2008-01-31

初めての予算要望、に思う

1月も、今日で終わり。早い早い。

午前、わが会派の予算要望書を加戸知事に提出した。
正式には、平成20年度当初予算編成に関する要望書、である。

まだ議員経験が1年も満たない私にとっては、
年に1回しか行なわれない行事はすべて初体験であり、今回もそうであった。

会派の笹岡・豊田両先輩とともに応接室に通され、ご挨拶を行なった後、
知事とともに居並ぶ県幹部職員各位を前に、私の方から要望書を読み上げさせて頂いた。

この要望書のもつ意味は大きいぞ、重たいぞ、
と頭の中でグルグル考えながら、20分間一気にしゃべりつづけると、のどが、カラカラになった。

はたして、それは、県民の皆様の声を細大漏らさず、きちんと網羅できているだろうか。
また、庶民を代表する会派としての視点に、明確に立脚できているだろうか。

この間、個々で考え、また、会派として議論を重ねてきた集大成でもある私たちの要望書は、
行政カテゴリ全般にわたり232項目、内、重点52項目という内容となった。

朝から、各会派順で立て続けに要望を受けられる加戸知事も、少々お疲れのご様子だったが、
ぜひとも実現に向けた前向きの検討をお願いしたいと思う。

さて、初めての私の所感はというと。
なるほど、年度当初予算はこのような手続きを経て成立していくものか、ということである。

そして、手続きは、踏んだ。
で、次の瞬間、思ったのは、その後は?ということである。

各会派から預かった膨大な要望を、今度は理事者側にて検討を行い、
それを次の2月議会に来年度予算案として上程するのである。

が、はて?
この3週間くらいの短期間で、そういった検討がはたして可能なのだろうか。

あれかこれか、を強いられる究極の財政難の中で。
前例踏襲も部局権益も乗り越え、優先順位をつけ取捨選択をしながら。

会派を通じた県民の皆様のご要望が最大化されるような経営資源・財源の配分が、
はたして本当に可能なのだろうか。

その議論は、すさまじいバトルになることは容易に推察できるのである。
そんなふうに考えると、なんだか予定調和の感がしなくもない。

であればどうすれば、ということを考えなければならないし、
それは、おそらく県民本意の、抜本的な議会改革の話につながってもこよう。

まだ駆け出しの身ではあるが、その視点を決して忘れることなく持ちながら、
今、目の前に直面する1つ1つのことをしっかり受けとめてまいりたい、と思う。


2008-01-30

足下を掘れ、そこに泉あり、を思う

午後、高知市で開催された、中小企業基盤整備機構(略称:中小機構)四国支部主催の
��地域資源活用フォーラムin高知」に参加した。
��ご参照URL⇒ http://www.smrj.go.jp/chiikishigen/jimukyoku/shikoku/033082.html )

