2017-04-24

4/24マンデー街頭「常識を覆す~創造的破壊が拓く未来」












 本ブログをご覧の皆様には“マンデー街頭ってタイトル、あれ何?”とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、これは前回改選時の2015年から私が私自身に課した議員活動の一環で、週明け月曜日の概ね8:00~8:30、市内の末広橋で行っている街頭演説のことです(祝日の日は順延、出張以外は雨天決行)。

 マンデー街頭と勝手に名づけてスタートしたわけですが、早いもので3年目に突入しました。年頭にも綴りました通り、本年はその発信内容をブログでもお届けさせて頂いており、以下は今朝の内容です。ぜひご一読頂ければ幸いです。

「皆様、おはようございます。
公明党・愛媛県議会議員の木村ほまれでございます。

 3週間ぶりに晴れ間の広がる爽やかな週明けとなりました。心も晴れやかに、皆様にとって充実した1週間となりますようお祈り申し上げたいと思います。

 さて、先週、東京でユニークなフォーラムが開催されました。

 「常識を覆す~創造的破壊が拓く未来」という刺激的なタイトル。ゲストは、日本酒の“獺祭”をゼロから創り上げた旭酒造の桜井会長、そして2020年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場・新国立競技場を手がける建築家の隈研吾さん。そしてモデレーターに一橋大学の米倉教授という、とても濃い顔ぶれに興味を抱きつつ、そして、本県の地方創生のヒントを探る目的で同僚議員と参加してまいりました。本日はその内容についてご報告いたしたいと思います。

 今回のフォーラムの核心はズバリ、“今の日本に最も必要なことはイノベーションだ!”ということでした。しかしこれは、決して常識を全否定するということではありません。

 経済学者のシュンペーターは「イノベーションとは既存の価値を破壊して新しい価値を創造すること」と定義し、アップル創業者のスティーブ・ジョブズは「イノベーションは新しい組み合わせ」と語りました。

 例えば、寿司は職人さんが丹精込めて作るもの、というのがひと昔前の常識でありました。それに対して“これを回転テーブルに載せたらどうなるか?”と最初に考えた人がいたから“回転ずし”が生まれ、今、堂々たる産業として確立しているわけです。

 ステレオとヘッドフォンも最初は別々の商品でありました。しかし“一緒になったらとても便利だろうなあ?”と考えた人が“ウォークマン”を生み出しました。

 テスラという世界最先端の電気自動車は、アメリカのシリコンバレーで開発されましたが、決して車やモーターを追求してできたのではありません。“ⅰPhoneに車輪がついたらどうなるか?”という発想から生まれました。

 私が今申し上げましたのは、既存のもの、既にあるものをアレンジし組み合わせることで新たな価値を創造した模範事例であり、イノベーションの姿そのものなのです。

 さて、ゲストの1人目“獺祭”の桜井会長のお話です。

 旭酒造という会社自体は山口県の岩国市にあるのですが、実はこの桜井会長、松山商大、今の松山大学のご出身で、奥様も今治出身。非常に本県にゆかりのある方でありました。さらに、この“獺祭”という商品名は正岡子規の俳号から頂いたとのことで本当に驚きました。

 そんな桜井会長の話を一言でまとめますと、「逆境が獺祭を生んだ」ということです。

 会長ご自身は大学卒業後、酒造メーカーに就職し、25歳で家業の旭酒造の経営に当たるのですが、ほどなく社長である父親と対立し、退社。その後、ベンチャービジネスを始め軌道に乗り始めた頃お父様がお亡くなりになり、それを機に家業に復帰されたそうです。

 しかし、当時の経営環境は最悪でジリ貧でした。生き残りをかけて経営の多角化を図るために、パック酒に参入したり、地ビールを造ったり、飲食店を立ち上げるなど、いろんなことにチャレンジしましたが、ことごとく挫折し、最後には杜氏にも逃げられるという八方塞り。しかし、その積み重ねの中から「独自の哲学」が磨かれていったのです。

 それは、「純米大吟醸しか作らない」、「原料の酒米は最高峰の山田錦しか使わない」、「精米を磨いて中心部の25%だけを原料とし、日本で最高のお酒を作る」。

 そして“通”だけがわかる日本酒ではなくて、一般の人や若い人、外国の人など“日本酒を知らない人でも美味しさがわかる”、そうしたコンセプトで生まれたのが獺祭であり、現在の世界的なブランドとして確固たるポジションを築くことに繋がったのです。

 “人口減少が続く過疎地域だから”、“日本酒は斜陽産業だから”、“杜氏がいないから”という逆境を「商品を変え、顧客を変え、市場を変え、売り方を変え」て乗り越えたというお話でした。

 これと同じことはできなくても、本県の、どの過疎地域にも、どの仕事にも、この考え方というものを当てはめることはできる、と私は思います。

 そうであれば私は、既存のものを組み合わせることで新たな価値を創造する“愛媛独自のイノベーション”は十分可能性にあふれていると思います。

 そういう芽出しとなる明るい事例をいくつか承知していますが、「そこに光をあて自信と希望を広げること」が政治の重要な役割の1つだと確信するとともに、そのことを県議会で精一杯実行に移してまいりたいと思います。

 次に、建築家の隈研吾さんのお話です。

 建築家の世界では、1964年の東京オリンピックのメイン会場・国立代々木競技場を手がけた“世界のタンゲ”、私の高校の先輩でもある丹下健三さんが第1世代、その弟子の黒川紀章さんらが第2世代、安藤忠雄さんらが第3世代で、隈さんたちは第4世代に当たるそうです。

 隈さんの話は、ご自身の半生や主な作品の解説、獺祭の桜井会長の会社の工場や店舗設計に関するエピソードなど、最後までグイグイ引き込まれっぱなしの魅力あふれる内容でありましたが、その独特の世界観を一言で表すと、ご本人がおっしゃるには「負ける建築」、これに尽きるという言い方をされたのが非常に印象的でありました。

 普通、著名な建築家の建造物といえば、存在感がバンバンこちらに伝わってくる圧倒的に力をもったものが殆どです。しかし、隈さんはご自身そういうキャラではないと認めた上で、風景に溶け込み自然に入り込んだ作品、融通無碍な素材活用で独自の世界を確立し、今の世界的なポジションを築き上げられました。

 従来、見る人を圧倒する“強さ”を目指すことが当たり前だった建築業界の常識を覆し、「負ける建築」、つまり今までにない、時代や環境にしなやかに寄り添う「物語としての建築」を目指した隈研吾さんの志こそ一世風靡の今に至る原点であった、そのように私は感じました。

 フォーラムのタイトル通り、さまざまな常識を覆しながら、イノベーションを起こしながら、本県ならではの地方創生の実現に向けて、微力ながら全力で取り組んでまいりたいと思います。今週もどうぞ宜しくお願いいたします。」

0 件のコメント:

コメントを投稿