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、
である。
さて、今日、夕暮れに包まれながら、
お伺いしたのは、久万高原町。
ここは、町ものどかだが、人ものどか。
人は土地から切り離せない、といつも思う。
その、のどかで純朴な皆様が、
月に1度の党員会にご参集くださった。
人が集まるということを、当たり前と思ってはいけない。
議員にさせて頂いた時、心に誓ったことの1つである。
農繁期でお疲れにも関わらず、
ようこそおいでくださいました。
御礼を述べながら、有意義なひと時を期した。
党本部作成の政策PRビデオを上映した後、
いくつかの政策学習、質疑の順で進めさせて頂いた。
特に質疑では、貴重なご意見を種々承ったが、
その中で最も声が多かったのは、次の2点に集約される。
いわゆる、官僚支配の克服と、ムダの排除。
中川秀直氏が言われるところの、ステルス複合体。
髙橋洋一氏が言われるところの、霞ヶ関埋蔵金。
庶民には、はっきりと見えている、ということだ。
そして、そのご指摘こそ、政治不信の正体であろう。
質疑に寄せられた皆様のご期待は、
公明党はこれに取り組め、である。
その通り、なのである。
説明はいらない、結果的に、もいらない。
ただただ、公明党がリードして、与党として、
これだけのムダを排除しました、
政治主導の構造に転換しました、
という事実を、はっきりと見せてほしい、
というお訴えであった。
ずしりと、受けとめさせて頂いたこの思いを、
しっかりと国に届けるとともに。
県に置き換えたとき、私自身、
もっともっと力をつけなければ、と力が入った。
そして、毎月の党員会によって。
公明党議員として着実に鍛えられゆくことに、
ふつふつと、感謝が込み上げてくるのであった。
午後、公務にて記念式典に出席。
その後、今治市へ移動。
以前ご要望のあった箇所の改修状況を視察。
見事に改善されており、安堵する。
そして夜、党員会に参加させて頂いた。
ご当地、谷口今治市議会議員の支部である。
申し添えると、私のふるさと、でもある。
さて、到着後、
お借りしている会場の設営準備にあたる。
机といすを並べた後は、久しぶりの雑巾がけ。
ふと、小学校の頃を、思い出した。
あの頃は、机といすだけでなく、
廊下だって、窓も壁も、黒板だって、
とにかく校舎のあらゆるものを拭いたなぁ、と思う。
あるいは、磨いたというべきか。
最近の小学生は、どうなんだろう?
さて、平日で月末で、お忙しいところを、
今日も多くの皆様が駆けつけてくださった。
その場にてご挨拶させて頂いたが、
こうして振り返りながら、あらためて感謝申し上げたい、と思う。
さて、この日の私の役どころは、フリートーク。
フリーですか?わかりました。
フリーであれ何であれ、せっかくお集まりくださった皆様である。
間違っても、来て損した、とか、時間のムダやった、とか、
とにかく、しもぉた、と思わせてはならないのである。
と、こちらとしては、必死なのであった。
結局、少しでも元気になって頂こう、
と、この間の取り組みをベースとした体験談をお話させて頂いた。
自身の体験ほど確かなものはない。
確信に基づく話ほど、説得力のある話はない。
ということを、若き日より私は、
数え切れないほど、見聞きし、経験してきた。
無名の庶民の。
現実と生活に根ざしたチャレンジトークに、その確信に、
どれほど、気づきと、決意と、元気を、頂いたろう。
翻って今、国政であれ、地方行政であれ。
政治に決定的に足りないものは、説得力、と思うのである。
そう思う、まず隗より始めよ、ということで。
私自身の取り組みから得た、
公明党の目指すものへの確信を、語らせて頂いた。
時間の許す限り、感謝の気持ちを込めて。
情熱のままに、ありのままに。
そして、あっという間の、1時間弱。
終了後は、お1人お1人をお見送りしながら、
たくさんの身に余るお励ましを頂いた。
つくづくも、返す返すも。
故郷は、有難い、のである。
結局、今日も。
私のほうが、皆様からたっぷりと、元気を頂いたのであった。