2007-08-21

ひまわりの町

今日は、松前町町議選の告示日。
ちなみに、投票日は26日である。
��ご参照URL⇒ http://www.town.masaki.ehime.jp/life/life_frame.php?lif_id=874 )

9:00より、2期目に挑戦する候補者の選挙事務所にて、出陣式が行われた。

平日にも関わらず、大勢の支持者にお集まり頂き、感謝の思いで一杯となる。

とともに、
支持者の皆様のために、松前町のために、候補者と同じ思いで、私も全力で働かせて頂く、という決意を固めさせて頂く。
必ず勝利をして、皆様のご期待にお応えしてまいりたい、と思う。

午後、同町の白石町長を訪れ、種々、懇談させて頂く。

松前町は、財政力指数、経常収支比率、実質公債費比率などの指標でみると、
県下市町でトップレベルの優良自治体であることがわかる。

とはいえ。

将来に対する懸念の構造は他の市町と変わりないといってよく、その中を、
来春の大型商業施設の誘致をはじめ、積極果敢に攻めの経営を志向する、
町長のリーダーシップに大いに学ばせて頂いた。

また、年若の私に対して温かな激励も頂き、有難くも恐縮のひと時であった。

平成の大合併に対して自立の道を選択し、歩む、
人口3万人強の、この町のシンボルは「ひまわり」だ。

太陽に向かって伸び伸びと育つ、ひまわりのように。
見る人に明るい笑顔をふりまくように咲く、ひまわりのように。

この町と、生活者の皆様の未来が、大きく花開きますように。
そう心から祈りながら。

県議としての責任もしっかり自覚させて頂いた1日であった。

��写真は、松前町に沈む荘厳な夕日)

2007-08-20

痛感とバタンキュー

酷暑をフル回転、の1日。
午前は、公務に勤しむ。

9月補正予算編成に関する、知事への会派要望の打合せである。
通常、当初予算と補正予算を上げるタイミングで、年2回、行われるとのこと。

議員となって以降、皆様からお伺いしたご要望は、しっかり盛り込ませて頂いた。
問題は、それが実現できるのかどうか、であれば。

ここから先が、政治力である。
会派は数、数は力、なのである。

公明党・新政クラブとして、しっかりと力をつけていかねばならない、
ということを、痛感する打合せであった。

午後は、山本ひろし参議院議員と松前町の企業各社を訪問。
駆け足ではあったが、種々懇談を頂き、国・県レベルの様々な要望を承る。

国会議員と地方議員が、これだけ密に連携協力ができるのは、公明党ならではであろう。
わが党独自の、この強みを、有権者の皆様にもっと見える形にしていかなければ、と痛感。

夜は、支持者の集いに参加。
ご挨拶をさせて頂き、元気を頂くも、帰宅後、バタンキューとなる。
体力の衰えを、痛感する。

連日の酷暑を恨めしく思いながら、何かと痛感することの多い1日となった。

��写真は、青空に浮かぶ上弦の白い月)


2007-08-19

ひとり1役、全員主役

広陵高校というのは、何とすばらしいチームだろう。

その強さはもちろんであるが、選手のメンタリティのことである。
試合終了後の談話を聞いて、また改めて記事を読んで、感動が突き抜けた。
��ご参照URL⇒ http://sports.yahoo.co.jp/baseball/hs/news/20070819-00000020-mai-spo/ )

