2007-09-07

気づき、直行

気づいたことは、すぐ行動に移す。

というわけで今日は、昨日の、知的怠惰との指摘を受けて、
じっくり、本会議で行う一般質問の構想を練った。

県民の皆様から直接伺った、数々の要望が、私が取り上げるテーマの源泉であれば、
背伸びせず、格好をつけず、ただ、そのお一人に寄り添う思いで、思索を巡らせる。

集中、集中。

ワークシートに、1つ1つ書き出してみる。
チャート化してみる。
考える。

並べてみる。
考える。

わからないことを調べてみる。
職員に、聞いてみる。
考える。

あっという間に、半日が立ち。

この種を考えることに不慣れな脳の疲労と引きかえに、
何となく方向性のいくつかが見えてきた、ような気がする。

ここからが、テーマを掘り下げて調べ上げる、キツイ作業となるが、
夜の会合出席のため、今日はここまで、となる。

それにしても。

調べものをしていると、ついつい脱線して、いつのまにか読書になっていたりする。
人は、どこまで集中できるのだろう。
という言い訳はせず、やはり、時間を切って実行することの重要性を、痛感。

ちなみに、明日は終日、党務のため、続きはあさってから。
思考のスイッチは切らさずに、一気に取りかかりたい、と思う。


2007-09-06

良薬、求めて

夕方、元の職場の上司であるAさんを訪ねる。
目的は、一般質問の準備にあたって、少し煮詰まった頭の中を整理するためである。

結論からいうと、大正解であった。
要は、私の知的怠惰である、と。

観点がずれている、質問の筋が悪い、なぜ?が足りない、考える訓練が足りない、
と、手厳しい指摘の数々。
その通りというしかなく、まったく、良薬は口に苦し、である。

この、Aさん。

話していて、こちらの頭がクリアになっていくのには、理由がある。
それは、ロジカル・シンキング、という思考方法にある。

それは、ある課題を解決する、つまり、その解を導き出すための手段としての、
仮説思考をベースとする発想方法、といえる。

世の中にあらかじめ答えはない、答えは必ずしも1つではない、
という前提のもと、より最適解を導き出す道具といってもいいだろう。

ロジカル・シンキングを自分のものにするために必要なものは、
頭脳ではなく、知的トレーニングという習慣あるのみ、とAさんは言う。

その大変な忍耐を伴う、習慣の怠惰をズバッと指摘され、思わず目からウロコがさらさらと。

県政の課題は、大きすぎて、広すぎて、深すぎて、難しすぎる、と感じたときに、
既に頭が固まっているということに気づくべきである。
心に、常に俯瞰を持て、と、Aさんは言う。

私にとって、教えを乞うことができる、ありがたい場であり、ひと時、であった。
2時間強の、いわば個人授業の後、近くで夕食をとる。

ここでは、プライベートな話題についてのご指導が続々、かつ、容赦なく。

退職して半年以上たっても、相変わらずAさんは手厳しい。
なればこそ、私にとっては大良薬なのであり、感謝の人なのである。

2007-09-05

ちゃんと、お見通し

日中は公務、夜は党務にて。
悲喜交々、ならぬ、悩みと喜びが交錯した1日。

天網恢恢疎にしてもらさず、という言葉がある。
夜の党員の集いに参加して、その故事が脳裏に浮かんだ。

今日の私的トピックスは、その別れ際の、あるご婦人の一言であった。
実に印象的だった。

私自身の行動と、努力と、態度と、その心情さえ、
ご婦人も支持者の方々も、実によく見ているなー、ということを実感した。

よくぞそんなところまで、というところまで、お見通しなのである。
ありがたくもあり、少し怖くもあり。

公人という仕事の厳しさの一面であろう。

支持者の皆様のご期待を、あらためて感じながら。
しかし、無理せず、あせらず、地に足をつけて、黙々の大事を教えて頂く。

知らない間に、気持ちが張り詰めて、肩に力が入りすぎていたか。
明日からスイッチを切り替えて、議会の準備に集中することにしよう。

��写真は、昨日訪れた金波煌めく北条の海)