地域活性化特別委員会に所属する私にとって、
いくつもの触発と感動、そして、ある種の確信を得た、実に貴重なひとときとなった。

フォーラムは、㈱玄 代表取締役の政所利子氏による基調講演から始まった。
テーマは、「四国ブランド活性化戦略」。


濃密に、感動した。
おそらく今。

国民・県民の皆様が、あるいは生活者が、最も聞きたいのは、こういう話なんだ、
つまり、私たちにもできる、という希望とか予感、そんな気持ちにさせる講演であった。

へき地から限界集落まで、いわゆる田舎と呼ばれる、地方の私たちには、ナイ、がいっぱいある。
お金がナイ、仕事がナイ、学校がナイ、病院がナイ。

そのナイナイづくしの中で、最大の課題は、人材がいないこと、と巷間いわれるが、
そうではない、と政所氏はキッパリ否定する。

人材はいる、ただ、活躍の場がないだけだ、と。

もちろん、その場は与えられるものではない。
かつて全盛時代の公共事業や補助金事業という幻想は、完全に捨てなければならないであろう。

与えられるのではなく、自分たちで創っていく。
そのことが時代の要請であり、地域活性化の前提なのだ。

そして、その活性化の本質は。
地域固有の資源を地域住民が主体となって掘り起こし、地域外から魅力ある経営資源に転換させること、と氏はいう。

完全に、同意するし、そのことは機会あるごとに私も訴えてきた。
今後さらに呼びかけを強めながら、1つでも2つでもカタチあるものにしていきたい、と強く思うのである。

土壇場から元気になった事例は、全国にこんなにもあるのか、と釘付けで講演を拝聴する中で、
高知県津野町のエピソードが出てきた。

廃校を利用した農村交流施設「森の巣箱」という取組みだ。
どうやって、と思うほど全国からお客様が訪ねてくるのだそうだ。
��ご参照URL⇒ http://www.town.kochi-tsuno.lg.jp/kanko_manabu.html )

あっという間の興味が尽きない基調講演に続いて行なわれたのは、パネルディスカッション。

��素材とマーケットの出会い」と題して、私の元上司である三井文博氏のコーディネートにより、
基調講演の政所氏と、観光カリスマ百選に選ばれた、知る人ぞ知る3氏(下記参照)で行なわれた。

そのうちの1人は、わが愛媛・旧双海町が生んだ、あの若松進一さんである。
お約束どおり、会場は、爆笑の渦、である。心からの感動とともに。

その観光カリスマ3氏の成功事例に共通するものは、何だったか。

それは、今ここにあるもの、つまり地域固有の素材に、新たな価値と解釈を与え、
小さな共感の輪を身近から地道に広げながら、新たなマーケットを拓いてきたということであったろう。

地域活性化は、新たなマーケットづくり。

地域資源の活用による、従来でも既存でもない、新たなマーケットは何か、考え続けたいし、
今日得た、心に広がる感動と希望を、県下の1人でも多くの方に広げていきたい、と思った。

帰り道、高知自動車道のトンネルをいくつも抜けながら。
足下を掘れ、そこに泉あり、との先哲の言がふと浮かんだ。

��写真:左から、
中小機構四国地域支援事務局GM・ADK四国支社長 三井文博氏、
〈http://www.smrj.go.jp/shikoku/index.html〉〈http://www.adk.jp/index_ja.html〉
㈱玄 代表取締役 政所 利子氏、
〈http://www.kouryu.or.jp/hitodukuri/iinprofeel/Profeel_mandokoro.htm〉
農事組合法人伊賀の里モクモク手づくりファーム 専務理事 吉田 修氏、
〈http://www.moku-moku.com/〉
夕日のミュージアム名誉館長 若松進一氏、
〈http://yuuhi.jp/〉
馬路村農協代表理事組合長・馬路村観光協会長 東谷望史氏
〈http://www.yuzu.or.jp/〉)


2008-01-29

格差社会は、分断社会

県民相談、種々。
心が重たくなるときも、ある。

最近読んだ潮2月号の記事もまた、重たいテーマであった。
タイトルは、格差社会が生んだ“影”。

ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・プランナーの、
三浦展(みうらあつし)氏による寄稿記事である。