主将のセリフは、こうだ。
「絶対勝ちます。中井先生は寝とってください」。

チームの皆が、監督の体調に心を配り、
自分たちですべての作戦を組み立て、必ず勝利をプレゼントする、と。

そして、監督は語る。
「自ら考えて必要なことを見つける方が、生徒が育つと分かったので(すべて任せた)」。

まさに、師弟である。
師匠は弟子を信じ、弟子はまた師匠に対し、結果をもって応える。

何と美しい。
何と頼もしい。
私の心は、割れんばかりの快哉にあふれた。

教育が目指すべきは、彼らのような人格を育成することである。
少なくとも私は、確信をもって、そのことを学んだ。

愛媛代表であり、わが母校でもある今治西高の敗退は、確かに残念ではある。
選手たちはさぞ、悔しいことだろう。
悔しくてたまらないことだろう。

その心情を考えると、本当につらいが、
次の、新たな目標ができたと捉え、新たなる歴史をぜひ拓いていってほしい、と思う。

そして、本当によくやりました!ありがとう!と、
心の底から感謝の気持ちを持って、ねぎらいたいと思う。

最後になるが、もう一度、広陵高校の話。

彼らの合言葉に、改めて敬意を表したい。
「ひとり1役、全員主役」。

この高校の本当の強さは、それを見事に体現する、その教育哲学にこそある。


2007-08-18

26年ぶりのベスト8

溶けそうなくらい、本日もまた酷暑にて。
汗にまみれながら、終日、党務にて市内を走る。

で、走るといえば、甲子園。

愛媛代表の今治西高が、痛快なる逆転勝ちで、
見事、26年ぶりのベスト8進出を決めた。
母校の後輩たちが、またまた、やってくれた。

特に、エースで4番の大黒柱、熊代くん。
その逆転ホームランの場面には、しびれた。
と同時に、彼の出身地である久万高原町を思った。

私は、同町のたくさんの方々にお世話になっている。
本ブログでも、久万でのふれあいの徒然を、何度も綴ってきた。

この町の生活を取り巻く環境は、とりわけ厳しい。
その中で、必死でがんばっている方々を何人も見てきた私には、
その瞬間の彼らの気持ちがわかるような気がした。

皆がどれほど歓喜し、どれほど勇気づけられたことだろう、と。

私もまた同じである。
26年ぶり、つまり、26年前のベスト8進出というのは、私たちの代である。

私たちに並んだ後輩たちを心から祝福するとともに、
僭越ながら、声を大にして言いたい。

勢いよく追い越せ、
そして、西高史上最高の歴史を創れ、と。

人生の中盤に差しかかる年齢となってみれば。
後輩とか、後継とか。
次を担う世代が成長し活躍する、これほど嬉しいことはないなー、と思う。

一方で、自身に置き換えれば、まだまだ新人議員の身。
人生の先輩からいささかなりとも心安んじられる成長を、と心に期す。

ともあれ、明日の大一番は、まさに胸突き八丁。
この夏、最もタフなゲームとなるであろう。

そんな眩しい後輩たちに今一度、エールを送りたい。

勢いよく追い越せ、
そして、西高史上最高の歴史を創れ、と。


2007-08-17

酷暑に、ハツラツ

この暑さ、もはや異常である。
今日で3日連続、40℃を超えたとのこと。

これは、国内観測史上、初めて、とのことで、
地球温暖化の不気味な進行を、予感させる。

温暖化防止については、またの機会に論じるとして。

それにしても、これだけ暑いと、気力も減退するか。
なかなか、1年生の私には厳しい中身の1日であった。

一方では。
酷暑にあっても、ハツラツと清清しい人たちがいる。
甲子園球児たちだ。

今日も、感動のドラマを繰り広げている。
明日は、わが母校の今治西の登場だ。

ベスト8進出は間違いなしと見ているが、いずれにしても。
奢らないよう、悔いを残さないよう、全力を出し切って戦ってほしい。

暑さをものともしない君たちの、溌剌の一投一打と全力疾走は、
一服の涼風となり、爽やかにわたる風となって、
私たちに元気を与えてくれるのだから。

がんばれ、今治西高。
私も、負けないぞ!

ふと、励ましながら、励まされる、自分に気づいた。


2007-08-16

2人の父と

焼けつくような陽射しに、拭っても拭っても噴出す、汗。

今日は、新家としての墓地移転に伴う私の父の納骨と、
家内の父の3回忌法要を兼ね、香川県高松市に趣く。

午後1時の、晴れ渡る、四国池田記念墓地公園。
��ご参照URL⇒ http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/memorial-park/memorial_park_info_10.html )
滞りなく、遺骨のご安置も済み、家族とともに、両父への感謝と報恩をご祈念する。

父が逝いて、ちょうど30年。
義父の逝去は、2年前。
ともに、真っ盛りの夏であった。

生前に面識のない父らだが、2人は今、隣通しに並び。
私もまた、いずれの日にかお側せんその日まで安らかに、と。

果たすべき使命を胸に、2人の父を偲び、そして誓う。
さあ、心にキッチリけじめもついた。

関係者へのご挨拶の後、家内の実家に戻る。

そして、束の間の休息の後、ひとり松山へ。
明日も又、やるべきこと、たくさんなれば。

帰り道。
高松から松山へと向かう高速道路は、まるで灯篭流しのように鮮やかで。

この夏の思い出を詰め込んで帰路を急ぐ、
そんな車たちのテールランプが、途切れることなく賑やかに流れていた。

2007-08-15

62年前を忘れない

午前、愛媛県民文化会館にて開催された「愛媛県戦没者追悼式」に出席。
厳粛なる雰囲気に包まれ、戦没者の御霊に、深い哀悼の祈りを捧ぐ。

今から62年前の本日正午、昭和天皇の、いわゆる玉音放送が行われ、
その終戦詔書の朗読をもって、事実上の終戦が確定された、と歴史は語る。

300万人以上といわれる、犠牲となった方たち。
その尊い命と家族の幸せを奪い、
奪ってもなお今に苦しみを強いらせ続ける、あの戦争というものは。

この日が巡り来るたびに、憤怒と慙愧を思い、そして平和を決意し誓う。

戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。

時代が代わり、何を失ったとしても、日本人として、
この絶対的事実だけは、決して忘れてはならないだろう。

私は、幸いにして、戦中・戦後の話を、何人もの当事者から聞いて育った。
祖父や父や、近所のおじさんおばさんたちや、学校の先生や。

二度と戦争は、したらイカン。
絶対、繰り返しちゃならんぞ。
あの苦しみはワシらだけで十分じゃ。

幼心にも、その痛恨の激情は、ぐさり、脳裏に焼きついた。
そして、今は亡き先達は、夏が来るたびに、私の命に刷り込むように語り続けてくれた。

今、私たちは。

子どもたちに、その先の未来まで、
これを語り継いでいく義務と責任を感じずにはいられない。
風化させてはならず、他人事にしてはならず。

そのために。

白柱を見上げ、献花を捧げながら、誓う。
いつか来た道の正体を、一歩たりとも、政治に、そして私たちの心に入り込ませないことを。

この決意を引き継ぐところにのみ、御霊への報恩が果たせることを知らねばなるまい。
その激情をもって、わが愛媛の戦没者に心から哀悼と最敬礼を捧げた式典であった。

ジリジリと射す屋外に出ると、セミが鳴きやまずとなり。

それは、短いその生命をせいいっぱい高らかに、謳い上げる詩なるか。
きっと62年前と同じように。