2007-09-04

もうすぐ、9月議会

午前、党務にて久万高原町へ。

ふと、夏の甲子園で活躍した今治西高の熊代くんの話題に花が咲き。
彼のお母さんが近くにいらっしゃる、ということで、早速ご挨拶に伺う。

お姉さんか、と見紛うほどの若さに、軽いショックを受けた。
先輩というには、いささか老けてしまった自分を感じ、気恥ずかしくなる。

さて、午後は、議会にて9月予定議案と補正予算の説明会に出席。
緊縮財政の苦労がにじむ中身であった。

その中で、1つの保健福祉事業に目がとまる。
6月議会の一般質問にて私の要望させて頂いた事案が、ドンピシャの形で、
予算化されているのだ。

一瞬、目を疑ったが、紛れもなく、そう書いてある。
また、1歩前進だ。
ご相談に来られた方々の喜ぶ顔が浮かんできそうだ。

が、油断することなく。
議会承認を経て、その事業が、受益者の満足度向上に資する目的に適うよう、
慎重に見守ってまいりたい。

今日の説明会。
これが行われるということは、まもなく議会が始まるということなのである。
9月定例会は、9/13から10/5の会期予定だ。

ちなみに私、前回に引き続いて、今回も一般質問に立つ予定である。

この間、たくさんの新たな市民相談を頂き、
生活者の、生の、お声を肌身で感じさせて頂いた。

この皆様のお気持ちを、県政にどのように反映させてカタチにしていくか。
それが、私の仕事であり、支持者の期待成果でもある。

その責任の重さとともに。
この1週間、またも徹夜気味の毎日が続くことを覚悟する。

��写真は、久万高原町で見つけた季節外れの、バッタ)


2007-09-03

下宿への寄り道

今日は、終日、今治にて。
日頃、お世話になっている企業と支持者の皆様へのご挨拶に伺う。

寄り道がてら、高校時代の下宿先を訪ねてみた。
何年ぶりだろう。

大家さんは、あいにく留守で、お会いすることができなかったが、
裏に回ると、私が過ごした部屋、というか、離れ、は健在であった。

その4畳半のレイアウトも、カーテンの色も、はっきりと覚えている。
押入れの、昭和のにおいも、くっきりと蘇る。
出入りしたあの人この人、あのシーンこのシーンが、浮かんでは消え。

高校時代の3年間を過ごしたこの場所は、ある意味、私にとっての聖地である。

奇しくも、ちょうど26年前の、夏休み終了間際の、この時期。
今は亡き私の恩師が、突然にしてわざわざ、この下宿まで足を運んでくださった。

進路は、どうするんぞ。

そう言ったきり、私の話を最後まで、頷きながら聞いてくれたこと。
そして、就職に気持ちが傾きかけた私に、大学進学の決意を固めさせてくれたこと。

がんばれよ。
人懐っこい笑顔で、そう言って、帰られた。

深々と、感謝の気持ちが、蘇る。

進学先と、その先に連続する、数々の出会いによって私は、今にたどり着くが、
もし、あの家庭訪問がなかったら、今の私は、確実に、いない。

ここが、起点だ。
他人に感謝することの大事を教えて頂いた、この場所が、大人へのスタート地点だ。

おそらく10数年ぶりの、この場所で。
坂の上の雲をめざして、恐れずに突き進んだ、あの時と同じように。

あらたな坂道の登攀に際し、立ち寄るべくして立ち寄った、
そんな意味と必然性を感じた、寄り道であった。

そして、額の汗をハンカチで拭いながら。
感傷に浸る気持ちを振り切り、次の訪問先へと向かった。

��写真は、本日訪れた、日本食研KO宮殿工場/ご参考URL⇒ http://www.nihonshokken.co.jp/main.html )