もはや否定できない、事実としての日本の格差社会は、なぜ生まれたか。
彼は、アメリカ型のネオリベラリズムを受け入れたことを主因に挙げる。

それによって、新たな階層集団が出現し、その現象を、彼は、下流社会と名づけた。
が、所得が低い人々が増えた、という下層社会を指しているのではないらしい。

下流社会と名づけ、彼が提起したものは。

あくせく働いて年収500万円を稼ぐより、300万円でもいいから楽に人生を送りたい。
そんな価値観をもつ人、総じて人生への意欲が低い人、が増えてきた現象であった。

そういえば、と気づかされる。

同著が上梓されたのは2005年だが、その少し前、失われた10年の間に、
私の回りでもこうした価値観が広がりつつあるな、ということは感じていた。

さすが、若者の価値観研究を続けてきた、元アクロス編集長である。

話しを戻すと、その下流社会、あるいは生じた格差社会について。
問題は、労使あるいは正社員・非正社員の分断による日本人としての一体感の弱体にある、と。

たとえば。
フリーターを怠け者と思う正社員と、つまらない仕事を正社員はよく我慢してやってるな、と思うフリーター。

本当は、同じ時代の中を互いに苦しんでいるという共感を持つべきなのに、そこに接点がないという現実。
その通り、と思う。

そこここに大きな溝を生む格差社会は、換言すると、分断社会といえそうだ。
正規雇用と非正規雇用、都会と地方、高齢世代と現役世代、そして、政治と庶民。

不満とか、不信とか、対立という、この溝を、どのように埋めていくか。

そして、その溝は。
どのような共感を成立させるかという、他でもない政治課題である、と痛感する。

マーケティングが事実と仮説から出発するならば、
生活者が直面する様々な困難の事実から、政治はどのような仮説を立てるか問われていよう。

今日も、自身の宿題の重さと大きさを思うばかりであった。


2008-01-28

あっちでもこっちでも勉強、の1日

ベリー・ハードな、1日。
朝、県民相談をお受けしながら、バタバタと高松へ出発。

お昼、束の間ではあったが、古巣の広告会社へご挨拶に立ち寄る。
居合わせたのは数人であったが、一様に驚かれたようで。

次回は、ゆっくりと。

と思うが、この間もなかなか時間が許さず、その日はいつになるだろう、
と、後ろ髪を引かれながら、約10分で辞去する。


13:00、公明党香川県本部にて道路特定財源に関する勉強会が開催された。
連日、報道のない日はない、今、国民が最も注目する政治課題、についてである。

国土交通省四国地方整備局・祢屋局長様ご一同様、各県当局関係各位には、
大変お忙しい中をご参集頂き、レクチャを賜り心より御礼申し上げたい。

わが方も、山本ひろし参議院議員を中心に、各県所属議員が意欲的に集い合った。

そして。

そもそも道路特定財源は四国にとってどのような意味を持つのか、
暫定税率を廃止すると具体的にどのような影響が出るのか、ということを学んだ。

約2時間の中身を、端的にいうなら。

四国の道路行政にとって特定財源は、必要条件であり、
暫定税率廃止が各県民の皆様に与える影響は、確実にして多大なるしわ寄せ、となろう。

そして、この問題とは別に。
原油高騰に対するあらゆる手立てを、早急に講じなければならない、ということになろう。

党も、私も、そのように考えるのだが、その立て分けを非常に難しくさせているのは、不信である。
生活者が持つ、政治不信、である。

国が、あるいは行政が行なってきた、今までのムダや不正に対する生活者の疑念は、とてつもなく大きい。

現場を歩きながら、あるいは草の根対話を進める中で、心と肌で、感じる部分である。
廃止できない理屈はわかるが、本当にムダはないのか、ということを多くの生活者は感じているのだ。

という思いを、私は質疑の中で訴えさせて頂いた。

本質の議論の前に横たわる、生活者の不信を。
政治は、1枚1枚薄皮をはぐように、信頼に変えていかねばならない。


そのために公明党が果たすべきこと、私が果たすべきことを、常に問いながら、
今回の問題も、それ以外の問題も、勇気を持って取り組んでまいりたい、と思う。

勉強会終了後、急ぎ足で松山へ移動。
松山自動車道では、四国中央市あたりから雪が舞い始め、桜三里あたりでは吹雪となった。

通行止めになる一歩手前で、無事、松山到着。
18:00からの会合に何とか間に合い、ホッとしながら。

多士済々のその会合は、またしても政治の奥深さを学ぶ、私にとっての勉強会となった。
その後の、同期議員による会合もまた、大変考えるところ大、大いに学ばせて頂いたのである。

あっちでもこっちでも勉強、の1日は、22:00にて終了となった。

��写真は、会合でご一緒させて頂いた、地元西予市出身、西前頭五枚目・玉春日関との記念撮影。)