2007-09-02

ユニバーサルな社会へ

午後、松山市と(社)松山青年会議所の主催による
第24回まつやま市民シンポジウムに参加した。
��ご参照URL⇒ http://www.city.matsuyama.ehime.jp/seisaku/1182864_907.html )

注目したのは、
2部構成の第1部「人と人、人とまち、まつやまの未来」と題した基調講演。

講師は、あの、プロ野球の読売巨人軍終身名誉監督、長嶋茂雄氏の主治医である、
初台(はつだい)リハビリテーション病院 医学博士の酒向正春(さこう まさはる)氏である。

その講演の骨格を成す「健康医療福祉都市構想」の提唱に、感銘を受けた。

日頃、誰しも、人とまちは、病気や障害の当事者を想定していない、
という冒頭の事実提示に胸が痛む。

当事者となって初めて、どうしてよいかわからない現実の社会システムに気づくが、
脳神経外科においては、それは決定的に致命的、なのである。

氏が唱える「健康医療福祉都市構想」とは、
病気や障害をあらかじめ想定した、優しさと強さを持つ、個人の育成とまちづくり、
と私は理解した。

障害に対するリハビリ治療は、一義的には確かに医療マターだが、
その先の、社会生活を行っていく上での、人間回復に向けた真の障害克服という点では、
思いやりという想像力を伴う「ひとづくり」と「まちづくり」という市民のマターなのである、と。

それは、自助と共助が織りなすユニバーサル社会の実現、と換言していいだろう。
私が感銘した、肝である。

酒向博士は、愛媛出身の46歳。
日本のみならず世界に、その「健康医療福祉都市構想」を広めんとするその情熱に、
大いに触発され、有意義な時間を得た。

心から賛同するとともに、県政への反映という大きな宿題を胸に、会場を後にする。
照りつける残暑は、まだまだ厳しく。


2007-09-01

その気づき、価値あり

面白い記事を発見。

たった15万円のコストで、世界一を実現した事例である。
��ご参照URL⇒ http://www.asahi.com/life/update/0901/NGY200709010007.html?ref=goo )

思わず、うなずいてしまう男性は、少なくあるまい。
この事例、じつに示唆に富むのだ。

気づきの力、の経済効果である。
件の空港施設サービス会社の生産性を向上させるきっかけは、ひらめく“仮説”であった。

すなわち、“ターゲットがあると、きれいなトイレになる”のではないか、という、気づき、である。
全く、すばらしい、と感心する。

ここに、わが愛媛の、経済活性化を含む政治課題のヒントがあるように思えてならない。

この事例は2つの重要を示唆してくれる。

1つは、気づきは現場にあったということ。
もう1つは、気づいたのは、清掃という意味でも、利用者という意味でも、当事者であったということ。

例えば、経済的疲弊が続く、農林水産業地域にもピタリとあてはまる。

みかん農家は、ふつう、みかんが売り物と思って栽培をする。
その中で、ある人は、みかんをつくる過程全体を売り物にできないか、と気づく。

夏の夜、セミの幼虫が土から這い出して、みかんの木によじ登り孵化する、
このシーンを都会の子どもたちに見せて感動させたい、
と思うならば、観光事業の仮説が出来上がる。

みかんの花の甘い香りを缶詰にして、都会に住む、愛媛出身者に届けたい、
と思うならば、通販事業の仮説が出来上がる。

あくまでも、ジャストアイデアに過ぎないが、しかし。

あの、世界のカップヌードルだって、
どんぶりを持たないアメリカ人が、チキンラーメンを紙コップで食べるのを見てひらめいたという、
日清食品の創業者であられる安藤百福さんの、ジャストアイデアから始まったのだ。

現場から離れてはいけないな。
その現場から、当たり前を排さないといけないな。
そして、現場の課題に対して、いつも当事者意識を持たないといけないな。

そう、思った。
また、決意した。

その気づきに、あなたの価値がある。
そういって頂けるように、日々、自分を磨いていこう、と。