2008-01-27

綴り忘れてはいけない、母校のこと

今日は、日曜日。
ということで、事務仕事に没頭した。

今週は、視察・行事などが多く、久しぶりのデスクワークである。
賑やかな机上に、1週間といえどもじっとしていない、時の流れを感じる。

さて。

県外視察・行事などで忙しく、大事なことを綴り忘れていた。
わが母校・今治西高校が、2年連続、春のセンバツ出場を決めたのである。

おめでとー!と、声を大にして。
バンザーイ!と、さらに声を大にして。

選手諸君、越智校長先生はじめ学校関係各位・ご父兄各位・OB各位、
そしてすべての関係者の皆様に、心からの祝福を申し上げたいと思う。

これで、4季連続、春夏通算20度目の甲子園出場となった。
新たな歴史の通過点とはいえ、大きな大きな金字塔である。嬉しい。


早速、加戸知事からは、「本県の高校野球史に残る快挙、しまなみ旋風を!」と讃えられ、
野本県教育長からは、「校歌を何度も、愛媛を元気に!」との祝福と期待が寄せられた。

が、私たちOBも、負けてはいない。

今年の正月に、久しぶりに同窓会で旧交を温めたばかりとあって、
それぞれのブログがえらいことになっている。いや、盛り上がっている。

交流の輪が各地で、ヨコにもタテにも、いろんなカタチで広がっているようで、なんだかとっても嬉しいし、
こちらのほうも、えーっと思う方々が、先輩だよん、とわかったりするなど最近は、なんだか嬉しい続きなのである。

というふうに。
何だか嬉しい気分にさせてもらえるのも、母校のおかげである。

聞くところによると、今回出場される選手は甲子園2世が多いようだ。
ずばり、お父様が甲子園を沸かせた、そのご子息たちである。

私の同級生の息子さんや甥っこさんもいたりして、想像しただけで、今から応援に力が入るのである。

その第80回センバツ高校野球の開幕は、3月22日。
母校の、後輩たちの活躍を、全国のOBの皆様とともに心から祈りたい。

そして、私ごとで力が入るといえば、次の2月議会。
自身、初の代表質問である。

新年行事による忙殺で残された期間は超タイトだが、
母校で培った集中力で万全の準備を期してまいりたい。

この間、県民の皆様の手となって足となって動きながら、見て聞いて感じた、
皆様の声と思いを全力で代弁してまいりたい、と思う。

��写真は、1/3に開催された同窓会でのご挨拶風景。)


2008-01-26

1年前と、今日と、これから

正午、市内のホテルにて、
公明党愛媛県本部2008政経文化パーティが開催された。

地元から加戸知事をはじめ、国会議員、各地方議会議員及び首長ほか多数のご来臨を賜り、
わが党本部からは、神崎武法常任顧問が石田衆院議員・山本参院議員とともに出席した。

立すいの余地もないほどの盛況に、ご参集各位への感謝の気持ちが込み上げてきた。

思えば、1年前。
本パーティに、私は、統一地方選の予定候補として出席した。

連日のハードスケジュールに体がついていけず、高熱フラフラ状態で参加したことを思い出す。
健康の自己管理が厳しく求められる政治家の過酷さを、まだ知らなかった。

が、朦朧としながらも、太田代表の入魂空前のスピーチだけは、今も鮮烈だ。
ハッキリと、あの瞬間が、議員としての自身の原点なのである。
��ご参照URL⇒ http://homare.i-yoblog.com/e19503.html )

政治家は、何を言ったか、ではなく、何をやったか、が問われなければならない。
政治家の生命線は、パフォーマンスにあるのではなく、成し遂げた事実と成果にのみあるのだ、と。

結果を出してこそ政治家、との圧巻のスピーチに、新たな使命に対する挑戦を、心に誓った。
あれから、1年が経過したことになる。

私は、何を成し遂げたであろう、と考えると、なんとも覚束ないが、
県民の皆様から頂く1つ1つの課題に、ともかく無我夢中で体当たりの1年であった。

あっという間のようで、実は、長い長い1年だったような気がする。

さて。

席上、神崎常任顧問から、ねじれ国会における公明党の実績を1つづつ紹介しながら、
公明党が与野党合意形成のかなめ役となって、生活者直結の政治を必ず実現していく、
との力強いスピーチがあった。

ここで、考えよ、である。

その、生活者直結、をどのようにカタチにしていくか。
これは党としての問題であるとともに、極めて議員個々の問題でもあるのだ。

県民の皆様お1人お1人と直結するとは、どういうことなのか。
何をどれだけ、皆様と地域社会に対する成果としてもたらすことができるのか。

その日々の具体化が、議員の仕事であることを忘れまい、と思った。

ほぼ終日にわたりパーティの準備・運営に当たりながら、生活者直結、の電話は後を立たない。
たった電話1本だが、信じて託す思いの、勇気の1本、もある。

1年前も、今日も、そしてこれからも。

ある時は、生活者の辛みと苦しみを、胸をえぐられるように、
またある時は、その前進と解決を、飛び上がらんばかりに。

常にわが事として敏感に感じられる自身に成長を、と思う。

��写真は、万歳のご発声を頂く横田弘之愛媛県議会議長。)


2008-01-25

障がい者スポーツの振興、を思う

午前、来年度予算要望の会派打合せ。
午後、松前町の企業訪問を行なう。

そして夕方。
山本ひろし参議院議員・雲峰松山市議に同行頂き、市内在住の広瀬さん宅をご訪問した。

先日、雲峰市議とともにご相談を伺ったのだが、
その中身は、障害者スポーツの振興に関するご要望であった。

その本質を突いたお話に、私たちはひどく心を痛めながら、その抜本解決には国の力が必要だ、
と即、山本ひろし参議院議員にお伝えし、機会があればぜひ同行訪問を、と要請していたところであった。

それから、たった6日。

国会開会中の間隙を縫って、1人の庶民のために駆けつける国会議員が、はたして何人いるだろう。
山本さんは、さすがだな、といつも思う。

さて、その広瀬さん。
悠(はるか)君という、目に障がいを持つ息子さんが、実は、日本を代表するアスリートなのである。

昨年は、全日本視覚障害者柔道大会男子100キロ級で見事優勝し、
第3回IBSA世界選手権大会ブラジル2007男子100キロ級では5位入賞。

そして。

本年9月開催の北京パラリンピック日本代表に内定した、彼の栄誉と功績に対して、
地元松山市からは、平成19年度かがやき松山大賞が贈られ、顕彰されたのである。

ご両親の喜びは如何ばかりであろう。
悠君は、最高の親孝行者だ、と思う。

伺えば、彼は高校2年のとき、緑内障を患い、
以来、右目の左半分と左目のほとんどの視野が失われているのだそうだ。

言葉にできない挫折を乗り越え、今に至る道のりの支えとなったのが、
小学2年のときから続けてきた柔道だった、と彼はいう。

障がいというハンデを、スポーツによって乗り越えたのだ。

なるほどスポーツは、国籍も、老若男女も、年齢も、問わない。
まさに、人間が作り出した、ユニバーサルな文化といえよう。

スポーツを通して障がいを乗り越え、夢と希望を実現する彼の生き方に感動するとともに、
政治の力で、障がい者スポーツの普及と振興をリードしなければならない、と痛感した。

世界を雄飛する悠君の知見によると。

欧米では、障がい者スポーツのトップアスリートたちは、
国家プロジェクト並みの待遇と育成環境が与えられているのだそうだ。

それに比して日本の現実は、というところを、ご両親からあらためてお伺いしたのだが、
事実の持つ説得力に、山本ひろし参議院議員とともに真剣に受け止めさせて頂いた。

さあ、ここからが私たちの仕事である。

寒さ厳しい夕暮れに、いつまでも見送ってくださる広瀬さんご家族に対して。
ネットワーク政党・公明党として。

国と県と市のそれぞれの立場において、また一体となって、
障がい者スポーツの振興に取り組むことを、心に深く、決意した。

それにしても帰り際、悠君がんばれ!と握手した彼の手は、さすが100キロ級チャンピオン。
実に、痛ゴツかったのである。

��写真は、左から私、広瀬悠君、山本ひろし参議院議員、雲峰松山市議会議員。)